ペン・シェパード『非在の街』東京創元社

The Cartographers,2022(安原和見訳)

装画:引地 渉
装幀:岩郷重力+W.I

 著者はアリゾナ生まれの米国作家。多くのファンタジイ作品を含む創元海外SF叢書に相応しく、本書は地図(原題はカルトグラファーズ=地図制作者たち)をテーマとしたアーバン・ファンタジイである。複数のベストセラーリストに名を連ね、2023年のミソピーイク賞の最終候補作にもなった。

 主人公はレプリカの古地図を制作する小さな会社でくすぶっている。地図学者として将来を嘱望されながら、7年前にニューヨーク公共図書館で上司である父親との深刻なトラブルを引き起こし、業界に残ることができなくなったのだ。しかし、父の突然の死が知らされ、遺品のような形で古い道路地図が手に入る。ガソリンスタンドで売られた何の変哲もない地図が、なぜ厳重に保管されていたのか。その日を境に、奇妙な事件が立て続けに発生する。

 幼い頃に母を亡くし、主人公は図書館の地図に囲まれて育つ。トラブルも地図にまつわる出来事だった。やがて、道路地図を捜す謎の人物が見え隠れし、秘密結社のようなカルトグラファーズの存在を知る。地図には「非在の街」が載っているのだ。

 アメリカは車がなければどこにも行けない国である。国土の大半が茫漠とした田舎だからだ。今でこそGoogleマップのせいで廃れたが、折りたためる地図は当時の必需品であり、販売各社の競争も激しかった。そのため、地図会社は著作権を守るためコピーライト・トラップを入れる(詳細は著者あとがきに書かれている)。とはいえ、これは設定の一部に過ぎない。フィクションとファクトをつなぐ『夢見る者の地図帳』に憑かれた男女大学院生たちの青春ドラマが主眼なのであり、15年前の事件について一人一人が物語られていくことで、真相と今に至る犯人の目的が明らかになっていく。悪役の怖さがちょっと伝わり難いのが難点だが、当たり前の道路地図から展開する謎の解明はスリリングだ。ル=グイン(サンリオ表記)『天のろくろ』がヒントになる、といっても最後まで読まないと分かりません。

スチュアート・タートン『世界の終わりの最後の殺人』文藝春秋

The Last Murder at the End of the World,2024(三角和代訳)

カバー画像:iStock/Getty Images
装幀:城井文平

 著者は1980年生まれの英国作家。デビュー作のベストセラー『イヴリン嬢は七回殺される』(2018)は、新奇性のあるタイムループ×殺人事件ものとしてSFやミステリ界隈でも話題になった。本書はタートンの長編3作目にあたり、既訳の『名探偵と海の悪魔』(2021)を含め(広義の)クローズド・サークルもの3部作になるらしい。今回の舞台はアポカリプス後の島なので、確かに閉鎖された環境(第1作=時間の輪、第2作=洋上の船、本書=閉ざされた島)という点で共通する。

 ギリシャのどこかを思わせる閉ざされた島、周囲にはバリアが張り巡らされ、死の霧が侵入するのを押しとどめている。世界はその霧によって滅び、百人余りの村人がかろうじて生き残っただけなのだ。村は科学者の長老たちによって支配されている。村人の頭の中には助言者エービイが棲み、仕事や睡眠の時間まで指図をする。そんな秩序が保たれた島で、ありえない殺人事件が発生する。

 外見は若いのに村人の何倍も生きる長老たち、頭の中で聞こえる声、コントロールされた村の生活や山中に作られたドーム、このあたりの謎は物語の半ばまでで徐々に明らかにされる。そして、殺人事件の発生により、島の生活は一気に不安定化する。後半は、混乱の中での犯人捜しと犯行動機を探るミステリになる。SF的なガジェットを制約条件として巧く使い、不可解な殺人(=特殊設定)の謎を解きほぐしていくのだ。

 ウィンタース『地上最後の刑事』に始まる3部作は、破滅が目前に迫る中でのミステリなのでよく似た設定といえるが、こちらは謎めいた破滅後(ポストアポカリプス)の世界に、たたみ掛けるように第2の破滅が迫ってくる展開が予想外で面白い。

ロブ・ハート『パラドクス・ホテル』東京創元社

The Paradox Hotel,2022(茂木健訳)

