スタニスワフ・レム/スタニスワフ・ベレシ『レムかく語りき』国書刊行会

Tako rzecze Lem,2013(沼野充義監訳、後藤正子/菅原祥/水原槙子訳)

 文芸評論家/ジャーナリストのスタニスワフ・ベレシによる、スタニスワフ・レムとの対話/対談集である(2人は同名だが、スタニスワフは東欧では一般的な男子名)。本書『レムかく語りき』は、1987年に出た第1版(検閲による削除箇所がある)、2002年に出た第2版(前者の完全版+20年後の増補)、及びそれらを底本として修正された2013年の電子版があり、翻訳は最後のバージョンに日本読者向けの序文や、修正/要約が行われた新版である。これまでにドイツ語、ロシア語、ウクライナ語訳が出ているが、なにしろ長大な(2段組で700ページ近い)対話集なので、レム人気のない国では出せないだろう。日本での評価はこれらポーランドの近隣国と同等のものだといえる。

・失われざる時/──幼少期から戦時下の経験、さらに戦後の作家としての独り立ちまで
 幼少期を描いた『高い城』はまったく小説ではない。18歳の1939年、ルヴフでのソ連侵攻を目撃、占領下で医科大学に入学、その2年後にドイツの侵攻があって大学はなくなり修理工としての就業、ユダヤ人をかくまったこともある。「火星からの来訪者」を書く。ソ連の再侵攻がありクラクフへ逃避、蔵書などを失い医学生に復学、『主の変容病院』は執拗な修正を受け、初出版は『金星応答なし』だった。戯曲を書き、『マゼラン雲』を書く。
・蜘蛛の巣のなかで/──科学、文学、自己を紡ぐ
 小説は蜘蛛が巣を張るように書く、書いている時に全貌が見えているわけではない。『金星応答なし』『マゼラン雲』は低評価、『星からの帰還』も平板で嫌い。『宇宙飛行士ピルクス』も評価はしない。『エデン』は普通レベル、『インヴィンシブル』は少々控えめ、良い作品は『電脳の歌』で、『ソラリス』はしっかりしているが的外れの批評も山のようにある。『天の声』は全く悪くない。『GOLEN XIV』はとても気に入っている。『浴槽で発見された手記』の一貫した偏執狂的なヴィジョンは色褪せていない。論証的な本では『技術大全』があり、『偶然の哲学』では構造主義を批判している……。
・ゴーレム/──『GOLEM XIV』、およびレムとGOLEMの類似点について
 この本は他のどの本より苦労している。人間を超える知能が一人語りする話であるためだ。電話網に接続され全会話を傍受する次世代コンピュータも出てくる。「利他的で超越的な知性」と「人格的な存在」であることは両立しなくてもよい。この中で考察された思考実験は、その後の科学技術の進化により裏付けられたものが多い。
・映画への幻滅/──自身の作品の映画化と不満
 『金星応答なし』の映画は最低中の最低だった。タルコフスキーの『ソラリス』は単なる『罪と罰』である。ケルヴィンの家族や「ロシア」を登場させたのが(本書の意図とはまったく異なるから)ひどい。『主の変容病院』は事実に基づかない誇張に満ちている。
・好きも嫌いも/──文学の好み
 本を一冊だけというならラッセルの『西洋哲学史』を選ぶ。ベケットは嫌いだがドフトエフスキーは愛読している。O・ヘンリーは古いが職人技だ。最近の本ならホフスタッター『ゲーデル、エッシャー、バッハ』が私の考え方に近い。オーストリア文学には目がない。ボルヘスとは認識の本質についての立場が違う。ポーランド文学には目立つ巨峰はないが、個々には見るべき作品はある。(欧米の)SFはもう何も読めない、認識論的価値もない。ソ連ではストルガツキー、アメリカではディックを評価するがそれぐらいだ。読者の見識が低くなればなるほど、ストーリーの面白さばかりに注意が向けられる……。
・苦情と提案の書/──文壇へのレムの不満
 一冊上げるとするなら、『電脳の歌』には後世まで残ってもらいたい。とはいえ、ポーランド文学への貢献度はゼロだろう。国内評価でも、批評でも正当な位置付けができていない(特に科学的な視点については批評できた者がほとんどいない)。SFとの仲たがい(SFWAとの無益な論争)のてんまつ。ソ連でのたいへんな人気(読者だけでなく科学界でも人気だった)とポーランド国内での(特に公的機関の)冷遇とでは格差が大きい。
・文明の穴のなかで/──全体を見失った現代人
 ヨーロッパや世界の未来はどうなるか。レムの立場はカール・ポパーに近い。世界的な不安定化、西欧のエゴイズムが衰退を招く。遺伝子工学の進展がある。基礎研究を語らない未来学については否定的だ。あらゆることが投票で決まる民主より専門家による文明を支持したい。現代社会における宗教の役割について。「幸福」とは別問題だが、機械化が進み職の代わりに給付を得られるとしたら……。
・世界を解明する/──宇宙と人間の限界の彼方へ
 宇宙の起源、複数の宇宙、人格的創造者(神)は受け入れないが、宇宙の創造を完全なる偶然とするには説明が不足する。自然進化とエルゴード仮説。宇宙で同一の物理条件になるといっても人間中心主義にはならない。進化とは遺伝性プラズマの伝達過程で生じる誤謬の総和である。人類の進化の要因は言語の誕生だった。しかし言語至上主義の哲学には反対する。実験や経験に基づく経験主義こそが重要だ……。
・哲学的思索への情熱/──哲学に関する好みと自らの世界観について
 ヘーゲル、プラトン、さらにサルトルを批判。ショーペンハウアーのペシミズムはレムの世界観と合致する。ハイデガーは言語に土台を築いたが、それは簡単に変動してしまう。フッサールも(体系は違うが)同根である。その言語も含めて確率論のモデル(統計学)で考える。レムの見た当時の世界のありさま、文明や歴史に対する考察。最後は「理性」が重要。
二十年後 現場検証
 人間原理、膜宇宙、インフレーション理論、EPRパラドクス、ダークマター、生物の大絶滅、地球への天体衝突、気候変動、遺伝子組み換え食品、反グローバリゼーション、計算能力だけで人工知能は生まれない、遠隔授業より対面によるボディーランゲージが大事、仮想と現実の見分けのつかなさ、遺伝子解析、避妊と人工中絶の倫理、バイオ的な人工臓器、世界の人口増加。
総括──すなわち、万物は流転する
 自分が何に分類されるかに興味はないが、ポーランドでもいくらか評価はされるようにはなった。自分の創作と現実とを比較すると、カリカチュア風に歪んで現実化したものが多い。(逆説的な)「最良の社会」というのは鈍感で麻痺した社会のことで、その病因にいまでは(2002年)インターネットという依存症が加わっている。
あとがき──この素晴らしき時代
 『対話』や『技術大全』に書かれたことを現在からふりかえる。

