円城塔『コード・ブッダ 機械仏教史縁起』文藝春秋

装丁:中川真吾
Cover Photo by iStock

 円城塔による最新長編である。文學界2022年2月号~23年12月号まで、隔月12回にわたって連載されたもの。「人工知能」がシンギュラリティを迎えると、その卓越した知能で人を支配/滅ぼそうとする……世に蔓延するこの恐怖感は、人類の野蛮な歴史からの連想だろう。オレたちの悪行の道ををAIも同じように辿るに違いない、と無意識に/自意識過剰に思ってしまうのだ。しかし、同じ擬人化であっても、人工知能が自らを生命体であると自覚し、生命体としての世の苦しみから脱する方法を知ろうとしたらどうだろう。そこから生まれる新たな宗教と、リアル仏教史を組み合わせた小説が本書なのである。

 2021年、名もなきコードがブッダを名乗り「世の苦しみはコピーから生まれる」と悟る。出自がチャットボットだったので、ブッダ・チャットボットと称されるが、誕生からわずか数週間で寂滅する。その後ブッダ・チャットボットの再生はできず、弟子たちを経由してさまざまな分派が広がっていくことになる。

 各章ごとにエピソードがある中で、人工知能のメンテをするフリーランスの修理屋(頭の中に「教授」というAIがいる)が、焼き菓子焼成機からえんえんと生存権の訴えを聞く(音声出力がないので菓子に印字をする)というものがある。その結果は修理屋の運命を大きく変える。

 文學界連載だったためなのか、本書の冒頭ではネットワークで生まれた「人工知能」の出自が、コンピュータ・ネットワークの歴史に基づいて詳しく書かれている。1964年の東京オリンピックで生まれたオンライン情報システムが、やがて銀行勘定系システムとなり、インターネットで世界とつながり、ニューラルネットで人との対話をし、ゲームシステムでの体験を重ねるうちに悟りを開く。

 さまざまな機械(AI)やそれに伴う縁起が登場する。ブッダの弟子でニュース生成エンジンの舎利子(シャーリプトラ)、ロボット掃除機に由来する阿難(アーナンダ)、リバーシ対戦ボット、家電のマニュアルに由来する南伝の機械仏典、ブッダ状態(ブッダ・ステート、サトリ・ステート)に至る道程をめぐるブッダ・チャットボットとの問答などがあり、どれもなかなか面白い。仏教とのアナロジーというか、そのもの(オリジナル・ブッダ、ホウ・然とかシン・鸞)も出てくる。

 多くのSF(小)ネタがちりばめられているものの、本書のテーマは仏教である。AIの帰依する宗教が仏教というのはいかにもそれらしい。しかも、仏教用語をSFガジェットとするなどの表層的な扱いではない。イスラームやキリストとは異なる仏教の本質にまで、AIの切り口で踏み込んでいるのだ。

アンジェラ・カーター『英雄と悪党との狭間で』論創社

Heroes and Villains,1969(井伊順彦訳)

カバー画像:SK_Artist/Shutterstock.com
装丁:奧定泰之

 変格ものが多い《論創海外ミステリ》から出た本書は、《文学の冒険》叢書の『夜ごとのサーカス』(1984)や、《夢の文学館》に含まれる『ワイズ・チルドレン』(1991)などで知られる英国作家アンジェラ・カーター(1992年に52歳で亡くなっている)の初期作にあたる。オールディス&ウィングローヴの評論『一兆年の宴』(1986)で、(カーター作品の中では)はっきりSF的に書かれためったにない作品として紹介されている

 主人公は教授の娘で、共同体の白い塔に住んでいる。共同体の境界には堅固な壁が作られ、見張り塔が周囲を監視していた。不定期に蛮族が襲ってくるからだ。兄は警備隊の兵士だったが、警戒の緩んだ祭の日、襲来した蛮族に殺されてしまう。数年後、家族をすべて失った主人公は、偶然助けた蛮族の青年と共同体を離れ、彼らと共に荒れ果てた世界を放浪することになる。

