坂崎かおる『箱庭クロニクル』講談社

切り絵:Teresa Currea
装幀:岡本歌織(next door design)

 4月に出た『嘘つき姫』に続く坂崎かおるの第2短編集である。全部で6作品を収め、半分は小説現代に掲載(そのうち「ベルを鳴らして」は第77回 日本推理作家協会賞短編部門を受賞)、さらに徳島新聞掲載の掌編と2作の書き下ろしを含む。

 ベルを鳴らして(2023/7)1930年代の日本、主人公は邦文タイプライターの学校に通い中国人の先生から才能を認められるが、世の中では不穏な空気が膨らんでいく。
 イン・ザ・ヘブン(2023/10)アメリカの地方、母親は性的な本を禁書にしない学校を認めない。そのせいで主人公は学校を辞めさせられ、家庭教師から学ぶようになる。
 名前をつけてやる(書下ろし)均一ショップに安い輸入品を卸す会社で、主人公はパッケージングとネーミングの仕事をしている。そこに寡黙な新人がやってくる。
 あしながおばさん(書下ろし)揚げ物チェーン店で、主人公はバイト女子大生が気に入る。特にスタンプの押し方が良かった。ところが、そのスタンプが廃止になる。
 あたたかくもやわらかくもないそれ(2024/4)ゾンビが治る薬はマツモトキヨシでも売っている。小学生だったころ、そんなうわさを信じて友人と探し回った。
 渦とコリオリ(2023/8)市民ホールで行われるバレエの公演に主人公も誘われる。そこには姉もいて、演技について容赦ない文句をつけてくる(新聞掲載の掌編)。

 前著からは、収録作の主たる発表媒体も一般向けの小説誌に変わり、もしかしたら作者は心を入れ替えハートウォーミング路線に転向したのでは、と思ったが(もちろん)そうではない。やはり陥穽が物語のあとに控えている。

 「ベルを鳴らして」でタイプライターに入れ込む主人公は、先生の入力速度/精度に勝とうと異様なまでに執念を燃やす。「イン・ザ・ヘブン」では偏執的な母親に辟易する主人公は、家庭教師に救いを求める。「名前をつけてやる」ではバグチャルに新たな名前を付けるのだが、新人の意外な特技が判明する。「あしながおばさん」は、家庭に小さなわだかまりがあって、主人公のおばさんは女子大生の実直さと明るさに惹かれる。「あたたかくもやわらかくもないそれ」は、小学校時代の記憶(ゾンビはコロナに近い感染症らしい)と新幹線車中の出来事とが重なる。「渦とコリオリ」の姉は、冒頭から死んでいることが明らかにされる。

 ところが、これらは発端に過ぎない。登場する「好い人」「まじめな人」らしき人々は、過去なり現在なりに何か仄暗いものを抱えていて、物語がハッピーに終るのを妨げる。表題の『箱庭クロニクル』の箱庭とは、各登場人物たちの生きざまを指すのだろう。人の一生など、社会全体から見れば小さな箱庭に過ぎないからだ。しかし、どれにも一生分の時間=歴史(クロニクル)はある。そして、深い穴の存在も。

日本SF作家クラブ編『AIとSF2』早川書房

カバーデザイン:岩郷重力+Y,S

 昨年出た『AIとSF』の第2弾。前巻は22編(22作家)を集めた大部のアンソロジーだったが、今回11編と半減、しかし書籍としてはこちらの方が100ページ余り分厚い。巻頭に長谷敏司のノヴェラ(300枚強の短めの長編)を収めるなど、中編クラスがメインのためだろう。AIテーマが熟れたせいなのか、昨年版より絞り込まれた作品が多いように思われる。

