結城充考『アブソルート・コールド』早川書房

扉イラスト・デザイン:岩郷重力+Y.S

 2004年に第11回電撃小説大賞でデビュー後、2008年に第12回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞、以降主に《女刑事クロハ》などミステリを手掛けてきた著者による、2冊目のSF長編である。もともと新潮社の電子雑誌yom yom(現在はWEBマガジン)で2020年8月号まで連載されたもの。単行本化にあたって削除シーンなどを復活させた完全版である。

 舞台は叶(かなえ)県の一部をなす、見幸(みゆき)市と呼ばれる治外法権を得た都市。そこは、私兵集団を擁する佐久間種苗株式会社(バイオからITまですべてを支配)によって、事実上牛耳られている。だが、200階建ての本社ビルで大規模なテロが発生し多くの研究者が亡くなる。首謀者は何者か。事件の真相を探るため、死者の最後の記憶を読み取る装置=アブソルート・ブラック・インターフェイス・デバイスが用意される。

 SF第1長編の『躯体上の翼』(2013)から10年近くが経過するが、そこに登場する「佐久間種苗」が本作にも出てくるなど、緩やかなつながりはあるようだ。時間的な流れでいえば本書が先にあり、前作の世界はより幻想的ではるかな未来にある。

 市民を狙撃した暗い過去を持つ警官、植物状態で眠る娘の介護に疲弊する元警官、遺品の引き取りをするだけだったのに事件に巻き込まれる準市民の少女、主にこの3人を巡って物語は展開する。死者の記憶に絡むハードボイルドな犯人捜しかと思っていたら、AI「百」やテュポン計画など、謎めいた電脳世界を巡る暴力的なバトルへと話はスケールアップする。

 ルビを多用する短いセンテンス(たとえば、雑音にノイズと振るなど)、廃墟めいた猥雑な未来都市の光景、文体も初期の黒丸尚翻訳を思わせる(このあたりはSFマガジン2023年6月号の著者インタビューでも言及されている)。そこから「令和日本に放つサイバーパンク巨篇」という惹句になる。とはいえ、サイバーパンクはもはや過去を連想させるレガシーなタームである。映画「ブレードランナー」(1982)や、ギブスン《スプロール三部作》(1984-88)に代表される80~90年代の流行だからだ。

 ただ、本書の参考文献に、映画「Eddie and the Cruisers」(1983)、評論『サイボーグ・フェミニズム』(1985)という80年代作品が示されているのを見ると、作者は意図的に「失われたサイバーパンク的未来の再演」を試みたと考えるべきだろう。50~60年代とかではなく、80年代すらレトロフューチャーになり得るのだ。

藍内友紀『芥子はミツバチを抱き』KADOKAWA

装画:syo5
装幀・本文デザイン:越阪部ワタル

 著者はササクラ名義で2012年の講談社BOXによる第5回BOX-AIR新人賞(現在は休止中)を受賞してデビュー、2017年には第5回ハヤカワSFコンテストの最終候補となり、翌年『星を墜とすボクに降る、ましろの雨』と改題して出版している。本書は先の『トゥモロー・ネヴァー・ノウズ』と同じく、カクヨムに掲載されたものの単行本化である(原型版は今でも読める)。

 少年はイスタンブールで開催された国際ドローンレースのVR操縦者だった。だが、当地で起こったテロ事件によりレースは中断される。操縦者の関与が疑われる中、孤立した少年は見知らぬ男に誘われ国外に旅立つことになる。目的地はタイ、中国、ミャンマー三国の国境にある少数民族が暮らす村だった。そこでは赤い芥子の花が咲き乱れ、貴重な阿片を産み出しているのだ。

 主人公は小学生だったが、容姿にまつわるいじめを受け不登校となっている。天才的なドローン操縦技術を見込まれ、実務メンバーが子供だけという、異様な組織に所属することになる。そこにはドローンを自在に操る「ミツバチ」と称する特殊能力者たちがいた。舞台は近未来、ドローンは兵器やスポーツなどあらゆる分野に普及している。それらをコントロールする能力は高く買われる。しかしそのためには「杭」が必要だった。ミツバチの少年少女たちは、その代償と引き換えにドローンが操れるのだ。

 ミツバチ組織のリアリティは(どうやって維持できるのかなど)ちょっと気になるものの、いじめや不登校に始まり、子供に対する暴力や強制労働、南北間の格差、麻薬やマフィアなど世界的課題へと展開していくところが読みどころだろう。

 いわゆるグローバルサウス(ミャンマー、ベトナム、インド、スリランカ、ソマリア、南アフリカ、中央アフリカ、トルコ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コロンビア、ボリビア)を巡る旅のお話でもあるため、どこか櫻木みわ『うつくしい繭』と似た雰囲気もある。ただし、本書は実体験を基にしたわけではないようだ。

