アーカディ・マーティーン『帝国という名の記憶(上下)』早川書房

A Memory Called Empire,2019(内田昌之訳)

カバーイラスト:Jaime Jones
カバーデザイン:早川書房デザイン室

 アーカディ・マーティーンは1985年生まれのアメリカ作家だ。パートナーはファンタジー作家のヴィヴィアン・ショーで、共にサンタフェに在住する。ビザンツ帝国史で博士号を取得し、後に都市計画の修士号を得て現在はそちらを生かした仕事に就いている。SF作家としてのデビューは2012年、本書は2019年の初長編だが、2020年ヒューゴー賞長編部門を受賞するなど高い評価を受けた。経緯は異なるものの、初長編でいきなりブレークした『最終人類』と似たところがある。スペースオペラに歴史の専門分野を織り込み、エキゾチックな雰囲気を配した作品だ。

 遠い未来、銀河宇宙は大帝国テイクスカラアンにより支配されている。小さな独立ステーションにすぎないルスエルは新任大使を首都に送り込むのだが、そこで連絡を絶った前任大使の謎めいた行動が明らかになる。何を画策しようとしていたのか。足跡を追ううちに、新任大使の身にも次々と難事が降りかかってくる。

 登場人物の名前が変わっている。帝国の人々はスリー・シーグラス、シックス・ダイレクション、ワン・テレスコープなど、数字と単語を組み合わせた奇妙な名を持つのだ。しかも、ビザンツとアステカが混ざりあった文化を持つ帝国では、意見表明の際に詩の朗読をする風習になっている。ただし、物語の(文明の衝突などの)文化人類学的な側面はあくまでも背景にすぎない。主人公とペアの案内役(第一秘書的な地位)の2人が、宮廷内で密かに進む陰謀の真相に切り込むサスペンスがメインとなる。このあたりは、ジョン・ル・カレのスパイ小説から影響を受けたと著者自身が述べている。

 帯に『ファウンデーション』×『ハイペリオン』とあるのはちょっと書きすぎで、それらと本書では銀河帝国やスターゲートが出てくる以上の共通項はない。解説で指摘されるもう一つの影響元C・J・チェリーが、日本で絶版状態なのは惜しいと思う。チェリーの描く異世界は、ファンタジー寄りではなくSF的だったからだ。本書ではその設定を前提に、表紙イラストに描かれた『ゲーム・オブ・スローンズ』風の玉座を巡る、権謀術数のドラマが楽しめるだろう。登場人物の関係は性差もなく今風。また、続編 A Desolation Called Peace は今年出たばかりだが、すでに翻訳が決まっているそうだ。

空木春宵『感応グラン=ギニョル』東京創元社

ブックデザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。
装画:machina
装幀:内海由

 第2回創元SF短編賞(2011)を「繭の見る夢」で受賞した著者による初の短編集である。長期間沈黙した後、活動を再開したのが2019年なので、ここ2年間に書かれた中短編5作品を収めたものだ。創元日本SF叢書の一冊ではあるが、巻末の広告欄では夢野久作、久生十蘭、江戸川乱歩の諸作が並んでいて、本書の立ち位置を推察できる。

 感応グラン=ギニョル(2019)関東大震災後の昭和初期、浅草六区に特異な出演者ばかりを集めた芝居小屋グラン=ギニョルが生まれる。
 地獄を縫い取る(2019)共感を伝えるエンパス技術が一般化した世界、主人公はジェーン・ドゥと呼ばれる少女が登場するアプリを制作している。
 メタモルフォシスの龍(2020)人が蛇や蛙へと変変態していく街で、しだいに蛇に変わっていく姉御と同居する少女は自分のメタモルフォースの遅さに苛立つ。
 徒花物語(2020)ある病を負った少女たちが女学校に集められ寄宿生活を送っていた。先輩に憧れる主人公は、この学校の秘密を知るようになる。
 Rampo Sicks(書下ろし)アサクサ一二〇階がそびえ建つAsakusa Sixで繰り広げられる、美を摘発する探偵団と皓(しろ)蜥蜴との戦い。

