キム・チョヨプ『派遣者たち』早川書房

파견자들,2023(カン・バンファ訳)

装画:カシワイ
装幀:早川書房デザイン室

 キム・チョヨプの『地球の果ての温室で』(2021)に続く第2長編にあたる。「人間が外惑星に行くのではなく、地球が外惑星に変わった話を書いてみよう」という発想で書かれた作品である。地下に逃れた人類と、異形の生き物が繁栄する地上とが対比的に描かれる。

 主人公は派遣者になることに憧れ養成アカデミーに通っている。派遣者とは、氾濫体に汚染された危険な地上に赴き、探査やデータの収集を行う重要な職務だった。この世界では人類は閉鎖された地下都市に住んでいる。氾濫体とはある種の菌類で、地上の動植物をすべて汚染しているのだ。人も感染すると死を招く錯乱状態になる。ただ、主人公は自分の頭の中に何かがいるという幻覚に悩まされていた。

 主人公には隠された過去があるらしい。記憶は断片的だった。派遣者だった教官に憧れ、教官も気にかけてくれるけれど、その理由も不確かなのだ。しかし、頭の中の誰かと意思疎通ができるようになってから、派遣者の目的や自身の出自、地上の実態など、すべてが明らかになっていく。

 氾濫体に覆われた地上は、腐海の森のような存在である。生命にあふれているが、人間には有害で立ち入るだけで危険が伴う。しかし、自然環境との融和を受け入れない人間の側にも問題があると示唆される。森林など自然の共生関係に関するテーマでは、池澤春菜「糸は赤い、糸は白い」が本書とよく似た発想で書かれている。

ベッキー・チェンバーズ『ロボットとわたしの不思議な旅』東京創元社

A Psalm for the Wild-built,2021 / A Prayer for the Crown-Shy,2022(細美遙子訳)

カバーイラスト:丹地陽子
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 ベッキー・チェンバーズの《修道僧とロボット・シリーズ》のノヴェラ(中編)2作を、日本オリジナルでまとめたものである(今のところ、この2作しか書かれていない)。最初に書かれた「緑のロボットへの賛歌」は2022年のヒューゴー賞ノヴェラ部門ユートピア賞(アンドロイドプレスが主催)を、次作の「はにかみ屋の樹冠への祈り」は2023年のローカス賞ノヴェラ部門をそれぞれ受賞している。

 緑のロボットへの賛歌:都会の修道院で働く修道僧デックスは、突然思い立って喫茶僧になる。ワゴン車に乗り各地を巡る旅の仕事だった。やがて失われた修道院の存在を知り、未整備の荒野へと進路を変える。そこで、ロボット・モスキャップと出会う。
 はにかみ屋の樹冠への祈り:〈目覚め〉以降、ロボットが人と接触した例はない。デックスと同行するモスキャップは訪れる村々で大歓迎される。森林、河川、沿岸、灌木地帯とさまざまな人々がいたが、目的が定まらない旅で主人公は疑問を抱くようになる。

 いつの時代か分からない未来、世界は縮小し大半の人々は村落に住んでいる。ロボットが目覚め=意識が生まれ、人との接触が断たれて以来、長い時間が経っていた。この世界では社会的な上下関係がなく、規制は緩やかで何事も強制されない。お金の代わりに、奉仕と感謝の単位が貨幣相当となっている。一方、限定されてはいるがテクノロジーは残っている。太陽光パネルやポケットコンピュータ、通信衛星もある。喫茶僧のワゴンは電動アシスト自転車で動く。物語の舞台は、ある種のユートピアなのである。持続可能かどうかは分からないが、社会的な考察は本書の目的ではないだろう。

 見かけが1950年代のブリキロボット風のモスキャップは、嫌われない(が面倒くさい)キャラとして描かれる。ただ「人に何が必要か」を聞いて回る様子は、その意図がよく分からず主人公の困惑を招く。ロボットとの二人旅は、自分にとって何の役に立つのかと思い悩む。

 さて、チェンバーズの『銀河核へ』を含む《ウェイフェアラー》は、ホープパンクであるらしい。他の代表作としてメアリ・ロビネット・コワルの『宇宙へ!』とか、「ハリーポッター」や「怒りのデスロード」などが挙げられている。とすると、ホープパンクとはディストピア的な状況を打破し、未来への希望を能動的/積極的に獲得するカテゴリーのようだ。しかし、本書では「ちょっと休憩が必要なすべての人に捧ぐ」(本文献辞)なのだから、むしろ受動的だろう。使命感に駆られる必要はなく、何のためとか誰かのためとか考えず、そのままの自分であれば良い、と穏やかに説いている。

