柞刈湯葉『人間たちの話』早川書房

カバーイラスト:あらゐけいいち
カバーデザイン:瀬古口敦志(coil)

 『横浜駅SF』(2016)の著者による初短編集である。SFマガジン掲載作などと書き下ろしを交えて、全6編を収録する。著作としてはすでに5冊目。

 冬の時代(2018)すべてが雪と氷で覆われた、昔日本だったらしい世界を、二人の旅人があてもなく南を目指し旅を続ける。たのしい超監視社会(2019)世界を三分割していた全体主義国家の一つが崩壊、残りも体制変革を余儀なくされた。イースタシアの一画を占める日本では、お互い同士を小型カメラでフォロー=監視する超監視社会となる。人間たちの話(書き下ろし)主人公は裕福で自由な家庭に育ったが、常に孤独を感じていた。やがて、科学者となり火星の生命を研究する。しかし、押しつけられるようにして預かった甥との接し方に戸惑う。宇宙ラーメン重油味(2018)太陽系外縁カイパーベルトに浮かぶ小惑星に、銀河連邦に住むどんな異星人にでも絶品のラーメンを提供する店がある。亭主の地球人と、元戦闘ロボットのコンビで切り盛りする店だった。ある日、小惑星を一呑みするような巨大なお客がやってくる。記念日(2017)大学勤務の主人公の部屋に、巨大な白い岩が出現する。几帳面でミニマムな生活を好む主人公には、不可解で余計な存在だった。No Reaction(2014)透明人間は文字通り不可視で、非透過なふつうの人間には物理的にも関知し得ない存在だった。力学的な「作用・反作用」のうち、後者が働かないのだ。

 本書のあとがきに著者自身による解題が載っている。それによると「冬の時代」は、椎名誠のポストアポカリプスものを意識した作品である。「たのしい超監視社会」は、オーウェル『一九八四年』を現代のインターネット社会に敷衍したものだが、オーウェルが予測したものとはかなり(社会の雰囲気が)異なる。「宇宙ラーメン重油味」は漫画の原作になるはずだったもの。「記念日」はマグリットの同作からインスピレーションを得たもの。「No Reaction」は真面目なSFではもう取り上げられなくなった透明人間を「物理学」に即して描いた「科学小説」である。

 著者の作品は淡々としたものが多い。小さなエピソードが順番に並べられ、その総体が一つの小説となるのだが、派手なアクションや場面転換は(おそらく意図的に)設けられていない。これは長編でも短編でも同様のようだ。主人公も、状況を受け入れた諦観者や、冷静で論理的な科学者たちなのである。ただ、書き下ろしの表題作「人間たちの話」は少し違う。冷静な科学者が養う、姉から疎んじられ自身の存在に疑念を抱く甥っ子と、生命と非生命との間で揺れる火星の有機分子が物語の中で絡み合い、お互い相乗効果を上げているのだ。

ケン・リュウ編『月の光 現代中国SFアンソロジー』早川書房

Broken Stars : Contemporary Chinese Science Fiction in Translation ,2019(大森望・中原尚哉・他訳)

カバーイラスト:牧野千穂
カバーデザイン:川名潤

 一昨年出た『折りたたみ北京』(2016)に続くケン・リュウ編の中国SFアンソロジイである。前作の倍(14人)の作家を集め、幅を広げたのが特徴となっている。それに伴い、作品数も13編から16編と読みごたえを増した。

