新井素子 須賀しのぶ 椹野道流 竹岡葉月 青木祐子 深緑野分 辻村七子 人間六度『すばらしき新式食』集英社

カバーイラスト:カシワイ
カバーデザイン:さーだ

 WebマガジンCobaltの公募賞、ディストピア飯小説賞(2021)に寄せた連作(2021~23)5作品(応募作ではない)に、オレンジ文庫HP掲載作(須賀しのぶ)と書下ろし2編(新井素子、人間六度)を加え、第2回同賞公募開始を機に文庫化したもの。副題が「SFごはんアンソロジー」となっている。

 深緑野分「石のスープ」食糧が逼迫し供給が統制された未来のいつか、天才博士はお湯で煮るだけで無限のスープを産み出す謎の石を発明したと言うのだが。
 竹岡葉月「E.ルイスがいた頃」親の離婚手続きの関係で、月から地球に住む祖父に一時的に預けられた少女は、そこで思いがけない祖父の姿と食生活を知る。
 青木祐子「最後の日には肉を食べたい」わたしは肉が好きだ。わたしの中にはルカがいて、いつでも相談をすることができるが、そのきっかけも肉なのだった。
 辻村七子「妖精人はピクニックの夢を見る」感染症で隔離生活に入った主人公の元に、ある日お菓子なのか薬なのかよく判らないものが届けられる。
 椹野道流「おいしい囚人飯『時をかける眼鏡』番外編」王国の財政立て直しのために、主人公は奇抜な牢獄ツアーを企画する。そこでは提供する食事が問題だった。
 須賀しのぶ「しあわせのパン」ある独裁国家では、市民に栄養と平穏を与える「しあわせのパン」が作られていた。しかし暴動後にその製造方法は失われる。
 人間六度「敗北の味」廃墟に残されていた板前ウェイト(ロボット)は、人間の兵士に失われた料理を披露する。ただ、どうしても足りない味があった。
 新井素子「切り株のあちらに」人口減に苦しむ地球を離れ、植民星で新たな生活を始めた人々だったが、地域間の食糧生産格差が生まれていた。

 もともとのテーマが「ディストピア飯」なので、食糧難などにより食事の愉しみを奪われたディストピアが大半の作品で描かれる。登場人物たちは(現在ある)ふつうの食品や香辛料にこだわり、奪取のためにさまざまな行動に出る。とはいえ、本書には本格的に食糧問題に踏み込むヘビーな作品はない。既存作とのアイデアの類似性は少し気になるものの、中では「妖精人はピクニックの夢を見る」が思わぬ展開を見せてユニーク、一方「しあわせのパン」と「敗北の味」はペアのように読める。食に対する人間の飽くなき執念、量や栄養だけでは満足できない欲望が共通に感じ取れるからだろう。

倪 雪婷編『宇宙墓碑 現代中国SFアンソロジー』早川書房

Sinopicon:A Celebration of Chinese Science Fiction,2021(立原透耶・他訳)

カバーデザイン:albireo
カバーイラスト:八木宇気

 中国広州生まれで英国在住の倪 雪婷(ニー・シュエティン)が編纂し、自ら英訳したアンソロジイ。つまりもともとは英語の作品集なのだが、日本語版は原文の提供を受けて中国語から直接翻訳されたものである。(日本では独自のアンソロジイが出ているとはいえ)序文で夏笳が「科幻(中国SF)は『三体』だけじゃない」と書いているように、紹介が劉慈欣に偏ってきたのは否めない。質・量ともに充実してきた中国SFの全貌は、英語圏/日本語圏を問わずまだ捕らえきれていないのだ。それだけに、間口の広い作品集が求められる。編者は80年代以降のSFを幅広く渉猟し(結果的にだが)収録作家の出身地、男女の割合(ほぼ同数)や作家のキャリア(50年代生まれからZ世代まで)、テーマなど、偏りが少ない選択ができたという。ケン・リュウや立原透耶ともまた違う、アンソロジスト倪雪婷がどんな作品をセレクトしたのか興味が沸く。

