ジョディ・テイラー『歴史は不運の繰り返し』早川書房

Just One Damned Thing After Another,2013(田辺千幸訳)

カバーイラスト:朝倉めぐみ
カバーデザイン:早川書房デザイン室

 著者は英国生まれ、20年間に及ぶ図書館員時代の経験を生かして本書を執筆、私家版電子書籍で出版すると記録的に売れ、後にプロ出版された紙版もベストセラーという、恵まれたデビュー作品になった。本書を含む《セント・メアリー歴史学研究所報告》は、短編を含めて30作近く書き継がれている人気シリーズである。英国アマゾンではベストセラーの常連だ。

 大学を卒業し歴史学の博士号を取得していた主人公だが、ある日恩師から、大学に併設された歴史学研究所に勤めてみないかという誘いを受ける。給料はともかく、仕事内容に不満はないはずだという。しかし、その門をくぐった先で目にしたものは、主人公の想像をはるかに超える、危険かつエキサイティングなタイムトラベルのプロジェクトだった。

 任務に就くための資格要件は厳しく、まず過酷な自然や社会環境に耐えるための肉体訓練が待っている。理論学習を含めて試験に合格できなければ、即座に馘首となる。合格して正規の歴史家となっても、派遣先から生還できるとは限らないらしい。定員には、なぜか常に欠員があるからだ。堅物でチームワークが苦手の主人公だが、ここではペアを組んだ同僚と仕事をせざるを得ない。

 大学の研究所がタイムマシンを擁して歴史研究を行うという設定では、古くはマイクル・クライトンの映画化もされた『タイムライン』(1999)などがあり、コニー・ウィリス《オックスフォード大学史学部》は、ずばり本書と同じテーマ設定といえる。頭は良いが要領が悪く人の機微が分からない主人公や、多重に繰り返されるすれ違いドラマなどよく似た雰囲気だ。

 しかし、それも冒頭のみで、後半に移ると研究所設立にかかわる秘密や陰謀、もどかしいロマンス(本書はロマンス小説でもある)や、登場人物が次々と殺される一難去ってまた一難(不運の繰り返し)的な展開が楽しめる。中世から第2次世界大戦までの時代考証に凝ったウィリスと比べると、本書は恐竜時代をメインにするなど歴史物としての視点はライトなようだ。

林譲治『星系出雲の兵站(全4巻)』『星系出雲の兵站-遠征-(全5巻)』早川書房

Cover Illustration:Rey-Hori
Cover Design:岩郷重力+Y.S

 2018年8月から2019年4月(第一部)、2019年8月から2020年8月(第二部) と、ほぼ2年間で書下ろされた著者渾身のミリタリーSFである。軍事アクション主体の派手なジャンルにしては、地味な「兵站」を標題に据えたのがポイントだろう。
(以下大きなネタバレはありませんが、物語を説明する上で必要なキーワードは含まれます。未読の方は注意)。

《星系出雲の兵站》
 惑星出雲を中心とする5つの星系で、人類はそれぞれ文明を築き繁栄していた。その祖先は、4000年前に1000光年離れた地球から播種船に乗ってきたと伝えられるが、故郷がどの星系にあるのかさえ、もはや定かではない。
 人類世界の一つ壱岐星系で、異星人の作った無人衛星が発見される。そもそも播種船の根源的な目的は、異星人の侵略に備えることだった。そのため人類世界は、星系の自治権を超越する宇宙軍、コンソーシアム艦隊を保持している。だが、艦隊の派遣は現地政府の疑心暗鬼を産む。折しも厚い氷の下に海を持つ準惑星天涯で、未知の異星人ガイナスとの局地戦が勃発する。
 勝利もつかの間、天涯は再びガイナスのものとなり、奪還作戦が策定される。しかし、強大なコンソーシアム艦隊を賄うには、兵站の中枢を担う惑星壱岐の生産体制は脆弱すぎた。
 天涯奪還は失敗し、艦隊の司令長官と兵站監が責任を取る。部隊は再編され、新たな指揮官の下、新兵器を投入しての作戦が決行される。ガイナスの行動は不可解で、毎回異なる反応をしてきた。
 天涯の地下に潜むガイナスはさらに謎を呼ぶ。天涯から運び出されていた大量の氷は、未知の拠点で宇宙船の燃料になると思われた。やがて、これまでをはるかに凌ぐ大艦隊と決戦の時が迫る。

