十三不塔『ラブ・アセンション』早川書房

カバーイラスト:シライシユウコ
カバーデザイン:伸童舎

 2020年の第8回ハヤカワSFコンテストで、竹田人造と共に優秀賞を受賞した十三不塔の書下ろし長編。竹田人造は2年前に受賞第1作を書き下ろしているので、これで両者とも並んだ形になる。受賞作ではキャラの造形に関する指摘があったのだが、それに応えたのか、本書ではキャラ主体の作品を仕上げてきた。

 軌道エレベーターを舞台とする配信番組、恋愛リアリティショー「ラブ・アセンション」が開催される。1人の男=クエーサーに対して12人の女性が自己アピールで競い合い、エレベーターの階層を上がるたびに脱落者が決まるというルールだ。女たちには特異なスキルがあり、それに劣らぬ個別の動機がある。さらにクエーサーには隠された過去が、またスタッフにも表に出せない思惑がある。しかも、正体不明の地球外生命まで関係しているらしい。

 各登場人物の独白やインタビュー、放送を意識した女たちの小競り合いや、裏方のスタッフ同士の軋轢などで物語は波乱含みで進む。地球外生命は、ミステリ要素を高める小道具として扱われる。この設定で書くのだからラブコメに違いない、と思い込むと意表を突かれる。

 リアリティショーは台本なしなので本物に見えても、実際は演出のある虚構(フィクション)にすぎない。それは出演者も視聴者も分かっている(が、あえて種明かしはされない)。本書の場合は、この作品自体が最初から最後までリアリティショーというのが特徴だろう。もちろん小説なのだから虚構は当然なのだが、登場人物(出演者だけでなく制作側まで)の心理描写やセリフ回しも、小説中に置かれたショーの一部のようになっている。ここまではショー=偽物、ここからはリアル=本物(配信番組の外)といった境界があいまいなのだ。不思議な印象を残す作品である。

市川春子『宝石の国(全13巻)』講談社

装丁:市川春子

 『宝石の国』は、月刊アフタヌーン誌の2012年12月号から2024年6月号まで、途中休載を挟みながらも12年間108話分連載された長大な作品である(単行本は2013年~24年)。2017年にはアニメ化がされ、本編完結後には第45回日本SF大賞最終候補作に選ばれている。少女戦士ものの学園ファンタジイに見えたお話が、最後には壮大なポストヒューマンSFとなっていく過程は他に類を見ない。硬質で乾いた地上や、曲面を多用する水中、ぬめぬめとした月世界の描写などはバンド・デシネの細密画を連想する。

 何の取り柄もなさそうな主人公フォスフォフィライトは、夜を担当し毒を分泌するシンシャやダイヤモンド属らと交流するが、襲来する「月人(つきじん)」が残した巨大なカタツムリに飲まれて、海中でその生き物の正体知り、海から帰還するも手足を喪う。
【以下はコンデンスされた要約(AIは使っていません)】
 月から次々と分裂する奇妙な生き物が来る。「先生」は何か知っているようだ。他の宝石たちと交わる中でフォスは成長するも、傷つき修復されるたびに人格が混ざり合い性格が変わっていく。「先生」には禁忌があり肝心のことを説明しない。月には内部からせり上がる金属で作られた都市がある。フォスは月人がどういうものかを知り、仲間の再生のために決断を迫られる。しかし、そうするには「先生」を自分に従わせる必要があるのだ。

 「先生」と呼ばれる僧侶姿の金剛と、28人の宝石である「生徒」たちは、草原のただ中にある「学校」に住んでいる。彼らは上半身が少年、下半身が少女の姿をしているが、性別はなく有機生命ですらない。硬度がさまざまな文字通りの無機物=宝石なのだ。硬さの反面砕けやすいが、つなぎ合わせることで元に戻せ、何万年も生きられる。地上には彼らしかいない。かつて人間だったものは、魂(月)と骨(宝石)と肉(海中)に分かれ別々に生きるようになった。しかし、フォスの登場でその関係は不安定になる。