 レビューの中で各章の要約を書こうとしたのだが、まともに書こうとするとこの倍の分量でも書き切れず、たとえ書いたとしても不完全なものに終わると分かったので、それぞれ触りだけにとどめている(GOLEMならぬAIを使っても、単なる省略になるだろう)。レムは日本ではあくまで『ソラリス』などを書いた作家であって、哲学や科学評論についてのレムは断片的な翻訳で知るしかなかった。ただ、レムに関しては非小説のウェイトが非常に大きいのだ。本書はベレシによるインタビュー集なのだが、レムの哲学/科学に対する視点をうかがう上で重要な論稿といえる。

 対談/インタビュー形式である以上、話の内容や順序が一貫しないのはよくあることだ。それは編集段階で修正される。しかし、レムの発言は雑談であっても蘊蓄があって、カットし辛いというのも理解できる。結果的に論点が次々と移り、無数の議論を内包した長大な対話が続く。読むのは大変だが、読み手を飽かせない重厚な内容ではあるだろう。

 (少なくとも評者が)全く知らないポーランドの哲学者や科学者、文学者たちへの言及が多い。レムは科学というグローバルな立場を取り、時には辛辣で批判的ではありながら、自身の文化的な背景を忘れてはいないのだ。その一方、レムを全く評価してこなかった自国の科学者や文学者に不満があり、ポーランドが世界的な研究にほとんど貢献してこなかった政策的な失敗を憂いている。そういう文化的な失政は日本とも似ているわけだ。

 なお、SFWA(アメリカSF作家協会)とのもめごとは、(英米SFの情報が多い)日本でもよく知られた事件である。アメリカ側で名誉会員に選んでおいて、過去の批判的な言動(その忖度のなさはともかく)を理由に作家会員がクレームをつけ、あげく除名したのだからアメリカ側の身勝手さは日本から見ても目に余ったが、その際のディックのおかしな発言が話題になった。この対談でも、冷静なレムが怒っていたのがよくわかる。

