マット・ラフ『ラヴクラフト・カントリー』東京創元社

Lovecraft Country,2016(茂木健訳)

装幀:山田英春
図版:GeoImages/PIXTA

 著者は1965年生まれのアメリカ作家、過去に『バッド・モンキーズ』(2007)が翻訳されている。毎回テーマを変える作風で、黒人作家でも女性でもないものの、ジェンダーやレイシズムを背景にした作品も書いている。本書は創元推理文庫のFマーク(ファンタジイ扱い)だが、SFやコミックの要素が組み合わされたものだ。クトゥルーものとはいえず、どちらかといえばニール・ゲイマンのファンタジイ/ホラーと雰囲気が似ている(著者はXファイル黒人版をイメージしたようだ)。ケーブルTVのHBOで、2020年にドラマ化された同題シリーズ《ラヴクラフト・カントリー》(現時点ではAmazonで視聴可)の原作でもある。

 1954年、朝鮮戦争から帰還したばかりの主人公は、父親からの連絡を受けてシカゴに帰省する。しかし、父は正体不明の白人と共に旅立ち、行方が知れなくなったという。残された手掛かりから、目的地がアーカムならぬアーダムと分かるのだが、そこは閉ざされた僻地だった。彼らは伯父や幼なじみを伴って後を追う。

 主な登場人物は黒人である。舞台は1950年代のアメリカ。キング牧師による公民権運動のさらに10年前でもあり、差別はあからさまに残されている。黒人は旅行の自由が(建前はともかく)制限され、立ち入る場所を間違えると命に係わる事態となる。居住地域も(建前はともかく)厳然と分離されている。伯父は黒人旅行者のために、安全な宿やレストランを紹介する旅行ガイドを出版している(モデルとなったグリーンブックは実在のもの)。

 物語はSF(バローズなどのパルプ・フィクション)やラヴクラフトを偏愛する主人公によるアーダムでの波乱後、その幼なじみによる幽霊屋敷購入騒動、伯父と異父弟にアーダムの継承者を交えた「名付けの本」をめぐる争奪戦、伯母が異世界に迷い込む話と続き、さらには幼なじみの姉が白人に変身したり、父が魔法のノート探しの依頼を受けたり、伯父の幼い息子(コミック作家を目指している)は悪魔人形に追いかけられるなど、視点が次々と移り変わって読者を飽きさせない。

 ラヴクラフトが、いわゆるレイシスト(人種差別主義者)であったことはよく知られている。ただ、黒人やイタリア人(貧困層が多かった)などを臆面なく差別したという点では、ある意味19世紀的な世俗観(当時の大衆の風潮)を体現していただけともいえる。本書はその世界観が、50年代(そして現代ですら)生々しく残っているという現実を、魔術や超常現象に準えて映し出した点がユニークだろう。ラヴクラフト・カントリーとは、今われわれが住む世界の暗黒面なのだ。

スタニスワフ・レム『火星からの来訪者 知られざるレム初期作品集』国書刊行会

Człowiek z Marsa, Nieznane wczesne utwory Lema,1946(沼野充義、芝田文乃、木原槙子訳)

装幀:水戸部功

 最初の長編『金星応答なし』(1951)以前に書かれたレム最初期の中短編と詩作を収録した、日本オリジナルの作品集である。

 火星からの来訪者(1946)ドイツが降伏したのと同じ頃(45年5月)、アメリカ北中部の山中に宇宙からの飛来物が落下する。3か月後、残骸を解析するチームに紛れ込んだ元記者は、それが火星からのミサイルで正体不明の機械を内蔵していたことを知る。
 ラインハルト作戦(1949)強制収容所に送られるユダヤ人狩りが始まっていた。混乱の中、貨車に押し込まれる人々と共に、ポーランド人医師が誤って乗せられてしまう。
 異質(1946)ドイツのミサイル攻撃が続くロンドン郊外に住む少年は、原理の分からない「永久機関」を発明してしまう。その謎を解くため、高名な学者のもとを訪ねるが。
 ヒロシマの男(1947)戦争末期、英国で諜報活動を行う主人公は、核が投下されるヒロシマに自分が諜報員として送り込んだ日系の英国人がいることを知る。
 ドクトル・チシニェツキの当直(1950)多忙を極める産科の当直医は、さまざまな出自の妊産婦たちや同僚の医師、看護師たちと生誕や死を切り抜けて仕事をこなしていく。
 青春詩集(1947/48)「カトリック週報」(1945年創刊の週刊誌とのこと)に掲載された、20代後半の青春時代に記した12編の詩。

 「火星からの来訪者」は300枚近くもあって、短い長編クラスといえる中編。解説にもあるようにウェルズ『宇宙戦争』を意識した作品である(宇宙から来た円錐形状の機械は、3本の触手を持っている)。しかし、強烈な放射線を発するその機械(ある種の生命とも考えられる)は、意思疎通の反応を見せながらも正体は明かされない。その点はウェルズと観点が異なっている。舞台が秘密基地のような閉鎖空間で登場人物が限られるなど、15年後の『ソラリス』の萌芽が窺われる。

