斧田小夜『では人類、ごきげんよう』東京創元社

Cover Illustration:riya
Cover Design:岩郷重力+T.K

 第10回創元SF短編賞(2019)受賞作「飲鴆止渇」を含む6作品を収めた短編集。紙魚の手帖、ミステリーズ!、《NOVA》などでの掲載作と書下ろし表題作を含む。受賞後時間を経ているが、著者はその間にも着実に作品を書いてきた。本書は2022年に出た『ギークに銃はいらない』に続く第2短編集となる。

 麒麟の一生(2023)ヤマタノオロチから酒を学んだ彼は、漢の武帝の元に降り立ち、白馬の麒麟として崇められる。ところが酒を呑むばかりで何の役にも立たない。
 飲鴆止渇(2021)田舎出身で兵士となった主人公は、首都の警備のため民衆で埋め尽くされた広場に派遣される。やがて、その上空に羽に猛毒を持つ巨鳥、鴆(ちん)が舞う。
 ほいち(2024)赤間神社の駐車場に駐車禁止の張り紙で覆われた車が見つかる。ここは耳なし芳一の怪談で有名なところだが、なぜ自動運転車がそんなことに。
 デュ先生なら右心房にいる(2023)開発基地で人がもっとも行き来する右心房に、変わった老医師がいる。かつて開発に必須とされた宇宙ロバ驢䍺(ロカ)の専門家なのだ。
 海闊天空(2021)南の海底都市から離れ、北の再生工場で働くようになった少女は、やがて遊牧民の青年と結ばれ子どもを作る。その子が土に埋まっていた像を掘り出す。
 では人類、ごきげんよう(書下し)太陽系外から飛来し、小惑星帯で自立的に停止したアンノウンを探るべく、プロジェクト・イリスから人工知能が派遣される。

 ファンタジイかと思うと焦点はそこにはなく(冒頭の作品では、ヤマタノオロチ、漢の武帝と続いてから結末で急転する)、寓話なのかと思っていると政治的な近未来サスペンスとなったりする。高山羽根子にも意外性はあったが、著者のベースはIT/理系なので、SFだったらこうなるはずだとの常識を外しにかかる。自動運転車が耳なし芳一になる「ほいち」もそうだが、表題作は特に顕著だろう。長大で極薄の物体とのファーストコンタクト、壮大な探査プロジェクトの発動、人工知能(「弊機」のような独白)の登場ときて、アンノウンの目的がこれ……となるのは、やっぱり著者独特の発想力なのだと思う。

関口聡『摂氏千度、五万気圧』早川書房

Cover Illustration:富安健一郎
Cover Design:岩郷重力+S.I

 第13回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作。今回は大賞はなく、優秀賞と特別賞各1作という結果だった。著者の関元聡は、既に短編での受賞歴(第9回第10回の星新一賞グランプリ)がありアンソロジイへの寄稿もしているプロの作家である。どんな長編を書くのかと注目度も高かった。

 温暖化が進む地球にどこからともなく宇宙船が現われ、各地に断熱密閉ドーム「コクーン」を建造してまた飛び去る。それは灼熱地獄から人類を生存させる砦となり、宇宙船は〈救済者〉と呼ばれるようになった。しかし、気温が100度近くまで上昇するドーム外の環境では人類は生き残れず、コクーン内のエリートたちを残して死滅してしまう。それから数百年経った未来、世界各地のコクーンからの通信が次々と途絶する異変が起こっていた。

 この時代の地球は、しかし死の世界ではない。高温に適応した動植物が繁栄し、特殊な生存能力を秘めた女系種族も生きていた。物語はそんな女系種族の2人、コクーンの科学者である1人の女性を軸に進む。火星のテラフォーミングなどをちりばめながら、異変の真相を探る物語でもある。