 夏笳「おやすみなさい、メランコリー」(2015)アラン・チューリングは自作の機械クリストファーと紙テープを介して会話を行っていた。だが、死後見つかったテープは暗号化されており、何が書かれていたか分からない。
 張冉「晋陽の雪」(2014)十世紀の五代十国時代、北漢の都晋陽は宗の大軍に包囲されていた。だが都には奇妙な発明品を造り出す魯王爺がおり、その新兵器により辛うじて持ちこたえていた。
 糖匪「壊れた星」(2016)1998年、大学入試を控えた女子高生の主人公は一人の少年と出会う。彼女は父親と二人暮らしなのだが、青白い女が夢の中に現れ話しかけてくる。
 韓松「潜水艇」(2014)長江には大小さまざまな潜水艇が停泊している。そこには出稼ぎ農民たちが住んでいるのだ。「サリンジャーと朝鮮人」(2016)宇宙観測者の干渉により北朝鮮がアメリカを、世界を征服する。北朝鮮で尊敬される作家サリンジャーは隠棲していたが、その家の前に報道陣が押し寄せる。
 程婧波「さかさまの空」(2004)雨城はある種のドーム都市で水晶天に囲まれ、天まで届く巨大な噴水を擁する海もある。主人公は天の外へと至ろうとする。
 宝樹「金色昔日」(2015)主人公は幼いころにあったオリンピックの記憶を思い出す。成長とともに世界は変化する。SARSの蔓延やアメリカ軍の中東撤退があり、中国では土地が暴落して急激に貧しくなっていく。ただ、幼なじみの少女との関係は続いていく。
 郝景芳「正月列車」(2017)旧正月の帰省客を乗せた新型列車が行方不明になる。開発者はその原理を説明するのだが。
 飛氘「ほら吹きロボット」(2014)嘘つきの王様から自分を超える嘘つきになれと命じられたロボットは、世界を巡り史上最大のほら話を探す。
 劉慈欣「月の光」(2009)エネルギー政策に携わる主人公のもとに、ある夜、電話がかかってくる。それは未来の自分で、将来の地球の命運を左右する情報を与えてくれるというのだ。
 吴霜「宇宙の果てのレストラン――臘八粥」(2014)宇宙の果てにあるレストランでは、来客が語るさまざまなお話が代価となる。臘八節の夜、地球人の作家が訪れる。その男の才能には、奇妙な由来があるのだった。
 馬伯庸「始皇帝の休日」(2010)国家統一に疲れた始皇帝は、休日にゲームで気晴らしをしようとする。百家が拝謁し、自分のゲームこそ面白いと売り込みをかける。
 顧適「鏡」(2013)指導教官の科学者は、主人公を透視能力者だという一人の少女と引き合わせる。少女とは初めて会うのだが、なぜか自分を知っているそぶりを見せる。
 王侃瑜「ブレインボックス」(2019)死の寸前の5分間だけを記録するブレインボックスは、記録された記憶を他人に移植することを可能にする。男は死んだ恋人の記憶を再生する。
 陳楸帆「開光」(2015)仏僧に祝福された男は、冴えないスマホアプリのマーケティング職に就くが、あるきっかけから大ヒットを掴むことになる。「未来病史」(2012)これから未来に流行する奇怪なできごと、iPad依存、病気の美学、多重人格、時間感覚の乱れなどを次々と紹介する。
 この他に、王侃瑜、宋明煒、飛氘らによる中国SFに関するエッセイを収録する。

  「おやすみなさい、メランコリー」は、チューリングの謎とロボットに囲まれて生きる主人公とが並列に置かれたお話だ。夏笳は『折りたたみ北京』でも3作が紹介されているが、マイノリティ、弱者に対する共感がテーマとなる。「晋陽の雪」はある種の異世界転生もの、「壊れた星」は現代的な家族の抱える暴力の問題、「潜水艇」「サリンジャーと朝鮮人」は政治風刺に見えるが、幻想側に寄せた奇想小説でもある。「金色昔日」「鏡」はどちらも変格的な時間もの。アイデア自体のユニークさよりも、描く対象が独特だろう。表題作「月の光」は、劉慈欣らしいアイデアの畳みかけが面白い。「始皇帝の休日」はアメリカより日本の読者と相性がよさそうだ。巻末の『荒潮』陳楸帆の作品は恐ろしく皮肉が効いている。

 中国のなろう系/SNS系エンタメ作品から現代文学的な奇想小説まで、前作『折りたたみ北京』と比べてもより幅広い。現代中国文学の紹介では、体制批判を匂わせる作品が選好されやすいが、それが一般読者に好まれているわけではない。かといって、金庸のような武侠小説ばかりとなるとこれも偏っている。そういう点から、本書は中国におけるエンタメ小説の立ち位置が(すべてではないものの)うかがえて面白い。底本は英訳アンソロジイなので、アメリカの読者に受け入れやすいセレクトになっているとは思うが、英米SFを読みなれた日本読者向けでもある。

早瀬耕『彼女の知らない空』小学館

カバーデザイン:鈴木成一デザイン室
カバー写真:amanaimages (C)YASUSHI TANIKADO/SEBUN PHOTO,R.CREATION/SEBUN PHOTO,LOOP IMAGES,JAPACK/a.collection

