ラヴァンヤ・ラクシュミナラヤン『頂点都市』東京創元社

The Ten Percent Thief,2020/2023(新井なゆり訳)

カバーイラスト:緒賀岳志
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 著者はインドの作家、ゲームデザイナーでインド南部にあるハイテク拠点都市ベンガルール(旧名バンガロール)に在住インド系米国作家米国在住作家の本はこれまでもあったが、インド在住の作家が書いたSF単行本(文庫)は、これが本邦初紹介となる。2021年のタイムズ・オブ・インディアのオーサー・アワード新人賞(女性作家が対象)やバレー・オブ・ワーズ賞を受賞し一躍注目を集めた作品だ(当時の書名はAnalog/Virtual)。2024年にはアーサー・C・クラーク賞の最終候補にもなった(この再編集バージョンThe Ten Percent Thiefが本書)。目次もなく短編集とは書かれてはいないが、「頂点都市(Apex City)」を舞台とする20の短編を集めた連作短編集である。

 大規模なな気候変動のあと旧来の国家は崩壊し、世界にはエリートが支配するいくつかの都市が点在するのみ。都市は外部と境界シールドで隔てられている。「頂点都市」はベル機構が支配するデジタル・ユートピアだった。市民はヴァーチャル民と呼ばれるが、そこは激しい競争社会でもある。特権階級である上位2割に食い込もうと、7割の市民がソーシャルメディア・スコアを競っているのだ。残り1割のアナログ民はネットから切り離された奴隷階級だった。

 この物語には共通の主人公はいない。1割のアナログ民のためにヴァーチャル民から盗みを繰り返す怪盗、上位民になんとか這い上がろうとする中間民の男、地下に潜み逆転を画策するレジスタンス、失業でアナログ民への転落におびえる中間民の女、アナログ民の貧困を社会見学するツアーガイド、シェア数に左右されるインスタスナップのインフルエンサーなどなど。いく人かの重複はあるものの、それぞれの短編のなかで個性的な人物が次々登場する。

 (独立後の憲法で禁止されたとはいえ)インドのカースト制は社会差別の源泉だった。IT産業はその悪しき伝統を実力(個人の能力)で克服するはずだったが、本書では皮肉にもヴァーチャル(=IT化の恩恵を受ける階層)とアナログ(=受けられない階層)の格差となって甦っている。本書で描かれるのは、インドとは限らないデフォルメされた現代の競争社会である。ベル機構は今風テック企業に近い組織で、生産性を下げる意見は許されず、ランクが落ちるとネットワーク(生活そのもの)からはじき出されてしまう。それが恐怖政治となって市民は従わざるをえないのだ。異国風エキゾチックさを強調せず(国外の読者におもねることなく)、近未来ディストピア(からの脱却)SFとして自然に読み通せて面白い。

ナオミ・オルダーマン『未来』河出書房新社

The Future,2023(安原和見訳)

装丁:大倉真一郎
装画(キャラクター):くるみつ

 著者マーガレット・アトウッドに師事した英国の作家で、ゲームライター、BBCラジオ科学番組のプレゼンターなど多彩な仕事をこなす才人だ。先に出た『パワー』(2016)は、ベイズリー賞(現在の女性小説賞Women’s Prize for Fiction)を受賞し、世界的なベストセラーになりドラマ化もされた。本書は、(GAFAのような)テック企業の覇者たちがたくらむ「未来」に、一人の(ユーチューバーのような)動画配信者が関与していくという物語である。なお、表紙のウサギとキツネのキャラは農耕民と遊牧民を象徴したもの(何のことかは本書で)。

 ソーシャル・ネットワーク企業のCEOは、瞑想中に緊急の警告メッセージを受ける。同じころ物流大手のCEOや、パーソナル・コンピュータ企業のCEOにも同様の通知が届く。それは、世界の終末が到来することを告げていた。始まりは数ヶ月前、シンガポールでのイベント中に、サバイバルを専門とする人気配信者が正体不明の暗殺者に追跡される事件からだった。