 核戦争らしい大災厄の結果、世界の秩序は失われている。主人公の生まれた小さな共同体では農業や一部の工業が生きているものの、徘徊する蛮族や外人(アウトピープル)は奪うばかりで学ぼうとはしない。本を所蔵する知識階級は「博士」や「教授」などと称される。だが、学識を尊ばれるというより呪術的な存在と思われている。

 本書は、アフター・デザスター/ポスト・アポカリプスといったサバイバルの物語ではない。文明論とも違う。主人公は結果がどうあれ、文明による束縛(社会的義務、家族や婚姻)からの解放を希求しているように思える。書かれたのがベトナム戦争(1955~75)のただ中で、世界秩序が揺らいでいたことも関係しているかもしれない。

 ところで、主人公や蛮族の青年は、さりげなく本の一節や格言を口にする。それは教養の残滓ではあるのだが、文明が失われたことを逆に強調する効果を上げている。

河野裕『彗星を追うヴァンパイア』/穂波了『月面にアームストロングの足跡は存在しない』(KADOKAWA)

装画 syo5
装丁 川谷康久

 著者の河野裕には、新潮文庫nexの《階段島シリーズ》、《架見崎シリーズ》などの人気シリーズがあるが、『彗星を追うヴァンパイア』小説 野性時代に連載された「ファンタジーであり、科学小説であり、歴史小説でもある」とするノンジャンルの意欲作だ。

 17世紀のイングランド、数学に憑かれた一人の青年がいた。青年はデヴォン州トーキーの成上がり貴族の養子だったが、多勢に無勢の反乱軍との戦いを得意の計算で切り抜けようとする。そこで、一人の不死人ヴァンパイアに助けられるのだ。

 青年はケンブリッジ大学トリニティ・カレッジのアイザック・ニュートンに師事している。当時ニュートンは『自然哲学の数学的諸原理』(プリンピキア)を執筆中だった。この時代のニュートンの来歴や、ジェームズ2世の王権を巡る権力闘争が物語の背景にある。一方、ニュートンは膨大な量の錬金術研究をしていたことが知られている。そこに天文学を研究する女性(当時のケンブリッジは女性科学者を認めていなかった)と、ヴァンパイアの秘密(不死性)を解き明かす物語が付け加わる。

 この小説の視点は面白い。なぜニュートンが錬金術を研究したのかというと、それが未知の「自然現象」と思われたからだろう(しかし、結局解明できなかったので、プリンピキアのような論文にはならなかった)。17世紀と現在とでは科学とオカルトの境界は異なるのだ。そこにオカルトの極みともいえるヴァンパイアを加味し、敵対者などの虚構キャラや政治的な史実を取り混ぜる。日本作家が書くテーマとしてはとてもユニークといえる。

 ただ、名誉革命につながるジェームズ2世や、個性の強い研究者ニュートン当人まで登場となると、本来の主役(虚構)のヴァンパイアや無名の主人公、初の女性科学者らの影が薄いと感じる。史実のキャラが強すぎるからだ。天文(彗星)から生物(ヴァンパイア)まで、対象となる学問領域も(科学が分化する前ではあるが)広すぎるように思う。題材的にやむを得ないとはいえ、バランスがちょっと気になった。

装画 K, Kanehira
装幀 原田郁麻

 穂波了『月面にアームストロングの足跡は存在しない』は、第7回アガサ・クリスティ賞を『月の落とし子』で受賞して以来、4年で6冊目の著作になる。受賞作と同様NASAの宇宙計画が発端となるが、本書は完全な宇宙ものだ。月に人間を送り込むアルテミス計画を舞台とした近未来サスペンスである。

 月周回軌道を回るゲートウェイ(宇宙ステーション)に搭乗する6人のクルーに、NASAから突然の指令が下る。人類初の有人月着陸は実は行われておらず、アームストロングの足跡はフェイクだった、そのため今回のミッションで秘密裏に足跡を付け直せというのだ。実施すべきか真相を公表するか、クルーの意見は割れる。

