ジェイムズ・P・ホーガン『ミネルヴァ計画』東京創元社

Mission to Minerva,2005(内田昌之訳)

カバーイラスト:加藤直之
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 《星を継ぐもの》の最終巻。このシリーズは前半3部作(1977~81年)で終わる予定だったものが、エージェントの強い要望を受けて10年後に続編『内なる宇宙』(1991⇒93年に翻訳)が書かれ、さらに遅れに遅れて14年後に続々編となる本書が出るという経緯をたどる。翻訳も、これまでの池央耿さんが昨年亡くなる(訳業は2020年頃までだった)などの紆余曲折を経て、31年後に内田昌之訳で出たわけだ(ちなみに、2000年以降のホーガン翻訳はすべて内田訳になっている)。

 ただ、新装版にリニューアルされたといっても、シリーズ既刊の初版はすべて前世紀である。本書ではオールド読者向けに、プロローグと解説に「前巻までのあらすじ」が載っている。ネタバレありだが、いきなり本書から読む人はいないだろう(初読者には、最初の巻からを強く薦めます)。

 内宇宙からの侵攻(『内なる宇宙』)を退けたのもつかの間、ハント博士はマルチヴァースに存在する別の自分からの通信を受ける。博士はテューリアンたちと共同で、並行宇宙間を移動する手段の研究をはじめる。研究は難題を抱えながらも進むが、並行世界は時間も空間も無限の組み合わせがある。どこをターゲットに定めるのかで議論が起こる。一方、5万年前、破壊されたミネルヴァがまだ健在な時代に、5隻のジェヴレン人宇宙船が出現する。

 ハント博士、ダンチェッカー博士という、おなじみの登場人物は健在だ。物語の中ではチャーリーが月で発見されて(2027年)から、まだ6年しか経っていない。過去のシリーズ作品と同様、本書でもこの2人や他の登場人物たちが議論を積み重ねる。たとえば、簡単な図式で例示しながら、マルチヴァースを移動する物理が論じられる。イーガンのような難解さはない。また1人のジャーナリストの取材を介して、支配欲をまったく持たないテューリアン文明と、暴力を原動力に発展してきた人類との比較論も出てくる。文明論にしては単純化しすぎと思えるものの、旧来のSFが持っていた理想主義も悪くない、とも感じる。

 前巻『内なる宇宙』の「日本版への序文」で、ホーガンはDAICON5(1986)にゲスト参加した際に「右を見ても左を見ても、溢れ返るばかりの旺盛な活力に圧倒される思いだった」と書いた。これは、当時の日本SF大会の参加者がとても若かったせいもある(平均年齢21歳!)。今では+40歳であり(たぶん)大会の活力は歳相応に失われている。その間SFの中味も複雑かつ高邁となり、シンプルに高揚感が得られた昔流のセンス・オブ・ワンダーではなくなった。ある意味老成したわけだ。しかし、プリミティブな作品《星を継ぐもの》や《三体》には、未だ多くの支持が集まる(最近でも『一億年のテレスコープ』が注目を集めた)。原点は確かに荒削りだが、そのパワーには侮り難いものがあるのだ。

ニック・ハーカウェイ『タイタン・ノワール』早川書房

Titanium Noir,2023(酒井昭伸訳)

カバーイラスト:小阪淳
カバーデザイン:岩郷重力+A.T

 ニック・ハーカウェイの翻訳はこれで4冊目(別名義を含む)になる。ただ、ジャンルミックスの作家でもあり(ミステリやNVマークだったので)、SFマークとしては本書が初めて。探偵ものなのだが、設定がSFになっているからだろう。訳者が「こんなに愉しかった仕事は何年ぶりだろう」と書いたリーダビリティ抜群の作品だ。

 タイタン絡みの事件が起こる。タイタンとは小柄でも身長2メートルを優に超える巨人のこと。状況からして自殺のように見える。それでも、特権階級に関わりたくない警察は専門家の探偵に調査を依頼する。すると、出入りした来訪者から、ある人物が浮かび上がってくる。