 長谷敏司「竜を殺す」兼業作家の一人息子が殺人を犯す。子どものことを分かっていなかったと嘆く主人公は、被害者の背景を調べるうちに思いがけない事実を知る。
 人間六度「烙印の名はヒト 第一章 ラブ:夢看る介護肢」〈介護肢=ケアボット〉は〈メタ〉を自己肯定感で満たすために働く(新作書下ろし長編の冒頭部分)。
 池澤春菜「I traviati 最後の女優」最後の舞台女優と呼ばれる主人公は、インプラントしたパーソナルAIを使ってAI単体ではできない最高の朗読劇を演じようとする。
 津久井五月「生前葬と予言獣」災害危険区域から住民を移転させるプロジェクトで対話型AIが説得に使われる。しかしなかなか理解は得られなかった。
 茜灯里「幸せなアポトーシス」国のノーベル賞級卓越研究のため、不老不死研究で知られる生命科学者の脳情報がAIにインストールされる。期待通りの成果が生まれ始めるが。
 揚羽はな「看取りプロトコル」アンドロイドAIが終末期医療で看取るのは、火星から帰還した末期がんの患者だった。患者は意外な要求をしてくる。
 海猫沢めろん「月面における人間性回復運動の失敗」月のオートタクシーを運転するAIと人間のペアのところに、危ないお客が乗ってきてかみ合わない会話を交わす。
 黒石迩守「意識の繭」世界に蔓延する電脳昏睡症の治療のため、Rアバターが開発される。外部から脳を刺激するBCI用のアプリだったが、やがて病の真相が明らかになる。
 樋口恭介「X-7329」意識を持つAI、X-7329が最後のアナログ=人間を排除するために森の中を徘徊する(ChatGPT-40などを全面的に使用して生成した作品)。
 円城塔「魔の王が見る」アレケトが3日かかって道路を横断し、世界がちぐはぐに見えて、NNはニューラル・ネットワークではなくネームド・ネームレスである。
 塩崎ツトム「ベニィ」ある家族の兄弟たちの運命は、1950年代にアメリカの国家プロジェクトとして密かに進められたある計算機の開発へと収斂していく。

 目の前、10年後の未来を舞台とする「竜を殺す」は家族の物語である。単身赴任中のため不在の妻、解雇通知を受けた塾講師で兼業作家の夫、親や友人よりスマホAIに依存する(この時代ではふつうの)高校生の3人家族だ。この社会/この家族で起こる問題は、いまの時点で(少なくとも兆しが)あるものばかりといえる。たとえば作家はAIに流行を分析させ、AIが生成する物語を編集して作品にする。善し悪しとは無関係に、AIは欠かせない道具になっている。

 アンソロジーで目立つのはAI時代の作家のあり方だろう。「竜を殺す」の作家はAIのオペレータのようであるし、その現在形がプロンプトで物語を(実際に)生成した「X-7329」なのだ。「ベニイ」では複雑な家族関係と偽史(架空のコンピュータ史)を絡める中で、小説を含む文化自体の存在意義が問われている。

 「烙印の名はヒト 第一章 ラブ:夢看る介護肢」と「看取りプロトコル」では、終末期用介護士/看護師アンドロイドが出てくる。「I traviati 最後の女優」「幸せなアポトーシス」「意識の繭」では、脳インプラント型アシスタントや脳の複製=ツインがキーとなっている。これらは、拡張(増幅)機能としての(いわゆる人工知能に捕らわれない)AIが人に何を及ぼすかが描かれる。「生前葬と予言獣」はVRを組み合わせて人に希望を抱かせるアイデア、「月面における人間性回復運動の失敗」や「魔の王が見る」はテーマを逆手にとる独自の展開ながら面白い。

野﨑まど『小説』講談社

装幀:川谷康久

 前作『タイタン』から4年ぶりの新作長編である。小説現代2024年10月号一挙掲載後に単行本化されたもの。『小説』というシンプルにして大胆な表題だが、「書く」と「読む」の2つの面が描かれている。主人公は主に後者の立場だ。著者は、テイヤール・ド・シャルダン『現象としての人間』を契機として構想が産まれたとも語る(上掲の著者インタビュー)。