 表題作「感応グラン=ギニョル 」は昭和初期(0年代)版『異形の愛』だろう。そこに心の問題を持ち込んだのが本作のポイントだ。「地獄を縫い取る」は近未来を舞台に、世界的な社会問題となっているテーマを、よりディープに掘り下げている。「メタモルフォシスの龍」は、遺伝子工学ものというより耽美なファンタジーの方向に振った作品だ。少女の心の揺れが読みどころになる。「徒花物語」は伴名練も「彼岸花」で手懸けた吉屋信子風の女学生もの。しだいに異形のものの正体が明らかになる過程が面白い。書下ろし作「Rampo Sicks」では、顕著に見られる江戸川乱歩(黒蜥蜴ならぬ皓蜥蜴、少年探偵団など)に対する言及や、昭和初期の作家へのオマージュが随所に出てくる。冒頭で言及した立ち位置が与えられる所以だろう。

 江戸川乱歩は自身のエログロものを卑下していた(本格ものがミステリの王道だと考えていた)ようだが、今日まで大きな影響を残しているのはむしろそういった作品である。本書では、猟奇的退廃的な世界を積極的に取り上げる。ほの暗い舞台の中で、異形のものたちが跳梁する。彼らは肉体が失われても、人の心を残しているために苦悩する。現代に甦る昭和初期風エログロという発想はユニークだろう。

チョン・セラン『声をあげます』亜紀書房

목소리를 드릴게요,2020(齋藤真理子訳)

装丁・装画:鈴木千佳子

 すでに何冊も翻訳がある、人気作家チョン・セラン初のSF短編集。本書は韓国のSF専門出版社アザクから昨年出たばかりの作品集で、中短編8作を集めたもの。著者は1984年生まれなので、年代的には郝景芳(ハオ・ジンファン『人之彼岸』)チョン・ソヨン(『となりのヨンヒさん』)に近い。

 ミッシング・フィンガーとジャンピング・ガールの大冒険(2015)好きになった人の指だけが、過去にタイムスリップしてしまう。2人は指探しの旅に出る。
 十一分の一(2017)11人いた大学サークルの変人たちの中で1人だけ気に入った人がいた。以来会うことはなかったのだが、あるとき全員が集まる同窓会の招待状が届く。
 リセット(2017-19)長さ200メートルに及ぶ巨大ミミズが至るところに出現し世界は壊滅する。残された人々は、過去を捨てて生活を再建しようとする。
 地球ランド革命記(2011)異星の観光客に不評な地球とは別に、地球ランドと呼ばれる観光施設が作られる。しかし、展示物は本物とはいいがたい紛いものばかり。
 小さな空色の錠剤(2016)もともとアルツハイマーの治療薬として開発された青い錠剤は、思いもよらない使われ方をするようになる。
 声をあげます(2010)無意識に人に危害を与える特殊能力者がいる。そういった人々は収容所に収監され、能力を失わない限り外に出ることができない。
 七時間め(2018)現代史の授業では、直近の大絶滅が起こった原因を集中して学ばなければならなかった。
 メダリストのゾンビ時代(2010)地球規模で起こった人類のゾンビ化。たまたま生き残ったアーチェリーのメダリストである主人公は、屋上からゾンビをひたすら射る。

 指だけがタイムスリップしたり、変人だらけのサークルがあったり、巨大ミミズが文明を崩壊させ、嘘っぽい地球ランドや、新薬が変えた奇妙な社会や、やむを得ないとはいえ自由を奪われる呪われた者たちや、ゾンビのただ中のメダリストが描かれる。リアルというより奇想寄り、ハードさよりもユーモアに寄せている。とても深刻な状況なのだが、ふんわりと包み込まれるように書かれていて、小さな救いを感じさせる。

 著者は「七時間め」「リセット」などで、人類のいまの文明の方向性に疑問を呈し、「声をあげます」では多数のために1人を犠牲にする是非を独創的な設定で考察する。気象変動やコロナ禍は、人類を(いまのところ)滅ぼしてはいないけれど「生まれて以来ずっと生きてきた世界が揺らいでいる」と感じることが多くなった。著者は「そのときに手にする文学がSFだと思う」と述べている。問題の解決は遠くても、視点を変えることで、希望のひとかけらを見いだすことができると信じているからだろう。