 舞台は、アメリカとも欧州とも分からない、ギリシャ風の地名を持つ架空の都市である。明らかにされないものの数十年後の未来のようだ。俗称「タイタン」は不老化治療を受けた人々を指す。その薬〈T7=タイタン化薬7〉を使うと体細胞が若返り、併せて再成長が始まるのだ。回数を重ねるほど、身長が伸び体重が増す(訳者指摘のようにこれを連想する)。技術を独占するトンファミカスカ一族は、寿命を支配する超エリートの立場にある。物語は、探偵の遭遇するタイタンたちの秘密を巡って展開していく。

 いまAIと並ぶ注目の技術は、生命科学で脚光を浴びる不老化=アンチエイジングだろう。もっとも、ハイテク詐欺が横行する割に決め手となるブレークスルーはなく、できたとしても富裕層にしか恩恵がない(と思われている)。つまり、T7ができたら世の中は変わり、格差はますます広がる。そこに「長生きするほど巨大化する」というギャグを大まじめに取り入れたのが最大のポイントである。常人の何倍も生き、風変わりで威圧的なタイタンの怪物ぶりが読みどころになる。

ベッキー・チェンバーズ『ロボットとわたしの不思議な旅』東京創元社

A Psalm for the Wild-built,2021 / A Prayer for the Crown-Shy,2022(細美遙子訳)

カバーイラスト:丹地陽子
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 ベッキー・チェンバーズの《修道僧とロボット・シリーズ》のノヴェラ(中編)2作を、日本オリジナルでまとめたものである(今のところ、この2作しか書かれていない)。最初に書かれた「緑のロボットへの賛歌」は2022年のヒューゴー賞ノヴェラ部門ユートピア賞(アンドロイドプレスが主催)を、次作の「はにかみ屋の樹冠への祈り」は2023年のローカス賞ノヴェラ部門をそれぞれ受賞している。

 緑のロボットへの賛歌:都会の修道院で働く修道僧デックスは、突然思い立って喫茶僧になる。ワゴン車に乗り各地を巡る旅の仕事だった。やがて失われた修道院の存在を知り、未整備の荒野へと進路を変える。そこで、ロボット・モスキャップと出会う。
 はにかみ屋の樹冠への祈り:〈目覚め〉以降、ロボットが人と接触した例はない。デックスと同行するモスキャップは訪れる村々で大歓迎される。森林、河川、沿岸、灌木地帯とさまざまな人々がいたが、目的が定まらない旅で主人公は疑問を抱くようになる。

 いつの時代か分からない未来、世界は縮小し大半の人々は村落に住んでいる。ロボットが目覚め=意識が生まれ、人との接触が断たれて以来、長い時間が経っていた。この世界では社会的な上下関係がなく、規制は緩やかで何事も強制されない。お金の代わりに、奉仕と感謝の単位が貨幣相当となっている。一方、限定されてはいるがテクノロジーは残っている。太陽光パネルやポケットコンピュータ、通信衛星もある。喫茶僧のワゴンは電動アシスト自転車で動く。物語の舞台は、ある種のユートピアなのである。持続可能かどうかは分からないが、社会的な考察は本書の目的ではないだろう。

 見かけが1950年代のブリキロボット風のモスキャップは、嫌われない(が面倒くさい)キャラとして描かれる。ただ「人に何が必要か」を聞いて回る様子は、その意図がよく分からず主人公の困惑を招く。ロボットとの二人旅は、自分にとって何の役に立つのかと思い悩む。

 さて、チェンバーズの『銀河核へ』を含む《ウェイフェアラー》は、ホープパンクであるらしい。他の代表作としてメアリ・ロビネット・コワルの『宇宙へ!』とか、「ハリーポッター」や「怒りのデスロード」などが挙げられている。とすると、ホープパンクとはディストピア的な状況を打破し、未来への希望を能動的/積極的に獲得するカテゴリーのようだ。しかし、本書では「ちょっと休憩が必要なすべての人に捧ぐ」(本文献辞)なのだから、むしろ受動的だろう。使命感に駆られる必要はなく、何のためとか誰かのためとか考えず、そのままの自分であれば良い、と穏やかに説いている。

