ニール・スティーヴンスン『ターミネーション・ショック』パーソナルメディア

Termination Shock,2021(山田純訳)

 キム・スタンリー・ロビンスン『未来省』に続く、坂村健が強く推す気候変動SFの大作(2段組680ページ)である。ニール・スティーヴンスンは『スノウ・クラッシュ』の先見性により注目された作家で、抜群のリーダビリティ+饒舌さに定評がある。『七人のイヴ』は設定が大きすぎた(月が7つに分裂し人類滅亡の危機に陥る)ためか饒舌さは抑えぎみだったが、本書ではその本領を地球スケールで発揮している。近未来サスペンスとしても読者を飽かせない。

 一機のプライベートジェットが高温の影響で目的地に降りられず、近隣の地方空港に着陸しようとする。ところが、滑走路に進入した巨大野ブタ(巨大鰐に追われている!)の群れと衝突し大破、どちらも気候変動と環境汚染が原因だった。一行の目的地は、テキサスの砂漠地帯に作られた巨大な施設にあった。一方、インドと中国の紛争地に一人の英雄が出現する。

 ジェット機の操縦をしているのがネーデルラント(オランダ)の女王、『白鯨』に準えられる野ブタを追う男、カナダ生まれのシク教徒(印加が対立するのは2023年のこと)の男はパンジャブに渡ってから自身の役割を知り、テキサスの億万長者は無能な政府に頼らず自ら温暖化抑制を手がけようとする。さらに彼らを取り巻くスタッフたちや、気候変動の影響を受ける中国、インドのエージェントたちが暗躍する。

 舞台はテキサスの砂漠、海抜以下のネーデルラント、消滅危機のヴェネチア、カシミールの実効支配線(2020年の中印衝突を背景にしている)、ニューギニア島の最高峰へと広がる。メインとなる気候制御のアイデアは、リアルに検討されているものだ(本書の解説や参考文献を参照)。一方、実効支配線でのパフォーマンス合戦とか、奔放な女王の行動とかのエンタメ要素も多い。これだけの伏線をどう収束させるかが読みどころになる。大団円にならないのは気になるが、もちろん温暖化に安易な解決手段などない。読書をじっくり愉しみたい方にお勧めできる濃厚な1冊である。

サラ・ブルックス『侵蝕列車』早川書房

The Cautious Traveller’s Guide to the Wastelands,2024(川野靖子訳)

カラーイラスト:富田童子
カバーデザイン:大野リサ

 著者は英国ランカシャー生まれの作家クラリオン・ワークショップに参加したことがあり、蒲松齢『聊斎志異』の研究で博士号を取ったという東アジア文化の研究者でもある。この物語は、シベリア鉄道(本線のウラジオストクからではなく、北京→モスクワのルート)でのリアルな旅体験と、専門の中国古典怪奇/怪異譚が混じり合って生まれたようだ。

 1899年、20両編成からなる長距離列車が北京を出発する。目指すはモスクワだが、旅程の大半は〈壁〉で隔てられた向こう側、シベリア大平原の〈荒れ地〉を走ることになる。外部からの侵入を防ぐ密閉構造の列車とはいえ、命の危険と隣り合わせだ。事実、前回の旅では気密が破れ、人命を失う事故が起きていた。しかし、欧州中国間の最短ルートという権益を鉄道会社が手放すはずがない。運行は再開された。

 未知の生命の侵入を防ぐために中華帝国とロシア帝国が共同で〈壁〉築く。史実の万里の長城はもちろん、映画の「グレートウォール」や「ゲーム・オブ・スローンズ」に出てくる北の壁を思わせるが、シベリアを囲むのだからこちらの方がスケール感はあるだろう。もっとも、本書は土木SFではないので、壁の構造とか鉄路敷設などの詳細描写は省かれている。

 その代わり、密室となる列車内にはクセのある人物が配されている。列車内で生まれ育ち乗務員をしている中国人少女、事故の真相を知ろうとする職人の娘、口うるさい伯爵夫人、荒れ地の生物に興味がある博物学者、教条主義的な言動の聖職者、行動が怪しい若い機関士、地図制作の日本人青年、乗務員を監視する鉄道会社の陰気な顧問(二人一組)、初代から乗車し責任者となった女性列車長、それぞれが別々の事情を抱えて動くのだ。

 ただ、本書はクリスティ風の鉄道ミステリというより、ジェフ・ヴァンダミアの《サザーンリーチ》など(下記リンク参照)得体の知れない世界を描く〈ゾーン〉ものに近い。さまざまな人々の思惑(その解決)を絡め〈荒れ地〉の意味を探っていくお話となっている。