 顧適「最後のアーカイブ」人生がアーカイブされ、好きなだけやり直しができる未来。うまくいかなければ、何度でも巻き戻しが出来るのだが。
 韓松「宇宙墓碑」宇宙開拓の時代はもう過去のものとなった。主人公は、かつての開発された星に残る宇宙飛行士たちの墓碑に強く惹かれる。
 念語「九死一生」戦争への自然人参加が禁じられた時代、しかし主人公はロボットだけで警護された基地へと侵入する任務に就いている。成功確率は9分の1だった。
 王晋康「アダムの回帰」200年を経て星間宇宙船が帰還、だが冷凍睡眠で過ごした乗組員には重大な心理的障碍が生じていた。生き残ったのは科学顧問ただ一人だった。
 趙海虹「一九三七年に集まって」時空実験室から過去に戻ると、そこは1937年12月の南京だった。だが、死体が転がる市内で目覚めた主人公は記憶が混乱している。
 糖匪「博物館の心」私は、将来博物館を完成させる子どもを見守っている。地球人には見えない未来も、私にとっては既に起こったことだった。
 馬伯庸「大衝運」2年に一度の火星衝のとき、地球への帰省のため大移動が起こる。しかし、火星中から集まる大群衆に対して宇宙船のチケットには限りがあった。
 呉霜「真珠の耳飾りの少女」両親の夫婦げんかの原因は、父が描いた清楚な女性の肖像画だった。娘は騒動で傷んだ絵を修復しようとする。
 阿缺「彼岸花」ゾンビになった主人公の傷口がむずがゆい。何かが生えようとしているらしい。何年も前に、ウィルスの猛威で人類の多くはゾンビと化したのだ。
 宝樹「恩赦実験」終身刑が確定した囚人は死刑を望んだが、代わりにある医薬品の人体実験を提案される。強い副作用さえ乗り切れば自由が約束されるという。
 王侃瑜「月見潮」二重惑星のもう一方からやってきた研究者に惹かれた主人公と、手渡された繊細な贈り物に秘められた思いのてんまつ。
 江波「宇宙の果ての本屋」太陽系60億冊の本を揃えた本屋は、巨大な宇宙船となって宇宙を旅する。やがて、各星系から集まってきた本屋は一大船団となる。

 善し悪しはともかく(加速主義者のせいで否定的な見解が目に付くが)、SFは科学の世紀の産物だった。それは中国SFでも同様で、国の改革開放政策による工業化/科学技術優先の波とSFの発展とには相関関係がある。ただ、科学技術は共通でも、中国と欧米とでは背景になる文化が同じではない。

 編者のイントロダクションで、「欧米で「うんざりするほど使い古された」定番のサブジャンルやテーマが現代科幻でも登場する」とあり、日本でもアイデアSFとしての古さに否定的な意見がある。しかし、同じアイデア(人生のリセット、コピー人格、時間旅行、ゾンビ、不老不死など)でも、登場人物の感性や行動、あるいは結末自体に意外性を感じることがある。「最後のアーカイブ」のミニマムさ、表題作「宇宙墓碑」の宇宙スケールと個人との対比、カオスを描く「大衝運」の不思議な諦観、「彼岸花」のアイロニー、ベタな恋愛ものの「月見潮」、「宇宙の果ての本屋」でなぜ本屋が宇宙を飛ぶのか、などなどだ。

 これらはなかなか理解できなかったが、中国(東アジア全般)の「神話にラグナロクもハルマゲドンもない」世界観があり、終末戦争とか黙示録=アポカリプス、果てはシンギュラリティ(AIによる黙示録)などが欧米ほど根本(SFのベース)にないのなら、むしろ必然的な流れかも知れない。観点が違うと判れば新しい読み方も可能になるだろう。そう考えれば、本書の面白さも新鮮さを伴って見えてくる。

ペン・シェパード『非在の街』東京創元社

The Cartographers,2022(安原和見訳)

装画:引地 渉
装幀:岩郷重力+W.I

 著者はアリゾナ生まれの米国作家。多くのファンタジイ作品を含む創元海外SF叢書に相応しく、本書は地図(原題はカルトグラファーズ=地図制作者たち)をテーマとしたアーバン・ファンタジイである。複数のベストセラーリストに名を連ね、2023年のミソピーイク賞の最終候補作にもなった。

 主人公はレプリカの古地図を制作する小さな会社でくすぶっている。地図学者として将来を嘱望されながら、7年前にニューヨーク公共図書館で上司である父親との深刻なトラブルを引き起こし、業界に残ることができなくなったのだ。しかし、父の突然の死が知らされ、遺品のような形で古い道路地図が手に入る。ガソリンスタンドで売られた何の変哲もない地図が、なぜ厳重に保管されていたのか。その日を境に、奇妙な事件が立て続けに発生する。