ケリー・リンク『白猫、黒犬』集英社

White Cat,Black Dog,2023(金子ゆき子訳)

装画:ヒグチユウコ
装丁:岡本歌織(next door design)

 前作から10年と少し間が開いてしまったが、ケリー・リンク4冊目の翻訳短編集(原著の短編集としては9作目)。2024年のローカス賞短編集部門受賞作である。7つの中短編を収め、それぞれ童話(グリム童話が多い)をモチーフにするという趣向だが、舞台を現代や未来に置きかえるなど、大きく雰囲気を変えた大人向けの物語になっている。なお「粉砕と回復のゲーム」(下記)は、2016年のシオドア・スタージョン記念賞を受賞した中編だ。

 白猫の離婚(2019)超富裕層の父親に無理難題を命じられた息子の1人は、山中の温室で大麻を育てる猫たちと出会う。しかも、白い猫は人語をしゃべるのだ。
 地下のプリンス・ハット(2023)30年前にカフェで出会ったパートナーは、54歳になっても美少年のままだった。ところが、当時の元婚約者が奪い返しに来る。
 白い道(2023)社会が崩壊してから20年、荒れ果てた道を旅をする巡業劇団は、白い道に迷い込まないように注意を払いながらブレーメンを目指す。
 恐怖を知らなかった少女(2019)出不精の学者が出張先の空港で立ち往生する。ハブ空港が嵐の影響を受け、フライトが連鎖的にキャンセルされてしまったからだ。
 粉砕と回復のゲーム(2015)〈ホーム〉には兄と妹、お手伝いと吸血鬼がいる。両親はどこかに旅立っていてなかなか帰ってこない。兄と妹はゲームをする。
 貴婦人と狐(2014)クリスマスパーティで賑わう邸宅の庭に見知らぬ男が佇んでいる。みつけた少女は問いかけてみるが、あまり話には乗ってこない。
 スキンダーのヴェール(2021)論文を書きあぐねる院生は奇妙な留守番を引き受ける。家主スキンダーが訪ねても絶対入れず、その友人はすべて受け入れろというのだ。

 童話はえてして残酷なものになりがち(特に原型となる民話では)だが、本書の作品はその点を巧く使っている。白猫は首を切られるたびに(猫愛好家は卒倒する)さまざまな美女に変身して、傲慢な富豪の父親を翻弄する。とはいえ、注意深く読んでも(童話のあらすじは解説にあるものの)、何が元ネタか分かり難いものもある。「粉砕と回復のゲーム」のどこが「ヘンゼルとグレーテル」なのか、と思う。それくらい深い意味での換骨奪胎である。

 登場人物や舞台は現代化/SF化されている。プリンス・ハットはゲイのカップル、立ち往生する学者はレズビアンのカップル、物語内物語(枠小説)が多用され、ブレーメン(アメリカにも同じ地名がある)を目指す一行が進むのはアフターデザスターの世界、兄と妹がいるのはどこかの宇宙船かも知れず、クリスマスパーティは時間ものを匂わせ、スキンダーの家は中継ステーションのようである。SF風味の洒落た現代ファンタジーとなれば、ケリー・リンクの独擅場だろう。

 ところで、白猫(主役級)は巻頭作に登場するが、黒犬(脇役)が出てくるのは巻末の作品になる。

マーサ・ウェルズ『システム・クラッシュ』東京創元社

System Collapse,2023(中原尚哉訳)

カバーイラスト:安倍吉俊
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 《マーダーボット・シリーズ》は、マーサ・ウェルズの著作の中でもっとも多くの国で紹介され、もっとも高評価(ヒューゴー、ネビュラ、ローカス、星雲賞から日本翻訳大賞まで)を得た作品だろう。TVドラマ化の予定もある。日本での人気は高く、執筆スピードが翻訳に追いつかない状態だ。中編がメインのシリーズなので、原著は6冊の薄い本(といっても私家版ではない。日本では短編も加えて3冊の文庫)にまとめられている。長編は2作、『ネットワーク・エフェクト』(2020)と本書『システム・クラッシュ』である。この2冊は正編(翻訳紹介は2年前)と続編の関係になるが、あらすじが箇条書き(本文を模している)付きで8ページも載っていて、これで十分思い出せるのなら読み返さなくとも問題ない。

