劉慈欣『流浪地球』/『老神介護』KADOKAWA

The Wondering Earth,2013(大森望、古市雅子訳)

装丁:須田杏菜
装画:Amir Zand

 2013年に出た劉慈欣の海外読者向け自選傑作選を、中国語の原典(複数の短編集に分かれている)から翻訳した作品集で、もともとの1冊本を2分割し並べ替えたものだ。2冊併せて600ページに及び、11編の中編級作品が並ぶ。短いものが多かった作品集『円』とはその点が異なる。

流浪地球
 流浪地球(2000)太陽に異変の兆候が観測される。ヘリウムフラッシュを起こし、地球を焼き尽くす恐れがあるのだ。そこで人類は惑星丸ごとの太陽系脱出を決意する。
 ミクロ紀元(1999)相対論的時間経過により膨大な年月が経過した未来、最後の恒星間探査機が還ってくる。しかし帰還した地球は荒廃し、誰もいないように思われた。
 呑食者(2002)呑食者が来る! 資源を何もかもむさぼり尽くす巨大宇宙船が地球にやってくる。警告を受けた人類はある秘策に打って出るが。(「詩雲」の前日譚)
 呪い5.0(2009)個人的な怨恨から始まったコンピュータ・ウイルス「呪い」は、あるときそのパラメータを書き換えられ、恐るべき存在ヘと変貌する。
 中国太陽(2001)中国寒村の貧農だった主人公は、出稼ぎ先の都会で知り合ったある男との縁で、静止軌道に浮かぶ「中国太陽」で働くようになる。
 山(2005)突如現われた月サイズの異星船の重力で、海面は9100メートルも持ち上がる。チョモランマで友を失った主人公は、海山の頂を目指して単独登頂を試みるが。

老神介護
 老神介護(2004)空を埋め尽くす巨大宇宙船から降りてきたのは、人そっくりの老人大集団だった。しかも、彼らは自分たちが人類にとって「神」だと自称するのだ。
 扶養人類(2005)殺し屋が請け負った仕事は何とも奇妙だった。ターゲットは、極貧の浮浪者なのだ。それには「神」に続けてやってくる「兄」たちが関係していた。
 白亜紀往事(2004)白亜紀に文明化した恐竜たちは、その文明を支えるために、蟻たちとの共存が欠かせなかった。しかし、2つの文明は深刻な対立に至る。
 彼女の眼を連れて(1999)宇宙勤務が明け、地上休暇を取るときは他人の「眼」を連れていく。経費を節約するためだ。だが、今回の「眼」の持ち主はどこか変わっていた。
 地球大砲(2003)不治の病を治療するため長い人工冬眠から目覚めた主人公は、環境の激変に驚く。しかも、自分までが理不尽なリンチに晒される。一体何が起こったのか。

 前半の標題作「流浪地球」は、中国初のブロックバスター映画「流転の地球」の原作である(ただし、小説と映画は筋書きが大きく違う)。「白亜紀往事」「呑食者」(「詩雲」)、「彼女の眼を連れて」「地球大砲」「山」、「老神介護」「扶養人類」と設定を共通化した作品が多い。とはいえ、単純な続編やシリーズものではない。ユーモラスな「老神介護」とハードボイルドな「扶養人類」のように、作風をがらりと変えて読者を飽きさせない。登場する敵にも一工夫あって、たとえば呑食者は(人類からみて)最凶の天敵ではあるが、どこか憎めない弱さも併せ持つ。

 「中国太陽」は田舎の無学な農夫が、ついに宇宙(鏡面)農夫となる出世物語だが、(社会的な地位や財産など)ゼロからでもチャンスは掴めるという、本来の意味での中国の夢(チャイナ・ドリーム)ものといえる。「地球大砲」や「山」の主人公も、絶望に沈むのではなく同様の希望を抱いている。劉慈欣の魅力は、設定やアイデアの壮大さばかりではなく、その大きさに負けない未来への展望にあると再認識できる。

小川哲『地図と拳』集英社

装丁:川名潤

 2018年に現地取材から取りかかり、「小説すばる」で22回にわたって連載された大作。600ページ1200枚弱に及ぶ分量はあるが、リーダビリティーはとても高く快調に読み進められる。満州にある架空の都市、李家鎮=仙桃城のおよそ半世紀が物語の舞台となる。