大恵和実編『移動迷宮 中国史SF短篇集』中央公論社

移動迷宮,2021(大恵和実編訳,上原かおり訳,大久保洋子訳,立原透耶訳,林久之訳)

装幀:水戸部功

 耳慣れないサブジャンル「中国史SF」の日本オリジナル作品集である。これは、一般的な歴史改変SF(あるいは並行世界もの/時間もの)のうち、近代から春秋戦国時代(紀元前)の中国史を舞台とした作品群を指すようだ。旧来の歴史SFではタイムパトロールのような絶対的な存在が主体だったが、本書では歴史そのものがテーマになっている。

 飛氘「孔子、泰山に登る」(2009)春秋戦国時代(前五世紀ごろ)、孔子たち一行は旅の途中で兵に包囲され難渋していたが、そこに機械鳥に乗った救出者が現われる。
 馬伯庸「南方に嘉蘇あり」(2013)後漢の末(一世紀ごろ)、アフリカから嘉蘇=コーヒーが伝来する。高価な薬だった嘉蘇は、やがて大衆にも広がり、さまざまな故事成語や詩編を生み出す。
 程婧波「陥落の前に」(2009)随の終わりから唐の時代(七世紀ごろ)、荒廃した洛陽に住む幽霊使いと弟子の少女との物語。宮崎駿の影響を受けたとされる。
 飛氘「移動迷宮 The Maze Runner」(2015)清の乾隆帝の時代(一八世紀ごろ)、英国から訪れた貿易使節団は、北京円明園に設けられた迷路の中で出口を見失う。
 梁清散「広寒生のあるいは短き一生」(2016)現代の在野研究家が、清朝末期(二〇世紀初め)に月を舞台にした小説を書く無名の作家を発見する。いったい何ものなのか。文献調査は、時に足跡を見失いながら続く。
 宝樹「時の祝福(完全版)」(2020)1920年の大晦日、主人公は英国帰りの友人と再会する。友人はウェルズの邸宅に隠されていたタイムマシンを持ち帰ってきたという。彼らはある目的で過去を改変しようとするが。
 韓松「一九三八年上海の記憶」(2005)1938年日中戦下の上海では、人生を巻き戻せるレコードが流行していた。戦争が続く一方、次々と人々が消滅していくのだ。
 夏笳「永夏の夢」(2008)時間を自由に跳躍できる主人公と、永遠に生き続けられる永生者がランダムな時間軸の中(新石器時代から地球消滅まで)で出会い、別れる。

 改変歴史物といえるのは「孔子、泰山に登る」「南方に嘉蘇あり」「広寒生のあるいは短き一生」の3作で、大胆に歴史に手を入れた「孔子、泰山に登る」と、史実かと思わせる後者2作に別れる。一方の「陥落の前に」は幻想色が濃くなり、それに寓意を加えたものが「移動迷宮」だろう。「時の祝福」はタイムパラドクスを皮肉っぽく描き、「一九三八年上海の記憶」はこの著者らしい奇妙な味を際立たせる。「永夏の夢」は、ジャンパー(タイムリーパー)の孤独を感じさせる現代的な雰囲気のSFといえる。

 近代以降を舞台とする作品だと、現在までの期間で生じうる差異となるので「改変」の度合いはあまり大きく取れない。ピンポイントに絞られる。その点、本書の前半作品のように一千年以上前となると、フィクションの投入がより自由になる。大法螺のスケールが増大するのである。後半の3作品は、むしろ時間SFの秀作として楽しめるだろう。

メアリ・ロビネット・コワル『火星へ(上下)』早川書房

The Fated Sky,2018(酒井昭伸訳)

カバーイラスト:加藤直之
カバーデザイン:岩郷重力

 昨年8月に翻訳が出た『宇宙へ』の続編。原著は正続とも2018年に出ているため、賞を総なめした正編に比べると本書は評価に恵まれなかった。とはいえ、内容的には前作に劣らない面白さといえる。

