日本SF作家クラブ編『地球へのSF』早川書房

カバーデザイン:岩郷重力+Y.S

 ハヤカワ文庫から出た日本SF作家クラブ編のオリジナル・アンソロジイは、これで4冊目となる。今回も大部だが、22作家による22短編を収めるので必然的な分厚さなのだろう。「(SF作家クラブの)60周年を機会に、もう一度我々の依って立つところを振り返り、SFの可能性を改めて検討するスタート地点として」選ばれたテーマだという(大澤会長によるまえがき)。

悠久と日常
 新城カズマ「Rose Malade, Perle Malade」漢の時代、淮南の王は新皇帝に統治の何たるかを説く書を納めようとする。そのためには宇宙の真実を知る必要があった。粕谷知世「独り歩く」コロナ禍で自宅に籠っていた主人公は、ある日近所の川を遡ってみようと考えた。そこで国木田独歩好きの国語教師を思い出す。
温暖化

 関元 聡「ワタリガラスの墓標」温暖化が進む南極は資源を巡る国家間の暗闘の中にある。主人公の研究者は、同僚の行動に不信を抱き追跡の旅に出る。琴柱 遥「フラワーガール北極へ行く」温暖化と海進で既存の国家が崩壊した未来、仕立屋の主人公に不思議な組み合わせの結婚式招待状が届く。笹原千波「夏睡」自分の出身地について、閲覧不可能な文献があるようだった。そこは睡りを伴う過酷な夏がやってくるところなのだ。津久井五月「クレオータ 時間軸上に拡張された保存則」循環する時間の上で成り立つエネルギー保存則を唱える物理学者と、その実用化を考える気候学者。
AIと
 八島游舷「テラリフォーミング」ボットに囲まれて育った少女は、プラネタリウムの中にあるメタバースで「地球再生会議」のメンバーと称する人間と出会う。柴田勝家「一万年後のお楽しみ」ゲーム「シムフューチャー」は1万年後の未来をシミュレーションする。ところがそこは氷に覆われた氷河期なのだ。
ヒトと
 櫻木みわ「誕生日(アニヴェルセル)」90歳の主人公は思い立ってアプリのボトルメールを始める。AIが選んだ相手は9歳の男の子だった。長谷川京「アネクメーネ」地磁気の変動により多くの人が方向感覚を喪失した時代、主人公に地図メーカから遺伝子特許買収の打診がある。上田早夕里「地球をめぐる祖母の回想、あるいは遺言」なぜ火星植民に応募したのか、80歳を迎える祖母が孫娘に伝えるその秘密とは。
生態系
 小川一水「持ち出し許可」川洲で見かけなくなったカエルを捜していると、なぜかオオカミが現れて話しかけてくる。しかも彼らにある取引を持ち掛けるのだ。吉上 亮「鮭はどこへ消えた?」多くの生物が絶滅した100年後の未来、鮭もその一つだ。ところが、その鮭を獲りに行こうと誘うやつがいる。春暮康一「竜は災いに棲みつく」主人公は軌道上で暴れるペイロードを宥めるのが仕事だ。地球ではマグマの中でADSが活発な活動を続けている。伊野隆之「ソイルメイカーは歩みを止めない。」乾燥化が進む地上では、森はソイルメイカーと呼ばれる巨大な生き物と共生している。
経済
 矢野アロウ「砂を渡る男」アルジェリア南東部のサハラ砂漠に、ガイドを連れた大学教授が踏み込む。砂に新たな使い道が生まれたからだった。塩崎ツトム「安息日の主」貴族に仕える美容整形外科医が、客人の令嬢を手術することになる。しかし、そこには複雑な政治と身分、儀式の問題が絡み合う。
内と外
 日高トモキチ「壺中天」汎地球数理アカデミアの年次総会で、若手物理学者が地球内部の空洞を報告する。過去の諸説や、自ら撮影した映像を表示しながら。林 譲治「我が谷は紅なりき」火星では人口が順調に増え、このままでは資源が枯渇する。そこで、今では禁星と呼ばれる海のない地球への帰還事業が開始される。空木春宵「バルトアンデルスの音楽」地下15キロから「地球の音」を取り出すという100メートルの高さの〈花〉は、人々から熱狂的に迎えられたが。菅 浩江「キング 《博物館惑星》余話」ストレスに苦しみ博物館惑星を訪れた主人公は、ロボットガイドの案内でようやく落ち着く。やがて分かるロボットの正体は。
視点
 円城 塔「独我地理学」世界の形を確かめることにより、認識のあり方を地理的に知ることができる。スファイルは平らでもあり丸くもあった。

 「地球」というテーマに規定はなく、解釈は各作家(の裁量)に委ねられている。また数作品ごとに上記のサブテーマ(悠久と日常、温暖化、AIと、ヒトと、生態系、経済、内と外、視点)が設けられているが、あまり意識する必要はないだろう(やや無理な分類だ)。壮大なネタを短い枚数にまとめるのは容易ではない。中には、シチュエーションの説明だけで終わる作品もある。もっとも、SFの場合(設定がユニークでさえあれば)スタイルとして許される。

 それぞれ特徴はあるが、八島游舷はデンソーとのSFプロトタイピングの成果物、津久井五月は堀晃の「熱の檻」(1977)を思わせ、春暮康一は宇宙的スケール感が集中随一、空木春宵は飛浩隆酉島伝法に続く異形(異音?)音楽SFである。ベテランの域にある小川一水、林譲治、マダムSFと称される菅浩江、常連の円城塔らは安定した面白さになっている。

池澤春菜『わたしは孤独な星のように』早川書房

装幀:川名潤

 初の短編集である。著者は2022年に大森望のゲンロンSF創作講座を(関係者以外には知られず?)柿村イサナ名義で受講したのだが、本書の多くはそこで提出された課題作が元になっている。

 糸は赤い、糸は白い*:マイコパシー能力を生む、キノコによる脳根菌との共生が当たり前になった。主人公は友人との関係もあって菌種の選択に悩んでいる。
 祖母の揺籠:海が陸を呑み込んだ未来、私は巨大な祖母となって海洋を漂う。育房に三十万人もの第三世代の子どもたちを抱えながら。
 あるいは脂肪でいっぱいの宇宙*:ダイエットに励む主人公は、あらゆる手立てを費やしたのに、少しも痩せないことに気がつく。どうしてなのか。
 いつか土漠に雨の降る*:チリの首都から遠く離れた、アンデス山頂にある天文施設。そこで駐在する二人の技師にはもう一匹の仲間がいた。
 Yours is the Earth and everything that❜s in it:ネットから隔絶された人々の村がある。住人は高齢者と世話をする主人公だけ。ただ、XR観光客たちが来る。
 宇宙の中心でIを叫んだワタシ*:調査にやって来た宇宙人とのファーストコンタクト、しかしコミュニケーションの手段は思いもよらないものだった。
 わたしは孤独な星のように*:シリンダー型宇宙植民星で生きる主人公は、亡くなった叔母の形見を宇宙に流すために旅をすることになる。
 *:課題作を改稿