 物語は終盤近くになって凄惨さを増し大きく流転する。(詳細は読んでいただくとして)第12巻では、人類が滅びた後なぜ彼らが分離し、何を目的に生存してきたのか、世界の秘密と始まりが明らかになる。宝石たちの物語はそこで終わっている。2年後に出た最終の13巻は、これまでとは一変する。神と(人形を有しない)無機物たちの黙示録めいた会話(といっても、形而上の難しいものではない)だけで成り立っているからだ。つまり、現世を超越したステープルドン的な神話となって終わる。

藤井太洋『まるで渡り鳥のように』東京創元社

Cover Photo COMPLEX:L.O.S.164
Cover Design:岩郷重力+R.F

 藤井太洋の『公正的戦闘規範』(2017)、『ハロー・ワールド』(2018)に続く第3短編集になる。著者は多くの中短編を書いているのだが(発表先が多岐にわたるためか)なかなか単行本としてまとまらなかった。今回収録の作品も、中国のオンラインイベントや米韓のアンソロジイ、電子書籍の書下ろしなど、日本の文芸作家がほとんどオファーされない(つながる人脈がない)媒体が多く、著者の活動の幅広さを再認識できる。

 ヴァンテアン(2015)バイオハックを得意とするMIT仕込みの技術者は、3Dプリントスタジオで奇妙なサラダコンピュータを開発する。
 従卒トム(2015)南北戦争のあと、屍兵技師のトムは、西郷隆盛の倒幕軍に雇われ遠く太平洋を渡る。だが、江戸湾要塞攻めを準備中の屍兵部隊に予期せぬ敵が現れる。
 おうむの夢と操り人形(2018)東京オリンピックが終わり、廃棄されたロボットの再利用方法を考えていたITと企業サポートの専門家は、意外な組み合わせを思いつく。
 まるで渡り鳥のように(2020)*22世紀、直径85キロもある中国の宇宙島で、主人公は春節帰省する宇宙船の群れを見ながら渡り鳥の研究を続ける。
 晴れあがる銀河(2020)帝国が成立し次第に窮屈になる日常の中、新たな銀河航路図を作成しようとする主人公たちの苦悩(『銀河英雄伝説』のトリビュート作品)。
 距離の嘘(2020)苛烈型の麻疹が、カザフスタン共和国にある難民キャンプで流行している。主人公は支援のため70万人が住むキャンプに赴いた。
 羽を震わせて言おう、ハロー!(2021)*2034年、種子島から離昇した系外惑星探査機はロス128bを目指して恒星間を飛行する。250年後、呼びかける声が聞こえた。
 海を流れる川の先(2021)奄美大島に薩摩の大船団が侵攻する中、阻止のため漕ぎ出そうとする1人の青年の丸木舟に、薩摩の僧と称する男が同乘しようとする。
 落下の果てに(2022)*木星有人観測船を重大事故から救った作業員が治療を受けている。しかし、男は意識があるものの呼びかけに一切反応しない。
 読書家アリス(2023)SF専門雑誌の編集者はAIツールを使って作品を捜す。人間が書いたものを選び出せるのは〈読書家アリス〉だけだった。
 祖母の龍(2024)*軌道作業ステーションで、Xクラスの太陽フレア発生の警報が出る。緊急に作業員覚醒が行われるが、そこで出会ったのは。
*:オンラインイベント科幻春晩に書下ろされたもの

 本書の帯には「技術は人類(われら)を自由にする」とある。つまり、宮内悠介と同じくテクノロジー小説といえるが、受け取る印象はずいぶん違う。同じようにスタートアップ起業家を描いても、宮内の作品はどこか悲哀を感じさせ、対照的に藤井作品では、悲劇であってもまだこれからという高揚感が漂う。AIによる編集者や作家の変貌を描く「読書家アリス」などはその典型だろう。作家業を脅かす生成AI、LLMも(それがよりよいものを産み出すのなら)忌避するのではなく使いこなすべし、と説く。

