ジリアン・マカリスター『ロング・プレイス、ロング・タイム』小学館

Wrong Place Wrong Time,2022(梅津かおり訳)

カバーイラスト:最上さちこ
カバーデザイン:大野リサ

 著者は1985年生まれの英国作家。本書はリース・ウィザースプーンによるブッククラブに選ばれたことでベストセラーとなった話題の本である。家族を主役にしたファミリー・サスペンスドラマだが、タイムループ的な設定が重要な役割を果たす。表題の「ロング」はlongではなくwrong、運悪く(悪いことに)巻き込まれるの意だが、それと主人公の気まぐれなタイムスリップ現象を掛けているようだ。

 主人公は亡くなった父親の事務所を引き継いだ離婚専門の弁護士、夫は寡黙な自営内装業者で、高校卒業間際の一人息子がいる。ところが、深夜に帰宅した息子は、自宅の前で誰かともみ合いになり相手を刺し殺してしまう。何があったのか。凶器のナイフは息子の持ち物か、殺された男は何者か。主人公にはどちらも全く思い至らない。

 そこから、家族の隠された秘密が明らかになっていく。本のプロモーション文の範囲で書くが、事件の翌日から(一日が終わるたびに)主人公は過去に遡っていく。しかも、最近の映画(2分という極端なものまで)や小説(例えばこれ)に描かれた一定時間のループではなく、その起点が過去に数日、数週間とずれていくのだ。つまり、タイムループというよりタイムスリップなのである。詳細は読んでいただくとして、なるほど時間ものは犯行の原因・動機を探る倒叙型ミステリのプロットと相性が良い。サスペンスを高める効果も十分にある。

 過去に戻ることで、主人公は自身の生き方に疑問を抱くようになる。事務所を切り回すため、あまり家庭を顧みなかったからだ。最愛の家族だと思っていたのだが、息子にどんな友人関係があるのか、そもそも夫が何をしてきたのか(本人が話さないとはいえ)どんな出自なのかも知らない。時を隔て(自身が若かったころの)はるかな過去に隠された真相とは。

 ところで、本書には主人公とは別にもう一人の主役がいる。そのエピソードの時間が、どう本編に関わってくるのかが物語の読みどころだろう。

セコイア・ナガマツ『闇の中をどこまで高く』東京創元社

How high we go in the Dark,2022(金子浩訳)

装画:最上さちこ
装丁:岩郷重力+W.I

 著者は1982年生まれの日系アメリカ人作家。この長編は、2022年から始まったアーシュラ・K・ル=グィン賞特別賞受賞作(最終候補)である。「希望の根拠を突き詰め、今の生き方に代わる選択肢を見出す」imaginative fictionを対象とする賞という。ル=グィンの名を冠するに相応しいかも考慮されるようだ。ちなみに、この年の正賞はケニアの女性作家カディジャ・アブダラ・バジャベルに贈られた。

 温暖化が進むシベリアで永久凍土が緩み、三万年前の洞窟が露出する。そこでミイラ化した少女が発見される。だが同時に見つかった未知のウィルスの中に、臓器の機能をでたらめにするという恐ろしいパンデミックの源も混じっていた。その病は、やがて北極病と呼ばれるようになり、まず子どもを中心に蔓延する。

 たくさんの断章から物語は構成される。閉塞的なシベリアの発掘調査基地、子どもを安楽死に至らせるパーク「笑いの街」、死の間際でネット空間を漂う少年の意識、治療法を研究する中で知能が目覚めた(ように見える)実験動物の豚、巨大な葬儀会社の死別コーディネータが住むエレジー(哀歌)ホテル、サポートもない古いロボドッグを弔う修理屋、さらにはマイクロ・ブラックホール技術から生まれた亜光速宇宙船USSヤマト(ヤマトは人名に由来)による恒星間移民の物語までスケールアップする。