《星系出雲の兵站-遠征-》
 人類は、播種船の時代にはなかったAFDと呼ばれるワープ航法の技術を獲得している。ただし、AFDには目的地の正確な座標が必要で、無人の航路啓開船が亜光速で飛行して新たな目的地を開拓する。過去に送られた一隻の船から、敷島星系に文明ありとの報告が届いていた。これこそガイナスの母星かも知れない。
 一方、艦隊が封鎖したガイナスの拠点で、コミュニケーションを図る試みも行われていた。反射行動の段階から始まったガイナスは、数を増し集合知性となったことで反応を変えてくるのだろうか。
 敷島星系にはガイナスを思わせる文明があったが、繁栄しているとはいえない。なぜそうなのか。さらに、無関係と思われていた出雲の宇宙遺物から、人類史を揺るがす真相が浮かび上がってくる。
 ガイナス母星で行われた無人探査によって、その奇妙な生態系の秘密が明かされる。さらに星系内で見つかる遺物との関連、壱岐星系ガイナス最後の拠点で出会う存在が語ることとは何か。

 特権階級出身ながら改革派の壱岐執政官タオ、コンソーシアム艦隊で異例の出世を遂げる水神、同期で兵站担当の火伏、白兵戦で功績を上げ降下猟兵(海兵隊のような部隊)の頂点を極めるシャロン、異星人とのコミュニケーションを担当する科学者司令官烏丸などなど、登場人物は各巻ごとに彩り豊かに現われる。前半はタオや水神、後半は烏丸、全般を通してシャロンが印象的だ。

 兵站(ロジスティクス)とは戦争を支えるサプライチェーンであり、これが杜撰では戦争は持続できない(これは敵味方同様で、本書では両者とも描かれている)。宇宙戦争ともなると、支えるための生産拠点と資材の供給網は惑星規模で必要になる。最前線の惑星壱岐は出雲に次ぐ星系だが、そこでは富裕層が既得権益を独占し、生産合理化など主導権の変化に抵抗する。一方、前線から遠い他の星系にとっては、コンソーシアム艦隊強大化の方が異星人より脅威だ。架空戦記を手がける著者ならではのリアルな設定が、本書のバックボーンを支えている。

 異星人ガイナスもユニークな存在だ。最初に接触した際は戦い方を知らない機械のような存在で、一方的に殺されるばかりだったのが次第に戦術を学習していく。集合知性らしくいくつもの進化の階梯を持ち、その段階ごとにふるまいが変わる。このメカニズムだけで、本格ハードSF数本分のアイデアがある。結末で一応の決着がつくものの、まだいくつか物語を創り出せそうだ。

 それにしても本書の人類は、ある種の狂信者を祖先に持つ人々といえる。もしかすると『三体』を読んで強迫観念を持ったのかも。

ピーター・トライアス『サイバー・ショーグン・レボリューション』早川書房


Cyber Shogun Revolution,2020(中原尚哉訳)
カバーイラスト:John Liberto
カバーデザイン:川名潤

 ピーター・トライアスによる《USJ三部作》完結編。第一部『ユナイテッド・ステーツ・オブ・ジャパン』(2016)は星雲賞を受賞するなど日本での評価が高く、第二部『メカ・サムライ・エンパイア』(2018)の翻訳は原著のアメリカ出版に先行するほどの人気だった。本書も2020年3月に原著が出たばかりの最新刊である。これまでと同様、文庫版とSFシリーズ版が同時刊行されている。SFシリーズ版ではカラー口絵、番外編未完長編の一部、掌編、エッセイなどのボーナストラックが含まれる。