 「糸は赤い、糸は白い」は、著者の趣味と思春期女子の仄かな恋を融合した好編。ヒューマノイド由来の非人類もの「祖母の揺籠」は、徐々に特異な設定の意味が明らかになる(「おじいちゃん」というのもあった)。文体で読ませる「あるいは脂肪でいっぱいの宇宙」と続編「宇宙の中心でIを叫んだワタシ」は、ハイテンションでポップ(古い表現ですが)な作品。「いつか土漠に雨の降る」は冒頭の小さな謎が膨らんでいくアイデアストーリー。「Yours is the Earth and everything that❜s in it」はキプリングの(日本人にはなじみが薄いが、最後まで諦めなければ夢は叶うという)詩の一節を表題にした逆転の物語。オニール型(ガンダム型)植民星の衰退しつつある内周部を旅する「わたしは孤独な星のように」は、主人公の感性に寄り添った温かさが印象的だ。チョン・ソヨンキム・チョヨプらの韓国作家を思わせる。

 もともとの発表の場はSF創作講座ほぼ一択であるが、切り口は課題によって異なっている。さまざまなスタイルを模索していたことが読み取れる。これはこれで多様性があり面白いけれど、表題作のハードな状況の中での暖かみを目指す方向か、「・・・脂肪でいっぱいの宇宙」の意表を突く文体と展開なのか、その中間の「糸は赤い・・・」なのか、もう少しテーマを絞り込んで書かれたものも読んでみたい。

日本SF作家クラブ編『SF作家はこう考える 創作世界の最前線をたずねて』社会評論社

装画:森優
装幀:VGプラスデザイン部

 『大阪/京都SFアンソロジー』などと同じく、Kaguya Books(VGプラス)発行+社会評論社販売というコンビで作られた評論・座談会・インタビュー集。日本SF作家クラブ編ではあるが、編集はKaguya Booksの井上彼方、堀川夢が担当している。本書は、昨年開かれた第61回日本SF大会で行われた3つの企画をベースに構成されている。こういう企画は(オフレコ情報もあってか)文書化されず、何を話されたかの要約すら不明というのがほとんどだ。当日の参加者でも記憶は薄れていくので、文書による記録は(媒体を問わず)もっと残すべきだろう。

〈第一部〉作家のリアルとそこで生きる術
 揚羽はな・大澤博隆・粕谷知世・櫻木みわ・十三不塔・門田充宏・藍銅ツバメ「SF作家のリアルな声」* 各作家がどのようにデビューしたのか、コンテストや出版までの状況を交えて各人が紹介する。
 大森望「SF作家になるには」SF作家になるためのさまざまな手段(コンテストからネット投稿まで)や、専業では厳しい出版界の現況などを具体的に解説する。
 門田充宏「戦略的にコンテストに参加しよう さなコンスタディーズ 2021-2023」日本SF作家クラブ主催の「小さな小説コンテスト」を分析、どのような作品が選ばれ何を注意すればよいか、特に読者の感情に訴える重要性を強調する。
〈第二部〉フィクションとの向き合い方
 宮本道人「え? 科学技術とSFって関係あるんですか? 本当に?」VRやアバターなどの最新テック用語とSFとの関係、SFプロトタイピングの意味を説明する。 
 茜灯里・安野貴博・日高トモキチ・宮本道人・麦原遼「SFと科学技術を再考する」*科学/技術関係の仕事を兼業する出席者が、科学との関わり方や小説への導入の難しさを語る。 
 津久井五月・人間六度・柳ヶ瀬舞・近藤銀河「〝社会〟の中でフィクションを書く」*SFとの出会いやSFとの関わり、仕事の仕方について個別に答える(座談会ではなく一問一答形式のインタビュー)
 近藤銀河「過去に描かれた未来 マイノリティの想像力とSFの想像力」有名なSF作品でも触れられてこなかったマイノリティ、トランスジェンダーなどの視点について説明する。
〈コラム〉小説にかかわるお仕事
 編集者(井上彼方)、翻訳者・校正者・デザイナー(堀川夢)、『WIRED』編集者小谷知也さんインタビュー(井上彼方)それぞれの実務についてどのような意義があるのかを解説したコラム。
*:2023年8月に開催された第61回日本SF大会で行われた企画の文字起こし+加筆訂正。

 第1部は、どのようにしてSF作家になったのかの座談会に、現実(大森望)と攻略法(門田充宏)を加えたもの。第2部は、原初からSFの持っていた科学技術との関係をアップデートする座談会と、SFプロトタイピングまでを含む現在の概要(宮本道人)、加えて、4人の作家のSFとの関わりを問うインタビューと、マイノリティ(特にクィア、トランスジェンダー)に対するSFの不十分さを説く論考(近藤銀河)、という構成になっている。

 この第2部は、一般でも議論されているテーマを含む。まずインテル発祥とされるSFプロトタイピングは、採用するのが大手メーカーに多いこともあり、企業に利用されているだけでは、との批判が多いようだ。もっとも、会社側は広報や社内研修の一端で考えているのであって、SFアイデアが直接お金になるとは思っていないだろう(日本の場合、相手はイーロン・マスクやザッカーバーグのような独裁的な創業経営者ではない)。SF作家の仕事として持続可能かは採用先の評価次第となる。

 もう一つはマイノリティの扱いについてである。近藤銀河は、伊藤計劃『ハーモニー』ヴァーリー「ブルー・シャンペン」タニス・リー『バイティング・ザ・サン』などを例に挙げ、男女の性差のみでトランスジェンダーに対する言及のなさが想像力の限界を示すものと批判する。少なくとも、こういう視点は新しい。執筆当時、それが可能だったかどうかは公平に判断すべきだが。

 本書には文章講座(ノウハウ)などは含まれず、初心者向けのSF入門や、名のあるベテラン作家の登場もない。そういう点でとてもリアル/シリアスな内容といえる。楽観的なSF全肯定ではなく、今の目線での問題提議をした点は注目に値するだろう。コラムでは、VGプラスのような特徴的な出版社でのスタッフのあり方が読めて面白い(大手との共通点も、もちろんある)。

