P・ジェリ・クラーク『カイロの死せる精霊』東京創元社

A Dead Djinn in Cairo,2016/The Angel of Khan El-Khalili,2017/The Haunting of Tram Car 015,2019(鍛治靖子訳)

装画:緒賀岳志
装幀:岩郷重力+W.I

 2年前に《創元海外SF叢書》で翻訳が出た長編『精霊を統べる者』(2021)は、『SFが読みたい! 2025年版』で海外編1位を獲得するなど人気を博したが、シリーズ《精霊を統べる者》(著者に拠ると「デッド・ジン・ユニバース」)の前日譚/派生作品はその前にも書かれていた。もともとは1冊の本ではなく、電子版や小冊子版などでばらばらに出ていたものだ。それを、日本オリジナルで1つにまとめた中短編集が本書である。

 カイロの死せる精霊(ジン)(2016)巨大なジン、マリードが死体で発見される。調査を担った魔術省のエージェントとカイロ警察警部は、現場で謎めいた象形文字と奇妙な羽根を発見する。手がかりの意味を探り、墓場に赴いた彼らは意外なものを発見する。
 ハーン・アル=ハリーリの天使(2017)ある天使の元に、1人の娘が奇跡を求めてやってくる。切実な願いだったが、叶えるには代価が求められた。それは人界のお金では賄えないものだった。
 空中ケーブル〇一五号憑依事件(2019)魔術省の若手エージェントと新人の2人組は、市内に張り巡らされた空中ケーブルの車両に、正体不明の憑きものが宿ったと知らされる。しかし、それは当初予想した「超自然存在」とは違っているようだった。

 長編と主人公が同じなのは冒頭の表題作のみで、あとは同一設定での別エピソードである。「空中ケーブル〇一五号憑依事件」は同じエージェントでも同期の仲間が主人公(男性)で、エジプトでの女性参政権運動のただ中という背景で物語は進む(リアルな歴史では1956年に成立)。この連作の魅力は近代化された魔法世界(産業革命が中近東/アフリカの魔術によってエンハンスされている)による、非西洋的なカイロの日常にあるだろう。登場人物にコミカルな要素があるのも共感を得やすいポイントになる。表題作の主人公は女性だが、エキゾチックに見えるからという理由で、山高帽にスーツという西洋風の男装で活躍する。

 本書は概ね犯人捜しのミステリタッチといえる。とはいえ超自然現象が絡むので、読者が犯人を予測するには無理がある。その分、捜査のロジックをいかに飽きさせずに見せるかが重要になる。まず異質な都市のありさま、機械仕掛けの天使などの大仕掛けが目を奪う。次に20世紀初頭の改変歴史(というには大胆すぎるが)に、現実とのリンクを感じさせリアリティを増している。このスタイルの集大成が、次の『精霊を統べる者』に生かされているのがよく分かる。

スティーヴン・キング『チャックの数奇な人生/もし血が流れれば』文藝春秋

If It Bleeds,2020(安野玲/高山真由美訳、白石朗/安野玲訳)

装画:藤田新策
装幀:石崎健太郎

 2020年に出たキングの中編集である。キングの中編集はこれまでたくさん翻訳されてきたが、長編級の長さのものを含むので全1冊で翻訳されたことはない(日本オリジナルの作品集などは除く)。本書も、短めの2作品を含む『チャックの数奇な人生』と、長編並み作品を含む『もし血が流れれば』の2分冊に別れる。前者の収録作は映画化されており「サンキュー、チャック」公開に併せて刊行されたようだ(もう1作は2022年の「ハリガン氏の電話」で既に公開済み)。

 ハリガンさんの電話:ありふれた田舎町に、隠遁した富豪の老人(ハリガンさん)が住む邸宅がある。大金持ちのようだがハイテク嫌いで最小限の人しか雇わない。少年は老人に気に入られ、偶然得たお金でスマホをプレゼントする。
 チャックの数奇な人生:世界が壊れていく。どうやら破滅が近づいているようだった。そんな世界に奇妙なビルボード(広告)が現われるようになる。キャッチコピーは「39年のすばらしき歳月! ありがとう、チャック!」なのだった。
 もし血が流れれば:ピッツバーグ近郊にある中学校にクリスマスの荷物が届けられる。しかし、それは悲惨な爆発事件を招き、生徒や教員ら多数を死傷させた。犯行は計画的だったが、主人公は手口に不自然さを感じ取る。
 ラット:大学で創作を教える作家は、短編では多少名を知られていたが長編を完成できずにいた。思い悩んで深刻な精神的ダメージを負ったこともある。しかし、物語が難なく浮かび上がる今度こそ書けるように思えた。