 主人公は医師の息子で幼いころから本を読んでいた。父親を喜ばすため大人向けの本を選んでいたが、中でも小説にのめり込むようになる。やがて、転居した都内の小学校で1人の読書仲間を得る。学校の隣には明治以来の大きなお屋敷があり、有名な作家が住んでいるらしかった。黙って忍び込んだ2人は、髭もじゃの作家の書庫に案内され自由に本が読めるようになる。

 作家のペンネームは2人には明らかにされず、どんな本を書いたのかは分からない。屋敷には芥川龍之介も住んだことがあったらしく、さらに、地下の謎の空間で作家の孫の同学年らしい女の子を見かける。主人公は太宰治、司馬遼太郎、トールキン、高橋克彦(『総門谷』)、小泉八雲などなどと出会い、そしてアイルランドの詩人イェイツに至る。同じような読書体験をした人は結構いるはずだ。

 物語は、元科学者の小学校教諭、博物館の研究者、屋敷を管理する税理士、警視庁の警部補ら多数の登場人物と、小学校から30代に至る時間が断続的に(しかし文章としてはシームレスに)繋がり、(自身の体験や取材を交えた)日常世界とイェイツの詩の幻想世界が、また切れ目のない一続きで描かれている。それにしても、シャルダンのオメガ点と「読むこと」とは普通なら結びつかない。驚きの発想だろう。何のアウトプットも出せないまま膨大な物語をただ読み続ける世の読書家に、その意味を(肯定的に)問う啓蒙の書といえるのかもしれない。

SFマガジン編集部編『恋する星屑 BLSFアンソロジー』早川書房

カバーデザイン:坂野公一(welle design)
カバーイラスト:中村明日美子

 SFマガジン2022年4月号と2024年4月号のBLSF特集掲載作に、新たに書下ろし2作、同人誌からの転載1編を加えたBL小説アンソロジーである。全部で12作品(コミック2作を含む)の中短編からなる。著者も、BLでスタートした直木賞作家の一穗ミチから、初チャレンジに近い(と思われる)小川一水、BLレーベルのジャンル小説を主力とする書き手やベテラン同人作家までと多岐にわたる。

 榎田尤利「聖域」2 LBS(ロイヤル・バトラー・システム)を開発したグループのチーム長はある性癖を抱えていた。その私邸に見知らぬ青年が訪れる。
 小川一水「二人しかいない!」1 星間貨客船が異星人ハトラックにハイジャックされ、女装した学生とスーツの男だけが無人船に拉致される。なぜ2人なのか。
 高河ゆん「ナイトフォールと悪魔さん 0話」(2024)仮想の島の中で会う2人は、ナイトフォールと悪魔さんと名乗り合ったが正体は不明だった。(コミック)
 おにぎり1000米「運命のセミあるいはまなざしの帝国」(書下ろし)小さな探偵事務所に高校生の少年が人捜しを依頼してくる。友人が森に行ってしまうのだという。
 竹田人造「ラブラブ⭐︎ラフトーク」2 対話型個人推進システム=ラフトークの勧めに従っていれば、十分な満足が得られるはずだった。しかしそれも先週までのこと。
 琴柱遙「風が吹く日を待っている」1 1960年、北インドのカシミールにあった難民キャンプで男が赤ん坊を産む。オメガバースがはじめて明らかになったのだ。
 尾上与一「テセウスを殺す」2 「意志の中核」だけを移していくことが可能になった時代、富裕層だけでなく犯罪者もその技術を使い、検察の特効執行群が追う。
 吟鳥子「HabitableにしてCognizableな意味で」1 1980年代から2050年代まで、2人の男の子から始まる関係の変遷がおよそ10年単位で描かれる。(コミック)
 吉上亮「聖歌隊」(書下ろし)海から押し寄せてくる齲(むし)の群れを迎え撃つために、唱年(しょうねん)たちの聖歌隊は「歌」を武器に戦う。
 木原音瀬「断」1 離婚を契機に大手を辞め、小さな不動産屋に勤める主人公は夜中に奇妙な音が聞こえるようになる。そこになれなれしい青年も加わり事態は混乱する。
 樋口美沙緒「一億年先にきみがいても」2 遠い惑星で1人暮らしていた主人公は、銀河ラジオに投稿した音楽がきっかけで巨大な宇宙船を招くことになる。
 一穂ミチ「BL」1 ある国の児童養護施設で、親元から離された天才児たちが訓練を受けていた。ペアとなった2人は他国で暮らすことになるが、秘密の計画を温めていた。
 1:SFM2022年4月号掲載、2:SFM2024年4月号掲載