近未来を見すえる確かな視点 藤井太洋

 今回のシミルボン転載コラムは藤井太洋です。コンテストでもファンダムや同人誌などの人脈でもなく、そもそも紙媒体とは異なる独自の電子書籍で登場した、まさに時代の申し子といえる作家の5年間を紹介しています。以下本文。

 1971年生。プロデビュー作は2013年の『Gene Mapper』だが、紙書籍までの経緯は少し変わっている。まず原型となる電子書籍版(-core-と記載されている私家版)が2012年7月に先行発売され、Amazon kindleストアでベストセラーとなる。これにはさまざまな媒体も注目した。そこを契機に書籍化の話が生まれ、増補改訂決定版(-full build-)の同書が生まれたのだ。当時としては珍しく、紙書籍と電子書籍がタイムラグなく同時に刊行された。震災後の2011年、情動主体で科学的な説明を蔑ろにした報道に憤りを感じたのが、同書執筆の動機になったという。

カバー:Taiyo Fujii & Rey.Hori

 主人公はフリーの Gene Mapper=遺伝子デザイナーである。著名な種苗メーカの依頼を受け、稲の新種の実験農場で、企業名のロゴを稲自身で描くという仕事を引き受ける。しかし、社運を賭けたその農場で異変が発生する。正体不明の病害で稲が変異しているというのだ。遺伝子に欠陥があるのか、自分の仕事に瑕疵があったのか。原因を探るため、彼は企業の代理人とともに、調査に協力するハッカーが住むベトナム、農場のあるカンボジアへと飛ぶ。

 徐々に拡大しつつあるものの、日本の電子書籍は、まだ紙を凌駕する規模にはない。ベストセラーでも、紙版と比べれば1ケタ販売部数が少ない。その中で本書は万に近い部数を売った。私家版でこの数字は非常に大きい。著者の公式サイトにあるインタビューを聞くと、メディアでの紹介効果が一番大きく、Googleのアドワーズ(広告ツール)を用いた独自のプロモーション効果もあったという。アドワーズでは(たとえ採算は取れないくても)効果を数値的に把握できる。著者は、もともとプログラミングが仕事で、グラフィックデザインなどのDTPもよく分かっている。電子書籍業界の実情を理解したうえで作品を作っているのだ。最初の私家版では、Kindleを含め8種類の電子書籍フォーマットで同時刊行できたのだが、これには自作スクリプトによる自動変換を用いている。

 『Gene Mapper』は、発端>近未来の世界観>登場人物の謎の過去>異変の真の原因、と進む展開がスリリングで、その設定の確からしさが印象的だ。文章に無駄がなく、冗長な表現が少ない。何より技術者らしく、データに基づいたロジカルな説明が良い。執筆スピードも速く、最初の電子書籍版を6か月(iPhoneのフリック入力で執筆)、紙版を+1か月あまりで書き上げたという(前掲インタビュー)。

 第2作の『オービタル・クラウド』(2014)では、世界を舞台にした近未来サスペンスという著者の持ち味が明確になる。

 第35回日本SF大賞、第46回星雲賞日本長編部門受賞作。デビュー作『Gene Mapper』が比較的地味な設定で書かれたお話だったのに対し、本書は舞台が一気に世界全域(東京、テヘラン、セーシェル、シアトル、デンバー、宇宙)にスケールアップされたことが特徴だ。テクノスリラーという惹句にある通り、物語のスコープは直近のロケット工学と、現在考えられうるIT技術の範囲に収まる。また、表題「軌道をめぐる雲」には、複数の意味が込められているようだ。

 2020年末、民間宇宙船による初の有人宇宙旅行が行われている裏で、奇妙な現象が報告される。それはイランが打ち上げ、軌道を周回するロケットの“2段目”が、自律的に軌道を変えるというありえない現象だ。流星の情報を流すウェブ・ニュース主催者、天才的プログラマ、サンタ追跡作戦中のNORADの軍曹、CIAの捜査官、情報が隔絶された中で苦闘するイランのロケット工学者……世界に散在する彼らは、やがて1つの事件に巻き込まれていく。そして、ネットを自在に操る事件の首謀者が浮かび上がってくる。

 直近の未来なので、国際政治の情勢は今現在と大きく変わらない。イラン、北朝鮮と悪役の顔ぶれも同じだ。ただし、本書は国家と国家の争いを描いているわけではない。民間宇宙船のベンチャー起業家と娘、直観力に優れた小さなネットニュースのオーナー、廉価なラズベリー(組み込みプロセッサを載せた小型ボード)で並列システムを組む女性ハッカー、宇宙に憧れるインドネシア人ら米軍関係者、現象を発見するアマチュアの資産家、中韓国語を自在に操る凄腕のJAXA職員、巧妙にITを駆使する工作員などなど、ほぼ全員が極めて個人的動機で行動を決めている。そういった個性/個人が、衝突/合従し合うドラマなのだ。宇宙人とのコンタクトの夢は、まだまだ叶いそうにないが、ここでは巨大システム=国家抜きで、目の前の“近い宇宙”に挑もうとする実現可能な夢が描かれている。

 『アンダーグラウンド・マーケット』(2015)は、アングラ=裏社会に流通する仮想通貨を巡る物語である。小説トリッパー2012年12月掲載作を大幅に書き直し、前日譚を書き加え単行本化したものだ。

 東京オリンピックを2年後に控えた2018年の東京、不足する労働力を補うために大規模な移民政策が実施され、アジア各地からの移民が多数暮らすようになった。一方、高額な税が課せられる表社会を避けて、政府が制御できない仮想通貨とその流通を保証する決済システムが構築される。主人公たちは、収入も仕事も仮想通貨に関わる、アンダーグラウンドのITエンジニアなのだ。そこには、システムを利用しようとするさまざまな人々が登場する。

 アジア移民が溢れる日本の近未来社会で、仮想通貨による裏の経済システムが息づく様が描かれる。わずか数年後にそこまで変わるかという疑問はあるものの、ITだけで成り立つ仕組みなら考えられるだろう。そもそも現代は、1年後すら見通せない不透明な時代なのだ。雑誌掲載版と比べると、いくつかの前提を設けながら登場人物や移民社会の背景が丁寧に加筆されており、物語の説得力が増している。藤井太洋は(近未来をテーマとする関係もあり)社会情勢の変化に応じて作品をダイナミックに書き換えることもいとわない。アングラ=犯罪/悪とネガティブに捉えるのではなく、新しい可能性として描いた点が面白い。

カバー:粟津潔

 しかし、その才能はITやテクノスリラーだけではない。例えばテーマアンソロジイ『NOVA+屍者たちの帝国』(2015)で、「従卒トム」という作品を寄せているが、南北戦争で活躍した奴隷上がりの黒人兵トムが、ゾンビを操る屍兵遣いとして幕末日本の江戸攻め傭兵となる……という、思わず読みたくなる巧みな設定で書いている。さまざまなテーマに対応できる柔軟な書き手なのだ。