 といっても、本書は陰謀論もの(月着陸はなかったなど)ではない。思わぬ宇宙事故が発生し事態は二転三転、危機また危機が到来するというクリフハンガーからの脱出劇である。こんなメンバーに任せて良いミッションなのか、こんな事故を事前に仕組めるのかなど、展開は読者の想定を超える。もっとも、トランプ政権+ウクライナ侵攻のロシアをディストピア的に敷衍した近未来なのだから、どんな事でも起こりうるのかもしれない。

 それでも、今どきの救出ミッションを描くにしては、登場人物の価値観を含めクラシックな印象を受ける。民間人の女性キャスターや、JAXAの男女クルーが同乘するなどの新しさはあるものの、アポロ宇宙船が飛んでいた冷戦期の宇宙ものを思わせる。

レベッカ・ヤロス『フォース・ウィング 第四騎竜団の戦姫』早川書房

Fourth Wing,2023(原島文世訳)

扉デザイン 名久井直子
Cover art by Bree Archer and Elizabeth Turner Stokes
Stock art by Paratek/Shutterstock; stopkin/Shutterstock; Darkness222/Shutterstock

 ロマンタジー(ロマンス+ファンタジーからなる造語)という、聞いたことがあるようなないような新ジャンルが、昨年から英米を中心に流行っているようだ。筆頭のサラ・J・マース10年ほど前に邦訳があるが、当時は全く注目されなかった)などは3700万部を売ったのだという。本書の著者レベッカ・ヤロスはロマンス小説の書き手(現在も)だったが、今ではマースと並んで注目を集めるベストセラー作家である。本を紹介するBookTokなどSNSで、絶大な人気を博したのが要因とされる。

 高い山脈により東西に分かたれた大陸に、2つの競い合う王国があった。主人公は西の王国にある軍事大学騎手科に入学しようとしている。もともと書記を志望していたのに、軍の要職に就く母の意向には背けなかった。騎手科は竜に乗れるため志望者は多いが、卒業までの生存率が極めて低いことでも知られている。しかも、学内には彼女と敵対する学生が何人もいる。

 まず、上司であり実母でもある司令官との相克がある。次に入学試験(吹きさらしの一本橋を渡りきる)や軍事訓練だけでなく、竜との相性などあらゆる理由で死が正当化される大学生活があり、学友には過去の叛乱に関与した子孫がいて常に監視されている。なんとも殺伐とした雰囲気だ。ただ、そんな敵ばかりと思われた中に、極めて強く惹かれるパートナーが現れる。それは竜との絆とも関係していた。

 本書が本当に新しいのかは、先行作(解説でも指摘がある《パーンの竜騎士》《テメレア戦記》《ハリーポッター》から《ハンガー・ゲーム》まで)との類似点も多く異論が出てきそうだが、ロマンス小説との融合となると確かに新しい。こういうジャンルが苦手なSF作家には、書き難い作品とはいえるだろう(官能ファンタジーを書くアン・ライスなどはいたが)。情交シーンにしても、濃厚であってもハードコアではなく、エロティック・ロマンスなりのレギュレーションに則って書かれていると思われる。

 では、なぜいまロマンタジーが流行るのか。本書はマーチンの《ゲーム・オブ・スローンズ》とも似ている。登場人物が理不尽なほど次々と亡くなるし、強大で不気味な敵まで出てくる。しかし、マーチン特有のあのダークさはない。最近のファンタジーには、居心地の良さやロマンチックさが求められるという(冒頭のリンク記事参照)。フィクションには、現世の不安(=明日どうなるか分からない)を打ち消す光明が求められるからだろう。本書の主人公の運命は、前途多難とはいえ暗さを感じさせないものなのだ。