カバーイラスト:シマ・シンヤ
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 著者は1982年生まれの米国作家。ジャーナリスト、編集者などを経て、これまでちょっと変わったミステリを書いてきた。5年前にノンフィクション仕立ての小説『巨大IT企業クラウドの光と影』(2019)が翻訳されている。ベストセラーになった代表作『暗殺依存症』(2024)は、アルコール依存症のような暗殺依存症患者が主人公のお話で、今月翻訳が出たばかりだ。本書も、NPRベストブック2022年カーカス・レビューの2022年ベストSFFに選出された注目作である。

 時間旅行が民間にも開放された未来。主人公はアインシュタイン時空港(タイムポート)に併設されたパラドクス・ホテルの警備主任で、元時間犯罪取締局(TEA)の調査官だった。しかし、長年のTEA勤務で時間離脱症(アンスタック)を患い、仕事を変わらざるをえなくなった。症状は突発的に襲ってくる。過去や未来を不連続に幻視してしまうのだ。折しもホテルでは、時空港事業の売却をめぐる政治家を交えたサミットが開催されようとしていた。

 主人公には事故死した恋人がいた(どちらも女性)が、幻視で姿が見え声も聞こえる。それだけではない、触れられないはずの幻影が次第に実体を伴っていく。

 時間ものといっても、この作品はタイムトラベルに人を送り出す側(時空港外のバックヤードの人々)が描かれる。コニー・ウィリス《オックスフォード大学史学部》とか、ジョディ・テイラー『歴史は不運の繰り返し』などに近いだろう。時間旅行自体のリアルな描写はほとんどなく、個性的な登場人物たちの行動は、コミカルだったり風刺的(権威を振りかざす上院議員、高慢な大富豪など)だったりする。

 アンスタックはPTSDのフラッシュバックのような症状だが、それがホテルを不連続な時間の流れに巻き込んでいく。説明するのに(映画「インターステラー」とか「TENETテネット」的な)ブロック宇宙論(時間は離散的なもので、連続する流れは幻想だという)が援用されるものの、ロジカルに時間の謎を解明するのが本書のテーマではないだろう。

 本書の主人公には協調性がなく(常にけんか腰)、忖度もしない(尊大な宿泊客や議員を遠慮なく怒鳴りつける)。同情すべき過去はあるのだが、凄腕に一目置かれるとしても、ご一緒したくない危ないキャラである(設定上は仲間から好かれていることになっている)。荒れる主人公と相棒のAIドローン、それに死んだ恋人という組み合わせが面白い時間ものなので、このキャラに共感できるかがポイントになる。

R・F・クァン『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史(上下)』東京創元社

Babel Or the Necessity of Violence: An Arcane History of the Oxford Translators’Revolution,2022(古沢嘉通訳)

装画:影山徹
装丁:岩郷重力+W.I

 著者は1996年に中国で生まれたアメリカ作家。中国研究や東アジア言語学のエキスパートだが、本書には、英国のケンブリッジやオックスフォード(ユニヴァーシティ・カレッジ)で修士号を得た際の経験が加味されている(学士はジョージタウン大学、博士号はイェール大学)。余計な忖度でヒューゴー賞は逃したものの、2023年のネビュラ賞ローカス賞を受賞、他にもブリティッシュ・ブック・アワードや中国の第15回華語科幻星雲賞を受賞、ニューヨークタイムズ・ベストセラー・リストに挙がるなど、幅広い支持を集めた作品だ。翻訳も刊行後忽ち重版と好評。

 1829年、清朝末期の広東の下町で、母を喪った身寄りのない少年のもとに教授が訪れ、英国本土に連れ出そうとする。慈善などではない。それには功利的な意図があった。オックスフォードに設けられた王立翻訳研究所のためなのだった。

 翻訳研究所は、オックスフォード(大学は町中に点在する複数のカレッジ=コレッジの集合体)のバベルと呼ばれる8階建ての塔にある(実在はしない)。19世紀の大英帝国は、銀の力により覇権を唱えていた。銀の棒はパワーの源だった。取り付ければ船足が上がり砲弾の飛距離を増す。棒には2種類の文字が刻み込み込まれる。この2つ(ひとつは原語、もうひとつはそれを翻訳した英語)の差異の大きさによって棒のパワーが決まる。つまり大きく異なる言語、中国語の遣い手には価値があった。翻訳研究所は有力な文字の組み合わせを研究開発する。さまざまな言語の翻訳に関する蘊蓄が一つの読みどころとなる。