レイ・ネイラー『絶滅の牙』東京創元社

The Tusks of Extinction,2024(金子浩訳)

カバーイラスト:鈴木康士
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 本書は今年8月のシアトルで開かれた、世界SF大会2025でヒューゴー賞を受賞(長中編=ノヴェラ部門)したばかりの旬な作品である。200ページ(250枚ほど)のコンパクトな一冊、勝山海百合の解説も公開されているので手に取りやすいだろう。著者は1976年にカナダで生まれ、カリフォルニアで育ったあと、ロシア、中央アジア、コーカサス、ベトナム、コソボと世界各地で働いた経歴(政府機関や国際機関)を持つ。その体験も作品に生かされている。

 野生の象が組織的な密漁により絶滅してから、百年を経た後の未来。ロシアではシベリアに巨大な保護区が作られ、マンモスを遺伝子操作で復活させるプロジェクトが進んでいた。温暖化が進むシベリアでは、生態系の頂点に立つ新たな生き物が必要なのだ。しかし、野生を知らない人工飼育のマンモスでは、繁殖どころか自身の身すら守れない。そこで、過去に象の保護活動に奔走した一人の生物学者のデジタルデータが、一頭の雌のマンモスに転送される。象は母系社会なので、この雌がリーダーになる。

 閉塞感が漂う死んだ生物学者の過去、保護区に侵入し密猟を生業とする親子、莫大な費用を負担してマンモス狩りにのめり込む富豪とパートナー、それをプロジェクトの必要悪と諦観する科学者などなど、中編小説とは思えないほどの人物が詰め込まれている。

 文明(特に欧米)は、環境破壊を引き起こした張本人である一方、絶滅危惧種の保護にも熱心という正反対の一面を持つ。その矛盾が、密猟者と保護レンジャー(どちらも欧米人ではない)の殺し合いに顕われる。動物を守るために人が死ぬのだ。本書ではそういう相反する立場の人物が、象の現在と復活マンモスの未来に登場し悲劇を生む。短いながらも奥深い物語だ。

  • 『マンモス』評者のレビュー(バクスターの擬人化マンモスもの)

ジェニファー・イーガン『キャンディハウス』早川書房

The Candy House,2022(谷崎由依訳)

扉イラスト:中山晃子
扉デザイン:早川書房デザイン室

 著者は1962年生まれの米国作家。ピュリッツアー賞をはじめ多くの文学賞を受賞したベストセラー『ならずものがやってくる』(2010)で知られる。本作は同書と設定や登場人物の一部を共有するが、未読であっても大きな支障はないだろう(訳者あとがき参照)。学生時代にスティーブ・ジョブズと付き合っていたという特異な経験があり、そのときのことを「テクノロジーは危険なものだと信じて疑わない私にとって(中略)しかし、彼と一緒にいたとき、私は純粋にユートピア的なヴィジョンを目の当たりにしていました」と述べている(Vogue誌でのインタビュー)。この危険さとユートピア感の対照は、本書にも大きく反映されている。

 ベンチャー企業マンダラは、個人の記憶をすべて(アンコンシャス=無意識を問わず)外部に取り出す技術=オウン・ユア・アンコンシャスでネット社会を席巻する。外部化すれば(匿名にされていたとしても)あらゆる人のあらゆる記憶と、自分自身の意識していなかった記憶にさえ自由に接続/検索ができるからだ。記憶データを使って人々の行動予測をするカウンター(=計算者)がいる一方、ネットからの離脱を叫ぶエルーダーたちの集団モンドリアンも活動する。

 創業者と子どもたち、マンダラの影響下にある社会で生きる三兄弟、技術基盤のアイデアを導いた人類学者(女性)と娘たち、元夫の音楽プロデューサーと異母兄弟たち、さらにその登場人物同士の結びつきなど、とても濃厚な人物像が描き出される。他人の記憶に入り込むというアイデア自体は、もう一人のイーガン門田充宏をはじめ多数あるが、本書ではそれ自体がテーマではない。他人の体験をリアルに知るということは、人の一生を拡張し関係性を攪拌/混乱させる。そういう複雑な絡み合いが読みどころになる。