 小学館のサブスク雑誌きらら(quilala)に掲載された5編と、SFマガジン掲載の1編+書下ろし1編を加えた短編集である。恋愛小説『未必のマクベス』で注目された著者らしく、どれも男女の少し不思議な関係が描かれている。各作品は緩やかに(ピンポイントで)つながり合っていて、一つの世界とみなすことも可能だ。

 思い過ごしの空(2019/1)化粧品会社の同期入社だった二人だが、本社スタッフの夫には、開発部門に勤務する妻に話せない秘密があった。彼女の知らない空(2019/2)憲法が改正され自衛隊に交戦権が与えられたあと、航空自衛隊に勤務する夫は妻の知らない空を飛ぶ任務に就く。七時のニュース(2019/9)中国大連にある古びたホテルに泊まると、主人公はなぜか高校時代に付き合った彼女の夢を見る。閑話│北上する戦争は勝てない(書下ろし)妻は管理職に昇格したものの、激務から精神的に追い詰められるようになった。困惑する主人公は、ある日見知らぬ老人から奇妙な届けものを託される。東京駅丸の内口、塹壕の中(2019/5)非人間的な開発プロジェクトにあえぐ課長は、夢の中では徴兵され塹壕戦を戦っている。オフィーリアの隠蔽(2020/1-2)化粧品会社の担当者は、広告代理店の女性からイメージキャラのスキャンダルを聞かされる。彼女の時間(2015/10)スペースシャトルの乗員として訓練を受けた主人公は、結局宇宙に行くことは叶わなかったが、事務職として理事の地位まで昇格できた。だが、予想もしない計画の承認を求められる。

 物語の中では、小さな共通点が連鎖していく。化粧品会社の開発物→自衛隊の任務→反政府の考え方と大連→届け物の目的地→夢の中の戦争と老人の示唆するもの→再び化粧品会社と続く。最後のエピソード(SFマガジン掲載作)は一見他と異なっているように見えるが、冒頭作品の一場面を挟んで関連を感じさせる仕掛けとなっている。

 男女関係にも工夫がある。理系(妻)と文系(夫)、最新兵器を操る軍人と妻、政治的な考え方の異なる部長(妻)と課長(夫)、やり手の課長(女)と主人公、青春時代の恋人(の記憶)と現在の主人公の隔たりの大きさ等々、現代を反映したバリエーションが付けられている。働き方改革では、労働時間に制約がなく、(隠された)ハラスメントが横行する中間管理職にしわ寄せが行きがちだが、そういう生々しさも描かれている。

 本書の舞台は現在だ。ほんの少し違うところはあるが、裏腹の世界といえる。明日になれば、そのまま現実化するかもしれない。そこで、夫婦であったり昔の恋人と出会ったりする主人公たちは、とても身近な存在に描かれる。読者の共感を誘う物語といえるだろう。

ユーン・ハ・リー『ナインフォックスの覚醒』東京創元社

Ninefox Gambit,2016(赤尾秀子訳)

カバーイラスト:加藤直之
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 著者のユーン・ハ・リーは1979年生まれの韓国系アメリカ作家。高校までは韓国と米国を行き来しながら生活し、コーネル大学で数学、スタンフォード大学では中等(中学・高校)数学教育で修士の学位を得ている。SF作家としてのデビューは1999年、以降これまでに70作以上の短編と本書を含む4冊の長編などを発表してきた。本書は《六連合》シリーズの第1作目であり、ローカス賞第1長編部門賞を受賞している。

 遠い未来の宇宙に六つの属から成る〈六連合〉に支配された星間国家があった。そこでは 数学的に設計された〈暦法〉が定められ、物理法則をも超越する高度なエキゾチック技術が働くのだ。主人公は数学に秀でた兵士だったが、異端勢力により奪われた都市要塞・尖針砦の奪還を命じられる。しかも、過去に反逆者として裁かれた将官の意識だけを伴い、艦隊群を統べる司令官に就くことになるのだ。

 エキゾチック技術は科学というより魔法的な技術で、そういう意味では本書はハードSFではない。ミリタリーSF+ファンタジイといった趣がある。一介の士官が急に司令官になるギャップと、心に宿った反逆者/英雄でもある元大将との駆け引きが本書の面白さだろう。

