大野万紀「デジタルな時代のランドスケープ」『猫の王』解説

  以下は『猫の王』巻末に収録した、大野万紀解説を全文掲載したものです。

 本書は岡本俊弥の、Amazon(オンデマンド)、kindleで出版される3冊目の短編集である。1998年からインターネットで公開している大野万紀のオンライン・ファンジン「THATTA ONLINE」に掲載された作品の中から、2016年から2019年の9編が収録されている。

 ぼく、大野万紀と岡本俊弥のつき合いはもう半世紀近くになる。同じ大学のSF研に、彼は一年後輩として入って来たのだ。
 当初から彼は目立っていた。眼光鋭く、歯に衣を着せぬ物言いをし、実は「寺方民倶」のペンネーム(というかラジオネーム?)でMBSの深夜放送、眉村卓さんがパーソナリティをやっていた〈チャチャヤング〉にショートショートを投稿していたとカミングアウトする。みんな素人ばかりのSF研で、おお、プロだ(プロじゃないけど)と注目を浴びることになる。
 どちらかといえば翻訳や評論が主流だったSF研の中で、本格的な創作に軸足のある彼は異色であり、貴重な才能だったのだ。
 その年の大学祭でうちのSF研も何かやろうということになり、みんなで古本を売ったりしたのだが、彼は一人でタロット占いを始めた。聞くところによるとその占いは情け容赦なく、占ってもらった女子大生がみんな動揺しながら半泣きになって出てきたという。
 SF研で作る会誌は、まだ謄写版印刷の時代で、版下は手書きだった。会員が分担してガリ切りをやっていたのだが、彼の担当部分は正直いってかなりのくせ字であり、読むのに苦労した。タイプオフセット印刷の時代になって、彼が評価の高い多くのファンジンを作り出していったのはそれへの反動だったのかも知れない。
 筒井康隆さんの「ネオNULL」創刊に関わり、その編集をまかされたり、SF大会のスタッフをしたり、そしてSF雑誌に書評を執筆したりするようになったりと、その後の彼の活躍についてはインターネットに公開されているので、そちらを参照されたい

 彼の作品の特色は、その静かでほの暗い色調と、工学部出身で大手電機メーカーの研究所に勤めていた経験を生かした、科学的・技術的、あるいは職業的にリアルで確かな描写、そしてそれが突然、あり得ないような異界へと転調していくところにあるだろう。そしてちょうどグレッグ・イーガンやテッド・チャンなど、現代の最先端の作家の作品に見られるように、現実と仮想、人間の意識とその見る世界とが、相互にずれ合い、重なり合い、干渉し合う、そんなデジタルな時代のランドスケープを描いていくところにあるといえるだろう。

 第1短篇集『機械の精神分析医』はそんな作風が良く現れた作品集だった。たとえシンギュラリティは起こらなくても、人工知能(AI)はわれわれの生活の隅々にまで入り込んでくる。そんな近未来社会の「日常」はどんな姿をしているのだろうか。リアルに構築されたハードSF的な未来像から、ふいに幻想的ともいえるぞっとするような情景が浮かび上がってくる。

 第2短篇集『二〇三八年から来た兵士』は「異世界」がテーマの作品集であり、過去のSF作品を思わせるタイトルが示すように、作者のSFファンとしてのキャリアが前面に出ている。そこでは並行世界や改変歴史、破滅後の世界など、SFでおなじみのテーマが扱われているが、そんな世界に放り込まれた登場人物たちの運命はやはり重く、暗いものとなる。

 本書『猫の王』ではそれらに加え、人間の内部に潜む「獣性」にも焦点が当てられている。それはデジタルで論理的な「意識」の背後にある、生き物としてのベースラインであり、言語化されない叫び声なのである。

 収録作について。

「猫の王」THATTA ONLINE 2016年7月号
 猫の集会を見たことがあるだろうか。ぼくは会社からの帰宅途中、何度か見たことがある。猫たちは何をするでもなく、ただ集まってじっと佇んでいる。主人公は公園で拾った猫の子を飼うことになるのだが、その子こそ「猫の王」だったのだろうか……。
 日常の中の「少し不思議」を描きつつ、遙か遠い過去から連なる人間と猫の関係性を幻視するシーンが美しい。

