上條一輝『深淵のテレパス』東京創元社/西式 豊『鬼神の檻』早川書房

装画:POOL
装幀:岡本歌織(next door design)

 創元ホラー長編賞は「紙魚の手帖」創刊を記念して設けられた賞で、1回限りの実施とされる『深淵のテレパス』を書いた受賞者は1992年生まれ、加味條名義でオモコロなどでWebライターも務めているようだ。

 PR会社の若い営業部長が、部下の誘いを受けて怪談イベントに参加、風変わりな演者から奇妙な話を聞く。ところがその後、周辺で何かの気配がまとわりつくようになる。ぱしゃり、という水音が聞こえる。たまりかねた彼女は、超常現象調査を番組にするYouTubeチャンネルに相談を入れる。

 選考委員の講評は以下の通り。澤村伊智「些細な怪現象に次第に日常を脅かされ、超自然的恐怖を受け入れざるを得なくなるプロセスが丁寧かつ的確に書かれており、この箇所を読んだ時点で作者に拍手を送りたくなった」、東雅夫「物語全体の「謎」となる核心部分も、非常に考え抜かれており、「迷宮」めいた地下世界の忌まわしさ恐ろしさと相まって、読み手を充分に得心させるものだと思う」。

 超常現象調査といっても、実態は趣味で活動する男女2人組のチームだ。どちらも幽霊を見たことがない。しかし興味はあり、現象の解明にカメラやレコーダ、電磁測定器のデータを活用する。ただ、正体は簡単には明らかにできない。イベント主催の学生、謎めいた出演者や、裏社会に詳しい私立探偵、当てにならない超能力者(テレパス)と怪しい人物がどんどん増えていく。やがて、緑の水にまつわる大きな秘密が浮かび上ってくる。

 参考文献には、ノンフィクションに交じって鈴木光司の名前が挙がっている。呪いなど旧来のオカルトと、現代的なテクノロジー(『リング』のビデオテープとか)を交える手法に影響を受けたようだ。伝播する呪いや過去の怨念などホラーな要素が並ぶが、超常現象ありきの設定ではない(ただし、超能力はある)。強引な上司(女)と弱気の部下(男)のチームも面白く、著者の意図通りオカルト嫌いの読者にも受け入れられるエンタメ作品となっている。

扉デザイン:坂野公一(well design)
扉写真:Adobe Stock

 『鬼神の檻』は、第12回アガサ・クリスティー賞を『そして、よみがえる世界。』で受賞した西式豊の受賞後第1作にあたる。

 大正12年(1923年)、秋田の奥深くにある御荷守(おにもり)村では、江戸中期から続く50年に一度の祭礼が開かれようとしている。それは村にある4つの名家の〈姫〉から貴神に嫁ぐ〈御台〉を選び出すものだった。主人公は姉の不慮の死により、思いがけず〈姫〉となる。昭和48年(1973年)、東京で俳優を目指していた主人公は、母親の交通事故を契機に御荷守村に呼び戻される。自分が〈姫〉の血筋だからという。令和5年(2023年)、秋田市内で起こった凄惨な殺人事件を追う週刊誌の新人記者は、その背後に潜む御荷守村の秘密を探っていく。

 物語は3部に分かれ、ほぼ百年にわたって秋田に暮らす一族を追う。とはいえ、560ページ余の大作でも(『百年の孤独』ではないので)焦点が当たる人物(一族)は限られる。また、本書の解説にもあるように、第1部は(バイオレンス)ホラー、第2部は横溝ミステリ(『悪魔の手毬唄』など)、第3部に至るとSFサスペンスとなる。各部ごとに雰囲気は大きく変貌するのだ。

 面白いのは伝奇ホラー的な祭礼の理由、ミステリ的な殺人事件の謎解きときて、最後のSF的な壮大な結末と、それぞれに(各設定に応じた)理由がつけられている点だ。一つの物語の三様の楽しみ方ともいえる。女性が無力な犠牲者になりがちなホラー/ファンタジーを、行動する女性の視点で語り直したところは今風だ(3部とも主人公は女性)。伝奇小説に始まってSFに終わるのは、半村良(『妖星伝』では、異能者の鬼道衆が最後は宇宙に行く)の伝統を踏襲しているせいかもしれない。

 それにしても、第3部の怒濤の真相究明+カタストロフは読者を翻弄する。ホラー/ミステリだと思って読むとその飛躍に戸惑うだろう。もっとも「特殊設定ミステリ」と考えるのなら良いのかも。