 著者はトランスジェンダーの作家であり、韓国とアメリカ両者の文化で生活してきた。本書では性別に関する描写はほとんど存在せず、東洋(韓国の文化)が異星の文明とシームレスに混じり合っている。オリエンタリズムや、ジェンダーの差異をことさら強調するつもりはないようだ。

 数学を専門に学んだ著者ではあるが、本書が数学SFなのかというとそうではない。数学は暦法を表現するレトリックのような扱いで、かつてのルディ・ラッカーや麦原遼ほども用語は出てこず、難解さを心配する必要もないだろう。ところで、表題のナインフォックスとは九尾のキツネのこと。元大将の出身属を表す紋章である。

 

穂波了『月の落とし子』早川書房

扉デザイン:世古口敦志(coil)
扉イラスト:K,Kanehira

 昨年11月に出た本。第7回ハヤカワSFコンテストと同じ時期に発表された、第9回アガサ・クリスティー賞受賞作(折輝真透『それ以上でも、それ以下でもない』と同時受賞)である。未知のウィルスによる汚染を描いていることもあり読んでみた。ちなみに、著者の穂波了は、13年前に方波見大志名義で第1回ポプラ社小説大賞を受賞している。

 NASAのオリオン計画は3回目を迎え、月の裏側にあるクレータへの有人着陸も成功裏に終ろうとしていた。ところが、着陸船の飛行士2名が生体反応を失う深刻な事故が発生する。月軌道に残った3名は、再利用可能な着陸船を用いて遺体を回収する。しかし、2名を殺したのは月に潜む未知の病原体だった。それは帰還する船内をも汚染、装置の故障も相まって正常な軌道をたどれないまま、宇宙船は日本の高層マンションに墜落する。ビル倒壊の大惨事が広がるなか、病原体は住人たちにも蔓延し一帯は封鎖される。

 前半は宇宙船内を病原体が襲う密室スリラー、後半は未知のウィルスが千葉の船橋市一帯を汚染するエピデミック/パンデミックものになっている。宇宙という極大スケールと、日本の近郊都市という極小ローカルな組み合わせがユニークだろう。審査員(北上次郎、鴻巣友季子、藤田宣永)には特に前半が評価されたようだ。藤田(1月末に急逝)が、SF的なパニック小説だが最近のSFコンテスト向きではない、と評したのが印象に残る。

 宇宙小説としてみると、月から帰還する宇宙船が日本にほとんど垂直に落ちてくる(と思えるような)描写や、9.11風にビルに突き刺さるメカニズムが気になるが、そこは設定の都合なのだろう。一方後半は、感染者受け入れの是非、患者の殺到による医療崩壊、都市の封鎖、病原の解明と治療法の開発など、いま現在の問題がそのまま出てくる。感染症は、今回の新型コロナウィルスが初めてではない。現実はもう少しシビアだが、本書で描かれたようなケースが過去にも繰り返されてきたわけだ。たまたまかも知れないが、本書ではフィクションとノンフィクションがシームレスに同居している。

 人類滅亡を招くウィルス禍というと『復活の日』が真っ先に挙がる。ただ、先行作品には、ウィルス汚染と都市封鎖を描いた鳥羽森『密閉都市のトリニティ』、また千葉に蔓延する感染症を疫学調査する川端裕人『エピデミック』などもある。後者は最近電子書籍になり、疫学のリアルを知ることができる。とはいえ、エンタメ度で比べるなら本書が優っているだろう。

瀬名秀明『ポロック生命体』新潮社

装画:ヤマダユウ
装幀:新潮社装幀室

 表題作は、週刊新潮に2019年12月から2020年1月末まで連載された中編小説だ。これを含む4作品を収めた中短篇集である。将棋から始まり、小説や絵画などの芸術作品を創造するAIが背景にあり、対峙する当事者(研究者や編集者)を描いている点が共通している。

 負ける(2018)人工知能学会が開発したロボットアーム《片腕》を持つ将棋AI《舵星》は、勝つためだけでなく負けることが目標に掲げられていた。144C(2017)新人編集者は、職場のメンターからAIの書いた小説を読むよう求められる。きみに読む物語(2013)エンパシーの指数EQから派生したシンパシー指数SQは、小説のレベルを評価する指標として爆発的に広まる。ポロック生命体(2020)亡くなった画家の新作がAIにより蘇る。しかしその作品は、かつての画家の全盛期すら凌駕するように思われた。