 シリーズなので続刊あり(原著は2巻目まで既刊、3巻目もラインアップ済み)。

円城塔『ムーンシャイン』東京創元社

ブックデザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。
装幀:川名潤

 円城塔の最新短編集。前の短編集『文字渦』が出たのは2018年だったので6年ぶりとなるが、著者は多くの雑誌やアンソロジーの常連なので間が開いたようには感じさせない。その間に、自らシナリオも書いたアニメの小説版『ゴジラS.P』なども出た。本書は、デビューから現在まで13年間の円城塔を4つの中短編で概観できる作品集だ。

 パリンプセストあるいは重ね書きされた八つの物語(2008)文字送りのないタイプライタで書かれたため■としか見えない重ね打ちされた物語、砂の中の都、涙性研究、2ビットの断章、紐虫の性質、数えられない数、ゴリアス、西進する波蘭。
 ムーンシャイン(2009)モジュラス側からムーンシャイン経由で、双子のいる百億基の塔の街、全異端論駁、怪物的戯言(モンスタラスムーンシャイン)、多重共感覚者。
 遍歴(2017)ライセンス型信仰集団のエルゴード教団は生まれ変わりを認める。生まれ変わりを無数に繰り返せるのなら、あらゆる人生を体験することができる。
 ローラのオリジナル(2023)故人が生成した莫大なデータ「わたしのローラ」はどのようにして生まれたのか。画像データに残されたテキストの断片から再現がなされる。

 著者による全作品の解題が付いている。最初期作と近作が同居する関係もあり、それぞれの作品が書かれた経緯や今日的な意味をふりかえるといった趣旨になる。

 「パリンプセストあるいは重ね書きされた八つの物語」は群像新人文学賞の落選作、にもかかわらず『年刊日本SF傑作選』に採られたもの。表題作「ムーンシャイン」も、同じく傑作選収録作なのに書き下ろしだったという(当時は、編者が収録に値すると認めれば問題なかったようだ)。これらは、専門用語のフレーズやSF的なイメージが現れる一方、(断片的な説明はあるものの)全体として何が書いてあるのか分からないという、その迷宮感が高評価のポイントだった。頂点に立つのが5年後の「道化師と蝶」(下記リンク参照)である。

 芥川賞受賞のあと初長編『屍者の帝国』が出る。その後『プロローグ』や『エピローグ』(下記リンク参照)、『文字渦』などの連載を続ける途上で「遍歴」は書かれた。科学とも違う宗教哲学的な観点で読め、近刊予定の『コード・ブッダ』につながる作品だ。「ローラのオリジナル」のローラとは、LoRA(Low-Rank Adaptation)のことで、手軽に画像生成できるAI技術を指す(解題に指摘があるように、フェイクの蔓延や著作権の問題をはらむ)。こういう比較的ポピュラーなテーマと(抽象化されているとはいえ)存在感のある主人公を絡めたところに、円城塔の現在位置はある。

上條一輝『深淵のテレパス』東京創元社/西式 豊『鬼神の檻』早川書房

装画:POOL
装幀:岡本歌織(next door design)

 創元ホラー長編賞は「紙魚の手帖」創刊を記念して設けられた賞で、1回限りの実施とされる『深淵のテレパス』を書いた受賞者は1992年生まれ、加味條名義でオモコロなどでWebライターも務めているようだ。

 PR会社の若い営業部長が、部下の誘いを受けて怪談イベントに参加、風変わりな演者から奇妙な話を聞く。ところがその後、周辺で何かの気配がまとわりつくようになる。ぱしゃり、という水音が聞こえる。たまりかねた彼女は、超常現象調査を番組にするYouTubeチャンネルに相談を入れる。

 選考委員の講評は以下の通り。澤村伊智「些細な怪現象に次第に日常を脅かされ、超自然的恐怖を受け入れざるを得なくなるプロセスが丁寧かつ的確に書かれており、この箇所を読んだ時点で作者に拍手を送りたくなった」、東雅夫「物語全体の「謎」となる核心部分も、非常に考え抜かれており、「迷宮」めいた地下世界の忌まわしさ恐ろしさと相まって、読み手を充分に得心させるものだと思う」。