 群像劇だがメインの主人公は香港系英国人の配信者で、パーティで知り合ったSNS企業の秘書と関係を持ち(どちらも女性)幹部たちと接近する。FacebookやTwitter(X)、Amazon、Appleなどのいわゆるテック系世界企業がモデル(『透明都市』を参照)である。設定は出版された2年前のテック勢力図を反映していて、AI(AUGR=オーグル)は出てくるものの主役ではない。

 ビッグテックも、もともとはベンチャー企業だった。創業メンバーには自社株が割り当てられ、株価が高騰した結果(雇われCEOなどとは比較にならない)巨万の富が得られたのだ。ただ、彼らの関心は自分たちの肥大化にあり、富を世界の救済に使おうとは思っていない。本書に出てくる富豪たちはさらに矛盾に満ちており、世界の絶滅を恐れ少数の仲間だけの生き残りを画策する。大部の物語だが、意外な結末まで二転三転しながらも一気に読み進められる。

 2025年になって、テック企業の非倫理性や権力への追従(対象が本書で描かれた中国ではなく、母国アメリカなのは皮肉なことだが、要するに強い権力であれば誰でもよいのだ)はより顕著になった。そのため、ここに提示された地球環境的な「未来」(その是非はともかく)を実現する推進力は弱まってしまった。日々変わる状況に合わせて課題を整理し、アップデートしていく責任はむしろ読者の側に委ねられている。

チャールズ・ウィリアムズ『ライオンの場所』国書刊行会

The Place of the Lion,1931(横山茂雄訳)

装幀:山田英春
装画:Hortus Sanitatis,1491より

 《ドーキー・アーカイヴ》の9作目(全10巻)。著者チャールズ・ウィリアムズは、C・S・ルイスやトールキンらのグループ〈インクリングズ〉に関わった重要な作家である。特にルイスの『かの忌わしき砦』や《ナルニア国物語》などに影響を与えたようだ(訳者解説)。しかし、既訳が半世紀前に翻訳された『万霊節の夜』(1945)のみの日本では、これまでほとんど知られてこなかった(『天界の戦い』(1930)が本書とほぼ同時に翻訳されたので、にわかに注目が集まっているのかも)。この作品が叢書に選ばれたのには、訳者40年来(京大幻想文学研究会当時から)の思い入れという理由もある。

 ロンドン郊外の田舎町でバスが来るのを待っていた2人の青年は、見世物小屋から一頭の雌ライオンが逃げ出したと聞く。直後、とある邸宅で一人の男が襲われ倒れるのを目撃する。だが、なぜかそのライオンは堂々とした雄なのだった。男に怪我はなかったが、意識は回復せず奇妙な現象が起こるようになる。

 舞台は執筆当時(1930年ごろ)の英国。登場人物は、文芸雑誌の青年編集者とその友人、スコラ哲学者アベラールを研究する女学者、蝶の収集に明け暮れるその父親、意識不明になった男は〈イデア〉の実現についての講演会を主催していたらしく、主張を信奉する複数の男女がいる。彼らは、ライオンだけでなく、巨大な蝶、王冠をいただいた蛇、鷲や馬を目撃するようになり、その力はついに世界へと物理的な影響を及ぼすようになる。動物の群れに見えたものは、プラトンの〈イデア〉なのであり〈本源的形相〉で〈力〉なのだった。

 ウィリアムズはオカルティズムにも造詣が深く〈黄金の暁〉にも所属していたことがある。ただ、本書がオカルトの啓蒙書なのかと言えばそんなことはなく、実際刊行された当時は「神学的スリラー」「形而上学的ショッカー」などと称されていたらしい。スリラーにショッカーなのだから、あくまでもエンタメなのである。とはいえ、本書の中で登場人物たちはキリスト教神学やギリシャ哲学を交えた(予備知識は必要ないものの)衒学的な会話を繰り広げるので、我々がイメージするエンタメ小説とはかなり印象が異なる。

 超自然的な〈力〉といっても、形而下的なクトゥルーなどとは対照的な存在なので、叢書《ドーキー・アーカイヴ》における特異な奇想性によく似合った作品といえる。

スティーヴン・キング『フェアリー・テイル(上下)』文藝春秋

Fairy Tale,2022(白石朗訳)