 さまざまなスタイルが取り入れられていて、ツイッター小説風のスパイもの、SNS/SMS的なメッセージが往復するエピソード、人類学者が考えた人間行動のアルゴリズムとか、SFめいたカウンターの説明もある(あまり科学者的でもエンジニア的でもないが、まあそれはそれ)。作者の考える人を介したテクノロジーの陰陽が(人間関係が複雑すぎるきらいはあるものの)多様に愉しめる作品だろう。

オラフ・ステープルドン『火炎人類』筑摩書房

The Flames and Other Stories,2025(浜口稔編訳)

カバーデザイン:山田英春

 本書は1947年に書かれた表題の中編に、未訳(未発表作を含む)短編9編、ラジオドラマ脚本や講演録(A・C・クラークが招請した英国惑星協会での講演)を併せた編者によるオリジナル作品集である。詳細な解説も付いているので、現代のエンタメ小説とは構造からしてまったく異なる、ステープルドンの思索小説を改めて堪能できるだろう。

 火炎人類――ある幻想(1947)友人から手紙が届く。山中を歩いているとき拾った石を、予感に駆られて暖炉に焼べたとき〈ほのお〉が呼びかけてきたという。それは太陽を起源に持つ超絶した種族であり、自身の由来と宇宙的な神霊について語りはじめる。 
 種と花(1916)男たちが兵士になり、さまざまに死んでいくありさま。救急哨所への道(1916)戦場の後方で救急車を駆る男の思い。現代の魔術師(1946)男は女の気を惹こうと、身につけた念動力をもてあそぶ。手に負えない腕(1947)爵位を持つ有力者の右腕が、なぜか意志に反して暴れ始める。樹になった男(未発表)ブナの木の根元に横たわった男は、肉体を離れ木と一体化していく。音の世界(1936)音の中に存在する生命に気がついたわたしは、その生態に驚異を覚える。東は西(1934)逆転した東洋と西洋の世界。東洋文化の影響下にある英国では、アジア人排斥感情が高まりつつあった。新世界の老人(1943)政治体制の大変革から時間が流れ、革命世代の老人は現代の風潮に反発を感じるようになる。山頂と町(1945頃)不案内の道をさまよい、たどり着いた町ではその繁栄ぶりを見て思案しながらも、わたしは町を離れまた歩き出す。 
 はるかな未来からの声(未放送の脚本)ラジオドラマの放送中に、20億年の未来から最後の人類がメッセージを送ってくる。惑星間人類?(1948)地球を離れた人類が落ち着く先はどこなのか、神霊的経験とは何か、自身の創作での留意点を交えながら語る。

 1916年に書かれた2作は、自身が経験した第1次大戦の前線を描いた掌編である。「現代の魔術師」は超能力を扱ったもので短編映画にもなった。潜在意識の暴走、植物的な共生、潜在意識、音波生命、並行世界、アンチユートピア、人類史的な寓話、これらをアイデア小説と見做せば(いわゆる「夢落ち」の類が多く)古臭さを感じるかもしれない。

 しかし、ステープルドンはアイデアをオチに使うのではなく、ものごとの本質/哲学的な意味を問うためのツールとして扱う。例えば「火炎人類」に登場する神霊(spirit)は、キリスト教的な聖霊(holy spirit)とも取れそうな言葉だが、これはクラークが『幼年期の終わり』で描くオーバーマインド(あるいはさらに上位)に相当する概念で、スピリチュアルな超常現象ではない。実際、『幼年期の終わり』はステープルドンの直系ともいえる作品だ。そこが並の小説との違いになる。

『紙魚の手帖 vol.24 Genesis』東京創元社

カバーイラストレーション:カシワイ
ブックデザイン:アルビレオ

 東京創元社の「紙魚の手帖」(雑誌形式の単行本)による「夏のSF特集 Genesis」も第3弾となる。第16回創元SF短編賞受賞作(2作品)を含め収録小説数は8作と昨年比で変わらないが、今回は短いものが多く分量的にはずいぶんコンパクトになった。