 調査中の事故で亡くなった娘とその父親、パークで働く男は兄と折り合いが悪く母の介護からも逃れ、科学者は息子の治療を巡って妻と疎遠になる。病を軸とした父と子、母と子や夫婦、兄弟姉妹のさまざまな葛藤が描かれる。多くの登場人物は日系で人種的な軋轢もある。移民のルーツとなる母国日本は、東京のインターネットカフェや新宿スラム、海進で水没した新潟(一時期住んでいた)などが、アジア的な家族の象徴として登場する。その視点は著者の体験に由来するのだろう。どれもが家族の物語である。パンデミックは本書のテーマではない。極限にまで追い込まれた家族が主題なのだ。

 作者の好みなのか、80年代ミュージック、スタートレックやスターウォーズ、セーラームーン、ソニーのAiboなど、クラシックなガジェットがお話しの中に見え隠れする。USSヤマトはその延長線上にあるものだ。ル=グィン的ではないが、超越者の存在まで匂わす大胆さがある。また「紫水晶のペンダント」が冒頭と結末を結ぶなど、人物だけではなく小道具の伏線にも配慮が行き届いた作品といえる。

ラヴィ・ティドハー『ロボットの夢の都市』東京創元社

NEOM,2022(茂木健訳)

装画:緒賀岳志
装幀:岩郷重力+W.I

 原題のネオム=NEOMとは、サウジアラビア北西部の砂漠で建設途上にある実験都市の名称だ。高さ500メートルのビルが一直線に170キロも続くなど、誇大妄想的なヴィジョンからネットでも話題になった。今後どうなるかはともかく、単なるペーパープランではなく、もう着手されているというのがミソ。本書では、夢の都市ネオムが完成してからさらに数百年後が舞台である。

 老母を養うためエッセンシャルワークに就く女は、パートタイムで花を売っているとき、一本のバラを買う古びたロボットと出会う。遠い宇宙から帰ってきたというロボットは、かつては恐ろしい戦争兵器だった。家族を失った少年は、掘り出したレアものの遺物を売ろうとしている。そのため、交易する隊商団=キャラバンと合流しネオムに向かう。

 人語を話すジャッカル、墜落した宇宙船、さまざまな由来を持つロボットたち。物語は架空の固有名詞を無数にちりばめて読者を幻惑する。説明抜きで、エキゾチック感のあるターム(実在するアラブの風俗、ロボトニック、ナル・スーツ、バッパーズ、テラー・アーティスト、ノード、シドロフ・エンブリオメック、アザーズ、UXOなどなど)が連なる。

 帯に「どこか懐かしい」とあるが、AIではなく人間的なロボットもの、かつコードウェイナー・スミスの《人類補完機構》を思わせるスタイルだからだろう。作者もあとがきで、大きな影響を受けたと記している。スミスの未来史は予見的でもないし、そもそも全く科学的ではない。予想外の驚きがあって、既存のリアルとどこも似ていない。本書もまたおとぎ話のような未来世界を、短いエピソードと印象に残るキャラにより紡ぎ出している。

 この設定は、もともとは短編による連作だった独自の未来史《コンティニュイティー・ユニバース》に基づいている。今のところ、Central Station (2016)と本書だけが長編のようだ。短編群はほぼ未訳ながら、巻末に20ページにも及ぶ用語集が載っているのでとりあえず雰囲気はうかがえる。しかし、注釈に構わず謎のまま読んだ方がむしろ楽しめるかもしれない。

 著者はイスラエル生まれで現在英国に在住している。本国から離れ英語で執筆しているが、作品の中でユダヤは常に意識されている。本書に登場する、ユダヤ・パレスチナ連邦(イスラエル、パレスチナ自治区とヨルダンを含む)にも、平和共存の意図があるのだろう。昨今の状況ではそれが「力による現状変更」以外で実現する可能性は遠のいた。けれど、ユダヤとパレスチナが共存可能な未来だけは、夢物語で終わらせてはいけない。

デイヴィッド・ウェリントン『妄想感染体(上下)』早川書房

PARADISE-1,2023(中原尚哉訳)

カバーデザイン:岩郷重力+A.T

 昨年『最後の宇宙飛行士』が好評だった著者の最新長編である。前作と同様ホラー味の濃い作品となっている。一見パンデミックもののようで、実はもっと観念的な病(バジリスクと呼ばれる)が描かれた作品だ。