 幼い頃に母を亡くし、主人公は図書館の地図に囲まれて育つ。トラブルも地図にまつわる出来事だった。やがて、道路地図を捜す謎の人物が見え隠れし、秘密結社のようなカルトグラファーズの存在を知る。地図には「非在の街」が載っているのだ。

 アメリカは車がなければどこにも行けない国である。国土の大半が茫漠とした田舎だからだ。今でこそGoogleマップのせいで廃れたが、折りたためる地図は当時の必需品であり、販売各社の競争も激しかった。そのため、地図会社は著作権を守るためコピーライト・トラップを入れる(詳細は著者あとがきに書かれている)。とはいえ、これは設定の一部に過ぎない。フィクションとファクトをつなぐ『夢見る者の地図帳』に憑かれた男女大学院生たちの青春ドラマが主眼なのであり、15年前の事件について一人一人が物語られていくことで、真相と今に至る犯人の目的が明らかになっていく。悪役の怖さがちょっと伝わり難いのが難点だが、当たり前の道路地図から展開する謎の解明はスリリングだ。ル=グイン(サンリオ表記)『天のろくろ』がヒントになる、といっても最後まで読まないと分かりません。

鈴木光司『ユビキタス』KADOKAWA

装画:Sarah Jarret 「Woodland Sleeper」
装幀:坂野公一(welle design)

 2022年2月から翌年3月まで電気新聞に連載後、約3分の1を書下し/改稿したものが本書。著者は、参考図書の筆頭に植物の知性を唱えるステファノ・マンクーゾを据え、「地球生命の歴史を植物視点で眺めたらどうなるか」という発想で書き始めたと述べている。

 帰還した南極観測船の自衛官は、友人たちに南極氷を贈った。余った氷の融通は問題ないからだ。その氷は地下3000メートルから採取された古代氷だった。同じころ一人の探偵が、元不倫相手の仲介で孫を捜す老夫婦の話を聞く。実在したかどうかも分からない孫なので成功はおぼつかないが、困窮するシングルマザーの探偵に破格の報酬を断る理由もなかった。

 前者は原因不明の死亡事件に、後者は15年前のカルト教団集団死事件となって結びつく。登場人物は、主人公の探偵、医学から物理に専攻を変えた大学准教授、教団のドキュメンタリーを書いたジャーナリスト、若手の週刊誌記者、事件の鍵を握る謎めいた女占い師らである。主人公は行動派の探偵だが、謎の解明を主導するのは准教授になる。ただ、舞台が2026年頃の割に、人物たちの考え方、家族観や倫理観などが現代的に思えないのは気になる。

 本書ではSFでおなじみのアイデアがたくさん投入されている。南極の氷に潜む「物体X」(キャンベルの古典「影が行く」あるいは、黒場雅人『宇宙細胞』など)とか、ヴォイニッチ手稿シモンズ『オリュンポス』)が出てくる。これをクトゥルーにしてしまうとコリン・ウィルスンの二の舞(『賢者の石』)だが、そこは遺伝子に絡め(グレッグ・ベア『ダーウィンの使者』)今日的なパンデミック風、植物の優位性を生かした社会形成の方向(津久井五木『コルヌトピア』)にまとめている。ただし、本書のエピローグは蛇足ぎみ。

 もっとも、本書は全構想の一部に過ぎず、「実は4部作を予定していて、もう大まかな構想はできているんですよ。第2部はアメリカが舞台で、第3部は大航海時代の物語。そして第4部では人類の宇宙進出を描く」とあるので、先々の展開は楽しみだ。

スチュアート・タートン『世界の終わりの最後の殺人』文藝春秋

The Last Murder at the End of the World,2024(三角和代訳)

カバー画像:iStock/Getty Images
装幀:城井文平

 著者は1980年生まれの英国作家。デビュー作のベストセラー『イヴリン嬢は七回殺される』(2018)は、新奇性のあるタイムループ×殺人事件ものとしてSFやミステリ界隈でも話題になった。本書はタートンの長編3作目にあたり、既訳の『名探偵と海の悪魔』(2021)を含め(広義の)クローズド・サークルもの3部作になるらしい。今回の舞台はアポカリプス後の島なので、確かに閉鎖された環境(第1作=時間の輪、第2作=洋上の船、本書=閉ざされた島)という点で共通する。

 ギリシャのどこかを思わせる閉ざされた島、周囲にはバリアが張り巡らされ、死の霧が侵入するのを押しとどめている。世界はその霧によって滅び、百人余りの村人がかろうじて生き残っただけなのだ。村は科学者の長老たちによって支配されている。村人の頭の中には助言者エービイが棲み、仕事や睡眠の時間まで指図をする。そんな秩序が保たれた島で、ありえない殺人事件が発生する。