 1899年、松花江からロシアが勢力を伸ばす満州へと船旅をする2人の日本人がいた。彼らは商人を装い、南進するロシアの動静を探ろうとしていたのだ。一方、ロシア人の神父は、教会を建てた李家鎮で未来を見通す千里眼を有する異能者と知り合う。やがて、日露戦争が始まるが……。

 日露戦争、満州国建国、日中戦争、そして敗戦までは45年余しかない。だが、清朝から中華民国に移る間も、常に何らかの紛争が続いていた。ロシアが退場した後は、日本が中国東北部侵攻の主役だった。李家鎮はそんな満州の中央に位置しており、日本人や特権階級のために仙桃城と名前を変える。

 クロニクルにつきものの、奇妙な(個性的な)人々が登場する。牧師は元地図測量者という設定だし、肌で感じる風と湿度から天気を正確に予測する男や、抗日ゲリラで異能者の娘、地下で活動する党の活動家や指導者たち(肯定的には描かれない)などなど、裏切りを企む卑怯者や、現地人を人と思わぬ非道な憲兵、事務的で冷徹な満鉄社員までが描かれる。

 (物語の大小を問わず)プロットをあらかじめ立てないで書くと称する作者らしく、最初に想定したマルケスのマコンド(『百年の孤独』)からは外れ、莫言的な(マジックリアリズム風の)作品になったという。純粋な架空都市ものではないので、その点は読者の期待と異なるかも知れない。もともと、満州で計画された人工都市「大同都邑計画」(→仙桃城都邑計画)の小説化を編集者側から持ちかけられ、日中戦争の史実や開戦前に敗戦をシミュレーションした「総力戦研究所」(→戦争構造学研究所)などを取り込み、奔放に膨らませたものなのだ。

 本書では、都市計画や日中戦争に限らず、戦争の意味が論じられる。一方、満州が舞台であるが、異能者や現地人は端役だ。あくまでも、異国の架空都市で活動した建築家や学者、官僚、軍人、憲兵、満鉄職員(国策会社なので一種の公務員)ら、日本人の物語となっている。「地図と拳」の意味は、物語の中ほどで語られる。地図とは抽象的な国家を具現化するものであり、拳とはわずかな面積に過ぎない地図を奪い取るための暴力なのである。

井上彼方編『SFアンソロジー 新月/朧木果樹園の軌跡』社会評論社

装画・装幀:谷脇栗太

 SF専門のウェブメディアVG+(バゴプラ)が主催する第一回かぐやSFコンテスト(2020)、第二回かぐやSFコンテスト(2021)の受賞者、最終候補者、選外佳作となったメンバーからなる書下ろしアンソロジイである。全部で26作家/作品(掌編から短編まで)を収録する。社会評論社から発売されているが、レーベルはKaguya Booksで、今後もオリジナルの長編や短編集、アンソロジイを刊行していくという。

第一章 時を超えていく
 三方行成*「詐欺と免疫」詐欺で儲けた男の前に、未来からきたと称する時間泡が現われる。一階堂洋「偉業」説明癖のある彼女は、あるとき珊瑚の遺骸で画期的な発見をする。千葉集「擬狐偽故」トランスカルヴァニアのホテルで、わたしは希少なエリマキキツネと遭遇する。佐伯真洋*「かいじゅうたちのゆくところ」二ヶ月前に亡くなった祖母の遺品が、ひょろりとした怪獣によって届けられる。葦沢かもめ*「心、ガラス壜の中の君へ」オレンジ畑で働くロボットは、ある日ニンゲンの幼体と遭遇する。勝山海百合*「その笛みだりに吹くべからず」ロボットが見つけた箱の中から、滅んだ文明の笛が見つかる。

第二章 日常の向こう側
 原里実*「バベル」突然言語が散り散りになる。〈バベル〉が異常になったのだ。吉美駿一郎「盗まれた七五」川柳の趣味を持つ清掃員の主人公は、上の句より先が出ず苦しむ。佐々木倫「きつねのこんびに」コンビニのレジスタに、なぜか枯れ葉が混じるようになる。白川小六*「湿地」沼の周辺には半鳥人の巣があるが密猟が絶えなかった。宗方涼「声に乗せて」声を良くするという装置には謳い文句通りの性能があったが。大竹竜平*「キョムくんと一緒」買ったばかりのマンションの一室には、透明な虚無が存在する。赤坂パトリシア「くいのないくに」白金に輝く杭は子育てをするため動かないという。