 2019年、日本に統治されたアメリカUSJで不穏な動きが生まれる。現在の総督が敵であるナチスと内通しているというのだ。秘密結社〈戦争の息子たち〉は軍内部にも浸透し、ついに決起する。しかし、政権交代もつかの間、今度は伝説の暗殺者ブラディマリーによる無差別テロ攻撃により、USJ国内は大混乱に陥っていく。

 主人公は陸軍の軍人で巨大ロボットメカの操縦士、特高警察のエージェントとともにブラディマリーの正体を追う。今回もさまざまなロボットメカが登場する。主人公が搭乗するのは敏捷なカタマリ級(口絵)で電磁銃が主要な武器、表紙に描かれた赤いシグマ號は巨大チェーンソーを振りかざすラスボスだ。

 前作の設定から20数年が経過、主要な登場人物は入れ替わっている。近い将来を予感させる前巻の終わり方からすると、ちょっと意外な展開だろう。結果的に、各巻は(一部を除いて)異なる物語なのだ。ディック『高い城の男』を意識した第一部、ナチスのバイオメカと戦う第二部、同じUSJのメカ同士が戦う第三部を通して読むと、各巻の独立性を重視する著者の考え方がよく分かる。爽快なロボットバトル小説であると同時に、「先軍国家USJ」の矛盾もまたむき出しになっていくのだ。三部作はこれで終わるが、狭間にはまだいくつものエピソードが隠されている。

 物語とは関係ないが、本書の中には、訳者を含め聞いたことのある日本人の名前(音のみ、漢字は意図的に変えてある)が複数出てくる。USJ紹介に貢献した、日本側関係者に対する感謝なのだろう。

『Genesis されど星は流れる』東京創元社

装画:カシワイ
装幀:小柳萌加・長﨑綾(next door design)

 東京創元社が、およそ半年刊で出す全編書下ろしの《Genesis 創元日本SFアンソロジー》の第3集。今号から《年刊日本SF傑作選》が担ってきた、創元SF短編賞の発表と受賞作掲載も兼ねたものとなっている。

 宮澤伊織「エレファントな宇宙」戦争サイボーグ部隊と、憑依体である危険な超能力少女2名は、アフリカのコンゴに降り立つ。そこに新たなモンスターが現われたのだ。「神々の歩法」に始まるシリーズ第3弾。
 空木春宵「メタモルフォシスの龍」女が蛇に、男が蛙に変化してしまう病が蔓延し、既存の社会は失われる。しかし最終形態までには段階があり、半ば蛇となった女と、人間の姿を残した主人公は不安定な同居生活を送っている。
 オキシタケヒコ「止まり木の暖簾」人類で唯一成功した星間行商人の女は、大阪育ちのアメリカ人だった。その成功の秘密の裏には、大阪時代に働いていた小さな大衆食堂での経験があった。《通商網》シリーズの前日譚。
 松崎有理「数学ぎらいの女子高生が異世界にきたら危険人物あつかいです」数学が苦手で暗記で乗り切ってきた主人公だったが、進学校では通用しない。欠点を取った日、絶望のあまり数学がない世界を願ったとたん、望んだとおりの異世界に転生してしまう。
 堀 晃「循環」大阪の淀川と大川を分ける水門、毛馬閘門を眺めながら主人公は自身の半生を振り返る。自分が興した会社を畳むにあたり、気になることがあったのだ。それはこの近辺にかつてあった、廃工場で見つけた小さな部品だった。
 宮西建礼「されど星は流れる」春から入部した新一年生と合わせても、二人だけしかいない天文同好会、主人公は部長である。感染症による臨時休校の中、熱心な後輩の希望で始めた、ビデオカメラを使った流星の同時観測は思わぬ反響を呼ぶ。
 折輝真透「蒼の上海」第11回創元SF短編賞受賞作。地上は蒼類と呼ばれる植物生命に覆い尽くされている。人類は辛うじて海底都市で生きながらえていたが、あるミッションのために、6名のエージェントがかつての上海に送り込まれる。

