笹原千波『風になるにはまだ』東京創元社

ブックデザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。
装画:竹浪音羽
装幀:小柳萌加(next door design)

 2022年の第13回創元SF短編賞受賞作「風になるにはまだ」を含む、著者初の短編集。6編の収録作品のうち半分は書下ろしで、その設定や登場人物を共有する連作短編集でもある。著者は高校時代に読んだ印象に残るSFとして『ハーモニー』を挙げ、『わたしたちが光の速さで進めないなら』に共感すると話す(ネット配信番組の「読んで美木彦」)。

 風になるにはまだ(2022)先方の希望する体型とあたしはぴったりだった。情報人格になった依頼主に体を貸し、現実世界のパーティに参加するというバイトなのだ。
 手のなかに花なんて(2023)好きだった祖母が情報人格になり、孫の主人公はアバターを使って訪問する。それは祖母の認知症のリハビリのためでもあったのだが。
 限りある夜だとしても(2025)カメラマンの主人公が高校時代からの友人と久しぶりに食事をする。不器用な自分に比べれば完璧すぎる友人だった。
 その自由な瞳で(書下し)瞳でしか意志を伝えられない彼は、仮想世界では自由に動ける。私は高校を出たあと引きこもり、家から出られなくなった。
 本当は空に住むことさえ(書下し)仮想世界に住む著名な建築家と手伝いをする設計士に、土地を管理する役所から思いがけない提案がなされる。
 君の名残の訪れを(書下し)仮想世界ができる黎明期、同居していた友と移住した主人公だったが、その友は散逸で亡くなってしまう。

 ある作品での主人公が次のお話にカメオ出演したり、あるいは脇役が主役になって出てきたりといった形での連作になっている。舞台は情報人格が住む仮想世界と、VRやディスプレイで結ばれた現実世界で、この設定は共通する。

 LLMが話題になるほんの少し前、全脳エミュレーションとかマインド・アップローディングの議論がいろいろ行われたことがある。人の脳さえ完全にデジタル化されれば、ネットのインフラ(あるいはロボットの肉体)がある限り永遠に生きられるのではないか、という考え方である。本書では、それが実現した(といっても大きな社会的変化のない)未来が描かれる。

 重い病や高齢だけでなく、さまざまな動機で人々は仮想世界への移住を決意する。しかし、万能に見えた世界にも限界がある。永遠のはずの情報人格に「散逸」という死が訪れるのだ。そのため、仮想世界はあまり現実世界と違いすぎないように作られている。味覚や触覚さえ再現される。

 人の機微を表現するのに最適な設定と文章だろう。中高年と若者、祖母と孫、男と男、体の病と心の病、師(女)弟(男)関係、女と女と、いかにも現代的な関係性が描かれている。標題の「風になるにはまだ」とは、まだ風になる(=散逸)を受け入れずに生きてみる、という意味になる。ただ、ここまで現実と相似形の仮想世界となると、SFである意義が薄れてしまう。そこがちょっと気になった。

西尾康之『不死』くま書店

表紙:陰刻鍛造、FRP、油絵具:西尾康之《古き心臓をうち捨てたり》2012
装丁:木村貴信+青木春香(オクターヴ)

 精神病理学者の斎藤環が「「とんでもないものを読んでしまった」という感慨は、あの劉慈欣『三体』に優るとも劣らない」と評した長編小説。西尾康之は1967年生まれの彫刻家で、その分野では名が知られているが、10年ほど前に健康を害するほど没頭して書いた小説が本書の原型になった。肉体労働を伴う彫刻家では物理的な制約を伴う(著者は全長6メートルあまりの彫像を作る)が、小説ならばその制約から解き放たれると考えたという(本書の跋より)。

 特進高校は、異能を発現した生徒を集めた施設である。教師の出自はさまざまだったが「不死」の研究者という共通点があった。その中の1人によって開発された腐敗防止体はある種のバクテリアで、その作用により人間は変異を遂げやがて死ぬことがなくなる。分子単位に分解しても蘇生するのだ(この不死のアイデアは、先週紹介した天沢時生の「墜落の儀式」とよく似ている)。