 超常現象調査といっても、実態は趣味で活動する男女2人組のチームだ。どちらも幽霊を見たことがない。しかし興味はあり、現象の解明にカメラやレコーダ、電磁測定器のデータを活用する。ただ、正体は簡単には明らかにできない。イベント主催の学生、謎めいた出演者や、裏社会に詳しい私立探偵、当てにならない超能力者(テレパス)と怪しい人物がどんどん増えていく。やがて、緑の水にまつわる大きな秘密が浮かび上ってくる。

 参考文献には、ノンフィクションに交じって鈴木光司の名前が挙がっている。呪いなど旧来のオカルトと、現代的なテクノロジー(『リング』のビデオテープとか)を交える手法に影響を受けたようだ。伝播する呪いや過去の怨念などホラーな要素が並ぶが、超常現象ありきの設定ではない(ただし、超能力はある)。強引な上司(女)と弱気の部下(男)のチームも面白く、著者の意図通りオカルト嫌いの読者にも受け入れられるエンタメ作品となっている。

扉デザイン:坂野公一(well design)
扉写真:Adobe Stock

 『鬼神の檻』は、第12回アガサ・クリスティー賞を『そして、よみがえる世界。』で受賞した西式豊の受賞後第1作にあたる。

 大正12年(1923年)、秋田の奥深くにある御荷守(おにもり)村では、江戸中期から続く50年に一度の祭礼が開かれようとしている。それは村にある4つの名家の〈姫〉から貴神に嫁ぐ〈御台〉を選び出すものだった。主人公は姉の不慮の死により、思いがけず〈姫〉となる。昭和48年(1973年)、東京で俳優を目指していた主人公は、母親の交通事故を契機に御荷守村に呼び戻される。自分が〈姫〉の血筋だからという。令和5年(2023年)、秋田市内で起こった凄惨な殺人事件を追う週刊誌の新人記者は、その背後に潜む御荷守村の秘密を探っていく。

 物語は3部に分かれ、ほぼ百年にわたって秋田に暮らす一族を追う。とはいえ、560ページ余の大作でも(『百年の孤独』ではないので)焦点が当たる人物(一族)は限られる。また、本書の解説にもあるように、第1部は(バイオレンス)ホラー、第2部は横溝ミステリ(『悪魔の手毬唄』など)、第3部に至るとSFサスペンスとなる。各部ごとに雰囲気は大きく変貌するのだ。

 面白いのは伝奇ホラー的な祭礼の理由、ミステリ的な殺人事件の謎解きときて、最後のSF的な壮大な結末と、それぞれに(各設定に応じた)理由がつけられている点だ。一つの物語の三様の楽しみ方ともいえる。女性が無力な犠牲者になりがちなホラー/ファンタジーを、行動する女性の視点で語り直したところは今風だ(3部とも主人公は女性)。伝奇小説に始まってSFに終わるのは、半村良(『妖星伝』では、異能者の鬼道衆が最後は宇宙に行く)の伝統を踏襲しているせいかもしれない。

 それにしても、第3部の怒濤の真相究明+カタストロフは読者を翻弄する。ホラー/ミステリだと思って読むとその飛躍に戸惑うだろう。もっとも「特殊設定ミステリ」と考えるのなら良いのかも。

マット・ラフ『魂に秩序を』新潮社

Set This House in Order,2003(浜野アキオ訳)

カバー:Diana Lee Angstadt/Getty Images

 新潮文庫の《海外名作発掘シリーズ》から出た本。本書は原著が2003年なので古典というにはやや新しく、アザーワイズ賞(旧ティプトリー賞)を受賞したといってもマイナーな作品だろう。その分、2分冊~3分冊にすべきところを1冊にする(新潮文庫最厚を謳う)など、編者の強い推しを感じさせる。マット・ラフはエンタメ作家でありながら、ジャンル小説(ミステリ、SF、サスペンス、ノワール、ホラー、ジェンダーなど)の枠組みを意図的に逸脱している。しかも、本書では登場人物自体が「はみ出して」いるのだ。