 選考委員の評価(抜粋)は以下の通り。小川一水:変わり果てた未来世界での、黙示録的な長旅の風景はSFというに相応しく、やや複雑だが構成力に富んだ話作りを認めて全員が一定の評点を付けた。神林長平:ストーリーはよく出来ていて構成も上手いのだが、この物語の設定を読者に納得させる力が弱い。菅浩江:真っ向勝負のSFで嬉しかったです。(中略)文章表現も巧み、ネタもよく処理もよい。細かい傷をつぶした後の書籍化が楽しみです。塩澤快浩:SF的なアイデアや精緻な自然描写は素晴らしかった。一方で(中略)クライマックスへ向かっていく感興に乏しい点が残念だった。

 長所、短所に対する指摘については、各選考委員の意見はほぼ一致しているようだ。修正ポイントは明らかなので、書籍化された本書はどうなのかと思って読んでみた。標題はクレメント的なハードSFを連想させるが、そういうものより人間寄りの物語である。超温暖世界で特殊進化した人類(特殊化された地球)と、火星に行くしかない旧来の人間とが共存できるのか。それはまた、過酷な母系社会の母娘と、文字通り閉じられた旧社会の父娘との相克をも描く。この著者の場合、興味の中心は「物理」よりも「環境」にあるのだろう。そういう本来のテーマがより明瞭に示された仕上がりだった。

酉島伝法『無常商店街』東京創元社

Cover Illustration:カシワイ
Cover Design:小柳萌加(next door design)

 「紙魚の手帖」掲載の2作品に、書下ろし中編を加えた連作中短編集である。舞台はこれまでのような異星ではないが、われわれの知る日常とは異なる「無常」の世界。今回の登場人物は異形の姿でこそないけれど、やはりふつうの人ではない。異能を秘めた人間なのだ。

 無常商店街(2021)翻訳家を職業としている主人公は、アパートで猫の面倒を見るよう姉から命じられる。無常商店街の調査に行って留守になるからという。アパートは浮図市掌紋町にあるが、厚生労働省の要観察地域になっているらしい。
 蓋互山、葢互山(2024)町が気に入って住むことにした主人公に、姉から今度は商店街の奥底で人を惑わす黒縁眼鏡の男を引きづり出せと指示が下る。その男を連れて行く先が不束市にある蓋互山なのだ。
 野辺浜の送り火(書下ろし)主人公は、またも姉に今度は海辺の千重波市野辺浜町へと呼び出される。しかも式典に出席する準備をしていけとの伝言が。何の式典なのかは分らない。目的地は海鮮を扱う賑やかな商店街を抜けた先にあった。

 無常商店街は次々と姿を変える。うかつに深部に踏み込むと二度と元へは戻れない。(ある種の)次元断層(のようなもの)を転がり落ちていくと、地名どころか言葉も、土地の習俗さえもが変化し、得体の知れないものが次々湧き出てくる。そこを主人公は(よく分らない)異能によって切り抜けていく。

 「皆勤の徒」は著者が勤め人だった頃の体験が魔改造されたもの、『宿借りの星』は人類の未来と地続きだった。つまり、異様には見えても現存する世界との接点がある。本書でも、著者が世界を旅して体験した異文化(イスタンブール)や東尋坊商店街とかが創造の源になっている(巻末対談を参照)。連作集『ゆきあってしあさって』で夢想した架空の都市を、活気があった時代の庶民的な商店街や、ローカルな観光地の光景に投影した作品といえる。そういう意味では今どきの怪談に近いが、日本的な因縁話には(なりそうで)ならない。

高田漣『街の彼方の空遠く』河出書房新社

装幀:大島衣堤亜
装画:マッチロ

 6月に出た本。音楽のマルチプレーヤー高田漣による初の長編小説である。「SF的青春私小説」とあるので読んでみた。全部で3幕(章)から構成されており、第2幕、第1幕、第3幕の順番で「ケヤキブンガク」に発表し(《吉祥寺三部作》と称している)、さらに補筆(幕間を追加)改稿したものという。

 キャプテン・フューチャーへの救助信号を夢想する少年で幕が開く。1994年7月、主人公は『44/45』と記されたフロッピーをサンプリングする。そこから、1942年のドイツで原子爆弾を開発する研究者が日本視察を命じられる物語や、どことも知れない異世界/並行世界/近未来で永遠の生と引き換えに生存権を失う市民たちのお話が断片となって現われてくる。