 登場人物の関係は複雑である。「負ける」の主人公は、将棋を知らないアーム開発者。人工知能研究のリーダーが急逝し、引き継いだ天才肌の変わり者の弟や、その姉である将棋棋士と協力して開発を行う。「ポロック生命体」では亡くなった作家の息子が高度なAIを開発する。画家の娘はその研究者に反感を抱いており、主人公の女性研究者は娘の友人という設定だ。主人公は、同僚とともにAIが生成した作品の秘密を解明していく。それに対して「144C」 (この表題はone for foreseeの意味だろうか) 「きみに読む物語」では、主人公はAIが小説を書くのが当たり前になった時代の編集者である。

 AIによるゲーム/創作という面に絞られているためか、メッセージ性が鮮明に表れている。将棋のようなゲームでは、勝ちとは対極の要素「負け」が必要だと述べられるし、AIに対して人間が書くとはどういうことか、小説をエンパシー、シンパシーなどの数値で評価する意味とは何か、作品を持続的に向上させる「命」とは何かなど、繰り返し人の感性とAIとの関係が論じられるのだ。

 本書の主人公は、AI開発者そのものではない。一歩離れた位置に立つ研究者や、編集者だったりする。もっとも影響を受けるはずの作家は、間接的にしか現れない。その代わり、著者の分身のような作家の存在が見え隠れる。人工知能で文学賞がとれるかというアイデアの提唱者、既存ファンと相容れなかったSFファンタジー協会会長、サイエンスコミュニケーションのあり方に疑問を持つ作家などだ。本来であればリーダーシップをとるべき存在なのだが、彼らは何れも一線から身を引いて、背後から物語を見守っているのだ。

ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー『フライデー・ブラック』駒草出版

Black,2018(押野素子訳)

写真:松岡一哲
装幀:佐々木暁

 著者は1991年生まれのアメリカ作家、両親はガーナ移民だったという。本書はデビュー短編集なのだが、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに挙がるなど高評価を得た。

 「フィンケルスティーン5」黒人の子供5人をチェーンソーで殺した白人男が無罪になる。そのあとに、黒人による無差別な復讐がはじまる。「母の言葉」貧しかった時代に、母がよく口にした言葉とは。「旧時代<ジ・エラ>」長期/短期大戦を経た社会では、誰もが本音でしかしゃべらなくなる。「ラーク・ストリート」彼女が堕胎ピルを呑むと、双子の胎児が彼の前に現れて罵りだす。「病院にて」異形の神と取引した作家志望の男が、人で溢れる病院に父親を連れていく。「ジマー・ランド」そのテーマパークは、プレイヤーが役者を撃ち殺すアトラクションを売り物にしている。「フライデー・ブラック」ブラック・フライデーの当日、モールには狂人化したお客が殺到する。「ライオンと蜘蛛」父が行方不明になった。主人公は過酷な荷下ろしのバイトに就くが。「ライト・スピッター──光を吐く者」友人のいない大学生が、銃で見知らぬ女子学生を撃って自殺する。しかし、そのまま二人は霊体へと変化する。「アイスキングが伝授する「ジャケットの売り方」」モールの販売主任がお客に弄する売上の極意。「小売業界で生きる秘訣」わずかにできるスペイン語を頼りに、ヒスパニックの女性と会話する女性店員。「閃光を越えて」核戦争が起こり人々は時間ループに閉じ込められる。しかも記憶は消えず蓄積されるのだ。

 冒頭の作品では、陪審員裁判での人種差別を根底に置きながら、際限のない暴力へと落ちると見せてわずかな希望を残す。その他にも、所得/医療格差、ポリティカル・コレクトネス、銃社会、移民問題などアメリカの現実が鏤められている。とはいえ、それらは背景であって、まずは特異な奇想小説として楽しむべきだろう。自由に本音が語られたらどうなるか、いくらでも人が撃てたら楽しいのか、バーゲンに殺到する人々がゾンビだったら、地獄のような時間ループに巻き込まれたら、などなどである。