 ぼくはシアトルの東にある小さな町で下宿している。父たちとも同居しているのだが、そこは下宿(リアルの住居)とは別にある「魂の家」(原題のHouse)なのだ。一階は素通しの大部屋、二階には観覧台があり、コの字型の回廊沿いにたくさんの同居人たちの部屋が並んでいる。ただし、父も同居人たちもすべてがぼくだった。

 症状のため定住が難しかった主人公は、なんとかソフトのベンチャー企業に職を得る。女社長が理解してくれたからだ。そこにもう一人、同じ問題を抱えた女性が加わる。ただ、彼女の症状は安定していなかった。やがて、登場人物たちの過去が徐々に明らかになっていく。

 多重人格をテーマとしている。いわゆる多重人格障害(MPD)は、現在では解離性同一症 / 解離性同一性障害(DID)と記すべき症例である。あえて旧表記とする理由、分離した人格を(断片と考えるのではなく)「魂」とする理由は著者自身が書いたQ&Aで述べられている。そもそも、原著の副題が A Romance Of Souls なのだ。本文中にも言及があるが、ビリー・ミリガンのような多重の人格を、その当人の視点で描いた作品である。第1部(全体の3分の2)では、主人公と女性(その多重人格)、女性社長、下宿の管理人などそれぞれの暗部が語られ、第2部では大本となった事件の真相を探るサスペンスとなる。後半はちょっと駆け足か。

 本書は分厚すぎ(重すぎ)、と躊躇されるかもしれない。それならば、13年後の作品でドラマ化された『ラヴクラフト・カントリー』(600ページとやや薄い)もある。テーマは全く違うが、社会問題を巧みに織り込む技法はより進化していて物語のバランスも良い。

春暮康一『一億年のテレスコープ』早川書房

Cover Illustration:加藤直之
Cover Design:岩郷重力+S.I

 著者が第7回ハヤカワSFコンテスト(2019)で優秀賞を受賞したのは、中編「オーラリメイカー」だった。近作の『法治の獣』(2022)も中編集である。本書は、構想から執筆までに1年半をかけた(SFマガジン2024年10月号「著者の言葉」)初長編になる。分量的に千枚に満たないが、一億年分が含まれるという驚異の長編である。

 主人公は望(のぞむ)その名の由来は「とおくをみること」だ。天文台の望遠鏡で球状星団に魅了され、高校では少人数ながら個性派ぞろいの天文部に入る。そこで、理論肌の友人新(あらた)を得る。大学では電波天文学を専攻、VLBI(Very Long Baseline Interferometer)の存在を知り、異星文明の微弱な信号も受信可能な太陽系サイズのVLBIを構想する。そして、縁(ゆかり)と知り合う。

 第3部で物語は大きく動き出す。21世紀末、百歳となった望は、精神スキャンにより肉体を棄ててアップローダーとなるのだ。生物的な寿命という制約から逃れ、再び巡りあった新・望・縁の3人(元ネタのありそうなネーミング)は、彗星、太陽系外縁、さらに他星系へと異星文明探索の網を広げていく。ただ、精神のアップロードには量子的な制約がある。自分を2人以上無限に増やすことはできないのである。

 物語は第1部から第9部まであり、各部に「遠未来」、現在(その時々の)、「遠過去」の断章が含まれる。「遠未来」では大始祖の足跡をたどる親子の物語、「遠過去」は異星の文明下で起こった重大事件が点描される。そのあたりは、後半の章で回収され壮大な伏線になる。

 グレッグ・イーガン『ディアスポラ』との関連を指摘する感想を見かける。電脳化された人類、異星の探訪など、共通点は確かにあるだろう。とはいえ、本書はイーガンのような「宇宙論」が主題ではない。スターゲートを抜けた先に現れる異星人たちを描くクラーク『失われた宇宙の旅2001』とか、宇宙の膨大な時間の流れを相対論的に描くアンダースン『タウ・ゼロ』、ブラックホールを見える化した小林泰三「海を見る人」などの要素もある。結末も、どこか小松左京『果しなき流れの果に』風である。時間・空間のスケール差が大きすぎるため、宇宙で起こる多くの事象は人類には不可視のものだ(抽象化や推測しかできない)。それでも、本書のように望む(=主人公の名前)ことにこそ、人類の好奇心を代弁するSFの醍醐味がある。