 2015年から日本SF作家クラブ会長に就任、英会話が堪能で、積極的に海外のSF大会(アメリカや中国)に参加し、作家同士の交流や、自作を含む日本のSF作品をアピールするなど世界視点で活動している。

(シミルボンに2017年2月13日掲載)

 その後も藤井太洋は『公正的戦闘規範』(2017)『ハロー・ワールド』(2018)『東京の子』(2019)『ワン・モア・ヌーク』(2020)など、矢継ぎ早に話題作を発表しています。最近でも、奄美大島のIRを舞台にした『第二開国』(2022)や、高校生たちがVRを駆って世界に挑む『オーグメンテッド・スカイ』(2023)など、時代を反映する作品が目を惹きます。

門田充宏『ウィンズテイル・テイルズ 時不知の魔女と刻印の子』集英社

カバーデザイン:須田杏菜
イラストレーション:syo5

 門田充宏による新シリーズの一作目、続刊(『封印の繭と運命の標』)もまもなく出る。版元の紹介文に《ウィンズテイル》シリーズとあるので、さらに続いていくのだろう。同じ集英社のラノベレーベル(ダッシュエックス文庫/オレンジ文庫)ではなく、一般向けの文庫で出版されているのがポイントだ。

 世界の大都市の中心部に黒錐門(こくすいもん)と呼ばれるゲートが出現する。そこから現れた〈徘徊者〉は、建物や人間の情報すべてを奪い取り〈石英〉に変化させてしまう。人類は抵抗するものの、120年にも渡る戦争により文明は大きく衰退し人口も激減する。ウィンズテイルは、そんな黒錐門の一つがある〈石英の森〉に面した辺境の町だった。

 主人公は町守(徘徊者の侵入を防ぐ役割)見習いに就いたばかりの少年だ。町には、外観は子どもなのに120歳を超える時不知(ときしらず)の魔女がいた。魔女には異界紋=刻印があり、実は少年のうなじにもある。何らかの能力の徴なのだが、発現するまでそれが何かは分からない。そして、離れた都市から車椅子の少女が訪れたことで、町の状況は大きく変わっていく。

 初期宮崎アニメの「未来少年コナン」とか「天空の城ラピュタ」のような、少年と少女の冒険譚を思わせる(これは解説で大森望が指摘しているとおりだろう)。登場人物の性格(内省的で過度の激情に駆られない)や行動(過剰なバトル/暴力に振り回されない)にしても、物語の展開(ファンタジーながらロジカルな設定に基づく)にしても、昨今のラノベとは異なりトラディショナルなスタイルである。とても由緒正しい少年少女もの=ジュヴナイルなので、こういう小説を求めていた読者には待望の一冊だろう。

 さてしかし、本書はシリーズのプロローグにあたる。黒錐門の正体や刻印の謎の解明はこれから、少年と少女の関係は果たしてどうなる、という期待をはらみながら次巻に続く。

阿呆の血のしからしむるところ 森見登美彦

 今回のシミルボン転載コラムは森見登美彦です。著者のペンネーム「登美彦」は、神武東征軍の奈良盆地侵攻を阻んだとされる古代の豪族「登美長髄彦」(とみのながすねひこ)から採られていますが、著者が育った新興住宅街の地名にもなっています。そういう時間的空間的なギャップは、著者の作品のルーツでもあるようで面白いですね。以下本文。

 1979年生。2003年京都大学在学中に書いた『太陽の塔』で第15回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。以降、自身が体験した京都での学生生活をベースに、誰も見たことのない魔術的京都を描き出す諸作品を発表する。2007年に『夜は短し歩けよ乙女』で第20回山本周五郎賞、2010年には『ペンギン・ハイウェイ』で第31回日本SF大賞を受賞する。

『太陽の塔』の主人公は京都大学の5回生で、振られた後輩の女子大生を“研究”している。彼女の行動を観察するため、執拗に追跡するのである。主人公は、万博公園にある太陽の塔の驚異に魅せられていた。しかし、その秘密を教えた途端、彼女は主人公への関心を失う。クリスマスを迎え、底冷えの中に震える主人公の周りには、京都の裏小路を走り抜ける叡山電鉄の幻影や、四条河原町で巻き起こる“ええじゃないか”の狂乱とともに、遥か彼方に太陽の塔が浮かび上がる。

 本書の舞台は現実の京都の街並みであり、学生向けの古びた下宿である。主人公は犯罪者めいたストーカーなのであるが、エキセントリックというより憎めない間抜けな人物として描かれている。日常描写が非現実のファンタジイに見えてしまうという意味で、魔術的なリアリズム、マジックリアリズム小説の域にあると称賛された。この後も、著者の作品の多くは、キャラクタや設定を微妙に変えながら、同じ路線で書かれることになる。

 アニメにもなった『四畳半神話体系』(2005)は、学生の四畳半での下宿生活にSF的飛躍を加えた作品となっている。今どき部屋貸しの下宿生活をする学生は少ないと思うが、京都では最近までそういう生活があたり前だった。

 主人公を巡る人々は、卒業の見込みもなく浴衣で棲息する先輩、隠された趣味を持つ先輩のライバル、サークルの権力闘争で暗躍する後輩、飲むと態度を一変させる美人歯科技工士、変人の彼らをものともしない工学部の女子大生らである。彼らを結びつけるのは、『海底二万海哩』、熊のぬいぐるみ、大量発生した蛾の群れ、猫の出汁をとるというラーメン屋、占い師の老婆……なのである。一見脈絡がなく、舞台装置がひどく古臭いのに、いかにもありそうに感じさせるのは、舞台がディープな京都だからかもしれない。最終章は一転、ハインライン「歪んだ家」筒井康隆「遠い座敷」を思わせるSFになる。

 『きつねのはなし』(2006)は短編集である。表題作「きつねのはなし」は『太陽の塔』と同時期に書かれた作品で、鷺森神社近くの得体の知れない顧客と、一乗寺の古道具屋である芳蓮堂との奇妙な関係を描いている。著者の作品は、ほぼ同じ舞台(京都市左京区の北辺や木屋町、先斗町界隈)と同じ設定(共通の登場人物)を中心にして回っている。しかし、最初の『太陽の塔』がほとんどファンタジイの領域で書かれていたのに対して、続く『四畳半神話体系』は一歩現実に接近しSF的な展開を見せ、本書に至るとホラーの様相を見せる。同じものを書きながら、ファンタジイ・SF・ホラーという非現実の3つの位相を描き分けているわけだ。本書でも最初の短編で現れた怪異が、後に続く3つの物語で拡大され、ついに現実を覆い隠してしまう。