 雨露山鳥「観覧車を育てた人」金沢の廃遊園地で巨大な観覧車を育てる育鉄士がいる。単独ではまず不可能な技だ。その噂を聞いた記者は取材を試みる。
 高谷再「打席に立つのは」高校野球のレギュラーだった主人公だが、肝心の所でイップスが出てしまう。それを見かねたマネージャは自分との入れ替わりを提案する。
 レイチェル・K・ジョーンズ「惑星タルタロスの五つの場景」10年に一度、惑星タルタロスに囚人たちを積んだシャトルが降りていく。
 宮澤伊織「ときときチャンネル#9【高次元で収益化してみた】」インターネット3の情報を検証するサンドボックスが使えなくなった。無料期間が過ぎたためらしい。
 稲田一声「モーフの尻尾の代わりに」感情調合師のところにクレームが入る。もともとの依頼主は老犬の感情を希望していた。創元SF短編賞受賞後第一作。
 天沢時生「墜落の儀式」ナノマシン未接種者の大半が死に絶えたあと、死なない接種者は高層ビルからのダイブを遊びにしていた。復活できるからだ。
 理山貞二「キャプテン・セニョール・ビッグマウス」文化遺産連続窃盗の容疑者が捕まる。しかし被疑者は事件を認めるも、別に依頼人がいるとうそぶくばかり。
 小川一水「星間戦艦ゴフルキルA8の驚嘆」文明の抹殺を使命とする殲滅者の前に一人の旅人が現れ、すべてを見て回れと忠告する。

 今回の創元SF短編賞は2作品が受賞している。
「観覧車を育てた人」飛浩隆「「アイディアとドラマをどうレイアウトするか」という、だれもが悩む課題への回答としてお手本にしたいくらいだ。アイディアの独創性、それを実装する手際、ロマンティシズム、モチーフ(観覧車)の必然性と効果を隅々まで行き渡らせた」、長谷敏司「こういう要素の取り合わせと情報配置と、描写の抑制の関係は、一作家として、自分も見習うべきものだと、感心しました」、宮沢伊織「架空の歴史における架空のファミリーヒストリーを聞かされるという、それだけならひどく退屈になってもおかしくない話が、観覧車を一周する流れに乗せて語られることでスムーズかつ面白く読めてしまう。静かな物語だが、ラストの解放感もよかった」
「打席に立つのは」飛浩隆「率直なストーリーとプレーンなテキスト、身近な題材や葛藤、前を向く結末。「SF」ラベルにはややもすると、マニアックさや晦渋さ、ある種の独善性、そうした印象がつきまとうことを考えれば、むしろジャンルの最もコアな場所からこの作品を送り出す意義があるだろう」、長谷敏司「青春らしい人間関係や、心情の揺れ動きが、丁寧に描かれていて、それがSFの仕掛けによってドライブしてゆく。よいヤングアダルトSFだと思います」、宮澤伊織「意識交換アプリの名前が〈torikaebaya〉であることからもわかる通り、高校野球を題材にした男女逆転SFである。(中略)フックを軸にしたストーリーテリングが巧みで、野球に詳しくない自分でも非常に面白く読めた」

 対照的な2作品といえる。説明中心で動きが最小限の前者と、キャラを立てた青春小説の後者である。どちらも小説としてよくできている。選考委員の講評にも詳しく書かれているが、奇想のスケール感(文明を左右する技術なのに、金沢、家族、遊園地という狭い領域にあえて限定)と新規性(ありふれたアイデアをテック的に応用)をうまく補っている。とはいえ、これらはテクニカルな面の指摘であって、もう少し新人賞らしいパワー=破天荒さもあれば、とは思う。

 前号に続く唯一の翻訳「惑星タルタロスの五つの場景」はまさに技巧の産物、《ときときチャンネル》シリーズは快調、「モーフの尻尾の代わりに」は前作の設定を踏襲して捻りを加えたもの。自死が自死でなくなったワイルドな世界を描く「墜落の儀式」、久々の登場が目を惹く理山貞二の宇宙SF「キャプテン・セニョール・ビッグマウス」は、主人公が宇宙盗賊かと思うとちょっと違う方向に持って行かれる。同じく宇宙SF「星間戦艦ゴフルキルA8の驚嘆」は、設定通りのバーサーカーものとならないのがベテランの旨みだろう。この他、入門者向けベスト短編を議論する座談会を収める。

エミリー・テッシュ『宙の復讐者』早川書房

Some Disparate Glory、2023(金子浩訳)

Cover Illustration:鈴木康士
Cover Design:岩郷重力+A.T

 著者は英国在住の作家で主にファンタジイを書いてきた。ラテン語や古代ギリシャ語など“死語”の専門家で、古典語の教師をしていたこともあるという。初のSF長編である本書は、グラスゴーで開催された世界SF大会にて2024年のヒューゴー賞長編部門を受賞した作品である。また、この物語はダイアナ・ウィン・ジョーンズの『クリストファーの魔法の旅』から強い影響を受けたと語っている(著者インタビュー)。