 外見は若いのに村人の何倍も生きる長老たち、頭の中で聞こえる声、コントロールされた村の生活や山中に作られたドーム、このあたりの謎は物語の半ばまでで徐々に明らかにされる。そして、殺人事件の発生により、島の生活は一気に不安定化する。後半は、混乱の中での犯人捜しと犯行動機を探るミステリになる。SF的なガジェットを制約条件として巧く使い、不可解な殺人(=特殊設定)の謎を解きほぐしていくのだ。

 ウィンタース『地上最後の刑事』に始まる3部作は、破滅が目前に迫る中でのミステリなのでよく似た設定といえるが、こちらは謎めいた破滅後(ポストアポカリプス)の世界に、たたみ掛けるように第2の破滅が迫ってくる展開が予想外で面白い。

人間六度『烙印の名はヒト』早川書房

デザイン:有馬トモユキ(TATSDESIGN)
イラスト:まるい

 著者は第9回ハヤカワSFコンテストの大賞受賞と、第28回電撃小説大賞を同時受賞して以来、メディアワークス(KADOKAWA)などで楽曲のノベライズやコミック原作ものを書いてきた。また、昨年10月には、小説すばる掲載作を集めた短編集『推しはまだ生きているか』を集英社から一般読者向けに出して注目を集めた。本作はサイバーパンク+AIをテーマとする、オリジナル作品としては初の長編単行本である。

 2075年、主人公はケアハウスに勤める介護肢(ケアボット)と呼ばれるウェイツ(重い装備のロボット)だった。施設にはネオスラヴとの戦争で傷ついた兵士らが収容されている。武器と一体化した彼らは、暴走すると危険なのでケアボットが不可欠なのだ。その患者の一人、老齢の博士と主人公が絡む不可能犯罪の発生が大事件の始まりだった。

 ウェイツは独占企業ヨルゼンによって生産されている。老科学者は会社と繋がりがあるらしい。事件後、ウェイツに人権を与えよと叫ぶウェイツ主義者と、テロによる排斥を図る反擁護派ラダイトとが衝突する。登場人物は多く、片腕だけを武器化した傭兵、思いを寄せる同僚の介護肢、拳闘肢、秘書肢、改造人間ヨコヅナ、VTuberのような配信者などが入り乱れる。心象庭園(マインドパレス)とか、体の王国(フィジック・モナキー)とかの独特の用語も飛び交い、最後は月にまで舞台を広げ一大カタストロフという展開になる。

 物語としてはラノベのスタイルだろう。50年後の近未来が舞台でも、今現在の社会や政治を敷衍するリアルさを追求するのではなく、物語独自の規範・倫理観を重視しているように思える。ウェイツ=ロボットが人であるかどうかより、むしろこの世界のヒトがモンスターに見えてくるのが面白い。

赤野工作『遊戯と臨界 赤野工作ゲームSF傑作選』東京創元社

Illustration:飯田研人
Cover Design:森敬太(合同会社飛ぶ教室)

 架空ゲーム評の本『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』(2017)で知られる著者の最初の短編集である。副題にあるとおり、すべての作品が何らかのゲームにまつわるお話であるのが特徴だろう。全11編中6編はWebカクヨムで公開(現在は読めない)、4編が紙魚の手帖などの雑誌やNOVA掲載作、書下ろしが1編となっている。