第三章 どこまでも加速する
 淡中圏「冬の朝、出かける前に急いでセーターを着る話」セーターを着ようと頭を突っ込むと、中には得体の知れない生き物が住んでいて。もといもと「静かな隣人」ネルグイ星人が地球に来訪してから30年が経った。苦草堅一「握り八光年」ミシュラン2つ星の鮨屋の技は目にも停まらない。水町綜「星を打つ」はるかガニメデから投げられた星を反射塔が打つ。枯木枕*「私はあなたの光の馬」太陽の光を避けるために、息子の服も部屋も遮光されている。十三不塔*「火と火と火」特定計算機マルワーンによりすべての言葉が自動検閲される。

第四章 物語ることをやめない
 正井「朧木果樹園の軌跡」さかなは大きく育つとこの世界から旅立つのだという。武藤八葉「星はまだ旅の途中」主人公はイベントで演者オブジェクトに介入する役割だった。巨大健造「新しいタロット」洞窟の奥でタロットカードで占われる運命とは。坂崎かおる*「リトル・アーカイブス」二足歩行ロボットバイペッドによる戦闘で亡くなった兵士の母はその真相を探ろうとする。稲田一声*「人間が小説を書かなくなって」冒頭一文を書いただけで、AIは小説にしてしまう。泡國桂*「月の塔から飛び降りる」ぼくは月と地球とを結ぶ連絡トンネルを保守している。
*:ハヤカワSFコンテスト、創元SF短編賞、日経星新一賞など、かぐやSFコンテスト以外の小説に関する賞の受賞者・入賞者

 作品、作家数的には日本SF作家クラブ編のアンソロジイに匹敵する(共通する作家もいる)。三方行成や勝山海百合、十三不塔、赤坂パトリシアらはプロ出版の著作があるが、他でも賞の最終候補クラスが並んでいるので、そういった新人作家の受け皿になっているようだ。

 編者が述べているように、掌編小説はオンライン時代に求められている長さである。オンラインマガジンで、ちょうど一画面に収まる長さだからだ。スクロールしなくても読める。そこで起承転結が収まるのかだが、必ずしもそういったレギュレーションも必要条件ではない。

 本書では、全体的にフラットで静的な作品が多い。何か事件が起こり新規アイデアが提示され、しかし派手なアクションなどは伴わず、諦観を絡めたオープンエンドで終わる。破滅(人類の滅亡後とかはある)も虐殺もないというのは、ある意味一つの見識なのだろう。もしかすると、今の読者が求める基本要素なのかも知れない。

クリス・バドフィールド『アポロ18号の殺人(上下)』早川書房

The Apollo Murders,2021(中原尚哉訳)

カバーイラスト:Yuta Shimpo
カバーデザイン:岩郷重力+A.T

 1959年生まれのカナダ人元宇宙飛行士(ISSの船長も務めた)による、初のSFスリラー長編小説。20号まで予定されていたアポロ計画は、資金的な問題もあり18号以降は打ち上げられなかった。つまり本書は歴史改変小説なのである。70年代前半に起こった、アメリカによる架空の月面探査計画を巡るソビエト連邦との暗闘を描いている。

 1973年、危ぶまれていたアポロ18号の打ち上げは、軍事色を強めることを前提に実施されることになる。ソ連が打ち上げていた巨大な軍事偵察衛星アルマース(サリュート2号に相当)と、さらには月面で活動する無人探査車ルノホート2号が新たな目的だった。ミッション遂行には、事故で宇宙飛行士の道を絶たれた主人公がかかわることになる。

 スペースシャトルやソユーズを経験してきた著者だけあって、テクノロジー描写は恐ろしくリアルだ。そこに黒人や女性宇宙飛行士を登場させ、謀殺/脅迫/内通など冷戦期のスパイ活動に現代的なテイストを加えている。実際には黒人、女性の宇宙飛行士がそれぞれ搭乗したのは、スペースシャトル時代の1983年のこと。黒人で女性となると1992年まで下る。