 異星人との戦争に敗れ、地球は140億の人々もろとも滅亡した。主人公は〈ガイア・ステーション〉で暮らす17歳の戦士候補生だった。そこはわずか数千人が住む小惑星要塞で、反攻により人類の再興を図る拠点だと説明されていた。ただ、軍事独裁下の候補生には選択の自由はない。主人公は意に沿わない配属先を命じられる。

 絶望的な状況、敵は強大で味方は少数、勝てる見込みは少ない。この設定は《宇宙戦艦ヤマト》みたいだが、日本的な意味での悲壮感はない。遺された人類はスパルタ式に鍛えられている。とはいえ、極端な役割分担や男女間の性差別がまかり通るテロ集団にすぎないのだ。主人公はたまたま鹵獲した宇宙船の異星人と知り合ったことで、次第に真相を悟っていく。物語は全部で5部に分かれ、ちょっと意外な仕掛けが施されている。

 クィアや移民(異星人)差別、女の役割(『侍女の物語』風)など、現代的なテーマが取り入れられている。ただ、読んでみると《フォース・ウィング》的な(軍隊組織の)魔法学園を思わせる要素が多い。ワープ航法、宇宙戦艦、AI、ハッカーなどが出てくるものの、それらは魔法的なガジェットの位置付けだ。その点を納得できれば、テロリストに洗脳された高校生(相当の年齢)たちが、力を合わせて支配層の嘘を暴き、呪縛からの解放を勝ち取るまでの冒険物語として楽しめるだろう。

エドワード・ブライアント『シナバー 辰砂都市』東京創元社

Cinnabar,1976(市田泉訳)

カバーイラスト:八木宇気
カバーデザイン:岩郷重力+S.K

 エドワード・ブライアントを知る人は少ないだろう。もともと(競作の《ワイルドカード》を除けば)短編が中心の作家だったので、日本では雑誌やアンソロジーでの断片的な紹介が多く、単著翻訳は本書が初めてとなるからだ。ディッシュによって勝手にLDG(レイバー・デイ・グループ。マーチン、ヴァーリイ、ビショップ、マッキンタイヤら、SF大会で群れるエンタメ志向の作家たちを揶揄した言葉)に分類されたあげく、辛辣な評価を受けたことで話題を呼んだりもした。《シナバー》は架空の都市を舞台とする連作短編集である。いわゆる「名のみ高い幻の本」の一つで、半世紀を経て翻訳が出るとはまったく思われていなかった。

 シナバーへの道(1971)砂漠を越えて1人の流れ者がシナバーの外れにあるバーにやってくる。そこで奇妙な撮影クルーを連れたTVディレクターと出会う。
 ジェイド・ブルー(1971)時間編集機械を開発中の発明家と、乳母を勤めるキャットマザーが会話し、いつ戻るのか分からない研究者両親の帰りを待つ。
 灰白色の問題(1972)セックススターは、パーティの席で関係を持とうとする男たちと、とりとめのない駆け引きを続ける。
 クーガー・ルー・ランディスの伝説(1973)庭師が死んで、警察署長は記憶を失う。その事件には3人の夫を持つひとりの女が関係していた。
 ヘイズとヘテロ型女性(1974)タイム・トローリング装置がタイムトラベラーを捕まえる。それは少年でデンバーから来たと言うのだが、時間旅行のことは何も知らない。
 何年ものちに(1976)かつて役者だった父親も今は老いている。そして、毎日妻を相手にさまざまな行為を試しているが。
 シャーキング・ダウン(1975)海洋科学者が海底で作業中、ありえないほど巨大なサメに殺されそうになる。そのサメの正体とは。
 ブレイン・ターミナル(1975)終末に向かうピクニックが試みられる。目的地は町の中心だったが、どのルートを通っても近づけない。コンピュータが妨害しているのか。

 いつともしれない未来(数十年のようでも数万年のようでもある)、シナバーは海に面した孤立都市で、隣接する町とは砂漠に隔てられ交流もない。町の中心部と周辺では、時間の経過速度が違っているらしい。奴隷以下のシミュラクラたち、そしてまた、ネットワークのセックススター、キャットマザー、問題を抱える番組ディレクター、好事家の科学者、時代錯誤のネオ・クリーリストと頽廃的な人物たちが登場する。政府はなく、町をコントロールするコンピュータがその代わりを務めている。