 防衛警察の警部補は、通信が途絶した植民惑星パラダイス-1の調査を命じられる。宇宙船には民間パイロットと医師、AI(姿を自在に変えられる)がチームとして同乗する。だが、目的地の軌道上には無数の宇宙船がすでに周回しており、警部補らの活動を妨害しようとする。いったい何が起こっているのか。

 防衛警察の前局長は強権を振るう独裁者だった。警部補はその娘で、現在の局長とは折り合いが悪い。母親は引退し、パラダイス-1で快適な生活を送っているはずだった。医師はタイタンで起こったパンデミック唯一の生き残りである。生存理由は不明ながら、何らかの免疫を持っているらしい。パラダイスでは同じ病が蔓延しているようなのだ。

 見るだけで感染する伝染性の言葉、人を狂気に駆り立てる観念といえば、伊藤計劃『虐殺器官』が有名だ。それほどの大テーマではないが、本書は登場人物の個人的な記憶(タイタン壊滅に起因するPTSDとか、警部補の家庭内での精神的抑圧とか)という部分で、今日の問題に(いくらかは)つながっている。

 謝辞によると、本書のプロットやキャラクタは出版社(オービットUK)内のグループで創案されたようだ。果てしなく続くどんでん返し=危機また危機の連続は、一貫性よりも意外性に重点が置かれている。チームワークでアイデアを出し合った結果だろう(ネット系シリアルドラマ風でもある)。

 念のために書いておくと、本書は三部作の第1部(1巻目)にあたる。第2部(今夏刊行予定)の翻訳が出るのは早くても年明けになると思われる。軌道上の何百隻もの宇宙船、閉鎖された惑星上の住民の行方など、謎は残されたままだ。

 しかし、本書を読んで思い出すのは、宇宙を光よりも早く伝播する呪詛通信を描く田中啓文の「銀河を駆ける呪詛」。どちらもグロさが際立つホラーという共通点がありますね。

中村融編『星、はるか遠く 宇宙探査SF傑作選』東京創元社

カバーイラスト:鈴木康士
カバーデザイン:東京創元社装幀室

 翻訳アンソロジイの名手として知られる中村融だが、宇宙ものとなると『黒い破壊者 宇宙生命SF傑作選』(2014)以来の9年ぶりとなる。「埋もれた秀作をふたたび世に出したい」という編纂趣旨に変わりはなく、前作と同様1950~60年代の中短編9作がまとめられている。

 フレッド・セイバーヘーゲン「故郷への長い道」(1961/初訳)三千年以上の未来、新婚夫婦を乗せた宇宙船が太陽系の外縁で旧帝国時代の遺棄船と遭遇する。
 マリオン・ジマー・ブラッドリー「風の民」(1959/1975)無人の惑星で船医が男の子を生む。しかし幼児は旅に耐えられないため、親子だけが残留することになる。
 コリン・キャップ「タズー惑星の地下鉄」(1965/1976)異端技術部隊に、あらゆるものを劣化させる過酷な惑星での移動手段を開発するよう指令が下る。
 デイヴィッド・I・マッスン「地獄の口」(1966/初訳)その底までに何十キロにも及ぶ深淵を秘めた盆地は、探検隊の精神までを蝕む異形の存在だった。
 マーガレット・セント・クレア「鉄壁の砦」(1955/1980)砦に赴任した新任士官は、破損個所の補修さえも許さない老司令官に疑問を抱く。
 ハリー・ハリスン「 異星の十字架」(1962/1974)純朴な異星人の住む辺境惑星に宣教師がやってくる。異星人をよく知る交易商人は布教を止めようとするが。
 ゴードン・R・ディクスン「 ジャン・デュプレ」(1970/1977)密林の辺縁に入植した家族にその少年はいた。幼いながら父親も認めるほどの銃の名手だった。
 キース・ローマー「 総花的解決」(1970/1999)対立する2陣営を和解させ、あわよくば地球の利権を拡大しようと画策する無能な上司と機転の利く部下のコンビ。
 ジェイムズ・ブリッシュ「 表面張力」(1957/1963)水圏が大半を占める惑星に不時着した人類は、その環境に合わせた微生物サイズの子孫を残す。
 註:(原著の出た年/翻訳された年)、浅倉久志訳「異星の十字架」以外は新訳または改訳である。

