アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー(上下)』早川書房

Project Hail Mary,2021(小野田由利子訳)

カバーイラスト:鷲尾直広
装幀:岩郷重力+N.S

 昨年5月に出たばかりのアンディ・ウィアー最新作(第3長編)である。アメリカでは出版忽ちベストセラーの話題書、出版前から映像化の話も進んでいる。標題の「ヘイル・メアリー(ヘイルメリー)」とは、アメフト用語で一発逆転のパスのこと。僅差ゲームでのギャンブル技で、確率はかなり低いのだが成功すれば勝てる。いかにもアメリカンスポーツらしいドラマチックな逆転サヨナラを生みだすのだ。

 さてしかし、本書には重要な仕掛けが何カ所かあり(ネタバレを嫌う昨今の風潮からしても)あまり詳しくは書けない。あらすじなどは本書カバー(及び冒頭部分の公開)で記載された内容までとするが、気になる方は本書読後にお読みください。

 主人公は奇妙な部屋で目覚める。ここがどこなのか分からない。ロボットの音声らしきものが執拗に問いかけてくる。何のためか分からない。だが、刹那に断片的な過去の記憶が甦ってくる。最初に思い出したのは、友人の科学者との会話だった。太陽から延びる未知の帯状の雲が、太陽の出力(エネルギー)を奪っているのだという。それも地球環境に重大な影響を及ぼすレベルで。

 なぜ野尻抱介が(下巻の)帯文を書いているかというと、共通点を持つ先行作品のためだろう。冒頭の設定がこうなら、ハードSF的にはむしろ必然的に「このテーマ」になる。同じ要素があるからこそ似てしまう。もちろん、その先行作品と本書とは、お話的にまったく異なるのだが。

 例外はあるものの、本書の主な登場人物は科学者とエンジニアである。ある種の(地球的規模の)デザスター小説なのに政治家はほとんど出てこない。肝心の科学者たちは目的に対しては極めて有能であるが、およそ常識外れで奇矯な振る舞いをする。世間体や人間関係には無頓着、主人公もそんな一人だ。人類存亡を賭けたミッションに巻き込まれるのに、犠牲精神とか崇高な倫理観とかは持ち合わせていない。まあつまり、至ってふつうの理系人間なのである。しかし、理科系特有の探究心と真因をどこまでも追求する執念は備えている。それがないと科学者は務まらないからだ。

 主人公は理系のオタクでたった一人、舞台は地球から遠く離れた異世界、救援は物理的に困難/自力解決以外に方法はない、という状況は『火星の人』と同じである。前作『アルテミス』は人間ドラマが半分程度を占めた。悪くはないけれど、それはウィアーの本領ではないだろう。本書は原点に復帰した作品といえるが、一つ大きなポイントを追加している。「このテーマ」を「こういう関係」で爽やかに描くのは本書が最初ではないだろうか。
(註:宇宙ものに限らず類似作品はありますが、ここまで深くはない)

大森望編『ベストSF2021』竹書房

カバーデザイン:坂野公一(well design)
カバーイラスト:日田慶治

 いろいろな事情により刊行が3ヶ月余遅れた(昨年比)、竹書房の年刊日本SF傑作選2021年版である。なんとか年内に読むことができた。本年も2020年版と同様11編を収録している。

 円城塔「この小説の誕生」僕は文章を書き、機械翻訳にかける。それは英語であったりヒンディー語であったりするのだが、揶揄ために試みているわけではない。
 柴田勝家「クランツマンの秘仏」信仰が重量を持つ、という仮説をスウェーデン人の学者が思いつく。それは日本のとある秘仏に由来する。異常論文ブームの嚆矢となった作品。                               
 柞刈湯葉「人間たちの話」地球外生命の研究者で、人間に関心のなかった主人公のところに、甥にあたる少年が転がり込んでくる。
 牧野修「馬鹿な奴から死んでいく」魔術医の男は、街中で偶然1人の少女を助け出す。少女には因縁があり、思わぬ暴力に振り回されてしまう。
 斜線堂有紀「本の背骨が最後に残る」その世界では「本」は一人一人のの口承で伝わっていく。しかし「誤植」のある本は焼かれるのだ。
 三方行成「どんでんを返却する」ワンルームの部屋を片付けようとしたとき、どんでんが転がり落ちてきた。借りて使われないままだった。
 伴名練「全てのアイドルが老いない世界」人間の歴史の裏側でひっそりと生きてきた不死人たちは、いまは永遠に死なないアイドルとなって生き続けている。熱狂的なファンの生気を吸い取りながら。
 勝山海百合「あれは真珠というものかしら」海辺に作られた学校には不思議な生徒たちが集まる。1人は海馬なのだが、勉強がよくできる。
 麦原遼「それでもわたしは永遠に働きたい」主人公が育った地域では人はめったに働かない。ただ、望めばいくらでも働けるのだと教育相談官は話す。
 藤野可織「いつかたったひとつの最高のかばんで」非正規雇用だった社員が行方不明になる。誰も良くは知らなかったが、住んでいた部屋から膨大な量のかばんが見つかる。
 堀晃「循環」主人公は長年続けてきた会社を終わらせようとしている。毛馬閘門から淀川左岸を歩きながら、その仕事の契機となった小さな部品の由来を想起する。