宮野優『トゥモロー・ネヴァー・ノウズ』KADOKAWA

装画:紺野真弓
装幀・本文デザイン:世古口敦志+清水朝美(coil)

 著者は札幌市在住、本書がデビュー作となる。小説投稿サイトのカクヨムに、昨年8月登録された長編小説の書籍化バージョンである。全5話の連作短編から成るが、全面改稿の上、さらに1話分は書下ろされている。その辺りの経緯については著者自身が語っている

 インフェルノ:未成年者に娘を殺された主人公は、刑を終え釈放された犯人が事故で入院中と知るや、入念に準備した殺人を決意する。だが、殺害のあとループに囚われる。
 ナイト・ウォッチ:ループを悪用する暴漢を未然に防ぐため、自警団を務めるグループや個人がいる。高校生の主人公にも、そんな一人が毎朝迎えに来てくれる。
 ブレスレス:ループする世界では新たなゲームが考案される。総合格闘技の北米チャンピオンは、新たな特別ルールの下での試合に難色を示していた。
 イノセント・ボイス:水場争いをする貧しいアフリカの村で育った少年は、やがてジャーナリストになり現実を世界に伝えようとするが。
 プリズナーズ:自身の醜さに絶望し図書館にこもる主人公は、ループ現象について様々な考察を試みる。そしてキーとなる人物と会話するなかで、噂の真相が明らかになる。

 タイムループものである。映画でも小説でも百出のアイデアだけに、作者の腕の見せどころだろう。一定の周期で同じ時間が繰り返されるのだが、本書では記憶が累積される(すべての周回を憶えている)ルーパー(周回者)が徐々に増えていき、リセットされてしまうステイヤー(非周回者)を上回るようになる。

 本書のループは1日、開始時間は世界一斉のため、日本では夜中だがアメリカだと昼間だったりする。肉体的にすべてリセットされる(眠らなくても問題ない)一方、記憶だけが残る。自然現象のようでいて、選択が起こるメカニズムまでは解明されない(記憶があるということは、ルーパーの時間は流れている。それは錯覚なのか?)。食料やエネルギー、貧富の問題すらなくなる(どれだけ浪費しても元に戻る)という理想社会であるはずが、人々は(殺人、暴行、強姦などの)刹那的な願望充足に明け暮れてしまう。凝集された1日で世界は崩壊し、全く異なるものに変貌するという設定がまず面白い。

 さらに、無秩序から自らを守ろうとするナイト・ウォッチ、もともとの社会規範が復活する「ループ後」を見据えた格闘家やジャーナリストなど、閉塞的なループにその先を見据える登場人物を配した点が目新しいといえるだろう。

八杉将司『八杉将司短編集 ハルシネーション』SFユースティティア


 2003年の第5回日本SF新人賞受賞でデビューし、2021年12月に亡くなった八杉将司の短編集。著者には多数の作品がありながら、生前に短編集が出ることはなかった。本書は、関係する作家有志により編纂された傑作選である。同じ出版社から出ている遺作長編『LOG-WORLD』はオンデマンド出版(もともとはpixiv公開)だったが、こちらはAmazonなど数社からの電子書籍のみとなる。