 SF縛りなので異形の性が描かれたものがいくつかある。おにぎり1000米のフェアリー(セミとニンフ)、琴柱遙のαとΩ(オメガ)など6つの性の組み合わせ、樋口美沙緒のベイシクスとフィニアスは、人口激減を男による妊娠で解決する(風刺的な一面を持つ)作品だ。AI絡みのコメディとした榎田尤利と竹田人造、ネタ的なギャグの小川一水と木原音瀬、BLをあえて背景に下げ物語を前面に押し出した尾上与一、吉上亮、一穂ミチらの作品も面白い。高河ゆんと吟鳥子のコミックは、BL要素のエッセンス的なもの(コンデンストBL)といえる。

 少年愛や耽美小説、やおいを経てジャンルを成すまで、BLは独自の歴史を刻んできた。徳間キャラ文庫、SHYノベルス、リブレ、エクレア文庫、白泉社花丸文庫、新書館ディアプラス文庫と、本書収録の著者が書くBLのレーベルも数多くある。ただ、評者が手に取る機会は(よほど話題性がない限り)あまりなかった。両方の趣味があれば別だが、読み手からすれば隔絶されたジャンルだったわけだ。とはいえ、BLSFもSFBLもサブジャンル的には存在しうる。交流は常にあったほうが多様性を楽しめて良いだろう。

小川哲『スメラミシング』河出書房新社

装画:jyari
装丁:川名潤

 小川哲の最新短編集。「陰謀論、サイコサスペンス、神と人類の未来を問う弩級エンタメ集」と惹句が並ぶが、(大きな意味での)宗教をテーマとした作品集である。収録作は冒頭の作品がアンソロジーの『NOVA2019年春号』、巻末が同じくアンソロジーの『Voyage 想像見聞録』(もともとは小説現代に掲載)である他は、すべて文藝に載った作品だ。

宗教とか神様について考えることは、根源的に人間の欲望に内蔵されているもので、それについて考えることは、小説について考えることにもつながるだろうと。人々の欲望を満たそうという、僕ら小説家が普段しようとしていることを、いろいろな角度から考えてみたかったというのがあると思います。

「人間には陰謀論的な思考回路がつねにある」 作家・小川哲が『スメラミシング』で描いた信仰と宗教 | CINRA

 七十人の翻訳者たち(2018)紀元前3世紀、ヘブライ語の(旧約)聖書をギリシャ語に翻訳した七十人訳聖書が作られた。しかしその内容には重大な問題があった。
 密林の殯(2019)主人公は天皇に縁がある由緒ある八瀬童子の子孫だったが、仕事を継ぐつもりはなく、なぜか宅配荷物の配達に生きがいを感じていた。
 スメラミシング(2022)ディープステートにノーマスク運動、さまざまな怪しい情報が渦巻く中で崇拝を集めるスメラミシングと、その代弁者の活動。
 神についての方程式(2022)未来のいつか、宗教団体「ゼロ・インフィニティ」の起源を探る宗教考古学者は、開祖と伝道者の正体に迫ろうとする。
 啓蒙の光が、すべての幻を祓う日まで(2024)理国の正史にも取り入れられている叙事詩に、重大な矛盾点が指摘される。それは神の存在に関するものだった。
 ちょっとした奇跡(2021)第2の月により自転が停まった大異変後の地球では、少数の人類が明暗境界線を移動していく車両の中だけで生きながらえていた。