 これ以外に池澤春菜、下山吉光による、アマゾンAudibleなどでの小説朗読についての対談を収める。英米では一般的だが、日本ではこれからの分野。アブリッジやドラマ化などと違って文章をありのままに読み上げるなかで、いかに原作の雰囲気を伝えるかが肝要ということである。

 宮澤伊織、オキシタケヒコはそれぞれの人気シリーズから、空木春宵は古典的な怪談を思わせる独自の語り口で書かれた一編だ。松崎有理は、著者得意の論理の展開によって数学ぎらいを図解したような作品。堀晃は半自伝的な作品で、どこまでがファクト(著者がブログでタイムマシンの会社と書いていたところ)でどこからフィクションなのか、まったく分からない絶妙な構成だ。結末では、本作がSFであるかどうかまでが相対化されている。宮西健礼は天文同好会を舞台にした、リモート(直接出会えない)青春小説。評者の時代も天文部はあまり人気がなかったが、今でもなのか。

 さて新人賞の受賞者である折輝真透(おりてるまとう)は、昨年の第9回アガサ・クリスティ賞の他、第4回ジャンプホラー小説大賞なども受賞している。新人賞がプロアマを問わなくなり、(他賞の)既受賞者でも問題なくなってからは、複数に投稿・受賞する作家が目立つように思う(アガサ賞のもう一人の受賞者もそうだ)。そういう受賞者は(事情はさまざまだが)、既にポテンシャルの高さが保証されている。本作も「スピーディーな展開、場面転換も鮮やかで、一気に読ませる力がある」堀晃、「わくわくする要素が多く、(中略)制約・足枷がうまく働き、珊瑚「アマノリス」の採取ミッションを面白く読むことができた」宮内悠介、「タイムリミットが導入されていることで娯楽性が増し、さらに結末では終末SFらしい美しさが醸し出される」編集部と、審査員全員一致での受賞である。とはいえ、講評の中にもあったが、この内容は素材的に長編向きだろう。既にミステリ、ホラー長編を書いている著者なので、SF長編にも期待したい。

柴田勝家『アメリカン・ブッダ』早川書房

カバーデザイン:早川書房デザイン室
カバーイラスト:タカハシ ヒロユキミツメ

 柴田勝家の11冊目の著作で初の短編集である。2016年からの雑誌、アンソロジイに掲載作に加え、書下ろし表題作を含めた全部で6作品を収める。

 雲南省スー族におけるVR技術の使用例(2016)中国雲南省に住む少数民族スー族は、生まれた直後からVRヘッドセットを付け、仮想空間の中だけに存在する彼らの世界に浸っている。そこがどんな世界かは謎だった。
 鏡石異譚(2017)東北の山奥で巨大な研究施設が建設されている。主人公は幼い頃に工事の縦坑に落ちて以来、不思議な体験をするようになる。それは幾度にもわたる、未来の自分との出会いなのだった。
 邪義の壁(2017)古い実家の一室には、なんの飾りもない大きな白い壁があった。主人公は祖母とともに、壁に向かって祈りを捧げた記憶がある。だが、祖母が亡くなったあと壁の一部が崩れ落ち、中からは……。
 一八九七年:龍動幕の内(2019)19世紀ロンドン、留学中だった南方熊楠と孫文たちは、ハイドパークに現われ託宣を下す「天使」の正体を見極めようとする。本物の天使であるはずはなかったが、巧妙な仕掛けが隠されていた。
 検疫官(2018)その国では大統領の命令で、すべての物語が禁じられていた。小説だけではなく、音楽も伝承も絵画も、物語性を有しているものすべてが検疫され排除される。そこに一人の少年が現われるが。
 アメリカン・ブッダ(書下ろし)アメリカ全土で災厄が発生し、脱出できる人々はすべて電脳世界に逃げ去ってしまう。地上にはインディアンのみが残った。その一人の青年は自らをブッダになぞらえ、仏教による救済を電脳世界に語りかける。