 それはそれ、これはこれ(2021)ゲームの返金を求めるカスタマーがサービスと会話をする。しかし返ってくる質問はどこか的外れで、そんなことを訊く理由が読めない。
 お前のこったからどうせそんなこったろうと思ったよ(2018)フレーム単位で対戦相手を見切るゲーマーが、即時性の望めない月在住のライバルとあえて勝負をする。
「癪に障る」とはよく言ったもので(2022)海底ケーブル保守会社の入社式で、話し下手な幹部が語る会社発展の契機ともなったゲームソフトの特性とは。
 邪魔にもならない(2018)古典的なゲームのスペランカーをクリアするRTA(リアル・タイム・アタック)は、6分以内がタイムリミットだった。
 全国高校eスポーツ連合謝罪会見全文(2021)eスポーツ大会で退場処分を下した審判の判定を巡って、謝罪に追い込まれた理事長の説明と質疑応答の全容。
 ミコトの拳(2021)主人公は自分がゲーム中の仮想キャラクターだと思い込んでいた。その状況を越えるためには、大岩を正拳で打ち抜かねばならない。
 ラジオアクティブ・ウィズ・ヤクザ(2022)博打打ちの男が、放射性物質の違法所持で追われている。それは前代未聞のイカサマに関わるものだった。
 これを呪いと呼ぶのなら(2024)ネット発言が原因で業界から離れていた男が、久しぶりに仕事に復帰、呪いがかかると噂される中東を舞台にしたゲームをプレイする。
 本音と、建前と、あとはご自由に(2021)VTuberの主人公が裁判で尋問されている。配信したゲームが、反政府活動に関与したと認定されているからだった。
 〝たかが〟とはなんだ〝たかが〟とは(2024)1989年、ハンガリー国境からオーストリアへ逃れようとするロシア人科学者が手土産として持ち出そうとしたものとは。
 曰く(書下し)主人公は、孤独死したゼイリブ好き先輩ゲーマーに取り憑かれる。ひたすら般若心経を唱えて鎮めようとするのだが。

 表現が一人称とは限らないものの、多くの作品が一人称的な独白(一人の視点)で綴られている。Q&A、記者会見、尋問などの形式で、会話風に状況が明らかになるものもある。これらは、社会や世間に対してメッセージを叫ぶのではなく、とにかく聞いてくれる人(理解は求めない)に蘊蓄を語りたいというゲーマーの孤独感を象徴するかのようだ。

 小説のバランス的には、過度に執拗だったり逆に説明不足なものもあって、少しばらつきを感じる。ただ、それもまたゲーマー心理を反映しているのかもしれない。主人公がしだいに狂気に蝕まれていくホラー「これを呪いと呼ぶのなら」、頭のおかしい(褒めていません)諜報員と冷めた亡命科学者の対比が面白い「〝たかが〟とはなんだ〝たかが〟とは」が特に印象に残る。

村田沙耶香『世界99(上下)』集英社

装丁:名久井直子
装画:Zoe Hawk

 月刊文芸誌すばるの2020年11月号から24年6月号まで、休載を挟みながらも3年8ヶ月にわたって連載された著者最長(1500枚を超える)の大作である。もともとは既存短編「孵化」(2018)で描かれた「性格のない女性」を、とことん拡張・追求した内容を目指したものだという(ダ・ヴィンチ2025年4月号インタビュー記事)。しかし物語は半ばあたり(下巻)で様相を変え、著者の初期構想を超えた異形の世界が姿を現す。

 主人公は新興住宅街クリーン・タウンに住む少女だった。幼少の頃から空気が読め、その場その場で性格を変えられた。迎合するのではなく、無意識に周囲の感情を「トレース」し自分を分裂させるのだ。「からっぽ」だからできることだった。主人公は父の自己満足に「呼応」して高価なピョコルンを手に入れる。

 ピョコルンはガイコク(外国)の研究所で偶然生まれた人工動物で、飼い主に可愛がらなくてはいけないと強制する力を備えている。その一方で人にラロロリンDNAというものが見つかり、優れた才能があると優遇される反面、大多数の非保有者からはいわれのない差別を受ける。主人公はそういう社会で、そらちゃん、キサちゃん、そらっち、そーたん、姫、おっさんと、次々人格を変えて流されていく。しかし、ピョコルンに隠された驚くべき秘密が明らかになってから、自身の運命もまた大きく変貌するのだ。

 この物語は、まず社会のリアルを提示していく。DV(家庭内の言葉による虐待)、セクハラ・痴漢行為、男女間のあからさまな格差、ウエガイコク(欧米的なもの)とシタガイコク(それ以外)という差別、ラロロリン遺伝子保有者に対する暴力、そしてまた集団の同調圧力によるさまざまな苛めなど、今ある問題を凝縮化したもの、あるいはデフォルメといえる。

 しかし著者はそこにとどまらず、SF的な思考実験を投入する。性行為や生殖と婚姻の分離(これは初期作以来何度か描かれた)ができればどうか、哲学的ゾンビ(人間ではないのに見分けが付かないもの)とリアルな人とに違いはあるのか、個人記憶の改変と共有により人はどう変わるのか。後半は、もはやディストピアやアンチユートピアとかの分類には当てはまらないだろう。人間という存在の奥底、誰もが見たことのない(望みもしない)、異質かつ異様な世界が浮かび上がってくる。