マット・ラフ『魂に秩序を』新潮社

Set This House in Order,2003(浜野アキオ訳)

カバー:Diana Lee Angstadt/Getty Images

 新潮文庫の《海外名作発掘シリーズ》から出た本。本書は原著が2003年なので古典というにはやや新しく、アザーワイズ賞(旧ティプトリー賞)を受賞したといってもマイナーな作品だろう。その分、2分冊~3分冊にすべきところを1冊にする(新潮文庫最厚を謳う)など、編者の強い推しを感じさせる。マット・ラフはエンタメ作家でありながら、ジャンル小説(ミステリ、SF、サスペンス、ノワール、ホラー、ジェンダーなど)の枠組みを意図的に逸脱している。しかも、本書では登場人物自体が「はみ出して」いるのだ。

 ぼくはシアトルの東にある小さな町で下宿している。父たちとも同居しているのだが、そこは下宿(リアルの住居)とは別にある「魂の家」(原題のHouse)なのだ。一階は素通しの大部屋、二階には観覧台があり、コの字型の回廊沿いにたくさんの同居人たちの部屋が並んでいる。ただし、父も同居人たちもすべてがぼくだった。

 症状のため定住が難しかった主人公は、なんとかソフトのベンチャー企業に職を得る。女社長が理解してくれたからだ。そこにもう一人、同じ問題を抱えた女性が加わる。ただ、彼女の症状は安定していなかった。やがて、登場人物たちの過去が徐々に明らかになっていく。

 多重人格をテーマとしている。いわゆる多重人格障害(MPD)は、現在では解離性同一症 / 解離性同一性障害(DID)と記すべき症例である。あえて旧表記とする理由、分離した人格を(断片と考えるのではなく)「魂」とする理由は著者自身が書いたQ&Aで述べられている。そもそも、原著の副題が A Romance Of Souls なのだ。本文中にも言及があるが、ビリー・ミリガンのような多重の人格を、その当人の視点で描いた作品である。第1部(全体の3分の2)では、主人公と女性(その多重人格)、女性社長、下宿の管理人などそれぞれの暗部が語られ、第2部では大本となった事件の真相を探るサスペンスとなる。後半はちょっと駆け足か。

 本書は分厚すぎ(重すぎ)、と躊躇されるかもしれない。それならば、13年後の作品でドラマ化された『ラヴクラフト・カントリー』(600ページとやや薄い)もある。テーマは全く違うが、社会問題を巧みに織り込む技法はより進化していて物語のバランスも良い。

春暮康一『一億年のテレスコープ』早川書房

Cover Illustration:加藤直之
Cover Design:岩郷重力+S.I

 著者が第7回ハヤカワSFコンテスト(2019)で優秀賞を受賞したのは、中編「オーラリメイカー」だった。近作の『法治の獣』(2022)も中編集である。本書は、構想から執筆までに1年半をかけた(SFマガジン2024年10月号「著者の言葉」)初長編になる。分量的に千枚に満たないが、一億年分が含まれるという驚異の長編である。

 主人公は望(のぞむ)その名の由来は「とおくをみること」だ。天文台の望遠鏡で球状星団に魅了され、高校では少人数ながら個性派ぞろいの天文部に入る。そこで、理論肌の友人新(あらた)を得る。大学では電波天文学を専攻、VLBI(Very Long Baseline Interferometer)の存在を知り、異星文明の微弱な信号も受信可能な太陽系サイズのVLBIを構想する。そして、縁(ゆかり)と知り合う。

 第3部で物語は大きく動き出す。21世紀末、百歳となった望は、精神スキャンにより肉体を棄ててアップローダーとなるのだ。生物的な寿命という制約から逃れ、再び巡りあった新・望・縁の3人(元ネタのありそうなネーミング)は、彗星、太陽系外縁、さらに他星系へと異星文明探索の網を広げていく。ただ、精神のアップロードには量子的な制約がある。自分を2人以上無限に増やすことはできないのである。

 物語は第1部から第9部まであり、各部に「遠未来」、現在(その時々の)、「遠過去」の断章が含まれる。「遠未来」では大始祖の足跡をたどる親子の物語、「遠過去」は異星の文明下で起こった重大事件が点描される。そのあたりは、後半の章で回収され壮大な伏線になる。