 短編[ その一 ]
  命、短し(2004)バイオハザードにより人類の寿命は極端に縮んでしまう。少年も既に人生の半分を生きた。海はあなたと(2004)生体CPUとなった主人公は海辺を車で走るのだが、外の光景はいつまでも変わらない。ハルシネーション(2006)脳の機能障害により「動き」が認識できなくなる。しかも、やがてありえないものが見えるようになった。うつろなテレポーター(2007)量子コンピュータのシミュレーションで造られた複数あるコロニーのうち、自分たちのコロニーが複製されるらしい。これは実利も伴う名誉だった。カミが眠る島(2008)瀬戸内海の小島で行われる祭りを取材するためライターが訪れる。そこでは利権をめぐる騒動が巻き起こっていた。エモーション・パーツ(2009)会社で仕事中、急に笑いが止まらなくなる。どうやら人工大脳の故障らしい。一千億次元の眠り(2011)矯正措置を受けた火星の旧支配層のうち、有力な一人が逃走する。知人だった元警官は、捜査官として行方を追うよう指示される。
 『異形コレクション』掲載作
  娘の望み(2006)娘は言葉が話せなかった。脳に障害があったからだ。しかしそれに代わる芸術の素養があるようだった。俺たちの冥福(2007)中古部品のブローカーで働く主人公は、点や影が顔に見える幻覚に苦しんでいた。産森(2008)宇宙での仕事にうんざりし、祖父母が住んでいた田舎の家に住むことにした。すると夜中に扉が叩かれ、赤ん坊が泣き叫ぶ声がする。夏がきた(2007)長い長い冬が終わり、降り積もった雪は溶けてしまう。やがて何年も続く夏がきた。ぼくの時間、きみの時間(2011)自分を基準に測るしかないが、主観時間は人によって違う。しかし妻とは大きな違いがあった。
 短編[ その二 ]
  宇宙の終わりの嘘つき少年(2012)そこは運河の世界で、人々は船を筏のように連ねて生活している。運河はどこまでも続いているが、一生の間に何回か同じところを通るらしい。それを昔の人は魂と呼んでいた(2013)魂だけが消えてしまう疾病が蔓延する。発症すると、過去の一定期間行っていた行為を延々と繰り返すのだ。
 ショートショート集
  ブライアン(2011)移民宇宙船が遭難、未開惑星へと脱出できたのは自分一人のようだった。そこで笑い顔の石ころを見つける。神が死んだ日(2012)授業中にアラームが鳴る、それは教師である自分宛に緊急事態を伝えるものだった。宇宙ステーションの幽霊(2013)幽霊を信じていなかった科学者の自分が、なんと幽霊になっている。むき出しの宇宙が見える以上、そう考えるほかなかった。ドンの遺産(2014)堅気で生活していた男は、マフィアだった父の跡を継げと申し渡される。座敷童子(2014)跡取りで揉める田舎の家で、中学生の主人公は見知らぬ女の子に声を掛けられる。追想(2015)人類は滅亡寸前、アンドロイドは酒を求めるばかりの困った老人を介護している。夢見るチンピラと星くずバター(2018)月で採れた石には未知のミネラルが含まれているようだ。それを混ぜたバターを食べると何かが。砲兵と子供たち(2020)第1次大戦下の西部戦線、ドイツ軍の砲兵は自軍の周辺に子供たちが群れていることに気が付く。LIVE(2021)人工知能に自我あると認められた。それは問いかけに対し「LIVE」と答えたからである。我が家の味(2021)妻に先立たれ夫は途方に暮れるが、料理の味を決める見知らぬ素材があることを知る。
 短編[ その三 ]
  私から見た世界(2013)見えていたものが見えなくなる。その異常は脳の手術で治るはずだった。だが、術後に別の症状が表われ次第に悪化していく。親しい人が見えず、声が聞けなくなるのだ。妻や子供を自身の認知から失い、周囲の知人も消えていく。
 八杉将司作品論・三編
  八杉将司作品論(町井登志夫)/いつか、白玉楼の中で――八杉将司さんの創作についての覚え書き(片理誠)/八杉将司短編群を読み解く――〈私から見た世界〉と〈世界から見た私〉(上田早夕里)

 上田早夕里の作品論で詳しく述べられているが、著者は認知の問題を繰り返しテーマとしてきた。表題作「ハルシネーション」と、巻末に置かれた「私から見た世界」は、共に主人公の認知が極端に変貌していく様子を描いた対を成す作品といえる。片理誠は「ハルシネーション」をホラーだと思ったと書いている。恐怖も人の認知が生み出す感覚で、スピリチュアルなものと親和性が高いからだろう。ただ、著者は脳神経科学などの知見を取り入れることで、イーガンらが好むSF的/科学的な解釈を試みてきた。「私から見た世界」はその両者を融合したような作品だ。

 他でも「海はあなたと」「エモーション・パーツ」「一千億次元の眠り」「娘の望み」「ぼくの時間、きみの時間」「それを昔の人は魂と呼んでいた」など自我と意識を主要なモチーフとしたものが多くを占める。純粋なソフトウェア知性の「うつろなテレポーター」や、機械と認知の問題に言及した「LIVE」のような作品もある。いまハルシネーションというと、AIの吐く噓(でたらめな答え)のことを指すが、八杉将司ならどう解釈するのか訊いてみたい気がする。

大森望編『NOVA 2023年夏号』河出書房新社

ロゴ・表紙デザイン:粟津潔

 前号から2年ぶりとなる、オリジナル・アンソロジイ《NOVA》の最新号。今回は女性作家13人によるボリューミー(540頁)な1冊となった。雑誌の特集などを除けば、女性のみのSFアンソロジイとして日本史上初!を謳う。時流を抜きにすると、単にSF風/ファンタジイ風アンソロジイならもっと前から可能だったと思うが、著者の出自を含めSF周辺だけで固められるのは、今日だからこそなのだろう。