装画:藤田新策
装幀:石崎健太郎

 昨年に作家生活50周年を迎え、日本で何冊かの記念出版が行われたキングだが、アメリカで100万部を超えるベストセラーになった『フェアリー・テイル』(試し読み版もある)は、そのトリを飾る大判のハードカバーである(評論を除けば、この判型=A5サイズは『アトランティスのこころ』以来23年ぶりか)。

 主人公はハイスクールの学生で、身長が190センチある体育会系のスポーツマン。ただ、母を悲惨な事故で亡くし、父親はアルコール依存症からようやく立ち直ったばかりという複雑な家庭環境にある。しかし、自宅近くにある荒れた邸宅で独居老人を助けたことで運命は一変する。納屋に隠された地下深くの通路を抜けた先に、月が2つ輝き、赤い罌粟の花が咲き乱れる王国があると聞かされるのだ。少年は老犬とともに異世界へと旅立つ。

 犬は老人が飼っていた雌のジャーマンシェパードで、少年に懐いてはいたものの体調が思わしくない。地下から行ける王都には若返りが可能な日時計があるという。加齢が原因なら助かるかもしれない。それが少年の動機となる。だが、王都には異変が起こっていた。灰色病と〈夜影兵〉に襲われ都は無人化、かつての王族も排除され異形の〈飛翔殺手〉が支配している。

 フェアリー・テイルとはお伽噺のことで、ジャンル一般を指す普通名詞である。キングはあえてそれを標題に据えながらも、冒頭の献辞をR・E・ハワード、E・R・バローズ、H・P・ラヴクラフトに捧げている。つまり、コナン的な偉丈夫→アメフトヒーローの高校生、エキゾチックな火星美女と戦争の世界→魔法に罹った女性とハンガー・ゲームの世界、クトゥルーの邪神→地下に潜む魔物という、キング流に変換されたお伽噺=ファンタジイにしている。現実世界との接地を忘れない著者らしいアレンジといえる。

 他でも、オズのエメラルドの都、ジャックと豆の木、原典に近いグリム童話、ディズニーの人魚(アリエル)とコオロギ(ジミニー・クリケット)、三匹の子ぶた、ピーターパン、ブラッドベリ『何かが道をやってくる』《ダーク・タワー》のガンスリンガーなど、さまざまな自己言及や引用に満ちている。こういう総集編的な作品は(執筆当時)75歳になったキングの、これまでの仕事に対するけじめ、あるいは記憶を再演する試みなのかもしれない。著者は“What could you write that would make you happy?”「誰もがふさぎこむコロナ禍のなかで、みんなを元気にするものを書いてみろ」(訳者あとがき)と考え本書を書いたという(後半のyouはキング自身を指すとも取れる)。その結果、たしかに物語はハッピーエンドを迎えるが、いくらか含みを持たせた終わり方になっているように思える。

ペン・シェパード『非在の街』東京創元社

The Cartographers,2022(安原和見訳)

装画:引地 渉
装幀:岩郷重力+W.I

 著者はアリゾナ生まれの米国作家。多くのファンタジイ作品を含む創元海外SF叢書に相応しく、本書は地図(原題はカルトグラファーズ=地図制作者たち)をテーマとしたアーバン・ファンタジイである。複数のベストセラーリストに名を連ね、2023年のミソピーイク賞の最終候補作にもなった。

 主人公はレプリカの古地図を制作する小さな会社でくすぶっている。地図学者として将来を嘱望されながら、7年前にニューヨーク公共図書館で上司である父親との深刻なトラブルを引き起こし、業界に残ることができなくなったのだ。しかし、父の突然の死が知らされ、遺品のような形で古い道路地図が手に入る。ガソリンスタンドで売られた何の変哲もない地図が、なぜ厳重に保管されていたのか。その日を境に、奇妙な事件が立て続けに発生する。

 幼い頃に母を亡くし、主人公は図書館の地図に囲まれて育つ。トラブルも地図にまつわる出来事だった。やがて、道路地図を捜す謎の人物が見え隠れし、秘密結社のようなカルトグラファーズの存在を知る。地図には「非在の街」が載っているのだ。