 グレッグ・イーガン『ディアスポラ』との関連を指摘する感想を見かける。電脳化された人類、異星の探訪など、共通点は確かにあるだろう。とはいえ、本書はイーガンのような「宇宙論」が主題ではない。スターゲートを抜けた先に現れる異星人たちを描くクラーク『失われた宇宙の旅2001』とか、宇宙の膨大な時間の流れを相対論的に描くアンダースン『タウ・ゼロ』、ブラックホールを見える化した小林泰三「海を見る人」などの要素もある。結末も、どこか小松左京『果しなき流れの果に』風である。時間・空間のスケール差が大きすぎるため、宇宙で起こる多くの事象は人類には不可視のものだ(抽象化や推測しかできない)。それでも、本書のように望む(=主人公の名前)ことにこそ、人類の好奇心を代弁するSFの醍醐味がある。

 なお、宮西建礼『銀河風帆走』と本書とは兄弟/姉妹のような関係といえる。どちらも天文部の末裔が主人公なのだから。

宮西建礼『銀河風帆走』東京創元社

Cover Illustration:鈴木康士
Cover Design:岩郷重力+W.I

 著者は1989年生まれ。2013年の第4回創元SF短編賞(同期に倉田タカシ高槻真樹、応募者の中には春暮康一らの名もある)を受賞してデビュー、以来11年が経った。本格SFの書き手として、待望久しい初短編集である。本書は、デビュー以降一貫して追求してきた「宇宙への憧憬」を直接/間接に凝集した作品集といえる。

 もしもぼくらが生まれていたら(2019)地球軌道と交叉する小惑星が発見され、衝突が避けられなくなる。高校男女3人組は、試行錯誤しながら回避策の提案を試みる。
 されど星は流れる(2020)主人公は高校の天文同好会会長だったが、パンデミックで休校になり機材は使えない。そこで、部員同士の離れた自宅で流星観測を始めてみる。
 冬にあらがう(2023)トバ火山噴火が再び起こり、成層圏に達した噴煙により深刻な食糧危機が発生する。食糧を作り出す方法はないのか、化学部の寮生2人は諦めない。
 星海に没す(書下し)人類初の恒星間宇宙船が他星系を目指して出発する。乗組員は人間ではなくAGI+AIだった。だが、それを姉妹船が追ってくる。捕捉し破壊するために。
 銀河風帆走(2013)人類が銀河に広がった未来、その存在を脅かす何ものかがいる。正体を確かめるため、ぼくらは「風」を帆にはらませて遠い宇宙へと飛ぶ。

 冒頭の3作はとてもよく似ている。登場人物は、コンテストのためチームを組んだ男子2人女子1人の高校生、天文同好会の先輩と後輩(どちらも女性の高校2年生と1年生)、高校部活である化学部の女子高生2人(ともに寮生)、とすべてマイナーな文化系部活(サークル/同好会)のメンバーである。少年少女たちは小惑星の軌道を変えるアイデアを議論し、流星の軌道を算出するネットワークのアイデアを出し合い、食糧を代替し栄養補給ができるアイデアを実証しようとする。何れも科学的な論理思考を駆使し、リアルな問題の解決に奮闘する。少年少女が大人も躊躇する難問に挑戦、という正攻法のジュヴナイルなのだ。

 紙魚の手帖VOL.18の著者インタビューによると、「冬にあらがう」の未来に「星海に没す」の設定はつながるらしい。後半2作には人間が出てこない。主人公は生物ではなく機械である。ただ、未来の人類の一形態(電脳化)であったり汎用知性のAGIだったりするので、人間そのものの思考をする。孤独な旅路だが「銀河風帆走」ではパートナー(僚船)が、「星海に没す」では大きな使命感がメンタルを支える。彼ら/彼女らの体は巨大な宇宙船だ。肉体的な束縛から解き放たれ、悠久の時間を越えていくのだ。

 世の中には理系で学ぶ人が3割いる。ただ、その誰もが「宇宙船になりたい」わけではないだろう。しかし、冒頭3作品に近い青春を送った人ならば(文理を問わず)、この新たな『歌う船』に共感を覚えるに違いない。

『紙魚の手帖 vol.18 Genesis 今年も!夏のSF特集』東京創元社

カバーイラストレーション:カシワイ
ブックデザイン:アルビレオ

 昨年から紙魚の手帖の「夏のSF特集号」となったGenesisの第2弾。紙魚の手帖は隔月刊で、今現在のSFマガジンと同じペースだが、こちらは雑誌(第3種郵便物)ではなく単行本扱いである。もともとのアンソロジー《Genesis》も雑誌風の単行本だったので、(風合いはともかく)形式は一致しているともいえる。連載やエッセイ、レビューを別にすると、第15回創元SF短編賞受賞作+中短編7作という構成。