「円周率」THATTA ONLINE 2017年8月号
 ハードディスクがSSDになり、さらにDNAメモリに置き換わっていく未来。主人公は臨床試験に応募し、DNAメモリのチップを体内に注入される。それにはデータとして円周率が記録されているという話だったのだが……。
 アイデアこそSFでありがちなものだが、この作品のリアリティには作者の専門分野での知識や経験が反映されているのではないだろうか。

「狩り」THATTA ONLINE 2016年11月号
 小学四年生の主人公は彼が心を惹かれる同級生の女の子に白い尻尾があるのを知る。彼にしか見えない尻尾だ。そして中学生のときも、高校生のときも、彼は尻尾のある女性(たち?)に出会い、心を惑わされ、翻弄される。だがそれはどこまでが現実だったのか……。
 人の中にある獣。人の意識が見る世界が現実とは限らないのであれば、その中にいる獣の見る世界はどうなのだろう。

「血の味」THATTA ONLINE 2017年6月号
 遺伝子操作により作られた植物性の人工肉。人口増加により食糧問題が重要になった世界で、その普及は何をもたらすのか……。
 味覚、とりわけ肉の旨みなどというものは、言語的ではなくまさに獣の感性によって判断されるものなのだろう。最新のバイオ技術によりそれが再現されるとき、パラメータからはみ出した部分に何があるのか。作者は仕事でインドに行っていたこともあり、そこでの現実もこの作品には取り込まれているようである。またこれは静かな「復讐」の物語でもある。

「匣」THATTA ONLINE 2017年5月号
 古い住宅地に建つ窓の無い匣のような建物。そこは年老いたコレクターが数え切れないほどの本を集めた書庫だった。役所から来た二人はその迷宮にさ迷い込んでいく……。
 ホラーめいているが、この建物は実在する(ただし現実には地下階はなく、作品はあくまでフィクションだが)。そしてこのコレクターもまた……。それを見てみたいという奇特な方は、こちらを参照のこと。

「決定論」THATTA ONLINE 2018年3月号
 過去から未来へ流れる時間線は一本だけで、その中で起こる全ての事象はあらかじめ決定している。そんな決定論の世界で、人間の自意識は脳内へ〈宇宙線――天の声〉が届くことによって生じるという実験が行われた。主人公はその実験の被験者となるが……。
 あたかもテッド・チャンを思い起こすような作品だが、主人公にとって自由意志の問題は最初の方であっさりと決着しており、むしろこの時間線がどのようにして確定しているのかを知ることが重要となる。もちろん現実の物理学とは異なるが、その思考実験は大変面白い。

「罠」THATTA ONLINE 2018年8月号(「トラップ」を改題)
 家を出ていつもの駅に向かう途中、彼女は見えない壁に阻まれる。彼女以外の誰にも存在しない壁。だがどうしても通り抜けることができない。彼女は自宅から半径一キロの範囲に閉じ込められてしまったのだ。罠。だがその壁に一つの扉があった。その向こうで彼女が知ったのは……。
 アイデアよりもストーリーを重視したという作品である。ごく普通の日常生活が異質なものによって変容する。後半はカート・ヴォネガット作品へのオマージュとなっているが、より現代SF的な味付けがされている。

「時の養成所」THATTA ONLINE 2019年12月号
 遥か遠い未来。〈養成所〉では正しい時間線の乱れを正すための官吏が養成されている。教官に指導され、過去へと向かった一人の官吏は、自分の行っている行為に疑問をいだく……。
 眉村卓「養成所教官」へのオマージュ作品である。SFのテーマとしてはタイムパトロールものといえるが、だが彼らが守ろうとしている時間線とは……。養成所の荒涼とした風景が象徴するように、物語には苦い味わいがある。