 最初の女性宇宙飛行士〈レディ・アストロノート〉で知られる主人公だったが、現在の任務は月コロニーと地球とを結ぶ小型往還機の副操縦手という面白みのないものだった。一方、国連主導による宇宙開発は火星コロニー建設まで進んだものの、最大の資金拠出国のアメリカで予算削減の動きが起こる。宇宙開発を維持するためには、何か派手な宣伝活動、演出が必要だった。

 前作からおよそ10年後1961年の物語である。主人公は紆余曲折を経たあと、最初の有人火星着陸船チームの一員となる。貨物船を従えた有人船2機にチームの14名が分乗するのだ。コンピュータは力不足でまだまだ操船の自動化はできず、航行には天測(六分儀を使う!)と手計算が欠かせない。チームは国際協調を謳うために、黒人や女性を含む諸外国の乗員がいたが、南アフリカ人(アパルトヘイト政策下の白人男性)は黒人差別を隠そうともしない。役割分担も不公平だった。その上、主人公は大戦中から知り合いの船長を毛嫌いしている。いかにも何かが起こりそうでしょう?

 本書の注目ポイントは、問題だらけの設定で起きるさまざまな危機だ。半世紀前の価値観だけでなく、現在でも続くジェンダーや肌の色、LGBTQの差別までが織り込まれている。小さな集団なので、どれもが任務を脅かす恐れがある。それらを組み合わせ、トラブルの1つが解決すると別の1つがほころびるという、連続ドラマ的(「フォー・オール・マンカインド」的)な波瀾万丈さをドライブしているのは著者の巧さだろう。

キジ・ジョンスン『猫の街から世界を夢見る』東京創元社

The Dream-Quest of Vellitt Boe,2016(三角和代訳)

カバーイラスト:緒賀岳志
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 本書は、7年前に短編集『霧に橋を架ける』が翻訳されているキジ・ジョンスンによる、250枚ほどの中編小説(ノヴェラ)である。2017年の世界幻想文学大賞などを受賞、ネビュラ賞やヒューゴー賞を受賞した中編「霧に橋を架ける」(2011)以来の高評価を得た作品だ。

 主人公はウルタール大学女子カレッジのヴェリット・ボー教授。ある日、カレッジの学生が知り合った男と駆け落ちしてしまう。だが、男も学生も特別な出自のものたちだった。逃亡先へは簡単にはたどり着けない。しかし連れ戻さなければ、この街そのものが危険にさらされる。主人公は若いころの旅装束をふたたび着け、一匹の猫を連れて、さまざまな脅威に満ちた「夢の国」の辺境へと捜索の旅に出る。

 表題の「猫の街」とは冒頭に登場するウルタールのこと。ある事件(ラヴクラフト「ウルタールの猫」(1920)参照)の後、決して猫を殺してはいけない街になった。解説にも書かれているとおり、本書はラヴクラフトの初期作品〈ドリーム・サイクル〉に属する「未知なるカダスを夢に求めて」(1926)のオマージュなのである。ダンセイニの影響が大きいとされ、後期のクトゥルーものよりも幻想色が濃い。ラヴクラフトについては、近年その差別的な言動から忌避される傾向にあるが、その一方、黒人作家ヴィクター・ラヴァルや本書の女性作家キジ・ジョンスンなど、作品自体を再評価する声も根強くある。捨てがたい魅力があるのだ。

 本書の主人公は、かつて〈ドリーム・サイクル〉の主役ランドルフ・カーターと恋仲だったという設定になっている(元の作品では主人公格の女性は出てこない)。カーターのような夢見る人は、その眠りの中で「夢の国」を創り、王として君臨する。彼らは目覚めると現実の世界に戻れるのだ。夢とうつつでは流れる時間すら異なる。主人公は夢見られるはかない存在なのだが、「鍵」を得ることで目覚めた世界=現代のアメリカに行くことができる。物語は、ラヴクラフトのカダスをなぞりながらも、その本家を凌ぐ壮麗さで主人公の冒険行を見せてくれる。ちなみに、猫は主人公ではありません。

伊藤典夫編訳『海の鎖』国書刊行会

Chains of the Sea,2021(伊藤典夫編訳)