 著者は、小説の原点は聖書にあると述べている(上記参照)。七十人訳聖書もヘブライ語部分は一部に過ぎず、それも(さまざまな伝承を寄せ集めたため)一貫していない。ギリシャ語段階で追加(創作)されたところも多い。つまりその出自からいっても「嘘」が前提の小説に近い存在なのである。そこから、人がなぜ陰謀論=極端な嘘に惑わされるのかの理由が想像できる。嘘であるほど(虚構が大きいほど)人は魅了されるのだ。

 本書では、聖書の矛盾、伝統的な宗教と新たな宗教儀式ともいえる宅配、陰謀論者たちとホテル勤務の(隠された記憶を抱える)青年の空虚な生きかたの対比、インドで生まれたゼロの存在と新たな宗教の理念、逆に神の否定が産み出すある種の教条主義が描かれる。「ちょっとした奇跡」だけは異色だが、黙示録的な世界に生きる終末期人類の物語と思えばしっくりくるだろう。

林譲治『知能侵蝕(全4巻)』早川書房

Cover Illustration:Rey Hori/Cover Design:岩郷重力+Y.S

 2024年1月から刊行が始まった、林譲治の最新長編『知能侵蝕』が10月の第4巻(第4分冊)で完結した。第41回日本SF大賞受賞作でもある2018-19年の《星系出雲の兵站》、2019-20年の《星系出雲の兵站ー遠征ー》を始めとして、著者の本格SFは、2021-22年の《大日本帝国の銀河》、2022-23年《工作艦明石の孤独》と切れ目なく書かれてきた。それぞれ分冊化されてはいるが、全体で1つの長編となっている。書き下ろされるごとに出版という構成力が問われる形式で、完成済み原稿の分量割りとはひと味違う。今回は遠未来や過去ではなく、十数年後の近未来が舞台となる。

 2030年代末、航空宇宙自衛隊の観測班長は、地球軌道上にあるデブリが不可解な動きをしていることに気がつく。考えられない現象だが、知見のない防衛省に上げても反応がないことを見越して、情報は国立の研究所NIRCに伝えられる。デブリが向かう高度65000キロの軌道上に遷移した、小惑星オシリスが関係していると考えられた。軌道要素から見てエネルギー保存則を破るような現象が生じているのだ。一方、地方の山中にある廃ホテルでは奇怪な事件が起こっていた。

 オシリス偵察のため急遽打ち上げられた宇宙船が遭難、1人生き残った自衛官は小惑星内に取り込まれる。内部には複雑な洞窟があり、なぜか呼吸可能な大気で与圧されている。そこには、廃ホテルから拉致されたらしい2人の日本人がいた。オビックと名付けられた未知の存在は、さまざまな手段で地球侵攻を図ろうとしているらしい。その一つ、軌道エレベータの建造を阻止するため、モルディブ沖で海戦が勃発する。

 小惑星内で生活する人間はさらに2人加わる。ただ、挙動がおかしい者もいた。オビックはミリマシンと呼ばれる超小型の機械を使うのだが、それが人間に擬態するのだ。小惑星では、オビックの宇宙船が製造され地球へと来襲する。大半は迎撃されるものの、1部はアフリカ中央部に下り、軍事会社が採掘権を持つ鉱山を制圧する。

 鉱山からオビックは世界中に拡散する。だが、放棄された廃鉱山ばかりが狙われる。日本でも地方に来襲するが、自衛隊は正規軍を都市防衛に温存し、替わりに中高年のMJS(非正規雇用部隊)を前線に送り出す。一方のNIRCでは敵の本拠地である小惑星を攻撃するため、原子力推進の宇宙船を各国分担で打ち上げ、一気に事態の打開を図ろうとする。

