アーシュラ・K・ル・グィン『赦しへの四つの道』早川書房

Four Ways to Forgiveness,1995(小尾芙佐・他訳)

カバーイラスト:丹地陽子
カバーデザイン:川名潤

 奥付は10月20日だが、版元の事情で11月15日発売となった本。1995年に出た《ハイニッシュ・ユニバース》ものの4中編を収める作品集である。もともとは同シリーズ短編を含む『内海の漁師』(1994)の1年後に出たもので、およそ30年を経てようやく翻訳が叶ったものだ。ちなみに、ハヤカワ文庫版のル・グィンは(絶版状態だった本を含め)多くがKindle等の電子書籍で読めるようになっている。

 裏切り(1994)引退した女性物理教師は、田舎でペットと暮らす日々だった。近在には、革命の統率者でありながら、汚職にまみれて名誉を汚した元長官が住んでいた。
 赦しの日(1994)女性差別がはびこる王国に赴任したハイン人女性使節は、首都の儀式で寡黙な護衛と共にテロリストに拉致される。
 ア・マン・オブ・ザ・ピープル(1995)保守的な村落で生まれ育ったハイン人男性の主人公は、やがてエクーメンの大使となるべく奴隷解放された植民惑星に赴く。だが、そこには根深い差別が残っていた。
 ある女の解放(1995)囲い地で奴隷として生まれた女性主人公は、解放闘争を巡る混乱で揺れる社会から革命の地である植民惑星を目指す。(「ア・マン・オブ・ザ・ピープル」とペアになって、2つの人生が交錯する)。

 舞台は数千年前(エクーメン歴)に人類が到達した惑星ウェレルと、後に植民された惑星イェイオーウェイの2つである。ウェレルは、少数の所有者と多数の奴隷から成る社会を形成していた。ウェレルの植民星イェイオーウェイは奴隷の供給地だったが、ウェレルの軍事干渉をも退けた自由民による統治が行われるようになる。ただ、奴隷的な労働や社会的差別の問題はまだ解消されてはいない。

 エクーメンは汎宇宙的な連合体である。ハインはその発祥の地だ。そこに加入するためには、奴隷制の廃止は必須条件となる。しかし、文化の違いを力で押し切っても反発を生むだけだろう。あくまでも現地民の意思を尊重すべきなのだ。

 最後の作品を除くと、物語は社会の中心からやや距離を置いた人物によって語られる。引退した教師や異星人(外国人)である大使(倫理観はもちろん時間感覚も異なる)、田舎生まれで因習を振り棄てた男性主人公も異星人である。最も長い「ある女の解放」が、奴隷に生まれ自ら解放運動を率いるまでに至る現地女性の一生を描く。奴隷解放したはずの社会でも、肉体的な差異、特に性に伴う差別を払拭するのは容易ではない。遠い未来、遠い宇宙であったとしても、人間である以上変わり得ないのか。そういう普遍的な課題を投げかける物語なのだ。

筒井康隆『カーテンコール』新潮社

装画:とり・みき
装幀:新潮社装幀室

 最後の小説集とされる。著者はインタビューのなかで「「信じません!」と言っているのは、担当者だけ(笑)みんな、そろそろ死ぬんじゃないか?と思っている。売れているのは、それもあると思いますよ」とうそぶく。2年前に出た『ジャックポット』が実験的な小説集だったのに対して、本書は「エンタメでまとめてみた」ものという(といっても、発表媒体は、ほとんどがエンタメ系の小説誌ではない)。2020年から23年に書かれた、全部で25編の掌編小説を収める。なお、今後もエッセイや文学賞の選考委員は続けるとのこと。