 光子コンピュータHC=Human Chrysalisは、人類を凌駕する不可視の存在となる。250歳の主人公の1人は不死探求の歴史を語る。不死者で満たされた世界では人口が増えない。生活はHCが管理するため人々は芸術/工芸に従事する。やがて「死」奪還の方法論が盛んになる。形態を変えることに執着するものが現れ、自身を本や自転車の姿に変えたりする。その一方、昔ながらの高校や海底都市があり、猫型や人と変わらないアンドロイドがいる。芸術を強要する暴走自治が現れ、外骨格の衣服などが流行り、やがて反HCを掲げて軍の反乱が起こる。

 物語は、KとSというアルファベットで呼ばれる2人が数百年、数千年を生きる物語である。とはいってもステープルドン的な叙事詩ではない。大原まり子『ハイブリッド・チャイルド』川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』などの未来史や、異形の進化を描く筒井康隆『幻想の未来』を思わせる連作とも趣を違える。不死化した人類には(旧来の意味での)時間は流れないからだ。そのためか、攪拌されたエピソードをランダムに取り出すような、おもちゃ箱めいた構成になっている。一貫した物語を読むというより、展覧会の絵画なり彫刻を個別鑑賞するのに近い愉しみ方が適切かもしれない。

『紙魚の手帖 vol.24 Genesis』東京創元社

カバーイラストレーション:カシワイ
ブックデザイン:アルビレオ

 東京創元社の「紙魚の手帖」(雑誌形式の単行本)による「夏のSF特集 Genesis」も第3弾となる。第16回創元SF短編賞受賞作(2作品)を含め収録小説数は8作と昨年比で変わらないが、今回は短いものが多く分量的にはずいぶんコンパクトになった。

 雨露山鳥「観覧車を育てた人」金沢の廃遊園地で巨大な観覧車を育てる育鉄士がいる。単独ではまず不可能な技だ。その噂を聞いた記者は取材を試みる。
 高谷再「打席に立つのは」高校野球のレギュラーだった主人公だが、肝心の所でイップスが出てしまう。それを見かねたマネージャは自分との入れ替わりを提案する。
 レイチェル・K・ジョーンズ「惑星タルタロスの五つの場景」10年に一度、惑星タルタロスに囚人たちを積んだシャトルが降りていく。
 宮澤伊織「ときときチャンネル#9【高次元で収益化してみた】」インターネット3の情報を検証するサンドボックスが使えなくなった。無料期間が過ぎたためらしい。
 稲田一声「モーフの尻尾の代わりに」感情調合師のところにクレームが入る。もともとの依頼主は老犬の感情を希望していた。創元SF短編賞受賞後第一作。
 天沢時生「墜落の儀式」ナノマシン未接種者の大半が死に絶えたあと、死なない接種者は高層ビルからのダイブを遊びにしていた。復活できるからだ。
 理山貞二「キャプテン・セニョール・ビッグマウス」文化遺産連続窃盗の容疑者が捕まる。しかし被疑者は事件を認めるも、別に依頼人がいるとうそぶくばかり。
 小川一水「星間戦艦ゴフルキルA8の驚嘆」文明の抹殺を使命とする殲滅者の前に一人の旅人が現れ、すべてを見て回れと忠告する。

 今回の創元SF短編賞は2作品が受賞している。
「観覧車を育てた人」飛浩隆「「アイディアとドラマをどうレイアウトするか」という、だれもが悩む課題への回答としてお手本にしたいくらいだ。アイディアの独創性、それを実装する手際、ロマンティシズム、モチーフ(観覧車)の必然性と効果を隅々まで行き渡らせた」、長谷敏司「こういう要素の取り合わせと情報配置と、描写の抑制の関係は、一作家として、自分も見習うべきものだと、感心しました」、宮沢伊織「架空の歴史における架空のファミリーヒストリーを聞かされるという、それだけならひどく退屈になってもおかしくない話が、観覧車を一周する流れに乗せて語られることでスムーズかつ面白く読めてしまう。静かな物語だが、ラストの解放感もよかった」
「打席に立つのは」飛浩隆「率直なストーリーとプレーンなテキスト、身近な題材や葛藤、前を向く結末。「SF」ラベルにはややもすると、マニアックさや晦渋さ、ある種の独善性、そうした印象がつきまとうことを考えれば、むしろジャンルの最もコアな場所からこの作品を送り出す意義があるだろう」、長谷敏司「青春らしい人間関係や、心情の揺れ動きが、丁寧に描かれていて、それがSFの仕掛けによってドライブしてゆく。よいヤングアダルトSFだと思います」、宮澤伊織「意識交換アプリの名前が〈torikaebaya〉であることからもわかる通り、高校野球を題材にした男女逆転SFである。(中略)フックを軸にしたストーリーテリングが巧みで、野球に詳しくない自分でも非常に面白く読めた」