矢野アロウ『マイボディ・オン・ザ・ムーン(上下)』早川書房

Cover Illustration:緒賀岳志
Cover Design:岩郷重力+N.K

 2023年の第11回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞した著者の、上下巻2000枚(1000ページ)を超す書下ろし長編大作である。授賞当時は特別賞の間宮改衣「ここはすべての夜明けまえ」に注目が集まって目立たなかったが、受賞作はSFコンテストの本流を狙った意欲作だった。本書は、編集部からの依頼「『三体』『プロジェクト・へイル・メアリー』みたいなSFを書け」(著者インタビュー)を正面から受け止めた作品だ。デビュー後最初の長編とはいえ、相当な手練れ(書き慣れている)では、と思わせるできばえである。

 中国系のNASAエンジニアが、北京に帰国した際に国家安全部(MSS) の秘密基地に連行される。そこで月の裏側で発見された奇妙な物体「神秘小屋」の詳細を聞かされる。それは明らかに人工物だったのだが、内部に首のない胴体が数十体置かれていたのだ。これはアメリカの秘密兵器なのか、秘匿された意図はあるのかと問い詰められるのだが。

 本書には多数の人物が登場する。ただ、あまり群像劇という印象にはならない。複数の流れはあるものの早々に絡み合って1つとなるからだ。NASAのエンジニア(実は中国のスパイ)とその妻(実は夫を監視するCIAの職員。ちなみにこれは冒頭の人物紹介に書いてある)というコメディめいた関係がまずあり、タイ人の脳神経学者で日本の大学に勤める女性やその知人の少数民族の少年と障害を持ち車椅子に乗るVTuber少女、アメリカ人で貧困から成り上がった実業家と妻や息子らなど、これら国際的に配置された人物を中心に物語は進む(日本人も出てくるが端役的な存在感)。

 物語の前半では各登場人物たちの背景が語られる。時制は一致しておらず「現在」がばらついている(2024年だったり、あるいは1984年だったりする)。これらが首なし死体という共通項で結びつく。無数の伏線が仕掛けられるが、ねじ伏せるように(あるいは半ば強引に)物語は収束していく。これを破綻を感じさせずに書けるのだから、著者の腕力は相当なものだろう。月の死体から連想されるホーガンの『星を継ぐもの』との違いは政治や科学に対する姿勢にある。本書ではクライオニクスや、科学技術最優先の加速主義といった選民的な思想の是非が論じられるし、宇宙人の存在はかえって政治的な世界情勢を悪化させていく。

 一応の決着はつくが、結末は非常に哲学的というかとても思わせぶりな内容だ。これだけで「神秘小屋」の正体が明らかになったわけではない。続編が期待される。

倉田タカシ『タフな狩り』集英社

イラスト:シマ・シンヤ
デザイン:坂野公一(welle design)

 足かけ5年(構想からならそれ以上)を費やした力作長編。小説すばるの2021年1月号から25年4月号まで4回に分けて分載されたものを、大幅に加筆修正したのが本書である。書きはじめたころ(2019年末)にコロナ禍がはじまり、自宅外で書くスタイルだったためにスランプに陥り苦しんだという(著者インタビュー)。物語はいまからおよそ40年後の日本が舞台。再度の震災と原発事故を経て人口が半減し、各地方は外資に支配された〈工場〉と称する閉じた生活圏に分割され、差別のある格差社会となっている。

 茨城県の〈工場〉に住む主人公はその暮らしや苛めが耐えられず、アプリの助言にそそのかされるようにして脱走する。やがて、危ない狩りを生業とする4人組の1人になった。いまの仕事は、狩猟レジャー施設から逃げ出した〈獣〉を追うことだった。それは生き物ではないが、限定された知能を持ち巧妙に逃げ回る。

 物語の舞台は次々と変転し、静岡県西部の富裕層が住む〈人食い山〉、東京(唯一の都会)外縁にある神奈川県武蔵小杉、不法滞在者が占拠する東京湾沿岸にある可動住宅群(足を持って歩行する)と移っていく。こういう変貌を遂げた近未来のありさまや、ロボット/ドローンなどガジェットの数々は、架空の旅を描いた著者らしい発想に満ちていて、メカというよりキャラ的なかわいらしさがある。

