マーサ・ウェルズ『システム・クラッシュ』東京創元社

System Collapse,2023(中原尚哉訳)

カバーイラスト:安倍吉俊
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 《マーダーボット・シリーズ》は、マーサ・ウェルズの著作の中でもっとも多くの国で紹介され、もっとも高評価(ヒューゴー、ネビュラ、ローカス、星雲賞から日本翻訳大賞まで)を得た作品だろう。TVドラマ化の予定もある。日本での人気は高く、執筆スピードが翻訳に追いつかない状態だ。中編がメインのシリーズなので、原著は6冊の薄い本(といっても私家版ではない。日本では短編も加えて3冊の文庫)にまとめられている。長編は2作、『ネットワーク・エフェクト』(2020)と本書『システム・クラッシュ』である。この2冊は正編(翻訳紹介は2年前)と続編の関係になるが、あらすじが箇条書き(本文を模している)付きで8ページも載っていて、これで十分思い出せるのなら読み返さなくとも問題ない。

 正編での異星遺物による汚染事件からようやく脱したかと思いきや、惑星には別の地域に隠れ住む分離派の入植者たちがいることが分かる。住民を除染のため移住させるにしても、彼らを無視するわけには行かない。大学探査船のシステム(ART)から支援を受けながら、マーダーボットは分離派の拠点を探す。そこは巨大なテラフォームエンジンが、ノイズを垂れ流す(センサー類が無効な)ブラックアウト地帯にあった。

 このシリーズ共通のスタイルとして「弊機」による一人称がある。マーダーボットは有機組織を持つハイブリッドロボットのため、超人的な能力を持つ一方で人間的な悩みを抱えてしまう。自由な状態(統御を離れた暴走状態)にありながら、なぜか自分に自信が持てずドラマ視聴だけが楽しみなのだ。ただ、その独白は自虐的ではあっても鬱々とはならず、どこかとぼけたユーモアを感じさせる。しかも、今回はたびたびの障害にもめげず、ちょっとやる気を出す。愚痴部分を【編集済み】で削除する配慮も見せる。心情の変化を味わえて面白い。

 さて、前作に続いて本書でも敵対する会社(BE社)との紛争が勃発、暗闇(センサーのブラックアウト)での戦いが繰り広げられる。何しろこの時代では会社が敵対的買収をする場合、本当に敵対行為=武力行使をするのだからたちが悪い。前作の設定はそのまま引き継がれているので、戸惑うことなく読み進めることができる。

マーガレット・アトウッド『老いぼれを燃やせ』早川書房

Stone Mattress,2014(鴻巣友季子訳)

扉デザイン:いとう瞳
扉イラスト:鳴田小夜子(KOGUMA OFFICE)

 アトウッドは、TVドラマにもなった宗教的ディストピアを描く《侍女の物語》、ウィルスにより人類社会が滅亡する《マッド・アダム三部作》、ブッカー賞受賞作のメタフィクション『昏き目の暗殺者』と幅広い読者層に受け入れられ、長編の多くは翻訳されている。ただ、短編集の紹介はそれに比べれば少ない。本書は最新短編集ではないが、(多くが)老年の主人公によるキング風ホラーが味わえる読みやすい短編集になっている。

 アルフィンランド:ファンタジー小説がベストセラーとなった作家も老境を迎えた。亡くなった夫が耳元で囁き、デビュー前に同棲し破綻した詩人との過去が去来する。 
 蘇えりし者:それなりに名をなした詩人は、今は衰弱し若い妻に介護される身だった。しかも、インタビューに訪れた大学院生は心外な質問をしてくる。
 ダークレディ:双子の兄妹がいる。妹は詩人の追悼式に出たいという。荒れた青春時代に同棲したことがあったのだ。だが、いがみ合ったファンタジー作家とも会うだろう。
 変わり種:家族の中でわたしだけが死ぬことになる。棺に納められ土に埋められるが、そこにはいない。異形の姿に変身して夜の村内を徘徊する。
 フリーズドライ花婿:妄想癖のある骨董商が、氷雨の中のオークションで競り落とした放置倉庫を確認すると、手付かずの衣装や備品が出てくる。 
 わたしは真っ赤な牙をむくズィーニアの夢を見た:3人の女たちがいたが、みんな1人の女に夫を寝取られていた。その最悪の女は死んだはずだった。
 死者の手はあなたを愛す:主人公は貧乏学生時代に、シェアハウスの家賃と引き換えに執筆中のホラー小説の権利を4人で分ける。やがて、その作品がベストセラーになる。
 岩のマットレス:リタイアした主人公は北極クルーズの船に乗る。そこで、高校時代に人生をめちゃくちゃにされた男と再会する。相手は気づいていないようだった。
 老いぼれを燃やせ:富裕層専用の介護ホームで暮らす主人公は、視力が衰えた上に幻覚が見える。老人施設連続放火の報せが流れ、ここにも暴徒が押し寄せてくるが。