 JAXAの活動だけを見ていても分らないのだが、本書を読むと宇宙開発というものの軍事的側面の大きさを再認識できる。NASAはアメリカ空軍から派生した組織で、本書の主人公も(著者も)空軍出身者である。アカデミックな科学技術調査はもともと付随的なものだった。(表立って兵器を搭載できないため)素手で殴り合うに等しくなる宇宙での攻防は、原始的であるが故に妙に生々しく思える。

 米ソが対等に競い合った宇宙開発時代は、改変歴史ものの1ジャンルになっている(本書の解説に詳しい)。国家による重厚長大テクノロジー、マッチョでホワイトな男たちの世界、何より明確に分離された2大陣営が平衡対立する時代だった(市場主義国家同士である米中対立とは大きく異なる)。そこに今風の要素を加味し、しかし当時の時代性を損なわない範囲でまとめたところが新しい。

パット・カディガン『ウィリアム・ギブスン エイリアン3』竹書房

Alien 3 The Unproduced Screenplay,2021(入間眞訳)

カバーデザイン:石橋成哲
Front cover artwork by Mike Worrall

 円城塔・ゴジラのノヴェライズの次となると、やっぱりギブスン・エイリアンだろう。本書は熱狂的なエイリアンファンだったウィリアム・ギブスンが書いた『エイリアン3』の脚本を、盟友パット・カディガン(キャディガン)がノヴェライズしたもの。ご存じのとおり、この脚本が映画に採用されることはなかったが、脚本がネットに流れてから逆に評価が高まった。ギブスンを外した映画『エイリアン3』は不評だったからだ。遅まきながら、2018年には脚本の第2稿がコミック化、2021年に第1稿(本書)がノヴェライズされている。第1稿と2稿では、エイリアンの設定や登場人物が異なっている。

 テラフォーム途上の植民惑星〈LV426〉は、棲息するゼノモーフ(エイリアン)により壊滅する。救援に赴いた海兵隊も歯が立たず、輸送船〈スラコ〉で脱出するが、船内にはクイーン・ゼノモーフが潜んでいたのだ。激闘の末、わずかな生き残りはコールドスリープに就く(『エイリアン2』)。物語は、その輸送船が独立ステーションの領空に侵入したところからはじまる。

 本バージョンでは、主人公はコールドスリープから目覚めたヒックス伍長とアンドロイドのビショップ、アンカーポイント(宇宙ステーション)の科学者スペンスあたり。登場人物はとても多く次々死んでいく。キャラの一覧表がないので、読むのが結構大変である。舞台は巨大なステーション内部、バイオハザード状態で数を増したエイリアン相手に、迷宮的な船内逃避行が繰り広げられる。

 エイリアンの続編として、何が正解なのかについてはさまざまな議論がある。リプリーの物語であるべきなのか、あくまでも殺戮者エイリアンが主役なのか。ただ、リプリー役のシガニー・ウィーヴァーが出演を渋ったため、ギブスンとしては後者を選ばざるを得なかった。結果的に、前作で活躍したリプリーや生き残り少女ニュートは、冒頭のみしか出てこないのだ(実現しなかったさらなる続編が匂わされている)。

 脚本の第1稿は、『エイリアン2』(1986)公開の翌年末には早くも完成。20世紀末、1980-90年代の社会状況(ソビエト崩壊直前、中国台頭のはるか以前)が設定に影響している。脚本からノヴェライズまで34年間のギャップはあるが、キャディガンはそこに余分なアップデートを加えなかった。あくまでも、上映されたかも知れない正統派『エイリアン3』であるわけだ。

  • 『ミラーシェード』評者コメント
    (謝辞が、当時若かった『ミラーシェード』の寄稿者たちに捧げられている。同時代の『エイリアン』には、そういうノスタルジーが含まれるという意味なのだろう)

円城塔『ゴジラ S.P』集英社

装丁:秋山俊(クスグル)

 意外にも、著者の他の文芸書より、なお部数が少ないらしいアニメ『ゴジラ S.P』の小説版である。アニメの脚本も著者だったが、映像と小説はその特性上からも異なるものになる、という。評者は幸いにも(?)アニメ未見であるので、コンデンストノベルっぽく見えるのか、読んでみた。