「死の遊戯」THATTA ONLINE 2019年5月号・6月号(「闘技場」を改題)
 仮想空間で、機械を操り、互いに破壊し合う戦争ゲーム。そのプレイヤーとしてスカウトされたプロのゲームアスリートだった男は、ゲーム内であり得ないものを見る……。
 原稿用紙にして百枚以上、本書で一番長い作品であり、また非常に複雑な構成をもった作品である。仮想世界の中に構築された仮想世界、その仮想世界の時間軸が交錯し、さらにAIのバグが互いの整合性を破壊する。そしてこの作品はまた、《機械の精神分析医》の一編となっているのだ。

酉島伝法『オクトローグ 酉島伝法作品集成』早川書房

装幀:水戸部功

 著者の第2作品集(著作としても3冊目)で、書下ろしを含め8作品を収める。内訳もSFマガジンなど各種雑誌(5作)アンソロジイ(2作)とさまざまだが、その分、舞台が異形世界で(ほぼ)一貫していた前作までと比べて読みやすいのが特徴といえる。

 環刑錮(2014)親殺しの罪で収監された男は、四肢を失う環刑錮に処せられる。金星の蟲(2014)刷版会社に勤務する主人公は、日常に忙殺されるうちに異界へと転落していく。痕の祀り(2015)顕現体同士の激しい戦闘の後、破壊された町と残された残骸を処理する加賀特掃会の活躍(「ウルトラマン」とのコラボ作品)。橡(2015)月面の魂匣に存在する人格が地球に帰還する。しかし人の姿になった彼らは容易には日常を取り戻せない。ブロッコリー神殿(2016)海に浮かぶ孚蓋樹の森は、ブロッコリーに似た外観を持つ生命の坩堝だった。そこに宇宙船が降下し生物相の調査を開始する。堕天の塔(2017)月面に複数存在する超構造体の発掘に携わるチームが、作業塔の一部もろとも大陥穽に転落する(「BLAME!」とのコラボ作品)。彗星狩り(2017)散開星団(小惑星や彗星)に棲む若い異形の生き物たちが体験すること。クリプトプラズム(書下ろし)街を模した宇宙船がオーロラに似た物質に遭遇する。そこから見つかった生命の痕跡は、培養され再び往年の姿を再現するのだが。

 読みやすいといっても、本書の物語の主人公は(元人間を含め)ほとんど人ではない。蚯蚓のような姿と化した受刑者、しだいに非人間へと変容する零落れたデザイナー、デジタルの存在、異形の森の生命、機械生命、コピー人格などである。設定上の制約があるコラボ作品でも、ふつうに見える人間は、ネットに接続されたものや異質の世界に同化した人々なので、我々とは明らかに違う感性を持つ。

 けれど、非人間にもかかわらず、読んでいくうちに登場人物に対する共感が生まれる。漢字を多用する独特の名詞表現から、初読者にはハードルが高いとされる酉島伝法だが、本書の場合は収録順に難易度が上がる順化対応設計である。冒頭から読んでいくうちに馴染めるだろう。

立原透耶編『時のきざはし 現代中華SF傑作選』新紀元社

装画:鈴木康士
装丁:鈴木久美

 台湾、中国本土を含む17人の作品を収めた、立原透耶編のアンソロジイである。中国語からの翻訳紹介で実績のある編者が、日本読者のためにまとめた現代中華圏SFを網羅する470ページ余に及ぶ大部のハードカバーだ。任冬梅(中国社会科学院の研究者)による詳細な解説付き。