 池澤春菜「あるいは脂肪でいっぱいの宇宙」激太りを改めるべく励むのだが、あらゆる方法を試しても痩せない。騒動はSNS上でブレイクし、某研究所から調査依頼までくる。
 高山羽根子「セミの鳴く五月の部屋」五月にセミは鳴くか。謎の合言葉を告げる見知らぬ人々に辟易した主人公は、その意味を訪問者に問い詰める。
 芦沢央「ゲーマーのGlitch」 RTAゲームの世界大会が実況される。人類の限界を超えた男と元絶対王者の戦いなのだ。バグ技を使うなど究極の戦いは果てしなく続く。
 最果タヒ「さっき、誰かがぼくにさようならと言った」琥珀に愛していると告げると結晶が美しくなる。評判の琥珀師のもとにインタビュー取材用のAIが送られてくる。
 揚羽はな「シルエ」小さな娘が事故で脳死状態になったあと、諦めきれない夫とアンドロイドのシルエに耽溺する妻との間に深い溝ができる。
 吉羽善「犬魂の箱」使機神と呼ばれる犬張子型のロボットは子供を守る機能を有している。江戸時代のような設定の中で、ロボットは子供のために活動する。
 斧田小夜「デュ先生なら右心房にいる」宇宙開発の現場では、使役や食用にもなることから宇宙ロバが重宝されている。デュ先生はそんなロバの専門医だった。
 勝山海百合「ビスケット・エフェクト」スーパーカブで海を目指した高校生は、海岸で鹿のような生き物と出会う。そこで持っていたビスケットを差し出してみる。
 溝渕久美子「プレーリードッグタウンの奇跡」北アリゾナの平原にすむプレーリードッグたちの近くに、飛んでいる何かが下りてきてタウンの群れとコミュニケーションする。
 新川帆立「刑事第一審訴訟事件記録玲和五年(わ)第四二七号」死刑執行の傍聴ができるようになる。そこで死刑囚の母親と被害者の妹が同席し別の事件を引き起こす。
 菅浩江「異世界転生してみたら」オタクの主人公が異世界転生し、オタク知識を生かして好き勝手に生きようとするものの社会的制約が邪魔になる。そこで思いついたのが。
 斜線堂有紀「ヒュブリスの船」瀬戸内をクルーズする観光船で殺人事件が起こる。犯人は明らかになるが、乗客全員が記憶を残したままのタイムループに捕えられる。
 藍銅ツバメ「ぬっぺっぽうに愛をこめて」少女はレトロな駄菓子屋で、薬売りの男から父親の病気に効くという触れ込みで奇妙な生き物を渡される。

 揚羽はなの子供(そっくりのロボット)、吉羽善の犬(のようなロボット)、斧田小夜のロバ(が改良された宇宙ロバ)、勝山海百合の鹿(のような異星人)、溝渕久美子のプレーリードッグ、藍銅ツバメのぬっぺっぽう(のような外観の生き物)と、生物(ロボット、妖怪?)を描いたSFが読み比べられる。処理方法や視点に各著者の特徴が出ていて面白い。

 芦沢央のガチなゲーム実況、新川帆立のガチな供述調書、斜線堂有紀は登場人物の残酷な末路が印象に残る(記憶が累積されるタイムループ作品はよくあるが、ここまで感情的な閉塞感に溢れるものはなかった)。一方、最果タヒによるAIとの独り言のような会話、謎のゲームに関わるようで突き放す高山羽根子、真砂の数ほどある異世界転生ものにトドメを刺す菅浩江、この3人は年齢差がそれぞれ10年ずつありながら手練れの巧みさを感じる。

 池澤春菜の作品は、もしかすると40年ぶりによみがえる『処女少女マンガ家の念力』(大原まり子)なのではないかと思わせる。この非日常的なリアリティはいかにも編者の好みっぽく、冒頭に置かれただけのことはある。

斜線堂有紀『回樹』早川書房

装幀:有馬トモユキ
装画:宇佐崎しろ (C)宇佐崎しろ/集英社

 斜線堂有紀の初SF短編集である。2016年に第23回電撃小説大賞メディアワークス文庫賞を受賞してデビュー後、ラノベから本格ミステリまで多数の著作をこなすが、その設定にはSF的な奇想が多かった。ただし、著者にはもともとジャンル意識はなく、依頼を受けてからその分野を研究するのだという。SFも同様であるらしい(ということは、2020年から集中して読んだということか)。3年で1000冊を読む読書力と、月25万字(単行本2冊分)の原稿を書く腕力があるからこそできる手法だろう。

