酉島伝法『るん(笑)』集英社

装幀:松田行正
表紙図版:Spiderplay/Getty Images

 昨年11月に出た本。「群像」と「小説すばる」に掲載された3つの中編からなる連作集である。SF以外の(人間を主人公とした)単行本は初めてなのだが、著者の場合ほとんど印象が変わらないのが特徴かも知れない。「普通の人間の書き方がわからなくなっていて、二本足でどう歩くのかを確かめるようにして書いた」とある(エッセイ「千の羽根をもつ生き物」)。

 三十八度通り(2015):結婚式場に勤める主人公は、38度の熱を帯びるようになった。夢の中で北極点から南極点へと、緯度を下りながら歩き続けている。
 千羽びらき(2017):女は全身が蟠(わだかま)る病に苦しんでいる。しかし民間療法「るん(笑)」により治療ができるという。
 猫の舌と宇宙耳(2020):この世界では猫が排斥されている。子どもたちは立ち入りを禁止されている地図にない山で、猫を探そうとする。

 「三十八度通り」の主人公の妻には病にかかった母親がいて、その物語が「千羽びらき」になる。そして、妻の幼い甥の物語が「猫の舌と宇宙耳」である。親類縁者たちの物語なのである。舞台となる世界は、迷信や疑似科学的な法則により支配されている。町には全長15キロにも及ぶ巨大な龍が横たわり、人々は贄(にえ)とよばれる捧げ物を毎日投げ落として運気を高めようとする。薬はいかがわしいものであり、場末のヤクザイシから買わなければならない。民間療法は公的な医療行為を超越し、猫はなぜか忌み嫌われている。

 エッセイ中でも書かれているのだが、著者の作品のベースには実体験=現実がある。デビュー作「皆勤の徒」では特殊な造語を駆使することで、現実世界がほぼ隠蔽されていた。本書で描かれる別の常識に支配された日常も、実社会とはだいぶ異なるように見える。しかしフェイクや疑似科学に溢れる今現在と、たいした違いはないともいえる。著者自身が違和感を抱いてきた「すこし角度を変えて見た現実社会そのもの」なのである。

久永実木彦『七十四秒の旋律と孤独』東京創元社

ブックデザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。
装画:最上さちこ
装幀:長﨑稜(next door design)

 第8回創元SF新人賞を受賞した標題作を含む連作集。著者初の単行本でもある。なお、久永実木彦はWebラジオのパーソナリティ(視聴するには会員登録が必要だが、東京創元社のyoutubeチャンネルでも聞ける)を務めていて、なかなか流暢な語りでしゃべっている。

 七十四秒の旋律と孤独(2017)宇宙空間に適合した朱鷺型人工知性マ・フは、その能力を使って宇宙船の警護に就いている。
 一万年の午後(2018)惑星Hで調査の任務に就く8体のマ・フたちは、環境への変更を一切加えず観測だけに徹していたが、あるきっかけにより干渉を余儀なくされる。
 口風琴(2019)失われていたはずのヒトが蘇った。ヒトは口風琴を使いふしぎな音楽を奏でる。マ・フたちはその指導に従い生き方を変えていこうとする。
 恵まれ号I・恵まれ号II(書下ろし)ヒトは次々と復活し村を築くまでになる。やがて、古い宇宙船の所有権を巡って、不穏な動きが見られるようになる。
 巡礼の終わりに(書下ろし)さらに長い歳月が経過し、ヒトたちは逆にマ・フを崇めるようになっている。そんな村にマ・フの助けが必要な事件が発生する。

 表題作のみが独立した短編で、主人公であるマ・フの登場編になっている。それ以外の5作品は、惑星Hを舞台とした《マ・フ クロニクル》という連作である。マ・フとは人型のロボットを指す。しかし、この物語はいまどきのAI:人工知能をテーマとしたものではない。それぞれが個性を持ち、ストイックながら人間的な感情を有しているからだ。AIのような万能感はなく、無垢な子どものような存在ともいえる。それでいて、1万年の繰り返し作業に耐える精神的な堅牢さがある。

 人間をご主人様と慕うけなげなロボットたちというと、トマス・M・ディッシュの『いさましいちびのトースター』(1980)を思い出す。本書はそこまで童話的なお話ではないが、マ・フが抱く失われた人類への郷愁には、リアルというより寓話的なアイロニーが感じられる。しかしヒトはご主人様にはならない。やがて、立場の変化がクロニクルの中で明らかになっていく。