 対照的な2作品といえる。説明中心で動きが最小限の前者と、キャラを立てた青春小説の後者である。どちらも小説としてよくできている。選考委員の講評にも詳しく書かれているが、奇想のスケール感(文明を左右する技術なのに、金沢、家族、遊園地という狭い領域にあえて限定)と新規性(ありふれたアイデアをテック的に応用)をうまく補っている。とはいえ、これらはテクニカルな面の指摘であって、もう少し新人賞らしいパワー=破天荒さもあれば、とは思う。

 前号に続く唯一の翻訳「惑星タルタロスの五つの場景」はまさに技巧の産物、《ときときチャンネル》シリーズは快調、「モーフの尻尾の代わりに」は前作の設定を踏襲して捻りを加えたもの。自死が自死でなくなったワイルドな世界を描く「墜落の儀式」、久々の登場が目を惹く理山貞二の宇宙SF「キャプテン・セニョール・ビッグマウス」は、主人公が宇宙盗賊かと思うとちょっと違う方向に持って行かれる。同じく宇宙SF「星間戦艦ゴフルキルA8の驚嘆」は、設定通りのバーサーカーものとならないのがベテランの旨みだろう。この他、入門者向けベスト短編を議論する座談会を収める。

会津信吾編『バビロンの吸血鬼』東京創元社

装画:まるひろ
装幀:岩郷重力+WONDER WORKZ。

 大正末期から昭和10年代半ばまでの(戦争の影響がまだ国内に及ばなかった)時期に書かれた怪奇小説を、編者は「昭和モダンホラー」とし「舞台は近代日本、または海外。テーマはタクシー幽霊、オフィスビルの怪異、未確認生物、人体実験、サイコパス、多重人格、性的倒錯など、近代固有の事象」(編者序文)を描くものと定義する。これらは日本的な「怪談」を脱却した作品だった。本書ではさらに「新青年」掲載作を除くという大胆な条件が課されている。この時代の代表的な雑誌を除いたのだから、当然マイナーな作家が選ばれることになる。作品数は21作家/編と多く、短いものが中心である。

 高田義一郎「疾病の脅威」(1928)疾病の原因を除くため人体器官の除去を進めた医師。椎名頼己「屍蝋荘奇談」(1928)行方不明になった妻は高名な精神病理学者の奇怪な屋敷にいた。渡邊洲蔵「亡命せる異人幽霊」(1929)アメリカで幽霊を消してしまう薬品が発明され、亡命幽霊が現れる。西田鷹止「火星の人間」(1929)目覚めると数日の時間が過ぎていた。その間の記憶がないのだ。角田喜久雄「肉」(1929)南アルプスを縦走中の一行は天候不良で足止めされついに食糧が尽きる。十菱愛彦「青銅の燭台」(1929)男女の双子が住む旧家には、閉ざされた部屋とそこに隠された暗号があった。庄野義信「紅棒で描いた殺人画」(1930)横浜の売笑婦の子どもは、情夫によって興行師に売られてしまうが。夢川佐市「鱶」(1930)嬰児誘拐が続く地方で、仕事を探す若い漁師は一隻の舟に雇われる。小川好子「殺人と遊戯と」(1931)親友の自死のあと、僕は彼女との心中を計画する。妹尾アキ夫「硝子箱の眼」(1931)事故の特報記事を書いている記者の前に山高帽の男が現れ奇妙な話を始める。宮里良保「墓地下の研究所」(1931)実験室では人造人間の魂が製造されている。それには霊が必要になる。喜多槐三「蛇」(1932)優生学と人種改造の権威だった父親により、肉体改造された息子の秘密とは。那珂良二「毒ガスと恋人の眼」(1932)同じアパートに住む恋人同志の二人、男は国立研究所で毒ガス研究をしていた。高垣眸「バビロンの吸血鬼」(1933)ミイラ研究の第一人者であった博士が殺され、邸宅から貴重なミイラが行方不明となる。城田シュレーダー「食人植物サラセニア」(1933)蘭の蒐集家で知られる香料業者がニューギニアの奥地で巨大な食人植物を発見する。阿部徳蔵「首切術の娘」(1933)帰郷した故郷の見世物小屋で、主人公は首切術に出演した娘と知り合う。米村正一「恐怖鬼侫魔倶楽部奇譚」(1933)あたり前の映画に飽いた主人公は、数人の金持ちが集う秘密の上映会に誘われる。小山甲三「インデヤンの手」(1935)ミシシッピ川を下る船で知り合った男から、インディアンの祖父が遺した書物があると聞く。横瀬夜雨「早すぎた埋葬」(1936)田舎では土葬が残っている。若い娘が亡くなったときも直ぐに土葬されたのだが。岩佐東一郎「死亡放送」(1939)ラジオ放送の夢を見た。明日亡くなる人を次々と読み上げていくのだ。竹村猛児「人の居ないエレヴエーター」(1939)その病院には近代的なエレベータが設置されていた。しかしその一つには。