 90年代末(世紀末)の高円寺、吉祥寺、三鷹などの風俗描写、音楽シーンは通奏低音のように作品全体に広がっている。一方、第2幕では、1921年から始まるエピソードと近未来の物語の短章に文学作品や歌の表題がランダムに付けられ、第3幕では、サンプリングマシンのパラメータ設定コマンドがそこに重なり合ったりする。

 確かにSF的フィクションと私的体験(これもフィクションかも)とが混じり合っている。幻想と現実とが(章立てされているとはいえ)シームレスに溶け合っていて判然としないが、吉祥寺界隈とか90年代音楽とか、それらに親しみ/ルーツを持つ読者には(基盤となるリアルがあるから)最適な案配かもしれない。ある意味、読み手を選ぶ作品だろうと思う。

小川哲『火星の女王』早川書房

装幀:川名潤

 12月放送のNHKTVドラマと連動する書下ろし長編である。いわゆるノヴェライゼーションではなく、2022年から始まったプロジェクトの結果だと著者は書いている。『火星のプリンセス』を連想させる標題だが、バローズより東浩紀に近い人間の物語といえる。

 22世紀、一人の学生が火星から地球へと向かう大型宇宙船に搭乗しようとしている。フォボスまで往還船で上がり、惑星間宇宙船に乗り換えるのだ。出発はなぜか遅れていた。その少し前、民間会社に所属する一人の生物学者は、火星の地底湖で奇妙な結晶構造物質スピラミンを発見していた。

 火星植民が始まってから40年が経過、今ではコロニーも13に増え人口10万人を数えるまでになった。ただ、火星経済を支えてきたISDA(惑星間宇宙開発機関)による事業は採算が悪化、撤退を段階的に進めようとしていた。民間会社所属のコロニーを筆頭に、多くのコロニーは反対の立場を表明する。そこに戦略的な価値を秘めた結晶物質発見のニュースが飛び込む。思惑を抱えた地球と火星双方は、それぞれの立場で動き始める。

 登場人物は、視力を失った大学生(女)、種子島で働くその友人のISDA職員(男)、非常勤で仕事を掛け持ちするコロニーの自治警察官(女)、過去にわだかまりを抱えた生物学者(男)、地球から移住してきた予測不能の大富豪(男)、さらにはISDAの官僚的な幹部たちなど多数。火星と地球の間には(最接近時でも)光で5分の距離がある。それは物理的な距離ばかりではない。現在のグローバルサウスとノース(G7)の国際関係の距離、民族差別など感情的な距離を象徴するものなのだ。物語では、弱者だった人物が「女王」と呼ばれて、混乱を収拾する象徴となる。脇役に憎めない個性的な人物を配し、殺伐となりそうな物語を和らげているのも面白い。

 火星のコロニーは地下にある。『火星の人』のような地上大移動シーンはあまりなく(少しはある)、宇宙ものでも《エクスパンス・シリーズ》の密室(宇宙船とか小惑星)群像劇に近い。本書では、自治警察官が探偵役だ。スピラミンは量子的な性質を持つ架空の結晶なのだが、量子では生命と言えなくなるため、あえて分子と設定したのだろう。

乾緑郎『私たちに残されたわずかな永遠』祥伝社

イラスト:ゴトーヒナコ

 乾緑郎の書下ろしSF長編。物語は2130年の月基地ルナアークと、教会暦918年の田舎町ドゥマレという2つの小さなコミュニティを並置して進められる。百年後の未来と、どことも知れない異星を描くという本格的なSFになっている。本文中のTANSTAAFLはハインラインからの引用とのこと。

 ルナアークには7000人ほどの居住者はいるが、18才未満となると百人しかいない。主人公の少女はそのうちの1人だった。ある日、あまり知らない男の子からオープンマイクのイベントに誘われ戸惑う。一方のドゥマレは炭鉱の町だ。主人公の少女は、鉱夫の父親と暮らしている。ただ、父が自分の本当の親でないことは聞かされていた。