 アメリカは車がなければどこにも行けない国である。国土の大半が茫漠とした田舎だからだ。今でこそGoogleマップのせいで廃れたが、折りたためる地図は当時の必需品であり、販売各社の競争も激しかった。そのため、地図会社は著作権を守るためコピーライト・トラップを入れる(詳細は著者あとがきに書かれている)。とはいえ、これは設定の一部に過ぎない。フィクションとファクトをつなぐ『夢見る者の地図帳』に憑かれた男女大学院生たちの青春ドラマが主眼なのであり、15年前の事件について一人一人が物語られていくことで、真相と今に至る犯人の目的が明らかになっていく。悪役の怖さがちょっと伝わり難いのが難点だが、当たり前の道路地図から展開する謎の解明はスリリングだ。ル=グイン(サンリオ表記)『天のろくろ』がヒントになる、といっても最後まで読まないと分かりません。

スチュアート・タートン『世界の終わりの最後の殺人』文藝春秋

The Last Murder at the End of the World,2024(三角和代訳)

カバー画像:iStock/Getty Images
装幀:城井文平

 著者は1980年生まれの英国作家。デビュー作のベストセラー『イヴリン嬢は七回殺される』(2018)は、新奇性のあるタイムループ×殺人事件ものとしてSFやミステリ界隈でも話題になった。本書はタートンの長編3作目にあたり、既訳の『名探偵と海の悪魔』(2021)を含め(広義の)クローズド・サークルもの3部作になるらしい。今回の舞台はアポカリプス後の島なので、確かに閉鎖された環境(第1作=時間の輪、第2作=洋上の船、本書=閉ざされた島)という点で共通する。

 ギリシャのどこかを思わせる閉ざされた島、周囲にはバリアが張り巡らされ、死の霧が侵入するのを押しとどめている。世界はその霧によって滅び、百人余りの村人がかろうじて生き残っただけなのだ。村は科学者の長老たちによって支配されている。村人の頭の中には助言者エービイが棲み、仕事や睡眠の時間まで指図をする。そんな秩序が保たれた島で、ありえない殺人事件が発生する。

 外見は若いのに村人の何倍も生きる長老たち、頭の中で聞こえる声、コントロールされた村の生活や山中に作られたドーム、このあたりの謎は物語の半ばまでで徐々に明らかにされる。そして、殺人事件の発生により、島の生活は一気に不安定化する。後半は、混乱の中での犯人捜しと犯行動機を探るミステリになる。SF的なガジェットを制約条件として巧く使い、不可解な殺人(=特殊設定)の謎を解きほぐしていくのだ。

 ウィンタース『地上最後の刑事』に始まる3部作は、破滅が目前に迫る中でのミステリなのでよく似た設定といえるが、こちらは謎めいた破滅後(ポストアポカリプス)の世界に、たたみ掛けるように第2の破滅が迫ってくる展開が予想外で面白い。

ロブ・ハート『パラドクス・ホテル』東京創元社

The Paradox Hotel,2022(茂木健訳)

カバーイラスト:シマ・シンヤ
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 著者は1982年生まれの米国作家。ジャーナリスト、編集者などを経て、これまでちょっと変わったミステリを書いてきた。5年前にノンフィクション仕立ての小説『巨大IT企業クラウドの光と影』(2019)が翻訳されている。ベストセラーになった代表作『暗殺依存症』(2024)は、アルコール依存症のような暗殺依存症患者が主人公のお話で、今月翻訳が出たばかりだ。本書も、NPRベストブック2022年カーカス・レビューの2022年ベストSFFに選出された注目作である。

 時間旅行が民間にも開放された未来。主人公はアインシュタイン時空港(タイムポート)に併設されたパラドクス・ホテルの警備主任で、元時間犯罪取締局(TEA)の調査官だった。しかし、長年のTEA勤務で時間離脱症(アンスタック)を患い、仕事を変わらざるをえなくなった。症状は突発的に襲ってくる。過去や未来を不連続に幻視してしまうのだ。折しもホテルでは、時空港事業の売却をめぐる政治家を交えたサミットが開催されようとしていた。

 主人公には事故死した恋人がいた(どちらも女性)が、幻視で姿が見え声も聞こえる。それだけではない、触れられないはずの幻影が次第に実体を伴っていく。

 時間ものといっても、この作品はタイムトラベルに人を送り出す側(時空港外のバックヤードの人々)が描かれる。コニー・ウィリス《オックスフォード大学史学部》とか、ジョディ・テイラー『歴史は不運の繰り返し』などに近いだろう。時間旅行自体のリアルな描写はほとんどなく、個性的な登場人物たちの行動は、コミカルだったり風刺的(権威を振りかざす上院議員、高慢な大富豪など)だったりする。