 房総半島の南東に位置する逃尾(にがしお)市は、かつて村だったころより異変を呼び寄せる源だった。いまも紅塵が海に広がる中、空を舞う獣ラドンが姿を現す。ラドンは何回も大量発生、大量死滅を繰り返しながら急速に進化する。紅塵が彼らのエネルギー源らしいが、それを生み出す特異点があるようだ。しかも、特異点は一つではなかった。

 アニメーションのワンクール13話を、700枚余の小説に書くとしたらコンデンストノベル(濃縮小説)にならざるを得ない。しかし、アニメーションと違って、本書は小説であることを最大限に生かしている。ビジュアルなイメージ喚起に重点を置かず、ゴジラたちを生み出すアーキタイプ(シミュレーション上は安定して存在するが、現実世界での合成方法は不明の物質)の説明に多くを裂いているからだ。しかも、登場人物のセリフではなく、言葉や概念の意味を重視するのはいかにも著者らしい。また本書の語り手はJJ/PP(ジェットジャガー/ペロ2)というAIである。

 アーキタイプは超時間屈折を引き起こす。その性質は図解を交えて示される。これを通せば光が過去に送られるのだが、過去に送られた光は対生成した反光子によって現在の光を対消滅させ、(現在から見て)未来の光と成り代わる。つまり、未来が見えるということになる。これを用いることで、アーキタイプを生産することもできる。設計には、CTC(時間的閉曲線)を用いた超時間計算が使われる。判りますか?

 アニメなので自由な設定が可能である。ただし、東宝に知的所有権のあるゴジラを使う以上、一定のレギュレーションはあるようだ。オリジナルのゴジラ(1954)とシン・ゴジラで描かれた「事実」は守られている。それをいかにSF的に説明しきるかが本書の主眼と思われる。とはいえ、アニメでもゴジラが出てくるのはシリーズの半ばを過ぎたあと、ゴジラでありながらゴジラが主役ではない特異な作品といえるだろう。主役はアーキタイプなのである。

 

藍銅ツバメ『鯉姫婚姻譚』新潮社

装画:Minoru
装幀:新潮社装幀室

 日本ファンタジーノベル大賞2021大賞受賞作品。著者の藍銅ツバメ(らんどうつばめ)は、1995年生まれのゲンロンSF創作講座第4期生(2019)で、同講座の優秀賞を受賞している。本書は異類婚姻譚である。人ならぬもの(動物や非生物)と人とが結ばれる物語で、ファンタジイでは普遍的なテーマだろう(夫婦の関係をこれになぞらえた小説まである)。

 主人公は大店の長男なのだが、商売に向かず店を弟に譲って若隠居している。父親の住んでいた隠居先の庭には池があり、上半身が女の人魚が棲んでいた。主人公は人魚=鯉姫にせがまれるままに、人と人ではないものとの出会いや別れという5つのお話を次々と語っていく。

 5つのお話は、入れ子構造で物語中の物語となっている。『アラビアン・ナイト』のような、いわゆる枠物語(フレーム・ストーリー)である。大猿の嫁となった勝ち気な妹の話「猿婿」、人魚の肉を食べ長寿となった女房の話「八百比丘尼」、つららから変異した女を嫁にもらった男の話「つらら女」、朴訥な農夫のもとに蛇の化身が現われ嫁になる話「蛇女房」、真っ白な農耕馬に惚れ込んだ娘の話「馬婿」。どれも単純なハッピーエンドにはならない。それが、若旦那と人魚のふんわりした人情譚という、表層的な読みの裏をかくのである。

 各委員とも、本書が自然なファンタジイであること、この形式であることが物語を際立たせていることを賞賛する。宮部みゆき「お話の長さも正しいし、着地もこれしかないという結末で、日本ファン タジーノベル大賞の考えるファンタジーノベルにふさわしい、と思った」、森見登美彦「ファンタジーであることの強みを生かしているという点では最終候補作の中で一番であり、 若旦那と人魚をめぐる枠物語の締めくくりは「異類婚姻の成就」として文句のつけようのないものだ」、ヤマザキマリ「イソップのような古代の寓話や日本昔ばなしは人間にとって日々の教訓が含まれたシュールなメタファーだが、だからなのか自分の想像世界に対する作者の思い入れの気配を感じずに読むことができたのが心地良かった」。