ピーター・ワッツ『6600万年の革命』東京創元社

The Freeze-Frame Revolution / Hitchhiker,2018(嶋田洋一訳)
カバーイラスト:緒賀岳志
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 ピーター・ワッツの最新刊。先に出た日本オリジナルの短編集『巨星』に3作品が収められている《サンフラワー・サイクル》で、未訳だった中編と続編に相当する短編1作が収録された作品集だ。短編は暗号を解読した読者だけのボーナストラックなので、書籍でそのまま読める日本の読者はお買い得である。著者が中編と主張する本編は、350余枚あるので短い長編ともいえる。

 国連ディアスポラ公社が建造した恒星船〈エリオフォラ〉は、銀河を周回しながらワームホールゲートの敷設をする任務を続けている。ブラックホールを内蔵し、航路周辺の天体を燃料に変え、敷設したゲートは既に10万を越える。しかし、その間6600万年が経過した。3万人の乗員は少人数に分割され、数千年に一度必要に応じて目覚めるのみ。船のコントロールはすべてAIに委ねられている。

 6500万年が経った時点で、乗員たちの一部にAIによる恣意的な操作が行われているのでは、という疑念が生まれる。対抗するため、密かにAIからの解放革命が進められるが、それには100万年もの時間がかかる。人間の寿命は任務の長さに比して極端に短いので、何度も休眠と覚醒をタイムラプスのように繰り返すことになる。

 登場人物への共感を拒否するワッツの作品の中では、この《サンフラワー・サイクル》は比較的人間寄りのシリーズである。ここに出てくる人類は(詳細な説明はされないものの)おそらく我々とは異なる存在だろう。途方もない時間スケールの中で、精神に異常を来さず任務をやりとげねばならないのだ。そこに超AIならぬ頭の悪いAIチンプ(チンパンジー並という蔑称)が絡み、乗組員たちと駆け引きをする。宇宙的時間が流れ、登場する全員が非人間なのに、妙に人間的な弱みが見えるのが面白いところだ。

エドゥアルド・ヴェルキン『サハリン島』河出書房新社

Остров Сахалин,2018(北川和美・毛利公美訳)
装画:杉野ギーノス
装丁:森敬太(合同会社 飛ぶ教室)

 エドゥアルド・ヴェルキンは1975年生まれのロシア作家。YA向けのSFを書いてきたが、本書で初めて一般読者向けSFを書いた。2019年のストルガツキー賞を受賞。サハリンとは樺太のこと。本書の設定では、復活した大日本帝国の領土となっている。ロシアの文豪チェーホフは、ロシア帝国末期の1893年に同じ題名の『サハリン島』(旅行記ではなく多分に政治的なルポルタージュ)を書いた。本書ではそういった過酷な流刑地だった過去と、作者自身が訪れた現在のサハリン、核戦争後の異様なサハリンが混淆しているのだ。

 北朝鮮の核攻撃を契機に全面核戦争が勃発、アメリカや中国、ロシアは崩壊し、さらに生き残った人々をゾンビ化させる、謎の疫病MOBが蔓延する。日本では自衛隊のクーデターで大日本帝国が復活、鎖国政策により押し寄せる難民を強制的に排除する。物語は東京帝国大学で応用未来学を専攻する主人公が、イトゥルプ島(択捉島)やサハリン島でフィールドワークを行うため、島に上陸する場面から始まる。島には難民の収容所、居住地があり、また日本人流刑囚を収監する刑務所が点在しているのだ。

 主人公はロシアの血を引く美少女、二丁拳銃で撃ちまくる。案内役のタフな銛族(銛を自在に操る)の青年と共に、列車やバギー、ボート、徒歩など移動手段を換えながらサハリン各地を転々とする。サハリンは北海道と同じくらいの広大な島で、交通手段や治安が乱れた状況での移動は極めて困難なのだ。

 と書くとラノベなのだが、ロシアSFはそうそう生易しいものではない。ロシア時代の地名がそのまま残る帝国領は異形の世界だ。本土に入れない中国人難民や、ロシア人、コリアンが溢れている。人の命には価値はなく、無造作に殺され死体は発電所の焚きつけになる。アメリカ人はというと人種を問わず「ニグロ」と呼ばれ、檻に吊されて石打ちの刑に処せられる。海は放射能で汚染されている。支配階級であるはずの日本人も、サハリンではどこか精神に異常をきたすのだ。