 なお、宮西建礼『銀河風帆走』と本書とは兄弟/姉妹のような関係といえる。どちらも天文部の末裔が主人公なのだから。

宮西建礼『銀河風帆走』東京創元社

Cover Illustration:鈴木康士
Cover Design:岩郷重力+W.I

 著者は1989年生まれ。2013年の第4回創元SF短編賞(同期に倉田タカシ高槻真樹、応募者の中には春暮康一らの名もある)を受賞してデビュー、以来11年が経った。本格SFの書き手として、待望久しい初短編集である。本書は、デビュー以降一貫して追求してきた「宇宙への憧憬」を直接/間接に凝集した作品集といえる。

 もしもぼくらが生まれていたら(2019)地球軌道と交叉する小惑星が発見され、衝突が避けられなくなる。高校男女3人組は、試行錯誤しながら回避策の提案を試みる。
 されど星は流れる(2020)主人公は高校の天文同好会会長だったが、パンデミックで休校になり機材は使えない。そこで、部員同士の離れた自宅で流星観測を始めてみる。
 冬にあらがう(2023)トバ火山噴火が再び起こり、成層圏に達した噴煙により深刻な食糧危機が発生する。食糧を作り出す方法はないのか、化学部の寮生2人は諦めない。
 星海に没す(書下し)人類初の恒星間宇宙船が他星系を目指して出発する。乗組員は人間ではなくAGI+AIだった。だが、それを姉妹船が追ってくる。捕捉し破壊するために。
 銀河風帆走(2013)人類が銀河に広がった未来、その存在を脅かす何ものかがいる。正体を確かめるため、ぼくらは「風」を帆にはらませて遠い宇宙へと飛ぶ。

 冒頭の3作はとてもよく似ている。登場人物は、コンテストのためチームを組んだ男子2人女子1人の高校生、天文同好会の先輩と後輩(どちらも女性の高校2年生と1年生)、高校部活である化学部の女子高生2人(ともに寮生)、とすべてマイナーな文化系部活(サークル/同好会)のメンバーである。少年少女たちは小惑星の軌道を変えるアイデアを議論し、流星の軌道を算出するネットワークのアイデアを出し合い、食糧を代替し栄養補給ができるアイデアを実証しようとする。何れも科学的な論理思考を駆使し、リアルな問題の解決に奮闘する。少年少女が大人も躊躇する難問に挑戦、という正攻法のジュヴナイルなのだ。

 紙魚の手帖VOL.18の著者インタビューによると、「冬にあらがう」の未来に「星海に没す」の設定はつながるらしい。後半2作には人間が出てこない。主人公は生物ではなく機械である。ただ、未来の人類の一形態(電脳化)であったり汎用知性のAGIだったりするので、人間そのものの思考をする。孤独な旅路だが「銀河風帆走」ではパートナー(僚船)が、「星海に没す」では大きな使命感がメンタルを支える。彼ら/彼女らの体は巨大な宇宙船だ。肉体的な束縛から解き放たれ、悠久の時間を越えていくのだ。

 世の中には理系で学ぶ人が3割いる。ただ、その誰もが「宇宙船になりたい」わけではないだろう。しかし、冒頭3作品に近い青春を送った人ならば(文理を問わず)、この新たな『歌う船』に共感を覚えるに違いない。

『紙魚の手帖 vol.18 Genesis 今年も!夏のSF特集』東京創元社

カバーイラストレーション:カシワイ
ブックデザイン:アルビレオ

 昨年から紙魚の手帖の「夏のSF特集号」となったGenesisの第2弾。紙魚の手帖は隔月刊で、今現在のSFマガジンと同じペースだが、こちらは雑誌(第3種郵便物)ではなく単行本扱いである。もともとのアンソロジー《Genesis》も雑誌風の単行本だったので、(風合いはともかく)形式は一致しているともいえる。連載やエッセイ、レビューを別にすると、第15回創元SF短編賞受賞作+中短編7作という構成。