 『十二月の十日』などで知られるベストセラー作家ジョージ・ソーンダーズが、大学院創作研究科での恩師だったという。著者にはソーンダーズほどの職業経験はないと思われるが、モールの販売員を主人公にした話には、恩師の影響があるのかもしれない。SF的な奇想小説が多いのは、近年紹介される短編作家に共通する特徴だろう。

大森望『21世紀SF1000 PART2 』早川書房

カバーデザイン:早川書房デザイン室

 本書は、本の雑誌に毎月連載されている「新刊めったくたガイド」の本文(2011年2月号~2020年2月号)と、年ごとの概要及び「SFが読みたい!」掲載のベスト投票結果を合わせたものである。別途出た『2010年代SF傑作選』をデータ面で補完する内容になっている。無印(PART1)が出たのは2011年12月なので、8年2か月ぶりの続刊。

 2011年は東日本大震災、小松左京が亡くなった年になる。バチガルピ『ねじまき少女』、「五色の舟」を含む津原泰水『11 eleven』が出た。2012年は円城塔が『道化師の蝶』で芥川賞を受賞、『屍者の帝国』も刊行。ハヤカワSFシリーズも復活して、SFの夏(東京新聞記事)となる。2013年は酉島伝法『皆勤の徒』が出る。この年は日本SF作家クラブ50周年となり、関連行事が開かれたり記念書籍も出た。2014年はSFマガジンの700号と特集が設けられたが、ミステリ・マガジンとともに翌年以降の隔月刊化が決定。2015年はケン・リュウ『紙の動物園』がブームを呼び、伊藤計劃作品のアニメ化がらみで特集、書籍も出た。2016年はアルファ碁が人間に勝った年、ピーター・トライアス《ユナイテッド・ステーツ・オブ・ジャパン》が話題になった。2017年はSF大賞、山本周五郎賞などを得た小川哲『ゲームの王国』が登場、ついに「伊藤計劃以後」の時代は終わったとされる。2018年は円城塔『文字渦』山尾悠子『飛ぶ孔雀』飛浩隆『零號琴』が出て、ハーラン・エリスンやル・ヴィンの死が報じられた。2019年は夏に出た劉慈欣『三体』が空前のブーム、中国SFに関心が集まり、小川一水《天冥の標》が完結した。その一方、眉村卓、横田順彌らの訃報を聞くことになる。

 10年代は小松、眉村といった第1世代作家の物故、SFマガジンが隔月化したという後退はあったものの、創元SF短編賞、ハヤカワSFコンテスト、星新一賞など公募型新人賞が開始され、歴史ある文学賞を受賞するような大型新人が数多くデビューした。文学とSFとの差異が無くなってきたのだ。また中国SFなど、英米に偏る翻訳出版にも変化が見えてきた。そういう俯瞰的な流れが本書を読むことで分かる。

 さて、本書をデータ面で見るとどうなるか。大森望の「新刊めったくたガイド」は採点があるのが特徴である。星5つを満点として10段階で評価するのだが、星1.5未満は記載がないので実質8段階とみなせる。自著(編著、訳書を含む)や評論書は採点に含めない原則があり、全715冊が対象になっている。円グラフはその内訳を表している。著者の意図的には星5~4.5が必読(19%)、星4が推奨(30%)、星3.5は読む価値あり(31%)、星3以下では水準作~それ未満(20%)という分類だろう。全SF網羅といってもまったくダメな作品は選ばれないだろうから、採点の分布は上位側に偏っており正規分布にはならない(下図参照) 。

 棒グラフは年別の評価のばらつきを表している。年によって対象となる本は62(2016年)~93冊(2013年)とばらつくが、標準偏差を取ると各採点とも年ごとにおおよそ2割程度のばらつき範囲に収まる。つまり、変動が2割以内であれば特異ではないことになる。その尺度で見る限り、10年代のどの年にも大きな差異はないだろう。ただ星5と4.5、星4と3.5の間には逆相関があり、例えば2018年のように4が多い年は3.5が少なく、19年は逆になっている。これを作品の揺らぎとみなすか、評価の揺らぎとみなすかは微妙なところだろう。

藤井太洋『ワン・モア・ヌーク』新潮社

カバー装画:星野勝之
デザイン:新潮社装幀室

 途中から電子版のみとなった雑誌yom yomに、全9回連載された(隔月刊で2015年10月から2017年9月)著者の最新長編である。連載開始時点では5年後だった物語の設定が、今ではもう「現在」となってはいるものの、著者得意の近未来スリラーの範疇とみなせる内容だろう。