 「ラインハルト作戦」「ドクトル・チシニェツキの当直」はもともと『主の変容病棟』3部作の、それぞれ第2部/第3部から抜き出されたものという。この2部/3部はレム自身によって封印されてしまったので、今後も翻訳は望めない。この両方の作品には共通する医師が出てくる。ユダヤ人狩りや戦争の傷跡を残す妊婦たちなど、大戦下/戦争直後のリアルを切り取った貴重な作品といえるだろう。「ヒロシマの男」はジョン・ハーシー『ヒロシマ』(1946)に影響を受けたとされる。戦争を身近に知っているが故の迫真的な描写に強い印象を受ける。

 「異質」は永久機関を発明した(と思い込む)少年の物語だが、その少年が相談する学者は哲学者ホワイトヘッドである。「火星からの来訪者」が科学者たちの物語(しかし解答は得られない)だとすると、「異質」は哲学/スペキュラティヴな解決を模索する物語なのだといえる。そういう、若きレムによる迷い(サイエンスだけでは解明できない事象に、思索的な裏付けを求める)までが読み取れる興味深い作品集だ。

冬木糸一『SF超入門』ダイヤモンド社/池澤春菜監修『現代SF小説ガイドブック』Pヴァイン

ブックデザイン:小口翔平+後藤司(tobufune)

 すべての現実はSF化した
 支配者(パワープレイヤー)たちの頭の中を知れ
 単なる「予測」を超える「物語」の想像力
 (抜粋)

 科学読み物として、最先端のキーワードを知るためのベスト/小説として、時代を超えて読まれるべきベスト/の2つの視点から、56作品(シリーズ)を選びました。古典から現代の作品まで、できる限り時代を超えて網羅的に紹介しています。17の最新キーワードごとに分類、切り取ることで、既存のSFガイドブックと異なる構成となっています。

はじめに(冬木糸一)

 強烈なキャッチが並ぶ。イーロン・マスクやビル・ゲイツら、著名起業家が愛読していたこともあって、GAFAMの時代のSFはこれまでとは異なる視点で注目を集めている。本書もビジネス書のダイヤモンド社から出たものだ。ただし、煽り文句に反して内容はむしろオーソドックスなものといえる。

Part1 最新の「テクノロジー」を知る
 Chapter1 仮想世界・メタバース
 『ニューロマンサー』『スノウ・クラッシュ』『セルフ・クラフト・ワールド』《Wシリーズ》
 Chapter2 人工知能・ロボット
 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』『われはロボット』『BEATLESS』
 Chapter3 不死・医療
 『透明性』『円弧(アーク)』『ハーモニー』
 Chapter4 生物工学
 『ジュラシック・パーク』『わたしを離さないで』『ブラッド・ミュージック』『宇宙・肉体・悪魔』『フランケンシュタイン』
 Chapter5 宇宙開発
 《レディ・アストロノート三部作》『七人のイヴ』『青い海の宇宙港』
 Chapter6 軌道エレベーター
 『楽園の泉』
Part2 必ず起こる「災害」を知る
 Chapter7 地震・火山噴火
 『日本沈没』『死都日本』『富士山噴火』
 Chapter8 感染症
 『復活の日』『天冥の標II 救世群』『新しい時代への歌』
 Chapter9 気候変動
 『蜜蜂』『神の水』『2084年報告書 地球温暖化の口述記録』
 Chapter10 戦争
 『地球の平和』『渚にて』《戦闘妖精 雪風シリーズ》『スローターハウス5』
 Chapter11 宇宙災害
 『神の鉄槌』『地球移動作戦』『赤いオーロラの街で』
Part3 「人間社会の末路」を知る
 Chapter12 管理社会・未来の政治
 『一九八四年』『すばらしい新世界』『ザ・サークル』
 Chapter13 ジェンダー
 『闇の左手』『侍女の物語』『徴産制』
 Chapter14 マインドアップロード
 『ゼンデギ』『順列都市』『都市と星』
 Chapter15 時間
 《オックスフォード大学史学部シリーズ》『キンドレッド』『高い城の男』
 Chapter16 ファーストコンタクト
 《三体三部作》『ブラインドサイト』『プロジェクト・ヘイル・メアリー』『幼年期の終わり』
 Chapter17 地球外生命・宇宙生物学
 『ソラリス』『時の子供たち』『竜の卵』『銀河ヒッチハイク・ガイド』『スターメイカー』

 以上、シリーズものも1つと数えて、全56項目になる(49作家、クラークが4作品で最も多い)。比較的近作を中心に、古典でも入手可能なものが選ばれているようだ(その点は『現代SF小説ガイドブック』と同じである)。ゆったりとしたレイアウトながら、430ページ(原稿用紙換算700枚余)もあるため、内容紹介は十分なされている。昔ながらのテーマ別分類で、身近なテクノロジー(メタバース、AI、生命科学、宇宙開発)からはじめて、天災から戦争までの災害、未来の管理社会や地球外生命と、しだいに日常から遠く離れていくという読みやすい構成になっている。

(Amazon書籍紹介より引用)