 冒頭の3作品は登場人物が共通する。後に(そこそこの)名声を得る詩人が、詩の題材に使った同棲相手の女。女は詩人仲間から鼻で笑われながらも、エンタメ小説を書き成功する。貧乏生活の中で詩人を奪い合った、もう一人の同棲相手である双子の妹と冷静な分析を下す兄も登場する。誰もが日常生活を危ぶまれる老人になっている(ファンタジー作家は雪道で遭難しかかり、詩人は老害を隠そうともしない)。遠い過去の怨恨は(あとの記憶が薄らぐため)かえって老人になるほど深くなる。ただ、それは直截には描かれない。ファンタジー小説のメタファーとして解き明かされる。

 「変わり種」は吸血鬼なのに悪戯お化けのようだ。「フリーズドライ花婿」や「わたしは真っ赤な牙をむくズィーニアの夢を見た」では、クセのある登場人物が驚きの行動を見せる。「死者の手はあなたを愛す」では、分け前が不満な老境のB級ホラー作家が真実を知り、「岩のマットレス」(原著では表題作)では、仕事を引退した主人公が高校時代のレイプ当事者に完全犯罪を仕掛ける。一方、日本版の表題作「老いぼれを燃やせ」の場合、追われるのは老人たちになる。

 ファンタジー作家やホラー作家などは、儲けは多いにしても下に見られがちだ。アトウッドは文学の人ではあるが、グラフィックノベルなどを書いてエンタメ業界も知っている。そういう業界内や、作家間の差別意識も描かれている。後半の3作品はリタイヤ以降の老人が主人公で、リベンジというよりもっと酷い殺人を図ろうとする。その根源には、表題作に登場する暴徒たちの「働いていない老人に食わせるくらいなら(無駄なので)殺してしまえ」という、いつの時代/どこの国にも湧いてくる弱者苛めに対する恐怖心があるのかもしれない。10年前の著者が、自身の未来を想定して書いた老人小説ということで面白く読めた。

ステファン・テメルソン『缶詰サーディンの謎』国書刊行会

The Mystery of the Sardine,1986(大久保譲訳)

装画(コラージュ):M!DOR!

 国書刊行会《ドーキー・アーカイヴ》の最新刊。ステファン・テメルソン(1910-88)は亡命ポーランド人の作家である。ポーランド時代は妻のフランチェスカと共に「ザ・テメルソンズ」と呼ばれるコンビで絵本や前衛映画などを制作したという。1942年から英国に移り、小説は英語で書いた(その半世紀前のジョゼフ・コンラッドとよく似た経歴)。著作には多くの児童書や絵本、評論などがあるが本書が日本での初紹介となる。本叢書のパンフレットの中で「SFでもあり幻想小説でもありユーモア小説でもあり……とにかく変な小説です」(若島正)と紹介されたもの。

 ロンドンの仕事場と田舎の自宅を往復していた作家が亡くなる。すると作家の妻と秘書は恋人同士になりスペインのマヨルカ島に旅立つ。島には哲学者の親子が住んでいる。新聞配達をする少年はラブレターを入れる。哲学者のもとにジャーナリストの青年が訪ね、死んだ作家の瞳の色を質問する。そこに、黒いプードルが現れ突然爆発する。

 以上で全体の1割あまり。登場人物が次々と現れ、お話は容赦なく進んでいく。難解な文章はないし、それぞれのエピソードも分かりやすいが、事件と事件の関連性に起伏がなく、人間のつながりがとてもドライだ。冒頭の作家は、憎悪こそが創作を盛り立てると言う。ところが、本書の中にそういう激しい感情は(単語としてあっても)ほとんど描かれない。リアルさは重要視されず、登場人物が唐突に持論を開陳したりする。それも、台詞を棒読みするように。

 さてしかし、物語が支離滅裂なのかというとそんなことはない。登場人物たちの複雑な関係が明らかになり、缶詰サーディンの(驚くべき)解決もなされるからだ。プロットは計算されている。東欧革命以前のポーランドは皮肉っぽく描かれるし、ここは別の地球なのかと匂わせる章があり、村上春樹がSFなら本書もSFといえる部分はあるだろう。とはいえ、いったい何を読まされたのかは、最後まで目を通しても分からない。

 米国では書評家から「タイトルを(内容が)超えない」とされ不評だったようだ。しかし、『銃、ときどき音楽』のジョナサン・レセムが夏休みの読書に推奨し、日本でも『アマチャズルチャ 柴刈天神前風土記』深掘骨が評価するなど、変わった作品を書いている人/読みたい人には刺さるのである。少なくとも、他では読めない小説だ。

アンジェラ・カーター『英雄と悪党との狭間で』論創社

Heroes and Villains,1969(井伊順彦訳)