 回樹(2021)秋田県の湿原に全長1キロほどの人型物体が出現する。忽然と現れ、どこから来たかもわからない。しかし、植物と見なされた存在には特異な性質があった。
 骨刻 (2022)生きている人の骨に、メッセージを刻みこむ技術が流行する。レントゲンを使わないと読み取れないため、書かれる言葉は秘匿性を帯びたものになる。
 BTTF葬送(2022)2084年、映画館では一世紀前の名画が上映されようとしている。それを見るためには、安くはない入場券を手に入れる必要があった。
 不滅(2022)あるときから死体が腐敗しなくなる。それどころか切除も焼却もできなくなる。埋葬に困った政府は宇宙葬を進めるが、それには莫大な経費が必要になる。
 奈辺(2022)18世紀のニューヨーク、奴隷の黒人が白人用の酒場に入場しようとして騒動になる。そこに緑色の肌をした宇宙人が墜ちてくる。
 回祭(書下ろし)お金が必要だった主人公は大金持ちの介助役に雇われる。そこには若い娘がたった一人で住んでいるのだが、昼夜を問わず無理な要求を強いられるのだ。

 どの作品にもユニークな発想がある。骨に刻まれた文字、葬られる映画(その理由が奇妙)、不滅の死体、レイシズムと宇宙人の組み合わせなどなど、アイデアの扱いも意表を突く。表題作では主人公(作家)とパートナーだった女性との関係が坦々と語られ、物語の半分を過ぎたあたりでようやく回樹が登場する。主人公の物語は閉じるのだが、回樹の存在は曖昧なまま背景に隠される。

 もちろん、すべての謎が解き明かされないSFはある。著者のミステリ『楽園とは探偵の不在なり』の元ネタ、テッド・チャン「地獄とは神の不在なり」も、天使と天罰が実在する舞台について何らかの種明かしがあるわけではない。ただテッド・チャンの場合、奇怪な世界を描くことが主であって、主人公の運命は世界構造に左右される従属物なのだ。

 斜線堂有紀は、そこが逆転しているように思われる。つまり、主人公たちの思いや行動は世界のありさまと関係なく自発的/自律的にあり、世界はその道具に過ぎないのだ。しかも、道具(たとえば回樹そのもの、腐敗しない死体)は論理で説明がつかないオーパーツ的存在である。これは特殊設定ミステリを援用した、(かつてのバカSFに近い)特殊ガジェットSFといえるのかもしれない。特殊設定や特殊ガジェットは、理屈抜きで受け入れないと物語が成り立たないからだ。

陸 秋槎『ガーンズバック変換』早川書房

Gernsback Transform and Other Stories,2023(阿井幸作、稲村文吾、大久保洋子訳)

装画:掃除朋具
装幀:早川書房デザイン室

 1988年北京市で生まれ、現在日本の金沢市に在住する中国人ミステリ作家 陸秋槎(りくしゅうさ、ルー・チュウチャ)による初のSF短編集である。日本オリジナルで編まれ、書下ろしや初翻訳を含む8作品を収めたもの。

 サンクチュアリ(書下ろし)著名なファンタジー作家がスランプに陥り、急遽シリーズもののゴーストライターとなったわたしは、作家が書けなくなった本当の理由を知る。
 物語の歌い手(書下ろし)中世のフランス。修道院で病に倒れ地元に戻った貴族の娘は、城で詩を披露する中身のない吟遊詩人たちに飽き足らず、自ら吟遊詩人の扮装に身をやつし街々を旅して歩く。
 三つの演奏会用練習曲(2021*)ノルウェーで続く迂言詩(ケニンガル)、シャーラダー(カシミール)を揺るがした『麗姫百頌(カニヤーシャタカ)』、アルテイア島で毎日謳われる神歌、以上3つの物語。
 開かれた世界から有限宇宙へ(2023)スマホゲームのシナリオライターが、社運を賭けた新プロジェクトのカリスマプロデューサーから、ゲーム内の矛盾する設定に合理的な意味付けをするよう要望される。安易な答えは絶対に許されないのだ。
 インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ(2021)インド魔術のネタにインディアン・ロープというものがある。蛇が直立してロープになるトリックなのだが、さまざまな文献によって蛇の実在が示唆される(『異常論文』)
 ハインリヒ・バナールの文学的肖像(2020)20世紀初頭のオーストリア、ホーフマンスタールと同時代の作家にバナールがいた。凡庸で冗長な劇作家だったがナチスの台頭とともに頭角を現し、やがてあるSF映画の脚本により破滅に追い込まれる。
 ガーンズバック変換(2022*)未成年者がスマホやPC画面を見ることを禁じた香川県。高校生の主人公は、ガーンズバックV型の遮断型眼鏡をかけている。大阪の友人を頼って、無効化されたレプリカ眼鏡を入手しようとするのだが。
 色のない緑(2019)親友が亡くなる。グラマースクール時代に知り合った3人の中の1人だ。彼女は計算言語学者で、700ページに及ぶ論文を完成させたばかりだった。しかし、その論文は学会から却下されていた。
*:初訳