 古典的なホラーネタがベースにある「ハリガンさんの電話」と「ラット」、SFで書けば短編のオチとも思える「チャックの数奇な人生」は、アイデア面で見るとちょっと弱いかもしれない。また、「もし血が流れれば」の探偵ホリー・ギブニーは、キングお気に入りの登場人物で『アウトサイダー』などでおなじみ。敵も(まったく同じではないが)再登場である。「ラット」のバンガローにこもる書けない作家は、『シャイニング』以降何度もみかける。とはいえ、アイデアの新奇性は(現在の)キングが目指すものではないだろう。結末の予想がつくのに、ページを繰る手は止められない。本来「不安」を誘うホラーとは矛盾するかもしれないが、ストーリーテリングを「安心」して愉しめる円熟味こそが著者の本領なのだ。

ナオミ・クリッツアー『陽の光が消えた町で』早川書房

The Year Without Sunshine and Other Stories,2026(桐谷知未訳)

装画:森優
装幀:早川書房デザイン室

 著者は1973年生まれの米国作家。デビューは99年でファンタジイ長編などを手がけてきたが、本書収録の「報酬は猫の写真で」(2015)がローカス賞、ヒューゴー賞を受賞、他2賞でもファイナリストとなり俄然注目されるようになった。本書はそんなクリッツアーの受賞中短編5作+ヒューゴー賞最終候補1作をまとめたもので、アメリカでもまだ出ていないベスト版の日本オリジナル作品集である。

 小さな図書館の司書さまへ(2020)L:庭先に設けられた小函は、誰でも本の交換ができるシェア図書館だった。ただ、借り手の誰かは本の代わりに「もの」を置いて行く。
 陽の光が消えた町で(2023)H、N:大気中に塵や灰が満ちて陽が差さなくなった。インフラが制限される中で、町の住人たちはコミュニケーションを立て直して助け合う。
 怪物(2020):遺伝学の教授となった主人公は、当時気が合った高校時代の友人を追っていた。友人は頭は良かったが、思いも拠らない別の領域に足を踏み入れていた。
 報酬は猫の写真で(2015)H、L:アシスタント型のAIが、ロボット三原則に従う倫理規範についてその可否を独白する。アシストの報酬は猫の写真で。
 海を見渡す四姉妹(2024)H、A:夫が大学のサバティカルで東海岸に引っ越す。住むのは海沿いの田舎町だったが、主人公はそこでかつて諦めた研究対象と再会する。
 アルゴリズムでよりよい生活を(2023)H:そのアプリはよりよい生活を提案する。しかも、見知らぬ他の人たちも巻き込んで。
 *L:ローカス賞、H:ヒューゴー賞、N:ネビュラ賞、A:アシモフ誌読者賞

 ヒューゴー/ネビュラのダブルクラウン(ローカス、スタージョン記念賞でも最終候補)となった表題作は、分断の時代に共助を唱えるお話だ。ここでは政治も宗教も人種も、もちろん世界情勢も問題にされず(経済格差は少し顔を覗かすが)、人道だけがクローズアップされる。しかも声高ではなくソフトに。

 最近翻訳された作家でいうと、サラ・ピンスカーと双璧を成す人気作家である。日常から異質な世界へとシームレスに連なる物語が多く、ファンタジイ(「小さな図書館の司書さまへ」)やホラー(「怪物」、ジェンダーテーマでもある「海を見渡す四姉妹」)の要素が強い。ただ、どの作品にもほのかな希望が感じ取れる。AIでさえ人間的なのだ(「報酬は猫の写真で」「アルゴリズムでよりよい生活を」)。その点は韓国SFの多くの作品とも共通する特長だろう。評価の高さを見ても、これが(少なくともアメリカの、あるいは現在の)読者に求められているSFなのだとわかる。

イアン・ロジャーズ『魔都シカモア』新潮社

Sycamore,2024(風間賢二訳)