SFマガジン編集部編『恋する星屑 BLSFアンソロジー』早川書房

カバーデザイン:坂野公一(welle design)
カバーイラスト:中村明日美子

 SFマガジン2022年4月号と2024年4月号のBLSF特集掲載作に、新たに書下ろし2作、同人誌からの転載1編を加えたBL小説アンソロジーである。全部で12作品(コミック2作を含む)の中短編からなる。著者も、BLでスタートした直木賞作家の一穗ミチから、初チャレンジに近い(と思われる)小川一水、BLレーベルのジャンル小説を主力とする書き手やベテラン同人作家までと多岐にわたる。

 榎田尤利「聖域」2 LBS(ロイヤル・バトラー・システム)を開発したグループのチーム長はある性癖を抱えていた。その私邸に見知らぬ青年が訪れる。
 小川一水「二人しかいない!」1 星間貨客船が異星人ハトラックにハイジャックされ、女装した学生とスーツの男だけが無人船に拉致される。なぜ2人なのか。
 高河ゆん「ナイトフォールと悪魔さん 0話」(2024)仮想の島の中で会う2人は、ナイトフォールと悪魔さんと名乗り合ったが正体は不明だった。(コミック)
 おにぎり1000米「運命のセミあるいはまなざしの帝国」(書下ろし)小さな探偵事務所に高校生の少年が人捜しを依頼してくる。友人が森に行ってしまうのだという。
 竹田人造「ラブラブ⭐︎ラフトーク」2 対話型個人推進システム=ラフトークの勧めに従っていれば、十分な満足が得られるはずだった。しかしそれも先週までのこと。
 琴柱遙「風が吹く日を待っている」1 1960年、北インドのカシミールにあった難民キャンプで男が赤ん坊を産む。オメガバースがはじめて明らかになったのだ。
 尾上与一「テセウスを殺す」2 「意志の中核」だけを移していくことが可能になった時代、富裕層だけでなく犯罪者もその技術を使い、検察の特効執行群が追う。
 吟鳥子「HabitableにしてCognizableな意味で」1 1980年代から2050年代まで、2人の男の子から始まる関係の変遷がおよそ10年単位で描かれる。(コミック)
 吉上亮「聖歌隊」(書下ろし)海から押し寄せてくる齲(むし)の群れを迎え撃つために、唱年(しょうねん)たちの聖歌隊は「歌」を武器に戦う。
 木原音瀬「断」1 離婚を契機に大手を辞め、小さな不動産屋に勤める主人公は夜中に奇妙な音が聞こえるようになる。そこになれなれしい青年も加わり事態は混乱する。
 樋口美沙緒「一億年先にきみがいても」2 遠い惑星で1人暮らしていた主人公は、銀河ラジオに投稿した音楽がきっかけで巨大な宇宙船を招くことになる。
 一穂ミチ「BL」1 ある国の児童養護施設で、親元から離された天才児たちが訓練を受けていた。ペアとなった2人は他国で暮らすことになるが、秘密の計画を温めていた。
 1:SFM2022年4月号掲載、2:SFM2024年4月号掲載

 SF縛りなので異形の性が描かれたものがいくつかある。おにぎり1000米のフェアリー(セミとニンフ)、琴柱遙のαとΩ(オメガ)など6つの性の組み合わせ、樋口美沙緒のベイシクスとフィニアスは、人口激減を男による妊娠で解決する(風刺的な一面を持つ)作品だ。AI絡みのコメディとした榎田尤利と竹田人造、ネタ的なギャグの小川一水と木原音瀬、BLをあえて背景に下げ物語を前面に押し出した尾上与一、吉上亮、一穂ミチらの作品も面白い。高河ゆんと吟鳥子のコミックは、BL要素のエッセンス的なもの(コンデンストBL)といえる。