 議論が生じるとすれば、本書に付属する「SF沼の地図」という4象限マップだろう。縦軸(x軸)にFiction、横軸(y軸)にScienceを置き、(x,y)=第1象限(light,scientific)、第2象限(light,speculative)、第3象限(heavy,speculative)、第4象限(heavy,scientific)と分けSF作品をマップしている。こういう4象限マップは、ビジネスの世界でポートフォリオ分析としてよく用いられる。自社の位置がどこにあり、どういう強みと弱みがあり、今後どの方向に進むべきかの指標とするためだ。たいてい第1象限がベスト(あるべき姿)、第3象限がワースト(撤退すべき領域)となる。

 しかし、著者はxy軸に2つの意味を持たせている。たとえば、fictionのlight(リーダビリティー高い?)は上にあるが、下側のheavy(概念的/抽象的で難易度高い?)に勝るとはしていない。science軸も同様だ。ではこのマップに置かれたSFには、どういう意味があるのか。第1象限(右上)=科学的で読みやすい、第3象限(左下)=思索的で抽象度が高いとすると、入門者はまず第1象限を選ぶだろう(同じ読みやすさでも、第2象限は作品が少なすぎる)。実際、第1象限にある『プロジェクト・ヘイル・メアリー』が最初に読む本として推奨されている。

 とはいえ『幼年期の終わり』と『竜の卵』がfiction軸のゼロ点(中央)で、かつscience軸の左右両端にあったり、『スターメイカー』がscience軸のゼロ点にあるというのは、ちょっと違和感のある位置付けと思える。『宇宙・肉体・悪魔』(第4象限の右下)と『スターメイカー』や『幼年期の終わり』は1つのくくりとみなすことができるからだ。冬木糸一が自身の原点だとする『戦闘妖精 雪風(改)』をxy軸の交差するゼロゼロ点(基準点)に置き、そこから相対的な位置に作品を並べれば、もっと納得できたかもしれない。小説は絶対座標など持たないので、相対的にしか比較できないのだ。

デザイン:北村卓也

【今、ここ】の作家を優先。
 過去の素晴らしい作家でも、今、本が手に入るかどうかを考える。もしくは今につながる流れの中にいるかどうか。
(中略)その上で、作家紹介のライター陣はなるべく新しい、やる気のある人にお願いする。
(中略)つまり、徹底して、今のSFを知るための1冊、という切り口になった。

まえがき(池澤春菜)

 目次は以下のようになっている。歴史概説があって、作家紹介、世界の状況、映像ジャンルとの関係やSF大会、ファンジン、出版社の内幕まであり、総合的な入門書として体裁は整っている。

はじめに(池澤春菜)
SF史概説(牧眞司)
作家紹介(海外)
 オクテイヴィア・E・バトラー/N・K・ジェミシン/メアリ・ロビネット・コワル/ケン・リュウ/パオロ・バチガルピ/アンディ・ウィアー/シルヴァン・ヌーヴェル/テッド・チャン/グレッグ・イーガン/劉慈欣(以上、見開き紹介)
 アン・レッキー/ジェフ・ヴァンダミア/チャイナ・ミエヴィル/コニー・ウィリス/サラ・ピンスカー/アーシュラ・K・ル・グウィン/ロイス・マクマスター・ビジョルド/ジョー・ウォルトン/ピーター・トライアス/ユーン・ハ・リー/キジ・ジョンスン/マーサ・ウェルズ/ニール・スティーヴンスン/フィリップ・リーヴ/ピーター・ワッツ/アーカディ・マーティーン/アイザック・アシモフ/クリストファー・プリースト/キム・ヨチョプ/ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア/ラヴィ・ティドハー/ンネディ・オコラフォー/J・P・ホーガン/バリントン・J・ベイリー/コードウェイナー・スミス/ウィリアム・ギブスン/ロバート・A・ハインライン/カート・ヴォネガット・ジュニア/J・G・バラード/エイドリアン・チャイコフスキー/R・A・ラファティ/スタニスワフ・レム/アリエット・ド・ボダール/アレステア・レナルズ/オースン・スコット・カード/アーサー・C・クラーク/P・K・ディック/チャーリー・ジェーン・アンダーズ/マーガレット・アトウッド/カズオ・イシグロ(単ページ紹介)
近年の日本SF(小川哲)
作家紹介(国内)
 柴田勝家/伊藤計劃/飛浩隆/伴名練/酉島伝法/小川哲/藤井太洋/円城塔/高山羽根子/宮内悠介(見開き紹介)
 山本弘/春暮康一/三島浩司/上田早夕里/柞刈湯葉/津久井五月/田中芳樹/菅浩江/津原泰水/谷甲州/小林泰三/新井素子/月村了衛/森岡浩之/野﨑まど/林譲治/冲方丁/小川一水/宮澤伊織/石川宗生/長谷敏司/牧野修/上遠野浩平/小松左京/星新一/筒井康隆/光瀬龍/眉村卓/夢枕獏/神林長平/梶尾真治/山田正紀/空木春宵/新城カズマ/樋口恭介/北野勇作/草野原々/オキシタケヒコ/ユキミ・オガワ/高島雄哉(単ページ紹介)
ガイド
 花開くアジアのSF(立原透耶)
 非英語圏SF(橋本輝幸)
 アンソロジーのすすめ(日下三蔵)
 最新SF小説原作映像化事情(堺三保)
 ライトノベルに確固たるジャンル築くSF(タニグチリウイチ)
コラム
 アフロフューチャリズムとは(丸屋九兵衛)
 現代日本のジェンダーSF(水上文)
 ゲンロン 大森望 SF創作講座(大森望)
 世界のSF賞(大森望)
 プロ/アマの垣根を超えたウェブジンとファンジンの世界(井上彼方)
 SFファンダムとコンベンション(藤井太洋)
 対話のためのSFプロトタイピング(宮本道人)
 SF編集者座談会──そこが知りたい翻訳SF出版