 デジタル・ディバイド(情報格差)を逆手に取った「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」は、4つの単行本・雑誌に収録され、星雲賞短編部門も受賞するなど注目を浴びた作品である。もっとも辺境に住むもの(少数民族)がもっとも情報に依存しているという構図は、現代社会を暗示しているようで奥が深い。こういう現代の問題点を巧みに取込む作風は「アメリカン・ブッダ」にも生かされている。まあ、福音派が牛耳るアメリカが(陰謀論QAnonに陥ちることはあっても)仏教に帰依するなんてなさそうだけど。

 異色作は「検疫官」で、人間から物語を完全になくすことが果たして可能なのかが「物語化」されている。ある意味矛盾しているところが面白い。

佐々木譲『図書館の子』光文社

装幀:坂野公一(welle design)
装画:影山徹

 一昨年から昨年暮れにかけて小説宝石などに掲載された、6つの作品を収める短編集である。昨年12月に出た『抵抗都市』は明確な歴史改変SFだったが、本書はややソフトなタッチで描かれた時間ものになる。

 遭難者:昭和12年、宿直医のところに、隅田川に落ち意識不明となった患者が送り届けられる。その男は記憶を失っており、名前すら分からないようだった。しかし、自身を旅行者らしいと告げる。
 地下廃駅:昭和35年、中学一年生だった主人公は、友人と二人で上野の防空壕跡から、戦後廃された地下鉄の駅に忍び込む。だが、出たところは見覚えのない、終戦直後の焼け野原となった東京につながっていた。
 図書館の子:母子家庭で育つ小学生の主人公は、仕事が遅くなる母親から市立の図書館で待つように命じられる。図書館は大好きだったけれど、その日は激しい吹雪となり、交通機関が麻痺するほど雪が降り積もる。
 錬金術師の卵:16世紀に作られメディチ家も所有した希少な美術品が、とある私設美術館で招待客だけに密かに公開される。卵の形をしたその品には呪いがかけられているというが。
 追奏ホテル:よく知られたクラシック・ホテルが営業をやめると聞いて、男女二人の愛好家が大連を訪れる。そこは戦前の日本資本が建てた小ぶりのホテルなのだが、85年前に著名なピアニストによるミニコンサートが開かれたようだった。
 傷心列車:日中戦争前夜の満州。大連のダンスホールに勤める女給は、内地からきた男と知り合う。男は二人の仲間とともに何かをしているようだった。一体彼らは何ものなのか。正体を疑ううちに世間には不穏な空気が拡がっていく。

 著者得意の時代設定が取り入れられている。太平洋戦争前、日中事変前後から戦後にかけての日本と中国(旧満州国)が主な舞台である。そこに、遭難したタイムトラベラー、小松左京「御先祖様万歳」的なタイムトンネル、ジャック・フィニイ風の過去との邂逅(精神的なタイムトラベル)、タイムマシン、タイムスリップ、時間改変・時間犯罪と、さまざまなSFネタがちりばめられてる。ただし、明記や説明はされない。SFならそういう解釈もできる、という程度の緩い結びつきなのだ。

 本書はアイデアSFではない分、主人公と時代背景がじっくりと描き込まれている。戦前の風景、東京大空襲の間際、あるいは、戦後の混乱期が物語の中に浮かび上がってくる。この中では最後の「傷心列車」が、時間旅行者と日中戦争が直接絡み合い、よりダイナミックな展開になっている。彼らは通りすがりの旅行者ではなく、積極的に当事者となっていくのだ。

メアリ・ロビネット・コワル『宇宙へ(上下)』早川書房

The Calculating Stars、2018(酒井昭伸訳)