 大半の作家は馴染みがない。角田喜久雄や妹尾アキ夫くらい、という読者が多いだろう。それは編者も認めている。掲載誌は「探偵趣味」「蜂雀」「グロテスク」「犯罪科学」「怪奇クラブ」「犯罪実話」など怪しい名前が並ぶ(現存/後継する雑誌はない)。文体は古色蒼然と現代風が入り交じり、エログロであってもアイデアはシンプルだ。SF的なものだと、幽霊を消す薬剤、コピー人間、生きている脳、ロボットの魂、人体改造、食人植物、死亡放送などがある。他にも本格ミステリ、ノワール風のものもあるが、作品の長さも短く、掲載誌の性格もあってディープな方向には進展しない。

 会津信吾の解説は、たとえ無名の作家でも発見を事細かに書いてしまうという、コレクター/研究者のマニアックさが顕われていて面白い。

上條一輝『ポルターガイストの囚人』東京創元社/高野史緖『アンスピリチュアル』早川書房

装画:POOL/装幀:岡本歌織(next door design)

 『深淵のテレパス』で創元ホラー大賞を受賞しデビュー、朝宮運河選ベストホラー2024や、このホラーがすごい2025年版で国内1位を獲得した著者のシリーズ《あしや超常現象調査》第2弾である。好評のため、一回限りだった創元ホラー大賞も継続が決まっている。

 特撮ヒーローとしてもて映やされたが、いまでは冴えない中年俳優の男が実家に帰ってくる。父親が脳梗塞で入院し、空き家になっていたからだ。しかし、住み始めると奇妙な現象が起こり始める。誰も居ないはずなのに、不規則で執拗なラップ音が聞こえる。そして常に感じる誰かの視線、父がつぶやいた「かがみのなかのおんな」。たまりかねた男は、噂に聞く超常現象調査に原因究明を依頼をする。

 登場人物は前回の『深淵のテレパス』事件でおなじみ、調査チームの男女2人と、当てにならない超能力者(今回は2人)、元刑事の探偵らと主要メンバーは共通する。ラップ音自体はポルターガイストだろうと推察されるが、その現象を引き起こす人物(不安定な精神状態の少女など)は見当たらない。事件を追いかけるうちに不吉な呪いは拡散し、しだいに犠牲者を産み出していく。

 前作から続く特徴は、ホラーを怪談(超自然のもの)で捉えるのではなく「超常現象」という自然現象として捉えようとする姿勢だろう。もちろん、すべてが科学で解明されるわけではないが、因縁以上の物理的な因果関係があるのだ。時間空間ともに予想外の方向にお話は進む。オカルトかサスペンスなのか、どちらともいえない曖昧さ(不安定さ)は、ある種の余韻となって楽しめる。