装幀:下田法晴+大西裕二

 国書刊行会の叢書《未来の文学》最後の一冊。最初の作品『ケルベロス第五の首』が出たのが2004年なので17年ぶりの完結である。河出の《奇想コレクション》のときも『たんぽぽ娘』が最後だった。とはいえ、叢書の1つ前『愛なんてセックスの書き間違い』が2019年に出ているので、それほど間が空いたようには感じない(と思うのは、老齢による時間感覚遅延のせいかも)。本書は、過去に伊藤典夫自身が翻訳してきた作品(原著1952~85/翻訳68~96)を、自らが選んだ自選傑作選である。

 アラン・E・ナース「偽態」(1952)金星の探査を終え、地球を目前とした宇宙船内で、明らかに人間と異なる血液を持つ乗組員がみつかる。異星人が潜入したのか。
 レイモンド・F・ジョーンズ「神々の贈り物」(1955)異星の宇宙船が着陸、国連は東西陣営と中立国を交えた使節団を送り込むが、人類側には政治的な思惑があった。
 ブライアン・オールディス「リトルボーイ再び」(1966)2045年8月6日、その日に大きなイベントが行われる。しかし、何の記念日なのかは誰も知らなかった。
 フィリップ・ホセ・ファーマー「キング・コング堕ちてのち」(1973)キング・コングの墜落死を目撃した少年は、いま孫娘にそのときの記憶を語っている。
 M・ジョン・ハリスン「地を統べるもの」(1975)アポロ計画により月の裏側で発見された神が降臨する。主人公は〈神の高速道〉を調査するように指令を受ける。
 ジョン・モレッシイ「最後のジェリー・フェイギン・ショウ」(1980)TVやラジオ放送で地球人を学んだ異星人が、お下劣な話術で人気のTVショーに出演する。
 フレデリック・ポール「フェルミと冬」(1985)戦争が起こり、核の冬により地上の人々も生き物も死滅していく。アイスランドに逃れた人々は必死に生き延びようと戦う。
 ガードナー・R・ドゾワ「海の鎖」(1973)異星人の宇宙船が地上に忽然と現われたが、かれらは人類側のあらゆる試みを無視して反応しない。一方、田舎町に暮らす少年は、家庭的な問題を抱え、大人には見えない存在と会話することができた。

 全部で8編あるうちの5作品に異星人(神を含む)が出てくる。「擬態」はかなりストレートなボディ・スナッチャー(体から心まで人に化ける)もの。「神々の贈り物」は映画「地球が静止する日」ふうで、異星人は使節としてやってくるが、その中で主人公の心理に人間的なひねりがある。70年代になると、異星人そのものは物語の正面から後退する。答えのない謎に満ちた「地を統べるもの」や、ばかげたTV業界を皮肉っぽく描く「最後のジェリー・フェイギン・ショウ」に変わっていくのが面白い。中編「海の鎖」では、異星人は人類にまったく興味を示さない。これは大人が見えないもの、見失ったものと交感できる少年の物語なのだ。

 「リトルボーイ再び」は翻訳された当時(1970年)、むしろプロの間で騒ぎになった。世代的にまだ生々しい戦争の記憶が残っていたからだ。だがそれから半世紀が経ったいま、われわれはまだ当事者意識を持っているだろうか。歴史的悲劇は個人の体験でしかない(体験者が亡くなれば失われる)という、この小説の描いている世界に近づきつつあるように思える。

野田昌宏『山猫サリーの歌』扶桑社

表紙イラストレーション:加藤直之
表紙デザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。

 野田昌宏は2008年に亡くなっている。13年後になって、その遺作がオンデマンド書籍+電子版の形で出版された(扶桑社PODのレーベル)。編集部のまえがきによると本書が書かれたのは1995年、一部未完成のまま埋もれていたものである。どういう経緯でお蔵入りになったのかは分からない。

 昭和40年、主人公がフジテレビの〈日清ちびっこのどじまん〉ディレクターを務めていたころのこと。番組はまだブレークする前で視聴率も伸びず、公開放送での観客集めやPTAからの俗悪番組批判に苦しんでいた。そんなある日、宣伝に回る車の前に1人の少女が飛び出してくる。飛び入りで番組出演を要求するのだが、ただ者とは思えない歌唱力にスタッフ一同は驚愕する。けれど、サリーと名乗る少女が何ものなのか、どこに住んでいるのか親がいるのかさえ不明なのだった。