 21世紀になってから本格紹介された、非白人/マイノリティなど新しい作家たち、ケン・リュウ/テッド・チャン/イーガンなど新定番作家を含める一方、アシモフ/クラーク/ハインライン、バラード/レム、コードウェイナー・スミス/ティプトリーや、ビジョルド/ホーガンなど旧定番作家も落とさないというバランス感覚のある選択。日本作家でも同様で、草創期の第1世代、中堅から新世代の各種文学賞作家と、広い範囲を(漏れなくとまでは言えないにせよ)カバーしている。その点は抜かりなく考えられていると思う。

 経歴/受賞歴/書誌など、データ記述にばらつきがあるのが気になるものの、そもそも割り当て枚数が原稿用紙3枚(見開き2ページ)~短いものは1枚ちょっとと少ないのが制約になっている。ページ数200ページ弱(300枚余)に、作家100人紹介+コラム・サマリー(ガイド)15編と盛りだくさんな記事が詰め込まれているからだ。あくまでも触りを知るためのガイドブックなので、自分好みの作家を選ぶ起点にしてくれ、というスタンスなのだろう。

 書き手は1990年~ゼロ年代生まれの若手中心でフレッシュだ。コラムやガイド記事に一部ベテランが顔を出すが、いっそのこと50歳以上はすっきりオミットした方が趣旨通り(今、ここ)でよかったかもしれない。ところで、活動年代でも年齢順でも50音順でもない、この作家掲載順序には何か意味があるのだろうか。何らかのスコアに基づいているのかもしれないが。

陸 秋槎『ガーンズバック変換』早川書房

Gernsback Transform and Other Stories,2023(阿井幸作、稲村文吾、大久保洋子訳)

装画:掃除朋具
装幀:早川書房デザイン室

 1988年北京市で生まれ、現在日本の金沢市に在住する中国人ミステリ作家 陸秋槎(りくしゅうさ、ルー・チュウチャ)による初のSF短編集である。日本オリジナルで編まれ、書下ろしや初翻訳を含む8作品を収めたもの。

 サンクチュアリ(書下ろし)著名なファンタジー作家がスランプに陥り、急遽シリーズもののゴーストライターとなったわたしは、作家が書けなくなった本当の理由を知る。
 物語の歌い手(書下ろし)中世のフランス。修道院で病に倒れ地元に戻った貴族の娘は、城で詩を披露する中身のない吟遊詩人たちに飽き足らず、自ら吟遊詩人の扮装に身をやつし街々を旅して歩く。
 三つの演奏会用練習曲(2021*)ノルウェーで続く迂言詩(ケニンガル)、シャーラダー(カシミール)を揺るがした『麗姫百頌(カニヤーシャタカ)』、アルテイア島で毎日謳われる神歌、以上3つの物語。
 開かれた世界から有限宇宙へ(2023)スマホゲームのシナリオライターが、社運を賭けた新プロジェクトのカリスマプロデューサーから、ゲーム内の矛盾する設定に合理的な意味付けをするよう要望される。安易な答えは絶対に許されないのだ。
 インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ(2021)インド魔術のネタにインディアン・ロープというものがある。蛇が直立してロープになるトリックなのだが、さまざまな文献によって蛇の実在が示唆される(『異常論文』)
 ハインリヒ・バナールの文学的肖像(2020)20世紀初頭のオーストリア、ホーフマンスタールと同時代の作家にバナールがいた。凡庸で冗長な劇作家だったがナチスの台頭とともに頭角を現し、やがてあるSF映画の脚本により破滅に追い込まれる。
 ガーンズバック変換(2022*)未成年者がスマホやPC画面を見ることを禁じた香川県。高校生の主人公は、ガーンズバックV型の遮断型眼鏡をかけている。大阪の友人を頼って、無効化されたレプリカ眼鏡を入手しようとするのだが。
 色のない緑(2019)親友が亡くなる。グラマースクール時代に知り合った3人の中の1人だ。彼女は計算言語学者で、700ページに及ぶ論文を完成させたばかりだった。しかし、その論文は学会から却下されていた。
*:初訳