カバーイラスト:加藤直之
カバーデザイン:岩郷重力

 2006年にStrange Horizon誌でプロデビューした米国作家。2008年にキャンベル新人賞を受賞、初長編の《幻想の英国年代記》シリーズ『ミス・エルズワースと不機嫌な隣人』(2010)は既訳がある。本書を含め、ヒューゴー賞を3回受けるなど人気のある作家だ。もともとプロの人形使いで、オーディオブック(ジョン・スコルジーなど)の朗読を務めるなど、多彩な才能の持ち主でもある。『宇宙へ(そらへ)』は、アメリカの宇宙開発が早まった世界を描く改変歴史もの《レディ・アストロノート》の長編(シリーズ最初の作品は、SFマガジン2020年10月号に訳載される)。2019年のヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、サイドワイズ賞などを受賞した出世作だ。

 1952年、アメリカ東部の海上に巨大隕石が落下する。東海岸は衝撃波や地震、津波により壊滅、経済的な損失は計り知れない。だが、問題は衝突の際に吹き上げられた物質による、世界的な異常気象だった。このままいけば、地球全土が人類の居住に適さなくなる。すでにソビエトに先駆けて衛星打ち上げに成功していたアメリカは、さらに大規模な宇宙開発にシフトする。そのとき、決定的に不足するのは人材だった。

 主人公は元パイロットで数学の天才、国際航空宇宙機構IACの計算者だったのだが、宇宙飛行士を目指すことになる。第2次大戦のアメリカではWASPと呼ばれる女性飛行士の部隊が組織されティプトリーがWAACに参加していたことは有名)、航空機の輸送やテストパイロットなどで従軍した。物語ではまだ戦後7年目で、経験豊かなパイロットが多く残る時代だったのだ。

 アポロ時代でも、宇宙飛行士や管制官は白人男性、(地位の低い)計算者は黒人を含む女性と、役割は明確に分けられていた。計算者については映画「ドリーム」などで、また実現しなかった女性の宇宙飛行士についてはドキュメンタリー「マーキュリー13: 宇宙開発を支えた女性たち」などが詳しい。アップルTV+の「フォー・オール・マンカインド」は、もしアポロ時代にそれらが実現していたらというドラマだった。本書はさらに時代を20年巻き戻して、黒人の公民権運動すら不十分だった50年代に、同じ問題(と宇宙移民すら!)を提示するのだから大胆だろう。

 当時のコンピュータは、50年代末でようやくオールトランジスタ(ICやLSIはまだない)のIBM大型マシンができたころ(それ以前は真空管式だった)。信頼性もいまいちなら、即座にプログラムを変更するだけのフレキシビリティにも欠けていた。幸いにもロケットのテクノロジーや、宇宙植民のコンセプトなら既にある。人間の手計算に頼っても月や火星を目指すしかない、それが原題Calculating Starsの意味だ。

 『宇宙へ』は性による役割分担や、人種差別の問題を描いた現代的な小説であるだけでなく、古典的な宇宙開発ものを当時のテクノロジーで再現するという二重の挑戦を仕掛けた力作といえる。

森見登美彦『四畳半タイムマシンブルース』角川書店

装丁:鈴木久美
装画:中村佑介

 著者の初期作『四畳半神話体系』(2005)のキャラ設定と、上田誠の戯曲「サマータイムマシン・ブルース」(2001)の基本アイデアがコラボしたオリジナル小説(ノベライゼーションではない)。上田誠は『ペンギン・ハイウェイ』などで森見アニメ作品の脚本を書いてきた仲でもある。二人の対談を読むと、それぞれの続編というより番外編といった趣が強いようだ。

 高温多湿でむせかえる京都の8月、下鴨にある倒壊寸前の下宿アパートで唯一クーラーがあった主人公の部屋で、リモコンが壊れるという惨事が発生する。治る見込みもない中、25年後から突然ドラえもん型タイムマシンが出現する。これを使って昨日に行けば、壊れる前のリモコンが回収できるのではないか。下宿に集う個性豊かな面々は、それぞれの思惑で暗躍を開始する。