カバー装画:森田康平

 著者は1976年生まれのカナダ人作家。怪奇・超常ホラー/ミステリを主体に書いている。長編は本書を入れて3冊と少ないが、多くのアンソロジイなどに寄稿する中短編作家のようだ。この作品が単行本としては本邦初紹介となる。

 私立探偵の主人公のところに、行方不明者捜索の依頼が入る。依頼主はトロント郊外のシカモアに住み、夫を捜してほしいという。そこは何もなさそうな小さな町だった。しかし、不明者の妻が話し出した内容はとても不可解なものだった。

 この世界では80年ほど前から、ポータルと呼ばれる異世界への門がランダムに開くようになった。それは常闇の〈ブラックランド〉とつながっている。ポータルは不可視で〈ブラックランド〉の危険な異形たちが漏れ出てくる。吸血鬼や人狼、アンデッド=ゾンビなど、遭遇すれば死を免れ得ない。

 物語は連続殺人事件で幕を開ける。殺人などめったに起こらなかった田舎町のため、地元警察も捜査に行き詰まっている。その事件と行方不明者とは関係していた。依頼人はまだ何かを隠している。やがて、ポータルの存在が顔をのぞかせる。

 私立探偵には離婚した妻がいて、探偵事務所ではいつも罵られている。元妻には調査の才能があり、仕事の上では別れられないのだ。主人公はこれまでポータル絡みの事件を解決してきた(中短編での先行作があるようだ)。軽口で抜けがあるのに妙に義理堅く「オカルト版(ロバート・B・パーカーの)私立探偵スペンサー」を自称するが、登場する怪しい女性たちに翻弄され、助けられ、最後は追い詰められていく。

 本書もまた二転三転する特殊設定ミステリである。ポータルについてはSF風(怪獣が出てくるわけではない)、怪物はホラーの定番を踏襲し、連続殺人の犯人捜しは意外性を伴うミステリと、テーマは程よくブレンドされている。明らかになる犯人の正体はなかなか意表を突いている。ただ、それぞれの設定は既存のものが多く、組み合わせの妙味はあるものの新規性はやや乏しい。あえてそうした上で(1970年代頃の)探偵ものを書きたかったのかもしれない。

ロバート・ジャクソン・ベネット『記銘師ディンの事件簿 木に殺された男』早川書房

The Tainted Cup,2024(桐谷知未訳)

扉イラスト:富田童子
扉デザイン:大野リサ

 著者は1984年生まれの米国作家。本書はヒューゴー賞世界幻想文学大賞を受賞、MWA賞(エドガー賞)も最終候補となった注目作である。2014年に『カンパニー・マン』(2010)が紹介されているが、これもフィリップ・K・ディック賞とエドガー賞を受賞するなど、ジャンルを跨いだ評価が特徴の作家といえる。

 海岸にほど近く、帝国の辺境にあたる都市で死亡事件が発生する。技術省の高官が富豪の屋敷で変死したらしい。新任の捜査官助手を務める主人公は、捜査官に代わってその現場を確認しに行く。だが、死者は文字通り木に殺されていた。

 舞台となる神聖カナム大帝国は、4重にもなる頑健な長城に守られている。それは、毎年雨期に上陸するリヴァイアサンと呼ばれる巨大な怪物に備えるためだ。しかし過去に何度も防壁突破が発生し、最前線の州では甚大な被害がもたらされている。映画「パシフィック・リム」(2013)とか《進撃の巨人》(2009~21)のようだが、これは物語の背景にある特殊設定に過ぎない。

 危険な世界を維持するために、登場人物の多くは生物的な改変処置を受け、それぞれが特殊な能力を保持している。主人公の場合は記憶術で、見たものを何一つ忘れない(写真記憶能力を持つ)記銘師だった。これを魔法として扱わず、医学/生物学的な説明で通しているのが面白い。SFジャンルの読者でも違和感なく読めるだろう。とはいえ、本書のスタイルはあくまで硬派のミステリで、ノイズ(音や光)を嫌い自室からほとんど出ない探偵(捜査官、少佐)が驚異的な推理力を発揮、少年のような容貌の助手(といっても司法省中尉)が決定的な証拠を探し出す。犯人の行動には個人的な怨恨だけではない社会的な背景もあって複雑に絡み合う。