江波(1978生)太陽に別れを告げる日(2016)深宇宙での訓練を終えた最終日に、彼らが学んだ母船が失われる。宇宙に取り残された訓練生たちは決断を迫られる。
何夕(1971)異域(1999)地球の食糧危機を一気に解決した農場で、生産停止の異常事態が発生する。原因を探るため、巨大化した作物が茂る農場に特殊部隊が潜入する。
糖匪(1978)鯨座を見た人(2015)宇宙飛行士となった女の父親は大道芸人だった。しかし、生前評価されなかった父親には、不思議な能力があった。
昼温(1995)沈黙の音節(2017)幼い頃から顎に障害のあった主人公は、音響研究所での研究から、やがて未知の音節の存在を知ることとなる。
陸秋槎(1988)「ハインリヒ・バナールの文学的肖像」(2019)19世紀から20世紀にかけて、オーストリア、ドイツで活動したあるSF作家の不思議な生涯。
陳楸帆(1981)勝利のV(2016)オリンピックが仮想空間で行われることになった。主催者は電脳空間上にオリンポス山を造り会場とする。
王晋康(1948)七重のSHELL(1997)人を完全にヴァーチャル世界に移行させるスーツSHELLを着ると、現実とヴァーチャルの区別は失われる。
黄海(1943)宇宙八景瘋者戯(2016)火星の衛星を改造した宇宙船が行方不明になる。宇宙センターはマイクロ宇宙船による救出を画策する。
梁清散(1982)済南の大凧(2018)百年前の爆発事故を調べていた主人公は、19世紀末から名前が残るある技術者の存在を知る。技術者は有人の大凧を造っていた。
凌晨(1971)プラチナの結婚指輪(2007)ダイアモンドを加工する会社に勤める男は、両親の希望を受け、星際婚姻仲介センターの紹介で異星の花嫁を迎えることにする。
双翅目(1987)超過出産ゲリラ(2017)チョウチンクラゲに似たエイリアンたちは異常に殖え、難民となって街に溢れた。
韓松(1965)地下鉄の驚くべき変容(2003)通勤客で満員の地下鉄が止まらない。駅も見えず、目的地を失ったまま疾走を続ける。やがて乗客たちは変容を始める。
吴霜(1986)人骨笛(2017)主人公は物理学者の実験で時間旅行するが、目的地はいつも五胡十六国時代だった。
潘海天(1975)餓塔(2003)シャトルが不時着し、生存者たちは宗教団体の入植地を目指す。しかしそこは無人で、得体の知れない塔があるばかりだった。
飛氘(1983)ものがたるロボット(2005)王の求めに応じて造られた物語ロボットは、だれも聞いたことのないお話を創造しひたすら語り続けた。
靚霊(1992)落言(2018)宇宙船が立ち寄った落言星には、ほとんど動きを見せない落言人たちがいた。惑星は冷たく、彼らが何を食べて生きているかは不明だった。
滕野(1994)時のきざはし(2017)漢帝国の皇帝のもとを訪れた女の要求は、その功績に反して理解し難いものだった。なぜそんなことを希望するのか。

 作者の生年と作品の発表年を併記した。生年だけを見ても、1940年代2人(このうち黄海は台湾作家)、60年代(劉慈欣の世代)1人、70年代5人、80年代6人、90年代(SFマガジンが提唱する第7世代に相当する)3人と、中国現代SFの全世代を網羅しておりバランスが良い。また、6名は女性である。

 テーマ的には「太陽に別れを告げる日」を初めとする宇宙ものが多く、また清朝末期を描く「済南の大凧」、標題作「時のきざはし」のように中国の歴史に時間旅行者をからめた、日本にはないタイプの作品が印象に残る。トラディショナルなアイデアSF「沈黙の音節」、寓話風の「ものがたるロボット」、スラップステックな不条理SF「地下鉄の驚くべき変容」(ラファティ風?)、風刺の効いた「勝利のV」など、編者の意図通り多様に読める点が面白い。

 作品によっては、長すぎるあるいは短すぎる(説明不足)と感じる部分もあるが、バックグラウンド(常識、SFに対する理解)の差もあるので、中国読者の受け止め方と差異が生じるのは不思議ではない。作者自身の未来(宇宙)、または過去(中国の歴史)に対する視線も注目すべき点だろう。

劉 慈欣『三体II 黒暗森林(上下)』早川書房

三体II 黒暗森林,2008(大森望、立原透耶、上原かおり、泊功訳)

装画:富安健一郎、装幀:早川書房デザイン室

 『三体』からおよそ1年ぶりに三部作の第2作目『黒暗森林』が出た。翻訳SF小説として異例の注目を浴び、一般読者にも広く受け入れられた『三体』だが、よりスケールアップした続編がどういう展開を見せるかが注目だ。

