SFマガジン編集部編『恋する星屑 BLSFアンソロジー』早川書房

カバーデザイン:坂野公一(welle design)
カバーイラスト:中村明日美子

 SFマガジン2022年4月号と2024年4月号のBLSF特集掲載作に、新たに書下ろし2作、同人誌からの転載1編を加えたBL小説アンソロジーである。全部で12作品(コミック2作を含む)の中短編からなる。著者も、BLでスタートした直木賞作家の一穗ミチから、初チャレンジに近い(と思われる)小川一水、BLレーベルのジャンル小説を主力とする書き手やベテラン同人作家までと多岐にわたる。

 榎田尤利「聖域」2 LBS(ロイヤル・バトラー・システム)を開発したグループのチーム長はある性癖を抱えていた。その私邸に見知らぬ青年が訪れる。
 小川一水「二人しかいない!」1 星間貨客船が異星人ハトラックにハイジャックされ、女装した学生とスーツの男だけが無人船に拉致される。なぜ2人なのか。
 高河ゆん「ナイトフォールと悪魔さん 0話」(2024)仮想の島の中で会う2人は、ナイトフォールと悪魔さんと名乗り合ったが正体は不明だった。(コミック)
 おにぎり1000米「運命のセミあるいはまなざしの帝国」(書下ろし)小さな探偵事務所に高校生の少年が人捜しを依頼してくる。友人が森に行ってしまうのだという。
 竹田人造「ラブラブ⭐︎ラフトーク」2 対話型個人推進システム=ラフトークの勧めに従っていれば、十分な満足が得られるはずだった。しかしそれも先週までのこと。
 琴柱遙「風が吹く日を待っている」1 1960年、北インドのカシミールにあった難民キャンプで男が赤ん坊を産む。オメガバースがはじめて明らかになったのだ。
 尾上与一「テセウスを殺す」2 「意志の中核」だけを移していくことが可能になった時代、富裕層だけでなく犯罪者もその技術を使い、検察の特効執行群が追う。
 吟鳥子「HabitableにしてCognizableな意味で」1 1980年代から2050年代まで、2人の男の子から始まる関係の変遷がおよそ10年単位で描かれる。(コミック)
 吉上亮「聖歌隊」(書下ろし)海から押し寄せてくる齲(むし)の群れを迎え撃つために、唱年(しょうねん)たちの聖歌隊は「歌」を武器に戦う。
 木原音瀬「断」1 離婚を契機に大手を辞め、小さな不動産屋に勤める主人公は夜中に奇妙な音が聞こえるようになる。そこになれなれしい青年も加わり事態は混乱する。
 樋口美沙緒「一億年先にきみがいても」2 遠い惑星で1人暮らしていた主人公は、銀河ラジオに投稿した音楽がきっかけで巨大な宇宙船を招くことになる。
 一穂ミチ「BL」1 ある国の児童養護施設で、親元から離された天才児たちが訓練を受けていた。ペアとなった2人は他国で暮らすことになるが、秘密の計画を温めていた。
 1:SFM2022年4月号掲載、2:SFM2024年4月号掲載

 SF縛りなので異形の性が描かれたものがいくつかある。おにぎり1000米のフェアリー(セミとニンフ)、琴柱遙のαとΩ(オメガ)など6つの性の組み合わせ、樋口美沙緒のベイシクスとフィニアスは、人口激減を男による妊娠で解決する(風刺的な一面を持つ)作品だ。AI絡みのコメディとした榎田尤利と竹田人造、ネタ的なギャグの小川一水と木原音瀬、BLをあえて背景に下げ物語を前面に押し出した尾上与一、吉上亮、一穂ミチらの作品も面白い。高河ゆんと吟鳥子のコミックは、BL要素のエッセンス的なもの(コンデンストBL)といえる。

 少年愛や耽美小説、やおいを経てジャンルを成すまで、BLは独自の歴史を刻んできた。徳間キャラ文庫、SHYノベルス、リブレ、エクレア文庫、白泉社花丸文庫、新書館ディアプラス文庫と、本書収録の著者が書くBLのレーベルも数多くある。ただ、評者が手に取る機会は(よほど話題性がない限り)あまりなかった。両方の趣味があれば別だが、読み手からすれば隔絶されたジャンルだったわけだ。とはいえ、BLSFもSFBLもサブジャンル的には存在しうる。交流は常にあったほうが多様性を楽しめて良いだろう。