 深夜便:酔った主人公と知人との会話の果て、花魁櫛(『ジャックポット』所収)、白蛇姫:白い蛇を友とする少女と父親の碌でもない替え歌、川のほとり(『ジャックポット』所収)、官邸前:総理と番記者のやけくその会話、本質:常務は女性部長の会議要約に頼り切る、:人里に下りてきた熊の撃退法、お時さん:森の中にあるはずのない赤提灯が見える、楽屋控:映画出演する作家に助監督が執拗な嫌がらせをする、夢工房:老人ホームの老人たちが語りだす夢、美食禍:旧石器時代の古代人に美食を教えた結果、夜は更けゆく:兄と妹との会話の微妙な間合い、お咲の人生:幼いころからぼくを守ってくれた女中のお咲、宵興行:新宿お玉が20年ぶりに舞台に立つ、離婚熱:家庭裁判所で離婚調停委員に理由を申し立てる、武装市民:何かの襲来に備え町の入り口でライフルを構える男たち、手を振る娘:窓を開くたびに手を振ってくれる娘、夜来香:敗戦直前の上海娼館での最後の夜、コロナ追分:コロナにまつわる事件の数々を洒落のめす、塩昆布まだか:老夫婦のまったくかみ合わない会話、横恋慕:変わった疑似餌でなんと人魚が釣れる、文士と夜警:結末に苦しむ作家が通う小料理屋、プレイバック:入院中の作家と見舞客たち、カーテンコール:作家や俳優が一言ずつ語り作者が感想を差しはさむ、附・山号寺号:4文字から17文字まで増殖する「さん」と「じ」から成る一文。

 どれも数ページの掌編にも拘わらず、このままで過不足がなく完結している。言語遊戯的な要素はあるものの、複雑な構造とか前衛的な描写はない。しかし、書かれたよりも遥かに長い(ちょっと古風な)物語を読んだような気分になる。といっても、長編や短編の一部を切り出した形ではなく、もちろんあらすじでもない。バラード流のコンデンスト・ノヴェルとは違うが、著者のテクニックを詰め込んだ高度に濃縮された小説といえる。

 中では「プレイバック」が終幕をイメージした作品だ。入院する著者の前に「時かけ」の少女や唯野教授など物語の登場人物が次々訪れ、あげく現在視点での批評や批判に対して言及する。最後には亡くなったSF作家たちまで登場する。淀川長治に終わる「カーテンコール」は、著者が青春時代に見た映画に対するオマージュに満ちている。

 ところで「プレイバック」に出てくる小松左京は「おれの『日本沈没』のたった三十枚のパロディで儲けやがって」と言うのだが、これを評者は現場で聞いたことがある(他でも言ったのかもしれないが)。京都で開かれた日本SF大会で『日本沈没』が星雲賞の長編部門を、「日本以外全部沈没」が短編部門を受賞した挨拶のときのことだった。「9年かかった長編の、たった30枚のパロディで(同じ)賞を貰いやがって」。当時の星雲賞は、出版界での権威も作家間での名誉もまだないファンの人気投票に過ぎなかった。小松の発言は軽い冗談なのである。だが、この一言は著者の記憶に強く残ったのだ。

久永実木彦『わたしたちの怪獣』東京創元社

装画:鈴木康士
装幀:岩郷重力+WONDER WORKZ。

 5月に出た本。久永実木彦には《日本SF大賞において「短篇で最終候補」「雑誌掲載のみで単行本化されていない作品が最終候補」という、ふたつの〈史上初〉が大きな話題となった》(井上雅彦)という、いささか分かりにくい(本人の責任ではないが)紹介文がある。第42回日本SF大賞で「七十四秒の旋律と孤独」が、第43回では本書の表題作「わたしたちの怪獣」が最終候補に挙がったことを指す(どちらも候補となった時点では単行本化されていなかった)。とはいえ、これは偶然ではないだろう。少なくとも、一定以上の支持者がいるからこそだ。

 わたしたちの怪獣(2022)妹が父を殺してしまった。わたしは死体を古ぼけたセダンのトランクに積み、怪獣が蹂躙する都心に向けて埼玉から車を走らせる。
 ぴぴぴ・ぴっぴぴ(2019)隔離された郊外のタイムマシン施設で単調な非正規労働に就くぼくは、改変前の違法な動画をアップし続ける投稿者に魅せられる。
 夜の安らぎ* 中学生の頃、学友の血を盗んで舐めたことが忘れられない主人公は、病院で出会った男が吸血鬼であると思い込む。
『アタック・オブ・ザ・キラートマト』を観ながら* ふと入った映画館で伝説のカルト映画が上演される。ところが衝撃音とともに上映は中断、外では不穏な動きが。
*:本誌初出

 一連の作品には〈パイプス〉と呼ばれるYouTube風のSNSや、人気配信者の奈良坂ダニエルなど共通するアイテムも登場するが、世界設定が同じというわけではない。ただ、ネット炎上とDVで家庭崩壊した高校生、幼いころ父を亡くし仲間から軽んじられる男、両親がおらずイジメを受けている高校生、母子家庭で育ちパワハラに切れた会社員と、主人公たちは家庭環境に問題(少なくとも幸福だとは思っていない)を抱えている。行動の動機も、事件や事象(怪獣の出現、タイムトラベル、吸血鬼、ゾンビ様の怪物)の異様さより、あくまで個人的な(ありそうな)トラウマに起因している。それが、異常設定にもかかわらず、登場人物たちに共感を感じさせる理由だろう。