 正編での異星遺物による汚染事件からようやく脱したかと思いきや、惑星には別の地域に隠れ住む分離派の入植者たちがいることが分かる。住民を除染のため移住させるにしても、彼らを無視するわけには行かない。大学探査船のシステム(ART)から支援を受けながら、マーダーボットは分離派の拠点を探す。そこは巨大なテラフォームエンジンが、ノイズを垂れ流す(センサー類が無効な)ブラックアウト地帯にあった。

 このシリーズ共通のスタイルとして「弊機」による一人称がある。マーダーボットは有機組織を持つハイブリッドロボットのため、超人的な能力を持つ一方で人間的な悩みを抱えてしまう。自由な状態(統御を離れた暴走状態)にありながら、なぜか自分に自信が持てずドラマ視聴だけが楽しみなのだ。ただ、その独白は自虐的ではあっても鬱々とはならず、どこかとぼけたユーモアを感じさせる。しかも、今回はたびたびの障害にもめげず、ちょっとやる気を出す。愚痴部分を【編集済み】で削除する配慮も見せる。心情の変化を味わえて面白い。

 さて、前作に続いて本書でも敵対する会社(BE社)との紛争が勃発、暗闇(センサーのブラックアウト)での戦いが繰り広げられる。何しろこの時代では会社が敵対的買収をする場合、本当に敵対行為=武力行使をするのだからたちが悪い。前作の設定はそのまま引き継がれているので、戸惑うことなく読み進めることができる。

マーガレット・アトウッド『老いぼれを燃やせ』早川書房

Stone Mattress,2014(鴻巣友季子訳)

扉デザイン:いとう瞳
扉イラスト:鳴田小夜子(KOGUMA OFFICE)

 アトウッドは、TVドラマにもなった宗教的ディストピアを描く《侍女の物語》、ウィルスにより人類社会が滅亡する《マッド・アダム三部作》、ブッカー賞受賞作のメタフィクション『昏き目の暗殺者』と幅広い読者層に受け入れられ、長編の多くは翻訳されている。ただ、短編集の紹介はそれに比べれば少ない。本書は最新短編集ではないが、(多くが)老年の主人公によるキング風ホラーが味わえる読みやすい短編集になっている。

 アルフィンランド:ファンタジー小説がベストセラーとなった作家も老境を迎えた。亡くなった夫が耳元で囁き、デビュー前に同棲し破綻した詩人との過去が去来する。 
 蘇えりし者:それなりに名をなした詩人は、今は衰弱し若い妻に介護される身だった。しかも、インタビューに訪れた大学院生は心外な質問をしてくる。
 ダークレディ:双子の兄妹がいる。妹は詩人の追悼式に出たいという。荒れた青春時代に同棲したことがあったのだ。だが、いがみ合ったファンタジー作家とも会うだろう。
 変わり種:家族の中でわたしだけが死ぬことになる。棺に納められ土に埋められるが、そこにはいない。異形の姿に変身して夜の村内を徘徊する。
 フリーズドライ花婿:妄想癖のある骨董商が、氷雨の中のオークションで競り落とした放置倉庫を確認すると、手付かずの衣装や備品が出てくる。 
 わたしは真っ赤な牙をむくズィーニアの夢を見た:3人の女たちがいたが、みんな1人の女に夫を寝取られていた。その最悪の女は死んだはずだった。
 死者の手はあなたを愛す:主人公は貧乏学生時代に、シェアハウスの家賃と引き換えに執筆中のホラー小説の権利を4人で分ける。やがて、その作品がベストセラーになる。
 岩のマットレス:リタイアした主人公は北極クルーズの船に乗る。そこで、高校時代に人生をめちゃくちゃにされた男と再会する。相手は気づいていないようだった。
 老いぼれを燃やせ:富裕層専用の介護ホームで暮らす主人公は、視力が衰えた上に幻覚が見える。老人施設連続放火の報せが流れ、ここにも暴徒が押し寄せてくるが。