カバー画像:SK_Artist/Shutterstock.com
装丁:奧定泰之

 変格ものが多い《論創海外ミステリ》から出た本書は、《文学の冒険》叢書の『夜ごとのサーカス』(1984)や、《夢の文学館》に含まれる『ワイズ・チルドレン』(1991)などで知られる英国作家アンジェラ・カーター(1992年に52歳で亡くなっている)の初期作にあたる。オールディス&ウィングローヴの評論『一兆年の宴』(1986)で、(カーター作品の中では)はっきりSF的に書かれためったにない作品として紹介されている

 主人公は教授の娘で、共同体の白い塔に住んでいる。共同体の境界には堅固な壁が作られ、見張り塔が周囲を監視していた。不定期に蛮族が襲ってくるからだ。兄は警備隊の兵士だったが、警戒の緩んだ祭の日、襲来した蛮族に殺されてしまう。数年後、家族をすべて失った主人公は、偶然助けた蛮族の青年と共同体を離れ、彼らと共に荒れ果てた世界を放浪することになる。

 核戦争らしい大災厄の結果、世界の秩序は失われている。主人公の生まれた小さな共同体では農業や一部の工業が生きているものの、徘徊する蛮族や外人(アウトピープル)は奪うばかりで学ぼうとはしない。本を所蔵する知識階級は「博士」や「教授」などと称される。だが、学識を尊ばれるというより呪術的な存在と思われている。

 本書は、アフター・デザスター/ポスト・アポカリプスといったサバイバルの物語ではない。文明論とも違う。主人公は結果がどうあれ、文明による束縛(社会的義務、家族や婚姻)からの解放を希求しているように思える。書かれたのがベトナム戦争(1955~75)のただ中で、世界秩序が揺らいでいたことも関係しているかもしれない。

 ところで、主人公や蛮族の青年は、さりげなく本の一節や格言を口にする。それは教養の残滓ではあるのだが、文明が失われたことを逆に強調する効果を上げている。

レベッカ・ヤロス『フォース・ウィング 第四騎竜団の戦姫』早川書房

Fourth Wing,2023(原島文世訳)

扉デザイン 名久井直子
Cover art by Bree Archer and Elizabeth Turner Stokes
Stock art by Paratek/Shutterstock; stopkin/Shutterstock; Darkness222/Shutterstock

 ロマンタジー(ロマンス+ファンタジーからなる造語)という、聞いたことがあるようなないような新ジャンルが、昨年から英米を中心に流行っているようだ。筆頭のサラ・J・マース10年ほど前に邦訳があるが、当時は全く注目されなかった)などは3700万部を売ったのだという。本書の著者レベッカ・ヤロスはロマンス小説の書き手(現在も)だったが、今ではマースと並んで注目を集めるベストセラー作家である。本を紹介するBookTokなどSNSで、絶大な人気を博したのが要因とされる。

 高い山脈により東西に分かたれた大陸に、2つの競い合う王国があった。主人公は西の王国にある軍事大学騎手科に入学しようとしている。もともと書記を志望していたのに、軍の要職に就く母の意向には背けなかった。騎手科は竜に乗れるため志望者は多いが、卒業までの生存率が極めて低いことでも知られている。しかも、学内には彼女と敵対する学生が何人もいる。

 まず、上司であり実母でもある司令官との相克がある。次に入学試験(吹きさらしの一本橋を渡りきる)や軍事訓練だけでなく、竜との相性などあらゆる理由で死が正当化される大学生活があり、学友には過去の叛乱に関与した子孫がいて常に監視されている。なんとも殺伐とした雰囲気だ。ただ、そんな敵ばかりと思われた中に、極めて強く惹かれるパートナーが現れる。それは竜との絆とも関係していた。

 本書が本当に新しいのかは、先行作(解説でも指摘がある《パーンの竜騎士》《テメレア戦記》《ハリーポッター》から《ハンガー・ゲーム》まで)との類似点も多く異論が出てきそうだが、ロマンス小説との融合となると確かに新しい。こういうジャンルが苦手なSF作家には、書き難い作品とはいえるだろう(官能ファンタジーを書くアン・ライスなどはいたが)。情交シーンにしても、濃厚であってもハードコアではなく、エロティック・ロマンスなりのレギュレーションに則って書かれていると思われる。

 では、なぜいまロマンタジーが流行るのか。本書はマーチンの《ゲーム・オブ・スローンズ》とも似ている。登場人物が理不尽なほど次々と亡くなるし、強大で不気味な敵まで出てくる。しかし、マーチン特有のあのダークさはない。最近のファンタジーには、居心地の良さやロマンチックさが求められるという(冒頭のリンク記事参照)。フィクションには、現世の不安(=明日どうなるか分からない)を打ち消す光明が求められるからだろう。本書の主人公の運命は、前途多難とはいえ暗さを感じさせないものなのだ。

 シリーズなので続刊あり(原著は2巻目まで既刊、3巻目もラインアップ済み)。

マット・ラフ『魂に秩序を』新潮社

Set This House in Order,2003(浜野アキオ訳)