 「従卒トム」の登場人物(サムライ)はちょっと出来過ぎながら、この組み合わせの巧さには感心する。「距離の嘘」も難民キャンプをまったく異なるものに見せてくれる。「ヴァンテアン」を含めて、現代的な切口のアイデア小説群だろう。

 科幻春晩に掲載された4つの短編は、どれも著者としては珍しい宇宙ものだ。宇宙ステーション、孤独な恒星間宇宙機、太陽フレアが吹きすさぶ宇宙空間、最後の「祖母の龍」などはフレアを龍に見立てたダイナミックな作品である。ショートフィルム(「オービタル・クリスマス」のような)に誰かしてくれないかと思わせる、とてもビジュアルな一編だ。

宮内悠介『暗号の子』文藝春秋

カバー画:中島花野
デザイン:大久保明子

 帯には「わたしたちは、いつまで人間でいられるのか?」とあって、テクノロジー(が人を変容させていく)小説集と謳っている。『国歌を作った男』に続く、連作を含まない作品集である。著者による詳しい解題が付いているのは前作と同様で、書かれた経緯などがよく分かる。発表誌は、文學界(2編)、Kaguya Planet、新潮、群像、SFマガジン、WIRED、トランジスタ技術と、文芸誌からテック誌までみごとに散けている。

 暗号の子(2024)集団になじめずデイトレードで生活する主人公は、カウンセラーの薦めで入ったVR上の匿名会に安らぎを感じるようになる。しかし平穏は長続きしない。
 偽の過去、偽の未来(2021)飛び級でMITに入った友人や、エンジニアの父を持つ主人公は、大学でコンセンサス指向言語の構想を得て研究を始める。
 ローパス・フィルター(2019)TweetCalmは、SNSに組み込むことで過激な発言をフィルタしてしまうアプリだった。ただ、これにはある噂がつきまとっていた。
 明晰夢(2023)明晰夢からルーシッドと名付けられたアプリは、VR内でLSDのサイケデリック体験がドラッグ抜きでできるという代物だった。
 すべての記憶を燃やせ(2023)自死した詩人の作品を追う主人公は、さまざまな文章の断片を読みあさっていく(生成AI「AIのべりすと」によって書かれたもの)。
 最後の共有地(2021)MITで知り合った天才的な友人は、ZTC(ゼロトラストの合意)の提唱者となる。人間同士が結ぶ合意を置き換えるはずだったが。
 行かなかった旅の記録(2021)主人公はネパールを旅する途中で伯父の訃報を聞き、どんなふうに死ぬのがいいか、と問われた過去を思い出す。
 ペイル・ブルー・ドット(2024)宇宙システム開発企業に勤める主人公は、ハードワークに追われ疲れた深夜、公園で星を観測する少年と出会う。

 「暗号の子」の匿名会にはWeb3の分散型ネットワークが使われている。サーバーがなく完全な匿名性が保たれる反面、犯罪組織だと騒ぐ世論を説得するのに苦労する。そこで主人公の父親からの思いがけない打ち明け話を聞く。「偽の過去、偽の未来」では、合意形成に暗号通貨を用いるスマートコンセンサスが出てくる。「ローパス・フィルタ」ではネット(SNS)の支配が行き着く果てが暗示され、「明晰夢」のデジタルドラッグはエスカレーションを産み、「すべての記憶を燃やせ」はAIが書き、「最後の共有地」はスマートコンセンサスをZTCとして語り直す。

 その一方、「行かなかった旅の記録」にはテクノロジーの話題はないが、家族や伯父との関係が色濃く語られる(コロナ禍で実際には行けなかった架空の旅)。本書では父と子、母と子など(アカデミア色があまりなく、匠の技のような工芸とも違う)エンジニアが関わる親子関係が描かれていて、もう一つのテーマになっている。「ペイル・ブルー・ドット」はトラ技に掲載されたもの。ラズパイとかアルディーノとか、組み込みマニア系のパーツ名がナマで出てくる(分からなくても支障はない)。天文部小説でもある。ここに描かれる「テクノロジー」に国家プロジェクト的なものはない。いまの我々から見て、身近で個人的なものばかりである。しかし、そのどれもが世界とつながっている。