 少年は名前を英語名のロビンと改め、厳しい語学の勉強を経てオックスフォードに入学する。同期にはインド人男性、ハイチ出身の黒人女性、学びを疎んじられた白人女性がいた。この目的がなければありえない仲間だった(白人男性以外は、学問に適さないとみなされていた)。研究に従事する限り十分な生活が保障される。しかし、この研究所の真の意味が分かるようになったとき、4人の運命は大きく変わっていく。

 解説にもあるが、本書は《ハリー・ポッター》風の魔法学園ものでもある。はじめ打ち解けなかった4人の仲間が、友情を深め力を合わせる展開は既存の学園ファンタジイを思わせる。やがて、出自に伴う差別や偏見が生まれ、学園にまつわる暗黒面、教授たちの政治的な策謀が明らかになっていく。ここで《ハリー・ポッター》などと異なるのが、リアルな英国を舞台に設定したことだろう。

 この時代の大英帝国は、まさに「悪の帝国」だった。銀の棒は蒸気による産業革命のアナロジーである。そこで生まれた生産性は善に結びつかず、極端な貧富の差と富者の強欲を産み出した。麻薬流通の自由化を名目に戦争を仕掛けたアヘン戦争(1840~42)、飢餓のアイルランド(当時は英国領)にろくな援助もせず人口を半減させた大飢饉(1845~49)、何より生産革命で生じた自国の余剰労働者(女性や子どもを含む)を過酷な仕事に従事させ、マルクスが『資本論』(イギリスの工場労働者の状況を詳しく分析)を書く動機となったことなど、世界紛争の火種が19世紀英国にはある。そういうダークな背景は、本書の物語に深い陰影与えている。作者が付ける原註が、客観的というよりかなり主観的なのも、著者の考えが分かって面白い。

A・J・ライアン『レッドリバー・セブン:ワン・ミッション』早川書房

Red River Seven,2023(古沢嘉通訳)

カバービジュアル+デザイン:岩郷重力+M.U

 著者は1970年生まれの英国作家。10年ほど前にアンソニー・ライアン名義で『ブラッド・ソング』(3部作の第1部)が紹介されている。著作の大半はファンタジイだが、その執筆の合間にあえてペンネームを変えて出したSF長編が本書。

 ふと目覚めると、主人公たちは船の上にいる。しかし断片的な記憶はあるものの、自分の名前すら思い出せない。剃られた頭には覚えのない手術痕があり、そして、デッキには死亡後間もない死体がある。ここは一体どこなのか。

 レッドリバーとは文字通りの赤い川のこと。セブンとは主人公たち7人を指し、なぜか著名な作家名(ハクスリー、コンラッド、ジーン・リース、ゴールディング、シルヴィア・プラス、ディキンスン、ピンチョン)がコードネームのように割り当てられている(作家名と登場人物の役割には、深い関係はないようだ)。男女7人(冒頭で1人は亡くなっている)が、一つの使命を担って赤い川を遡っていく物語なのだ。

 一見デスゲームを思わせる滑り出しで、帯にはサバイバル×ディストピアとあり、両方の要素は確かにあるが、どちらともちょっと異なる展開になる。『最後の宇宙飛行士』や、《サザーン・リーチ》に近いお話だろう。得体の知れない異形の世界を、限られた情報だけを頼りに手探りで進んでいくところが似ている。しかも、この謎のチームには(終幕であきらかになる)重大なミッションが与えられている。2023年に読んだ中では一番と訳者が推奨する、一気読みエンタメ作品である。

T・キングフィッシャー『死者を動かすもの』東京創元社

What moves the Dead,2022(永島憲江訳)

装画:河合真維
装幀:岡本洋平(岡本デザイン室)

 T・キングフィッシャーは1977年生まれの米国作家、イラストやコミックで活躍するアーシュラ・ヴァーノンの筆名である。アンドレ・ノートン賞など多数を受賞したヤングアダルト向けの『パン焼き魔法のモーナ、街を救う』(2020)が、3年前に翻訳されている。本書は、ポーの短編「アッシャー家の崩壊」(1839)のオマージュというか、新解釈作品とでもいえるもの。原著の雰囲気を生かしながらも全く新しい作品にしている。2023年のローカス賞ホラー部門受賞作