 少年愛や耽美小説、やおいを経てジャンルを成すまで、BLは独自の歴史を刻んできた。徳間キャラ文庫、SHYノベルス、リブレ、エクレア文庫、白泉社花丸文庫、新書館ディアプラス文庫と、本書収録の著者が書くBLのレーベルも数多くある。ただ、評者が手に取る機会は(よほど話題性がない限り)あまりなかった。両方の趣味があれば別だが、読み手からすれば隔絶されたジャンルだったわけだ。とはいえ、BLSFもSFBLもサブジャンル的には存在しうる。交流は常にあったほうが多様性を楽しめて良いだろう。

小川哲『スメラミシング』河出書房新社

装画:jyari
装丁:川名潤

 小川哲の最新短編集。「陰謀論、サイコサスペンス、神と人類の未来を問う弩級エンタメ集」と惹句が並ぶが、(大きな意味での)宗教をテーマとした作品集である。収録作は冒頭の作品がアンソロジーの『NOVA2019年春号』、巻末が同じくアンソロジーの『Voyage 想像見聞録』(もともとは小説現代に掲載)である他は、すべて文藝に載った作品だ。

宗教とか神様について考えることは、根源的に人間の欲望に内蔵されているもので、それについて考えることは、小説について考えることにもつながるだろうと。人々の欲望を満たそうという、僕ら小説家が普段しようとしていることを、いろいろな角度から考えてみたかったというのがあると思います。

「人間には陰謀論的な思考回路がつねにある」 作家・小川哲が『スメラミシング』で描いた信仰と宗教 | CINRA

 七十人の翻訳者たち(2018)紀元前3世紀、ヘブライ語の(旧約)聖書をギリシャ語に翻訳した七十人訳聖書が作られた。しかしその内容には重大な問題があった。
 密林の殯(2019)主人公は天皇に縁がある由緒ある八瀬童子の子孫だったが、仕事を継ぐつもりはなく、なぜか宅配荷物の配達に生きがいを感じていた。
 スメラミシング(2022)ディープステートにノーマスク運動、さまざまな怪しい情報が渦巻く中で崇拝を集めるスメラミシングと、その代弁者の活動。
 神についての方程式(2022)未来のいつか、宗教団体「ゼロ・インフィニティ」の起源を探る宗教考古学者は、開祖と伝道者の正体に迫ろうとする。
 啓蒙の光が、すべての幻を祓う日まで(2024)理国の正史にも取り入れられている叙事詩に、重大な矛盾点が指摘される。それは神の存在に関するものだった。
 ちょっとした奇跡(2021)第2の月により自転が停まった大異変後の地球では、少数の人類が明暗境界線を移動していく車両の中だけで生きながらえていた。

 著者は、小説の原点は聖書にあると述べている(上記参照)。七十人訳聖書もヘブライ語部分は一部に過ぎず、それも(さまざまな伝承を寄せ集めたため)一貫していない。ギリシャ語段階で追加(創作)されたところも多い。つまりその出自からいっても「嘘」が前提の小説に近い存在なのである。そこから、人がなぜ陰謀論=極端な嘘に惑わされるのかの理由が想像できる。嘘であるほど(虚構が大きいほど)人は魅了されるのだ。

 本書では、聖書の矛盾、伝統的な宗教と新たな宗教儀式ともいえる宅配、陰謀論者たちとホテル勤務の(隠された記憶を抱える)青年の空虚な生きかたの対比、インドで生まれたゼロの存在と新たな宗教の理念、逆に神の否定が産み出すある種の教条主義が描かれる。「ちょっとした奇跡」だけは異色だが、黙示録的な世界に生きる終末期人類の物語と思えばしっくりくるだろう。

ケリー・リンク『白猫、黒犬』集英社

White Cat,Black Dog,2023(金子ゆき子訳)

装画:ヒグチユウコ
装丁:岡本歌織(next door design)

 前作から10年と少し間が開いてしまったが、ケリー・リンク4冊目の翻訳短編集(原著の短編集としては9作目)。2024年のローカス賞短編集部門受賞作である。7つの中短編を収め、それぞれ童話(グリム童話が多い)をモチーフにするという趣向だが、舞台を現代や未来に置きかえるなど、大きく雰囲気を変えた大人向けの物語になっている。なお「粉砕と回復のゲーム」(下記)は、2016年のシオドア・スタージョン記念賞を受賞した中編だ。