 ミステリ作家が書いたSF短編集というと、西澤保彦『マリオネット・エンジン』貴志祐介『罪人の選択』、著者あとがきにも出てくる法月綸太郎『ノックス・マシン』などが思い浮かぶ。どの作家もSFファンだった過去を持つが、(アイデアの処理法に)トラディショナルなSFの手法を用いるか、手慣れたミステリの手法を援用するかで出来上がりの雰囲気は異なる。貴志祐介は前者(長編になるが熊谷達也『孤立宇宙』もそうだろう)、西澤保彦と法月綸太郎は後者になる。特に『ノックス・マシン』はミステリ作家が書いたSFの究極の姿といえる。

 それでは、陸秋槎はどうなのか。「サンクチュアリ」「開かれた世界から有限宇宙へ」「色のない緑」は、それぞれ謎(書けない理由、ゲーム世界の設定、友人の死)が提示され解決されるので、SFのアイデアをミステリ的に処理したと言えなくもない。ところが、どれも事件解決! 的なカタストロフはなく、諦観を込めた終わり方なのだ。さらに、「物語の歌い手」「三つの演奏会用練習曲」は自在な物語だけがあるという短編で、エキゾチックな登場人物の人生の切片のように読めるし、「インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ」「ハインリヒ・バナールの文学的肖像」は異常論文というより、本物らしさを増した架空評論だろう。

 表題作「ガーンズバック変換」はラノベに近い青春ドラマだ。どんな制約下でも生きていこうとする、主人公の思いに読みどころがある。過去にとらわれず、現在を自由に取り込める若さも清々しい。結局のところ、その自由さが陸秋槎と既存のSFミステリとの違いと思われる。ミステリ作家の経験の上に書かれたSFには、大なり小なり過去のSF体験=古い記憶やミステリのスキルが映り込む。著者の場合(まだ)そういう縛りは生まれておらず、ミステリ・SF・文学のどこでもあり/どこでもない作品となっているのが面白い。

塩崎ツトム『ダイダロス』早川書房

装幀:坂野公一(welle design)
装画:(c)Adobe Stock

 第10回ハヤカワSFコンテスト特別賞受賞作。著者の塩崎ツトムは、第9回の最終候補に続き今回は特別賞を受賞した。

 1973年、ブラジル西部のマット・グロッソ州で、ユダヤ人の文化人類学者と医師が、ボリビア国境近くの密林へと分け入ろうとしている。奥地には未知のインディオ種族だけでなく、日系移民のカチグミ過激派(大日本帝国の敗戦を信じず、マケグミにテロ行為を企てる)も潜んでいるらしい。だが、彼らには新大陸に逃れたナチスの大物を狩るという別の目的もあった。

 文化人類学者はレヴィ・ストロースの弟子、医師はアル中で失敗を繰り返しており起死回生を図ろうとしている。そこにジャーナリスト志望の日系青年、ナチスやソ連で非人道的研究を続けていた科学者、カチグミの首魁と取り巻きたち、その娘と正体のしれない孫たちが絡む。

 選考委員の選評は以下のようである。

選考会ではSFとしての驚きにかけるとの指摘が相次ぎ、特別賞に甘んじたが、裏返せばSFの枠に収まらない魅力があるともいえよう。(中略)マジックリアリズムの秀作として幅広い読者に届くと期待したい。

東浩紀

見事な物語であり、広く読者に知らせないわけにはいかなかった。しかしながら、「SF」を賞する本コンテストが、この作品を適切に賞せられるかどうかの問題があり、特別賞とした。

小川一水

力強い作品。ぐいぐい読ませる。衒学的でもある。トカゲ肌の少女の湖上シーンなど、美しさもある。特別賞には納得です。

菅浩江

 この作品にも別の見解がある。

作者の創作動機は「面白いエンタメが書きたい」だろう。それは、実現されている。だが、新しさはない。(中略)しかしエンタメの書き手としての力量を否定してのことではないので、この作品を世に出すことには反対しない。

神林長平

 本書は、冗長すぎるとの編集者を含む各委員からの指摘に基づいて、大きく改稿が行われている(それでも750枚を超える)。物語では、探検に挑む二人のユダヤ人(三人称)、暴力的な本能に翻弄される異形の人物(一人称)、ナチス科学者が優生思想を語りカチグミの日系人首魁が心情を語る断章(それぞれの一人称)など、複数の視点が混ざり合っている。確かにマジックリアリズム的な混沌とした雰囲気は感じられる。著者の語りには、もともと饒舌さ(ラテン的?)があるのだと思われる。

 その一方、物語末尾(順序が逆転したプロローグとエピローグ)で提示される現代へとつながるテーマは、本文と乖離しているように見える。もともと本書は陰謀論=フェイクを描くものではなく、荒唐無稽ながらリアルな物語なのだが、マジックリアリズムをより現実的な舞台へと移行させるため、あえて置かれたものかもしれない。

田場狩『秘伝隠岐七番歌合』ゲンロン/河野咲子『水溶性のダンス』ゲンロン

表紙:山本和幸

 2021年9月に発表された第5回ゲンロンSF新人賞受賞作(第6回は半年遅れて2023年3月発表予定)である。単行本形式の雑誌ゲンロン13(2022年10月)に掲載後、電子書籍化されたものだ。これまで存在しなかったユニークな歌合(うたあわせ)SFと、多様な解釈が可能なファンタジイの2中編になる。