 物語のプロローグで不穏な動きが伝えられる。月の生命線だった軌道エレベータが、核テロにより破壊されたというのだ。やがて、それは閉鎖環境の日常を揺るがし始める。ドゥマレにはアッザという蟻のような社会性生物の巨大な巣がある(アッザは大型犬ほどの大きさがある)。2人の少女という以外、どこにも共通点が見られないお話は、中ほどを過ぎたあたりで接点を持ち始める。用意されたネタの多くは宇宙SFでおなじみのものだが、閉ざされていく明日/拓けていく未来という対称形に主人公たちを置いた設定は面白い。

 オープンマイクのイベントでは、男(ギター)女(ボーカル)2人はシンディ・ローパー「タイム・アフター・タイム」を歌う。歌詞の「何度も何度も失敗して(踏み外して)も、それでも受け入れる」という雰囲気が、本書の物語に反映されているようだ。

日本SF作家クラブ編『恐怖とSF』早川書房

カバーイラスト:緒賀岳志
カバーデザイン:岩郷重力+Y.S

 日本SF作家クラブ編のオリジナル・アンソロジー第6弾。このアンソロジーの特徴として、テーマが「時代を象徴する単語+SF」と、とてもシンプルで分かりやすい点があげられる。その分、著者の解釈も幅広く多彩になり、反面(読者にとって)とりとめがなくなる。サブテーマ的なキャプション(幽霊のゆくえ/身体のゆらぎ/侵食する獣/進化する人怖/物語の魔/異貌の歴史/地獄にて/彼岸の果て)で分類されているのは、小さなまとまりを作って内容にヒントを与える意図があるのだろう。

幽霊のゆくえ
  梨「#」幽霊を自動観測する機械がアーカイブした映像の数々。柴田勝家「タタリ・エクスペリメント」不審死が起こる土地で発見された磁性細菌は、タタリ細菌と呼ばれるようになる。カリベユウキ「始まりと終わりのない生き物」ダークウェブの奥底、そこに行ったまま帰ってこない女は幽霊となったらしい。
身体のゆらぎ
 池澤春菜「幻孔」自らを深層量子ダイブの実験台とした科学者に体の異変が生じる。菅 浩江「あなたも痛みを」痛みを体感する機械が作られ担当者は嗜虐的な実験を続ける。
侵食する獣
 坂永雄一「ロトカ=ヴォルテラの獣」中学校の夏休みに計画された「プロジェクト」は、狩るものと狩られるものの関係へと変貌していく。小田雅久仁「戦場番号七九六三」夫婦間の約束を果たそうと都心に出た主人公は街を飲み込む大変容に巻き込まれる。飛鳥部勝則「我ら羆の群れ」姉を「羆」に殺された男は猟師と共に獣を狩ろうとするが。
進化する人怖
 イーライ・K・P・ウィリアム「フォトボマー」DMで知り合った男は信頼できそうに見えたが、ある趣味が気になった。平山夢明「幸せのはきだめ」その連続殺人犯は、同一人物と思えるのに監視カメラの映像がそれぞれ違って見えた。
物語の魔
 小中千昭「現代の遭遇者 The Modern Encounter」動画投稿サイトの配信者は、ファンと称する男からUAPとの〈遭遇〉ネタを聞かされる。空木春宵「牛の首.vue」JavaScriptのフレームワークで書かれた怪談「牛の首」とLLMとの関係。牧野 修「初恋」大学で出会った気の合う彼女への告白は、予想外の答えを産み出した。
異貌の歴史
 溝渕久美子「ヘルン先生の粉」日本統治下の台湾では、製糖産業を発展させるための労働力が不足した。それには粉が有効だった。篠たまき「漏斗花」高天原の足踏み場と呼ばれる土地の出身者は、漏斗花を通じて故郷に帰還することができた。
地獄にて
 久永実木彦「愛に落ちる」学生時代に意気投合して共同研究者になった二人だが、実際は片方の天才的な能力に依存する関係だった。しかし重大な事故により二人は「落ちる」。長谷川京「まなざし地獄のフォトグラム」異界が現れる。そこには地獄が見え、まだ生きている者の罪が映し出される。
彼岸の果て
 斜線堂有紀「『無』公表会議」死のあとには「無」しかない。それを公表するか否かの議論が続く。飛 浩隆「開廟」〈破次元境界〉を越えて移住知性体が越境してくる。正体はまったく不明だったが、その言語により人類は大きな恩恵を受けていた。新名 智「システム・プロンプト」カーティスと親しく会話するミーコ+人工知能Curtisに対するプロンプトの関係。