カバー:Diana Lee Angstadt/Getty Images

 新潮文庫の《海外名作発掘シリーズ》から出た本。本書は原著が2003年なので古典というにはやや新しく、アザーワイズ賞(旧ティプトリー賞)を受賞したといってもマイナーな作品だろう。その分、2分冊~3分冊にすべきところを1冊にする(新潮文庫最厚を謳う)など、編者の強い推しを感じさせる。マット・ラフはエンタメ作家でありながら、ジャンル小説(ミステリ、SF、サスペンス、ノワール、ホラー、ジェンダーなど)の枠組みを意図的に逸脱している。しかも、本書では登場人物自体が「はみ出して」いるのだ。

 ぼくはシアトルの東にある小さな町で下宿している。父たちとも同居しているのだが、そこは下宿(リアルの住居)とは別にある「魂の家」(原題のHouse)なのだ。一階は素通しの大部屋、二階には観覧台があり、コの字型の回廊沿いにたくさんの同居人たちの部屋が並んでいる。ただし、父も同居人たちもすべてがぼくだった。

 症状のため定住が難しかった主人公は、なんとかソフトのベンチャー企業に職を得る。女社長が理解してくれたからだ。そこにもう一人、同じ問題を抱えた女性が加わる。ただ、彼女の症状は安定していなかった。やがて、登場人物たちの過去が徐々に明らかになっていく。

 多重人格をテーマとしている。いわゆる多重人格障害(MPD)は、現在では解離性同一症 / 解離性同一性障害(DID)と記すべき症例である。あえて旧表記とする理由、分離した人格を(断片と考えるのではなく)「魂」とする理由は著者自身が書いたQ&Aで述べられている。そもそも、原著の副題が A Romance Of Souls なのだ。本文中にも言及があるが、ビリー・ミリガンのような多重の人格を、その当人の視点で描いた作品である。第1部(全体の3分の2)では、主人公と女性(その多重人格)、女性社長、下宿の管理人などそれぞれの暗部が語られ、第2部では大本となった事件の真相を探るサスペンスとなる。後半はちょっと駆け足か。

 本書は分厚すぎ(重すぎ)、と躊躇されるかもしれない。それならば、13年後の作品でドラマ化された『ラヴクラフト・カントリー』(600ページとやや薄い)もある。テーマは全く違うが、社会問題を巧みに織り込む技法はより進化していて物語のバランスも良い。

『紙魚の手帖 vol.18 Genesis 今年も!夏のSF特集』東京創元社

カバーイラストレーション:カシワイ
ブックデザイン:アルビレオ

 昨年から紙魚の手帖の「夏のSF特集号」となったGenesisの第2弾。紙魚の手帖は隔月刊で、今現在のSFマガジンと同じペースだが、こちらは雑誌(第3種郵便物)ではなく単行本扱いである。もともとのアンソロジー《Genesis》も雑誌風の単行本だったので、(風合いはともかく)形式は一致しているともいえる。連載やエッセイ、レビューを別にすると、第15回創元SF短編賞受賞作+中短編7作という構成。

 稲田一声「喪われた感情のしずく」商品開発に苦しむ新人の感情調合師は、伝説的なカリスマが十数年ぶりに新作のオーデモシオンを発表すると聞いて色めき立つ。 
 宮澤伊織「ときときチャンネル#8 【ない天気作ってみた】」人気シリーズの最新作。今回は天候制御をテーマに、インターネット3から出てきた怪しい発明品が登場する。
 阿部登龍「狼を装う」東京から実家のクリーニング店に戻ってきた主人公は、乾燥室に吊るされた見知らぬ毛皮のコートをまとってみる。第14回創元SF短編賞受賞後第一作。
 レイチェル・K・ジョーンズ「子どもたちの叫ぶ声」小学校には銃撃犯から逃れるためポータルが用意されている。その中にはマイルズ卿と称するネズミがいた。
 斧田小夜「ほいち」神社の駐車場に意識を持った車が放置されていた。その車内ネットワークには、車の理解できないメッセージがどこからかまぎれ込んでくる。
 赤野工作「これを呪いと呼ぶのなら」任意の言葉を「恐怖」に変えるその脳直接書き込み型ゲームには、「呪われる」という迷信めいたネットのウワサがあった。
 松崎有理「アルカディアまで何マイル」文明が滅んだ未来、過酷な労働に苦しむ少年は、たまたま巡り合った鵞鳥(ガチョウ)兵と共にアルカディアを目指す。
 飛浩隆「WET GALA」2083年、メトロポリタン美術館で大規模な回顧展が開催される。オートクチュールのようなロボットを手掛けてきた創始者にまつわる展覧会だった。