 幼なじみの親友からの手紙を受け、退役軍人の主人公は友が住むという館を訪れる。そこは沼の畔に建つ大邸宅だったが、恐ろしいほど荒れ果てていた。出迎えてくれた双子の兄はひどくやつれており、妹は床に伏せっている。館には、他に滞在中のアメリカ人医師がいた。館の周りには奇妙なキノコが生え、熱心に観察する菌類愛好家と称する女性と知り合う。

 ポーの原著は謎が明らかにされないまま終わっているので、そこを補完する物語を書きたかったのだという(著者あとがき)。どういう話になったのかは、書名で見当がつくかもしれない。さらに、東欧か中欧かにある架空の国ガラシアの「宣誓軍人」を主人公に配している。それってなにと思った人は本編を読んでいただきたい(同一主人公の続編も既に書かれている)。キノコの専門家まで出てくるので、ホジスン池澤春菜を連想した人もいるだろう。

 結果として、本書は「怪奇な」ポーとは趣の異なる「ホラーな」作品となった。幽霊や呪いのような超自然現象ではなく、SF的で説明可能な(マニアックな)範疇に収めたところが本書の新たな視点といえる。

ジーン・シェパード『ワンダ・ヒッキーの最高にステキな思い出の夜』河出書房新社

Wanda Hickey`s Night of Golden Memories And Other Stories,1966/1971(若島正編訳、浅倉久志訳)

装画:MISSISSIPPI
装丁:森敬太(合同会社飛ぶ教室)

 ジーン・シェパード(1921~99)の初単行本となる。原著2冊から抜粋した日本オリジナル版。著者はラジオのパーソナリティや映画 A Christmas Story(1983)の原作者/脚本家としてアメリカでは有名なマルチタレントで、一方、スリック雑誌に掲載されるユーモア小説の書き手でも知られていた。本書に含まれる「スカット・ファーカスと魔性のマライア」は、ソフトなユーモア小説を好んだ浅倉久志の訳になる(もともと、新版《異色作家短篇集》の若島正編『狼の一族』に収録)。

 雪の中の決闘あるいはレッド・ライダーがクリーヴランド・ストリート・キッドをやっつける(1965)広告に載ったBB銃をクリスマスプレゼントに欲しい小学生の主人公は、あらゆる手段で両親にアピールするが失敗し続ける(映画原作の一部)。
 ブライフォーゲル先生とノドジロカッコールドの恐ろしい事件(1966)6年生の国語の授業では、毎週読書感想文を提出しないといけない。題材に困った主人公は、ある日両親の寝室で先生に受けそうな小さな活字の本を見つけ出す。
 スカット・ファーカスと魔性のマライア(1967)不良のファーカスのコマは無敵で、誰との勝負でも負けることはなかった。主人公は密かに手に入れたコマで競おうとする。
 ジョゼフィン・コズノウスキの薄幸のロマンス(1970)隣家のポーランド人の一家には、同い歳で美人の女の子がいて、なんと主人公をパーティに誘ってくれる。
 ダフネ・ビグローとカタツムリがびっしりついた銀ピカ首吊り縄の背筋も凍る物語(1966)憧れの転校生と知り合いになり映画に誘うことに成功したものの、相手は身分違いの富豪の娘で対応の仕方に戸惑うばかり。
 ワンダ・ヒッキーの最高にステキな思い出の夜(1969)高校生最後の夏に開かれるダンスパーティこそが、大人への通過儀礼だった。そう思い込む主人公たちだが、パートナーに誰を誘うかが問題になる。

 30~60年代頃のインディアナ州北部、製鉄所がある企業城下町ホウマンが舞台(現在ではラストベルトと呼ばれる衰退した地域だ)。煤煙にまみれながらも誰もそんなことは気にせず、多くの工員が活気にあふれた生活を送っていた。主人公は工場労働者家庭の子ども(前半3作では小学生、後半は高校生)。学校は富裕層や移民の子女とも共学で分断はなく、(プロテスタントに対する)カトリックが異文化的に揶揄されるくらいで、将来の希望を疑わせるものは何もない。一人称「わたし」が過去をふりかえる形で語るのは、クリスマスプレゼントや読書感想文、喧嘩ゴマにやきもきする子どもや、女の子で頭がいっぱいの(うぶでまぬけな)高校男子の物語である。