 白猫の離婚(2019)超富裕層の父親に無理難題を命じられた息子の1人は、山中の温室で大麻を育てる猫たちと出会う。しかも、白い猫は人語をしゃべるのだ。
 地下のプリンス・ハット(2023)30年前にカフェで出会ったパートナーは、54歳になっても美少年のままだった。ところが、当時の元婚約者が奪い返しに来る。
 白い道(2023)社会が崩壊してから20年、荒れ果てた道を旅をする巡業劇団は、白い道に迷い込まないように注意を払いながらブレーメンを目指す。
 恐怖を知らなかった少女(2019)出不精の学者が出張先の空港で立ち往生する。ハブ空港が嵐の影響を受け、フライトが連鎖的にキャンセルされてしまったからだ。
 粉砕と回復のゲーム(2015)〈ホーム〉には兄と妹、お手伝いと吸血鬼がいる。両親はどこかに旅立っていてなかなか帰ってこない。兄と妹はゲームをする。
 貴婦人と狐(2014)クリスマスパーティで賑わう邸宅の庭に見知らぬ男が佇んでいる。みつけた少女は問いかけてみるが、あまり話には乗ってこない。
 スキンダーのヴェール(2021)論文を書きあぐねる院生は奇妙な留守番を引き受ける。家主スキンダーが訪ねても絶対入れず、その友人はすべて受け入れろというのだ。

 童話はえてして残酷なものになりがち(特に原型となる民話では)だが、本書の作品はその点を巧く使っている。白猫は首を切られるたびに(猫愛好家は卒倒する)さまざまな美女に変身して、傲慢な富豪の父親を翻弄する。とはいえ、注意深く読んでも(童話のあらすじは解説にあるものの)、何が元ネタか分かり難いものもある。「粉砕と回復のゲーム」のどこが「ヘンゼルとグレーテル」なのか、と思う。それくらい深い意味での換骨奪胎である。

 登場人物や舞台は現代化/SF化されている。プリンス・ハットはゲイのカップル、立ち往生する学者はレズビアンのカップル、物語内物語(枠小説)が多用され、ブレーメン(アメリカにも同じ地名がある)を目指す一行が進むのはアフターデザスターの世界、兄と妹がいるのはどこかの宇宙船かも知れず、クリスマスパーティは時間ものを匂わせ、スキンダーの家は中継ステーションのようである。SF風味の洒落た現代ファンタジーとなれば、ケリー・リンクの独擅場だろう。

 ところで、白猫(主役級)は巻頭作に登場するが、黒犬(脇役)が出てくるのは巻末の作品になる。

韓松『無限病院』早川書房

Hospital,2016/2023(Michel Berry英訳/山田和子訳)

装幀:川名潤

 韓松は1965年生まれの中国作家。劉慈欣・王晋康・何夕と並ぶ“中国SF四天王”の一人である。といっても、長編が翻訳されたのはこれまで劉慈欣ただ一人にとどまっていた。本書は《医院(病院)》三部作の初巻になる。英語からの重訳だが、初期の英訳ドラフトに著者(英語を解する)が大幅に加筆したバージョンで、本国で出た中国語版とも異なるもの。英訳者マイケル・ベリーは、「病院」とは中国政治体制の暗喩と解釈している。とはいえ、本書を読んでもそういう政治的なイデオロギーは(なくはないが)あまり強く感じられない。もっとどろどろとした、得体の知れない迷宮が描かれている。

 主人公は作詞作曲を副業とする公務員である。C市への出張も作曲関係の仕事だった。ところが、ミネラルウォーターを飲んだあと猛烈な腹痛に襲われ、ホテルの女性従業員に伴われ巨大な中央病院へと運び込まれる。待合ホールは壮大なだった。押し寄せる患者や物売りが混じり合い混沌としていた。そこから続く長い待機と診断、さらに長い検査予約、驚きの採血やレントゲン撮影、また次の検査予約と診断が出ないまま治療は果てしがなくなる。2人の従業員は、逃げ出してはいけないとばかりに傍らから離れない。

 物語はプロローグ(火星に仏陀を探しに行く探査船のお話。ただし、この巻の本文とはつながらない)があって、病気治療追記:手術という3部構成から成っている。舞台の病院は、一つの建物ではなく都市全体が(もしかすると国家自体も)病院であることが分かってくる。病気は常態化され「健康であることは病んでいることであり、病んでいることは健康であること」なのだ。そこには多くの最新鋭の医療機器、医者と看護師、さまざまな病状の(何万人もの)患者たちがいる。