 『夜は短し歩けよ乙女』は、2007年の山本周五郎賞受賞作。2017年4月には、先輩星野源、黒髪の乙女花澤香菜というキャストで劇場版アニメが公開された。発売以来のロングセラーで、この本が出てから森見登美彦ファンになる女性が急増したという、伝説の恋愛というか変愛(へんあい)小説である。デビュー作『太陽の塔』をリメークしたような作品にもなっている。

 5月、先斗町で開かれた結婚パーティーの後、黒髪の乙女は大酒呑みの美人歯科技工士と、浴衣姿の正体不明の男と出会い、伝説の老人と偽電気ブランの飲み比べをする。8月、下鴨神社、糺の森で開催される納涼古本市では、老人が主催する我慢大会が密かに開かれる。そこでは、乙女の探す古本をかけて過酷な闘いが繰り広げられる。11月、大学祭で繰り広げられる神出鬼没のゲリラ演劇「偏屈王」と、取り締まる事務局との争いのさなか、乙女は緋鯉のぬいぐるみを背負って歩きまわり、パンツを履き替えないパンツ総番長やリアルに造られた象の尻と出会う。12月、クリスマスの声を聞く頃、京都は悪質な風邪の病に蹂躙されるが、その根源は糺の森に潜んでいた。

 さて、本書は上記4つのエピソードからなるオムニバス形式の長編である。主人公は先輩、新入生で酒豪かつ天真爛漫な黒髪の乙女にほれ込むが、姑息なナカメ作戦(なるべく彼女の目にとまる作戦)でしか近づく手立てを思いつかない。『太陽の塔』では単なるストーカーだった主人公が、本書ではよりナンセンスの度合いを深めている。ファンタジイ=純愛を成就する男として、存在感を増しているのである。そして本書の前に書かれた『四畳半神話大系』や『きつねのはなし』でお馴染みのメンバーが多数登場する。実在の地名と実在の行事、喫茶店まで実名で出てくるのに、とても現代の京都が舞台とは思えない。京都の風景が偽物のように見えてしまう。竜巻に巻き上げられる錦鯉とか、ばらまかれる達磨、深夜の先斗町に忽然と出現する3階建ての叡山電車(もちろん3階建ての電車などない)、という謎めいたイメージの奔流にも驚かされる。

 こちらもアニメになった『有頂天家族』(2007)では、妖怪めいたキャラクタが活躍する。京都では、古来より狸と天狗たちが、人間と入り混じりながら生きていた。彼らは巧みに姿を変幻させるため、人と見分けがつかないのである。そんな狸一族の名門下鴨家は、総領の父親が狸鍋で食われてしまってから、どこか抜けたところのある4兄弟たちが助け合ってきた。彼らは叔父の率いる夷川家と狸界の覇権を賭けて対立しているのだが、何せ狸のことであるから、阿呆な事件が次から次へと巻き起こっていく。

 神通力を失い安下宿に逼塞した天狗、元は人間だが天狗の魔力を持つ妖艶な女性、年末に狸鍋を囲む怪しげな金曜倶楽部の面々。京都の街並みは変わらないけれど、前作までの京大生たちとちょっと違う魅力的なキャラクタが豊富に登場する。本書の中では「阿呆の血のしからしむるところ」というフレーズが各所に出てくる。ヴォネガットの有名なフレーズ「そういうものだ」は運命に逆らえない諦観から来るものだったが、根が陽気な狸たちは、何事も「阿呆なこと」として片付けてしまうのである。恐ろしい狸鍋でさえ、彼らにとっては阿呆な運命の一つに過ぎないのだ。

 日本SF大賞を受賞した『ペンギン・ハイウェイ』(2010)は、舞台が京都から離れ、主人公も小学生になった作品だ。著者が育った奈良県生駒市の新興住宅地(大阪のベッドタウンが多い)をイメージし、そこにスタニスワフ・レム『ソラリス』へのオマージュを込めた、思い入れのある作品だという。

 都心から離れた郊外の新興住宅街。主人公は小学校四年生で、常にノートを携行し、物事の観察に勤しむ論理的な少年だった。どんな疑問も書きとめ、読み返して意味を考える。最近のテーマは、住宅街を流れる川の源流はどこかを含む、町の詳細な地図作りだった。しかし、春が深まった5月、空き地に現れたペンギンの群れを見たときから、小さな世界はまったく別の様相を見せ始める。

 主人公はえらい科学者を夢見ていて、感情的にならず冷静に物事を見ようとする。大人がみせる鼻持ちならない高慢さからは、まだ無縁だ。といっても子供なので、喫茶店のお姉さんに憧れる気持ちが、実はどういう意味なのか分かっていない。お姉さんは謎の存在なのである。ペンギンはどこから生まれてくるのか、森の中で徘徊する生き物は一体何か、野原に出現した「海」はどういう理屈で存在できるのか。それらと、お姉さんとは関係があるのか。夏休みの中で、謎が無数に渦巻きながら、彼らを飲み込んでいく。本書の場合は、主人公が「科学者」であるところがポイントだろう。巨大な(しかし、人類を揺るがすわけではない)謎に挑む小学生の科学者なのだ。

 その後、森見登美彦は体調を崩ししばらく休筆していたが、朝日新聞連載を全面改稿した『聖なる怠け者の冒険』(2013)や、『有頂天家族二代目の帰朝』(2015)、直木賞候補ともなった『夜行』(2016)を出版して復活する。過去の作品を集大成したこれらを併せて、作家生活十周年記念作品(実際は13年だが)としている。特に最後の作品は、京都から離れた主人公が京都にもどってくる(しかし元通りにはならない)物語で、作者の心境を象徴している。

(シミルボンに2017年2月15日掲載)

 このあとも森見登美彦は『熱帯』(2018)、初期のオールスターが競演する『四畳半タイムマシン・ブルース』(2020)、ややペースを落としながらも、今年になってから大部の『シャーロックホームズの凱旋』を出すなど筆力は衰えていません。

江波光則『ソリッドステート・オーバーライド』小学館

illustration:D.Y

 小学館ガガガ文庫を中心に活動する江波光則の新作。過去にはハヤカワ文庫JAでSF(『我もまたアルカディアにあり』『屈折する星屑』)を書いてきたが、本書はホームグラウンドに準拠したSFといえる。ここで「ソリッドステート・オーバーライド」とはどういう意味なのか。半導体(LSIなど)のハッキングを連想するテクニカルターム風ながら、本書では「ロボット革命」のルビにそう振られている。つまりロボットが革命的に変化する物語なのである。