 野田昌宏のSF関係での代表的な仕事には《キャプテン・フューチャー》などの翻訳やスペースオペラの紹介、オリジナルのスペオペ小説《銀河乞食軍団》などの人気シリーズ執筆の他に、『レモン月夜の宇宙船』に代表されるノンフィクションめいたフィクション群がある。主人公は作者本人、担当した番組名や登場人物の多くは実在するが、そこに大きなフィクションが挟み込まれるスタイルである。昭和40-50年代(1965-75年代)が舞台となり、当時の雰囲気や社会的な状況が色濃く表われていた。本書はそういう一連の作品の総決算、唯一の長編として書かれたものだろう。

 本書には結末があり(サリーの正体が明らかになる)、あとがきまで用意されている。しかしメモ書きのみの章(【断片】とある)や、後で書き直すはずだったと思われる部分も多数ある。原稿としては、ブラッシュアップ前の草稿版/第1版なのだ(いったん最後まで書き上げてから直しを入れる作家は多い)。では、なぜ完成させなかったのか。

 本書は1995年に書かれた。当時でも『レモン月夜の宇宙船』(ハヤカワ版)から20年が経過していた。同書の作品群は、時事風俗描写に同時制=リアルタイム性があるから読者に歓迎された。同じ設定で、本書のように過去(30年前)を描く作品が受け入れられるだろうか。著者にはそんな迷いがあったように思われる。

 とはいえ、現在ならば不完全であっても世に出すべき、という考え方もできる。『山猫サリーの歌』が遺稿であることは間違いないし、もう帰っては来ない(体験として書けない)半世紀以上前を象徴する内容であるからだ。

アマル・エル=モフタール&マックス・グラッドストーン『こうしてあなたはたちは時間戦争に負ける』早川書房

This Is How You Lose the Time War,2019(山田和子訳)

カバーデザイン:川名潤

 2019年に出てヒューゴー賞やネビュラ賞、ローカス賞、英国SF協会賞(それぞれノヴェラ部門)など5賞を軒並み受賞した話題作。もともと中編の長さなのでコンパクトで読みやすい。著者はレバノン系カナダ人アマル・エル=モフタールとアメリカ人マックス・グラッドストーンのコンビだ。

 時空の覇権を賭けて《エージェンシー》と《ガーデン》という2つの組織が争っている。レッドは前者に、ブルーは後者に属する有能な工作員だ。各陣営は自分たちに有利な時間改変の種を植え付け、相手のそれを根絶やしにしながら勢力範囲となる並行世界(ストランド)を拡張/消滅させようとしている。そんなあるとき、戦いを終えたレッドはこの世界にはあり得ない一通の手紙を見つける。

 時間を股にかけた2大組織の抗争というと、サンリオSF文庫世代の読者なら、フリッツ・ライバー『ビッグ・タイム』の《スネーク》と《スパイダー》を思い出すだろう。ライバーも単純な冒険活劇ではないのだが、本書の場合はさらに奇妙で、レッドとブルーはお互い惹かれ合い、組織に知られない方法で(メールでもSMSでもない)文通を交わそうとするのだ。エージェント同士が「文通」するってなに? ちなみに、本書の中で2人の性別は女性(文中では彼女とある)のようではあるが、もしかすると、われわれのような性を持たない存在かも知れない。

 手紙はさまざまなところに隠れている。クリーム色の紙、MRIの中の水、僧院の納骨堂、神殿に収められた古代の(Appleの)シリ、あるいは何世紀も経た木の年輪。本書の最大の特徴として、歴史(時間ものなので)から文学作品と音楽(シェリー、テニスン、キャロル、キーツ、そしてディランなどポピュラー・ミュージックまでさまざま)に至る多彩でお洒落な引用がある。日本の読者には分かりにくいけれど、手紙のバリエーションと絡めて、詩的でリズム感ある文体の一要素だと解釈すれば楽しめるだろう。

