2024年1月から刊行が始まった、林譲治の最新長編『知能侵蝕』が10月の第4巻(第4分冊)で完結した。第41回日本SF大賞受賞作でもある2018-19年の《星系出雲の兵站》、2019-20年の《星系出雲の兵站ー遠征ー》を始めとして、著者の本格SFは、2021-22年の《大日本帝国の銀河》、2022-23年《工作艦明石の孤独》と切れ目なく書かれてきた。それぞれ分冊化されてはいるが、全体で1つの長編となっている。書き下ろされるごとに出版という構成力が問われる形式で、完成済み原稿の分量割りとはひと味違う。今回は遠未来や過去ではなく、十数年後の近未来が舞台となる。
2030年代末、航空宇宙自衛隊の観測班長は、地球軌道上にあるデブリが不可解な動きをしていることに気がつく。考えられない現象だが、知見のない防衛省に上げても反応がないことを見越して、情報は国立の研究所NIRCに伝えられる。デブリが向かう高度65000キロの軌道上に遷移した、小惑星オシリスが関係していると考えられた。軌道要素から見てエネルギー保存則を破るような現象が生じているのだ。一方、地方の山中にある廃ホテルでは奇怪な事件が起こっていた。
オシリス偵察のため急遽打ち上げられた宇宙船が遭難、1人生き残った自衛官は小惑星内に取り込まれる。内部には複雑な洞窟があり、なぜか呼吸可能な大気で与圧されている。そこには、廃ホテルから拉致されたらしい2人の日本人がいた。オビックと名付けられた未知の存在は、さまざまな手段で地球侵攻を図ろうとしているらしい。その一つ、軌道エレベータの建造を阻止するため、モルディブ沖で海戦が勃発する。
小惑星内で生活する人間はさらに2人加わる。ただ、挙動がおかしい者もいた。オビックはミリマシンと呼ばれる超小型の機械を使うのだが、それが人間に擬態するのだ。小惑星では、オビックの宇宙船が製造され地球へと来襲する。大半は迎撃されるものの、1部はアフリカ中央部に下り、軍事会社が採掘権を持つ鉱山を制圧する。
鉱山からオビックは世界中に拡散する。だが、放棄された廃鉱山ばかりが狙われる。日本でも地方に来襲するが、自衛隊は正規軍を都市防衛に温存し、替わりに中高年のMJS(非正規雇用部隊)を前線に送り出す。一方のNIRCでは敵の本拠地である小惑星を攻撃するため、原子力推進の宇宙船を各国分担で打ち上げ、一気に事態の打開を図ろうとする。
近未来、日本は極度の人材不足に陥っている。特に高度なスキルを要する研究者レベルが不足する。優秀な人材がいなければ、先端技術はすべて外国頼みとなる。航空宇宙自衛隊でも人手は足りず、JAXAや天文台の科学者が徴用され穴を埋めている。NIRCも危機管理のための科学者組織である。だが、旧態依然とした縦割り官僚組織はメンツを優先し、配下にない部署からの具申など見向きもしない。著者のこういう皮肉な視点は、非正規雇用者からなる使い捨て部隊MJSで顕著にあらわれる。非正規のため、死傷しても自己責任なのだ。
本書ではオビックという異質の知性が登場する。人類を凌駕する科学技術を持つのに、その行動は合理的ではない。何かが起こると学習こそするものの、人が常識と思う判断は行われず柔軟性にも欠けている。なぜそうなのかは本書を読んでいただくとして、《星系出雲の兵站》に出てくるガイナスも同様の「知的生命」だった。著者は地球外の知性に対してやや悲観的な見方をしているようだ。
ところで、本書の結末はイーガンかテイラーかという終わり方(オチではない)であるが、これもある種のパロディなのかもしれない。