 まず受賞作「喪われた感情のしずく」では、各選考委員から、飛浩隆「感情を操作する薬、新技術で社会変革を画策する天才、平凡な主人公による抵抗。まさに王道であり、大枠から細部まで現代のSF短編として今回随一の仕上がりだ」、宮澤伊織「香水になぞらえたであろう人工感情というアイデアが、アイデアだけに終わらず、最後までストーリーを動かすエンジンになっているのがとてもよかった。文体も平易な中に必要な情報が織り込まれていて読みやすい」、小浜徹也(編集部)「感情のコントロールを人工物に頼るというアイデアが新鮮であり現代的である。人工感情の体験も、同業者の目を通すことで分析的に語れている。過去のいくつものオーデモシオンの商品名も気が利いていた」など、高評価を得ている。

 オーデモシオンがフランス語の eau de émotion だとすると「感情の水」の意味になる。人を操る香水が出てくるパトリック・ジュースキント『香水』を思い出した。本作の「調合師」も「調香師」とのアナロジーから出てきたものだろう。人の頭にレセプタ(受容器、形状は不明)があって(ケーブルをジャックインするとかではなく)そこにオーデモシオンを注入するアナログさがユニークだ。ただ、50年以上先でレセプタがデフォにある未来なら、現在の延長ではなくもっと異質な社会になるのでは。

 他では、松木凛を思わせる憑依もの「狼を装う」は、日常的な倦怠から超常世界への変転が面白い。「子どもたちの叫ぶ声」はシリアスな社会問題とファンタジイとが対比ではなく交錯する。「これを呪いと呼ぶのなら」は、かつて炎上事件でトラウマを負ったゲームライターが、次第に底なし穴に墜ちていく展開が怖い。「WET GALA」は(MET GALAの頭文字のみ裏返しているので)SCIENCE FASHIONに載るべき作品ではないかと思ったが、創始者とAIチップの開発会社との関係/さまざまな物語中(生成)物語/〈テホム〉による世界規模の災厄などなど、ファッションを超越しためまいを誘う中編だった。とはいえ、ちょっと詰め込み過ぎ。

キャサリン・M・ヴァレンテ『デシベル・ジョーンズの銀河オペラ』早川書房

Space Opera,2018(小野田和子訳)

カバーデザイン:坂野公一+吉田友美(welle design)
カバーイラスト:jyari

 ヴァレンテは1979年生まれの米国作家。邦訳はファンタジーの《孤児の物語》(2006~07、全2巻)、《妖精の国》(2009~16、既訳は全5巻中の2巻まで)や『パリンプセスト』(2009)などがあるが、SF長編ではこれが初めてとなる。書かれた動機がちょっと変わっている。

 著者はユーロビジョン・ソング・コンテスト(USC)にどハマリ、年1回のイベントを熱心に実況ツィートしていた。USCは欧州放送連合(中東の一部を含む)の視聴者なら誰でも知っている超有名な音楽イベント(およそ70年の歴史がある)である。しかし、域外の国(アメリカを含む)ではあまり知られていない。そこに、フォロワーからのコメント「SF/ファンタジーのユーロビジョン小説を書くべきだ」がくる。さらに著者史上最速で、編集者からのオファーもあったという(本書の「ライナーノーツ」など)。

 一瞬ヒットしてたちまち忘れられてしまったロックバンド〈絶対零度〉のボーカル、デシベル・ジョーンズの前に、身長7フィートでウルトラマリン色のフラミンゴ+チョウチンアンコウの物体が現れる。彼の前だけではない、すべての家庭に同時に現れたのだ。そして〈絶対零度〉が銀河系グランプリの人類代表に選ばれたのだと告げる。銀河のすべての知的生命が参加するそのグランプリで最下位になると、人類は知的水準未達で丸ごと抹消されてしまう。

 異形の宇宙人たちが多数登場する(表紙イラストも良いのだが、ファンがレゴで作ったキャラがなかなかかわいいのでご参考に)。脱力系+皮肉の効いたギャグ満載で、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の影響を強く受けたというのもよく理解できる。万能の宇宙人が同時多発的に現れご神託(メッセージ)を下すとか、ダメ人間がありえない人類代表に選ばれてしまうとかのパターンは、SFアニメやコミックでもお馴染みだろう。ある種の定番ネタから物語は成り立っている。

 しかし、本書からはヴァレンテ独特のこだわりが濃厚に立ち昇ってくる。各章の冒頭に(わずかな引用なのだが)USC発表曲の歌詞が掲載され(そのため、たくさんの著作権表示がある)、お気に入りの曲名が章題になっている。そして、登場人物たちの境遇や主張の描写が、物語のバランスを崩すほどやたらと執拗で長い。まだ、いくらでも書けるという表明だろう(続編が今秋には出る)。なんといっても、このノリこそが読みどころなのだ。

アン・マキャフリー『歌う船[完全版]』東京創元社

The Ship Who Sang,1969/1977/1999(嶋田洋一訳)