 SFプロパーによるホラー、ホラー作家によるSFという、方向性の異なる2種類(厳密な区分けではない)の作品が読める。たとえば、「まなざし地獄のフォトグラム」での異界と「開廟」の境界、どちらも正体不明ながら、その根拠を宗教的な因果とするか物理的な不可知とするかの違いがある。他では「幻孔」「あなたも痛みを」が生理的な恐怖もの、「ロトカ=ヴォルテラの獣」「ヘルン先生の粉」は新たなゾンビものだ。IT業界の著者が多いのか、本文中にコードが書かれたものもある。

 「システム・プロンプト」では、共感とか感情とかの議論も含めて、今時点でのAIがストレートに描かれている。問いかける先(プロンプトの相手)は誰なのか、相手も/自分もAIではないとどうやって証明できるのか。きわめて現代的な恐怖(『AIとSF』でもいいけど)なので、順番として結末に置くにふさわしい作品だろう。

眉村卓『幻影の構成』小学館

装丁:おおうちおさむ 山田彩純(ナノナノグラフィックス)

 P+D BOOKS版の眉村卓作品はこれで4冊目になる。原著は、1966年に早川書房の《日本SFシリーズ》の一環として書き下ろされたものだ。作家専業となった翌年に出たもので、著者の第2長編かつ3冊目の単行本になる。

 2020年の世界、主人公は第八都市の住人だった。市民はイミジェックスと呼ばれる情報端末に支配され、ふだんの行動や購買意欲までコントロールされている。不満を感じた主人公は、支配する側の中央登録市民に成り上がろうとする。しかし、ある事件をきっかけに、社会の隠された一面を知ることになる。

 (書かれた当時から)60年後が舞台。その社会は、複数のコンツェルン(財閥企業)によって支配されている。第八都市は、中央本社の統制下にある植民地的な地方都市である。その支配の要となるのがイミジェックスで、絶え間ない囁き(ツィート?)によって、コンツェルンの従順な生産者/消費者となるよう人々を操っている。しかも、より上位の支配者がいて……。

 煌びやかな中央と寂れた地方、情報を握る企業に権力が集中し、コンピュータによるネットが人心や欲望を制御する。形態こそ違うものの(上位の支配者もソフト的なバグだと思えば)、これらはすべて現実化したとみなせるだろう。主人公はイミジェックス・システムの破壊を試みるが、大規模な反攻にはイミジェックスを利用するしかないと悟るようになる。だが、それでは自由から遠ざかるばかりだ。単純な抑圧と革命の物語ではないところが、いかにも著者らしい。

笹原千波『風になるにはまだ』東京創元社

ブックデザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。
装画:竹浪音羽
装幀:小柳萌加(next door design)

 2022年の第13回創元SF短編賞受賞作「風になるにはまだ」を含む、著者初の短編集。6編の収録作品のうち半分は書下ろしで、その設定や登場人物を共有する連作短編集でもある。著者は高校時代に読んだ印象に残るSFとして『ハーモニー』を挙げ、『わたしたちが光の速さで進めないなら』に共感すると話す(ネット配信番組の「読んで美木彦」)。

 風になるにはまだ(2022)先方の希望する体型とあたしはぴったりだった。情報人格になった依頼主に体を貸し、現実世界のパーティに参加するというバイトなのだ。
 手のなかに花なんて(2023)好きだった祖母が情報人格になり、孫の主人公はアバターを使って訪問する。それは祖母の認知症のリハビリのためでもあったのだが。
 限りある夜だとしても(2025)カメラマンの主人公が高校時代からの友人と久しぶりに食事をする。不器用な自分に比べれば完璧すぎる友人だった。
 その自由な瞳で(書下し)瞳でしか意志を伝えられない彼は、仮想世界では自由に動ける。私は高校を出たあと引きこもり、家から出られなくなった。
 本当は空に住むことさえ(書下し)仮想世界に住む著名な建築家と手伝いをする設計士に、土地を管理する役所から思いがけない提案がなされる。
 君の名残の訪れを(書下し)仮想世界ができる黎明期、同居していた友と移住した主人公だったが、その友は散逸で亡くなってしまう。