 稲田一声「喪われた感情のしずく」商品開発に苦しむ新人の感情調合師は、伝説的なカリスマが十数年ぶりに新作のオーデモシオンを発表すると聞いて色めき立つ。 
 宮澤伊織「ときときチャンネル#8 【ない天気作ってみた】」人気シリーズの最新作。今回は天候制御をテーマに、インターネット3から出てきた怪しい発明品が登場する。
 阿部登龍「狼を装う」東京から実家のクリーニング店に戻ってきた主人公は、乾燥室に吊るされた見知らぬ毛皮のコートをまとってみる。第14回創元SF短編賞受賞後第一作。
 レイチェル・K・ジョーンズ「子どもたちの叫ぶ声」小学校には銃撃犯から逃れるためポータルが用意されている。その中にはマイルズ卿と称するネズミがいた。
 斧田小夜「ほいち」神社の駐車場に意識を持った車が放置されていた。その車内ネットワークには、車の理解できないメッセージがどこからかまぎれ込んでくる。
 赤野工作「これを呪いと呼ぶのなら」任意の言葉を「恐怖」に変えるその脳直接書き込み型ゲームには、「呪われる」という迷信めいたネットのウワサがあった。
 松崎有理「アルカディアまで何マイル」文明が滅んだ未来、過酷な労働に苦しむ少年は、たまたま巡り合った鵞鳥(ガチョウ)兵と共にアルカディアを目指す。
 飛浩隆「WET GALA」2083年、メトロポリタン美術館で大規模な回顧展が開催される。オートクチュールのようなロボットを手掛けてきた創始者にまつわる展覧会だった。

 まず受賞作「喪われた感情のしずく」では、各選考委員から、飛浩隆「感情を操作する薬、新技術で社会変革を画策する天才、平凡な主人公による抵抗。まさに王道であり、大枠から細部まで現代のSF短編として今回随一の仕上がりだ」、宮澤伊織「香水になぞらえたであろう人工感情というアイデアが、アイデアだけに終わらず、最後までストーリーを動かすエンジンになっているのがとてもよかった。文体も平易な中に必要な情報が織り込まれていて読みやすい」、小浜徹也(編集部)「感情のコントロールを人工物に頼るというアイデアが新鮮であり現代的である。人工感情の体験も、同業者の目を通すことで分析的に語れている。過去のいくつものオーデモシオンの商品名も気が利いていた」など、高評価を得ている。

 オーデモシオンがフランス語の eau de émotion だとすると「感情の水」の意味になる。人を操る香水が出てくるパトリック・ジュースキント『香水』を思い出した。本作の「調合師」も「調香師」とのアナロジーから出てきたものだろう。人の頭にレセプタ(受容器、形状は不明)があって(ケーブルをジャックインするとかではなく)そこにオーデモシオンを注入するアナログさがユニークだ。ただ、50年以上先でレセプタがデフォにある未来なら、現在の延長ではなくもっと異質な社会になるのでは。

 他では、松木凛を思わせる憑依もの「狼を装う」は、日常的な倦怠から超常世界への変転が面白い。「子どもたちの叫ぶ声」はシリアスな社会問題とファンタジイとが対比ではなく交錯する。「これを呪いと呼ぶのなら」は、かつて炎上事件でトラウマを負ったゲームライターが、次第に底なし穴に墜ちていく展開が怖い。「WET GALA」は(MET GALAの頭文字のみ裏返しているので)SCIENCE FASHIONに載るべき作品ではないかと思ったが、創始者とAIチップの開発会社との関係/さまざまな物語中(生成)物語/〈テホム〉による世界規模の災厄などなど、ファッションを超越しためまいを誘う中編だった。とはいえ、ちょっと詰め込み過ぎ。