カバーイラスト:丹地陽子
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 連作短編集『歌う船』が翻訳されたのは1983年のこと、当時マキャフリー(1926~2011年没)は人気作家で、13作出た《パーンの竜騎士》や、7作(原案のみや共作を含む)の《歌う船》など多数が翻訳されていた。本書は全編新訳(各作の標題も変わっている)の新版である。原著が出たあとの短編集『塔の中の姫君』やアンソロジイのために書下された2編を加え、日本オリジナルの「完全版」としている。いま新刊で入手可能な唯一のマキャフリーである。

 船は歌った(1961)16歳になった外殻人ヘルヴァは、パートナーである〈筋肉〉を選び順調に実績を重ねていった。だが、惑星住民の救出を図る任務で事故が起こる。
 船は悼んだ(1966)感染症で多数の死者が出た惑星では、少数の生存者も四肢を動かすことができないようだった。意思疎通を図る方法はあるのか。
 船は殺した(1966)放射線のフレアにより生殖能力を無くした人々に、大量の保管精子と卵子を届ける任務では、経歴にいわくのある探索員が同乗する。
 劇的任務(1969)メタン=アンモニア大気の惑星に高度な知的生命がいる。科学情報を取引するため、そこに少人数のシェイクスピア劇団を送り込むことになる。
 船は欺いた(1969)頭脳船の失踪が相次いでいる。しかも、折り合いの悪い〈筋肉〉の判断ミスで、事件の元凶を呼び込む羽目になる。
 船はパートナーを得た(1969)記録的なスピードで債務を完済できたヘルヴァだが、フリーとなっても将来は白紙だった。中央司令部は蠱惑的な提案をしてくる。
 ハネムーン(1977)新たな機体とパートナーを手に入れたヘルヴァは、再びメタン=アンモニア惑星へと飛行し、別れた劇団員たちとも再会する。
 船は還った(1999)パートナーを得てから80年近くが過ぎたある日、汚染物質をまき散らしながら航行する武装船団を見つける。行く手には無防備な植民惑星があった。

 主人公は一隻のサイボーグ宇宙船=頭脳船である。すばらしい歌声の持ち主なので「歌う船」と呼ばれている。物語の世界では、赤ん坊は生まれる前に厳格な検査が行われ、致命的問題があると誕生が許されない。ただ、脳が正常ならば外殻人として生きられる。肉体の成長は止められ〈頭脳〉のみで生きるのだ。宇宙船(あるいは都市の制御施設)が身体になる。ただ、高価な宇宙船は中央司令部の所有物であり、指示された任務を果たさなければ自由は得られない。そして、手足となる〈筋肉〉を同乗させるのだが、彼ら/彼女らにとってもパートナーは生涯の仕事となる。

 解説にあるが『歌う船』は20世紀末時点でいろいろ批判されてきた(『サイボーグ・フェミニズム』では主にジェンダーについて)。今の価値観から見れば、さらに相容れない部分がある。肉体が正常でなければ生きられない社会とか、植民継続のため代理母を当然とする考え方とかだ(これらについては人によって意見の相違があるかもしれない)。そもそも〈頭脳船〉のシステムは個人に負債を背負わす年季奉公だし、修理にまで自己負担(借金)を強いるなど、奴隷労働そのものである。

 とはいえ、マキャフリーが描きたかったのは、そういうところではないだろう。金属の体を持つスーパーロケット少女が、胎内に収めた恋人(プラトニックな関係しか結べない)と、共に宇宙を飛ぶ冒険の物語なのである。バトルシーンなどほとんどなく、少女とさまざまな同乗者との出会いと別れ、友情や助けがそれぞれのエピソードとなっているのだ。

映画の原作を読んでみる、その3

 シミルボン転載コラムの映画原作シリーズも今回で3回目、これで最後になりますのでよろしく。大作というより、ちょっと渋めの3作品を紹介しています。作家も渋いですが、じっくり書き込まれた読み応えのある作品ばかりです。以下本文。

映画も公開、SNSの闇に迫る『ザ・サークル』
 トム・ハンクス、エマ・ワトソン主演で映画化され話題になりました。海外では公開済み、遅れていた日本でもようやく2017年11月に公開されます。IT社会を風刺した作品で、twitterやLINEなどのSNSを使っている人ならなるほどと思うエピソードの先に、全体主義社会の影が見えてくるという内容。とても怖いですね。特に今のSNS社会で困るのは、ほっといてくれないことです。黙っていれば発信しないやつだと怒られ、発言すると執拗につきまとわれ、善意であっても挙動を逐一見張られる。どうせ秘密が持てないのだから、世界中みんなが秘密を持たなければ良い、という発想の果てに本書があるわけです。

 著者は、1970年米国生まれの作家、編集者、出版業、脚本家、社会活動家(移民家族のために読み書き支援を行うなど)です。本書は、架空のインターネット企業「サークル」を扱った作品。リアルの世界で苦労の多かった著者の経歴もあってか、スマートなIT会社が暗く変貌していく様子を描かれています。本書の内容について、日本のITギーク系の雑誌WIREDは高評価でしたが、米国版WIREDは内容をやや批判的に紹介していました。