 事件は二転三転四転しながらも一応の解決を見るものの、この設定はまだいくらでも展開の余地がありそうだ。詳しく書かれてはいないが、政府高官は女性が多数派、探偵も女性、元帥はどうやら巨人らしい。もともと3部作を予定しており(5部作に拡張されるとも)、原著は第2部まで刊行済み。乞う続刊。

 

マット・ディニマン『冒険者カールの地球ダンジョン1/2』早川書房

Dungeon Crawler Carl,2020(中原尚哉訳)

カバーイラスト:朝野ペコ
カバーデザイン:川谷康久

 著者は米国人、コロナ禍中にオンラインで自費出版した小説がブレーク、大手からも書籍化されてベストセラーとなり、シリーズ8巻目がまもなく刊行という大出世を遂げる。10年前のアンディ・ウィアーも同様だったが、紙雑誌や出版社を経由しないネットデビューは、もはやふつうになった。本書はその最初の巻を2分冊化したもの。

 ある日突然人類が「ほぼ」全滅する。地上の建造物が一掃されてしまい、たまたま戸外にいた一部のみが生き残る。そんな人々に宇宙人のAIは何が起こったかを事務的に告げる。まもなく地下へと続く入口が開き(ゴブリン、トロールなど怪物がひしめく)多階層のダンジョンが現われる。しかし、最下層に達しない限り出口はない。元沿岸警備隊員の主人公と、元カノの飼い猫ペアはそこに降りていく。

 ダンジョンのルールはRPGそのもの。これはLitRPG(リテラリー・ロールプレイングゲーム、読むRPG)と呼ばれる(サブ)ジャンル小説で、《冒険者カールの地球ダンジョン》はその代表作の一つとなっているようだ。就寝中だった主人公はパンツ姿(上着は手に入るがズボンがない)、飼い猫のペルシャ猫は突然喋れるようになり、女王様(各種猫コンテストで優勝した由緒正しい猫)として主人公を家来扱いする。マッチョな主人公(よくある)はともかく、お姫様を気取る猫のキャラが立つ。やーね、とか、まーねの代りに「にゃーね」と言うのだが、これは「弊機」の訳者中原尚哉によるアドリブである。

 18層に及ぶダンジョンを、主人公と猫が制覇していく。この巻では3層に降りる手前で終わる(ちなみに8巻目でもやっと11層)。HPなどを上げるだけでは駄目で、宇宙ネット中継(リアリティショーのような形式)のフォロワーやお気に入り数も稼がないといけない。スプラッターな描写がそこそこあり、キングの「バトルランナー」(映画『ランニング・マン』)的なデスゲームのストーリーながら、冒険の結末(どういう報酬を得るか)が明らかなのが特徴だろう。日本のなろう系を思わせるのは、えんえんと読み続けられるそのリーダビリティの高さにある。物語全体としての起伏は小さく、各エピソード(それぞれの層)毎に盛り上げがある。シリアルドラマにはまってしまうのと、よく似た読書体験かもしれない。

ジョナサン・ストラーン編『星の海を駆ける』東京創元社

New Adventure in Space Opera,2024(中原尚哉・他訳)

装画:加藤直之
装幀:岩郷重力+W.I

 オーストラリア在住のアンソロジスト、ジョナサン・ストラーンによる新世代スペース・オペラ傑作選である。「新世代」とあるように2012~23年に発表された、比較的新しい作家/作品から選ばれた14編だ。冒頭の序文に編者が考えるスペース・オペラの定義や歴史的変遷、何が「ニュー」なのかが簡潔に述べられているので参考になるだろう。