ロブ・ハート『パラドクス・ホテル』東京創元社

The Paradox Hotel,2022(茂木健訳)

カバーイラスト:シマ・シンヤ
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 著者は1982年生まれの米国作家。ジャーナリスト、編集者などを経て、これまでちょっと変わったミステリを書いてきた。5年前にノンフィクション仕立ての小説『巨大IT企業クラウドの光と影』(2019)が翻訳されている。ベストセラーになった代表作『暗殺依存症』(2024)は、アルコール依存症のような暗殺依存症患者が主人公のお話で、今月翻訳が出たばかりだ。本書も、NPRベストブック2022年カーカス・レビューの2022年ベストSFFに選出された注目作である。

 時間旅行が民間にも開放された未来。主人公はアインシュタイン時空港(タイムポート)に併設されたパラドクス・ホテルの警備主任で、元時間犯罪取締局(TEA)の調査官だった。しかし、長年のTEA勤務で時間離脱症(アンスタック)を患い、仕事を変わらざるをえなくなった。症状は突発的に襲ってくる。過去や未来を不連続に幻視してしまうのだ。折しもホテルでは、時空港事業の売却をめぐる政治家を交えたサミットが開催されようとしていた。

 主人公には事故死した恋人がいた(どちらも女性)が、幻視で姿が見え声も聞こえる。それだけではない、触れられないはずの幻影が次第に実体を伴っていく。

 時間ものといっても、この作品はタイムトラベルに人を送り出す側(時空港外のバックヤードの人々)が描かれる。コニー・ウィリス《オックスフォード大学史学部》とか、ジョディ・テイラー『歴史は不運の繰り返し』などに近いだろう。時間旅行自体のリアルな描写はほとんどなく、個性的な登場人物たちの行動は、コミカルだったり風刺的(権威を振りかざす上院議員、高慢な大富豪など)だったりする。

 アンスタックはPTSDのフラッシュバックのような症状だが、それがホテルを不連続な時間の流れに巻き込んでいく。説明するのに(映画「インターステラー」とか「TENETテネット」的な)ブロック宇宙論(時間は離散的なもので、連続する流れは幻想だという)が援用されるものの、ロジカルに時間の謎を解明するのが本書のテーマではないだろう。

 本書の主人公には協調性がなく(常にけんか腰)、忖度もしない(尊大な宿泊客や議員を遠慮なく怒鳴りつける)。同情すべき過去はあるのだが、凄腕に一目置かれるとしても、ご一緒したくない危ないキャラである(設定上は仲間から好かれていることになっている)。荒れる主人公と相棒のAIドローン、それに死んだ恋人という組み合わせが面白い時間ものなので、このキャラに共感できるかがポイントになる。

林譲治『惑星カザンの桜』東京創元社

カバーイラスト:尾崎伊万里
カバーデザイン:岩郷重力+S.KW

 林譲治の書下ろし長編。創元SF文庫での書下ろしは初めてになる。これまで著者はハヤカワ文庫を中心に多くの宇宙ものを書き下ろしてきたが、どのシリーズ(あるいは単発もの)でも異星人(あるいはそれに相当するもの)とのファースト・コンタクトを主要なテーマとしてきた。本書も同様の流れをくむものだ。

 一万光年もの彼方にある惑星カザン、文明の兆候を認めた人類は調査チームを送り込む。しかし750名を有した専門家の一団は一切の消息を絶つ。第二次調査隊は総員を5倍近くに増やし、武装した巡洋艦を伴う2隻の体制で、万全を期して向かうことになる。第一次隊生存者の救出と、カザンに存在するであろう文明の調査のためだった。

 カザンの文明が観測の途上で沈黙したことは、残された無人探査機のデータで明らかだった。実際、惑星の表面は灰色の泥のようなもので覆われている。ところが、その中に都市のようなものや不自然な植生が発見される。さらに遭遇する異星人の姿は……。

 オビックとかオリオン集団、ガイナスなど、毎回趣向の異なる異星人を登場させる著者だが、今回はさらに非人類、非生物的な存在が出てくる。レム的なのである。人間と似ているように思えても、それは異星の存在が人を高度に模倣しているのかもしれない(ディック的でもあるのだ)。とはいえ、知性とはそういうものなのかも、とも思える。ここから人間とAIとの関係をも含む、哲学的な考察も読み取れるだろう。

 著者の作風は、論理的で理路を重んじるものだ。反面、情感に乏しいのだが、本作のタイトルのような感傷を愉しむこともできる(その意味は結末で明らかになる)。