 それにしても『アタック・オブ・ザ・キラートマト』(1978)を詳細にアップデートした巻末作には感心する。この映画は、公開当初からB級を下回る意図的なZ級(と呼んだかどうかは覚えていないが)カルト映画として有名だった。今なら、リアルなゾンビ映画としてハマる設定なのかもしれない。いやまあ、キラートマトはそもそもロメロ版元祖ゾンビのオマージュともいえるが。

宮澤伊織『ときときチャンネル 宇宙飲んでみた』東京創元社

ブックデザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。
装画:めばち
装幀:伸童舎

 Genesis等のアンソロジイと紙魚の手帖に掲載された《ときときチャンネル》をまとめた短編集である。シリアスなSFアクション《神々の歩法》や、アニメ化もされたホラー色の強い《裏世界ピクニック》と違って、こちらはライト感覚のSFバカ噺風連作となっている。

#1【宇宙飲んでみた】(2019)まずカップの中に宇宙が入っている、これを飲んでみる。まがいものではなく、汲んできた超臨界流体の宇宙なのだ。
#2【時間飼ってみた】(2021)同居人の部屋の中からパタパタと何かが走る音がする。カメラを持ってドアをあけると、そこには結晶化した時間が…。
#3【家の外なくしてみた】(2022)外ロケをしてみることにした。そこで家バレしないためにカメラにスクランブラーを付けてみると、なぜか外が外ではなくなってしまう。
#4【近所の異世界散歩してみた】(2023)前回の失敗からスクランブラーを改良して、外のスーパーまで行ってみる。すると、実際の近所とは違うものが映っている。
#5【エキゾチック物質雑談してみた】(2023)通販で「わけありエキゾチック物質詰め合わせ六種」が届く。物性が異なる物質とはいったい何か、しかもわけあり。
#6【登録者数完全破壊してみた】(2023)登録者500人を目指してエンドレス配信を決意、でも細々とした発明品の紹介ではなかなか増えない。それならいっそのこと。

 配信初心者(YouTuberとは書かれていない)の主人公が同居人のマッドサイエンティストと共に、登録者数1000人を目指してチャレンジするという設定。同居人は天才科学者なのだが、その発明の源はインターネット3と呼ばれる超次元ネットからの断片的な情報なのだ。インターネット3は今あるインターネットやWeb3.0とも全く異なるもので、バビロニア・ウェーブ(堀晃)とかへびつかい座ホットライン(ジョン・ヴァーリイ)のような超文明が創った情報ネットに近い。確かにそれなら何でも可能になるだろう。

 時空の非局所性、光円錐と非因果領域、ミンコフスキー時空、ホログラフィックな宇宙のザッピング、量子もつれ、最後にはグレッグ・イーガンの塵理論(『順列都市』)まで出てくる。とはいえ、難しい理屈が書いてあるわけではなく、抽象的な概念をさらりと流し、会話だけの流れですいすい読めるお話になっている。そしてまた主人公と科学者(どちらも女性)の関係(なぜ同居しているのかなど)や出自(どこに住んでいて何をしているのか)など、「個人情報」はほぼ書かれていない。まさにネット時代のホラ話、バカ話/噺(オチはないがコント的な結末)の世界が楽しめて良い。

青島もうじき『私は命の縷々々々々々』星海社/『破壊された遊園地のエスキース』anon press

Illustration:シライシユウコ
Book Design:コバヤシタケシ
Font Direction:紺野慎一+三本絵里

 青島もうじきは、樋口恭介編『異常論文』(2021)でデビューした後、『聖体拝受: 人肉食百合アンソロジー』『京新星爆発: 京都破壊SFアンソロジー』といった電子書籍のアンソロジーや、『大阪SFアンソロジー:OSAKA2045』にも作品を寄せている。本書は著者の初長編である(9月刊)。併せてanon pressから出た電子書籍の初短編集『破壊された遊園地のエスキース』(3月刊)も読んでみた。