 トバイアス・S・バッケル「禅と宇宙船修理技術」(2017)*艦隊戦で勝利したあと、CEOと称する敵に助けを求められる。ロボットである私は従わざるを得ない。
 ユーン・ハ・リー「課外活動」(2017)名高い暗殺者/工作員の主人公は、行方不明のスパイ船調査のため身分を偽って潜入する。
 アーカディ・マーティーン「あなたが王だと思っていたすべての色」(2016)保育所で育った友は、女王のクローンだった。そうである以上、過酷な運命が待っている。
 アレステア・レナルズ「ベラドンナの夜」(2017)二十万年の銀河周回を祝う千夜祭、そこで主人公はある人物からペラドンナの花を贈られる。
 T・キングフィッシャー「金属は暗闇の血のごとく」(2020)*小惑星をむさぼり食っていた巨大な機械ブラザーとシスターは、あるとき何ものかに拉致されてしまう。
 チャーリー・ジェーン・アンダーズ「時空の一時的困惑」(2017)*巨大な不定形の存在〈お広様〉を崇拝するカルトから、首尾よく獲物を手に入れた2人組だったが。
 アリエット・ド・ボダール「包嚢」(2012)全身を包む包嚢があれば、文化的な差異さえも吸収できる。主人公は、旧宗主国から来る大物の接客を命じられる。
 セス・ディキンソン「モリガン、光へと落ちる」(2014)太陽系内の人類と、系外人類との間で凄惨な戦争が起こる。主人公の戦闘艦は太陽に向かって落ちつつあった。
 ラヴィ・ティドハー「背教者たち」(2017)異端の教えを説く背教者を抹殺すべく送られた裁定人だったが、いまは聖宮殿の地下に吊るされ尋問を受けている。
 ベッキー・チェンバーズ「善き異端者」(2019)ウィルスに感染することで卓越した思考能力が得られる世界、しかし主人公の場合はちょっと違っていた。
 アーニャ・ジョアンナ・デニーロ「クイーンズスロートへの旅路」(2020)崩壊した帝国から逃れ、月で暮らしていた老女を「清浄軍」の少年たちが襲う。
 アン・レッキー「審判」(2019)氷原に隠棲している主人公の元に、仕えていた支配者からの指令が届く。反乱の火種を潰せというのだが。
 サム・J・ミラー「惑星執着者」(2023)主人公はセックス・ワーカー、ワームホールでつながり合う宇宙で生きるが、故郷はゲートが壊され帰還不能になっていた。
 カリン・ティドベック「スキーズブラズニルの最後の旅」(2019)生体宇宙船は外殻の中に生き物が入っている。主人公は修理工だが、船は住み替えの時期に入っていた。
  *:既訳あり(新訳は除く)

 スペース・オペラといっても、本書の定義に当てはめると、スケールが宇宙大で冒険譚であれば良いのだから、幅広い宇宙SF全体(ハードSFはその度合いによるだろう)が包含される。本書では、非欧米(反植民地主義)的な銀河帝国の扱いなど、特にエキゾチックさが重視されているようだ。長編の一部(のような印象)に終わってしまう作品もあるが、おしら様みたいな〈お広様〉とか訳語は工夫されていて、全体的に異界感がよく顕われている。中ではユダヤ教の用語を駆使した「背教者たち」に独特の雰囲気がある。

北清夢『漂泊の星舟』早川書房

The Deep Sky,2023(金子浩訳)

カバーイラスト:丹地陽子
カバーデザイン:大野リサ

 北清夢(ユメ・キタセイ)はニューヨーク在住の日系アメリカ人。日本に住んだこともあるという。既に3冊の著作があり、さらに1冊を準備中(2027年刊)のようだ。本書は最初に書かれた宇宙ものの長編にあたる。

 選抜された80名の乗員と共に、恒星間宇宙船は未知の植民惑星を目指して飛行している。航行には30年を要するため、最初と最後の10年間は人工冬眠で眠る。ところが予期しない爆発事故が発生、船長が死亡し船は航路を外れてしまう。困難な軌道修正と人為的とみられる爆発の犯人捜しのため、船内には不穏な空気が立ちこめる。

 まずこの80名は全員が女性、男は1人もいない。船内では人工妊娠による出産が行われ、その子どもたちが惑星到着後に主力の植民者となるのだ。80名は世界中から選抜されるが、出資国の資金力により枠は決まっている。船長、副船長は米中から選ばれる。主人公は母国語にも不自由な日系人なのに、たった1人の日本枠を得る。折しも地球では紛争が発生していた。

 宇宙船乗組員の設定が際立つ。現代社会の状況も反映されていて、AIの見せるVR空間も面白い。『WOMBS』のような異形さまではないものの、物語自体は波乱を交えながら進み、登場人物同士の(過去、直近にあった)駆け引きや葛藤が描かれる。シスターフッド・ドラマ的には、こういう切口もありだろう。とはいえ、主人公日系女性(日本人の母親と相容れず悩む)の感性は、冒頭で引用された「おくのほそ道」とはずいぶん違う。あえて芭蕉を置いたのはなぜか、それを宇宙の旅としてどう解釈したのか、ちょっと気にはなる。