 著者は本書と関連ある作品として『宇宙戦争』『トリフィド時代』「少年と犬」『渚にて』「風の谷のナウシカ」などを挙げている。他にもヘンリー・カットナーの〈ホグベン一家〉もの(日本では単行本にまとまっていない)や芥川龍之介の影響を受けたという。そこにソローキンやエリザーロフ(下記リンク参照)の、エスカレーションする凄惨さを加えたカオスが本書になる。日本の読者からすれば、(アンモラルな)差別的描写はフィクションの一要素と割り切り、政治性を排した異世界ものとして解釈すべきだろう。エピローグはちょっと蛇足ぎみでは。

 

橋本輝幸編『2010年代海外SF傑作選』早川書房

カバーデザイン:川名潤

 11月に出た『2000年代海外SF傑作選』に続く、橋本輝幸編の翻訳SFアンソロジイである。このくらいの時期になると、ケン・リュウやピーター・トライアスなど新刊でも入手容易な作家が多くなる。11作品を収める。

 ピーター・トライアス:火炎病(2019)*兄は周りが青い炎に包まれるという病に犯される。主人公は、治療の手がかりを探すうちに、感覚操作並列SOPというARエンジンの存在を知る。
 郝景芳:乾坤と亜力(2017)*社会全般を統括するAI乾坤(チェンクン)は、ある日、三歳半の子ども亜力(ヤーリー)から学ぶように命令される。亜力の言動は理解不能のものばかりだった。
 アナリー・ニューイッツ:ロボットとカラスがイーストセントルイスを救った話(2018)*全米の医療が崩壊したアメリカで、ドローン型ロボットと一羽のカラスが協力することを学ぶ。
 ピーター・ワッツ:内臓感覚(2018)*グーグルのデリバリーに暴行を働くというもめ事を起こした男は、パラメータ化の専門家と名乗る女の非公式訪問を受ける。
 サム・J.ミラー:プログラム可能物質の時代における飢餓の未来(2017)*ソフトウェアで自在に変化する、形状記憶ポリマーが爆発的に普及する。しかし、ハッキングのために恐ろしい事態が生じるようになる。
 チャールズ・ユウ:OPEN(2012)ある日突然、部屋の中央に”door”という文字が出現する。僕は彼女と話し合わねば、と思う。
 ケン・リュウ:良い狩りを(2012)清朝末期、香港の近辺に住む妖狐と妖怪退治師だった親子は、魔法が消えていく時代の中で、姿を変えながら生き抜いていこうとする。
 陳楸帆:果てしない別れ(2011)**主人公は脳内出血で倒れ、かろうじて意思の伝達こそ可能なものの全身麻痺のままとなる。ところがそんな主人公に、思わぬ仕事が依頼される。
 チャイナ・ミエヴィル:“ ”(2016)* “ ”とは〈無〉を構成要素とする獣である。現実の事物の反対側にある負の存在は、新たな学問を生み出すことになる。
 カリン・ティドベック:ジャガンナート(2012)いつなのか分からない未来、異形の生き物マザーの中に生まれた主人公は、やがて成長し生涯の役割を与えられる。
 テッド・チャン:ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル(2010)仮想空間に生きる人工生物ディジエントは、独自のゲノム・エンジンを使って知能を持つ生き物としてふるまう。
 *:初訳、**:新訳

 7作品は初紹介、または入手困難な本の新訳。ピーター・トライアス郝景芳アナリー・ニューイッツピーター・ワッツらは、まさに今のテクノロジーであるAIや、ネットで構成されたGAFA的な世界を切り取った小品だろう。サム・J・ミラーは登場人物が現代的、チャールズ・ユウチャイナ・ミエヴィルは円城塔風(文字のような純粋に抽象的な存在を生き物のように扱う)である。カリン・ティドベックは酉島伝法『皆勤の徒』(英訳版)を高評価したヴァンダミアのアンソロジイから採られたが、本作もそういう流れを汲む作品。陳楸帆も後半はよく似た雰囲気だ。ケン・リュウは『紙の動物園』収録のスチーム・パンク作品、テッド・チャンはデジタル生命の意味を考察する力作で、比較的最近(約1年前)出た『息吹』収録の中編だが、テーマ的にも欠かせないということであえて収録されたようだ。

 2010年代は終わったばかりの近過去なので、客観的な評価を下すのは難しいが、本書の中にそのエッセンスは見える。ネットがその存在感を広げ、AIは偏在化(あらゆるところに分散化)し、無形(ソフト)が有形(ハード)を凌駕する社会だ。また、国家に替わって企業が情報=人間を支配する。男女の定型的な役割は否定され、人に似たものは人間とは限らない。本書の多様な視点から、そういう社会的な変化が顕わに見えてくる。

 2020年はパンデミックで明け暮れ、さまざまなものが終わりまたは加速されたが、これらは2010年代(2010-19)より後に物語の形を成すものだろう。