装幀:bookwall
装画:オカダミカ

 高野史緖の作家デビュー30周年記念作。この前の長編(連作を除けば)はベストSF2023で国内編1位となった『グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船』で、並行世界の青春ものだった。本書は、それとは対照的なスピリチュアルをテーマとする異色長編である(もっとも、標題はそれを否定している)。

 主人公には他人のオーラが視えた。相手の素性、表面に浮かぶ感情や、健康状態までが一目で分かるのだ。家庭はうまくいっていない。夫は不倫しており、自身もパートをしている新宿の整形外科で若い理学療法士に好意を抱いていた。だが、青年のオーラはまったく視えなかった。やがて、主人公は能力を生かした鑑定士(占い師)になり名を上げていく。

 物語では主人公の能力がどこに由来するのか、また理学療法士が何ものなのかが明らかになっていく。著者の既存作品とは異なり、歌舞伎町(近未来?)の風俗描写や、占いなどの(いわゆる)スピ系に大胆に振ったように見えるが、後半の疑似科学に対する扱いなどはSF的な観点を残している。何れにしても新境地の意欲作といえるだろう。

灰谷魚『レモネードに彗星』KADOKAWA

装画:咸鱼中下游
装丁:坂詰佳苗

 表題作は、第9回カクヨムWeb小説コンテスト短編小説部門の特別賞「円城塔賞」の受賞作品である。「「なにか語りえないことを語ろうとしている感覚」を一番強く受けた」と円城塔は記している。この他にもキノ・ブックスの第3回ショートショート大賞を受けた「スカートの揺れ方」など、自身のnoteに発表した作品や書下ろし1編を含む7編を収録。

 かいぶつ が あらわれた(2015)怪物が世界を壊し始めて60日、紀世子が空に浮かび上がり始めてから57日になる。わたしは紀世子と電話して会話する。
 純粋個性批判(2017)周囲すべてをクソと軽蔑し、尊敬できる人物は架空の世界にしかいない。そんな主人公が、唯一気の合う友と作った小冊子が「純粋個性批判」だ。
 宇宙人がいる!(2014)宇宙人を捕まえたと言う旧友の家に行くと、20年前のアイドルの姿をした宇宙人がいる。自在に形を変えられる宇宙人に俺が望んだものは。
 火星と飴玉(2019)キラキラネームを持つクラスメイトにフードコートで出会ってしまった僕は、本人の好きな千人の名前をつぎつぎと聞かされる。
 新しい孤独の様式(書下ろし)27歳になった主人公はバイト先が潰れて失業状態だったが、中高で短期間同級生だった女性と再会し、おかしな要求を受けることになる。
 レモネードに彗星(2023)私が14歳だった頃、叔母は43歳だった。いまは196歳の美しい老婆になっている。私はこの15年間叔母と2人で暮らしている。
 スカートの揺れ方(2014)スカートが脱げなくなった。スカートと一体化してしまったのだ。私は学友に相談を持ちかける。

 表題作の「レモネードに彗星」にしても「スカートの揺れ方」にしても、ショートショートの長さしかなく(後者の方が短い)、基本的に2人の人物のやりとりで話が進む。表題作について円城塔は「謎が提示されているのかどうかも不明で、しかしところどころに現れる単語や一文が、奇妙な説得力を発揮します」とする。設定の説明は特になくオチもないのに、もやもやを残さずにすっきり終わる(ように読める)。説明なしの説得力というのは、著者の感性というより計算なのだろう。

 一方、書き下ろされた「新しい孤独の様式」の方は、主人公の同級生(帰国子女でエキセントリックな性格)、ビデオ屋の老店主(古い映像ソフトだけを扱う)、VR/ARゲームのキャラと、本来独立した3つの物語があり得ない形で結びついていく。最初のエピソードだけならアニメ的な性格付けだが、あとに行くほど、それぞれの登場人物は(ありがちな)予定調和を裏切る行動を見せる。これだけ広げると、並の手腕では収束が難しいだろう。ところが、老店主のスマートグラス→ARキャラ→同級生という謎の展開でも、整合性があるように読めてしまうのだ。主人公があくまでサブで、自由なキャラの不条理さに翻弄される設定が効いているのかもしれない。これは他の作品とも共通する。中短編クラスでも、短い作品で見せた「単語や一文の説得力」に相当する力を発揮できるようだ。