 昨年と重なっている作家は冒頭の円城塔のみ。雑誌から4編(一般文藝誌・SFマガジン各2)、ネットから2編、残り5編はアンソロジイや短編集から採られている。前年はかなり時事的なテーマが多かったのだが、今回は一転して(より)観念的な奇想が目につく。

 小説はどのようにしてできるのか、信念は(アンドレ・モーロワ「魂の重さ」のように)重さを持つのか、生命の定義から外れた地球外生命とあまりにも人間的な甥とのつながりの対比、魔法的な人造人間たちが存在する世界、文字通り人間化され焚書される本、どんでんという言葉が生き物になり、メトセラものの現代的新境地が拓かれ、在原業平の句を巧みに取りこんだ掌編へと続く。末尾の3作は仕事を象徴する作品である。その暗黒面が「それでもわたしは永遠に働きたい」となり、別の何かに相変化したものが「いつかたったひとつの最高のかばんで」で、古い碑文を読み解くような「循環」へと繋がる。どれにも、既成のSFを緩やかに逸脱する面白さがあるだろう。

 ところで堀さんの「循環」に登場する会社は実在していて、今年出た『眉村卓の異世界通信』の協賛企業にもなっています(奥付参照)。

ヘンリー・カットナー『ロボットには尻尾がない』竹書房

Robots have no tailes,1952(山田順子訳)

装画:まめふく
デザイン:坂野公一(welle design)

 ルイス・パジェット名義で出版された同題の短編集である。翻訳にあたり、著者名がカットナーに、収録順序が発表年代順に並べ替えられている。ルイス・パジェットはカットナー&C・L・ムーア共同ペンネームの一つだが、本書はカットナー単独で書かれたものらしい(原著のムーア序文による)。カットナーは1915年生まれ、多彩なペンネームを使い分けブラッドベリらを指導するなど活躍するも、1958年に若くして亡くなっている。日本で単行本や文庫が出たのは1980年代までで、あとは散発的に短編が紹介されるのみだった。本書は人気シリーズ《ギャロウェイ・ギャラガー》をまとめたものだ。

 タイム・ロッカー(1943)酔いが覚めると実験室の片隅にロッカーが置かれていた。それには入れたものの形を変形させる効果があるらしい。
 世界はわれらのもの(1943)二日酔いで目覚めると、窓の外でうさぎのような小さな生き物が叫んでいた。「入れてくれ! 世界はわれらのものだ!」
 うぬぼれロボット(1943)テレビ会社のオーナーと称する男が、一週間前に依頼した仕事の成果を求めてくる。何かを提案したはずだが、まったく覚えがない。
 Gプラス(1943)裏庭に巨大な穴が空いている。実験室には得体の知れない機械があり、しかも警官までが会いに来ているという。
 エクス・マキナ(1948)* ギャラガーがいつものように酒を呑もうとすると、未知の生き物がその酒をさらっていく。動きが速すぎて目にも停まらない。
  *…初訳、他の作品も改題新訳

 主人公ギャロウェイ・ギャラガーは天才科学者なのだが、酔っ払わないとその才能(潜在意識)が目覚めない。ただ、酔いに任せて作った驚くべき発明品は、しらふだと動作原理どころか目的も分からないのだ。物語は、なぜこれを発明したのかを(しらふに戻った)自分が解明していくという倒叙型スタイルで書かれている。「Gプラス」などは、1つの謎だけでなく、何段階にもわたる重層的な謎が潜んでいる。どうなるか、予測不能のアイデアストーリーである。