 主人公の周囲の患者には、遺伝子改変措置を受けていたり、ネットと結合されていたり、百ものセンサーを移植しているものがいる。若い女性患者は「医者はどんなふうに死ぬのか」を求め、院内の建物を主人公とともに彷徨う。医療革命を唱え患者を意に介さないマッドサイエンティスト医師、患者を救うことこそ究極の目的と唱えるリーダー医師もいる。あらゆる科学が医療を支える《医療の時代》と称されるが、患者の中にはそんな病院支配から逃れようとする集団も現れる。

 さて、本書はカフカなのかレムなのか、ディックのような病的強迫観念に憑かれた作品なのか。官僚組織を描く以上(融通が利かず賄賂がはびこる)不条理さは共通するものの、韓松が社会批判を主体に書いているとは思えない。この迷宮世界の中にあるのは、遺伝子工学などの生命科学や情報社会に対する哲学的、生命倫理的な問題定義といえる。著者は大病院特有(中国の場合町医者が少なく、病院に行かざるを得ない)の、大量の患者が延々待たされたあげく納得のいかない診断で済まされる現実を見て、この問題定義の舞台にふさわしいと考えたのではないか。入院経験の(まだ)あまりない評者には、いささか分かり難いところではあるが。

林譲治『知能侵蝕(全4巻)』早川書房

Cover Illustration:Rey Hori/Cover Design:岩郷重力+Y.S

 2024年1月から刊行が始まった、林譲治の最新長編『知能侵蝕』が10月の第4巻(第4分冊)で完結した。第41回日本SF大賞受賞作でもある2018-19年の《星系出雲の兵站》、2019-20年の《星系出雲の兵站ー遠征ー》を始めとして、著者の本格SFは、2021-22年の《大日本帝国の銀河》、2022-23年《工作艦明石の孤独》と切れ目なく書かれてきた。それぞれ分冊化されてはいるが、全体で1つの長編となっている。書き下ろされるごとに出版という構成力が問われる形式で、完成済み原稿の分量割りとはひと味違う。今回は遠未来や過去ではなく、十数年後の近未来が舞台となる。

 2030年代末、航空宇宙自衛隊の観測班長は、地球軌道上にあるデブリが不可解な動きをしていることに気がつく。考えられない現象だが、知見のない防衛省に上げても反応がないことを見越して、情報は国立の研究所NIRCに伝えられる。デブリが向かう高度65000キロの軌道上に遷移した、小惑星オシリスが関係していると考えられた。軌道要素から見てエネルギー保存則を破るような現象が生じているのだ。一方、地方の山中にある廃ホテルでは奇怪な事件が起こっていた。

 オシリス偵察のため急遽打ち上げられた宇宙船が遭難、1人生き残った自衛官は小惑星内に取り込まれる。内部には複雑な洞窟があり、なぜか呼吸可能な大気で与圧されている。そこには、廃ホテルから拉致されたらしい2人の日本人がいた。オビックと名付けられた未知の存在は、さまざまな手段で地球侵攻を図ろうとしているらしい。その一つ、軌道エレベータの建造を阻止するため、モルディブ沖で海戦が勃発する。

 小惑星内で生活する人間はさらに2人加わる。ただ、挙動がおかしい者もいた。オビックはミリマシンと呼ばれる超小型の機械を使うのだが、それが人間に擬態するのだ。小惑星では、オビックの宇宙船が製造され地球へと来襲する。大半は迎撃されるものの、1部はアフリカ中央部に下り、軍事会社が採掘権を持つ鉱山を制圧する。

 鉱山からオビックは世界中に拡散する。だが、放棄された廃鉱山ばかりが狙われる。日本でも地方に来襲するが、自衛隊は正規軍を都市防衛に温存し、替わりに中高年のMJS(非正規雇用部隊)を前線に送り出す。一方のNIRCでは敵の本拠地である小惑星を攻撃するため、原子力推進の宇宙船を各国分担で打ち上げ、一気に事態の打開を図ろうとする。