 稲田一声「喪われた感情のしずく」商品開発に苦しむ新人の感情調合師は、伝説的なカリスマが十数年ぶりに新作のオーデモシオンを発表すると聞いて色めき立つ。 
 宮澤伊織「ときときチャンネル#8 【ない天気作ってみた】」人気シリーズの最新作。今回は天候制御をテーマに、インターネット3から出てきた怪しい発明品が登場する。
 阿部登龍「狼を装う」東京から実家のクリーニング店に戻ってきた主人公は、乾燥室に吊るされた見知らぬ毛皮のコートをまとってみる。第14回創元SF短編賞受賞後第一作。
 レイチェル・K・ジョーンズ「子どもたちの叫ぶ声」小学校には銃撃犯から逃れるためポータルが用意されている。その中にはマイルズ卿と称するネズミがいた。
 斧田小夜「ほいち」神社の駐車場に意識を持った車が放置されていた。その車内ネットワークには、車の理解できないメッセージがどこからかまぎれ込んでくる。
 赤野工作「これを呪いと呼ぶのなら」任意の言葉を「恐怖」に変えるその脳直接書き込み型ゲームには、「呪われる」という迷信めいたネットのウワサがあった。
 松崎有理「アルカディアまで何マイル」文明が滅んだ未来、過酷な労働に苦しむ少年は、たまたま巡り合った鵞鳥(ガチョウ)兵と共にアルカディアを目指す。
 飛浩隆「WET GALA」2083年、メトロポリタン美術館で大規模な回顧展が開催される。オートクチュールのようなロボットを手掛けてきた創始者にまつわる展覧会だった。

 まず受賞作「喪われた感情のしずく」では、各選考委員から、飛浩隆「感情を操作する薬、新技術で社会変革を画策する天才、平凡な主人公による抵抗。まさに王道であり、大枠から細部まで現代のSF短編として今回随一の仕上がりだ」、宮澤伊織「香水になぞらえたであろう人工感情というアイデアが、アイデアだけに終わらず、最後までストーリーを動かすエンジンになっているのがとてもよかった。文体も平易な中に必要な情報が織り込まれていて読みやすい」、小浜徹也(編集部)「感情のコントロールを人工物に頼るというアイデアが新鮮であり現代的である。人工感情の体験も、同業者の目を通すことで分析的に語れている。過去のいくつものオーデモシオンの商品名も気が利いていた」など、高評価を得ている。

 オーデモシオンがフランス語の eau de émotion だとすると「感情の水」の意味になる。人を操る香水が出てくるパトリック・ジュースキント『香水』を思い出した。本作の「調合師」も「調香師」とのアナロジーから出てきたものだろう。人の頭にレセプタ(受容器、形状は不明)があって(ケーブルをジャックインするとかではなく)そこにオーデモシオンを注入するアナログさがユニークだ。ただ、50年以上先でレセプタがデフォにある未来なら、現在の延長ではなくもっと異質な社会になるのでは。

 他では、松木凛を思わせる憑依もの「狼を装う」は、日常的な倦怠から超常世界への変転が面白い。「子どもたちの叫ぶ声」はシリアスな社会問題とファンタジイとが対比ではなく交錯する。「これを呪いと呼ぶのなら」は、かつて炎上事件でトラウマを負ったゲームライターが、次第に底なし穴に墜ちていく展開が怖い。「WET GALA」は(MET GALAの頭文字のみ裏返しているので)SCIENCE FASHIONに載るべき作品ではないかと思ったが、創始者とAIチップの開発会社との関係/さまざまな物語中(生成)物語/〈テホム〉による世界規模の災厄などなど、ファッションを超越しためまいを誘う中編だった。とはいえ、ちょっと詰め込み過ぎ。

伊格言・他『台湾文学コレクション1 近未来短篇集』早川書房

臺灣近未來小說集,2024(呉佩珍/白水紀子/山口守編、三須祐介訳)

装画:今日マチ子
装幀:田中久子

 台湾の国立台湾文学館による「台灣文學進日本」(台湾文学を日本向けに翻訳紹介するプロジェクト。クールジャパンのように総花的なものではない)助成金を得て出版されたもの。コレクションは全部で3冊から成るが、ここでは「近未来篇」を取り上げる。これまで台湾のSF作家というと、クィアSFの紀大偉古典的な張系国などが紹介されてきた。とはいえ、現時点でSFが盛んに書かれている状況ではない。本書では未紹介作家を中心に、SF的な現代小説に枠を広げて選出したようだ。