 「サークル」は巨大なIT企業です。主人公は旧態依然の地元に飽き飽きし、友人の紹介を伝手にサークルに入社します。そこには開放的なオフィス、先端的な仕事、自由な社風、厚い福利厚生制度があり、若い就職希望者が羨望する環境が用意されていました。彼女へは社内外SNSへの参加や、さまざまな情報発信が半ば義務付けられます。けれど、世界と繋がり合うほどに、自身のプライバシーは失われていきます……。

 本書中に「秘密は嘘、分かち合いは思いやり、プライバシーは盗み」というスローガンが出てきます。これは、オーウェルが書いた『一九八四年』の「戦争は平和、自由は隷属、無知は力」に対応するように置かれています。サークルのガラス張りのオープンなオフィスも、ザミャーチン『われら』に現われるプライバシーのないガラスの建物を思わせます。とすると、本書はITがもたらす全体主義を風刺する小説のようです。

 ただし、米国WIREDは、その批判は少し的外れではないかと指摘しています。SNSが持つ特性、秘密やプライバシーの排除は、裏で行われる不正や談合をなくし、過去の時代では知りえなかった真実を暴露する面もあるからです。とはいえ、見知らぬ他人からの干渉や、恣意的な誘導という暗黒面も存在します。

 本書は前半でポジティブな面を強調し、後半でネガティブさを曝け出すように書いています。確かにtwitterやLINE、facebookなどでは、成り立ちが善意であっても、悪意で運用することで、窮屈な社会ができてしまう可能性があります。現実に起こった政府機関による干渉疑惑などを見ると、SNSによる大衆扇動がありえないとは言えません。一方向だけの発言が称賛されて、異論が許されず、ただ同一化が求められるなら、それは全体主義そのものとなってしまうでしょう。

(シミルボンに2017年10月5日掲載)

映画「アナイアレイション―全滅領域―」に見る、彼岸世界は徒歩圏内?
 そのむかし、あの世とこの世は地続きであると考えられていました。つまり歩いてあの世に行けるわけですね。生と死が身近で、隣り合わせだった時代を反映しています。神話や伝承にある黄泉の国の入り口は、いまでは地名だけになって残されています。人が増え、宗教心が薄れ、世界が狭くなると、そういった地続きの異世界は顧みられなくなりましたが、物語の中では別のかたちで蘇っています。

 その一つが、今回紹介する三部作です。パラマウント版「アナイアレイション―全滅領域―」は、誰もが生還できず「全滅する」という、何だか怖い題名になっています。「エクス・マキナ」「わたしを離さないで」のアレックス・ガーランド監督、「ブラック・スワン」のナタリー・ポートマンの主演で、2018年2月下旬から3月にかけて世界21か国で公開される作品ですが、三部作はその原作にあたります。

 著者ジェフ・ヴァンダミアは1968年生まれの米国作家、アンソロジストで、チャイナ・ミエヴィルらが提唱する「ウィアード・フィクション」(気味の悪い小説)と同様の、「ニュー・ウィアード」と呼ばれる幻想ホラー小説の書き手であり編集者です。世界幻想文学大賞を3度受賞していますが、そのうち2度はアンソロジイの編者としての受賞でした。そういうジャンル小説をよく知る書き手が、今回は少し変わったアプローチで三部作を書いたのです。

『全滅領域』:自然豊かな海岸部のどこか、エリアXと呼ばれる領域に調査チームが入る。11回に及ぶ調査はことごとく失敗し、隊員は不可解な死を遂げたり正気を失っている。何が原因なのか、条件を変えるため12回目の探査では女性だけが選ばれる。メンバーはお互いを名前で呼ばず、職種名で呼ぶ。隊員は地下へと降りる〈塔〉の中で、壁面を覆いつくす文字を見つける。

『監視機構』:エリアに隣接して、〈サザーン・リーチ〉という監視研究機関が設けられている。前所長が行方不明となり、新任の所長が着任する。しかし、非協力的な副所長や言動が奇妙な科学部のメンバーなど、所内の様相は混沌としている。前所長は何をしようとしていたのか。新任所長に与えられた、本当の目的とは何か。

『世界受容』:エリアXが拡大を始める。エリアの中では、失われた隊員から変異した何者かが見え隠れる。新任所長はエリアへの潜入を試みるが、そこでは異形の生き物がうごめき、過去の記憶と偽りの未来が混交する。時間の流れさえ均一ではない。エリアの正体は、果たして明かされるのか。

 最初の『全滅領域』だけを読むと、エリック・マコーマック『ミステリウム』(1993)のような印象を受けます。固有名詞を持たない登場人物と正体不明の世界、解き明かされない謎など、ある意味典型的な幻想小説のスタイルともいえるでしょう。『監視機構』では、そこに〈サザーン・リーチ〉という外形が設けられ、(得体は知れないながら)組織的な背景や、人間関係が明らかにされます。『世界受容』に至っては、今度はエリアXという世界の本質にまで踏み込んでいます。語り手の視点には、いくつかの工夫があります。第1部は一人称、第2部は三人称、第3部は一人称、二人称、三人称をパートごとに交えているのです。個人の狭い視点による歪められた世界が、三人称で客観化されたかのように見えて、最後にまた混沌へと戻っていくわけですね。謎は解明されたともされていないとも取れます。