 今回はニュー・ウェーヴ(60年代後半)の作家デイヴィッド・I・マッスン(空間が歪んだ盆地は、時間が歪む「旅人の憩い」を思わせる)や、不条理小説ともいえるマーガレット・セント・クレアの作品が収められており、保守派(50年代風技術SF)コリン・キャップとの比較が面白い。とはいえ今ならば、どちらも酉島伝法的な幻想小説と読めなくもないだろう(タズー惑星は『奏で手のヌフレツン』のような凶悪な世界である)。

 セイバーヘーゲンは「世代宇宙船」ものをひと捻り、ブラッドリーは母親と子という親子関係に踏み込み(父子を描くディクスンと読み比べるのも良いだろう)、ハリー・ハリスンはキリスト教的価値観の傲慢さを皮肉る。ゴードン・ディクスンは少年勇者のお話ながら、カスター将軍とかアラモの砦(どちらも全滅した)的なアメリカ英雄を描いた訳ではない。キース・ローマーは《レティーフ》ものだ。訳語の面白さで、そこに注目して読んでも楽しい。ブリッシュは(知能がこの形態で生まれるとは思えないものの)物語の精妙さには感心する。総じて熟成した豊潤さを味わえる。

アーシュラ・K・ル・グィン『赦しへの四つの道』早川書房

Four Ways to Forgiveness,1995(小尾芙佐・他訳)

カバーイラスト:丹地陽子
カバーデザイン:川名潤

 奥付は10月20日だが、版元の事情で11月15日発売となった本。1995年に出た《ハイニッシュ・ユニバース》ものの4中編を収める作品集である。もともとは同シリーズ短編を含む『内海の漁師』(1994)の1年後に出たもので、およそ30年を経てようやく翻訳が叶ったものだ。ちなみに、ハヤカワ文庫版のル・グィンは(絶版状態だった本を含め)多くがKindle等の電子書籍で読めるようになっている。

 裏切り(1994)引退した女性物理教師は、田舎でペットと暮らす日々だった。近在には、革命の統率者でありながら、汚職にまみれて名誉を汚した元長官が住んでいた。
 赦しの日(1994)女性差別がはびこる王国に赴任したハイン人女性使節は、首都の儀式で寡黙な護衛と共にテロリストに拉致される。
 ア・マン・オブ・ザ・ピープル(1995)保守的な村落で生まれ育ったハイン人男性の主人公は、やがてエクーメンの大使となるべく奴隷解放された植民惑星に赴く。だが、そこには根深い差別が残っていた。
 ある女の解放(1995)囲い地で奴隷として生まれた女性主人公は、解放闘争を巡る混乱で揺れる社会から革命の地である植民惑星を目指す。(「ア・マン・オブ・ザ・ピープル」とペアになって、2つの人生が交錯する)。

 舞台は数千年前(エクーメン歴)に人類が到達した惑星ウェレルと、後に植民された惑星イェイオーウェイの2つである。ウェレルは、少数の所有者と多数の奴隷から成る社会を形成していた。ウェレルの植民星イェイオーウェイは奴隷の供給地だったが、ウェレルの軍事干渉をも退けた自由民による統治が行われるようになる。ただ、奴隷的な労働や社会的差別の問題はまだ解消されてはいない。

 エクーメンは汎宇宙的な連合体である。ハインはその発祥の地だ。そこに加入するためには、奴隷制の廃止は必須条件となる。しかし、文化の違いを力で押し切っても反発を生むだけだろう。あくまでも現地民の意思を尊重すべきなのだ。