 本書は賞の発表から半年以上をかけて、十分に改稿されたものだろう。主人公の弟と人魚の関係など、まだ判然としないところもあるものの、物語的な齟齬はほとんど感じない。ビターだけどハッピーという独特の終わり方にも納得。

 

宝樹『三体X 観想之宙』早川書房

三体X 观想之宙,2011(大森望、光吉さくら、ワン・チャイ訳)

装画:吉安健一郎
装幀:早川書房デザイン室

 執筆当時はファンだった著者による、(劉慈欣公認)公式《三体》スピンオフ外伝。オリジナルの第3部『死神永生』(本書巻末にも要約がある)で明らかにされなかったさまざまな謎と、さらにスケールアップした宇宙の秘密が描き出される。

 第1部では、デスラインが広がりそこに程心らが飲み込まれたあと、プラネット・ブルーで生きる雲天明が、艾AAに三体文明に囚われた間に自分が行った裏切りを語るところからはじまる。三体人が人類にもたらした欺瞞の背後に自分がいたというのだ。さらに光明の〈霊〉との接触が語られる。第2部では雲天明が〈霊〉からの命を受け、捜索者として次元を縮退させる潜伏者の探索に乗り出す。最初に訪れたのは時の外にある小宇宙#647だった。

 もともとファン・フィクションなので、原典に準拠しながらも、そこで明らかにされなかった事件の背景や、その後日譚が書かれている。偶然めいたできごとが実は必然だったと知らされ、登場人物たちの運命が新たに描き直されるわけだ。

 しかし、本書の場合、その先のボスキャラ=統治者(マスター)が登場するのが面白い。〈霊〉と聞くと宗教的スピリチュアル系かと思ってしまうが、『幼年期の終わり』とか『スターメイカー』風のSF的な知性の上位概念なのである。

 ボスキャラの存在はオリジナルでも匂わされてはいた。本書を読めば(一つの解釈ながら)より明瞭になるだろう。全編を通じて物語というより説明に終始する感はあるものの、読み手を退屈させない手腕は、著者がデビュー前から備える確かな才能をうかがわせる。

 とはいえ「コーダ以後」の章はこの物語のスケールに反して、一転、ふつうの2次創作になってしまう。ファン・フィクションの必要条件なのかも知れないが、このあたりは善し悪しだろう。

佐藤究『爆発物処理班が遭遇したスピン』講談社

装幀:川名潤

 『テスカトリポカ』で第145回直木賞を受賞した著者の最新短編集。評者は佐藤究のよい読者とはいえないが、惹句に「ミステリ×SF×怪物」とあるので読んでみた。

 爆発物処理班の遭遇したスピン(2018)東京オリンピックを1年後に控えた鹿児島で、爆発物を仕掛けたという予告電話が警察にある。それは巧妙に仕掛けられた爆弾だったが、思いも寄らない原理に基づいて作られていた。
 ジェリーウォーカー(2019)2040年代、VRや映画で一世を風靡する著名CGクリエイターには、誰にも知られていない創作上の秘密があった。
 シヴィル・ライツ(2016)新宿にシマを持つ弱小ヤクザは、ささいな失敗で大きなケジメを背負わされる。
 猿人マグラ(2016)福岡の作家といえば夢野久作だ。けれど、地元民ですら誰も知らない。墓場愛好家の主人公は、子どもたちの間に広がる都市伝説猿人マグラと久作との拘わりを聞く。
 スマイルヘッズ(2018)画廊を営む主人公には裏の趣味がある。それはシリアルキラーの描く絵画などの芸術品を、金に飽かせず蒐集するというものだ。
 ボイルド・オクトパス(2018)引退した元殺人課刑事に連続インタビューする企画で、初めてアメリカの刑事に会う機会を得たライターは喜ぶが。
 九三式(2019)戦後すぐのころ、家族もろとも実家を空襲で失った復員兵が、高価な乱歩の古書を手に入れるため、進駐軍からの得体の知れない仕事を引き受ける。
 くぎ(2018)息苦しい家庭から抜け出そうとした男は、塗装業の住み込み社員になる。しかし、仕事先の民家で気になるものを目撃する。