 ある作品での主人公が次のお話にカメオ出演したり、あるいは脇役が主役になって出てきたりといった形での連作になっている。舞台は情報人格が住む仮想世界と、VRやディスプレイで結ばれた現実世界で、この設定は共通する。

 LLMが話題になるほんの少し前、全脳エミュレーションとかマインド・アップローディングの議論がいろいろ行われたことがある。人の脳さえ完全にデジタル化されれば、ネットのインフラ(あるいはロボットの肉体)がある限り永遠に生きられるのではないか、という考え方である。本書では、それが実現した(といっても大きな社会的変化のない)未来が描かれる。

 重い病や高齢だけでなく、さまざまな動機で人々は仮想世界への移住を決意する。しかし、万能に見えた世界にも限界がある。永遠のはずの情報人格に「散逸」という死が訪れるのだ。そのため、仮想世界はあまり現実世界と違いすぎないように作られている。味覚や触覚さえ再現される。

 人の機微を表現するのに最適な設定と文章だろう。中高年と若者、祖母と孫、男と男、体の病と心の病、師(女)弟(男)関係、女と女と、いかにも現代的な関係性が描かれている。標題の「風になるにはまだ」とは、まだ風になる(=散逸)を受け入れずに生きてみる、という意味になる。ただ、ここまで現実と相似形の仮想世界となると、SFである意義が薄れてしまう。そこがちょっと気になった。

西尾康之『不死』くま書店

表紙:陰刻鍛造、FRP、油絵具:西尾康之《古き心臓をうち捨てたり》2012
装丁:木村貴信+青木春香(オクターヴ)

 精神病理学者の斎藤環が「「とんでもないものを読んでしまった」という感慨は、あの劉慈欣『三体』に優るとも劣らない」と評した長編小説。西尾康之は1967年生まれの彫刻家で、その分野では名が知られているが、10年ほど前に健康を害するほど没頭して書いた小説が本書の原型になった。肉体労働を伴う彫刻家では物理的な制約を伴う(著者は全長6メートルあまりの彫像を作る)が、小説ならばその制約から解き放たれると考えたという(本書の跋より)。

 特進高校は、異能を発現した生徒を集めた施設である。教師の出自はさまざまだったが「不死」の研究者という共通点があった。その中の1人によって開発された腐敗防止体はある種のバクテリアで、その作用により人間は変異を遂げやがて死ぬことがなくなる。分子単位に分解しても蘇生するのだ(この不死のアイデアは、先週紹介した天沢時生の「墜落の儀式」とよく似ている)。

 光子コンピュータHC=Human Chrysalisは、人類を凌駕する不可視の存在となる。250歳の主人公の1人は不死探求の歴史を語る。不死者で満たされた世界では人口が増えない。生活はHCが管理するため人々は芸術/工芸に従事する。やがて「死」奪還の方法論が盛んになる。形態を変えることに執着するものが現れ、自身を本や自転車の姿に変えたりする。その一方、昔ながらの高校や海底都市があり、猫型や人と変わらないアンドロイドがいる。芸術を強要する暴走自治が現れ、外骨格の衣服などが流行り、やがて反HCを掲げて軍の反乱が起こる。

 物語は、KとSというアルファベットで呼ばれる2人が数百年、数千年を生きる物語である。とはいってもステープルドン的な叙事詩ではない。大原まり子『ハイブリッド・チャイルド』川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』などの未来史や、異形の進化を描く筒井康隆『幻想の未来』を思わせる連作とも趣を違える。不死化した人類には(旧来の意味での)時間は流れないからだ。そのためか、攪拌されたエピソードをランダムに取り出すような、おもちゃ箱めいた構成になっている。一貫した物語を読むというより、展覧会の絵画なり彫刻を個別鑑賞するのに近い愉しみ方が適切かもしれない。