 賀景濱(1958)*「去年アルバーで」(2005)バベルの塔のあるバーチャル空間に出入りする俺は、酒場やネイルサロンで酵母菌、右脳や左脳ととりとめない会話をする。
 湖南蟲(1981)*「USBメモリの恋人」(2008)社長秘書の私は、片思いの社長の声をメモリに録音し、忘年会商品のアンドロイドで再現しようとする。
 黃麗群(1979)「雲を運ぶ」(2019)親子の代理人は、ヒトの脳にログインできる能力がある。代々受け継がれてきたその力で、脳から雲のような何かを運び出すのだ。
 姜天陸(1962)*「小雅」(2022)母親の介護用アンドロイド小雅が失踪する。遠方に勤める息子は代替品を申請するが、虐待を疑う担当者との交渉は難航する。
 林新惠(1990)*「ホテル・カリフォルニア」(2020)無人の町を旅する私は、ホテル・カリフォルニアにチェックインする。だが、部屋から出られなくなってしまう。
 蕭熠(1980)*「2042」(2020)誰もが人工頭蓋を付け、意識のアップロードをする2040年代。主人公はふと外出したくなって骨董品店に向かう。
 許順鏜(1966)*「逆関数」(2015)教授の下に赴いた刑事は、過去に事件を起こしたストーリーマシンには、それが創造した物語に共通点があったと告げる。
 伊格言(1977)「バーチャルアイドル二階堂雅紀詐欺事件」(2021)23世紀の日本、多くの被害者を破滅させたバーチャルアイドル詐欺事件の真相とは。
 *:日本で初紹介の作家、括弧内は作家の生年と作品の発表年

 全般的には、やはり現代文学の雰囲気が色濃い。SFをテーマに据えるのではなく、あくまでツールとしてカジュアルに扱っている。近未来の社会が舞台で、VR、アンドロイドなどが登場するが、それら自体が(何かの象徴ではあっても)物語を律するキーではないのだ。中編「バーチャルアイドル二階堂雅紀詐欺事件」は、200年後なのに(類神経生物とかを除けば)現在の日本とほぼ同じという(あえてそうした?)描写を含めて、特殊設定ミステリを思わせる。陸秋槎斜線堂有紀と読み比べてみるべきなのかも。

不破有紀『はじめてのゾンビ生活』KADOKAWA/篠谷巧『夏を待つぼくらと、宇宙飛行士の白骨死体』小学館

 KADOKAWA電撃文庫と小学館ガガガ文庫から、最近話題になった2作品を取り上げた。前者は異色のゾンビ年代記、後者はロングセラーSFをキーワードとした学園ものである。

イラスト:雪下まゆ
デザイン:藤田峻矢(草野剛デザイン事務所)

 『はじめてのゾンビ生活』は、電撃ノベコミ+に掲載されたのち単行本となった不破有紀のデビュー長編だ。

 26世紀、女子高生がゾンビ検査で陽性となるところから物語は始まる。この時代ではゾンビ化が人類の4割まで進んでいるものの、親子間でも差別意識がまだ消えていない。月や火星の開発には、過酷な環境に耐えるゾンビが欠かせなかった。やがて、ゾンビたちは新人類と呼ばれるようになる。

 2151年から(3068年の人類滅亡を経て)3149年まで、千年を超える間のさまざまなエピソードが、地球、月、火星、新世界と地域ごとにシャッフルされて並ぶ。全編が50余の短い章に分かれ、関連のある物語もばらばらになっている(単独の章もある)。例えば、2519年の次が3068年、2315年、2445年と目まぐるしく入れ替わる。ただ、数百年~千年もの未来なのに社会やテクノロジー、人間(ゾンビ)関係に至るまで21世紀とあまり変わりがない。なので、読み手の混乱は最小限に抑えられる。

 腐ったものを好み、鉱物まで平気で食らうゾンビの生態は、一般の生物と相容れないと思えるが、本書の中では人種や民族、性差という今日的な差異と同等に表現されている。実際、そういう趣旨の啓蒙パンフレットが本書の巻頭に置かれている。ここだけならコメディに見える。後に行くほど、ゾンビ=新人類は、紅い目をしたふつうの人間と変わらなくなっていく。とはいえ、一般名詞化した(題材的にありふれた)ゾンビを描き出すためのユニークな切り口には違いないだろう。