 冒頭の3作品は登場人物が共通する。後に(そこそこの)名声を得る詩人が、詩の題材に使った同棲相手の女。女は詩人仲間から鼻で笑われながらも、エンタメ小説を書き成功する。貧乏生活の中で詩人を奪い合った、もう一人の同棲相手である双子の妹と冷静な分析を下す兄も登場する。誰もが日常生活を危ぶまれる老人になっている(ファンタジー作家は雪道で遭難しかかり、詩人は老害を隠そうともしない)。遠い過去の怨恨は(あとの記憶が薄らぐため)かえって老人になるほど深くなる。ただ、それは直截には描かれない。ファンタジー小説のメタファーとして解き明かされる。

 「変わり種」は吸血鬼なのに悪戯お化けのようだ。「フリーズドライ花婿」や「わたしは真っ赤な牙をむくズィーニアの夢を見た」では、クセのある登場人物が驚きの行動を見せる。「死者の手はあなたを愛す」では、分け前が不満な老境のB級ホラー作家が真実を知り、「岩のマットレス」(原著では表題作)では、仕事を引退した主人公が高校時代のレイプ当事者に完全犯罪を仕掛ける。一方、日本版の表題作「老いぼれを燃やせ」の場合、追われるのは老人たちになる。

 ファンタジー作家やホラー作家などは、儲けは多いにしても下に見られがちだ。アトウッドは文学の人ではあるが、グラフィックノベルなどを書いてエンタメ業界も知っている。そういう業界内や、作家間の差別意識も描かれている。後半の3作品はリタイヤ以降の老人が主人公で、リベンジというよりもっと酷い殺人を図ろうとする。その根源には、表題作に登場する暴徒たちの「働いていない老人に食わせるくらいなら(無駄なので)殺してしまえ」という、いつの時代/どこの国にも湧いてくる弱者苛めに対する恐怖心があるのかもしれない。10年前の著者が、自身の未来を想定して書いた老人小説ということで面白く読めた。

ステファン・テメルソン『缶詰サーディンの謎』国書刊行会

The Mystery of the Sardine,1986(大久保譲訳)

装画(コラージュ):M!DOR!

 国書刊行会《ドーキー・アーカイヴ》の最新刊。ステファン・テメルソン(1910-88)は亡命ポーランド人の作家である。ポーランド時代は妻のフランチェスカと共に「ザ・テメルソンズ」と呼ばれるコンビで絵本や前衛映画などを制作したという。1942年から英国に移り、小説は英語で書いた(その半世紀前のジョゼフ・コンラッドとよく似た経歴)。著作には多くの児童書や絵本、評論などがあるが本書が日本での初紹介となる。本叢書のパンフレットの中で「SFでもあり幻想小説でもありユーモア小説でもあり……とにかく変な小説です」(若島正)と紹介されたもの。

 ロンドンの仕事場と田舎の自宅を往復していた作家が亡くなる。すると作家の妻と秘書は恋人同士になりスペインのマヨルカ島に旅立つ。島には哲学者の親子が住んでいる。新聞配達をする少年はラブレターを入れる。哲学者のもとにジャーナリストの青年が訪ね、死んだ作家の瞳の色を質問する。そこに、黒いプードルが現れ突然爆発する。

 以上で全体の1割あまり。登場人物が次々と現れ、お話は容赦なく進んでいく。難解な文章はないし、それぞれのエピソードも分かりやすいが、事件と事件の関連性に起伏がなく、人間のつながりがとてもドライだ。冒頭の作家は、憎悪こそが創作を盛り立てると言う。ところが、本書の中にそういう激しい感情は(単語としてあっても)ほとんど描かれない。リアルさは重要視されず、登場人物が唐突に持論を開陳したりする。それも、台詞を棒読みするように。

 さてしかし、物語が支離滅裂なのかというとそんなことはない。登場人物たちの複雑な関係が明らかになり、缶詰サーディンの(驚くべき)解決もなされるからだ。プロットは計算されている。東欧革命以前のポーランドは皮肉っぽく描かれるし、ここは別の地球なのかと匂わせる章があり、村上春樹がSFなら本書もSFといえる部分はあるだろう。とはいえ、いったい何を読まされたのかは、最後まで目を通しても分からない。