 アンスタックはPTSDのフラッシュバックのような症状だが、それがホテルを不連続な時間の流れに巻き込んでいく。説明するのに(映画「インターステラー」とか「TENETテネット」的な)ブロック宇宙論(時間は離散的なもので、連続する流れは幻想だという)が援用されるものの、ロジカルに時間の謎を解明するのが本書のテーマではないだろう。

 本書の主人公には協調性がなく(常にけんか腰)、忖度もしない(尊大な宿泊客や議員を遠慮なく怒鳴りつける)。同情すべき過去はあるのだが、凄腕に一目置かれるとしても、ご一緒したくない危ないキャラである(設定上は仲間から好かれていることになっている)。荒れる主人公と相棒のAIドローン、それに死んだ恋人という組み合わせが面白い時間ものなので、このキャラに共感できるかがポイントになる。

R・F・クァン『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史(上下)』東京創元社

Babel Or the Necessity of Violence: An Arcane History of the Oxford Translators’Revolution,2022(古沢嘉通訳)

装画:影山徹
装丁:岩郷重力+W.I

 著者は1996年に中国で生まれたアメリカ作家。中国研究や東アジア言語学のエキスパートだが、本書には、英国のケンブリッジやオックスフォード(ユニヴァーシティ・カレッジ)で修士号を得た際の経験が加味されている(学士はジョージタウン大学、博士号はイェール大学)。余計な忖度でヒューゴー賞は逃したものの、2023年のネビュラ賞ローカス賞を受賞、他にもブリティッシュ・ブック・アワードや中国の第15回華語科幻星雲賞を受賞、ニューヨークタイムズ・ベストセラー・リストに挙がるなど、幅広い支持を集めた作品だ。翻訳も刊行後忽ち重版と好評。

 1829年、清朝末期の広東の下町で、母を喪った身寄りのない少年のもとに教授が訪れ、英国本土に連れ出そうとする。慈善などではない。それには功利的な意図があった。オックスフォードに設けられた王立翻訳研究所のためなのだった。

 翻訳研究所は、オックスフォード(大学は町中に点在する複数のカレッジ=コレッジの集合体)のバベルと呼ばれる8階建ての塔にある(実在はしない)。19世紀の大英帝国は、銀の力により覇権を唱えていた。銀の棒はパワーの源だった。取り付ければ船足が上がり砲弾の飛距離を増す。棒には2種類の文字が刻み込み込まれる。この2つ(ひとつは原語、もうひとつはそれを翻訳した英語)の差異の大きさによって棒のパワーが決まる。つまり大きく異なる言語、中国語の遣い手には価値があった。翻訳研究所は有力な文字の組み合わせを研究開発する。さまざまな言語の翻訳に関する蘊蓄が一つの読みどころとなる。

 少年は名前を英語名のロビンと改め、厳しい語学の勉強を経てオックスフォードに入学する。同期にはインド人男性、ハイチ出身の黒人女性、学びを疎んじられた白人女性がいた。この目的がなければありえない仲間だった(白人男性以外は、学問に適さないとみなされていた)。研究に従事する限り十分な生活が保障される。しかし、この研究所の真の意味が分かるようになったとき、4人の運命は大きく変わっていく。

 解説にもあるが、本書は《ハリー・ポッター》風の魔法学園ものでもある。はじめ打ち解けなかった4人の仲間が、友情を深め力を合わせる展開は既存の学園ファンタジイを思わせる。やがて、出自に伴う差別や偏見が生まれ、学園にまつわる暗黒面、教授たちの政治的な策謀が明らかになっていく。ここで《ハリー・ポッター》などと異なるのが、リアルな英国を舞台に設定したことだろう。