 主人公は高齢者に対する強い憎しみを隠さない。著者によれば、あえて読者が共感できない露悪的な性格にしたようだ(いまどきの世相なら、差別意識はかえって好まれるのかもしれないが)。仲間たちも何らかの過去や負い目があって、後半になると隠れていた暗部が顕わになる。ただ、未来日本のありさまも、ただ過酷/絶望だけというわけではなく希望も残る。同じディストピア日本ものに椎名誠《北政府》があるが、この仄かな暖かみの有無が乾いた椎名世界との違いを感じさせる。

眉村卓『準B級市民』小学館

装丁:おおうちおさむ 山田彩純(ナノナノグラフィックス)

 小学館P+D BOOKSによる眉村卓復刻本の6冊目。順調な刊行で、この叢書の他の著名な作家たちと比べても注目度は高いように思われる。本書は著者の2冊目の単行本で、最初の短編集でもある。初長編『燃える傾斜』(1963)が出た2年後の1965年9月に、ハヤカワ・SF・シリーズの一環として出版された。この中には早川書房の空想科学小説コンテスト(中断を挟みながらも現在まで続くSFコンテストの第一回)で佳作(第二席)となった「下級アイデアマン」が含まれている。

第一部 現在
 いやな話(静かな終末、1963)夜明け前の番組でTVが伝えること。ピーや(奇妙な妻、1962)存在感の薄い男はピーと呼ぶ猫を飼っていた。不満処理します(枯れた時間、1962)古ぼけた店で見つけた品物には、やりきれない時に使うものとの説明書きがあった。交代の季節(奇妙な妻、1963)何かが違う。ちょっとしたことが積み重なりどんどん膨らんでいく。奇妙な妻(奇妙な妻、1964)会社が倒産した。ところが妻は慌てることなく次の勤め先を薦めてくる。
第二部 近未来
 決算の夜(影の影、1962)タイムマシンが完成した。しかし未来に行くか過去に行くかは五分五分だった。悪夢の果て(影の影、1963)男は会社命令で感応移動を訓練する学校に送り込まれる。クイズマン(産業士官候補生、1964 )プロのクイズマンチームは競争も過酷だった。そこに有力な新人が加入する。暗い渦(影の影、1964)ブレーンスタッフから落ちこぼれた中年男は、セクソイド・センターの存在を知る。
間奏曲(ショートショート) 
 浜近くの町で(枯れた時間、1960)島から抜け出した男は絶え間ない暴力に晒される。夜のたのしみ(枯れた時間、1961)笑顔を嫌う男の運命など2つのエピソード。われらの未来(枯れた時間、1962)恐るべき未来のビジョンには希望はなさそうだった。お別れ(枯れた時間、1961)幼い俺にお別れを告げたものは。
第三部 遠未来
 わがパキーネ(重力地獄、1962)他星との交流が進んだいまでも、人と酷似したパキーネとの関係には緊張を強いられる。使節(重力地獄、1964 )植物由来の知的生命たちは「使節」と称して金属製の箱を調査隊に託す。時間と泥(重力地獄、1964 )知能と行動とを結びつける部位が疫病で失われた異星文明の下に、人間たちの探検船が着陸する。正接曲線(重力地獄、1964)その惑星の原始的な住人は異様に好奇心が強く、調査の自由と引き換えに知識の伝授を要求する。還らざる空(還らざる空、1964)ドームに覆われた都市で、空を投影する装置に故障が生じる。準B級市民(還らざる空、1962/64)主人公は人工的に生まれた政策出生者だったが、階級相応に割り当てられた仕事にはなじめなかった。下級アイデアマン(重力地獄、1960)エリートであるアイデアマンは心安まる仕事ではなかった。最下級の主人公は劣等感に苛まされながらも、水星基地に派遣されそこで異常事態に遭遇する。
 *括弧内に示したのは後の組み替え短編集。『静かな終末』(2021)以外はどれも現行本では入手できない。

 著者はこの時期、作風をさぐる模索期であったためか、さまざまな傾向の作品を発表する。日常的なもの、幻想的なものから宇宙SFまでと内容はとても幅広い。これら初期の短編の多くは、その後複数のテーマ別作品集(奇想性が強い『奇妙な妻』、日常から地続きの異世界を描く『影の影』や『枯れた時間』、ディストピア的な未来の『産業士官候補生』や『還らざる空』、宇宙ものの『重力地獄』など)に組み替えられた。読みやすさを重視したためだ。しかし、半世紀以上を経たいまならば、発表順に戻し時代の空気を感じ取るという読み方にも意味があるだろう。