 タイムパラドクスといっても、(原案を含め)貧乏大学生を主人公にした史上最低・ミニマムなパラドクスである。本書の場合「バック・トゥー・ザ・フューチャー」型の単線の時間概念(決定論的で、過去も未来も既に決まっている)なので、過去の改変はそのまま未来に影響する。しかし決定しているものを覆すと、宇宙が崩壊するかもしれない。この設定は本書のキャラと親和性がとても高く「サマータイムマシン・ブルース」は、もともとこの下宿アパートを舞台に書かれていたのではないかと錯覚するほどだ。

 とはいえ、本書は15年前(原著の奥付に準拠)の『四畳半神話体系』から何も変わっていないように思える。時は流れておらず、主人公たちは昔の姿のまま京都にある貧乏下宿に封じ込められている。最後に未来を暗示させるタネ明かしもあるが、これはドラえもんに敬意を表したものかも知れない。

大森望編『ベストSF2020』竹書房

カバーデザイン:坂野公一(welle design)
カバーイラスト:Kotakan

 東京創元社版の《年刊日本SF傑作選》は、日本SF大賞の特別賞を受賞するなど高い評価を受けながらも昨年で終了、今年からは大森望単独編集による竹書房版《ベストSF》に形を変えて引き継がれることになった。メリルからドゾアへと(名称が)変わっただけでなく、編集方針もより年刊傑作選の原点に立ち返ったものに改められている。

“初心に戻って、一年間のベスト短編を十本前後選ぶ”という方針を立てた。作品の長さや個人短編集収録の有無などの事情は斟酌せず、とにかく大森がベストだと思うものを候補に挙げ、最終的に、各版元および著者から許諾が得られた十一編をこの『ベストSF2020』に収録している。

編者序文より

 円城塔「歌束」歌束とは、歌を固めたもの。湯をかけると、ばらばらの文字になり、またそれが新たな歌を生み出していく。
 岸本佐知子「年金生活」衰退した社会に住む老夫婦の年金は、どんどん先へと繰り延べされる。ある日、突然年金が支給されると通知がくるが。
 オキシタケヒコ「平林君と魚の裔」銀河の古参種族の中で、奇跡的に成功した地球人の星間行商人は、なぜか全くやる気のない主人公を乗員に採用する。
 草上仁「トビンメの木陰」かつて隆盛を誇った帝国の首都はすでに面影をなくし、見知らぬ紫の実を付けた大木が影を投げかけるだけだった。
 高山羽根子「あざらしが丘」捕鯨を再開したものの、捕鯨文化復活にはほど遠い。人気を盛り上げるためアイドルグループによる捕鯨ショーが企画される。
 片瀬二郎「ミサイルマン」外国人労働者だった青年が無断欠勤する。青年の故国ではクーデターが発生し大統領が政権を追われたという。
 石川宗生「恥辱」世界が沈もうとしているらしい。動物たちは人間たちと力を合わせて巨大な方舟を建造するが、思いもかけない条件を告げられる。
 空木春宵「地獄を縫い取る」小児性愛の摘発のため作られたAIをめぐる物語に、室町時代の地獄太夫の物語が重なり合いさらなる地獄が姿を見せる。
 草野原々「断φ圧縮」精神の治療のために、医師は患者に世界を指し示す。その世界はカルノーサイクルでできており、圧縮されれば正気になっていく。
 陸秋槎「色のない緑」機械創作が普及した近未来、主人公は高校時代からの友人が自殺したと聞く。死の原因を探るうちに、却下されたある論文の存在が浮かび上がる。
 飛浩隆「鎭子」同じ発音の名前(しずこ)を持つ2人の主人公が、リアルの東京とフィクションの泡洲(あわず)で共鳴しあう。