イラスト:さけハラス

『夏を待つぼくらと、宇宙飛行士の白骨死体』は、2024年の第18回小学館ライトノベル大賞《優秀賞》作品である(『星を紡ぐエライザ』を改題)。篠谷巧は、エブリスタの2021年『この文庫がすごい!』大賞を受賞しデビュー、ゲーム翻訳者の経歴があり、本書でも英語慣用句を直訳(青天の霹靂を「青から突然」とか)でしゃべる母親が登場する。

 高校生活最後の夏、友人と共に夜の学校に忍び込んだ主人公は、中学生の頃に旧校舎にひそかに貼り付けた呪いのお札の様子を見にいこう誘われる。旧校舎はもう取り壊されるのだ。途中、そのとき仲間だった1人も加わり、離れた場所にある木造旧校舎に向かう。だが、隠し場所にあったのは、お札ではなく宇宙飛行士の白骨死体だった。

 宇宙飛行士はチャーリーと名付けられる引用したレビューは初紹介当時のもの)。はたしてこの人骨は本物なのか、宇宙服は実物なのか、なぜここにあるのか……中学生時代に仲間だったもう1人を加えたチームは謎の解明に奮闘する。その中で、メンバーの個人的な秘密や思いが次第に明らかになる。ホーガンなどのSFネタを程よくちりばめながらも、ファンタジーではなく王道の学園ドラマに着地しているのは良い。

安野貴博『松岡まどか、起業します』早川書房/柞刈湯葉『幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをする』新潮社

 今週はSFコアではない(ほぼ現代小説である)ものの、共にとてもSF的でロジカルな書かれ方をしている2作品をとりあげる。AIが一つの要素を占めている点も(今どきの)共通点だろう。

扉イラスト:丹地陽子
扉デザイン:鈴木大輔・江崎輝海(ソウルデザイン)

 都知事選で一躍時の人となった著者だが、『松岡まどか、起業します AIスタートアップ戦記』は、その本業の知見を凝集した「起業小説」である。デビュー作『サーキット・スイッチャー』と同様、本書中の起業もまたAIがらみだ。

 主人公は大学4年生、内定先の人材関連大手リクディード社でインターンとして働いていた。配属先は超多忙な事業企画室で、切れ者リーダーの指導を受けながら仕事を覚えていく。この会社はAIの利用規定がとても保守的だった。ところがある日、主人公まどかは事業部長に呼び出され、内定取り消しを告げられる。

 同じころ、起業するなら投資をするという甘い誘いがある。破れかぶれになった主人公は契約を結ぶが、契約書には1年以内に企業価値が10億円にならなければ、会社側が莫大なペナルティを負うという落とし穴条項が仕掛けられていた。目標達成の目途は全く立たない。それでも、あの厳しかったリーダーが(なぜか)離職してまで参画してくれる。

 リーダーのサポートを受け、資金を得るためのピッチをスタートアップと投資家のマッチングイベントで披露、頼りになる技術者も仲間になり、何よりまどかにはAIを使いこなすセンスがあった。しかし、最初の資金調達は何とか成功するも、競合するリクディードからのさまざまな妨害と、出資者からの突き上げがまどかを翻弄する。

 PDCAとかの会社用語だけでなく、スタートアップ特有のタームが飛び交う。スピードが重要なため、会社方針のピボットが行われたり、まずは資金を得るためのセル・ビフォア・ビルドをする、などなどだ。お金が必要なAIの技術開発最前線は(金融工学などと同様)アカデミアではなく企業で生まれる、とも書かれている。

 物語は、ITにまつわる世間を騒がせたトラブルも取り入れ、わずか1年のレンジで起こる危機また危機の連続や、一歩間違えば黒字でも倒産する紙一重の資金調達(時間勝負なので資金をストックする余裕がない)と、クリフハンガーな展開になる。とはいえ、結末はなかなかリアルである。決してありえないものではない。最後には(いまでもこのようなサービスはあるのだが)、ちょっとSF的でエモーショナルなシーンがある。

カバー装画:さけハラス   カバーデザイン:川谷康久(川谷デザイン)

 『幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをする』は、新潮文庫nexから出た、柞刈湯葉の書下ろし長編である。nexはキャラ重視のレーベルなのでJKも出てくる。ラノベ風味をあまり感じないのは、他人の気持ちが分からない理系男子が主人公のせいもある。

 地方に住む大学生の主人公が、バイトで霊媒師の助手になる。真夏なのに黒紋付の和服を着こむその霊媒師は、百歳で亡くなった曾祖母(ひいばあちゃん)の学友だと称するのに、母親より若く中年女性としか見えない。