 全寮制学園の中等部から高等部に進級したばかりの主人公は、水族館のエビ水槽の前で三年生の先輩と出会い、どこか惹かれるものを感じる。主人公に向かって「同類だ」と告げたからだ。話を聞くうちに、先輩が手にする『流体倫理の認識論的操作』という一冊の本が気になった。

 物語はふつうのJK百合小説のように読める。だが、この世界はふつうではない「倫理的生活環模倣技術」に支配されている。その倫理によると、人間には絶滅しない義務がある。哺乳類どころかあらゆる生物の生殖方法が模倣され、選択的に導入されている。ヒトを増やすためだ。例えば、エビのように雌雄が生殖時に決定する仕組みまで。

 また全寮制の生徒たちがまとう「思弁服」は、着たものの精神的な成長に合わせて変化していく。これだけの生物的社会的大変化があるので、少なくとも酉島伝法『皆勤の徒』的な変容は起こって当然と思える。けれども、難解な独自の(主に哲学的な)タームを繰り出しながら、描かれるのはあくまでもJKたちの全寮制学園もので、社会風俗も現代と大きく違わない。

 これは、倉田タカシ『母になる、石の礫で』(生身の人体と全く異なるもの同士が、今風のラフな会話をする)のように、そう写るだけで実体は違うのかもしれない。人類と生命、生殖と人権や社会規範などの大きなテーマを、衒学的ながらミニマムなJKの生活に縮退させる試みが面白い(セカイとはつながらずあくまで個人で終わる)。


 anon pressはアノン株式会社の出版レーベルで、樋口恭介がChief Sci-Fi Officerを務めている。『破壊された遊園地のエスキース』はその一冊である。

 ロプノールとしての島(2022)彷徨える湖ロプノールのように、デジタル情報の欠落によって生まれるヌル島の存在。
 ラフノー小伝(2022)ドイツ人の学者ラフノーは疑似科学を専門とする科学史家だった。あるとき、月光の差すカフェテラスで天啓を得る。
 森林完全(Treeing-complete)(2021)私とあなたが生まれたのは、島全体がコンピュータとなっているT島の仮想森林だった。
 〈胞示院掩庭・三断面〉評(書下し)京都洛北にある胞示院の石庭には沢垂石がある。この石は隕石だったが、据えられるまでの数奇な由来があった。
 ほ/た/る/び/の/な/み(書下し)蛍の点滅が増幅され人身事故が発生する。あなたを含めた女性たちが犯人とされるが。
 履歴「砂粒(Un-UncannyValley)」(2021)高校三年生になってから、私は図書館司書の沼瀬さんに興味を抱く。あなたは一緒にその話を聞く。
 破壊された遊園地のエスキース(書下し)小学校以来の友人は「世界中に散らばっている」という。荒れ果てた中庭はグリッチアートを表現するのだ。
 此岸にて(2021)彼岸花の咲く斜面の小屋で心中した二人、その片割れの双子の姉は最期を知ろうとする。
 サロゲート(2023)暗函民俗学の研究者は、AI創作のため失われつつある小説家をフィールドワークの対象にしている。

 著者の特徴は、さまざまな概念をコラージュすることで生まれる未知の光景だ。一文、あるいは一節については意味が通る(実在の概念、架空の概念を含む)ものの、その組み合わせはおよそ常人の理解を超えている。この「超理解」をどう解釈するかで評価も変わる。中では「〈胞示院掩庭・三断面〉評」が面白いが、人によっては過剰(あるいは過少)と感じるかもしれない。『異常論文』からデビューしたという出自が、このスタイルに影響しているのだろう。

林譲治『コスタ・コンコルディア 工作艦明石の孤独・外伝』早川書房

Cover Illustartion=Rey-Hori
Cover Design=岩郷重力+Y.S

 8月に出た本。本年完結した著者の《工作艦明石の孤独》(全4巻)の第3巻に、「コスタ・コンコルディア」という章がある。ある星系の惑星軌道上で、130年前のものと思われる植民船コスタ・コンコルディアが発見されるというエピソードだ。結末にも関わる謎なので詳細はシリーズ本編を読んでいただくとして、本書はさらに後の時代を描いた独立編である(登場人物の重複もない)。

 小さなM型恒星を巡る惑星シドンは気候が厳しく、200万ほどの人口しかない辺境の植民星である。ただ、そこにはタイムワープにより3000年前に漂着した先住民がいた。新たな植民者たちは、先住者を既に文明を失った野蛮人として差別的に扱ってきた。そこで、過去の文明観を一新する発見が報告される。現地の弁務官は、統治機構への影響を考慮し調停官の派遣を要請する。