 編訳者若島正は、シェパードには言いようのないノスタルジアを抱く、と書く。編訳者はこの時代のアメリカに住んでいない。純粋な読書遍歴に基づく感慨なのだが、黄金期のアメリカTVドラマ(ホームコメディ)などを親しんだ世代ならば、シェパードの庶民的でユーモラスな家族に共感できると思う。もっとも、シェパードはホームドラマを体現した人物ではない。家庭を顧みない人だったらしく、自伝と称する本書でもフィクション=嘘を多数含めた。(人種問題もジェンダー問題も隠された)過去だからこそのユートピア感、幻想味を強く感じさせる。

 ところで、シェパードとSFとは関係がある。ラジオ番組中に話した架空の本Frederick R. Ewing 作 I, Libertine,1956(存在しないのに注文が殺到し、ベストセラーになったため急遽出版された) をゴーストライトしたのがシオドア・スタージョン(共著扱い)だったのだ。スタージョンは他にエラリイ・クイーン『盤面の敵』(1963)のゴーストライトもしていて(やむを得なかったのだろうけれど)そこそこは稼げたのかもしれない。

ロジャー・ゼラズニイ『ロードマークス』新紀元社

Roadmarks,1979(植草昌実訳)

装画:サイトウユウスケ
装幀:坂野公一(welle design)

 G・R・R・マーチンによるHBOドラマ化が契機でこの新訳が出たようだ(ただ、発表から4年が経ったが、《ハウス・オブ・ザ・ドラゴン》で佳境に入っている制作者マーチンの状況を見るに、直ちにドラマ化が始まるとは思えない)。サンリオ文庫版が出て44年になる。当時人気絶頂だった(が、1995年と早くに亡くなった)ゼラズニイの残香をよみがえらせながら読むのも好いだろう。

 この世界のどこかに〈道(ロード)〉がある。それはふつうの高速道路のように見えるけれど、さまざまな時間と空間を自在につなぐものだ。主人公はダッジのピックアップ・トラックに乗って、道路をひた走る運び屋。相棒は詩集の形をし、時に詩を朗読するコンピュータである。しかし彼には敵がいる。差し向けられた〈黒の十殺〉が隙を狙って命を奪いに来る。

 たしかにシリーズ化に向いた作品だと思う。時空自在のタイムトンネルのような設定ながら、旧式のピックアップ・トラックで走るというポップさがある。未来や過去、ギリシャや中世など行き先は自由自在、敵もガンマン、拳法の達人からロボット戦車、ティラノサウルス、マーチンが得意とするドラゴンまで(表紙イラスト参照)何でも出てくる。

 ゼラズニイには、文体やテーマも含めたスタイルへのこだわりがあった。とにかくかっこいいのだ。けれど、多くの翻訳が出た1980年代でも、スタイルだけでは長編は苦しいとの批判がくすぶっていた。本書もエピソードが短く小気味良い一方、全体を通した印象はかなり冗漫だ。つまり、ストーリーを追うのではなく、個々のスタイルを楽しむべき作家だったのである。

 ゼラズニイで新刊入手可能なのは、中短編集『伝道の書に捧げる薔薇』(1971)と、クトゥルーもの長編『虚ろなる十月の夜に』(1993)だけになった。解説でも書かれているが、最初に読むのならスタイリッシュさのテンションが切れない(往年の活力がある)中短編集の方を推奨したい。

 付記:今日届いたLOCUS誌の訃報欄で、ゼラズニイの息子でSF作家でもあるトレント・ゼラズニイが亡くなったことを知る。父親よりも若い48歳だった(父のトリビュート・アンソロジーなどを出していた)。

ジェイムズ・P・ホーガン『ミネルヴァ計画』東京創元社

Mission to Minerva,2005(内田昌之訳)

カバーイラスト:加藤直之
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 《星を継ぐもの》の最終巻。このシリーズは前半3部作(1977~81年)で終わる予定だったものが、エージェントの強い要望を受けて10年後に続編『内なる宇宙』(1991⇒93年に翻訳)が書かれ、さらに遅れに遅れて14年後に続々編となる本書が出るという経緯をたどる。翻訳も、これまでの池央耿さんが昨年亡くなる(訳業は2020年頃までだった)などの紆余曲折を経て、31年後に内田昌之訳で出たわけだ(ちなみに、2000年以降のホーガン翻訳はすべて内田訳になっている)。