 標題作はリアルな爆発物処理班の仕事の描写の中に、突然SF的なアイテムを紛れ込ませている。テロリストが使うにしては2019年は早すぎると思うが、ともかく意表を突くアイデアとはいえる。その点でいうと「ジェリーウォーカー」はオーソドックスなクリーチャー(怪物)ものである。

「シヴィル・ライツ」「猿人マグラ」は(怪物的)動物が絡むサスペンス、「スマイルヘッヅ」「ボイルド・オクトパス」は超自然的要素のないサイコホラーだ。「九三式」「くぎ」では、不幸な境遇の主人公がしだいにサイコパス的な事件に巻き込まれていく。

 ムック誌 幽 の夢野久作特集に寄せた「猿人マグラ」、小説現代の江戸川乱歩特集「九三式」は、それぞれのお題である夢野久作や江戸川乱歩作品に内在する、狂気やグロな世界を浮き彫りにする。著者の才能、特にホラー展開の巧みさを楽しめる内容だろう。 

オクテイヴィア・E・バトラー『血を分けた子ども』河出書房新社

Bloodchild and Other Stories,1996/2005(藤井光訳)

装幀:川名潤

 1947年生まれ(2006年に没)の著者は、SF分野では初の黒人女性作家だった。80年代後半に話題になったものの、(シリーズものが多かったこともあり)今世紀以降は作品紹介が途絶えていた。しかし、ジェンダーや人種の問題に対する先進的な取り組みが評価され、『キンドレッド』(1979)の翻訳がほぼ30年ぶりに復刊するなど再び注目を集めるようになった。

 血を分けた子ども(1984)ぼくは幼いころから保護区に住んでいる。生まれて一緒に育ったトリクとともに。
 夕方と、朝と、夜と(1987)遺伝的な要素のあるその疾患は、いったん発症すると周りの人間を巻き込む激烈な反応が顕われる。
 近親者(1979)シングルマザーの母はわたしを遠ざけたが、亡くなって遺品を引き継ぐときに伯父から意外な事実を知る。
 話す音(1983)何らかの異変が起こり、人々同士のコミュニケーション機能に重大な障害が生じる。
 交差点(1971)刑務所に入っていた元恋人の男が帰ってきて不満を垂れ流す。しかし、女との気持ちは相容れない。
 前向きな強迫観念(1989)6歳から、作家になるという強い意志を曲げなかった著者の半生(エッセイ)
 書くという激情(1993)書くためには文才ではなく書くという激しい思いが必要だ(エッセイ)
 恩赦(2003)形態も知性も異質な異星人は、少数の人間から彼らの通訳を養成する。
 マーサ記(2003)ある日主人公は神に遭遇し、その力を授けようと提案されるのだが。

 バトラーは《Patternist》など、シリーズものを書く長編作家だった。短編の数は少なく本書に収められたもので大半を占める。「血を分けた子ども」は、プロから一般読者までにインパクトを与えた異色作品である。ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、SFクロニクル賞(SF専門誌の読者賞)の各中編部門を受賞している。

 表題作に限らず、全編を通して一種異様な社会が描かれている。その異様さは、いまわれわれが暮らす日常との違いにあるだろう。「血を分けた子ども」では異星人との共棲が描かれる。人間と異星人とはまったく生態が異なり、物理的にも政治的にも対等ではないのに共存を強いられる(これはさまざまな社会問題のアナロジーとも解釈できる)。

 異種のものとの不均衡な関係は、後年に書かれた「恩赦」でも出てくる。人間は関係の本質に気がついておらず、何とか自分の論理/倫理で理解しようとして(おそらく)失敗する。異星人は怪物ではないが、文字どおり人とは異なるものだ。だが、それでも正常な関係を築いていかなければならない。全面降伏か殺し合いの(ハリウッド的)2択しかないと考えるのは短絡なのである。

 2編のエッセイと「マーサ記」(の一部)では著者の創作法が語られる。ふつうの環境でも、兼業で小説を書き続けるには根気が欠かせない。著者の場合はそこに社会的な圧力(黒人は、女は作家になれない、SFは小説ではない)が加わるのだから、並大抵ではなかったろう。それらを乗り切るために激情が必要だったのだ。