 すべて、キャンベル編集長時代のアスタウンディングSF誌に掲載されたもの。カットナーが大量のペンネームを駆使して書いていたのは、専門誌の原稿料が安く、かつSF作家が単行本を出せない時代だったせいもあるだろう。多作ながら早逝したカットナーは、本国では高い評価を得られなかった(近年になって回顧的な傑作選は出ている)。草創期の1960年代からたくさんの翻訳がなされてきた日本でも、作品集となると総集編的なオリジナルの3冊だけである。36年ぶりに出た本書はとても貴重だ。

 本シリーズのキャラクタ(酔っ払いのマッド・サイエンティスト、同じく酔っ払いの父親、マスコットのような火星人、ケチな欲望に駆られる弁護士や金満家、シースルーのボディを持つナルシストのロボットなど)はとてもコミカルだ。サブスク方式のテレビとか、書かれた当時(TV普及以前の戦前)からすれば、かなり先進的なアイデアも含まれている。それでも、サイバーパンクとまではいかない。アメリカの60年代アニメを見ているようなレトロな気分になる。どこにも存在しない、懐かしい未来のコメディなのだ。

R・A・ラファティ『ファニーフィンガーズ ラファティ・ベスト・コレクション2』早川書房

Best Short Stories of R.A.Lafferty,2021(牧眞司編 伊藤典夫・浅倉久志・他訳)

カバーデザイン:川名潤

 ラファティ・ベスト短編集の第2弾。編者のコンセプトによると「カワイイ編」らしいが、いったい何がカワイイのだろうか。確かに、登場人物にはかわいい(と記載された)少女や子どもたちが出てくる。とはいえ、言動も行動も破天荒、正体は人類ですらない(のかもしれない)。

 ファニーフィンガーズ(1976/2002)* 養女として育てられた少女は、ある日、自分が何ものなのか疑問を抱くようになる。
 日の当たるジニー(1967/79)4歳の娘ジニーは、永久に年を取らなくなったと言う。だが、世界一美しいはずの姿は、実はほんとうではないのだ。
 素顔のユリーマ(1972/74)物覚えが悪い子だった。賢い子どもだらけの中で最後の愚鈍とまで罵られたが、驚くべき発明によって欠点を克服する。
 何台の馬車が?(1959/2002)* 9歳の少年は、毎晩何台もの馬車が西に向かって走って行く音を聞く。そこは古い馬車道だったが、馬車が通っていたのは大昔のことだ。
 恐るべき子供たち(1971/71)* ナイフの血を落とすにはどうしたらいいか知ってる? 9歳の女の子カーナディンが巡査に質問する。
 超絶の虎(1964/84)カーナディンは7歳の誕生日に赤い帽子をもらい、精霊から贈られたものと説明する。実際、その日から霊力が顕われる。
 七日間の恐怖(1962/68)9歳の少年が消失器を発明した。目についたものを、何でもかんでも消してしまうのだ。
 せまい谷(1966/74)19世紀末、その地で最後のインディアンが自分の土地に魔法をかけ、よそ者から見えないようにしてしまう。
 とどろき平(1971/93)その郡のあらゆる町には影となる第二の町があった。たとえば、ブーマーにはブーマー(とどろき)平(だいら)がある。
 レインバード(1961/67)18世紀末に生まれた発明家レインバードには、数々の業績がありながらまったく知られていない。
 うちの町内(1965/78)うちの町内にはおかしなやつがうようよいる。彼らの住む小さなバラックからは、あり得ない数の荷物が積み出されたりするのだ。
 田園の女王(1970/81)自動車とローカル鉄道、どちらに将来性があるかを思い悩んだ若者は、全財産を一方に投資する。
 公明にして正大(1982/83)お互い親友同士の野心家と内向的な若者がいた。内向的な若者に遺産話が転がり込んできてから状況が変わる。
 昔には帰れない(1981/86)〈まいご月の谷〉でムーン・ホイッスルを吹けば、ホワイトカウ・ロックがその音に反応して動き出す。
 浜辺にて(1973/2007)* 4歳の少年は浜辺で珍しい貝、チリガク芋貝をみつける。それを耳に当てるだけで聡明さを得ることができるのだ。
 一期一宴(1968/81)港町の酒場に奇妙なお客がやってくる。みすぼらしい身なりをしているが、際限なく食べて酒をあおり、女遊びをしたあげくまた食べはじめる。
 みにくい海(1961/75)港の酒場でピアノを弾く少女がいた。気を惹かれた男は女の好みに合わせるため船乗りとなり、いつか添い遂げようと思うがなかなか成就しない。
 スロー・チューズデー・ナイト(1965/72)一日を三交代で生きる世界。しかもその短い一日の時間の間に、一生分の絶頂とどん底を何度も繰り返す。
 九百人のお祖母さん(1966/78)不死だと称する人々を探る調査員は、九百人の祖母がいるという話を聞きだす。
 寿限無、寿限無(1970/80)宇宙創造の妨害をした咎をうけ、1人の下級神に時間の壮大さを認識させる刑罰が処せられる。
 (原著発表年/初翻訳)*…短編集初収録(雑誌、アンソロジイ収録作)