 ミステリ作家が書いたSF短編集というと、西澤保彦マリオネット・エンジン』貴志祐介『罪人の選択』、著者あとがきにも出てくる法月綸太郎『ノックス・マシン』などが思い浮かぶ。どの作家もSFファンだった過去を持つが、(アイデアの処理法に)トラディショナルなSFの手法を用いるか、手慣れたミステリの手法を援用するかで出来上がりの雰囲気は異なる。貴志祐介は前者(長編になるが熊谷達也『孤立宇宙』もそうだろう)、西澤保彦と法月綸太郎は後者になる。特に『ノックス・マシン』はミステリ作家が書いたSFの究極の姿といえる。

 それでは、陸秋槎はどうなのか。「サンクチュアリ」「開かれた世界から有限宇宙へ」「色のない緑」は、それぞれ謎(書けない理由、ゲーム世界の設定、友人の死)が提示され解決されるので、SFのアイデアをミステリ的に処理したと言えなくもない。ところが、どれも事件解決! 的なカタストロフはなく、諦観を込めた終わり方なのだ。さらに、「物語の歌い手」「三つの演奏会用練習曲」は自在な物語だけがあるという短編で、エキゾチックな登場人物の人生の切片のように読めるし、「インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ」「ハインリヒ・バナールの文学的肖像」は異常論文というより、本物らしさを増した架空評論だろう。

 表題作「ガーンズバック変換」はラノベに近い青春ドラマだ。どんな制約下でも生きていこうとする、主人公の思いに読みどころがある。過去にとらわれず、現在を自由に取り込める若さも清々しい。結局のところ、その自由さが陸秋槎と既存のSFミステリとの違いと思われる。ミステリ作家の経験の上に書かれたSFには、大なり小なり過去のSF体験=古い記憶やミステリのスキルが映り込む。著者の場合(まだ)そういう縛りは生まれておらず、ミステリ・SF・文学のどこでもあり/どこでもない作品となっているのが面白い。

塩崎ツトム『ダイダロス』早川書房

装幀:坂野公一(welle design)
装画:(c)Adobe Stock

 第10回ハヤカワSFコンテスト特別賞受賞作。著者の塩崎ツトムは、第9回の最終候補に続き今回は特別賞を受賞した。

 1973年、ブラジル西部のマット・グロッソ州で、ユダヤ人の文化人類学者と医師が、ボリビア国境近くの密林へと分け入ろうとしている。奥地には未知のインディオ種族だけでなく、日系移民のカチグミ過激派(大日本帝国の敗戦を信じず、マケグミにテロ行為を企てる)も潜んでいるらしい。だが、彼らには新大陸に逃れたナチスの大物を狩るという別の目的もあった。

 文化人類学者はレヴィ・ストロースの弟子、医師はアル中で失敗を繰り返しており起死回生を図ろうとしている。そこにジャーナリスト志望の日系青年、ナチスやソ連で非人道的研究を続けていた科学者、カチグミの首魁と取り巻きたち、その娘と正体のしれない孫たちが絡む。

 選考委員の選評は以下のようである。

選考会ではSFとしての驚きにかけるとの指摘が相次ぎ、特別賞に甘んじたが、裏返せばSFの枠に収まらない魅力があるともいえよう。(中略)マジックリアリズムの秀作として幅広い読者に届くと期待したい。

東浩紀

見事な物語であり、広く読者に知らせないわけにはいかなかった。しかしながら、「SF」を賞する本コンテストが、この作品を適切に賞せられるかどうかの問題があり、特別賞とした。

小川一水

力強い作品。ぐいぐい読ませる。衒学的でもある。トカゲ肌の少女の湖上シーンなど、美しさもある。特別賞には納得です。

菅浩江

 この作品にも別の見解がある。

作者の創作動機は「面白いエンタメが書きたい」だろう。それは、実現されている。だが、新しさはない。(中略)しかしエンタメの書き手としての力量を否定してのことではないので、この作品を世に出すことには反対しない。

神林長平

 本書は、冗長すぎるとの編集者を含む各委員からの指摘に基づいて、大きく改稿が行われている(それでも750枚を超える)。物語では、探検に挑む二人のユダヤ人(三人称)、暴力的な本能に翻弄される異形の人物(一人称)、ナチス科学者が優生思想を語りカチグミの日系人首魁が心情を語る断章(それぞれの一人称)など、複数の視点が混ざり合っている。確かにマジックリアリズム的な混沌とした雰囲気は感じられる。著者の語りには、もともと饒舌さ(ラテン的?)があるのだと思われる。