 近未来、日本は極度の人材不足に陥っている。特に高度なスキルを要する研究者レベルが不足する。優秀な人材がいなければ、先端技術はすべて外国頼みとなる。航空宇宙自衛隊でも人手は足りず、JAXAや天文台の科学者が徴用され穴を埋めている。NIRCも危機管理のための科学者組織である。だが、旧態依然とした縦割り官僚組織はメンツを優先し、配下にない部署からの具申など見向きもしない。著者のこういう皮肉な視点は、非正規雇用者からなる使い捨て部隊MJSで顕著にあらわれる。非正規のため、死傷しても自己責任なのだ。

 本書ではオビックという異質の知性が登場する。人類を凌駕する科学技術を持つのに、その行動は合理的ではない。何かが起こると学習こそするものの、人が常識と思う判断は行われず柔軟性にも欠けている。なぜそうなのかは本書を読んでいただくとして、《星系出雲の兵站》に出てくるガイナスも同様の「知的生命」だった。著者は地球外の知性に対してやや悲観的な見方をしているようだ。

 ところで、本書の結末はイーガンテイラーかという終わり方(オチではない)であるが、これもある種のパロディなのかもしれない。

榎本憲男『エアー3.0』小学館

装丁:高柳雅人
カバー写真:Gregory Adams,Lori Andrews / Moment / getty images

 映画監督でも知られる著者の最新長編。本書は、2015年に書かれた小説デビュー作『エアー2.0』の続編になる。福島原発の作業員だった主人公が、新国立競技場の建設現場で知り合った老人の助言を得て競馬の大穴を的中させる。ところが、それは「エアー」と呼ばれる予測システムを使った結果で人の感情(空気)の数値化が可能なのだという。国家レベルのビッグデータを与えれば、さらに広範囲の予測が可能になるらしい。主人公は賞金を元手に政府との交渉にあたり、福島の帰宅困難地域に経済自由区(特区)を設けるまで影響力を広げていく。ここまでが前作になる。

 自由区は奇跡的な成長を遂げた。まほろばと呼ばれ、自由区内ではカンロという独自のデジタル通貨が流通する。1円が1カンロに換算され、一方通行だが借りても利子を取られない。自由区内の企業にはカンロで投資が行われ、経済圏は外部の企業にまで拡大する。その裏付けには、エアーの運用よる莫大なフィンテック資産が充てられた。まほろばの拠点は海外にも広がる。それも、グローバルサウスやBRICS諸国に。日本政府は予想外の動きを警戒する。

 まほろばの代表となる主人公は、もともと一介の作業員だった。しかし巨額の資金をインフラ事業に投資するうちに、倫理的に目指すべき目標を考えるようになる。優秀な元官僚(副代表)、旧知の通訳やアナウンサーの助けを借りながら独自の理想を極めていくが、既得権者はそれを快く思わない。

 《エアー・シリーズ》は経済をテーマとしたポリティカル・フィクションである。前作では国内政治、本書では国際政治が舞台となる。架空のデジタル通貨による「新しい資本主義」を打ち立て(その裏付けにSF的なエアーを置き)、ドル経済圏に支配された新自由主義体制からの脱却が模索される。さらに、エマニュエル・トッドやアジア的な価値観に基づく主張が加わる。その点をどう評価するかは人それぞれだが、G7の権威が揺らぐ今日を反映した見方といえる。

 この物語の「エアー」は今風のAIよりも、安部公房の「予言機械」に近い存在である。ブラックボックス(AIの知性も同様ではある)で、世界のあらゆる動勢を予見できるけれど、自らの意思は持たない。哲学や数学の権威とする老人も謎めいた存在だ。ハリ・セルダンのように、死してなおメッセージ(メール)を送ってくるのである。環境問題に振った『未来省』と読み比べるのも面白いかもしれない。

砂川文次『越境』文藝春秋

デザイン:中川真吾

 著者は元自衛官の芥川賞作家として知られている。本書は、文學界2023年1月号~3月号に集中連載された長編。2020年の短編「小隊」と同じ時間線上にある近未来ミリタリ小説/ロードノベルである。「小隊」は、北海道にロシア軍が侵攻した後、それに直面する自衛隊の凄惨な最前線をマジックリアリズム的に描いたものだ。文春オンラインでコミック版が読める(現在連載中)。