小川哲『スメラミシング』河出書房新社

装画:jyari
装丁:川名潤

 小川哲の最新短編集。「陰謀論、サイコサスペンス、神と人類の未来を問う弩級エンタメ集」と惹句が並ぶが、(大きな意味での)宗教をテーマとした作品集である。収録作は冒頭の作品がアンソロジーの『NOVA2019年春号』、巻末が同じくアンソロジーの『Voyage 想像見聞録』(もともとは小説現代に掲載)である他は、すべて文藝に載った作品だ。

宗教とか神様について考えることは、根源的に人間の欲望に内蔵されているもので、それについて考えることは、小説について考えることにもつながるだろうと。人々の欲望を満たそうという、僕ら小説家が普段しようとしていることを、いろいろな角度から考えてみたかったというのがあると思います。

「人間には陰謀論的な思考回路がつねにある」 作家・小川哲が『スメラミシング』で描いた信仰と宗教 | CINRA

 七十人の翻訳者たち(2018)紀元前3世紀、ヘブライ語の(旧約)聖書をギリシャ語に翻訳した七十人訳聖書が作られた。しかしその内容には重大な問題があった。
 密林の殯(2019)主人公は天皇に縁がある由緒ある八瀬童子の子孫だったが、仕事を継ぐつもりはなく、なぜか宅配荷物の配達に生きがいを感じていた。
 スメラミシング(2022)ディープステートにノーマスク運動、さまざまな怪しい情報が渦巻く中で崇拝を集めるスメラミシングと、その代弁者の活動。
 神についての方程式(2022)未来のいつか、宗教団体「ゼロ・インフィニティ」の起源を探る宗教考古学者は、開祖と伝道者の正体に迫ろうとする。
 啓蒙の光が、すべての幻を祓う日まで(2024)理国の正史にも取り入れられている叙事詩に、重大な矛盾点が指摘される。それは神の存在に関するものだった。
 ちょっとした奇跡(2021)第2の月により自転が停まった大異変後の地球では、少数の人類が明暗境界線を移動していく車両の中だけで生きながらえていた。

 著者は、小説の原点は聖書にあると述べている(上記参照)。七十人訳聖書もヘブライ語部分は一部に過ぎず、それも(さまざまな伝承を寄せ集めたため)一貫していない。ギリシャ語段階で追加(創作)されたところも多い。つまりその出自からいっても「嘘」が前提の小説に近い存在なのである。そこから、人がなぜ陰謀論=極端な嘘に惑わされるのかの理由が想像できる。嘘であるほど(虚構が大きいほど)人は魅了されるのだ。

 本書では、聖書の矛盾、伝統的な宗教と新たな宗教儀式ともいえる宅配、陰謀論者たちとホテル勤務の(隠された記憶を抱える)青年の空虚な生きかたの対比、インドで生まれたゼロの存在と新たな宗教の理念、逆に神の否定が産み出すある種の教条主義が描かれる。「ちょっとした奇跡」だけは異色だが、黙示録的な世界に生きる終末期人類の物語と思えばしっくりくるだろう。

林譲治『知能侵蝕(全4巻)』早川書房

Cover Illustration:Rey Hori/Cover Design:岩郷重力+Y.S

 2024年1月から刊行が始まった、林譲治の最新長編『知能侵蝕』が10月の第4巻(第4分冊)で完結した。第41回日本SF大賞受賞作でもある2018-19年の《星系出雲の兵站》、2019-20年の《星系出雲の兵站ー遠征ー》を始めとして、著者の本格SFは、2021-22年の《大日本帝国の銀河》、2022-23年《工作艦明石の孤独》と切れ目なく書かれてきた。それぞれ分冊化されてはいるが、全体で1つの長編となっている。書き下ろされるごとに出版という構成力が問われる形式で、完成済み原稿の分量割りとはひと味違う。今回は遠未来や過去ではなく、十数年後の近未来が舞台となる。

 2030年代末、航空宇宙自衛隊の観測班長は、地球軌道上にあるデブリが不可解な動きをしていることに気がつく。考えられない現象だが、知見のない防衛省に上げても反応がないことを見越して、情報は国立の研究所NIRCに伝えられる。デブリが向かう高度65000キロの軌道上に遷移した、小惑星オシリスが関係していると考えられた。軌道要素から見てエネルギー保存則を破るような現象が生じているのだ。一方、地方の山中にある廃ホテルでは奇怪な事件が起こっていた。