 近未来、日本は極度の人材不足に陥っている。特に高度なスキルを要する研究者レベルが不足する。優秀な人材がいなければ、先端技術はすべて外国頼みとなる。航空宇宙自衛隊でも人手は足りず、JAXAや天文台の科学者が徴用され穴を埋めている。NIRCも危機管理のための科学者組織である。だが、旧態依然とした縦割り官僚組織はメンツを優先し、配下にない部署からの具申など見向きもしない。著者のこういう皮肉な視点は、非正規雇用者からなる使い捨て部隊MJSで顕著にあらわれる。非正規のため、死傷しても自己責任なのだ。

 本書ではオビックという異質の知性が登場する。人類を凌駕する科学技術を持つのに、その行動は合理的ではない。何かが起こると学習こそするものの、人が常識と思う判断は行われず柔軟性にも欠けている。なぜそうなのかは本書を読んでいただくとして、《星系出雲の兵站》に出てくるガイナスも同様の「知的生命」だった。著者は地球外の知性に対してやや悲観的な見方をしているようだ。

 ところで、本書の結末はイーガンテイラーかという終わり方(オチではない)であるが、これもある種のパロディなのかもしれない。

榎本憲男『エアー3.0』小学館

装丁:高柳雅人
カバー写真:Gregory Adams,Lori Andrews / Moment / getty images

 映画監督でも知られる著者の最新長編。本書は、2015年に書かれた小説デビュー作『エアー2.0』の続編になる。福島原発の作業員だった主人公が、新国立競技場の建設現場で知り合った老人の助言を得て競馬の大穴を的中させる。ところが、それは「エアー」と呼ばれる予測システムを使った結果で人の感情(空気)の数値化が可能なのだという。国家レベルのビッグデータを与えれば、さらに広範囲の予測が可能になるらしい。主人公は賞金を元手に政府との交渉にあたり、福島の帰宅困難地域に経済自由区(特区)を設けるまで影響力を広げていく。ここまでが前作になる。

 自由区は奇跡的な成長を遂げた。まほろばと呼ばれ、自由区内ではカンロという独自のデジタル通貨が流通する。1円が1カンロに換算され、一方通行だが借りても利子を取られない。自由区内の企業にはカンロで投資が行われ、経済圏は外部の企業にまで拡大する。その裏付けには、エアーの運用よる莫大なフィンテック資産が充てられた。まほろばの拠点は海外にも広がる。それも、グローバルサウスやBRICS諸国に。日本政府は予想外の動きを警戒する。

 まほろばの代表となる主人公は、もともと一介の作業員だった。しかし巨額の資金をインフラ事業に投資するうちに、倫理的に目指すべき目標を考えるようになる。優秀な元官僚(副代表)、旧知の通訳やアナウンサーの助けを借りながら独自の理想を極めていくが、既得権者はそれを快く思わない。

 《エアー・シリーズ》は経済をテーマとしたポリティカル・フィクションである。前作では国内政治、本書では国際政治が舞台となる。架空のデジタル通貨による「新しい資本主義」を打ち立て(その裏付けにSF的なエアーを置き)、ドル経済圏に支配された新自由主義体制からの脱却が模索される。さらに、エマニュエル・トッドやアジア的な価値観に基づく主張が加わる。その点をどう評価するかは人それぞれだが、G7の権威が揺らぐ今日を反映した見方といえる。

 この物語の「エアー」は今風のAIよりも、安部公房の「予言機械」に近い存在である。ブラックボックス(AIの知性も同様ではある)で、世界のあらゆる動勢を予見できるけれど、自らの意思は持たない。哲学や数学の権威とする老人も謎めいた存在だ。ハリ・セルダンのように、死してなおメッセージ(メール)を送ってくるのである。環境問題に振った『未来省』と読み比べるのも面白いかもしれない。