 全部で8つの中短編から成る。バラードの《ヴァーミリオン・サンズ》(1971年刊、9編を収録)にインスパイアされていて、確かにあの砂漠の架空リゾートをイメージさせる設定にはなっている。ただ、ヴァーミリオン・サンズと比べると、シナバーの世界は人物の奥行きが浅いという印象だ。「ヘイズとヘテロ型女性」とか「シャーキング・ダウン」など楽しい作品はあるものの、「コーラルDの雲の彫刻師」のような際立った作品がない。逆にバラードになかった「何年ものちに」などのホラー/スプラッタ的な要素が本書の方にはある。

 冒頭にタオイズムからの引用があり、人々はフリーセックス、ヴァーリイ的なカジュアルな性転換や、縛られない奔放な生き方を実践する。これは、60~70年代に提唱されたフラワーチルドレンの思想に近いのではないか。また、ニューサイエンス(疑似科学)とまではいえないが、それらを許容する時代を反映している部分はある。(対象は本書ではないけれど)ディッシュに酷評されたのは、そういう時代性もあるかもしれない。

キャメロン・ウォード『螺旋墜落』文藝春秋

Spiral,2024(吉野弘人訳)

写真:Moment/Getty Images All copyrights belong to Jingying Zhao
デザイン:城井文平

 著者は英国の作家。数学の学位があり、ITや出版業界で働いた経験がある。他にもペンネームを持ち、サスペンスやスリラーに分類される小説を書いている。本書はタイムループものなので読んでみた。物語は中年のシングルマザーと、その成人した息子との2つの視点で進む。

 ロンドンからロスに飛ぶ旅客機に母親が搭乗している。この便では息子が副操縦士を務めているが、自分が同乗することを告げていない。数ヶ月前に父親の消息を巡って深刻な対立があり、わだかまりが解けていなかったからだ。ところが、到着の間際になって異常事態が発生する。機体のコントロールが失われ、墜落は避けられないと思われた直前、時間が1時間巻き戻ってしまう。一回だけではなく何度も何度も。しかも、繰り返し間隔はあるルールに従って短くなっていく。

 この密室劇とは別に、息子のロスでの父親探しがエピソードとして挟まれる。その正体は、事故の原因ともなる意外な結末とも結びついていく。

 他でも書いたが、タイムループはもはや説明抜きのアイデアとなった。本書でも、タイムリミット・サスペンスにおける時限爆弾と同程度の扱いだ(言葉の意味を知らない人は少数なので)。ただ、ゲーデルの時間的閉曲線という考えをとり入れたのはSF的で面白いが、それならループ内側の機内と外の(すべての)世界は連動しているのではないか、この結末は多世界の一つに過ぎないのではないか、などちょっと気になる点はある。

アレステア・レナルズ『反転領域』東京創元社

Eversion,2022(中原尚哉訳)

カバーイラスト:加藤直之
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 アレステア・レナルズの長編としては17年ぶりの翻訳となる。かつては文庫の製本限界を試すボリューム本(1000ページ)で名を挙げたが、最近ではJ・J・アダムズジョナサン・ストラーン編のアンソロジイや、橋本輝幸編『2000年代海外SF傑作選』に収められた「ジーマ・ブルー」(2021年の星雲賞海外短編部門)など、中短編のイメージが強かった。昔の長編は現代スペースオペラだったが、近作ではどう変わったのだろう。

 19世紀、帆船デメテル号はノルウェーの沿岸を北に向かって航行している。船にはロシア人富豪が雇った探検隊が乗っており、沿岸のどこかにある亀裂を目指しているのだ。そこには未知の建造物があり、発見することで名声ばかりか富が得られるらしい。しかしようやくたどり着いたフィヨルドで思いがけない事態が発生する。何が起こったのか。

 雇われたばかりの船医(主人公)、傲慢な富豪の探検隊長、頑健できまじめな警備担当、観測にのめり込む若い地図担当、職務に忠実な船長、博学をひけらかす貴族の言語学者など、登場人物は多いが性格付けを含めてとてもシンプルといえる。多少謎めいているとはいえキャラに関しては複雑な背景はないようだ。しかし、標題が『反転領域』なのだから、お話までもシンプルというわけではない。

 北極を舞台にした帆船ものとなると、古くはフランケンシュタインとか、TVドラマにもなったダン・シモンズ『ザ・テラー』とかを思い浮かべる。ただ、ネタバレをしない範囲で書くと、本書は(そういう要素もあるものの)ホラーではない。帯に「超絶展開SF」と書いてあるとおり、途中からSFに回帰する。結果として二転三転どころか四転五転するわけだが、さてこのうちどれが「本物」だったのかと振り返って悩むのも、本書の楽しみ方かもしれない。