 オシリス偵察のため急遽打ち上げられた宇宙船が遭難、1人生き残った自衛官は小惑星内に取り込まれる。内部には複雑な洞窟があり、なぜか呼吸可能な大気で与圧されている。そこには、廃ホテルから拉致されたらしい2人の日本人がいた。オビックと名付けられた未知の存在は、さまざまな手段で地球侵攻を図ろうとしているらしい。その一つ、軌道エレベータの建造を阻止するため、モルディブ沖で海戦が勃発する。

 小惑星内で生活する人間はさらに2人加わる。ただ、挙動がおかしい者もいた。オビックはミリマシンと呼ばれる超小型の機械を使うのだが、それが人間に擬態するのだ。小惑星では、オビックの宇宙船が製造され地球へと来襲する。大半は迎撃されるものの、1部はアフリカ中央部に下り、軍事会社が採掘権を持つ鉱山を制圧する。

 鉱山からオビックは世界中に拡散する。だが、放棄された廃鉱山ばかりが狙われる。日本でも地方に来襲するが、自衛隊は正規軍を都市防衛に温存し、替わりに中高年のMJS(非正規雇用部隊)を前線に送り出す。一方のNIRCでは敵の本拠地である小惑星を攻撃するため、原子力推進の宇宙船を各国分担で打ち上げ、一気に事態の打開を図ろうとする。

 近未来、日本は極度の人材不足に陥っている。特に高度なスキルを要する研究者レベルが不足する。優秀な人材がいなければ、先端技術はすべて外国頼みとなる。航空宇宙自衛隊でも人手は足りず、JAXAや天文台の科学者が徴用され穴を埋めている。NIRCも危機管理のための科学者組織である。だが、旧態依然とした縦割り官僚組織はメンツを優先し、配下にない部署からの具申など見向きもしない。著者のこういう皮肉な視点は、非正規雇用者からなる使い捨て部隊MJSで顕著にあらわれる。非正規のため、死傷しても自己責任なのだ。

 本書ではオビックという異質の知性が登場する。人類を凌駕する科学技術を持つのに、その行動は合理的ではない。何かが起こると学習こそするものの、人が常識と思う判断は行われず柔軟性にも欠けている。なぜそうなのかは本書を読んでいただくとして、《星系出雲の兵站》に出てくるガイナスも同様の「知的生命」だった。著者は地球外の知性に対してやや悲観的な見方をしているようだ。

 ところで、本書の結末はイーガンテイラーかという終わり方(オチではない)であるが、これもある種のパロディなのかもしれない。

榎本憲男『エアー3.0』小学館

装丁:高柳雅人
カバー写真:Gregory Adams,Lori Andrews / Moment / getty images

 映画監督でも知られる著者の最新長編。本書は、2015年に書かれた小説デビュー作『エアー2.0』の続編になる。福島原発の作業員だった主人公が、新国立競技場の建設現場で知り合った老人の助言を得て競馬の大穴を的中させる。ところが、それは「エアー」と呼ばれる予測システムを使った結果で人の感情(空気)の数値化が可能なのだという。国家レベルのビッグデータを与えれば、さらに広範囲の予測が可能になるらしい。主人公は賞金を元手に政府との交渉にあたり、福島の帰宅困難地域に経済自由区(特区)を設けるまで影響力を広げていく。ここまでが前作になる。

 自由区は奇跡的な成長を遂げた。まほろばと呼ばれ、自由区内ではカンロという独自のデジタル通貨が流通する。1円が1カンロに換算され、一方通行だが借りても利子を取られない。自由区内の企業にはカンロで投資が行われ、経済圏は外部の企業にまで拡大する。その裏付けには、エアーの運用よる莫大なフィンテック資産が充てられた。まほろばの拠点は海外にも広がる。それも、グローバルサウスやBRICS諸国に。日本政府は予想外の動きを警戒する。

 まほろばの代表となる主人公は、もともと一介の作業員だった。しかし巨額の資金をインフラ事業に投資するうちに、倫理的に目指すべき目標を考えるようになる。優秀な元官僚(副代表)、旧知の通訳やアナウンサーの助けを借りながら独自の理想を極めていくが、既得権者はそれを快く思わない。