中野伶理『那由多の面』/大庭繭『うたた寝のように光って思い出は指先だけが覚えている熱』ゲンロン

表紙:山本和幸
ゲンロンSF文庫ロゴ:川名潤

 2024年の第7回ゲンロンSF新人賞大賞受賞作品(2作同時受賞)である。受賞してからまずゲンロン(17号/18号)に掲載され、その後出版(電子書籍)となるため少々時間がかかっている。伝統工芸である能面の制作とAIを結びつけた作品(父と子)と、昏睡状態の親の記憶との接触を描く物語(母と子)という並びは面白い。

那由多の面:文化財の修復を専門とする大学院生の主人公は、ある日幼い頃に母と離婚した父親の死を知らされる。唯一残されたアトリエには能面の下絵が残されていた。依頼を受けて制作する途上だったのだろうが、その絵には亡くなった母の面影が刻まれていた。

 父に代わって面を作ろうとする主人公だが、依頼した能楽師はその要望を無下に拒絶する。曲目と合わないのか、何が問題なのか。表情データから人の感情を測定するセンサーとAI「ペルソナ」の助けを借りながら、主人公は課題に取り組んでいく。

 この作品の場合、能という(マニアックな)世界に対する蘊蓄の部分と、AIやセンサー、脳科学に関する部分の融合が気になる。印象として、前者が重く後者がかなり軽い(読み手の興味にもよる)。主人公、父親、母親、能楽師と、人間関係の壁を切り崩すキーがテクノロジーなので、もう少し後者と前者の相似性を(たとえ虚構でも)明確化して良かったのではないか。著者はSF創作講座の常連(第4~7期生)で、伝統芸/工芸テーマを極めているようだ。

うたた寝のように光って思い出は指先だけが覚えている熱:出産を控えた主人公の母親は脳梗塞で入院している。意識はなく症状の改善は期待できない。亡くなってしまうかもしれない。しかし、新しい技術「うたたね」を利用すれば、昏睡状態でも母の記憶に入っていくことができる。母親が自分と同い年だった25年前の記憶に。

 母親はホステスをしていた。25歳ではまだ身籠もってもいない。母から主人公は透明な幽霊のようにしか見えないが、眠っているときだけ(ホステスなので昼は寝ている)その体を借りて出歩くことができる。

 この作品でも親と子どもを結ぶのはテクノロジーである。記憶へのダイブというかジャックインなのだが、確定した記憶=過去を(映画のように)見せるのではなく、歴史改変が可能なタイムマシンのように作用する。ただし、それはあくまで個人の記憶の範囲に過ぎないので、現実が変わるわけではない。選考会での議論を聞くと、この設定の整合性(解釈)についてさまざまな意見が出ていて面白い。結末が夢なのか現(うつつ)なのかは、注意深く読まないと分かりにくい。

ユキミ・オガワ『お化け屋敷へ、ようこそ』左右社

Welcome to Haunted House,2025(吉田育未訳)

装画:カワグチタクヤ
装幀:島田小夜子(KOGUMA OFFICE)

 日本在住の日本人でありながら英語で作品発表を行い年刊傑作選に収録されるなど高い評価を受けているオガワユキミの日本オリジナル短編集(類例がないわけではないが)。本書の11編はすべて英文だが(本人ではなく翻訳者により)和訳されたものである。

 町外れ(2013)結婚相談所にやってきた古風な女は、マスクで耳元までを覆い「雄が必要なのだ」と繰り返した。仕方なく相手を探す相談に乗るのだが。
 
煙のように光のように(2018)決められた段取りに従って大きな納屋の空間に入り、大旦那のところに行くと、そこで召喚された若い幽霊、母親と男の子の姿を見る。

 お化け屋敷へ、ようこそ(2019)お化け屋敷にはさまざまな妖怪がいる。人形や傘、リュート、何枚かの皿などのモノが化けている。ただ、記憶は朝にはリセットされる。
 
つらら(2013)つららは半分人間で半分雪女だった。心臓が氷柱でできていた。ひとりで海を見に行く決心をし家を出ることにした。
 
童の本懐(2018)家に取り憑いた妖怪は、そこに住む女と祖母、娘のために力を盗み出す。しかし、自分から力を盗んだことで何もかもが緩慢に悪くなる。

 NINI(2017)宇宙ステーションに設けられた高齢者施設では、やさしい外観をしたニニが医療AIとの仲立ちをしている。餅を分解して非常食とする機能さえ持っていた。