 13世紀、鎌倉時代の日本。京都の自邸にいたはずの藤原定家は、なぜか日本海の只中にある隠岐で目覚める。そこで流刑になった後鳥羽院と再会、しかも歌合の判者(判定者)になるよう要望される。相手はなんと天から来た灰人(はいんど)と呼ばれる異形の者だった。灰人が和歌に注目したのには理由があった。

 新古今和歌集の選者で知られる藤原定家が、後鳥羽院(出家後の後鳥羽上皇)とグレイタイプの宇宙人が和歌を競う歌合の審判員になる。しかも、歌合ではお互いの和歌がガチに披露される。エイリアン灰人の力で幻視した宇宙の光景を織り交ぜながら、お題(テーマ)ごと7組(14首)の和歌が吟じられるのである。宇宙人はともかく、後鳥羽院の和歌を新たに創作するとはなかなかに豪胆だろう。和歌は擬古文ながら、判定の説明は現代文なので読みやすい。

 あいにく評者には和歌の素養はないので出来は分からないが、後鳥羽院が詠んだかもしれないSF和歌、という奇想はなかなか出てこない(思ったところで書けない)。旧来あったSF短歌などとはまた違った新趣向を感じさせるものではある。しかし、円城塔の推薦文(表紙帯)もまた謎。

表紙:山本和幸

 対して河野咲子『水溶性のダンス』は、寓話なのか、風刺なのか、純粋なファンタジイなのか、選考委員を惑わせた作品である。

 主人公はアトリエを開く人体師である。アトリエと言っても芸術作品を作るわけではなく、訪れる客の傷んだ体をそぎ落とし、パーツを補修するのが仕事だった。その街に住む人々は人形のようだった。骨格にはばねや歯車があり、その上に鋳型をとったパテをはめ込むのだ。服はそのパテの上に直接彫り込まれている。あるとき人体師は、一人の踊り子に魅せられてしまう。

 人形は湿気に弱く(水溶性)、時間が経つと体が劣化していく。書割のような街は、ある部分は精細に作りこまれているけれど、大半は奥行きを持たない。この世界自体もまた閉ざされているようだった。主人公は行方不明となった踊り子を捜して彷徨うようになる。

 「夢の棲む街」を思わせる雰囲気「息吹」を思わせる機械的な人々と、設定が面白い。しかし、主人公がなぜこの街を「書割」だと知っているのか(最初からそこに住んでいるのなら、書割という概念自体がないのでは)、真っ白な空白の本が当たり前の世界なのになぜ主人公は文字に執着するのか、そういった理由は明らかにされない。背後の仕掛けをもう少し説明すべきだが、意図的にあいまいさを残したためとも解釈できる。酉島伝法のように世界を膨らませていけるのなら、やがてその答えも明らかになるのだろう。

キム・チョヨプ『地球の果ての温室で』早川書房

지구 끝의 온실,2021(カン・バンファ訳)

装画:カシワイ
装幀:早川書房デザイン室

 キム・チョヨプの初長編である。最初の短編集『わたしたちが光の速さで進めないなら』は、2年前に翻訳されている。本書は、ちょうどコロナによるパンデミックのさなか、ロックダウンされたソウルの作家用レジデンス(小説家のためのアーティスト・イン・レジデンス)で書かれたものという。

 既存秩序を崩壊させたダストの災禍が収束して半世紀が過ぎた。22世紀、主人公はダスト生態研究センターに勤める研究者だった。そこでは、生物絶滅を招いたダストの研究と、災禍で失われた花卉や作物の復活などを試みている。そんな中、廃墟となっている地域で、ツル植物モスバナの異常繁茂が問題となる。災禍直後に発生したモスバナには、主人公の子供時代を呼び覚ます思い出があった。

 どこからともなく世界に広がったダストは、動植物を問わず大半の生き物にとっては毒物だった。一部の選ばれた者だけがドームに逃れる。一方ダスト耐性を持つ人々は、ドーム外で限られた資源を奪い合って放浪する。独自のコロニーで生活する小集団もいた。やがてダストを分解するディスアセンブラが開発される。しかし、ダストの減少には隠れていた大きな秘密があった。

 物語では、ダストが蔓延する混迷期と、混乱後60年を経た復興期という2つの時代が描かれる。さまざまな登場人物たちが出てくる。復興期の主人公と研究所の先輩たち、混迷期のマレーシアにあったコロニーに住む姉妹、同じく閉ざされた温室で研究に没頭するサイボーグ学者とロボット整備の技術者。それぞれの関係は物語の展開につれ、しだいに明らかになっていく。世界を救ったのは国家でもなく、名のある科学者でもない。主人公は、苦難を経た先人たち(その何れもが女性であるのは、ジェンダー的な課題を暗喩する)の生き方に思いをはせるのだ。