 その一方、物語末尾(順序が逆転したプロローグとエピローグ)で提示される現代へとつながるテーマは、本文と乖離しているように見える。もともと本書は陰謀論=フェイクを描くものではなく、荒唐無稽ながらリアルな物語なのだが、マジックリアリズムをより現実的な舞台へと移行させるため、あえて置かれたものかもしれない。

田場狩『秘伝隠岐七番歌合』ゲンロン/河野咲子『水溶性のダンス』ゲンロン

表紙:山本和幸

 2021年9月に発表された第5回ゲンロンSF新人賞受賞作(第6回は半年遅れて2023年3月発表予定)である。単行本形式の雑誌ゲンロン13(2022年10月)に掲載後、電子書籍化されたものだ。これまで存在しなかったユニークな歌合(うたあわせ)SFと、多様な解釈が可能なファンタジイの2中編になる。

 13世紀、鎌倉時代の日本。京都の自邸にいたはずの藤原定家は、なぜか日本海の只中にある隠岐で目覚める。そこで流刑になった後鳥羽院と再会、しかも歌合の判者(判定者)になるよう要望される。相手はなんと天から来た灰人(はいんど)と呼ばれる異形の者だった。灰人が和歌に注目したのには理由があった。

 新古今和歌集の選者で知られる藤原定家が、後鳥羽院(出家後の後鳥羽上皇)とグレイタイプの宇宙人が和歌を競う歌合の審判員になる。しかも、歌合ではお互いの和歌がガチに披露される。エイリアン灰人の力で幻視した宇宙の光景を織り交ぜながら、お題(テーマ)ごと7組(14首)の和歌が吟じられるのである。宇宙人はともかく、後鳥羽院の和歌を新たに創作するとはなかなかに豪胆だろう。和歌は擬古文ながら、判定の説明は現代文なので読みやすい。

 あいにく評者には和歌の素養はないので出来は分からないが、後鳥羽院が詠んだかもしれないSF和歌、という奇想はなかなか出てこない(思ったところで書けない)。旧来あったSF短歌などとはまた違った新趣向を感じさせるものではある。しかし、円城塔の推薦文(表紙帯)もまた謎。

表紙:山本和幸

 対して河野咲子『水溶性のダンス』は、寓話なのか、風刺なのか、純粋なファンタジイなのか、選考委員を惑わせた作品である。

 主人公はアトリエを開く人体師である。アトリエと言っても芸術作品を作るわけではなく、訪れる客の傷んだ体をそぎ落とし、パーツを補修するのが仕事だった。その街に住む人々は人形のようだった。骨格にはばねや歯車があり、その上に鋳型をとったパテをはめ込むのだ。服はそのパテの上に直接彫り込まれている。あるとき人体師は、一人の踊り子に魅せられてしまう。

 人形は湿気に弱く(水溶性)、時間が経つと体が劣化していく。書割のような街は、ある部分は精細に作りこまれているけれど、大半は奥行きを持たない。この世界自体もまた閉ざされているようだった。主人公は行方不明となった踊り子を捜して彷徨うようになる。

 「夢の棲む街」を思わせる雰囲気「息吹」を思わせる機械的な人々と、設定が面白い。しかし、主人公がなぜこの街を「書割」だと知っているのか(最初からそこに住んでいるのなら、書割という概念自体がないのでは)、真っ白な空白の本が当たり前の世界なのになぜ主人公は文字に執着するのか、そういった理由は明らかにされない。背後の仕掛けをもう少し説明すべきだが、意図的にあいまいさを残したためとも解釈できる。酉島伝法のように世界を膨らませていけるのなら、やがてその答えも明らかになるのだろう。

小川楽喜『標本作家』早川書房

装幀:坂野公一(welle design)
写真:(C)Adobe Stock

 第10回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作。昨年に引き続き大賞(本書)が出て、優秀賞はなく特別賞(別途刊行)が選ばれた。小川楽喜は1978年生まれ。20年近く前になるが《ソード・ワールド短編集》や、紙版のTRPGシナリオでの著作がある。受賞作は他の新人賞へ3度(改稿なく)投稿された作品で、4回目にしてようやく日の目を見たものという(ただし、本書は応募時より加筆訂正されている)。

 また、今年から選考委員に菅浩江が加わっている。ハヤカワのSFコンテストでは(過去を含めて)初の女性選考委員である。近年の日本ファンタジーノベル大賞や創元SF短編賞などと比べても、女性が選ばれ難い(応募し難い?)特異な賞だったので今後の変化を期待したい。