 ところで、最近のSFではマッドサイエンティストはギャグに後退し、引きこもりのスーパーエンジニア的な人物が活躍するお話が多い。難関をハードウェアの発明ではなくコーディングで切り抜けるのだ。

ジェイムズ・P・ホーガン『ミネルヴァ計画』東京創元社

Mission to Minerva,2005(内田昌之訳)

カバーイラスト:加藤直之
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 《星を継ぐもの》の最終巻。このシリーズは前半3部作(1977~81年)で終わる予定だったものが、エージェントの強い要望を受けて10年後に続編『内なる宇宙』(1991⇒93年に翻訳)が書かれ、さらに遅れに遅れて14年後に続々編となる本書が出るという経緯をたどる。翻訳も、これまでの池央耿さんが昨年亡くなる(訳業は2020年頃までだった)などの紆余曲折を経て、31年後に内田昌之訳で出たわけだ(ちなみに、2000年以降のホーガン翻訳はすべて内田訳になっている)。

 ただ、新装版にリニューアルされたといっても、シリーズ既刊の初版はすべて前世紀である。本書ではオールド読者向けに、プロローグと解説に「前巻までのあらすじ」が載っている。ネタバレありだが、いきなり本書から読む人はいないだろう(初読者には、最初の巻からを強く薦めます)。

 内宇宙からの侵攻(『内なる宇宙』)を退けたのもつかの間、ハント博士はマルチヴァースに存在する別の自分からの通信を受ける。博士はテューリアンたちと共同で、並行宇宙間を移動する手段の研究をはじめる。研究は難題を抱えながらも進むが、並行世界は時間も空間も無限の組み合わせがある。どこをターゲットに定めるのかで議論が起こる。一方、5万年前、破壊されたミネルヴァがまだ健在な時代に、5隻のジェヴレン人宇宙船が出現する。

 ハント博士、ダンチェッカー博士という、おなじみの登場人物は健在だ。物語の中ではチャーリーが月で発見されて(2027年)から、まだ6年しか経っていない。過去のシリーズ作品と同様、本書でもこの2人や他の登場人物たちが議論を積み重ねる。たとえば、簡単な図式で例示しながら、マルチヴァースを移動する物理が論じられる。イーガンのような難解さはない。また1人のジャーナリストの取材を介して、支配欲をまったく持たないテューリアン文明と、暴力を原動力に発展してきた人類との比較論も出てくる。文明論にしては単純化しすぎと思えるものの、旧来のSFが持っていた理想主義も悪くない、とも感じる。

 前巻『内なる宇宙』の「日本版への序文」で、ホーガンはDAICON5(1986)にゲスト参加した際に「右を見ても左を見ても、溢れ返るばかりの旺盛な活力に圧倒される思いだった」と書いた。これは、当時の日本SF大会の参加者がとても若かったせいもある(平均年齢21歳!)。今では+40歳であり(たぶん)大会の活力は歳相応に失われている。その間SFの中味も複雑かつ高邁となり、シンプルに高揚感が得られた昔流のセンス・オブ・ワンダーではなくなった。ある意味老成したわけだ。しかし、プリミティブな作品《星を継ぐもの》や《三体》には、未だ多くの支持が集まる(最近でも『一億年のテレスコープ』が注目を集めた)。原点は確かに荒削りだが、そのパワーには侮り難いものがあるのだ。

ニック・ハーカウェイ『タイタン・ノワール』早川書房

Titanium Noir,2023(酒井昭伸訳)