 今回は20編が収められており、うち4編が著者の短編集では初収録となる。日本でのラファティ初紹介作「レインバード」(1967年のSFマガジン掲載)や、50年代に書かれた初期作「何台の馬車が?」が含まれている。

 実際に「カワイイ」子どもが主人公なのは、冒頭の「ファニーフィンガーズ」から「七日間の恐怖」までと「浜辺にて」の8作品。なぜか、4歳と9歳が多くて10歳以上はいない。ラファティ的な意味で、大人との境界を越えてしまうからかもしれない。子どもの特性として、相手の都合や人格など忖度せず(時には残忍に)自分の我を通そうとする。非力な子どもだからこそ抑えられるが、超常的な力を持てば誰も止められない。ラファティの描くかわいさの裏には、そういう怖さが潜んでいるわけで、カワイイと喜べるのは重度のラファティアンだけだろう。

 ラファティを1テーマにまとめるのは難しい。本書には定番のベストも数多い。空間のスケール感を描く「せまい谷」「うちの町内」「昔には帰れない」や、時間のスケール感を描く「とどろき平」「一期一宴」「スロー・チューズデー・ナイト」や「九百人のお祖母さん」「寿限無、寿限無」は、いかにもSF的なアイデアを、ラファティでしか書けないユーモアたっぷりの短編に仕上げた傑作である。一方「公明にして正大」や「みにくい海」は、人の数奇な一生をアイロニー一杯に描いた忘れがたい作品だ。

 今回のラファティ再発見文庫は、本書で完結となる。ラファティもの第3弾となる、井上央編ラファティ新訳短編集は《新☆ハヤカワ・SF・シリーズ》で出るようだ。

劉慈欣『円 劉慈欣短篇集』早川書房

刘慈欣科幻短篇小说集Ⅰ&Ⅱ,2015(大森望、泊功、齋藤正高訳)

装画:富安健一郎
装幀:早川書房デザイン室

 著者自身が日本向けに編んだ自選短編集である(底本は著者の短編全集のようだ)。1999年のデビュー作「鯨歌」から、第50回星雲賞海外短編部門受賞作で日本でも好評を得た「円」までの13編を収める。