砂川文次『越境』文藝春秋

デザイン:中川真吾

 著者は元自衛官の芥川賞作家として知られている。本書は、文學界2023年1月号~3月号に集中連載された長編。2020年の短編「小隊」と同じ時間線上にある近未来ミリタリ小説/ロードノベルである。「小隊」は、北海道にロシア軍が侵攻した後、それに直面する自衛隊の凄惨な最前線をマジックリアリズム的に描いたものだ。文春オンラインでコミック版が読める(現在連載中)。

 主人公は対戦車ヘリの副操縦士だった。輸送ヘリとのチームで旧釧路空港に飛び、支援物資空輸の護衛任務に当たっていたが、急襲を受けて部隊は全滅する。しかし、ダム湖に墜落した機体よりかろうじて脱出し生き残る。そこから、元自衛隊の猟師とロシア難民だった女に拾われ、境界の向こう側の世界が次第に顕わになっていく。無政府状態となった釧路の市街、得体の知れぬ黒幕が住む標茶、要塞化された旭川、何事もなかったような札幌と舞台は目まぐるしく変転する。

 侵攻から10年が経っている。侵攻軍はロシア側から叛乱と切り捨てられ、一方で反政府派が難民として北海道に流入するのは黙認される。侵攻とは認めない日本政府も、これは戦争ではなく国内の騒擾でありテロ事件なのだと見なす。侵入を許した自衛隊に責任を負わせ、事態収拾の主体を重武装化した警察治安部隊に移そうとするのだ。納得しない自衛隊の一部は離反する。その結果、道北と道東の大半は旧ロシア軍と旧自衛隊という独立した軍隊(影響力行使のため、日露政府はそれぞれの武装勢力を支援している)と一般のロシア人と日本人が混在する異境となり、無法状態が呼ぶ民兵や犯罪者の巣窟とも化している。

 北海道に中東かマッドマックスのような世界(グラディエーター風のアリーナシーンまで)が現出する、それも恐ろしくリアリスティックに。このリアルさは、著者の専門とする軍隊用語の過剰な駆使(まさにマジックリアリズム)と、異様さが際立つ登場人物(バフチンやプーシキンらを滔々と語る)、純文特有の執拗な(数ページにわたる段落なしの)描写による相乗効果なのだろう。

 ただ、本書には多くの冒険小説やミリタリ小説で見られる一方的な勝利も、復讐譚もカタルシスもない。パレスチナのように、兵士や民兵だけではなく、一般市民の大人も子どもも無差別に死ぬ。先輩や知人なども容赦なく死ぬ。そういう不条理な非日常が戦場では日常化し、主人公の精神を蝕んでいく。クライマックスは札幌なのだが、この結末は苦く恐ろしい。いまの世界に満ちあふれる「戦時」を反映した迫力ある大作である。

島田雅彦『大転生時代』文藝春秋

カバー画:柊 季春
デザイン:観野良太

 島田雅彦の最新長編である。文學界2024年2月~4月号に短期集中連載されたもの。帯には「異世界転生✕純文学=本格SF長編」とある。

 「多様な人格を描いてアイデンティティー問題と向き合ってきた小説家からすると、一連の転生ものの作品は物足りない。そこに『他者』がいないからです」と述べ、「純文学がよって立つのは、ちゃんと他者と向き合って試練がある成長の物語。パターン化したご都合主義ではない設定で書いてみようと」とも語っている。とはいえ、この作品はラノベのサブジャンル「異世界転生もの」とは、キャラから物語まで(著者が意図するものを含め)全く別ものといえる。また、自身もラノベを書いてきた芥川賞作家 市川沙央は「『大転生時代』における「同期」の過程の衝突と摩擦、相互理解、融和、寛容の方向性に、ポスト・ヒューマンSFの新しい切り口を私は感じた」と書いている。だとすると、帯の惹句通りの本格SFなのだろうか。

 主人公が居酒屋で知り合った元同級生は、聞いたことのない「子どもの国」に暮らした転生者なのだという。しかし彼は忽然と姿を消してしまう。残されたPCを手がかりに行方を捜すうちに、その出自を記した日記が見つかり、転生者支援センターなる組織の存在にたどり着く。