 バイト代の気前はよいが、仕事は不可解で不条理なものばかり。道路でエアバックを膨らませ、航空券のeチケットを燃やし、空き地で糸を焼き、増水した川に浮き輪を投げたりする。霊媒師が見えるという霊を、主人公はまったく見ることができないのだ。ただ、霊が残ることには何がしかの根拠があって、嘘ばかりだとは言えない。そのメカニズムの解明に興味が向く。

 主人公は中高と学年トップで勉強がよくできた。遠方の難関校に興味はなく、地元大学を選び自分で文献を調べ勉強する。舞台は地方都市、両親の家から通学し、曾祖母や祖母が暮らしていた古い本家もすぐ近所にある。曾祖父母はかつては町の名士だった。霊媒師も近くに住んでいる。おどろおどろしいというより、どこにでもある地方の町と思える。

 意図的に超常的なホラー臭を消した設定だ。そこに文学部の女性講師(この講師と、上記『松岡まどか』の冷静なリーダーは立ち位置が似ている)や女子高生が絡み、町の「埋蔵金」が明らかになるなどミステリぽくなっていく。物語は2019年に始まり、コロナ禍を経た2024年にエピローグとなる。結末にはちょっとだけAIが出てくる。続編があるのなら、生かされるのかもしれない。

キャサリン・M・ヴァレンテ『デシベル・ジョーンズの銀河オペラ』早川書房

Space Opera,2018(小野田和子訳)

カバーデザイン:坂野公一+吉田友美(welle design)
カバーイラスト:jyari

 ヴァレンテは1979年生まれの米国作家。邦訳はファンタジーの《孤児の物語》(2006~07、全2巻)、《妖精の国》(2009~16、既訳は全5巻中の2巻まで)や『パリンプセスト』(2009)などがあるが、SF長編ではこれが初めてとなる。書かれた動機がちょっと変わっている。

 著者はユーロビジョン・ソング・コンテスト(USC)にどハマリ、年1回のイベントを熱心に実況ツィートしていた。USCは欧州放送連合(中東の一部を含む)の視聴者なら誰でも知っている超有名な音楽イベント(およそ70年の歴史がある)である。しかし、域外の国(アメリカを含む)ではあまり知られていない。そこに、フォロワーからのコメント「SF/ファンタジーのユーロビジョン小説を書くべきだ」がくる。さらに著者史上最速で、編集者からのオファーもあったという(本書の「ライナーノーツ」など)。

 一瞬ヒットしてたちまち忘れられてしまったロックバンド〈絶対零度〉のボーカル、デシベル・ジョーンズの前に、身長7フィートでウルトラマリン色のフラミンゴ+チョウチンアンコウの物体が現れる。彼の前だけではない、すべての家庭に同時に現れたのだ。そして〈絶対零度〉が銀河系グランプリの人類代表に選ばれたのだと告げる。銀河のすべての知的生命が参加するそのグランプリで最下位になると、人類は知的水準未達で丸ごと抹消されてしまう。

 異形の宇宙人たちが多数登場する(表紙イラストも良いのだが、ファンがレゴで作ったキャラがなかなかかわいいのでご参考に)。脱力系+皮肉の効いたギャグ満載で、『銀河ヒッチハイク・ガイド』の影響を強く受けたというのもよく理解できる。万能の宇宙人が同時多発的に現れご神託(メッセージ)を下すとか、ダメ人間がありえない人類代表に選ばれてしまうとかのパターンは、SFアニメやコミックでもお馴染みだろう。ある種の定番ネタから物語は成り立っている。

 しかし、本書からはヴァレンテ独特のこだわりが濃厚に立ち昇ってくる。各章の冒頭に(わずかな引用なのだが)USC発表曲の歌詞が掲載され(そのため、たくさんの著作権表示がある)、お気に入りの曲名が章題になっている。そして、登場人物たちの境遇や主張の描写が、物語のバランスを崩すほどやたらと執拗で長い。まだ、いくらでも書けるという表明だろう(続編が今秋には出る)。なんといっても、このノリこそが読みどころなのだ。

えたいのしれない怖さ、3冊の絵本から

 1月から続けてきたシミルボン転載コラムですが、今回が最終回になります。まだ数編は残ってはいるものの、その時々の出来事に合わせて書いた記事もあり、おさまりが悪いのでまたの機会に。最後は、ちょうどいまのシーズンに合う、3冊のホラー絵本紹介で締めくくります。以下本文。