 ただ、新装版にリニューアルされたといっても、シリーズ既刊の初版はすべて前世紀である。本書ではオールド読者向けに、プロローグと解説に「前巻までのあらすじ」が載っている。ネタバレありだが、いきなり本書から読む人はいないだろう(初読者には、最初の巻からを強く薦めます)。

 内宇宙からの侵攻(『内なる宇宙』)を退けたのもつかの間、ハント博士はマルチヴァースに存在する別の自分からの通信を受ける。博士はテューリアンたちと共同で、並行宇宙間を移動する手段の研究をはじめる。研究は難題を抱えながらも進むが、並行世界は時間も空間も無限の組み合わせがある。どこをターゲットに定めるのかで議論が起こる。一方、5万年前、破壊されたミネルヴァがまだ健在な時代に、5隻のジェヴレン人宇宙船が出現する。

 ハント博士、ダンチェッカー博士という、おなじみの登場人物は健在だ。物語の中ではチャーリーが月で発見されて(2027年)から、まだ6年しか経っていない。過去のシリーズ作品と同様、本書でもこの2人や他の登場人物たちが議論を積み重ねる。たとえば、簡単な図式で例示しながら、マルチヴァースを移動する物理が論じられる。イーガンのような難解さはない。また1人のジャーナリストの取材を介して、支配欲をまったく持たないテューリアン文明と、暴力を原動力に発展してきた人類との比較論も出てくる。文明論にしては単純化しすぎと思えるものの、旧来のSFが持っていた理想主義も悪くない、とも感じる。

 前巻『内なる宇宙』の「日本版への序文」で、ホーガンはDAICON5(1986)にゲスト参加した際に「右を見ても左を見ても、溢れ返るばかりの旺盛な活力に圧倒される思いだった」と書いた。これは、当時の日本SF大会の参加者がとても若かったせいもある(平均年齢21歳!)。今では+40歳であり(たぶん)大会の活力は歳相応に失われている。その間SFの中味も複雑かつ高邁となり、シンプルに高揚感が得られた昔流のセンス・オブ・ワンダーではなくなった。ある意味老成したわけだ。しかし、プリミティブな作品《星を継ぐもの》や《三体》には、未だ多くの支持が集まる(最近でも『一億年のテレスコープ』が注目を集めた)。原点は確かに荒削りだが、そのパワーには侮り難いものがあるのだ。

ニック・ハーカウェイ『タイタン・ノワール』早川書房

Titanium Noir,2023(酒井昭伸訳)

カバーイラスト:小阪淳
カバーデザイン:岩郷重力+A.T

 ニック・ハーカウェイの翻訳はこれで4冊目(別名義を含む)になる。ただ、ジャンルミックスの作家でもあり(ミステリやNVマークだったので)、SFマークとしては本書が初めて。探偵ものなのだが、設定がSFになっているからだろう。訳者が「こんなに愉しかった仕事は何年ぶりだろう」と書いたリーダビリティ抜群の作品だ。

 タイタン絡みの事件が起こる。タイタンとは小柄でも身長2メートルを優に超える巨人のこと。状況からして自殺のように見える。それでも、特権階級に関わりたくない警察は専門家の探偵に調査を依頼する。すると、出入りした来訪者から、ある人物が浮かび上がってくる。

 舞台は、アメリカとも欧州とも分からない、ギリシャ風の地名を持つ架空の都市である。明らかにされないものの数十年後の未来のようだ。俗称「タイタン」は不老化治療を受けた人々を指す。その薬〈T7=タイタン化薬7〉を使うと体細胞が若返り、併せて再成長が始まるのだ。回数を重ねるほど、身長が伸び体重が増す(訳者指摘のようにこれを連想する)。技術を独占するトンファミカスカ一族は、寿命を支配する超エリートの立場にある。物語は、探偵の遭遇するタイタンたちの秘密を巡って展開していく。

 いまAIと並ぶ注目の技術は、生命科学で脚光を浴びる不老化=アンチエイジングだろう。もっとも、ハイテク詐欺が横行する割に決め手となるブレークスルーはなく、できたとしても富裕層にしか恩恵がない(と思われている)。つまり、T7ができたら世の中は変わり、格差はますます広がる。そこに「長生きするほど巨大化する」というギャグを大まじめに取り入れたのが最大のポイントである。常人の何倍も生き、風変わりで威圧的なタイタンの怪物ぶりが読みどころになる。