 《エアー・シリーズ》は経済をテーマとしたポリティカル・フィクションである。前作では国内政治、本書では国際政治が舞台となる。架空のデジタル通貨による「新しい資本主義」を打ち立て(その裏付けにSF的なエアーを置き)、ドル経済圏に支配された新自由主義体制からの脱却が模索される。さらに、エマニュエル・トッドやアジア的な価値観に基づく主張が加わる。その点をどう評価するかは人それぞれだが、G7の権威が揺らぐ今日を反映した見方といえる。

 この物語の「エアー」は今風のAIよりも、安部公房の「予言機械」に近い存在である。ブラックボックス(AIの知性も同様ではある)で、世界のあらゆる動勢を予見できるけれど、自らの意思は持たない。哲学や数学の権威とする老人も謎めいた存在だ。ハリ・セルダンのように、死してなおメッセージ(メール)を送ってくるのである。環境問題に振った『未来省』と読み比べるのも面白いかもしれない。

砂川文次『越境』文藝春秋

デザイン:中川真吾

 著者は元自衛官の芥川賞作家として知られている。本書は、文學界2023年1月号~3月号に集中連載された長編。2020年の短編「小隊」と同じ時間線上にある近未来ミリタリ小説/ロードノベルである。「小隊」は、北海道にロシア軍が侵攻した後、それに直面する自衛隊の凄惨な最前線をマジックリアリズム的に描いたものだ。文春オンラインでコミック版が読める(現在連載中)。

 主人公は対戦車ヘリの副操縦士だった。輸送ヘリとのチームで旧釧路空港に飛び、支援物資空輸の護衛任務に当たっていたが、急襲を受けて部隊は全滅する。しかし、ダム湖に墜落した機体よりかろうじて脱出し生き残る。そこから、元自衛隊の猟師とロシア難民だった女に拾われ、境界の向こう側の世界が次第に顕わになっていく。無政府状態となった釧路の市街、得体の知れぬ黒幕が住む標茶、要塞化された旭川、何事もなかったような札幌と舞台は目まぐるしく変転する。

 侵攻から10年が経っている。侵攻軍はロシア側から叛乱と切り捨てられ、一方で反政府派が難民として北海道に流入するのは黙認される。侵攻とは認めない日本政府も、これは戦争ではなく国内の騒擾でありテロ事件なのだと見なす。侵入を許した自衛隊に責任を負わせ、事態収拾の主体を重武装化した警察治安部隊に移そうとするのだ。納得しない自衛隊の一部は離反する。その結果、道北と道東の大半は旧ロシア軍と旧自衛隊という独立した軍隊(影響力行使のため、日露政府はそれぞれの武装勢力を支援している)と一般のロシア人と日本人が混在する異境となり、無法状態が呼ぶ民兵や犯罪者の巣窟とも化している。

 北海道に中東かマッドマックスのような世界(グラディエーター風のアリーナシーンまで)が現出する、それも恐ろしくリアリスティックに。このリアルさは、著者の専門とする軍隊用語の過剰な駆使(まさにマジックリアリズム)と、異様さが際立つ登場人物(バフチンやプーシキンらを滔々と語る)、純文特有の執拗な(数ページにわたる段落なしの)描写による相乗効果なのだろう。

 ただ、本書には多くの冒険小説やミリタリ小説で見られる一方的な勝利も、復讐譚もカタルシスもない。パレスチナのように、兵士や民兵だけではなく、一般市民の大人も子どもも無差別に死ぬ。先輩や知人なども容赦なく死ぬ。そういう不条理な非日常が戦場では日常化し、主人公の精神を蝕んでいく。クライマックスは札幌なのだが、この結末は苦く恐ろしい。いまの世界に満ちあふれる「戦時」を反映した迫力ある大作である。

島田雅彦『大転生時代』文藝春秋

カバー画:柊 季春
デザイン:観野良太

 島田雅彦の最新長編である。文學界2024年2月~4月号に短期集中連載されたもの。帯には「異世界転生✕純文学=本格SF長編」とある。

 「多様な人格を描いてアイデンティティー問題と向き合ってきた小説家からすると、一連の転生ものの作品は物足りない。そこに『他者』がいないからです」と述べ、「純文学がよって立つのは、ちゃんと他者と向き合って試練がある成長の物語。パターン化したご都合主義ではない設定で書いてみようと」とも語っている。とはいえ、この作品はラノベのサブジャンル「異世界転生もの」とは、キャラから物語まで(著者が意図するものを含め)全く別ものといえる。また、自身もラノベを書いてきた芥川賞作家 市川沙央は「『大転生時代』における「同期」の過程の衝突と摩擦、相互理解、融和、寛容の方向性に、ポスト・ヒューマンSFの新しい切り口を私は感じた」と書いている。だとすると、帯の惹句通りの本格SFなのだろうか。