小川楽喜『標本作家』早川書房

装幀:坂野公一(welle design)
写真:(C)Adobe Stock

 第10回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作。昨年に引き続き大賞(本書)が出て、優秀賞はなく特別賞(別途刊行)が選ばれた。小川楽喜は1978年生まれ。20年近く前になるが《ソード・ワールド短編集》や、紙版のTRPGシナリオでの著作がある。受賞作は他の新人賞へ3度(改稿なく)投稿された作品で、4回目にしてようやく日の目を見たものという(ただし、本書は応募時より加筆訂正されている)。

 また、今年から選考委員に菅浩江が加わっている。ハヤカワのSFコンテストでは(過去を含めて)初の女性選考委員である。近年の日本ファンタジーノベル大賞や創元SF短編賞などと比べても、女性が選ばれ難い(応募し難い?)特異な賞だったので今後の変化を期待したい。

 80万2700年の未来、人類はすでに絶滅している。だが、その世界を支配する知生体「玲伎種(れいきしゅ)」は、〈終古の人籃(しゅうこのじんらん)〉と呼ばれる閉鎖施設の中に、過去に存在した作家たちを復活させ、不死固定化処置を施し作品を執筆させようとする。〈異才混淆(いさいこんこう)〉(作家たちによる共著)を求めるのだ。しかし、無限に近い時間がありながら、出来上がった作品は支配者を満足させるに至らない。

 〈終古の人籃〉は国や地域別に作られていて、舞台はイギリス作家を集めたカントリーハウスが中心となる。そこで〈文人十傑〉というベストメンバーが順番に紹介されていく(ここを含む第2章まで読むことができる)。ほとんどの作家には明らかなモデルがある。

 19世紀の流行作家セルモス・ワイルド(→オスカー・ワイルド)、21世紀の恋愛小説家バーバラ・バートン(→ビバリー・バートン、アメリカのロマンス小説作家)、20世紀のファンタジー小説家ラダガスト・サフィールド(→J・R・R・トールキン、サフィールドは母方の姓)、18世紀のゴシック小説家ソフィー・ウルストン(→メアリ・シェリー、母方の姓がウルストンクラフト)、20世紀のSF小説家ウィラル・スティーヴン(→オラフ・ステープルドン)、22世紀のミステリ小説家ロバート・ノーマン(→不詳、ノーマン・ベロウ? 実体なしの虚構作家として登場)、24世紀のホラー小説家エド・ブラックウッド(→アルジャノン・ブラックウッド)、28世紀の児童文学者マーティン・バンダースナッチ(→ルイス・キャロル、バンダースナッチは詩に書かれた架空の生き物)、19世紀の国民作家チャールズ・ジョン・ボズ・ディケンズ(→チャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ)、そのディケンズと途中入れ替わる20世紀の日本人作家辻島衆(→津島修治=太宰治)、31世紀以降のクレアラ・エミリー・ウッズ(→ヘレン・エミリー・ウッズ=アンナ・カヴァン)。そして、物語の語り手、狂言回しである巡稿者(作家から原稿を集める者)メアリ・カヴァンもまたアンナ・カヴァンなのだ。

 80万2700年というのは、ウェルズのタイムマシンがたどり着く遠未来である。そこでは労働者が地下に住む怪物と化し、地上の富裕層の成れの果てを食用にするのだが、本書では作家が仮想的な檻に強制収容され、上位知性の編集者から解のない小説の執筆を強いられる。そういう意味では、本書は文字通りのメタフィクション(フィクションついて書かれたフィクション、小説を書くということについて書かれた小説)であり、作家のディストピア(人によってはユートピア)小説ともいえる。

 選考委員の選評は以下のようである。

最初から最後まで、人間がなぜ小説を書くのか、何を書くのか、どう書くのかというのがこの話の主題だった。(中略)結末の美しさは他を圧していた。

小川一水

本作を推したのは、書くことの切実さとその限界というものをこの作者自身が身をもって知っていて、その思いを何としてでも書き表したいという強い意志を感じたからだ。

神林長平

『サロメ』はあまりに有名すぎるとは感じましたが、とにかくリーダビリティが高く、ずっと緊張の続く良い作品だったと思います。(中略)器用さと大胆さを兼ね備えた方だと感じ、推しました。

菅浩江

あらゆる設定と標本作家たちの個性が有機的に絡み、かつ語りに工夫を凝らしながら、壮大かつ私的なヴィジョンを紡ぎだすのには本当に感心した。

塩澤快浩(編集部)

 一方、別の見解もある。

モデルは容易に想像がつき、多くは英語圏の有名作家である。受賞作はそんな彼らの大作家としてのイメージを読み替えるのではなく、むしろステレオタイプをなぞるように展開していく。(中略)評者はその文学観に同意できないので評価は厳しくなった。

東浩紀

 この小説のベースとなった作品は多いが、中でも前半のオスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』『サロメ』と、後半のアンナ・カヴァン『アサイラム・ピース』(表題作は8つの断章から成る中編)『氷』が大きい。カヴァンは特に作家本人と酷似するウッズと、語り手カヴァンという二重の表出が印象深い。ジャンル作家(に見立てた作家)の扱いや太宰のイメージの平板さという難点は評者も感じるものの、サロメをシリアルキラーにしたり、キャロルが反出生主義を唱え、ブラックウッドが全人類を再演し、ワイルドとカヴァンとがマッチングするなどのアイデアは大胆だろう。何れにしても、既存のフィクションをパロディではなく大真面目にコラージュし、創作の意義に新たな光を投げかけた点で、特に実作者に感慨深い作品といえる。