 最後の作品を除くと、物語は社会の中心からやや距離を置いた人物によって語られる。引退した教師や異星人(外国人)である大使(倫理観はもちろん時間感覚も異なる)、田舎生まれで因習を振り棄てた男性主人公も異星人である。最も長い「ある女の解放」が、奴隷に生まれ自ら解放運動を率いるまでに至る現地女性の一生を描く。奴隷解放したはずの社会でも、肉体的な差異、特に性に伴う差別を払拭するのは容易ではない。遠い未来、遠い宇宙であったとしても、人間である以上変わり得ないのか。そういう普遍的な課題を投げかける物語なのだ。

ジーン・ウルフ『書架の探偵、貸出中』早川書房

Interlibrary Loan,2020(大谷真弓訳)

カバーイラスト:青井秋
カバーデザイン:川名潤

 ジーン・ウルフは2019年4月に亡くなっており、本書は没後に遺作長編として出た『書架の探偵』(2015)の続編である。昏い雰囲気の100年後の未来を舞台に、とうに亡くなったミステリ作家が、図書館収蔵のリクローン(複製体=クローンなのだが「本」扱いなので人権がない)となって、利用者に貸し出されるという設定だ。今年のハヤカワSFコンテスト受賞作『標本作家』を、さらにデフォルメしたものと思えばよい。本書では図書館間相互貸借(原題の意味)によって、地方図書館に送られた主人公のミステリ作家が、事件の解決を図るというもの。

 海辺の小さな町にある図書館に送られた作家は、そこで一人の少女に貸し出される。少女は邸宅に住んでいるが、母親は精神的に不安定であり、何年も行方不明の解剖学者の父親を捜しているらしい。手がかりとして、館には「解剖用遺体の島」の地図が残されていた。

 本書には多くの登場人物が出てくる。少女、母親、マッドサイエンティスト風の父親、リクローンの同僚である料理研究家やロマンス作家、そして冒険家など(ほとんどが女性)がいて複雑に絡み合う。さて、問題なのは本書が未完成であることだろう。全部で22章からなるものの結末には至らない。また途中3分の2を越えた以降は内容の矛盾(これまでにないSF的設定が出てくる)が目立ち、推敲以前の草稿だと推察できる(同じような作品に『山猫サリーの歌』がある)。

 とはいえ、本書がウルフの書いたものとなると、重なり合った謎や読者を騙そうとする仕掛けの一部ではないかと疑うこともできるだろう。あるいは、著者の創作作法として、まずあらゆる可能性・意外性を描き出してから、矛盾が読者に見えないように巧妙に隠蔽するのかもしれない。としても、まだこれは手前の段階なのだ。最後まで読めないのは残念ながら、作家の舞台裏をいろいろ想像できて面白い。

キム・スタンリー・ロビンスン『未来省』パーソナルメディア

The Ministry for the Future,2020(瀬尾具美子訳、山田純 科学・経済監修)

Designed by SD2

 キム・スタンリー・ロビンスンが3年前に発表した、106の章から成る1500枚余(2段組み600頁)に及ぶ長編である。バラク・オバマが2020年のベストに選びビル・ゲイツが推奨したことでも話題になった。ただ、解説で坂村健(翻訳出版を推した)が触れている通り、日本では注目されず棚上げ状態だった。理系+文系の両方を理解するセンスが要求される小説であり、ジャンルSF以外で受け入れる読者が少ない=商業的に難しいと思われたからだという。

 ごく近未来のインドで大熱波が発生、地域の大規模停電と重なって2000万人もの犠牲者を伴う惨事が起こる。インドではそれを契機に既存の政治勢力は力を失い、全く新しい超党派の環境派政権が誕生、その対極に炭素排出を暴力で阻止しようとする過激派も現れる。一方、国連では気候変動に取り組む新たな組織「未来省」が活動を開始する。

 物語は大熱波を生き残ったPTSDに苦しむ男と、未来省のリーダーである女を主人公に、世界の人々や事件を点描しながら進んでいく。未来省の置かれたスイスのチューリヒ(著者は一時期滞在していた)や、アルプスの光景が印象的だ。南極を含む世界各地と、さまざまな人々の活動も含まれる。中高年の男と女は、ある事件を契機に知り合うものの恋人同士とはならない。しかし、距離を置きながら終生惹かれあう。