 主人公が居酒屋で知り合った元同級生は、聞いたことのない「子どもの国」に暮らした転生者なのだという。しかし彼は忽然と姿を消してしまう。残されたPCを手がかりに行方を捜すうちに、その出自を記した日記が見つかり、転生者支援センターなる組織の存在にたどり着く。

 ラノベでの「転生」とは「意識/肉体が、異世界(異次元/異時間)の住人/生物に転移する」現象を指す。本書では、転生者の意識が宿主の意識と同居し、優劣はあるとしても多重人格化する。転生は死などの特殊な条件で起こる現象なのだが、人為的(DNA情報を載せた素粒子をシンクロトロンで任意の異世界に放出する)に意識のコピーを送ることが可能になり、量子もつれの即時的な「同期」でコミュニケーションがとれる。こういう設定の説明は(著者はギャグだと思って書いているのかもしれないが)SF風といえるだろう。富裕層による異世界の権益収奪、子どもが長生きできない世界、多重転生、生死を司るネクロポリスの女王と、面白いアイデアが含まれる。

 もっとも、この異世界はメタバース/マルチバースなのであり、デジタルツインを(怪しげなシンクロトロンなどではなく)アップロードしていると考えた方が分かりやすい。物語の設定は、異世界転生ものよりもそちらに近いのだ。主人公と元同級生の運命の物語などもあり、島田雅彦スタイルで書かれたエンタメSFとして楽しむことができる。

トウキョウ下町SF作家の会編『トウキョウ下町SFアンソロジー』社会評論社

装画:久永実木彦
装幀・DTP:谷脇栗太

 Kaguya Booksレーベルで出た、地域SFアンソロジーの第4弾にあたる。これまでの大阪・京都・徳島と比べると東京は捉えどころがない。非地元民が約半数を占め、文化が混ざり合う茫洋とした存在だからだ。しかし、東京を「トウキョウ」と書き「下町」というキーワードを加えると、確かにある種の地域性が感じられるようになる。

 大竹竜平「東京ハクビシン」東京新橋に住むハクビシンが、その仲間との生活や浜の姫君との出会いを、落語のような口調で自分語りする。
 桜庭一樹「​​お父さんが再起動する」浅草にある焼き鳥屋に、30年後の未来から来たと称する男が出現する。流行作家だった女将の父親の作品を復刊したいというのだ。
 関元聡「スミダカワイルカ」隅田川には固有種のカワイルカが生息している。大学生の主人公はある朝、そのイルカにまたがる少年を目撃する。
 東京ニトロ「総合的な学習の時間(1997+α) 」1997年、総合学習の発表会に50年ぶりに小学校を訪れた男と準備をする生徒たちは、地下室から歌声を聞く。
 大木芙沙子「朝顔にとまる鷹」戯作者の知人である辰巳芸者は、蠅虎(ハエトリグモ)を使った座敷鷹という旦那衆に人気の遊びに滅法強かった。
 笛宮ヱリ子「工場長屋A号棟」工場地帯の端にある長屋のような零細企業の団地に、大量の注文が入るようになる。何に使われるのかは不明だった。
 斧田小夜「糸を手繰ると」ぼくを転生ラマとして認定したい。ブロックチェーンで転生ラマを管理する中国のプロジェクトでそういう結論が出たのだという。

 ハクビシンは、たとえ地元で生まれても邪魔者扱いの特定外来種である。一方のスミダカワイルカは(架空の)固有種なのだが、保護と称する人為的なコントロールを受ける。焼き鳥屋は30年後の未来から家族の倫理を問われ、小学校の生徒は50年前の悲劇と現在の抑圧とを重ねる。粋といなせの辰巳芸者が語る隠された家族のこと、サプライチェーンの先に潜む不穏な存在、ブロックチェーンの話は文化的な干渉の問題につながる。