 ウェブ雑誌The Atlanticの長い記事の中で、著者はこの三部作の顛末について記しています。2012年に、まず『全滅領域』の草稿が書かれ、上記のような3つの視点から成る《サザーン・リーチ》三部作として売り込むと、SFやファンタジイなどのジャンル小説以外の出版社からオファーを得ます。文藝出版の老舗FSG社(大手出版社マクミラン・グループの一員)は、1年内で3作一挙刊行を提案してきました。条件は「読者は謎の解明を求めるだろうから、きっちりそこまで書くこと」。著者も、第1部(ある種の不条理小説)だけで終わるより、3部作を通して人智を超えるものを表現する方が重要と考えました。残りを書き上げるまで18か月、出版は2014年になってから、2月・5月・9月と連続して出ました。最近のメジャーな出版では、三部作を間髪を入れずに出せることが前提のようですね。

 物語の中には、著者の体験がさまざまに取り入れられています。車の中の潰された虫、家に忍び込む体験、フロリダ北部に似せたエリアXの自然、トレッキング中に膝をひどく痛めたことや、ミミズクの生態に触れたことなどなど。それらがない交ぜとなって、まるで超現実的な旅をしているようだったといいます。

 歩いて行ける異界を扱ったSFと言えば、ストルガツキー兄弟が書いた『ストーカー』が元祖でしょう。危険なものが潜む異界にはお宝もあり、密漁者(ストーカー)たちが命を懸けて忍び込みます。

 その『ストーカー』のオマージュともいえるのが宮澤伊織『裏世界ピクニック』です。異世界と実話系怪談を両立させた、新しい表現が注目を集めました。ご存じのように大人気となりシリーズ化、コミック化やアニメ化もされています。

(シミルボンに2018年2月20日掲載)

荒れ果てた未来の海で、なぜ都市は移動するのか
 2019年3月1日に日本公開された、クリスチャン・リヴァース監督、ピーター・ジャクスン製作・脚本の映画『移動都市/モータル・エンジン』は、未来の干上がった海の上を巨大都市がキャタピラで走り回るという迫力ある映像が話題になりました。本書はその原作です。

 原著者のフィリップ・リーヴは英国の作家です。《移動都市クロニクル》は、2001年から2006年にかけて出版され、第4部『廃墟都市の復活』がガーディアン児童文学賞を受賞しました(その後、短編集なども出ました)。そうか児童文学だったのかと納得する人、意外に思う人もいるでしょう。もともとファンタジイ小説は、児童文学やヤングアダルト文学での出版が多いのです。

 ただし、東京創元社などでは、大人でも問題なく読める作品として紹介されてきました。例えば、スーザン・プライス『500年のトンネル』や、パトリック・ネス《混沌の叫び三部作》などもそうです。他では、ハインラインの長編の多くも、もともとジュヴナイル(例えば、『ラモックス』、『銀河市民』、『宇宙の戦士』などなど)だったのですね。あえて区分けする必要はないのかもしれません。なお、シリーズ第1作の『移動都市』は、2007年の星雲賞海外長編部門を受賞しています。

 舞台は30世紀を過ぎたいつかの時代。60分戦争で世界は滅び、生き残った人類は巨大な移動都市の上で暮らしています。無数のキャタピラや車輪で、文字通り移動する都市ロンドンでは、科学ギルドが戦争前の失われた技術の修復に成功します。激しい生存競争を繰り広げ、都市同士が喰い合うことを認める移動派、そういう海賊的な移動都市と対立する反移動都市同盟、空を自由に飛ぶ飛行船乗りたち。陰謀と隠された過去の秘密を交えながら、物語は最後の対決シーンへと進んでいきます。

 発表当時から、どことなく初期の宮崎アニメを思わせる雰囲気がありました。とてもヴィジュアルな移動都市や兵器の描写、デフォルメされた小道具の数々と、戦いのむなしさに対する思想がそういう連想を誘うのでしょう。主人公は見習い士トム、悲惨な過去を背負った娘ヘスター、美貌のギルド長令嬢らを絡めた波乱万丈なお話です。戦闘シーンが豊富にあるのに、陰惨さはほとんどなく、明快な筋立てで分かりやすい。物語では主人公のトムや、対するヘスターはともに(児童文学なので)少年少女なのですが、映画ではもう少し年上の設定となっています。

 本シリーズは、2010年に第3部まで翻訳された後、長い間紹介が滞っていました。映画化を機に9年ぶりに第4部完結編まで出たのは喜ばしいことです。

(シミルボンに2019年3月6日掲載)