 この時代の大英帝国は、まさに「悪の帝国」だった。銀の棒は蒸気による産業革命のアナロジーである。そこで生まれた生産性は善に結びつかず、極端な貧富の差と富者の強欲を産み出した。麻薬流通の自由化を名目に戦争を仕掛けたアヘン戦争(1840~42)、飢餓のアイルランド(当時は英国領)にろくな援助もせず人口を半減させた大飢饉(1845~49)、何より生産革命で生じた自国の余剰労働者(女性や子どもを含む)を過酷な仕事に従事させ、マルクスが『資本論』(イギリスの工場労働者の状況を詳しく分析)を書く動機となったことなど、世界紛争の火種が19世紀英国にはある。そういうダークな背景は、本書の物語に深い陰影与えている。作者が付ける原註が、客観的というよりかなり主観的なのも、著者の考えが分かって面白い。

A・J・ライアン『レッドリバー・セブン:ワン・ミッション』早川書房

Red River Seven,2023(古沢嘉通訳)

カバービジュアル+デザイン:岩郷重力+M.U

 著者は1970年生まれの英国作家。10年ほど前にアンソニー・ライアン名義で『ブラッド・ソング』(3部作の第1部)が紹介されている。著作の大半はファンタジイだが、その執筆の合間にあえてペンネームを変えて出したSF長編が本書。

 ふと目覚めると、主人公たちは船の上にいる。しかし断片的な記憶はあるものの、自分の名前すら思い出せない。剃られた頭には覚えのない手術痕があり、そして、デッキには死亡後間もない死体がある。ここは一体どこなのか。

 レッドリバーとは文字通りの赤い川のこと。セブンとは主人公たち7人を指し、なぜか著名な作家名(ハクスリー、コンラッド、ジーン・リース、ゴールディング、シルヴィア・プラス、ディキンスン、ピンチョン)がコードネームのように割り当てられている(作家名と登場人物の役割には、深い関係はないようだ)。男女7人(冒頭で1人は亡くなっている)が、一つの使命を担って赤い川を遡っていく物語なのだ。

 一見デスゲームを思わせる滑り出しで、帯にはサバイバル×ディストピアとあり、両方の要素は確かにあるが、どちらともちょっと異なる展開になる。『最後の宇宙飛行士』や、《サザーン・リーチ》に近いお話だろう。得体の知れない異形の世界を、限られた情報だけを頼りに手探りで進んでいくところが似ている。しかも、この謎のチームには(終幕であきらかになる)重大なミッションが与えられている。2023年に読んだ中では一番と訳者が推奨する、一気読みエンタメ作品である。

T・キングフィッシャー『死者を動かすもの』東京創元社

What moves the Dead,2022(永島憲江訳)

装画:河合真維
装幀:岡本洋平(岡本デザイン室)

 T・キングフィッシャーは1977年生まれの米国作家、イラストやコミックで活躍するアーシュラ・ヴァーノンの筆名である。アンドレ・ノートン賞など多数を受賞したヤングアダルト向けの『パン焼き魔法のモーナ、街を救う』(2020)が、3年前に翻訳されている。本書は、ポーの短編「アッシャー家の崩壊」(1839)のオマージュというか、新解釈作品とでもいえるもの。原著の雰囲気を生かしながらも全く新しい作品にしている。2023年のローカス賞ホラー部門受賞作

 幼なじみの親友からの手紙を受け、退役軍人の主人公は友が住むという館を訪れる。そこは沼の畔に建つ大邸宅だったが、恐ろしいほど荒れ果てていた。出迎えてくれた双子の兄はひどくやつれており、妹は床に伏せっている。館には、他に滞在中のアメリカ人医師がいた。館の周りには奇妙なキノコが生え、熱心に観察する菌類愛好家と称する女性と知り合う。

 ポーの原著は謎が明らかにされないまま終わっているので、そこを補完する物語を書きたかったのだという(著者あとがき)。どういう話になったのかは、書名で見当がつくかもしれない。さらに、東欧か中欧かにある架空の国ガラシアの「宣誓軍人」を主人公に配している。それってなにと思った人は本編を読んでいただきたい(同一主人公の続編も既に書かれている)。キノコの専門家まで出てくるので、ホジスン池澤春菜を連想した人もいるだろう。

 結果として、本書は「怪奇な」ポーとは趣の異なる「ホラーな」作品となった。幽霊や呪いのような超自然現象ではなく、SF的で説明可能な(マニアックな)範疇に収めたところが本書の新たな視点といえる。