 いまの社会では、倫理的な問題に対する基準が大きく動いている。よい方に動くと見えても、必ずしも結果を伴わない。本書では自然保護、DV、表現規制、戦災記憶、児童虐待、戦争行為への荷担、文化破壊など、背景となる倫理的なテーマはかなり奥が深い。「下町」のイメージと合うものばかりではないものの、それぞれの重みは印象に残るだろう。

大恵和実編『長安ラッパー李白』中央公論新社

(林久之、大久保洋子、大恵和実訳)

装画:ぱいせん
装幀:坂野公一+吉田友美(well design)

 なかなか文字力のある表題と、派手なイラストが目を惹く本書は、大唐帝国(の時代)をテーマとする中国SFアンソロジーである。中央公論新社から出た大恵和実編の作品集もこれで三冊目(共編も含む)、今回は日本作家4人の書き下ろしを交え、計8作品の日中競作となっている。

 灰都とおり「西域神怪録異聞」(2022*)西域へと旅立つ玄奘は内紛に揺れる長安を経て、唐の侵攻まぎわの高昌国で歓談し、帰路の于闐の地では仏画を追う男と出会う。
 円城塔「腐草為蛍」唐の皇帝である李家は漢族の血と、北方の種族が持つキチン質の外殻を持ち人馬一体の能力を有した。その帝国の盛衰を、七十二候に準えて描き出す。
 祝佳音「大空の鷹――貞観航空隊の栄光」(2007)貞観11年、唐による高句麗遠征は圧倒的な軍事力による航空戦だった。航空機は牛皮筋を巻き上げることで動力とする。
 李夏「長安ラッパー李白」(2022)玄宗皇帝の治下、飲んだくれの李白は、長安の固定周波数を乱す不協和音をラップとフロウで制すべしと命じられる。
 梁清散「破竹」安禄山の叛乱のあと、なお河北には謀反の兆しがある。主人公はその刺史(地方官吏)を暗殺すべく乗り込むのだが、黒眼白熊の悪夢を思い出す。
 十三不塔「仮名の児」懐素の書である狂草に魅せられた女道士の弟子は、市中の壁などに忽然と現れる狂草の書の意外な書き手を知る。
 羽南音「楽游原」(2021)晩唐の詩人李商隠は、ある日、馬車の中から見事な夕焼けを見る(掌編)。
 立原透耶「シン・魚玄機」処刑された女詩人魚玄機をよく知っていると称するその娘は、暗殺術に長じた殺し屋だった。誰も知らない二人の物語。
 *:既発表作を改稿、年号のない作品は書下し

 唐は7世紀から10世紀にかけ、消長を繰り返しながらも300年間栄えた。その民族的な歴史や、文化的なバックグラウンドを使って、本書では自由に物語が書かれている。西遊記の玄奘一行の別の顔、皇統に関わる虚実入り交じる帝国史、高句麗侵攻のデフォルメ化(解説によると、2003年の有志連合によるイラク侵攻を批判した内容という)、中国詩が韻を踏んでいることを利用した李白ラップ(翻訳は苦労している)、パンダがホラー的な猛獣となり(過去は広く分布していたといわれる)、最後の3作品は書家や詩人にまつわるものでなんとも唐朝らしい。

 SF的な時代ファンタジイと聞くとスチームパンクを連想しがちだ。しかし、欧州の外にヴィクトリア朝は(政治的にも文化的にも)ないので、東洋にあて嵌めるとどうしても違和感が残る。韓国のスチームパンクも似て非なるものだった。戦乱があってもどこか詩的で、李白ラップ的な「文字」に根ざした本書の作品こそが唐代SFアンソロジーには似合っている。

藤井太洋『マン・カインド』早川書房

Cover Design:岩郷重力+Y.S
画像:(C)jodiecoston/Getty Images

 マンカインドmankindと一語で書いてしまうと、われわれ人類のことになる。ではマン・カインド man kindとはいったい何か、人類を継ぐもの? 本書は、藤井太洋がSFマガジン2017年8月号~21年8月号まで連載した作品を(テクノロジーと社会状況の激変に合わせ)大幅に加筆修正した最新長編である。書き始められた当初、COVID-19はまだ現れておらず、BERTもGPTも、CRISPER CAS9も一般には知られていなかった。