クリストファー・プリースト『不死の島へ』東京創元社

The Affirmation,1981(古沢嘉通訳)

装画:影山徹
装幀:岩郷重力+S.KW

 2年前に亡くなったクリストファー・プリーストが、1981年に書いた6冊目の長編にあたる。『ドリーム・マシン』(1977)と、『魔法』(1984)の間に書かれたものだ。半世紀にわたる執筆歴から見ると初期作だが、《夢幻諸島》の存在が明確に描かれた最初の長編という意味で、記念碑的な作品ともいえる。

 主人公はロンドンに住む29歳の青年、ある事件を経てウェールズとの国境に近い田舎の別荘に引きこもり、ひたすらタイプライタを叩く執筆活動にのめり込む。それは一人称の物語で、舞台は〈夢幻諸島〉と呼ばれる千の島からなる世界だった。主人公は「不死の島」へと旅をする。そこでは知人や恋人たちも姿を変えて現われる。

 プリーストは本書の序文(2015年に書かれたもの)で、発表当初の批評家による浅い読みに対して、いまではクラシックとして読み継がれているのだから、結果は明らかだと揶揄的に書いている。70年代から80年代にかけては、SF界でも『ドリーム・マシン』の結末部分を「曖昧すぎる」「夢オチだ」とする声はあった。幻想と現実の境界がシームレス(どちらも真実)という発想は、当時の読者や批評家(の一部)からは受け入れられなかったのだ。逆に文学の読者には、SF設定が邪魔に思えただろう。しかし「不死」などは幻想=夢幻の一端なのであり、もはやこれを理解できないプリーストの読者はいない。難解な作品が多い(それでも、ほとんどが年間ベストに選出される)《夢幻諸島》ものだが、本書は初期作だけあって分かりやすい。はじめてのプリーストという人にもお奨めできる。

ケイトリン・R・キアナン『溺れる少女』河出書房新社

The Drowning Girl,2012(鯨井久志訳)

装画:雪下まゆ
装丁:名久井直子

 著者は1964年アイルランド生まれの米国作家、古生物学者でもある自サイトのトップページが本書のトレーラーになっている)。多くの著作と受賞歴がありながら(18年前に訳された)ノヴェライズの他、短編が数作翻訳されただけで日本ではほぼ知られていなかった。本書はブラム・ストーカー賞ジェームズ・ティプトリー・ジュニア(現アザー・ワイズ)賞を受賞した注目作である。ひと昔前の作品ながら、いま読んでも新鮮だ。

 主人公はタイプライタで怪談を書こうとしている。画家を自称するが、1枚も売ったことはない。いまは偶然知り合ったトランス女性と同棲している。あるとき深夜のドライブで川辺を走っていると、ヘッドライトに美術館で見た「溺れる少女」そのままの裸の女性が浮かび上がる。

 舞台は現代(2010年頃)、物語は主人公の一人称で語られ、自問自答が入り交じる。母親、祖母は精神的な病で亡くなっており、娘の自分も精神科医にかかっていて薬が欠かせない。「溺れる少女」は幼いときに母に連れられて見た美術館の絵だ。絵の女が実在の女になり、女は何か過去にあったおぞましい事件と関係があるらしい。

 主人公はさまざまな葛藤を抱えている。記憶は混乱し、書かれた物語はある部分では一貫するが、別の部分と整合しない。夢なのか現実なのか/歴史的な犯罪なのかカルトなのか/あるいは強迫観念にとらわれた妄想なのか。これらが渾然となって読み手にまとわりつく。この混沌さには、お話がPCとかではなく、簡単に書き換えられないタイプライタで書かれたという設定が効いているのかもしれない。

 視点は病んだ主人公にある。つまり語りが真実かどうか分らない。文学では常套的な読者を欺く技法だが、とはいえ、積み重ねられた嘘(思い込み)は重厚だ。ルイス・キャロルの詩などさまざまな引用と物語内物語(既存の自作品を含む)を駆使する複雑な構成なので、読み通すのは大変ではあるものの、書かれた内容自体は難解ではないだろう。訳文も明快で読みやすい。ただし、一応の解決を見る結末にミステリのような明快さはない。