 調停官は先住民の科学者と共に調査を進める。伝説に過ぎなかった過去が明らかになれば、先住者の地位も見直されることになる。しかし、植民者たちの現地自治政府や、守旧派の議会とは思惑が交錯する。先住者にも、長年の同化政策を否定する発見に拒否反応を示す一派がいるのだ。

 入植する3000年も前から生きる先住者は、植民者から見て異星人とも等しい民と映るだろう。牧眞司は本書を「文化人類学的な視座」を持つ作品としている。同様に、中村融はかつて眉村卓『司政官 全短編』(2008)を、ル=グィンやビショップの諸作と並ぶ「異星文化人類学SF」と評した。《司政官》と本書には、異文化との共存という共通のテーマがあるのだ。さらに、植民星を統治する弁務官やエージェントAIを唯一の部下とする調停官は、ロボット官僚(人間の部下はいない)を率いる司政官を思わせる。どちらも地球圏(人類圏)の権威や圧倒的な武力を背景に植民星を統治するが、かえって反乱を引き起こすこともある。

 眉村卓はその葛藤を司政官の内面を描くことで表現した(司政官は孤独な存在である。味方はロボットだけで、人間的な苦しみを共有できる相手ではない)。一方、林譲治の場合はもう少しテクノクラート(=技術官僚)寄りの視点で描く。問題を切り分け、技術的に収拾するまでの思考プロセスが物語になっている(従って、個人の苦悩は顕著には表れない)。その点は、谷甲州《航空宇宙軍史》に登場する軍人のふるまいに近いように思われる。

ジーン・ウルフ『書架の探偵、貸出中』早川書房

Interlibrary Loan,2020(大谷真弓訳)

カバーイラスト:青井秋
カバーデザイン:川名潤

 ジーン・ウルフは2019年4月に亡くなっており、本書は没後に遺作長編として出た『書架の探偵』(2015)の続編である。昏い雰囲気の100年後の未来を舞台に、とうに亡くなったミステリ作家が、図書館収蔵のリクローン(複製体=クローンなのだが「本」扱いなので人権がない)となって、利用者に貸し出されるという設定だ。今年のハヤカワSFコンテスト受賞作『標本作家』を、さらにデフォルメしたものと思えばよい。本書では図書館間相互貸借(原題の意味)によって、地方図書館に送られた主人公のミステリ作家が、事件の解決を図るというもの。

 海辺の小さな町にある図書館に送られた作家は、そこで一人の少女に貸し出される。少女は邸宅に住んでいるが、母親は精神的に不安定であり、何年も行方不明の解剖学者の父親を捜しているらしい。手がかりとして、館には「解剖用遺体の島」の地図が残されていた。

 本書には多くの登場人物が出てくる。少女、母親、マッドサイエンティスト風の父親、リクローンの同僚である料理研究家やロマンス作家、そして冒険家など(ほとんどが女性)がいて複雑に絡み合う。さて、問題なのは本書が未完成であることだろう。全部で22章からなるものの結末には至らない。また途中3分の2を越えた以降は内容の矛盾(これまでにないSF的設定が出てくる)が目立ち、推敲以前の草稿だと推察できる(同じような作品に『山猫サリーの歌』がある)。

 とはいえ、本書がウルフの書いたものとなると、重なり合った謎や読者を騙そうとする仕掛けの一部ではないかと疑うこともできるだろう。あるいは、著者の創作作法として、まずあらゆる可能性・意外性を描き出してから、矛盾が読者に見えないように巧妙に隠蔽するのかもしれない。としても、まだこれは手前の段階なのだ。最後まで読めないのは残念ながら、作家の舞台裏をいろいろ想像できて面白い。

キム・チョヨプ『この世界からは出ていくけれど』早川書房

방금 떠나온 세계,2021(カン・バンファ、ユン・ジュン訳)

装画:カシワイ
装幀:早川書房デザイン室

 キム・チョヨプ3作目の翻訳書(連名では他にノンフィクション『サイボーグになる』や、アンソロジイ『最後のライオニ』などもある)。今年の初めに翻訳されたのが長編『地球の果ての温室で』だったので、短編集としては2冊目になる。