 手のひらの上、グランマの庭(2021)父親が進学資金を使い込んだため、わたしは異形の生き物グランマの、ワームホールの先にある家で働くことになった。

 パーフェクト(2014)変色したマグノリアのドレスを着たわたしは、出会う人々から完璧なもの、頬や手や目玉、肉体を次々と手に入れていく。

 千変万化(2016)島の呉服店で働く主人公は、爪先の色を自在に変化させる有名なモデルと知り合いになる。ところが、偶然ポリッシュを手に入れたことで。

 巨人の樹(2014)夢の中で共に過ごした巨人との暮らしは、ふるさとの校庭にあるケヤキの巨木とつながっている。

 アウェイ(書下ろし)「ナミ様」はさまざまなものになって生き返ってくる。今度は空だった。そして甦るたびに、元の世界から何かを連れ帰ってくるのだ。

 日本の妖怪もの(たとえば《しゃばけ》とか)のユーモラスな雰囲気を感じさせる。だが、結末は少しダークになる。舞台も日本とはいえないどこか(日本的な幽霊とトウモロコシ畑が共存する)、無国籍の設定となっている。発表誌の多くはホラー/ファンタジー系が多い。

 物語では、現実に近い世界と夢の世界/異世界とがシームレスに置かれている。「アウェイ」では、何にでも姿を変えるナミ様が存在する世界(ファンタジイ)に、元の生々しい世界(リアル)が垣間見える(現実の方がアウェイなのだ)。異世界もまた単純ではない。「煙のように光のように」では大旦那様の納屋の中に、さらに霊界を呼び出す2段階目の異世界が現出する。こういう、一筋縄でいかない構造の精妙さがユキミ・オガワの面白さなのだろう。

海猫沢メロン『ディスクロニアの鳩時計』泡影社

人物画:東山翔
背景画:富田童子
装丁:川名潤

 2012年4月のゲンロンエトセトラ#2から始まり、ゲンロン通信を経て2021年9月のゲンロン#12まで連載された千枚越えの長編小説である。しかし単行本にはならず、2024年5月にまず私家版を作成し頒布、好評を受けて自ら「泡影社」を興し1年後に一般書籍として出版するに至る。それでも扱う書店は限られるので、入手はBOOTHの直売が早道だろう(Amazonでは転売品しか買えない)。

 3.11を連想させる異変を経て、日本はARデバイス・カクリヨが普及し、AI〈IXANAMI〉によりコントロールされる国になる。そのカクリヨを開発した〈AIR〉が所有する復興特区で、奇怪なバラバラ殺人事件が発生する。犯人を追ううちに、時間収集家である大富豪時彫家にまつわる大きな謎が浮かび上がる。

 頭に鳩時計を被った17才のハッカー少年、同様にアナログTVを被る富豪当主、ゾンビ人形を持ち歩く女性警部、隻眼隻足で中性的な容姿の探偵、エプロンドレスで小学生くらいの姿をしている現場分析ロボット、などなど。登場人物に「ふつう」の人間は(ほとんど)見当たらない。エロゲー、ラノベ、ノワール、犯人捜しのミステリに、オナニー、快楽殺人やロリコン(ペドフィリア)といった危険な因子が混じり合う。しかし、最大の特徴は物語の骨格が時間SFである点だろう。

 購入者向けの動画チャンネル(youtube)によると、著者は青山拓央の『タイムトラベルの哲学』(2002、新版2011)からインスピレーションを受けたようだ。参考文献にも、マクタガートの時間(下記リンク参照)や、中島義道、木村敏、ハイデッカーら哲学者の論考、ロヴェッリやホーキングら物理学者の時間論の名前が挙がる(といっても、読者に予備知識は必要ない)。また、影響を受けたフィクションとして、京極夏彦、森博嗣、竹本健治、村上春樹らの他に、ベイリー『時間衝突』、テッド・チャン「商人と錬金術師の門」、観念的な時間SFでもある神林長平『猶予の月』、ウェルズ「タイム・マシン」のリニューアル版スティーヴン・バクスター『タイム・シップ』、結末と直接関係するある短編(ネタバレ注意)を挙げる。いまやSFプロパーの作家でも、複雑な(既知のアイデアの使い回しではない)タイムパラドクスに挑む作家は少ないので、そこだけでも注目に値する。