 人類に絶望した科学者のメッセージを受け、4光年彼方にある三体文明は地球への侵略艦隊派遣を決行する。到着はおよそ400年後と推定された。そこで人類は国連の上位に位置する惑星防衛理事会を設置、全地球で防衛を図ろうとするが、各国の利害の衝突から思惑通りの進捗は見られない。最大の障害は三体世界が送り込んできた智子(ソフォン)の存在だった。基礎科学の進歩が妨害され、400年を費やしてもテクノロジーのブレークスルーは望めないのだ。そこで、智子を欺く存在「面壁人」が選任される。

 智子は地球のあらゆる情報をスパイするが、心の中までは見通せない。面壁人はある種のトリックスターであり、誰もが考えつかない奇抜な発想で対抗策を実行しようとする。それに対して、三体文明の信奉者たちETOは破壁人(面壁人の企みを見破る者)で反撃する。この物語の主人公は4人目の面壁者だ。夢想家でおよそ何の取り得もない平凡な学者だが、なぜか絶大な権力を持つエリートメンバーに選ばれてしまう。

 物語では、現在と200年後の未来が描かれる。彼我の科学技術レベルの格差から絶望に転落した現在と、なぜか楽観的な雰囲気に支配された中間地点の未来が対比される。前作にも増して、本書の中にはさまざまな要素が詰め込まれている。《銀英伝》(本文中にも言及がある)を思わせる宇宙艦隊による会戦、まったく異質な文明とのファーストコンタクト、そして、フェルミのパラドクスに対する斬新で大胆な解釈が大ネタとなる。個々のアイデア自体は古典的であるが、ここまで予想不可能な展開とした作品は世界的にも類例がないだろう。

 原著が出版された2008年は、11月にオバマ大統領が当選し、9月にリーマンショックによる世界経済の混乱が起こった年だ。中国では北京オリンピックが開催され、その一方、四川大地震が起こるなど大事件が頻発した年でもある。GDPは現在の3分の1程度で、まだ日本と同じくらいだった。物語から明日への希望と現在の不安がないまぜとなった、時代の雰囲気を感じとることもできる。
(註:オバマ大統領が就任したのは2009年です)

N・K・ジェミシン『第五の季節』東京創元社

The Fifth Season,2015(小野田和子訳)

カバーイラスト:K,Kanehira
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 3年連続ヒューゴー賞を受賞した《破壊された地球》の第1作目である。著者には『空の都の神々は』(2009)に始まる《十万王国》の邦訳があったが、三部作の最終刊(2011年刊)が翻訳されないまま、およそ8年間紹介のブランクが空いていた。ジェミシンはパピーゲート事件に関わるSFWA会長選挙で中心的な活動をするなど、熱心な反差別、フェミニストとしても知られる。

 その世界には5つめの季節があった。通常の四季とは別に不定期に訪れる〈季節〉では、巨大地震や大噴火などの天変地異が起こり、栄えていた文明がいくつも滅んでいった。しかし人々の中には、地覚と呼ばれる力で自然災害を未然に予知し、さらに変動を鎮める造山能力者オロジェンたちがいた。

 物語には2つの流れがある。1つは、息子を失った女が逃げ去る夫を追う物語。途中、奇妙な同行者たちと知り合う。もう1つは、オロジェンの能力を宿した娘が養成学校で成長し、やがて正規の任務に就いて活動する物語が語られる。姿を現す滅んだ文明の遺産や、オロジェンを管理する階級組織の仕組みなど、物語世界の詳細な背景が描かれている。

 近づきつつある次の破滅の季節(千年に一度くる)、火山灰が降る中のロードノベルでもあり、コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』を思わせる部分もある。登場人物の多様性(〈守護者〉や〈強力〉などさまざまな能力者や、人の姿をしていても代謝がまったく異質な〈石喰い〉も登場)、二人称を交える語りの多様さもあり、著者の思想を反映した(といっても不自然さはない)壮大な異世界を現出させている。ある意味、現代の《ゲド戦記》なのかもしれない。