 本書の中では、炭素増加に伴う環境破壊、貧富の格差(南北間、国家間、国内、組織内)克服、民主主義のあり方、新自由主義の弊害、MMTやモンドラゴン、炭素税(ペナルティ)とカーボンコイン(インセンティブ)などが論じられる。既存の政治経済システムだけでは破局的な環境問題に対処できないと主張する。もちろん、書かれている内容すべてが正しいとは言えない。さまざまな意見が出てくるだろう。けれど、それこそが著者の意図することでもある。スルーではなく、反論でもよいから考えるべきなのだ。またコロナ、ウクライナ前に書かれた本書の現在の立ち位置については、ロビンスン自身がこの講演(2023年4月)で語っている。

 本書以前の最新翻訳は、6年前の《火星三部作》完結編『ブルー・マーズ』(1996)になるが、もっと新しい『2312太陽系動乱』(2012)が2014年に先行翻訳されている。こちらも、政治経済システムについての刺激的な提案を含む意欲作だった。

ジェフリー・フォード『最後の三角形』東京創元社

The Last Triangle and Oyher Stories,2023(谷垣暁美訳)

装画:浅野信二
装丁:柳川貴代

 2018年末に出た『言葉人形』に続く、谷垣暁美による日本オリジナルの傑作選である。今回は主にSFやミステリなど、ジャンル小説分野の作品から14編を選んだという。著者はもともとSF系媒体に作品発表をしてきており、例えば「アイスクリーム帝国」は原著がオンラインのSci Fiction(2005年終刊)に、翻訳がSFマガジンに(ネビュラ賞ノヴェレット部門受賞作として)掲載されているので、違和感のない選定といえるだろう。

 アイスクリーム帝国(2003)匂いが音に変わり感触は声になった。生まれつき「共感覚」を持っていた主人公は、ある日同じ能力の女性と知り合う。
 マルシュージアンのゾンビ(2003)研究休暇中の大学教授は、自宅の前で元心理学者だと称する老人と出会う。その男は娘に自筆のゾンビの絵を贈ってくれる。
 トレンティーノさんの息子(2000)ロングアイランド湾で貝を獲る漁民たちの間で、不吉なうわさが広がる。海で行方不明になった若い漁師を見かけたというのだ。
 タイムマニア(2015)主人公は5歳から恐ろしい悪夢に悩まされるようになった。ただ、タイムを淹れたハーブ茶を飲めばなんとかしのげる。
 恐怖譚(2013)エミリーが目覚めると、屋敷には誰もおらず時計は止まっている。家の外では、見知らぬ男が馬車へと迎え入れようとする。自分はいったいどうなったのか。
 本棚遠征隊(2018)薬のせいで頭がおかしくなった冬の夜、本棚の登頂を試みる微小な妖精たちの姿を見た。彼らは犠牲をいとわず、さまざまな本を足場に登っていく。
 最後の三角形(2011)ヤク中のホームレス男は、とある老婦人から調査の仕事を請け負う。地図上の三角形の頂点にあたる場所で、秘密の赤いしるしを探せというのだ。
 ナイト・ウィスキー(2006)山奥の片田舎にある辺鄙な村で〈酔っ払いの収穫〉の助手を務めることになった若者の体験。
 星椋鳥(ほしむくどり)の群翔(2017)のどかで美しい都市〈結び目〉には、凄惨な連続殺人事件という未解決の汚点があった。専任警部は被害者の娘と周辺を疑う。
 ダルサリー(2008)スーパーミニチュア版ヒト細胞から生まれた微小な人々は、ガラスの牛乳瓶の中にドーム都市ダルサリーを建設した。
 エクソスケルトン・タウン(2001)古い地球映画を偏愛する異星人と交易するため、地球人は映画スターとそっくりのエクソスキンをまとう。
 ロボット将軍の第七の表情(2008)対ハーヴィング戦争の英雄であるロボット将軍には、7つあるいは8つの表情があったとされる。
 ばらばらになった運命機械(2008)老宇宙飛行士がかつて異星で手に入れた部品は、機械の一部分であるらしかった。
 イーリン=オク年代記(2004)海辺の砂浜に作られた砂の城には、指の先ほどの大きさの妖精が住むことがある。波で城が崩れ去るまでがその生涯だった。