谷口裕貴『アナベル・アノマリー』徳間書店

カバーイラスト:鈴木康士
カバーデザイン:宮村和生(SGAS DESIGN STUDIO)

 2000年に第2回日本SF新人賞(第11回まで続いた)を『ドッグファイト』で受賞した著者の、20年ぶりの連作短編集である。専門誌SF Japan(2000‐2011)に掲載した2短編と、書下ろし中短編2作(全体の3分の2を占める)からなる。徳間書店は、最終的にCCC系の連結子会社になるなど、経営的な課題もあり一時期SFから完全撤退していた。しかし、最近になって過去のコンテンツをリニューアルすると同時に、『クレインファクトリー』(三島浩司)など新作も手掛けるように変わってきた。本書はその一環である。

 獣のヴィーナス(2001)アナベルと呼ばれるサイキック少女が殺されてから15年が経った。しかし、不特定の場所でアナベルは復活し、世界を物理的に変容させる。そのつど制圧のためにジェイコブズのSixが出動する。今度の舞台はオーストラリアのダーウィンだった。
 魔女のピエタ(2003)物語は少し時代を遡り、初めてアノマリー(異常事態)による都市災禍が起こったプラハへと移る。そしてもう一人、魔女と呼ばれるサイキックの存在が明らかになる。
 姉妹のカノン(書下ろし)人の記憶を書き換えられるサイキック姉妹がいる。姉は事故で昏睡状態に陥るが、妹は反ジェイコブス運動のリーダーと接触し、過去のブエノスアイレスで起こったアノマリーを体験する。
 左腕のピルグリム(書下ろし)わずか12歳でSixを支配するほどの力を持ったサイキックは、ジェイコブズの権威を貶めながら、ロンドンから始まって世界各地に舞台を変えてアナベルとの戦いを続ける。

 解説で伴名練が指摘する「圧倒的な情報密度、視点人物の錯綜、頻繁に変わる舞台」という本書の特徴は、見方を変えれば「説明不足、視点の混乱、印象の散漫さ」にもなる。読者に投げられないため、細心の注意を払うべき書き方でもあるのだ。

 しかし、20年前の谷口裕貴は、パワーワードを駆使してお話の破綻を乗り切った。サイキックを産み出すレンブラントプロセス、アナベル対策の組織ジェイコブス、世界文学全集に拘泥する6人のサイキックSix(今年のハヤカワSFコンテストの『標本作家』を思わせるアイデア)、邪悪な復活を呼び込むアナベル・アナロジーと、刺激的で独特の造語が頻出するのだ。説明を最小限に絞ったが故に、得体の知れない不気味さと迫力が感じられる。一方、そういう力業を改め、物語のバランスを再考したのが書下ろし部分なのだろう。登場人物の過去に焦点を当てることによりキャラへの共感を高め、章ごとに変転する視点を整理するなど、読みやすさを重視したバージョンとなっている。

劉慈欣『三体0 球状閃電』早川書房

球状闪电,2004(大森望、光吉さくら、ワン・チャイ訳)

装画:富安健一郎
装幀:早川書房デザイン室

 2000年に初稿が書かれ、2004年に初めて雑誌掲載された著者の第2長編。2006年から連載が始まる《三体》の前なので、本来ならシリーズに含まれない単独長編である。しかし、登場人物の1人が後の主役ということもあり(著者の了解を得て)日本独自に『三体0(ゼロ)』を冠することになったようだ。

 14歳の誕生日に球電により両親を失った主人公は、憑かれたようにその奇妙な現象の物理的な解明に没頭する。球電研究を進める中、やがて軍の新概念兵器開発センターで女性少佐と知り合うようになる。自身の運命を左右するその人物は、率直さとは裏腹に、目的のために手段を選ばない無謀さを併せ持っていた。

 この物語の背景には戦争の影がある(1995‐96年にあった台湾海峡危機がイメージされている)。対アメリカの戦争に球電が検討されるのだ。障壁を自在に透過し、目標物(人体や集積回路)だけに作用する性質は兵器に向いている。ただし、さまざまな制約条件があり、シミュレーション小説(架空戦記)に出てくるようなスーパー兵器として扱われるわけではない。この制約が、物語に(後の《三体》でエスカレーションする)予測不可能な筋書きをもたらしている。

 《三体》と比べると、本書の場合は物語が立ち上がるまでがやや長い。前半では、マイナーな基礎科学研究を行う科学者の苦悩や、球電の性質に関するさまざまな(科学的技術的)実験が占めるからだ。キーマン丁儀(ディン・イー)が登場するのは物語の半ば近く、この飲んだくれ天才科学者(マッドサイエンティスト)が加わってからお話は急展開する。ついに明らかになる球電の正体にも驚かされる。