琴柱遥『枝角の冠』ゲンロン

表紙:山本和幸

 昨年5月に発表された第3回ゲンロンSF新人賞の受賞作である。著者は大森望の超・SF 作家育成サイト2018年度の受講生。すでに、SFマガジン2019年6月号に「讃州八百八狸天狗講考」が掲載されプロデビューしている。本作は、1年を経て全面改稿された中編小説。佳作相当の大森望賞受賞作、進藤尚典『推しの三原則』と同時出版された(電子版のみ)。

 いつとも、どこともしれない世界。森の中の小さな村落に人々が住んでいる。森には黒い毛皮に包まれ、長い尾を備え、何より十六枝に分かれた枝角を持つ巨大な生き物がいた。それは主人公の「おとうさん」なのだ。村人たちはすべて女ばかりで、男は森の中に住むその獣だけだった。おとうさんは種付けのために存在し、女たちに危害は加えない。しかし、それも老いるまでのことだった。

 『ピュア』が話題になったが、この物語でも男女が別の形態の生き物として描かれている。男は荒々しく力強いものの知性を持たない野獣なのだ。言葉を話し、社会を維持するのは女たちの役割だった。主人公は同郷の友人たちに惹かれながら、野生の男の魔力に捕らわれていく。

 本書に登場する人類は、少なくとも我々とは生理的に異なる存在だ。異生命をその視点で書くのは容易ではないが、本作は異質な部分を男に限定し、主人公側をふつうの人間に寄せた書き方をしたところがポイントだろう。異類婚姻譚の変形のようでもある。ファンタジイとSFとの境界上で、どちらにもなりうる作品である。

 同時に出た『推しの三原則』はアイドルではなく、観客のヲタク側がAIになるという不思議な作品。誰でも(年齢性別は問わず)アイドルヲタクになれるが、とはいえ、誰もがヲタクというわけではない。本作を楽しむには、予めこの方面の知識があった方がいいだろう。ある意味、とても専門的な作品といえる。

マイクル・クライトン ダニエル・H・ウィルソン『アンドロメダ病原体-変異-(上下)』早川書房

The Andromeda Evolution,2019(酒井昭伸訳)

扉デザイン:早川書房装幀室

 8年前の『マイクロワールド』(2011)はクライトンによる下書きを元にした合作といえる作品だったが、本書は『アンドロメダ病原体』(1969)の続編をダニエル・H・ウィルソンが単独で書いた完全な新作である。

 世界を震撼させたアンドロメダ病原体事件から半世紀が経過した。その真相は世間から隠されていたが、高層の大気中に拡散変異したアンドロメダ微粒子について、アメリカを始めとする各国は莫大な予算を投じて研究を続けていた。何の成果も得られない日々が過ぎる中で、ある日アマゾンの奥地に異変が発生する。調査のために、精鋭メンバーからなる科学者チームが直ちに派遣された。彼らがそこで見たものは……。

 5人の科学者、物語が始まってから終わるまでが5日間、秘密計画の名前がワイルドファイア、報告書スタイルで書かれた小説と、前作を踏襲・引用した部分も多い。しかし、舞台はアリゾナの田舎町やネバダの秘密基地から、アマゾンと宇宙ステーションISSとに大きくスケールアップしている。科学者メンバーも、リーダーでインド出身の天才ナノテク科学者、フィールドワークに長けたケニアのベテラン地質学者、同じくフィールドワークの専門家で中国の軍人かつ元宇宙飛行士、急遽参加したジェレミー・ストーン博士(前作の登場人物)の息子でロボット工学者、そしてISSのアンドロメダ専門家かつ宇宙飛行士と、バリエーション豊かになっている。