 「アイスクリーム帝国」の共感覚、ジャック・ヴァンスを思わせるエキゾチックな宇宙譚「エクソスケルトン・タウン」や「ばらばらになった運命機械」、ハミルトン「フェッセンデンの宇宙」のような「ダルサリー」や、皮肉なロボット兵器「ロボット将軍の第七の表情」などを読むと、確かにクラシックなSFの感触がある。

 とはいえ、「星椋鳥の群翔」や表題作「最後の三角形」は猟奇ミステリ、残りの多くはホラーと分類しても、あくまで奇想の切り口がそう見えるだけで、一般的なジャンル小説とは一味違うものだ。これは物語の方向性が、エンタメ的な事件の真相や動機の解明にないからだろう。オープンエンドとかではなく結末はあるものの、「なぜ」は謎のままなのだ。そこはジェフリー・フォードらしいといえる。

 中では「本棚遠征隊」「イーリン=オク年代記」に出てくる微小な妖精たち(という意味では「ダルサリー」も含む)が作者のお気に入りのようで面白い。なお「恐怖譚」に出てくるエミリーとはエミリー・ディキンスンのこと。

ジョン・スラデック『チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク』竹書房

Tik-Tok,1983(鯨井久志訳)

イラストレーション:GAS
デザイン:坂野公一(welle design)

 人を喰った(長すぎる)邦題ではあるが、内容相応、著者らしいともいえる。本書はカルト作家スラデックの書いたロボットものの長編である。スラデックの作風はSFでも文学でもない独特のもので、一部読者に人気はあっても賞には恵まれなかった。本書は唯一、英国SF協会賞(1983年)を受賞した作品である(スラデックは当時英国在住だった)。

 とある金持ちの家で使われていた家庭用ロボットのチク・タクは、ペンキ塗りをしていた際にインスピレーションを得て壁画を描く。主人は気に入らなかったが、ロボットの絵は評判を生み高値で売れるようになる。チク・タクは有名になった。しかし、このロボットは倫理を規定する「アシモフ回路」が正常に働いていないのだ。

 7年前に翻訳が出た『ロデリック』(1980)もロボットが主人公だった。成長していく無垢なロボットのお話である。本書のチク・タクは既に大人で、自身の利益のためにはどんな手段も厭わない。葛藤がないので、ノワール(悪人)というよりサイコパスに近いといえる。ロボットサイコパスなのである。

 一方、この物語の社会では、ロボットは道具というより「奴隷」扱いである。道具だと人の手を煩わせる。奴隷ならぞんざいに命令しさえすればよい。知能があっても差別は当たり前と思っている傲慢な人間を、倫理感を欠いたロボットが出し抜くのだ。書かれた当時は寓意に過ぎなかったろうが、AIが急成長する今の時代では妙にリアルである。

 スラデックは、『黒い霊気』(1974)、『黒いアリス』(1968)、『見えないグリーン』(1977)、『スラデック言語遊戯短編集』(1977)と1970~80年代にかけて翻訳されてきた。このあたりは変格ホラー/変革ミステリに分類される作品である(今なら奇想小説だろう)。前評判に反して、SF作家という印象は薄かった。90年代になってから『遊星よりの昆虫軍X』(1989)が紹介され、日本で編まれた短編集『蒸気駆動の少年』(2008)でようやくその全貌が窺えるようになる。スラデックのSFは代表作が『ロデリック』とされる。本書はそれをひっくり返したような面白さがある。長さも半分ほどで軽快に読める。

 ところで、訳者の鯨井久志は京大SF研出身者(京大生ではなかったようだが)としては、大森望世代以降30年ぶりにプロ出版を果たした翻訳家。