 200年間戦争が続いている。兵士はすべてロボットになっていて、3700キロに及ぶ戦線は膠着状態のまま一進一退が続く。そこを2台の衛生兵ロボットがチャンネル放送を続けながら移動していた。ある日2台は、戦場に倒れる1人の少女を発見する。体の一部を機械化しているが紛れもなく人間だった。折しも、合衆国大統領が戦争を勝利で終わらせようと動くことから事態は急転回を始める。

 作品の冒頭に、ロボット二原則(人にならねばならない/人になってはいけない)+原則修正条項(何も見てはいけない)が掲げられている。謎めいた原則だが、アシモフへの挑戦なのか最初のロボット(ソリッドステート)はアイザックと呼ばれる。舞台は少なくとも300年以上の未来、国名には〈合衆国〉とか〈首長国連邦〉が出てくる。それが現在の米国なのか、前線がメキシコ国境のことなのかは分からない。

 オーバーライドは「革命」だけでなく「上書き」(ふつうはオーバーライト)のルビにも使われる。ロボットの思考(古いものを新しいものと置き換えていく)は、上書きと表現され本書中に頻出する。自分で自分を書き換えるのだから(本来の)ノイマンマシンを意味するのかもしれない。このロボットは人工知能(AI)をベースにしていない。思考金属(シンク・メタル)で造られたものと説明される。思考することでエネルギーが発生する不可知の金属だ。動作原理は不明、少なくとも物理的な理論などは明示されない。

 凸凹ロボットコンビのマシューとガルシア、サイボーグ少女マリアベル、意味ありげな(しかし意味不明な)言葉を残す発明者スレイマン博士、ひたすら思考を重ねる第1世代のロボット、知性を感じさせない大統領ファッティー・ケト(アメフトならぬラグビーのヒーローだった)などなど、ラノベ的なキャラが登場しバトルも楽しめる。また、SFはリアルさを担保するためのハードな理屈(例えばロボットに知能を与えるポジトロン頭脳)を必要とするが、本書では代わりにソフトなオーパーツ(偶然誕生したシンク・メタル)を中核に据える。ソフトとはいえ、不可知なものが哲学的な問いかけを繰り返すところがミソだろう。

言葉の綾とり師 円城塔

 今回のシミルボン転載記事は円城塔を紹介したコラムです。2007年デビュー、5年後に芥川賞を受賞、その一方毎年のように年刊SF傑作選(大森望選)に選ばれるなど、どちらから見てもエッジに立つという特徴を持つ作家です。これは、その初期作を紹介したもの。以下本文。

 1972年生。デビュー作『Self-Reference ENGINE』は、締切の関係で第7回小松左京賞に応募、最終候補となるも伊藤計劃『虐殺器官』とともに落選する。結局、早川書房のSF叢書《Jコレクション》から2007年に出るのだが、出版にいたる合間に書かれた短編「オブ・ザ・ベースボール」で第104回文學界新人賞を受賞。また2010年「烏有比譚」で第32回野間文芸新人賞を受賞、2012年「道化師の蝶」で第146回芥川賞、2014年『屍者の帝国』では第33回日本SF大賞・特別賞を受賞する。純文学の賞とSFとが混淆する。しかし、どれもポテンシャルなしで受賞できるほど甘い賞ではない。それくらい、円城塔の作風は文学とSFの境界にあるということなのだ。

カバー:名久井直子

 『Self-Reference ENGINE』は、プロローグとエピローグに挟まれた18の短編から構成されている。未来から撃たれた女の子、蔵の奥に潜むからくり箱、世界有数の数学者26人が同時に発見した2項定理、あらゆるものが複製される世界、究極の演算速度を得た巨大知性体、謎に満ちた鯰文書の消失、無限の過去改変が可能な世界での戦争、祖母の家に埋められた20体のフロイト、宇宙を正そうとする巨大知性体たちの戦争、巨大知性体を遥かにしのぐ超越知性体の出現、過去改変は妄想だと主張する精神医、誰にも解明できない謎の日本語、知性体を飛躍させるために考えられた喜劇知性体、知性体を崩壊させた理論の存在、祖父との時空的問答を楽しむ孫娘、巨大知性体が滅びた顛末、海辺に佇む金属体エコー、超越知性体を動かし巨大知性体を滅ぼした要因。

 本書はSelf-Reference ENGINE(自己参照機械)=ある種の人工知能によって語られた物語ということになっている。フレデリック・ポール『マン・プラス』(1976)もそうだが、直接思い出すのはやはりレム「GOLEM XIV」(1981)になるだろう。ただし、法螺話風の語り口はカルヴィーノ『レ・コスミコミケ』(1965)を思わせるし、幻想の質はボルヘスかもしれない。そういった各種要素がハイブリッドされた内容は、この後の円城塔の活動を象徴するものともいえる。

 芥川賞を受賞した「道化師の蝶」を紹介しよう。この作品は、選考委員の石原慎太郎から「言葉の綾とりみたいな」わけの分からない作品だと強く反対されたが、川上弘美、島田雅彦らの熱心な支持を受けて受賞した(ちなみに石原慎太郎は、この回を最後に選考委員を辞する)。本作は物語の流れを自在に操るアクロバットのような作品で、筋を追うだけの読み方では、行方を見失う読者も出てくるだろう。こんな話だ。

 東京シアトル間を飛ぶ航空機の中で、永遠に旅を続けるエイブラムス氏と出会う。エイブラムス氏に、旅の間しか読めない本の話をすると、氏は蝶の姿を持つ“着想”を捕まえる網を見せてくれる。それは、この世のものではない道化師の模様を持つ蝶だ。この後5章にわたって、物語は順次視点を変えて描かれる。ある章は友幸友幸という作家が、無活用ラテン語で書いた小説だったとされ、友幸友幸は二十の語族の言語で小説を書いた人物とあり、その翻訳者は、故人となったエイブラムス氏の財団から依頼を受けて友幸友幸を追跡している。しかし、レポートを受け取る財団の網/手芸品の解読者こそが、もしかすると友幸友幸かもしれず、解読者が作った網こそ、最初にエイブラムス氏が見せてくれたものかもしれない。最後に物語の時間順序は逆転し、冒頭のシーンにつながっている。

 二転三転する性別、時間軸も一直線ではなく、事実と嘘との境界も曖昧だ。10人中2人が絶賛し、3人は分からないと怒り、5人は寝てしまう難解な小説と言われた。これは公式な選評ではなく冗談なのだが、選考委員黒井千次も、最後まで読み切れなかったと告白している。そのため、発表当時から作品の解釈や、ナボコフとの関連性を論じた解説記事などがよく読まれた。ただし、著者自身がそういった詳細な読み解きを奨めるわけではない。