 物語の展開は、前作が未知の病原体の正体を探り、感染爆発を防ごうとする閉所恐怖症的なサスペンスだったのに比べると、よりSF的で宇宙サイズのテーマに変化(変異?)している。そういう意味では、いま世間を騒がすパンデミック騒動とは一線を画す内容である(原著発表当時は兆候もなかったので、当然と言えば当然)。国際社会のパワーバランス(半世紀前の米ソ時代では考えられなかった米中対立)や社会問題(前作では科学者は全員男で白人、今回は過半数が女性やアジア・アフリカ人、社会的弱者)をはらんではいるが、そういう「現在」を反映した今風のSFエンタメ小説として楽しめる。

石川宗生『ホテル・アルカディア』集英社

装幀:川名潤

 3月に出た本。著者初の長編とあるが、小説すばる本誌および同ホームページに連載された20枚余の短編・ショートショート19編に、10編の書下ろしを組み合わせたオムニバス、ハイブリッドな長編小説である。

 愛のアトラス:ホテル〈アルカディア〉では、コテージに閉じこもる支配人の娘に捧げるため、7人の芸術家たちが作品を持ち寄る。以下6つの物語が続く。性のアトラス:うら寂れた死者の日に、壁新聞「プリズマ」に由来する朗読会に誘われる作家。以下5つの物語が続く。死生のアトラス:石の本やクラリネットらが、何の夢を見たかを語り合う。その材質や音を、声を、詰め込まれるさまざまなものを。以下4つの物語が続く。文化のアトラス:山間の町アルカディアに、巨大な丸屋根に支えられた箱庭アトラスがあった。そこには村人が書いた無数の物語がちりばめられている。以下3つの物語が続く。都市のアトラス:旅路の果てにたどり着いた街は、断崖につり下がって造られていた。次の都市はハノプティコンのようで……以下2つの物語が続く。時のアトラス:荒野にある舞台で量子サイコロを振る登場人物たち。以下1つの物語がある。世界のアトラス:廃墟となったホテル〈アルカディア〉を巡る観光客と案内人。最後に7人の芸術家による、7つの物語の結末が置かれる。

 以上7つのアトラスの章と、最終章7つの結末からなる長編ということになる。ただし、各章テーマの解題的な冒頭書下ろし部分はともかく、挟まれている短編自体はテーマからほぼ独立している。本来の意味でのオムニバス長編といえるだろう。

 初短編集だった『半分世界』と比べても、19編の短編は(より短い分)奇想の度合いが先鋭化されている。物語を肉体にタイプしてもらう店、体の中から現れるマイクロサイズの動物たち、恋人がモノのようだったり、法螺吹きだったり、挿絵だったり、降臨する天使(のような姿)だったりする。測りたがりの恋人、転校生が女神、夜空で星になった人々、極悪非道版ノアの箱舟、大河の果てにある国で起こる事件、誰をも魅了する音の顛末、他人には見えない運命の糸、雲をも突き抜ける超高層の建物、人々の人生シナリオを作り出すAI、時をも支配する王の行き着く果てと、とめどなく広がる。既存の文学作品へのオマージュがあり、寓話的なお話もあるが、大半は予備知識なしでそのまま楽しめる。

西崎憲『未知の鳥類がやってくるまで』筑摩書房

ブックデザイン:鈴木成一デザイン室

 3月に出た本。『飛行士と東京の雨の森』から8年ぶりの短編集である。前作の大半が書き下ろしだったのに対し、本書は表題作以外の9作品がアンソロジイ『NOVA』『文学ムック たべるのがおそい』など、さまざまな媒体で発表された作品である。