J・J・アダムズ編『この地獄の片隅に』東京創元社

Armored,2012(中原尚哉訳)

装画:加藤直之
装幀:岩郷重力+W.I

 3月に出た本。『スタートボタンを押して下さい』(2015)と同じ編者による「パワードスーツSF傑作選」である(発表年的には本書の方が古い)。編者は LightspeedNightmare Magazine 等の電子/Web版雑誌の編集を長年手がけ、年3~4冊のペースでアンソロジイの編纂も行うなど、独自の短編市場を切り開く活動を続けているJ・J・アダムズ。

 本書は、傑作選といっても既存作品からのセレクトではなく、すべて書下ろしのオリジナル・アンソロジイになっている。訳者が全23編から12編を選び、読みやすいように掲載順序を入れ替えているのは前作と同じスタイルだ。原著よりコンパクトなことが人気を呼んだのか、7月にはさらなる新刊 Federations,2009 が予定されている。

 ジャック・キャンベル「この地獄の片隅に」有毒な大気に満ちた惑星で、異星人と交戦する機動歩兵の部隊は将軍から直々に無謀な命令を受ける。
 ジュヌヴィエーヴ・ヴァレンタイン「深海採集船コッペリア号」藻類を刈り取る作業船が、水中に沈んでいたデータドライブを偶然見つける。そこに映っていたものとは。
 カリン・ロワチー「ノマド」人とロボットが一体化した融合者は「縞」と呼ばれる縄張りを作り、他の縞との抗争を繰り返していた。
 デヴィッド・バー・カートリー「アーマーの恋の物語」その天才発明家は、決して自身のパワーアーマーを脱がないことで有名だった。
 デイヴィッド・D・レヴァイン「ケリー盗賊団の最期」19世紀のオーストラリア、隠棲した発明家のもとに強盗団の一味が現われ、実現不可能と思われる兵器製造を命じる。
 アレステア・レナルズ「外傷ポッド」戦闘中に負傷し医療ポッドに収容された兵士は、それでも戦闘に関わろうとするが。
 ウェンディ・N・ワグナー&ジャック・ワグナー「密猟者」全域が自然保護区となった地球で、異星の密猟者に対処するアーマーを着たレンジャーたち。
 キャリー・ヴォーン「ドン・キホーテ」スペイン内戦末期、アメリカ人のジャーナリストは、劣勢の共和国軍の開発した恐るべき新兵器を目撃する。
 サイモン・R・グリーン「天国と地獄の星」凶暴な植物が生い茂る惑星にハードスーツを着た要員が送り込まれる。彼らにはそうならざるをえない過去が隠されていた。
 クリスティ・ヤント「所有権の移転」もともとの外骨格の所有者が殺される。殺人者が代わりに使おうとするが、もちろん思い通りには動かない。
 ショーン・ウィリアムズ「N体問題」ワープゲートの終点にある星は異星人達の坩堝だった。そこで主人公はメカスーツをまとう女と出会う。
 ジャック・マクデヴィット「猫のパジャマ」強烈な放射線を放つパルサーを巡る観測ステーションから連絡が途絶える。補給船はその中で唯一の生命反応を見つける。

 日本で単行本が出ている作家は、ジャック・キャンベル、カリン・ロワチー、アレステア・レナルズ、サイモン・グリーン、ショーン・ウィリアムズ、ジャック・マクデヴィットと結構いるが、現行本が残るのはキャンベルくらいだろう。逆に言えば、作者名にこだわらず内容だけで読めるわけだ。

 パワード/アーマードスーツというアイデアがハインライン『宇宙の戦士』由来だとすると、必然的に本書はミリタリものになりそうなものだが、実際にはミリタリーSFは少数派である。キャンベルとレナルズくらいしかない。代わりに知性を持ったアーマー/外骨格が主人公になったり、宇宙服の延長線上やスチームパンクのメカ、アーマーを着ていることが設定の一部になっていたり、あるいは事件解決の手段になったりする。やや強引なものを含めて、機動歩兵ばかりがアーマーネタではないのだ。最後の作品は(古い読者は誰もが思うように)クラークネタ。ただし、オチに使っていないのがミソ。