 主人公は対戦車ヘリの副操縦士だった。輸送ヘリとのチームで旧釧路空港に飛び、支援物資空輸の護衛任務に当たっていたが、急襲を受けて部隊は全滅する。しかし、ダム湖に墜落した機体よりかろうじて脱出し生き残る。そこから、元自衛隊の猟師とロシア難民だった女に拾われ、境界の向こう側の世界が次第に顕わになっていく。無政府状態となった釧路の市街、得体の知れぬ黒幕が住む標茶、要塞化された旭川、何事もなかったような札幌と舞台は目まぐるしく変転する。

 侵攻から10年が経っている。侵攻軍はロシア側から叛乱と切り捨てられ、一方で反政府派が難民として北海道に流入するのは黙認される。侵攻とは認めない日本政府も、これは戦争ではなく国内の騒擾でありテロ事件なのだと見なす。侵入を許した自衛隊に責任を負わせ、事態収拾の主体を重武装化した警察治安部隊に移そうとするのだ。納得しない自衛隊の一部は離反する。その結果、道北と道東の大半は旧ロシア軍と旧自衛隊という独立した軍隊(影響力行使のため、日露政府はそれぞれの武装勢力を支援している)と一般のロシア人と日本人が混在する異境となり、無法状態が呼ぶ民兵や犯罪者の巣窟とも化している。

 北海道に中東かマッドマックスのような世界(グラディエーター風のアリーナシーンまで)が現出する、それも恐ろしくリアリスティックに。このリアルさは、著者の専門とする軍隊用語の過剰な駆使(まさにマジックリアリズム)と、異様さが際立つ登場人物(バフチンやプーシキンらを滔々と語る)、純文特有の執拗な(数ページにわたる段落なしの)描写による相乗効果なのだろう。

 ただ、本書には多くの冒険小説やミリタリ小説で見られる一方的な勝利も、復讐譚もカタルシスもない。パレスチナのように、兵士や民兵だけではなく、一般市民の大人も子どもも無差別に死ぬ。先輩や知人なども容赦なく死ぬ。そういう不条理な非日常が戦場では日常化し、主人公の精神を蝕んでいく。クライマックスは札幌なのだが、この結末は苦く恐ろしい。いまの世界に満ちあふれる「戦時」を反映した迫力ある大作である。

リリア・アセンヌ『透明都市』早川書房

Panorama,2023(齋藤可津子訳)

扉イラスト:トウナミ
扉デザイン:大原由衣

 フランス作家リリア・アセンヌは、ジャーナリスト出身でジャンル小説の書き手ではないが、本書は新フランス革命後の近未来(2049~50)を描くSFミステリである。透明なガラスで囲われたシースルー住宅が登場する。ガラスの住居といえば、ザミャーチンの古典『われら』を思い出す。そこでは国家による監視のために(刑務所と同様の)透明性=隠し事のなさが要求される。だが、本書で描かれるのは「市民による透明性」なのである。

 革命から20年後、新興富裕層が住む透明なガラス住宅の並ぶ地区で、家族全員が行方不明となる事件が起こる。主人公は警官だったが「安全管理人」と称され、地区の見守りをするのが仕事だった。透明化後は、犯罪やもめごとが激減していた。しかし、肝心の安全性が脅かされるとなると、現体制そのものに疑念が生じかねない。主人公は同僚とともに各地区を巡り、さまざまな家族の話を聞きながら、事件の真相を究明する。

 DV絡みの殺人事件を契機に、私的制裁「復讐の一週間」と「市民による透明性」運動が国中を席巻する。それが新フランス革命である。政治家は廃される。あらゆる問題はネット投票によって決められる。究極の姿が透明な住宅だった。暗がりがなく、すべてが見られるからこそ社会の安全が保証されるのだ。一方、旧来ながらの壁が残る地域もある。主に貧困層が住み、犯罪が起こっても警察は介入しない。無法地帯だが、地区から出ない限り住民のプライバシーは保たれる。

 4年前に翻訳が出たフランスのマルク・デュガン『透明性』や、アメリカのデイヴ・エガース『ザ・サークル』では、(Googleなど)巨大IT企業による情報収集が個人の秘密をなくし、結果的に単一化のディストピアを産み出すというお話だった。しかし、ディストピアを創り出すのは、結局のところ「誰か(他者)」ではないのだ。国家でも企業でもなく、強制でも弾圧でも陰謀でもなく、それを無批判に(時には)熱狂的に支持した、あなたやわたしなのだと本書は告げている。