 最後のライオニ(2020)こちらを参照
 マリのダンス(2019)視覚的な刺激が断片化し像を結ばない異常を持つモーグ、その一人である少女がダンスを習いたいという。機材を使えば「見る」ことができるのだ。
 ローラ(2019)自分の体に余分なものがあると感じたり、あるいは何かが足りないと感じる身体不一致を訴える人々が現れる。ローラは後者だった。
 ブレスシャドー(2019)プレスシャドーでは呼気に含まれる匂いの粒子で会話をする。しかし、蘇生したプロトタイプの人類には相容れない方法だった。
 古の協約(2020)遠い昔に植民された惑星ベラータに、遠く地球からの探査船が到着する。だが、親しくなった乗組員は、古くから続く風習に干渉しようとする。
 認知空間(2019)共同体には認知空間と呼ばれる巨大な記憶施設がある。人々は自身の知覚と一体のものと見做している。ただ、身体的な制限から利用できない者もいた。
 キャビン方程式(2020)天才物理学者だった姉から、妹宛に奇妙な依頼が届く。おかしな噂がささやかれるデパート屋上の観覧車に乗れというのだ。

 SF専門誌今日のSFに載った「認知空間」以外はすべて文芸誌/一般向け掲載作だが、何れもSF小説になっている。視覚が別のものに変わり、体に不一致を感じ、匂いが言葉になる。さらに踏み込んで環境と寿命や、認知の拡張の意味、時間感覚の伸張までが語られる。ふつうの人(多数派)と感覚が異なる少数派または個人との、相互理解(その可能性)を描いた作品が多い。当然のことながら、これらは現代の身体的な障害や性自認に伴う差別にも関係するだろう。

 ただ、本書で描かれるのは単純な弱者と強者の関係ではない。場合によっては覚醒者と無自覚な守旧派のように逆転するし、治療や説得ができないことから思わぬ結果につながる。そういう意味で、現代の社会テーマが背景に透ける第1短編集よりも、さらに普遍化され重みを増した作品集といえる。

キム・スタンリー・ロビンスン『未来省』パーソナルメディア

The Ministry for the Future,2020(瀬尾具美子訳、山田純 科学・経済監修)

Designed by SD2

 キム・スタンリー・ロビンスンが3年前に発表した、106の章から成る1500枚余(2段組み600頁)に及ぶ長編である。バラク・オバマが2020年のベストに選びビル・ゲイツが推奨したことでも話題になった。ただ、解説で坂村健(翻訳出版を推した)が触れている通り、日本では注目されず棚上げ状態だった。理系+文系の両方を理解するセンスが要求される小説であり、ジャンルSF以外で受け入れる読者が少ない=商業的に難しいと思われたからだという。

 ごく近未来のインドで大熱波が発生、地域の大規模停電と重なって2000万人もの犠牲者を伴う惨事が起こる。インドではそれを契機に既存の政治勢力は力を失い、全く新しい超党派の環境派政権が誕生、その対極に炭素排出を暴力で阻止しようとする過激派も現れる。一方、国連では気候変動に取り組む新たな組織「未来省」が活動を開始する。

 物語は大熱波を生き残ったPTSDに苦しむ男と、未来省のリーダーである女を主人公に、世界の人々や事件を点描しながら進んでいく。未来省の置かれたスイスのチューリヒ(著者は一時期滞在していた)や、アルプスの光景が印象的だ。南極を含む世界各地と、さまざまな人々の活動も含まれる。中高年の男と女は、ある事件を契機に知り合うものの恋人同士とはならない。しかし、距離を置きながら終生惹かれあう。

 本書の中では、炭素増加に伴う環境破壊、貧富の格差(南北間、国家間、国内、組織内)克服、民主主義のあり方、新自由主義の弊害、MMTやモンドラゴン、炭素税(ペナルティ)とカーボンコイン(インセンティブ)などが論じられる。既存の政治経済システムだけでは破局的な環境問題に対処できないと主張する。もちろん、書かれている内容すべてが正しいとは言えない。さまざまな意見が出てくるだろう。けれど、それこそが著者の意図することでもある。スルーではなく、反論でもよいから考えるべきなのだ。またコロナ、ウクライナ前に書かれた本書の現在の立ち位置については、ロビンスン自身がこの講演(2023年4月)で語っている。

 本書以前の最新翻訳は、6年前の《火星三部作》完結編『ブルー・マーズ』(1996)になるが、もっと新しい『2312太陽系動乱』(2012)が2014年に先行翻訳されている。こちらも、政治経済システムについての刺激的な提案を含む意欲作だった。