カバーイラスト:小阪淳
カバーデザイン:岩郷重力+A.T

 ニック・ハーカウェイの翻訳はこれで4冊目(別名義を含む)になる。ただ、ジャンルミックスの作家でもあり(ミステリやNVマークだったので)、SFマークとしては本書が初めて。探偵ものなのだが、設定がSFになっているからだろう。訳者が「こんなに愉しかった仕事は何年ぶりだろう」と書いたリーダビリティ抜群の作品だ。

 タイタン絡みの事件が起こる。タイタンとは小柄でも身長2メートルを優に超える巨人のこと。状況からして自殺のように見える。それでも、特権階級に関わりたくない警察は専門家の探偵に調査を依頼する。すると、出入りした来訪者から、ある人物が浮かび上がってくる。

 舞台は、アメリカとも欧州とも分からない、ギリシャ風の地名を持つ架空の都市である。明らかにされないものの数十年後の未来のようだ。俗称「タイタン」は不老化治療を受けた人々を指す。その薬〈T7=タイタン化薬7〉を使うと体細胞が若返り、併せて再成長が始まるのだ。回数を重ねるほど、身長が伸び体重が増す(訳者指摘のようにこれを連想する)。技術を独占するトンファミカスカ一族は、寿命を支配する超エリートの立場にある。物語は、探偵の遭遇するタイタンたちの秘密を巡って展開していく。

 いまAIと並ぶ注目の技術は、生命科学で脚光を浴びる不老化=アンチエイジングだろう。もっとも、ハイテク詐欺が横行する割に決め手となるブレークスルーはなく、できたとしても富裕層にしか恩恵がない(と思われている)。つまり、T7ができたら世の中は変わり、格差はますます広がる。そこに「長生きするほど巨大化する」というギャグを大まじめに取り入れたのが最大のポイントである。常人の何倍も生き、風変わりで威圧的なタイタンの怪物ぶりが読みどころになる。

飛浩隆『鹽津城』河出書房新社

装丁:川名潤

 初期作やエッセイなどを収めた『ポリフォニック・イリュージョン』(2018)を除けば、『自生の夢』(2016)以来、飛浩隆8年ぶりの第3短編集となる。本書の収録作6編は、群像や文藝、あるいは西崎憲の関わるアンソロジーなど、ほとんどが純文系の媒体に発表されたものだ。

 未(ひつじ)の木(2020)単身赴任中の妻に、夫から結婚記念日の贈り物が届く。大きな植木で、贈り主そっくりの花を咲かせるのだという。それも、顔だけでなく全身の。
 ジュヴナイル(2019)こども食堂にやってきた転校生は、語りだけで料理の味を変容させる力を持っていた。その子はノートにびっしりと書き込みをしている。
 流下の日(2018)現首相が政権に就いて40年が過ぎ、日本は奇跡的な復活を遂げた。主人公はかつての上役が住んでいた、二二災の現場でもある村を再訪する。
 緋愁(ひしゅう)(2021)県道を占拠する緋色の集団。退去勧告に赴いた土木事務所の職員は、赤い布を巻く行為は世界をゆがめる電波を排するためだと聞く。
 鎭子(しずこ)(2019)うみの指に侵蝕される饗津(あえず)に住む志津子と東京で仕事をする鎭子、それぞれが年下の男と情を交わしながら自らの生きざまを述懐する。
 鹽津城(しおつき)(2022)L県沖の日本海で起こった大地震の結果、広範囲の鹵害(ろがい)が発生する。一方、疾病が蔓延する世界では漫画家の一行が故郷を目指す。

 『自生の夢』に収められた「海の指」と「鎭子」のうみの指は同じものなのだろう。ただ(奇妙ではあるが)実存する世界として描かれた前者に対し、本書でのそれは主人公の心象風景のようにも解釈できる。他の作品も同様なのだが、共鳴/反発し合う複数の幻想と現実の物語を(どちらが本当なのか明らかにしないまま)あえて併存させている。