円城塔『去年、本能寺で』新潮社

装画:山口晃 當世おばか合戦─おばか軍本陣圖 2001 カンヴァスに油彩、水彩 185×76cm(C)YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery
所蔵:高橋龍太郎コレクション/撮影:長塚秀人
装幀:新潮社装幀室

 本書は、新潮の2023年1月号から24年11月号に(おおむね)隔月に連載された11編の短編集である。シン歴史撃誕!と煽られてスタートした歴史連作小説なのだが「人間ならこんな法螺が吹けるぞ、お前には吹けまい、という気持ちです。もちろん、AIにも同じようなことはできるのでしょうが、それは誤生成として再教育の対象となる。本当の意味で法螺が吹けるのは人間だけかもしれません」(著者インタビュー)と円城塔がうそぶくように、意志なき嘘つきのAIをしのぐ、意図的フェイクに満ちた作品集となっている。

 「幽斎闕疑抄」軍事AI かつ文事AIとしても名高く『古今和歌集』の秘義伝授を受けた細川幽斎という存在。「タムラマロ・ザ・ブラック」8世紀、陸奥=蝦夷(ガリア)に侵略戦争を仕掛けた朝廷の征夷大将軍坂上田村麻呂は金髪の黒人だった。「三人道三」自身のやってきたことが親子2人分であったと光秀から知らされた斎藤道三は面白くない。本当は3人なのだが。「存在しなかった旧人類の記録」まだ文字もなく記録もない石器の時代に殺人事件が起こる。犯人は巨大な石斧を操る何ものかだ。「実朝の首」13世紀、源実朝は宋に渡ろうとして唐船を建造する。しかし、南都大仏殿再興勧進から記されるその歴史は「未来記」にすでに書かれている。「冥王の宴」爆発から始まる宇宙創成、地球創世の頃にまで遡るノブナガの歴史とは。「宣長の仮想都市」デジタルのデータセットとして重要なのは古態を残す『古事記』である。「天使とゼス王」日本人通訳としてザビエルに同行するアンジェロは本能寺を幻視する。同じころゴアの奴隷だった安寿にゼス王(キリスト)への帰依を説く。「八幡のくじ」主人公をくじで決め「義円」と決まる。そこから足利義教の物語が組み立てられていく。「偶像」善鸞は伝説のアイドル親鸞の実子でその再来だった。歌で教えを説くその技法と思想はとても異質なものだった。「去年、本能寺で」信長は死んでも滅びなかった。人気とともにさまざまな形で増殖し、そのありようは安定しない。

 歴史家は文献調査が基本で、書かれていないことを歴史と称することはできない。一方、作家は文献に書かれていない空白を捜し出し、そこを拡大解釈した異説で埋めて小説にする。円城塔の場合は、明らかな(トンデモな)フェイクを本当のことと取り混ぜて書いた。こうなると、何が史実なのかが逆に分からなくなる。

 細川幽斎の振る舞いが機械のようだからAIと見做し、都市伝説のような田村麻呂黒人説を持ち出し、漢字のルビを英語のカナ書きにしてみたり、東北をガリアに準えたり、登場人物が現代の知識を前提とした会話をし、AI(のような)本居宣長はデータ分析で古事記解釈をする。「未来記」があってこれは後生の歴史書なのだが、なぜか過去の登場人物の手元に既にある。かと思うと石器時代や、地球創世(地質的にも痕跡の残っていない冥王代)にまで視野は及ぶ。奇想に次ぐ奇想が襲来する円城ワールドが歴史小説に展開する。信長=ノブナガと本能寺が何度も登場するのが印象的だ。さて、新潮の読者はこれをどう読んだのか。AI時代のSFはこうなるのか、と喜んだのか/呆れたのか。