ジェフリー・フォード『最後の三角形』東京創元社

The Last Triangle and Oyher Stories,2023(谷垣暁美訳)

装画:浅野信二
装丁:柳川貴代

 2018年末に出た『言葉人形』に続く、谷垣暁美による日本オリジナルの傑作選である。今回は主にSFやミステリなど、ジャンル小説分野の作品から14編を選んだという。著者はもともとSF系媒体に作品発表をしてきており、例えば「アイスクリーム帝国」は原著がオンラインのSci Fiction(2005年終刊)に、翻訳がSFマガジンに(ネビュラ賞ノヴェレット部門受賞作として)掲載されているので、違和感のない選定といえるだろう。

 アイスクリーム帝国(2003)匂いが音に変わり感触は声になった。生まれつき「共感覚」を持っていた主人公は、ある日同じ能力の女性と知り合う。
 マルシュージアンのゾンビ(2003)研究休暇中の大学教授は、自宅の前で元心理学者だと称する老人と出会う。その男は娘に自筆のゾンビの絵を贈ってくれる。
 トレンティーノさんの息子(2000)ロングアイランド湾で貝を獲る漁民たちの間で、不吉なうわさが広がる。海で行方不明になった若い漁師を見かけたというのだ。
 タイムマニア(2015)主人公は5歳から恐ろしい悪夢に悩まされるようになった。ただ、タイムを淹れたハーブ茶を飲めばなんとかしのげる。
 恐怖譚(2013)エミリーが目覚めると、屋敷には誰もおらず時計は止まっている。家の外では、見知らぬ男が馬車へと迎え入れようとする。自分はいったいどうなったのか。
 本棚遠征隊(2018)薬のせいで頭がおかしくなった冬の夜、本棚の登頂を試みる微小な妖精たちの姿を見た。彼らは犠牲をいとわず、さまざまな本を足場に登っていく。
 最後の三角形(2011)ヤク中のホームレス男は、とある老婦人から調査の仕事を請け負う。地図上の三角形の頂点にあたる場所で、秘密の赤いしるしを探せというのだ。
 ナイト・ウィスキー(2006)山奥の片田舎にある辺鄙な村で〈酔っ払いの収穫〉の助手を務めることになった若者の体験。
 星椋鳥(ほしむくどり)の群翔(2017)のどかで美しい都市〈結び目〉には、凄惨な連続殺人事件という未解決の汚点があった。専任警部は被害者の娘と周辺を疑う。
 ダルサリー(2008)スーパーミニチュア版ヒト細胞から生まれた微小な人々は、ガラスの牛乳瓶の中にドーム都市ダルサリーを建設した。
 エクソスケルトン・タウン(2001)古い地球映画を偏愛する異星人と交易するため、地球人は映画スターとそっくりのエクソスキンをまとう。
 ロボット将軍の第七の表情(2008)対ハーヴィング戦争の英雄であるロボット将軍には、7つあるいは8つの表情があったとされる。
 ばらばらになった運命機械(2008)老宇宙飛行士がかつて異星で手に入れた部品は、機械の一部分であるらしかった。
 イーリン=オク年代記(2004)海辺の砂浜に作られた砂の城には、指の先ほどの大きさの妖精が住むことがある。波で城が崩れ去るまでがその生涯だった。

 「アイスクリーム帝国」の共感覚、ジャック・ヴァンスを思わせるエキゾチックな宇宙譚「エクソスケルトン・タウン」や「ばらばらになった運命機械」、ハミルトン「フェッセンデンの宇宙」のような「ダルサリー」や、皮肉なロボット兵器「ロボット将軍の第七の表情」などを読むと、確かにクラシックなSFの感触がある。

 とはいえ、「星椋鳥の群翔」や表題作「最後の三角形」は猟奇ミステリ、残りの多くはホラーと分類しても、あくまで奇想の切り口がそう見えるだけで、一般的なジャンル小説とは一味違うものだ。これは物語の方向性が、エンタメ的な事件の真相や動機の解明にないからだろう。オープンエンドとかではなく結末はあるものの、「なぜ」は謎のままなのだ。そこはジェフリー・フォードらしいといえる。

 中では「本棚遠征隊」「イーリン=オク年代記」に出てくる微小な妖精たち(という意味では「ダルサリー」も含む)が作者のお気に入りのようで面白い。なお「恐怖譚」に出てくるエミリーとはエミリー・ディキンスンのこと。