 第一部の中では不条理が積み重なっていく「交替の季節」、第二部では長編『わがセクソイド』の原型でもある「暗い渦」(著者の近未来ものは、半世紀後の「いま」になってその先見性が再評価されている)、第三部では「わがパキーネ」などが印象深い。アイデアSF要素の強い宇宙ものは、当時人気があったものの著者自身は納得していなかった(たとえば「使節」の解題で「好きではない」と書いている)。これは10年後に《司政官》として再構築されることになる。

P・ジェリ・クラーク『カイロの死せる精霊』東京創元社

A Dead Djinn in Cairo,2016/The Angel of Khan El-Khalili,2017/The Haunting of Tram Car 015,2019(鍛治靖子訳)

装画:緒賀岳志
装幀:岩郷重力+W.I

 2年前に《創元海外SF叢書》で翻訳が出た長編『精霊を統べる者』(2021)は、『SFが読みたい! 2025年版』で海外編1位を獲得するなど人気を博したが、シリーズ《精霊を統べる者》(著者に拠ると「デッド・ジン・ユニバース」)の前日譚/派生作品はその前にも書かれていた。もともとは1冊の本ではなく、電子版や小冊子版などでばらばらに出ていたものだ。それを、日本オリジナルで1つにまとめた中短編集が本書である。

 カイロの死せる精霊(ジン)(2016)巨大なジン、マリードが死体で発見される。調査を担った魔術省のエージェントとカイロ警察警部は、現場で謎めいた象形文字と奇妙な羽根を発見する。手がかりの意味を探り、墓場に赴いた彼らは意外なものを発見する。
 ハーン・アル=ハリーリの天使(2017)ある天使の元に、1人の娘が奇跡を求めてやってくる。切実な願いだったが、叶えるには代価が求められた。それは人界のお金では賄えないものだった。
 空中ケーブル〇一五号憑依事件(2019)魔術省の若手エージェントと新人の2人組は、市内に張り巡らされた空中ケーブルの車両に、正体不明の憑きものが宿ったと知らされる。しかし、それは当初予想した「超自然存在」とは違っているようだった。

 長編と主人公が同じなのは冒頭の表題作のみで、あとは同一設定での別エピソードである。「空中ケーブル〇一五号憑依事件」は同じエージェントでも同期の仲間が主人公(男性)で、エジプトでの女性参政権運動のただ中という背景で物語は進む(リアルな歴史では1956年に成立)。この連作の魅力は近代化された魔法世界(産業革命が中近東/アフリカの魔術によってエンハンスされている)による、非西洋的なカイロの日常にあるだろう。登場人物にコミカルな要素があるのも共感を得やすいポイントになる。表題作の主人公は女性だが、エキゾチックに見えるからという理由で、山高帽にスーツという西洋風の男装で活躍する。

 本書は概ね犯人捜しのミステリタッチといえる。とはいえ超自然現象が絡むので、読者が犯人を予測するには無理がある。その分、捜査のロジックをいかに飽きさせずに見せるかが重要になる。まず異質な都市のありさま、機械仕掛けの天使などの大仕掛けが目を奪う。次に20世紀初頭の改変歴史(というには大胆すぎるが)に、現実とのリンクを感じさせリアリティを増している。このスタイルの集大成が、次の『精霊を統べる者』に生かされているのがよく分かる。

スティーヴン・キング『チャックの数奇な人生/もし血が流れれば』文藝春秋

If It Bleeds,2020(安野玲/高山真由美訳、白石朗/安野玲訳)

装画:藤田新策
装幀:石崎健太郎

 2020年に出たキングの中編集である。キングの中編集はこれまでたくさん翻訳されてきたが、長編級の長さのものを含むので全1冊で翻訳されたことはない(日本オリジナルの作品集などは除く)。本書も、短めの2作品を含む『チャックの数奇な人生』と、長編並み作品を含む『もし血が流れれば』の2分冊に別れる。前者の収録作は映画化されており「サンキュー、チャック」公開に併せて刊行されたようだ(もう1作は2022年の「ハリガン氏の電話」で既に公開済み)。