 シリアにあるISの地下基地では、密かにウランの濃縮が行われていた。調査に入ったIAEAの査察官は、証拠隠滅の爆破に巻き込まれるが辛うじて生き延びる。1年半後、オリンピック開催を控える東京で、外国人犯罪を追う2人の刑事がテロ犯の疑いがある女性を追っていた。だが、そこから3Dプリンタを使いこなす著名なアーティストの存在が浮かび上がる。一方、新たなテロを目指すISのメンバーは、東京に低濃縮のままでは爆弾にならないウランを持ち込んでいた。いったい、何をしようというのか。

 従来の作品と違って、警官が主要な登場人物になっている(といっても警察小説ではない)。IAEA、CIA、ISと国際的な登場人物を配し、3Dプリンタや原爆、放射線についての詳細な説明を加え、かつ、著者が小説を書きだしたそもそもの動機をベースに据えた作品である。二手に分かれた犯人側、追う方も警察とCIAグループの二手に別れ、お互いの出方を探りながら駆け引きをする。「核爆発」の成功/阻止を巡る物語は、著者の作品中もっとも手に汗握るものといえるだろう。

 SFはよく予言小説とみなされるが、この「予言」は物語中に書かれた年号には依存しない。例え100年前を舞台にしても、100年後の設定でも、今現在の問題が投影されている点では同じなのだ。だから、2020年が舞台であっても、本書には「予言」が書かれている。核テロ、核事故は将来のどこかでカジュアルに起こる。正確な情報を持って動かなければ+全面廃棄に向かっていかなければ、危険を避けることはできない、と。

 政府や米軍がかかわるという点で本書は「シン・ゴジラ」風だが、政治家はほとんど登場せず、政府機能や都民の脱出などのシーンはあまり描かれていない。個性を持った登場人物たちのせめぎ合いにフォーカスされる。パニック/デザスター小説ではないからだ。その点はすっきりしている。

陳楸帆『荒潮』早川書房

荒潮 Waste Tide,2013(中原尚哉訳)

カバーイラスト:みっちぇ(亡霊工房)
カバーデザイン:川名潤

 チェン・チウファン(原音読みをするようだ)は1981年中国広東省生まれ、長編は本書だけだが、短編を含めて多くの賞を受賞している。深圳市などと同様、80年代に経済特区となった沿岸部の汕頭市出身で、本書の舞台となるシリコン島のモデル南澳島もすぐ目の前にある(この島がリサイクル業者の島だったのかどうかは、今となってはよく分からない)。

 近未来の中国南東部にあるシリコン島は、電子部品をリサイクルする出稼ぎ労働者ゴミ人たちと、彼らを配下に置く三つの一族により支配されている。そこに、アメリカ資本の大手リサイクル会社が投資を持ち掛け、勢力図に変化があらわれる。通訳で同行した同島に出自を持つ主人公は、ゴミ人のなかにいた一人の少女に魅かれていく。

 中国は2017年に外国からの廃棄物輸入を禁止したので、本書のような商売は難しくなったが、以前は違法な輸入と人手による有害なリサイクルが横行した。そういう背景と中国特有の血縁支配(長老を中心に、見知らぬ遠い血縁者同士でも助け合う)、価値観の異なるアメリカ人の視点を混淆し、さらにサイバーパンク的/ロボットアニメ的要素を絡めた作品となっている。

 環境問題と低賃金にあえぐ末端労働者の近未来は、パオロ・バチガルピの得意とするディストピアでもある。それに対して、陳楸帆はとてもリアルな「現場の空気」を描きだした。潮州という馴染みのない中国の地方と、いまやアメリカ人となった中華系主人公の心理などは、著者しか描けない組み合わせだ。閻連科も不思議な田舎の騒動を描くが、内陸部と沿岸部とでは違うのだろう。最後は疾走するドゥカティのバイクや、ロボットまで飛び出す迫力あるチェイスとなって、エンタメ要素も大きい。

 本書は『三体』や『折りたたみ北京』とも翻訳スタイルが異なり、ケン・リュウ版英訳をベースとするものの、(北京標準語と大きく異なる)潮州語の発音や、漢字表記名などは著者や中国語版に準拠するなど手がかかっている。