カバー:朝倉めぐみ

 「道化師の蝶」が収められた同題の短編集には、もう一編「松の枝の記」が収録されている。お互いの小説を翻案しあった異国の2人の作家が、10年目に邂逅を果たすお話だ。自分の小説を翻訳してからまた自国語に訳し直すという、まさにナボコフを思わせる迷宮感がある。純然たるフィクションと思っていたのだが、作中作が円城塔訳チャールズ・ユウ『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』(2010)として2014年に出版されると、まるで著者の書くフィクションによって現実が侵食されたような不条理感を覚える。

 最後に『プロローグ』を紹介する。〈文學界〉に連載された長編で、2015年11月に単行本が出たもの。同時並行して〈SFマガジン〉に連載され、10月に書籍化された『エピローグ』と対を成す作品である。同じ話を純文学とSFで書いたが、『プロローグ』は期せずして『エピローグ』をメイキングする私小説(リアルな著者が訪れた地名と関係する描写がある)となったのだという。この発言を含む、本書をテーマとした大森望との対談は『プロローグ』刊行記念対談 円城塔×大森望「文学とSFの狭間で」として電子書籍化されている。ワンペアの両作を読み解く鍵にもなるだろう。

カバー:シライシユウコ

 まず言葉を同定する、日本語だ。次に文字セットの漢字を「千字文」から決め、スクリプトをRubyに、人物の姓名を「新撰姓氏録」から決める。次に設定を決め十三氏族が登場する。21ある勅撰和歌集を分解し、舞台を河南と設定し、小説の分散管理を構想する。次に和歌集を素材に語句のベクトルを統計分析し、世界が許容する人の容量を決める。最後には、全ての章に使用された漢字と語句の統計分析を行う。

 版元の紹介文とはだいぶ異なるが、使用されるツールを並べていくと上記のようになる(これで全てではない)。小説を機械で自動生成するという試みは、過去から現在までいくつもある。残念ながら成果は途上で、文学のシミュラクラ(本物そっくり)レベルにはまだ届かない。その一方、小説を統計的に読み解いて、新しい解釈を加える論考も存在する。本書は計算機の書いた小説ではない。逆に、さまざまなツールを駆使して、ある程度自動的に小説を書こうとする試みだ。ツールの吐き出す定量的なデータの中には、とても興味深いものがある。あいまいさがない分、本質的な何かが分かったような気になれる。ただし、それが何かかは定かではないが。

カバー:シライシユウコ

 文藝評論家のレビューでは、ツールの面白さがほとんど触れられていない。データ解析をするための道具=ソフトを使って「創作する」行為自体が、実感し難いのだろう。実際にソフトを書く=コーディングしているのがポイントで、実践を伴うことでリアリティが増すのである。論文ではないから考察がない。考察の代わりに物語が置かれている。確かに、実在する自動出力装置を使った私小説といえる。石原慎太郎は「言葉の綾とり」を批判的な文脈で用いたが、実際、円城塔は言葉の綾とりを試みているのかもしれない。そこには、誰一人見たことのない新しい形象が姿を現しているのだ。

(シミルボンに2017年2月12日掲載)

 このあと、円城塔はますます言葉に拘泥していきます。その代表作が『文字渦』(2018)で第39回日本SF大賞、第43回川端康成文学賞を受賞、さらにはラフカディオ・ハーン『怪談』を翻訳文体で新訳するなど(平井呈一らの既訳は日本の民話風に寄せている)その行方が見えません。一方『ゴジラS.P』(脚本+ノベライズ)なども手がけています。これも(アニメも小説も)、庵野秀明でもやらない言葉の洪水が印象的でした。

ウルトラ世界を別視点から描き直す

 シミルボン転載コラムは、先週との関連になりますが、ウルトラ世界について書いた2016年のコラムを紹介します。こちらでは山本弘さんだけではなく、4年前亡くなった小林泰三作品を紹介しています。以下本文。

 2013年のデル・トロ版怪獣映画《パシフィック・リム》や2014年のギャレス版ゴジラから、怪獣ものは大人向けエンタテインメントとして再び注目を集めるようになった。それらが、「シン・ゴジラ」を生み出す原動力になったことは確かだろう。怪獣といえば、映画のゴジラに対し、もう一つTVでの原点となるのが円谷プロによる《ウルトラシリーズ》である。

カバー:開田裕治、後藤正行

 『多々良島ふたたび』は、2015年7月に出たアンソロジイで、円谷プロと早川書房(SFマガジン)とのコラボから生まれたものだ。収録作と著者解説は、すべて2015年に出たSFマガジンに掲載されたもの。2015年は怪獣アンソロジイが多数出た(たとえば『怪獣文藝の逆襲』)。それらの多くは、「ウルトラQ」「ウルトラマン」など《ウルトラシリーズ》に対するオマージュに基づく。本書は、その中でもオフィシャルなコラボということで、具体的な怪獣名なども含め、明確に元ネタを明らかにしている点が特長だろう。

 山本弘「多々良島ふたたび」レッドキングとウルトラマンが死闘を演じた島に観測員たちが再上陸する。北野勇作「宇宙からの贈りものたち」防災委員に任命された青年は火星のバラを荒らすナメクジの話を聞く。小林泰三「マウンテンピーナッツ」過激な環境保護団体が、ウルトラマンの怪獣退治を妨害する。三津田信三「影が来る」いつのまにか自分の分身が現われ、勝手に行動するようになる。藤崎慎吾「変身障害」ウルトラセブンが精神を病み、危機に陥っても変身できなくなる。田中啓文「怪獣ルクスビグラの足型を取った男」怪獣の足形を取る特殊な職務は、時代に合わず廃れつつあった。酉島伝法「痕の祀り」倒された怪獣を解体する任務に就く、特殊清掃会社の社員たち。

 ウルトラマン(多々良島)、ウルトラQ(ナメゴン、バルンガ)、ウルトラマンネクサス/ギンガ、ウルトラセブンなどなど、元ネタがあるといっても、大半は2次創作やパスティーシュとは少し違うものだろう。表題作「多々良島…」のみは原典の続編といっても良いが、頽廃感が漂う「宇宙からの…」、正義の立場を逆説的に問う「マウンテンピーナッツ」、ウルトラQ的な不条理感がある「影が来る」、現代の病理に犯されるセブン「変身障害」、滅びゆく職業への哀惜が感じられる「怪獣ルクスブグラ…」、独特の奇怪な会社を描く「痕の祀り」と、各作家の世界観にウルトラ怪獣(の固有名詞)をはめ込んだらどうなるかを試しているかのようだ。