 世の中には「えたいのしれない怖さ」というものがあります。しっかりと見えたわけではないのに、けれど何かがいるような気がする。いつまでたっても正体がわからず、もやもやとしたままなので怖い。ひとめで化けものとわかる、怪物や妖怪がでてくるわけではありません。ただ、よく知っているものが不気味な形に見えたり、形のないものが無性に怖くなることがあります。そんな世界をのぞいてみたいのなら、この3冊の絵本がぴったりかもしれません。1つには見えないともだちが、1つには見えないものの正体が、さいごの1つには見えなかった本心があらわれてくるからです。

おともだち できた?
 おんだりく恩田陸)がかきおろしたえ本です。子どもむけの本で「こわいものはよくない」といううごきに、はんぱつしてかいたということです。それだけに、とてもこわい本になっています。

 小さな女の子が、あたらしいいえにひっこしてきます。そこはたくさんのうちがたちならぶ町ですが、女の子はひとりであそんでいます。しんぱいになったおとうさんやおかあさんは、女の子にきいてみます。

「おともだち できた?」

 人によってさまざまですが、小さなときにくうそうのともだちをつくる子どもはいます。それが「見えないともだち」です。子どもにとっては、ようせいやせいれい、ゆうれいやおばけ、うちゅうじんやかいじゅうだったりします。おともだちがやさしければよいのですが、生きものですらない「なにか」だと、ちゅういしないといけません。うっかりしりあったことで、そのせかいにさらわれてしまうかも。この本のいしいきよたか石井聖岳)のえは、あかるい町のけしきが、くらいどこか、うらがわのどこかにかわっていくようすをえがいています。

はこ
 『はこ』は、東雅夫の編集で10巻まで出た《怪談えほん》の1冊です(註:最終的に14巻まで出ています)。《十二国記》シリーズや『残穢』を書いた小野不由美の本です。

 ある日、女の子が小さな「はこ」を見つけます。何のはこか分かりません。あけることができず、中からコソコソ音がします。あめのふる日に、はこは開きますが、なかみはからっぽ。するとこんどは、メダカのえさが入っていたはこが開かなくなります。しかも、メダカがいなくなってしまいました。そのあとも、はこが開くと何かがなくなり、また次の少し大きなはこが閉じていくのです。

 「はこ」の中にはいったい何がいるのか。しだいに大きくなる(成長している)中身は、「えたいのしれない怖さ」そのもの。知りたいけれども、知ってしまうときっと不幸になるもの。正体がわからないものは、無用な想像をかきたてます。考えれば考えるほど、怖さは大きくなっていきます。たのしい想像ではなく、不安な思いをふくらませていくようです。どんな家にも、さがしてみれば開かない「はこ」が見つかるかもしれません。nakabanの描く絵は、クレヨン主体で、お話全体を夕暮れのようなくらさでおおっています。

駝鳥
 この絵本は、作者の筒井康隆がデビュー間もないころに書いた、『欠陥大百科』(1970)に収められたショート・ショートをもとにしています(のちに短編集『笑うな』にも収録されました)。動物園でよく見かける、飛べない大きな鳥、駝鳥(だちょう)が登場します。

 ひとりの旅行者が砂漠をさまよっています。旅行者の後ろには、なぜか大きな駝鳥がいて、あとをついてきます。最初のうちは食べものをわけ与えていた旅行者でしたが、いつまでたっても砂漠を出られないと分かると、ひとり占めしようとします。ある日、旅行者は自分が大事にしていた金時計が、なくなっていることに気がつきます。きっと駝鳥が飲み込んでしまったに違いない。そう思い込んだ旅行者は……。

 砂漠にまよい込んだ旅行者と駝鳥、ふだんの生活ではおそらくめぐり会うことのない、とてもおかしなコンビが描かれます。旅行者は、駝鳥と仲よくなります。ただ駝鳥の感情をあらわさないひとみを見ても、相手が何を考えているのかよく分かりません。何のためについてくるのか、駝鳥はもちろん説明してくれません。このお話で「えたいがしれないもの」は駝鳥です。

 ところが、旅行者はわがままに、駝鳥を利用するようになります。最初は旅のなかま、次に食べものをへらすやっかい者、その次は自分が生き残るための道具と、だんだんエスカレートしていきます。さいごになって「えたいがしれないもの」をもてあそんだ旅行者に罰がくだされるわけですが、それは自分のしでかしたことの裏がえしにすぎません。福井江太郎の絵は、駝鳥のコミカルなようす、反対側にあるぶきみさ、影と光を、とてもていねいに描きだしています。

(シミルボンに2017年7月4日掲載)