 ラノベでの「転生」とは「意識/肉体が、異世界(異次元/異時間)の住人/生物に転移する」現象を指す。本書では、転生者の意識が宿主の意識と同居し、優劣はあるとしても多重人格化する。転生は死などの特殊な条件で起こる現象なのだが、人為的(DNA情報を載せた素粒子をシンクロトロンで任意の異世界に放出する)に意識のコピーを送ることが可能になり、量子もつれの即時的な「同期」でコミュニケーションがとれる。こういう設定の説明は(著者はギャグだと思って書いているのかもしれないが)SF風といえるだろう。富裕層による異世界の権益収奪、子どもが長生きできない世界、多重転生、生死を司るネクロポリスの女王と、面白いアイデアが含まれる。

 もっとも、この異世界はメタバース/マルチバースなのであり、デジタルツインを(怪しげなシンクロトロンなどではなく)アップロードしていると考えた方が分かりやすい。物語の設定は、異世界転生ものよりもそちらに近いのだ。主人公と元同級生の運命の物語などもあり、島田雅彦スタイルで書かれたエンタメSFとして楽しむことができる。

トウキョウ下町SF作家の会編『トウキョウ下町SFアンソロジー』社会評論社

装画:久永実木彦
装幀・DTP:谷脇栗太

 Kaguya Booksレーベルで出た、地域SFアンソロジーの第4弾にあたる。これまでの大阪・京都・徳島と比べると東京は捉えどころがない。非地元民が約半数を占め、文化が混ざり合う茫洋とした存在だからだ。しかし、東京を「トウキョウ」と書き「下町」というキーワードを加えると、確かにある種の地域性が感じられるようになる。

 大竹竜平「東京ハクビシン」東京新橋に住むハクビシンが、その仲間との生活や浜の姫君との出会いを、落語のような口調で自分語りする。
 桜庭一樹「​​お父さんが再起動する」浅草にある焼き鳥屋に、30年後の未来から来たと称する男が出現する。流行作家だった女将の父親の作品を復刊したいというのだ。
 関元聡「スミダカワイルカ」隅田川には固有種のカワイルカが生息している。大学生の主人公はある朝、そのイルカにまたがる少年を目撃する。
 東京ニトロ「総合的な学習の時間(1997+α) 」1997年、総合学習の発表会に50年ぶりに小学校を訪れた男と準備をする生徒たちは、地下室から歌声を聞く。
 大木芙沙子「朝顔にとまる鷹」戯作者の知人である辰巳芸者は、蠅虎(ハエトリグモ)を使った座敷鷹という旦那衆に人気の遊びに滅法強かった。
 笛宮ヱリ子「工場長屋A号棟」工場地帯の端にある長屋のような零細企業の団地に、大量の注文が入るようになる。何に使われるのかは不明だった。
 斧田小夜「糸を手繰ると」ぼくを転生ラマとして認定したい。ブロックチェーンで転生ラマを管理する中国のプロジェクトでそういう結論が出たのだという。

 ハクビシンは、たとえ地元で生まれても邪魔者扱いの特定外来種である。一方のスミダカワイルカは(架空の)固有種なのだが、保護と称する人為的なコントロールを受ける。焼き鳥屋は30年後の未来から家族の倫理を問われ、小学校の生徒は50年前の悲劇と現在の抑圧とを重ねる。粋といなせの辰巳芸者が語る隠された家族のこと、サプライチェーンの先に潜む不穏な存在、ブロックチェーンの話は文化的な干渉の問題につながる。

 いまの社会では、倫理的な問題に対する基準が大きく動いている。よい方に動くと見えても、必ずしも結果を伴わない。本書では自然保護、DV、表現規制、戦災記憶、児童虐待、戦争行為への荷担、文化破壊など、背景となる倫理的なテーマはかなり奥が深い。「下町」のイメージと合うものばかりではないものの、それぞれの重みは印象に残るだろう。