 表題作の世界設定はさらに複雑だ。日本海地震で鹵害が広がるもう一つの日本と、人口が激減した22世紀の日本。そして、休筆中のベストセラー漫画家が車で旅をする2050年では、正体不明の難病である鹹疾(かんしつ)が流行している。時間線はそれぞれで異なる。漫画家の創作(真)が鹵に侵された世界(偽)のように見えるけれど、それも不確かに描かれている。ただ1つ「鹽津城」という言葉だけが、散逸する異界を繋ぎ止めるアンカーのように作用する。

 枠物語のようでいて入れ子構造ではない。鹽、鹵、鹹と見慣れない(読めない)漢字による異化効果も駆使される。現在の飛浩隆の頂点ともいえる傑作中編である。

坂崎かおる『箱庭クロニクル』講談社

切り絵:Teresa Currea
装幀:岡本歌織(next door design)

 4月に出た『嘘つき姫』に続く坂崎かおるの第2短編集である。全部で6作品を収め、半分は小説現代に掲載(そのうち「ベルを鳴らして」は第77回 日本推理作家協会賞短編部門を受賞)、さらに徳島新聞掲載の掌編と2作の書き下ろしを含む。

 ベルを鳴らして(2023/7)1930年代の日本、主人公は邦文タイプライターの学校に通い中国人の先生から才能を認められるが、世の中では不穏な空気が膨らんでいく。
 イン・ザ・ヘブン(2023/10)アメリカの地方、母親は性的な本を禁書にしない学校を認めない。そのせいで主人公は学校を辞めさせられ、家庭教師から学ぶようになる。
 名前をつけてやる(書下ろし)均一ショップに安い輸入品を卸す会社で、主人公はパッケージングとネーミングの仕事をしている。そこに寡黙な新人がやってくる。
 あしながおばさん(書下ろし)揚げ物チェーン店で、主人公はバイト女子大生が気に入る。特にスタンプの押し方が良かった。ところが、そのスタンプが廃止になる。
 あたたかくもやわらかくもないそれ(2024/4)ゾンビが治る薬はマツモトキヨシでも売っている。小学生だったころ、そんなうわさを信じて友人と探し回った。
 渦とコリオリ(2023/8)市民ホールで行われるバレエの公演に主人公も誘われる。そこには姉もいて、演技について容赦ない文句をつけてくる(新聞掲載の掌編)。

 前著からは、収録作の主たる発表媒体も一般向けの小説誌に変わり、もしかしたら作者は心を入れ替えハートウォーミング路線に転向したのでは、と思ったが(もちろん)そうではない。やはり陥穽が物語のあとに控えている。

 「ベルを鳴らして」でタイプライターに入れ込む主人公は、先生の入力速度/精度に勝とうと異様なまでに執念を燃やす。「イン・ザ・ヘブン」では偏執的な母親に辟易する主人公は、家庭教師に救いを求める。「名前をつけてやる」ではバグチャルに新たな名前を付けるのだが、新人の意外な特技が判明する。「あしながおばさん」は、家庭に小さなわだかまりがあって、主人公のおばさんは女子大生の実直さと明るさに惹かれる。「あたたかくもやわらかくもないそれ」は、小学校時代の記憶(ゾンビはコロナに近い感染症らしい)と新幹線車中の出来事とが重なる。「渦とコリオリ」の姉は、冒頭から死んでいることが明らかにされる。

 ところが、これらは発端に過ぎない。登場する「好い人」「まじめな人」らしき人々は、過去なり現在なりに何か仄暗いものを抱えていて、物語がハッピーに終るのを妨げる。表題の『箱庭クロニクル』の箱庭とは、各登場人物たちの生きざまを指すのだろう。人の一生など、社会全体から見れば小さな箱庭に過ぎないからだ。しかし、どれにも一生分の時間=歴史(クロニクル)はある。そして、深い穴の存在も。

日本SF作家クラブ編『AIとSF2』早川書房

カバーデザイン:岩郷重力+Y,S

 昨年出た『AIとSF』の第2弾。前巻は22編(22作家)を集めた大部のアンソロジーだったが、今回11編と半減、しかし書籍としてはこちらの方が100ページ余り分厚い。巻頭に長谷敏司のノヴェラ(300枚強の短めの長編)を収めるなど、中編クラスがメインのためだろう。AIテーマが熟れたせいなのか、昨年版より絞り込まれた作品が多いように思われる。