 80万2700年の未来、人類はすでに絶滅している。だが、その世界を支配する知生体「玲伎種(れいきしゅ)」は、〈終古の人籃(しゅうこのじんらん)〉と呼ばれる閉鎖施設の中に、過去に存在した作家たちを復活させ、不死固定化処置を施し作品を執筆させようとする。〈異才混淆(いさいこんこう)〉(作家たちによる共著)を求めるのだ。しかし、無限に近い時間がありながら、出来上がった作品は支配者を満足させるに至らない。

 〈終古の人籃〉は国や地域別に作られていて、舞台はイギリス作家を集めたカントリーハウスが中心となる。そこで〈文人十傑〉というベストメンバーが順番に紹介されていく(ここを含む第2章まで読むことができる)。ほとんどの作家には明らかなモデルがある。

 19世紀の流行作家セルモス・ワイルド(→オスカー・ワイルド)、21世紀の恋愛小説家バーバラ・バートン(→ビバリー・バートン、アメリカのロマンス小説作家)、20世紀のファンタジー小説家ラダガスト・サフィールド(→J・R・R・トールキン、サフィールドは母方の姓)、18世紀のゴシック小説家ソフィー・ウルストン(→メアリ・シェリー、母方の姓がウルストンクラフト)、20世紀のSF小説家ウィラル・スティーヴン(→オラフ・ステープルドン)、22世紀のミステリ小説家ロバート・ノーマン(→不詳、ノーマン・ベロウ? 実体なしの虚構作家として登場)、24世紀のホラー小説家エド・ブラックウッド(→アルジャノン・ブラックウッド)、28世紀の児童文学者マーティン・バンダースナッチ(→ルイス・キャロル、バンダースナッチは詩に書かれた架空の生き物)、19世紀の国民作家チャールズ・ジョン・ボズ・ディケンズ(→チャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ)、そのディケンズと途中入れ替わる20世紀の日本人作家辻島衆(→津島修治=太宰治)、31世紀以降のクレアラ・エミリー・ウッズ(→ヘレン・エミリー・ウッズ=アンナ・カヴァン)。そして、物語の語り手、狂言回しである巡稿者(作家から原稿を集める者)メアリ・カヴァンもまたアンナ・カヴァンなのだ。

 80万2700年というのは、ウェルズのタイムマシンがたどり着く遠未来である。そこでは労働者が地下に住む怪物と化し、地上の富裕層の成れの果てを食用にするのだが、本書では作家が仮想的な檻に強制収容され、上位知性の編集者から解のない小説の執筆を強いられる。そういう意味では、本書は文字通りのメタフィクション(フィクションついて書かれたフィクション、小説を書くということについて書かれた小説)であり、作家のディストピア(人によってはユートピア)小説ともいえる。

 選考委員の選評は以下のようである。

最初から最後まで、人間がなぜ小説を書くのか、何を書くのか、どう書くのかというのがこの話の主題だった。(中略)結末の美しさは他を圧していた。

小川一水

本作を推したのは、書くことの切実さとその限界というものをこの作者自身が身をもって知っていて、その思いを何としてでも書き表したいという強い意志を感じたからだ。

神林長平

『サロメ』はあまりに有名すぎるとは感じましたが、とにかくリーダビリティが高く、ずっと緊張の続く良い作品だったと思います。(中略)器用さと大胆さを兼ね備えた方だと感じ、推しました。

菅浩江

あらゆる設定と標本作家たちの個性が有機的に絡み、かつ語りに工夫を凝らしながら、壮大かつ私的なヴィジョンを紡ぎだすのには本当に感心した。

塩澤快浩(編集部)

 一方、別の見解もある。

モデルは容易に想像がつき、多くは英語圏の有名作家である。受賞作はそんな彼らの大作家としてのイメージを読み替えるのではなく、むしろステレオタイプをなぞるように展開していく。(中略)評者はその文学観に同意できないので評価は厳しくなった。

東浩紀

 この小説のベースとなった作品は多いが、中でも前半のオスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』『サロメ』と、後半のアンナ・カヴァン『アサイラム・ピース』(表題作は8つの断章から成る中編)『氷』が大きい。カヴァンは特に作家本人と酷似するウッズと、語り手カヴァンという二重の表出が印象深い。ジャンル作家(に見立てた作家)の扱いや太宰のイメージの平板さという難点は評者も感じるものの、サロメをシリアルキラーにしたり、キャロルが反出生主義を唱え、ブラックウッドが全人類を再演し、ワイルドとカヴァンとがマッチングするなどのアイデアは大胆だろう。何れにしても、既存のフィクションをパロディではなく大真面目にコラージュし、創作の意義に新たな光を投げかけた点で、特に実作者に感慨深い作品といえる。