 ハリガンさんの電話:ありふれた田舎町に、隠遁した富豪の老人(ハリガンさん)が住む邸宅がある。大金持ちのようだがハイテク嫌いで最小限の人しか雇わない。少年は老人に気に入られ、偶然得たお金でスマホをプレゼントする。
 チャックの数奇な人生:世界が壊れていく。どうやら破滅が近づいているようだった。そんな世界に奇妙なビルボード(広告)が現われるようになる。キャッチコピーは「39年のすばらしき歳月! ありがとう、チャック!」なのだった。
 もし血が流れれば:ピッツバーグ近郊にある中学校にクリスマスの荷物が届けられる。しかし、それは悲惨な爆発事件を招き、生徒や教員ら多数を死傷させた。犯行は計画的だったが、主人公は手口に不自然さを感じ取る。
 ラット:大学で創作を教える作家は、短編では多少名を知られていたが長編を完成できずにいた。思い悩んで深刻な精神的ダメージを負ったこともある。しかし、物語が難なく浮かび上がる今度こそ書けるように思えた。

 古典的なホラーネタがベースにある「ハリガンさんの電話」と「ラット」、SFで書けば短編のオチとも思える「チャックの数奇な人生」は、アイデア面で見るとちょっと弱いかもしれない。また、「もし血が流れれば」の探偵ホリー・ギブニーは、キングお気に入りの登場人物で『アウトサイダー』などでおなじみ。敵も(まったく同じではないが)再登場である。「ラット」のバンガローにこもる書けない作家は、『シャイニング』以降何度もみかける。とはいえ、アイデアの新奇性は(現在の)キングが目指すものではないだろう。結末の予想がつくのに、ページを繰る手は止められない。本来「不安」を誘うホラーとは矛盾するかもしれないが、ストーリーテリングを「安心」して愉しめる円熟味こそが著者の本領なのだ。

ナオミ・クリッツアー『陽の光が消えた町で』早川書房

The Year Without Sunshine and Other Stories,2026(桐谷知未訳)

装画:森優
装幀:早川書房デザイン室

 著者は1973年生まれの米国作家。デビューは99年でファンタジイ長編などを手がけてきたが、本書収録の「報酬は猫の写真で」(2015)がローカス賞、ヒューゴー賞を受賞、他2賞でもファイナリストとなり俄然注目されるようになった。本書はそんなクリッツアーの受賞中短編5作+ヒューゴー賞最終候補1作をまとめたもので、アメリカでもまだ出ていないベスト版の日本オリジナル作品集である。

 小さな図書館の司書さまへ(2020)L:庭先に設けられた小函は、誰でも本の交換ができるシェア図書館だった。ただ、借り手の誰かは本の代わりに「もの」を置いて行く。
 陽の光が消えた町で(2023)H、N:大気中に塵や灰が満ちて陽が差さなくなった。インフラが制限される中で、町の住人たちはコミュニケーションを立て直して助け合う。
 怪物(2020):遺伝学の教授となった主人公は、当時気が合った高校時代の友人を追っていた。友人は頭は良かったが、思いも拠らない別の領域に足を踏み入れていた。
 報酬は猫の写真で(2015)H、L:アシスタント型のAIが、ロボット三原則に従う倫理規範についてその可否を独白する。アシストの報酬は猫の写真で。
 海を見渡す四姉妹(2024)H、A:夫が大学のサバティカルで東海岸に引っ越す。住むのは海沿いの田舎町だったが、主人公はそこでかつて諦めた研究対象と再会する。
 アルゴリズムでよりよい生活を(2023)H:そのアプリはよりよい生活を提案する。しかも、見知らぬ他の人たちも巻き込んで。
 *L:ローカス賞、H:ヒューゴー賞、N:ネビュラ賞、A:アシモフ誌読者賞

 ヒューゴー/ネビュラのダブルクラウン(ローカス、スタージョン記念賞でも最終候補)となった表題作は、分断の時代に共助を唱えるお話だ。ここでは政治も宗教も人種も、もちろん世界情勢も問題にされず(経済格差は少し顔を覗かすが)、人道だけがクローズアップされる。しかも声高ではなくソフトに。