 米国では書評家から「タイトルを(内容が)超えない」とされ不評だったようだ。しかし、『銃、ときどき音楽』のジョナサン・レセムが夏休みの読書に推奨し、日本でも『アマチャズルチャ 柴刈天神前風土記』深掘骨が評価するなど、変わった作品を書いている人/読みたい人には刺さるのである。少なくとも、他では読めない小説だ。

アンジェラ・カーター『英雄と悪党との狭間で』論創社

Heroes and Villains,1969(井伊順彦訳)

カバー画像:SK_Artist/Shutterstock.com
装丁:奧定泰之

 変格ものが多い《論創海外ミステリ》から出た本書は、《文学の冒険》叢書の『夜ごとのサーカス』(1984)や、《夢の文学館》に含まれる『ワイズ・チルドレン』(1991)などで知られる英国作家アンジェラ・カーター(1992年に52歳で亡くなっている)の初期作にあたる。オールディス&ウィングローヴの評論『一兆年の宴』(1986)で、(カーター作品の中では)はっきりSF的に書かれためったにない作品として紹介されている

 主人公は教授の娘で、共同体の白い塔に住んでいる。共同体の境界には堅固な壁が作られ、見張り塔が周囲を監視していた。不定期に蛮族が襲ってくるからだ。兄は警備隊の兵士だったが、警戒の緩んだ祭の日、襲来した蛮族に殺されてしまう。数年後、家族をすべて失った主人公は、偶然助けた蛮族の青年と共同体を離れ、彼らと共に荒れ果てた世界を放浪することになる。

 核戦争らしい大災厄の結果、世界の秩序は失われている。主人公の生まれた小さな共同体では農業や一部の工業が生きているものの、徘徊する蛮族や外人(アウトピープル)は奪うばかりで学ぼうとはしない。本を所蔵する知識階級は「博士」や「教授」などと称される。だが、学識を尊ばれるというより呪術的な存在と思われている。

 本書は、アフター・デザスター/ポスト・アポカリプスといったサバイバルの物語ではない。文明論とも違う。主人公は結果がどうあれ、文明による束縛(社会的義務、家族や婚姻)からの解放を希求しているように思える。書かれたのがベトナム戦争(1955~75)のただ中で、世界秩序が揺らいでいたことも関係しているかもしれない。

 ところで、主人公や蛮族の青年は、さりげなく本の一節や格言を口にする。それは教養の残滓ではあるのだが、文明が失われたことを逆に強調する効果を上げている。

レベッカ・ヤロス『フォース・ウィング 第四騎竜団の戦姫』早川書房

Fourth Wing,2023(原島文世訳)

扉デザイン 名久井直子
Cover art by Bree Archer and Elizabeth Turner Stokes
Stock art by Paratek/Shutterstock; stopkin/Shutterstock; Darkness222/Shutterstock

 ロマンタジー(ロマンス+ファンタジーからなる造語)という、聞いたことがあるようなないような新ジャンルが、昨年から英米を中心に流行っているようだ。筆頭のサラ・J・マース10年ほど前に邦訳があるが、当時は全く注目されなかった)などは3700万部を売ったのだという。本書の著者レベッカ・ヤロスはロマンス小説の書き手(現在も)だったが、今ではマースと並んで注目を集めるベストセラー作家である。本を紹介するBookTokなどSNSで、絶大な人気を博したのが要因とされる。

 高い山脈により東西に分かたれた大陸に、2つの競い合う王国があった。主人公は西の王国にある軍事大学騎手科に入学しようとしている。もともと書記を志望していたのに、軍の要職に就く母の意向には背けなかった。騎手科は竜に乗れるため志望者は多いが、卒業までの生存率が極めて低いことでも知られている。しかも、学内には彼女と敵対する学生が何人もいる。