 長谷敏司「竜を殺す」兼業作家の一人息子が殺人を犯す。子どものことを分かっていなかったと嘆く主人公は、被害者の背景を調べるうちに思いがけない事実を知る。
 人間六度「烙印の名はヒト 第一章 ラブ:夢看る介護肢」〈介護肢=ケアボット〉は〈メタ〉を自己肯定感で満たすために働く(新作書下ろし長編の冒頭部分)。
 池澤春菜「I traviati 最後の女優」最後の舞台女優と呼ばれる主人公は、インプラントしたパーソナルAIを使ってAI単体ではできない最高の朗読劇を演じようとする。
 津久井五月「生前葬と予言獣」災害危険区域から住民を移転させるプロジェクトで対話型AIが説得に使われる。しかしなかなか理解は得られなかった。
 茜灯里「幸せなアポトーシス」国のノーベル賞級卓越研究のため、不老不死研究で知られる生命科学者の脳情報がAIにインストールされる。期待通りの成果が生まれ始めるが。
 揚羽はな「看取りプロトコル」アンドロイドAIが終末期医療で看取るのは、火星から帰還した末期がんの患者だった。患者は意外な要求をしてくる。
 海猫沢めろん「月面における人間性回復運動の失敗」月のオートタクシーを運転するAIと人間のペアのところに、危ないお客が乗ってきてかみ合わない会話を交わす。
 黒石迩守「意識の繭」世界に蔓延する電脳昏睡症の治療のため、Rアバターが開発される。外部から脳を刺激するBCI用のアプリだったが、やがて病の真相が明らかになる。
 樋口恭介「X-7329」意識を持つAI、X-7329が最後のアナログ=人間を排除するために森の中を徘徊する(ChatGPT-40などを全面的に使用して生成した作品)。
 円城塔「魔の王が見る」アレケトが3日かかって道路を横断し、世界がちぐはぐに見えて、NNはニューラル・ネットワークではなくネームド・ネームレスである。
 塩崎ツトム「ベニィ」ある家族の兄弟たちの運命は、1950年代にアメリカの国家プロジェクトとして密かに進められたある計算機の開発へと収斂していく。

 目の前、10年後の未来を舞台とする「竜を殺す」は家族の物語である。単身赴任中のため不在の妻、解雇通知を受けた塾講師で兼業作家の夫、親や友人よりスマホAIに依存する(この時代ではふつうの)高校生の3人家族だ。この社会/この家族で起こる問題は、いまの時点で(少なくとも兆しが)あるものばかりといえる。たとえば作家はAIに流行を分析させ、AIが生成する物語を編集して作品にする。善し悪しとは無関係に、AIは欠かせない道具になっている。

 アンソロジーで目立つのはAI時代の作家のあり方だろう。「竜を殺す」の作家はAIのオペレータのようであるし、その現在形がプロンプトで物語を(実際に)生成した「X-7329」なのだ。「ベニイ」では複雑な家族関係と偽史(架空のコンピュータ史)を絡める中で、小説を含む文化自体の存在意義が問われている。

 「烙印の名はヒト 第一章 ラブ:夢看る介護肢」と「看取りプロトコル」では、終末期用介護士/看護師アンドロイドが出てくる。「I traviati 最後の女優」「幸せなアポトーシス」「意識の繭」では、脳インプラント型アシスタントや脳の複製=ツインがキーとなっている。これらは、拡張(増幅)機能としての(いわゆる人工知能に捕らわれない)AIが人に何を及ぼすかが描かれる。「生前葬と予言獣」はVRを組み合わせて人に希望を抱かせるアイデア、「月面における人間性回復運動の失敗」や「魔の王が見る」はテーマを逆手にとる独自の展開ながら面白い。