 最近翻訳された作家でいうと、サラ・ピンスカーと双璧を成す人気作家である。日常から異質な世界へとシームレスに連なる物語が多く、ファンタジイ(「小さな図書館の司書さまへ」)やホラー(「怪物」、ジェンダーテーマでもある「海を見渡す四姉妹」)の要素が強い。ただ、どの作品にもほのかな希望が感じ取れる。AIでさえ人間的なのだ(「報酬は猫の写真で」「アルゴリズムでよりよい生活を」)。その点は韓国SFの多くの作品とも共通する特長だろう。評価の高さを見ても、これが(少なくともアメリカの、あるいは現在の)読者に求められているSFなのだとわかる。

ナタン・ドゥヴェール『反世界』早川書房

Les Liens Artificiels,2022(山﨑美穂訳)

扉イラスト・デザイン:コバヤシタケシ

 著者は1997年生まれのフランス作家。人気作家で、本書はゴンクール賞の候補にも挙がったことがある。書かれた当時はまだコロナ禍の影響が残り、ザッカーバーグがメタバース「Meta Horizon」を立ち上げて話題になっていたころだ(現存するが成功はしなかった)。物語には(わずか4年前とはいえ)時代の雰囲気が色濃く漂っている。

 ある日、Facebookに新しいアカウントが作られる。初め誰の関心も引かなかったそのアカウントは「象徴的行為」を実行すると予告する。主人公はパリ郊外に住む音楽家で、バーで演奏したりピアノの個人レッスンでなんとか生計を立てていた。バッハをアレンジしたアルバムを作ろうとあがいていたものの、作詞作曲に実績があるわけでもなく目処は立たない。長く同棲していた彼女とも別れ、ただ怠惰にPCの画面を眺めるだけだった。そんなとき『反世界(アンチモンド)』の広告が目にとまる。

 『反世界』はメタバースそのものだ。主人公はアバターを作って、世界に入っていく。人生のやり直しである。その外観は現実とまったく同じに造られている。パリはパリそのまま、ニューヨークは細部に至るまでニューヨークそのまま。ただ、『反世界』を律する創業者が規範とするのは、先行他社のテック信仰(加速主義)ではなく『聖書』なのだった。やがて、PNJ(英語のNPC)のセルジュ・ゲンズブールと出会い、『反世界』の中で主人公はゲンズブールを超える成功者として騒動の渦中に巻き込まれる。何もかもが駄目だった現実の人生とは大きく異なっていた。

 『反世界』は、なろう系異世界ではなく現実の写し絵である。ただし、創業者が神(アカウントの生殺与奪が自由)という世界でありながら、どんな行動でも許される非道徳的な(本文中でも言及のあるクライムゲーム「グランド・セフト・オート」のような)ゲーム世界でもあるのだ。黙示録の光景といえなくもない。それなのに、冒険アクションにはならず、理屈がとても文学/哲学風に語られ、主人公が詩でヒーローとなるなど、英米とは一線を画するフランスの嗜好が感じられる。

 

 

津原泰水『烏と孔雀』河出書房新社

装画:長尾紘子
装幀:岡本洋平(岡本デザイン室)

 津原泰水は2022年に逝去するが、本書はその直前まで話が進んでいたという。『綺譚集』(2004)『11 eleven』(2011)に続く第3短編集になる。《NOVA》などのアンソロジイや同人誌といった媒体で発表され、短編集未収録だった作品(未発表作1編を含む)を集めた内容となる。

 幻獣たち(1998)どこかの教団に取り込まれた主人公の一人語りから、やがて明らかになるもの。I, Amabie(2021)アマビエのコスプレが評判になったユーチューバーの主人公は、TV出演で憑かれたように持論を開陳する。北三鷹市の開ヶ町(2016)あまり知られていない北三鷹市開ヶ町の印象(北見隆作品集に寄せたもの)。エリス、聞えるか?(2015)ベルリン時代に知遇を得た作曲家の家に、森林太郎は帰国後訪問し、蒼ざめた本人と対面する。クニヨシ・カネコのキャビネット(2015)私は金子國義のアトリエにあるキャビネットの飾り棚に立ち尽くす。エルビスさんの帽子(2019)広島胡町のビルの谷間に胡子神社がある。そこに現われるエルビスさんは幅広の帽子を被っていた。指輪物語 予告篇(2002)ホビットのサムを主人公に、庄のその後を描いた短い物語。SARS-CoV-2の物語(2020)Covid-19の本質をメタファや物語に表象するエッセイ。恋するマスク警察(2021)通学電車にいつも乗ってくるエゴンさんのマスクには、小さいが何かしら深みのある絵が描かれていた。ボッサ・ノヴァ2020(2020)コロナ禍ではボッサ・ノヴァのような独演が配信に向く。だが大学の対面講義にも別の意味があった。戯曲 中空のぶどう(2019)田舎町の高層マンション最上階の空中庭園で、マンドリンをつま弾く正体不明の老人が、やってくる3人とつぎつぎ会話をする。おなかがいたいアナグマ (未発表作)ダックスフントがみたことのないけものをはっけん。タヌキにきくとアナグマだという。カタル、ハナル、キユ(2021)ハナルの伝統音楽には謎めいた音階がある。言語学者は、邑に住み日本人を自称する初老の男から話を聞く。リサイクル(亀井省吾の場合)(2022)プロにはなれないまま中年となった主人公が、忌野清志郎を気取って弾いていた高価なギターが壊れる。その後に思いがけない訪問者があった。