 まず、上司であり実母でもある司令官との相克がある。次に入学試験(吹きさらしの一本橋を渡りきる)や軍事訓練だけでなく、竜との相性などあらゆる理由で死が正当化される大学生活があり、学友には過去の叛乱に関与した子孫がいて常に監視されている。なんとも殺伐とした雰囲気だ。ただ、そんな敵ばかりと思われた中に、極めて強く惹かれるパートナーが現れる。それは竜との絆とも関係していた。

 本書が本当に新しいのかは、先行作(解説でも指摘がある《パーンの竜騎士》《テメレア戦記》《ハリーポッター》から《ハンガー・ゲーム》まで)との類似点も多く異論が出てきそうだが、ロマンス小説との融合となると確かに新しい。こういうジャンルが苦手なSF作家には、書き難い作品とはいえるだろう(官能ファンタジーを書くアン・ライスなどはいたが)。情交シーンにしても、濃厚であってもハードコアではなく、エロティック・ロマンスなりのレギュレーションに則って書かれていると思われる。

 では、なぜいまロマンタジーが流行るのか。本書はマーチンの《ゲーム・オブ・スローンズ》とも似ている。登場人物が理不尽なほど次々と亡くなるし、強大で不気味な敵まで出てくる。しかし、マーチン特有のあのダークさはない。最近のファンタジーには、居心地の良さやロマンチックさが求められるという(冒頭のリンク記事参照)。フィクションには、現世の不安(=明日どうなるか分からない)を打ち消す光明が求められるからだろう。本書の主人公の運命は、前途多難とはいえ暗さを感じさせないものなのだ。

 シリーズなので続刊あり(原著は2巻目まで既刊、3巻目もラインアップ済み)。

マット・ラフ『魂に秩序を』新潮社

Set This House in Order,2003(浜野アキオ訳)

カバー:Diana Lee Angstadt/Getty Images

 新潮文庫の《海外名作発掘シリーズ》から出た本。本書は原著が2003年なので古典というにはやや新しく、アザーワイズ賞(旧ティプトリー賞)を受賞したといってもマイナーな作品だろう。その分、2分冊~3分冊にすべきところを1冊にする(新潮文庫最厚を謳う)など、編者の強い推しを感じさせる。マット・ラフはエンタメ作家でありながら、ジャンル小説(ミステリ、SF、サスペンス、ノワール、ホラー、ジェンダーなど)の枠組みを意図的に逸脱している。しかも、本書では登場人物自体が「はみ出して」いるのだ。

 ぼくはシアトルの東にある小さな町で下宿している。父たちとも同居しているのだが、そこは下宿(リアルの住居)とは別にある「魂の家」(原題のHouse)なのだ。一階は素通しの大部屋、二階には観覧台があり、コの字型の回廊沿いにたくさんの同居人たちの部屋が並んでいる。ただし、父も同居人たちもすべてがぼくだった。

 症状のため定住が難しかった主人公は、なんとかソフトのベンチャー企業に職を得る。女社長が理解してくれたからだ。そこにもう一人、同じ問題を抱えた女性が加わる。ただ、彼女の症状は安定していなかった。やがて、登場人物たちの過去が徐々に明らかになっていく。

 多重人格をテーマとしている。いわゆる多重人格障害(MPD)は、現在では解離性同一症 / 解離性同一性障害(DID)と記すべき症例である。あえて旧表記とする理由、分離した人格を(断片と考えるのではなく)「魂」とする理由は著者自身が書いたQ&Aで述べられている。そもそも、原著の副題が A Romance Of Souls なのだ。本文中にも言及があるが、ビリー・ミリガンのような多重の人格を、その当人の視点で描いた作品である。第1部(全体の3分の2)では、主人公と女性(その多重人格)、女性社長、下宿の管理人などそれぞれの暗部が語られ、第2部では大本となった事件の真相を探るサスペンスとなる。後半はちょっと駆け足か。

 本書は分厚すぎ(重すぎ)、と躊躇されるかもしれない。それならば、13年後の作品でドラマ化された『ラヴクラフト・カントリー』(600ページとやや薄い)もある。テーマは全く違うが、社会問題を巧みに織り込む技法はより進化していて物語のバランスも良い。