カバー: 後藤正行

 なお、このうち「多々良島ふたたび」「怪獣ルクスビグラの足型を取った男」は2016年の星雲賞(国内短篇部門)を同時受賞している。

 引き続きコラボ企画の第2弾は、三島浩司『ウルトラマンデュアル』である。同書はウルトラマンの大枠を生かしながらも、設定や怪獣名などは独自のものだ。いわば別世界のウルトラマンだった。それに対し、第3弾小林泰三『ウルトラマンF』は、登場人物(早田=ハヤタ、嵐=アラシ、井出=イデ、そして富士明子=フジ・アキコ)や怪獣の名前(ゴモラ、ブルトン、ゼットン、ケムール人、メフィラス星人)も含め、オリジナルの設定をできるだけ取り入れているのが特長だ。その範囲は、《ウルトラQ》から《平成ウルトラマン》までを含む非常に広範囲なものになっている。

カバー:後藤正行

 《初代ウルトラマン》終了直後の時代、ウルトラマンは地球を去ったが、怪獣の脅威は収まることがなかった。科学特捜隊は、ウルトラマンの技術を応用したアーマーで対抗する。某国では人間の巨大化開発を進め、別の某国でも密かに兵器化を模索していた。しかし、強力な怪獣を倒すためには、不完全な兵器では力不足だ。かつて、メフィラス星人により巨大化した実績のある富士隊員の力が必要だった。

 ウルトラマンに限らず、ヒーローものや怪獣ものを小説にすると、物語に矛盾があったり科学的といえない設定が出てきたりする。しかし、50周年を迎えるウルトラマンともなると歴史的な重みがある。安易な改変をしてしまうと、いらぬ批判を招くことになる。原典はあくまで変えず、別の理屈で説明/解釈するしかない。こういう「解釈改変」は、山本弘の《MM9》などでも見られ、特撮とハードSF両者に拘るマニアックな著者らしい手法といえる。

 本書はそういう《ウルトラシリーズ》全体に対するオマージュであると同時に、初代ウルトラマン唯一の女性隊員フジ・アキコの物語となっている。コラボという背景がなければ、きわめて良くできた2次創作と言うしかない。それだけ著者のこだわりが際立っている。とはいえ、ライトなファンであっても十分に楽しめる作品に昇華できている。

(シミルボンに2016年8月27日掲載)

 小林泰三さんはこの4年後の2020年に亡くなっています。「シン・ウルトラマン」公開は2022年のこと。『ウルトラマンF』との類似性も指摘されていますが、マニアは同じように考えるという結果なのでしょう。映画についてはこちらをご参照ください

嵯峨景子+日本SF作家クラブ編『少女小説とSF』星海社

Illustlation:orie
Book Design:長崎綾(next door design)
Font Direction:紺野慎一+十三元絵里

 編者の嵯峨景子は日本SF作家クラブの会員ではないが、少女小説についての著作を複数持つ専門家だ。編者は少女小説を「少女を主たる読者層と想定して執筆された小説」と定義する。明治期の家庭小説や吉屋信子に遡る歴史があるが、本書は「少女小説の書き手によるSFへの貢献」というコンセプトを掲げ、(クラブ員とは限らない)実績豊富な作家を集めたオリジナル(書下し)・アンソロジイである。

 新井素子「この日、あたしは」ある日、あたしは枕型の幼児対応AIと再会する。そこから現在のパーソナルAIとあたしは倫理規定の変化について会話する。
 皆川ゆか「ぼくの好きな貌」双子の妹が死んだあと姉の体に異変が生じる。対照的な生き方をしてきた妹の顔が、人面瘡のように表れるのだ。
 ひかわ玲子「わたしと「わたし」」わたしは人とは違っていた。すべての子どもは二人一組なのに、自分だけが一人なのだ。それでは十歳の儀式を迎えられないという。
 若木未生「ロストグリーン」ドーム都市に住む、引きこもりの少年作曲家と編曲家。新曲すべてがヒットするコンビに鎮魂歌の依頼が来る。
 津守時生「守護するもの」家族皆殺しの中を生き残った主人公は、今では相棒と共に凶悪な宇宙犯罪者を狩る賞金稼ぎになった。
 榎木洋子「あなたのお家はどこ?」植民星で学校生活を送る少女は、親との約束を守らなかったことを咎められ、ささやかな家出を試みる。
 雪乃紗衣「一つ星」発光する奇妙な首輪を嵌められた少女は、出会った少年と共に氷が溶けない北を目指して旅を続ける。
 紅玉いづき「とりかえばやのかぐや姫」竹から生まれた美しい男は、無理難題を並べて求婚者を退ける。かぐや女帝は、その男に惹かれるようになる。
 辻村七子「或る恋人達の話」18世紀、蒸気革命が成ったフランス。恋人同士だった二人は、次々変わる法令の隙間を縫って性別を取り換えていく。

 各作品に著者紹介と解説が入り、さらに編者による概説「少女小説とSFの交点」、巻末には著者コメントもあるなど、一般読者へのサポートが充実している。作家も、始祖新井素子らベテランから中堅作家まで、およそ40年の幅で網羅されている。

 デビュー年~主な舞台(ラノベは対象読者層を細分化しているので、文庫のレーベル名=作品の傾向を表す)を記していくと、新井素子(1978年~集英社コバルト文庫)、皆川ゆか(87年~講談社X文庫ティーンズハート)、ひかわ玲子(88年~X文庫ホワイトハート)、若木未生(89年~コバルト文庫)、津守時生(90年~新書館ウィングス文庫)、榎木洋子(91年~コバルト文庫)、雪乃紗衣(2003年~角川ビーンズ文庫)、紅玉いづき(07年~メディアワークス電撃文庫)、辻村七子(14年~集英社オレンジ文庫)となる。

 スタイルは旧来型だがメッセージ性を高めた新井素子、姉妹や双子など女性ペアの苦悩を描く皆川ゆかとひかわ玲子、若木未生と津守時生も変格的なペアのお話だろう。榎木洋子と雪乃紗衣はオチがついた少女の冒険もの、紅玉いづきは逆転した竹取物語、辻村七子はスチームパンク薔薇/百合小説といえる。最後まで至ると「一般読者が読む小説」に近くなる。レーベルの規範をはみ出す変格的な作家が増えるためなのだろう。

 デビュー順の編年体で編まれており、評者も若木未生まではある程度知っていた。ただ、以降の世代は一部(辻村七子のデビュー作はSF界からも注目された)を除いてあまり読んでいない。これだけ広がったラノベの一部とはいえ、何を読むべきか目安が得られるアンソロジイは有用である。