 行列(2010)空に子供が現れたのはお昼前のことだった。その後に、さまざまな人々や人でないものが続いていく。おまえ知ってるか、東京の紀伊國屋を大きい順に結ぶと北斗七星になるって(2019)東京を襲った地震の後、主人公は底なしの知識を持つ少年と知り合い議論をする。2人で地図を調べるうちに、やがて遺棄された図書館にたどり着く。箱(2002)その転校生は、風呂敷に包まれた箱をどこへ行くときでも持ち歩いていた。未知の鳥類がやってくるまで(書下ろし)嵐が近づいている週末、酔ったあげく主人公は大切な原稿を無くしてしまう。酔いが覚め、不安に襲われて街に出たあと、思わぬ体験をすることになる。東京の鈴木(2018)ある日東京の警視庁に謎のメールが届く。そこには予言めいた言葉と、トウキョウ ノ スズキとだけあった。ことわざ戦争(2019)争い合う東と西の国がお互いに代表を出し、詩の巧拙で勝負しようとする。廃園の昼餐(2013)生まれる前の胎児に意識が宿ったのだが、それは未来も過去もすべてを見渡せる全知の意識だった。母親の過去や父親の運命をも知っていた。スターマン(2017)自分が異星人だと言い張る男は、いつしかスターマンと呼ばれるようになる。開閉式(2012)主人公は扉を見ることができた。それは人のどこかに小さく取り付けられていて、開けることができるのだ。一生に二度(2017)二十年間変化に乏しい会社勤めをしてきた主人公には、止めどのない空想癖があった。

 「行列」「おまえ知ってるか、東京の紀伊國屋を大きい順に結ぶと北斗七星になるって」「箱」「東京の鈴木」「ことわざ戦争」「スターマン」「開閉式」など、30枚に満たない不思議な味のショートショートと、やや長め(といっても60枚ほど)で多重化された物語を含む表題作などの3編からなる。

 「未知の鳥類がやってくるまで」は、個人的で切迫した場面から始まる。主人公は出版社の校正係なのだが、著者の直しが入った校正原稿をどこかに忘れてしまう。大変な失態だと焦り、無謀にも台風接近の中をさまよい歩く。しかし、その途上で開いているレストランを見つけ、翌朝、今度は見知らぬカフェや早朝だけの映画館と出会う。そこは狭苦しい現実とはまったく違う、解放された世界なのだ。「一生に二度」でも、閉塞感を感じる主人公が登場する。空想癖で風景を改変して想像し、大学時代の友人(物語に書かれていないことが分かる、と称する)を思い出し、外国人の研究者とその人の研究内容を空想し、北欧での殺人事件へと続き、最後に一生の二度目に行き当たる。どちらの作品も、仮想・空想の世界が境界を越えて、現実・生きざまを変容させる物語だ。

野﨑まど『タイタン』講談社

book design:坂野公一(well design)
cover art:Adam Martinakis

 講談社のメフィスト(現在は電子版のみ)2019Vol.1、Vol.2、2020Vol.1に連載された野﨑まどの最新長編である。仕事という概念が希薄化した23世紀の世界を舞台に、タイタンと呼ばれる巨大人工知能と、1人の心理学者(仕事ではなく趣味)との交流を描いたものだ。

 23世紀、地球には12基のタイタンと呼ばれる人工知能が設置され、衣食住のすべてはタイタンにより賄われている。人々は、ただ望むことを命じるだけでよいのだ。貨幣経済はなくなり、労働により対価を稼ぐ仕事は過去のものとなった。主人公は古典的な心理学を趣味としており、その研究成果は多くのファンを得ていた。ところがある日、タイタンの一つコイオスの機能が低下している原因を、心理カウンセリングによって解明せよ、という《仕事》の要請を受ける。

 AI(ロボット)の心理分析となるとアシモフ以来の定番、(評者の書いたものもあるのだが)山田正紀『地球・精神分析記録』(1977)など、人類スケールのロボットネタも書かれてきた。しかし、本書のアプローチは異色で、巨大AIはまず人によるコンサルティングを受けるために幼い子どもの姿を取り、精神の成長とともに大人になっていく。

 未来がXX社会になれば、インフラや生活はすべてXXが担うので、人は一切働かなくてよくなる。人は自由な趣味を持ち、仕事上のストレスを抱くこともない。そういうユートピアのヴィジョンは、新たなテクノロジーが出現するたびに繰り返し口にされてきた(もちろん、ギリシャのような奴隷制貴族社会以外では実現しなかった)。だが、そもそも「働く」とはどういうことなのか。テクノロジーは奴隷の代わりなのか。本書では、宮澤賢治を引用してまで「労働」の意味を問い直すのだ。擬人的なAIを登場させながら、類作では見られないAIの深層心理を描く結末となっているのが面白い。