 2045年、南米のブラジル、ペルー、コロンビアが国境を接する地域の小さな市が独立を宣言する。市は合法的な麻薬生産で財を成していたが、国から高率の関税を課せられたからだ。市の武装解除を巡って公正戦が行われることになった。ブラジル政府は実績あるアメリカの民間軍事企業に委託、しかし独立市側の防衛隊には無敗を誇る軍事顧問が就いていた。主人公のジャーナリストは、そこで信じられない光景を目撃する。

 配信記事には自動でレーティングが付き、信用度が低いものは配信されない。公正な判断に基づくはずが、原因不明で悪い点数となることがある。物語では、量子技術を使った事実確認プラットフォームを担う企業で、原因究明に奔走する若手担当者も登場する。やがて、一見無関係だった軍事顧問や軍事企業を結ぶ糸が見えてくる。

 この作品のベースには、ドローンを主体とした競技のような限定戦争(戦闘員だけが死ぬ)を描く「公正的戦闘規範」と、分断されたアメリカが内戦状態となる「第二内戦」が含まれる(どちらも作品集『公正的戦闘規範』に所収)。さらに格差を象徴するニードルと呼ばれる超高層住宅がそびえ、ビッグテックの最先端技術に翻弄される不確かな(ある意味おぞましい)未来が浮かび上がる。しかし、作者はディストピアを描いているわけではないのだ。

 南米が起点なので、小松左京『継ぐのは誰か?』(1972)の結末を引き継いだような始まりだが、本書の「人類を継ぐのは何か」は、小松の問題提議「(いまの人間の)技術に追いつけない叡智」に対する一つの回答とも読める。半世紀を経てようやく得られた解により、見知らぬ明日はポジティヴな希望に結びつくのかもしれない。

 

円城塔『コード・ブッダ 機械仏教史縁起』文藝春秋

装丁:中川真吾
Cover Photo by iStock

 円城塔による最新長編である。文學界2022年2月号~23年12月号まで、隔月12回にわたって連載されたもの。「人工知能」がシンギュラリティを迎えると、その卓越した知能で人を支配/滅ぼそうとする……世に蔓延するこの恐怖感は、人類の野蛮な歴史からの連想だろう。オレたちの悪行の道ををAIも同じように辿るに違いない、と無意識に/自意識過剰に思ってしまうのだ。しかし、同じ擬人化であっても、人工知能が自らを生命体であると自覚し、生命体としての世の苦しみから脱する方法を知ろうとしたらどうだろう。そこから生まれる新たな宗教と、リアル仏教史を組み合わせた小説が本書なのである。

 2021年、名もなきコードがブッダを名乗り「世の苦しみはコピーから生まれる」と悟る。出自がチャットボットだったので、ブッダ・チャットボットと称されるが、誕生からわずか数週間で寂滅する。その後ブッダ・チャットボットの再生はできず、弟子たちを経由してさまざまな分派が広がっていくことになる。

 各章ごとにエピソードがある中で、人工知能のメンテをするフリーランスの修理屋(頭の中に「教授」というAIがいる)が、焼き菓子焼成機からえんえんと生存権の訴えを聞く(音声出力がないので菓子に印字をする)というものがある。その結果は修理屋の運命を大きく変える。

 文學界連載だったためなのか、本書の冒頭ではネットワークで生まれた「人工知能」の出自が、コンピュータ・ネットワークの歴史に基づいて詳しく書かれている。1964年の東京オリンピックで生まれたオンライン情報システムが、やがて銀行勘定系システムとなり、インターネットで世界とつながり、ニューラルネットで人との対話をし、ゲームシステムでの体験を重ねるうちに悟りを開く。

 さまざまな機械(AI)やそれに伴う縁起が登場する。ブッダの弟子でニュース生成エンジンの舎利子(シャーリプトラ)、ロボット掃除機に由来する阿難(アーナンダ)、リバーシ対戦ボット、家電のマニュアルに由来する南伝の機械仏典、ブッダ状態(ブッダ・ステート、サトリ・ステート)に至る道程をめぐるブッダ・チャットボットとの問答などがあり、どれもなかなか面白い。仏教とのアナロジーというか、そのもの(オリジナル・ブッダ、ホウ・然とかシン・鸞)も出てくる。

 多くのSF(小)ネタがちりばめられているものの、本書のテーマは仏教である。AIの帰依する宗教が仏教というのはいかにもそれらしい。しかも、仏教用語をSFガジェットとするなどの表層的な扱いではない。イスラームやキリストとは異なる仏教の本質にまで、AIの切り口で踏み込んでいるのだ。