 版元了解が取れず収録を断念した、伴名練「ひかりより早く、ゆるやかに」は筆頭に収めるべき作品だったという(編集後記に経緯が書かれている。ちなみに、この作品の影のモチーフは京アニ事件である)。年金、捕鯨、外国人労働者、仮想の小児性愛、機械翻訳(創作)と、時代を反映するキーワード(2019年に「事件」があったもの)が含まれているのは年刊傑作選らしい。契機のニュース自体は忘れられても、普遍的なテーマになるものばかりだ。

 常連の円城塔、復活した草上仁、少し変化球を投げた飛浩隆、手慣れた岸本佐知子やオキシタケヒコは安定のレベル。あえて問題作に挑んだ高山羽根子と片瀬二郎、残酷描写が際立つ石川宗生と空木春宵、これをハードSFと呼ぶのはどうかと思う草野原々と、『ノックス・マシン』のスタイルを踏襲した陸秋槎も印象に残る。

 なお、本書の「二〇一九年の日本SF概況」で拙著『機械の精神分析医』が、「2019年度短編SF推薦作リスト」(約30作)に同書収録の「マカオ」が挙げられている。アマゾンサイトの他、こちらの下側(3冊中の最下段)にも詳細があります。興味を惹かれた方はぜひお読みください。

高山羽根子『首里の馬』新潮社

装画:MIDOR!
装幀:新潮社装幀室

 第163回芥川賞受賞作。新潮2020年3月号に掲載された250枚ほどの、短めの長編/長中編で、著者のこれまでの作品の中では最長のもの。本格的な長編は、東京創元社から9月に出版される予定だ。

小説の中で起こることすべてに言えるんですが、『あるかな、ないかな、いやギリギリあるかもな。自分の身にだって起こり得るぞ』というラインを探ってあれこれ考えたりはしますね。

『首里の馬』芥川賞受賞インタビュー 文春オンライン

 主人公は十代の頃から、沖縄の首里近くにある私設の資料館を訪れるようになった。今ではそこで資料整理の作業をしている。一般公開されているわけでもなく、収蔵品も老いた館主があちこちから集めてきた雑多な品物ばかりだ。お金にならないそんな作業とは別に、主人公は奇妙な仕事をしていた。それは自分一人だけしか居ない事務所から、パソコンを使って世界のどこかにいる誰かにクイズを出すというものだった。

 著者インタビューでもあるように、たしかに本書で起こる出来事はどれも「ありえない」ものではない。不登校だった主人公は人嫌い故に、誰も居ない資料館に入り浸り、ひたすら朽ちていく資料のアーカイブ作業(スマホの写真に収める)をしている。対面業務のない声だけの(人件費の安い地域に作られた)コールセンターに勤め、センターがなくなるとリモートクイズ出題者にたどり着く。この最後まで至ると、もはや「ない」世界に踏み込んでいる。「ありえるもの」から「はみ出たもの」を少しずつ積み重ねれば、あり得ない世界が見えてくる。この手法は著者独特のものだろう。

 リモートで話す相手も孤独な存在である。緑色の目をしたコーカソイドの青年、大きな目をした東欧系の女性、もう一人は中東か中央アジア系の青年だが不穏な話をする。彼らとの会話はなぜかすべて日本語で、謎めいたクイズの後に短時間の雑談を交わす。

 最後に馬が登場する。台風が過ぎた日の朝、狭い自宅の庭に中型の馬が寝ているのだ。一体どこから迷い込んだのか。正体がつかめないまま、いつしか主人公は馬と一体となった生活を送る。馬は館主の生まれ変わりのようでもあるが、何を象徴する存在なのかは分からないままだ。

 とはいえ、本書は著者の一連の作品と同様、説明不足と思わせる部分はない。すべてに解決があったわけではないのに、バランスの不安定さをむしろ魅力に感じさせるのが高山羽根子の作風なのだ。