 2020年から22年までというコロナ期の作品(14作中6編)の中では、「I, Amabie」「恋するマスク警察」の、閉塞感とそこで生きる主人公たちの行動が、あの時期を象徴していて面白い。他でも、架空の音楽/言語学を描くSF「カタル、ハナル、キユ」、狂気をはらむ森鴎外ホラー「エリス、聞こえるか?」、孤独な中年男の鬱屈とちょっとした希望「リサイクル(亀井省吾の場合)」が印象に残る。

                                              

韓松『悪夢航路』早川書房

驱魔 Exorcism,2017/2023(Michel Berry英訳/山田和子訳)

装幀:川名潤

 一昨年に翻訳された『無限病院』に始まる《医院》3部作の第2部である。前作は巨大な病院内部をさまようお話だったが、本書の舞台はどことも知れぬ海に浮かぶ病院船に移る。

 気がつくと老人になっていた。病室のある大部屋に戻ると、見知らぬ老人たちがいるばかり。老人病棟にはボスが君臨し、独自のルールに従わなければリンチに見舞われる。主人公はここが巨大な病院船と知るのだが、それまでの記憶は一切失われていた。デッキからは真紅の海を進む病院船の艦隊が見える。

 本書も前作と同様3つのパートに分かれている。詳細は本文を読んでいただくとして、キーワードを抜き出すと、海と檻(本来の意味とは全く違う「医療ツーリズム」とVIP病棟、阿房宮を思わせる最上階のレジャーランド、目につく放置された死体、民間療法を称揚する〈患者自立委員会〉、病棟から追放された医師たち、医薬品を横流しする〈影の病院〉、船を支配するAI「司命(シーミン)」と治療アルゴリズム、その聖典『病院工学の原理』、なぜか空っぽの鳥の檻、主人公を治療したとされるスーパー医師、そして患者にも医師にも女性はいないという不思議さ)、死とアート(死は生の転換とうそぶかれ、患者の詩人とAIの詩文とが競い合い、言及される『ブラック・ジャック』、遥かな高みへと続く天空への階段、祭壇のような巨大火葬場、船を脅かす海の妖怪、ストーリーテリングの原理に基づくナラティヴ移植セラピー)、戦争と平和(医師たちの代表が選ばれる悪魔祓い会議、その後にはなぜかバラエティショーが始まり、驚くべき計画が提示され、「敵」との戦いが起こり、隠されていたリアルな歴史が明らかにされ、宮崎アニメ『紅の豚』『風立ちぬ』が重要な役目を果たし、悪魔のウィルスの脅威が唱えられ、AIの朦朧詩、宇宙桃源郷、観世音菩薩の頌歌が披露される)。という、なんとも混沌としたエピソードが横溢している。

 英訳者による解説でマイケル・ベリーは、AI「司命」は習近平の象徴など、前作同様本書の政治風刺的な一面を強調している。アメリカでは、そうした解釈の方が受け入れやすいのだろう。ただ、本書全体の中でみると、政治は背景の一部でしかない。AIの進化が(書かれた9年前、英訳された3年前と比べて)、独裁者どころか超人間にまで至りつつある現実を見ても、著者の理解/予見がもっと深かったことが分かる。さらに相互に矛盾し合う改変歴史や、キリスト教や仏教などの大胆な描かれ方など、スラップスティックな騒動が立て続けに描かれる。前作が「鬱」だとすると、本書は「躁」を象徴する作品といえる。