 鯨歌(1999)南米の麻薬王は密輸を目的に一人の科学者と接触する。麻薬探知の技術が進み、並の方法では突破できないからだ。科学者はクジラを使う奇策を提案してくる。
 地火(1999)かつて炭鉱の街で育った男が、石炭ガス化プロジェクトの実証実験のために帰ってくる。それは事故や粉塵にまみれた過酷な探鉱労働を一掃するはずだった。
 郷村教師(2000)* 貧しい農村出身の教師は、村の教育のために身を捨て打ち込むが、成果はなかなか現われない。だが、子供たちに伝えたある教えが思わぬ結果を生む。
 繊維(2001)米国人パイロットが訓練から帰還中に未知の空間に迷い込む。そこは繊維乗り換えステーションと呼ばれ、見える地球はぜんぜん地球らしくなかった。
 メッセンジャー(2001)名声を博した老科学者がヴァイオリンを弾いていると、いつも一人の青年が聞いている。青年には不可思議な能力があるようだった。
 カオスの蝶(2002)* ほんの小さな変動が大きな気象変化を生じる。カオス理論を応用することで祖国を救えるかも知れない、そう考えた主人公は大胆な行動に出る。
 詩雲(2003)* 恐竜文明の食料に堕した人類だったが、より高位な神に近い文明と接触することで転機が訪れる。それは古代の詩なのだった。
 栄光と夢(2003)* 戦乱と制裁により疲弊した国で、かつてのスポーツ選手たちが集められる。彼らはある競技会に参加するらしいのだが、その目的は驚くべきものだった。
 円円のシャボン玉(2004)乾燥化が進み、砂に埋もれようとする辺境の都市で育った娘は、やがて巨大なシャボン玉を生成させる技術を開発する。
 二〇一八年四月一日(2009)遺伝子改造により、人は300歳まで生き延びることができた。それを享受できるのは一部の金持ちだけだ。主人公はヒラ社員だったが、上手く画策すれば金はなんとかなると考えた。
 月の光(2009)主人公の男に未来から電話が架かってくる。将来の地球の運命に関わる重大な内容なのだという。しかも、話しているのは未来の自分だと称している。
 人生(2010)母親が、胎内で育つ赤ん坊と会話をしている。しかし、その子は母親のことなら何でも知っているのだ。
 円(2014)燕の国から降伏のしるしを献上した使者は、秦の始皇帝に対して天の言葉を伝える「円」の秘密について語る。それを極めるためには300万人の兵士が必要なのだ。
 *:初訳。他も改訳あり。

 デビューからといっても1999年から2014年まで、15年のスパンである。その間日本は停滞していたが、中国は激変した。1999年での中国のGDPはアメリカの1割足らず、2014年時点ではその10倍、6割に達している(2020年では15倍、7割)。日本がアメリカの1割だったのは1960年頃のこと、最初期作はそのイメージで読むべきだろう。「地火」や「郷村教師」で描かれる地方の厳しさや困窮ぶりは、閻連科や残雪らの作品とも共通する。日本でも1960年前後、昭和30年代の田舎生活は決してバラ色ではなかった……といっても、現代からは想像は厳しいかも。ちなみに、日本が1960年比でGDP10倍となったのはバブル末期の1995年である。

 ユーゴスラビア紛争や湾岸戦争を間接的な題材とした「カオスの蝶」や「栄光と夢」は、欧米先進国とは反対側(敵側)で暮らす、一般庶民の苦悩を語るという(われわれから見て)ユニークな作品だ。背景に圧倒的な力の差があるにもかかわらず、公正さがあるように取り繕う国際社会への批判も込められている。

 一方、地球環境問題を扱う「円円のシャボン玉」や、遺伝子改変にまつわる「二〇一八年四月一日」「人生」は最新のトレンドに乗っている。未来の自分が現在の自分に干渉する話はさまざまにあるものの、「月の光」は環境をコントロールする困難さを描いてスケール感がある。「繊維」はラファティ調のマッドな平行宇宙もの。100万ゲート相当のLSIを描く「円」は中国ならではの題材の勝利である。一方「詩雲」は文字通り詩的な物語で、詩で作られたクラウドが登場するのだ。

小田雅久仁『残月記』双葉社

装画:釘町彰「snowscape 蒼茫」
ブックデザイン:鈴木成一デザイン室

 小田雅久仁9年ぶりの単行本かつ中編集。本書に収録された3作の中編(400枚を超える長編クラスを含む)は、2016年から19年にかけて小説推理に掲載(分載)されたものだ。アンソロジイ『万象』『Genesis 時間飼ってみた』を含めると、5年前から毎年インパクトのある中~長編を発表してきたことになる。

 そして月がふりかえる(2016)苦労したあげく大学に職を得、それなりの有名人ともなった主人公は、ファミリーレストランで家族と食事をする。だが、窓から見えた満月から得体の知れない違和感を覚える。
 月景石(2017)主人公は、断面が月面の風景に見える石を持っている。月面のようなのに、大樹が生えている不思議な模様だった。それは20代で亡くなった叔母の形見なのだ。枕に挟むと夢を見るというのだが、もらったまま実家の引き出しの奥で忘れられていた。
 残月記(2019)月昂症と呼ばれる感染症がある。満月が近づくと発症者は興奮し、衝動を抑えられなくなる。その反面、常人には真似の出来ない芸術的直感、肉体的な異能が表われることもある。治療法がないという理由で、独裁体制を敷く政府は非人道的な隔離政策を施行する。しかし体力に秀でた者だけは、密かに選別され異様な仕事が与えられるのだ。

 本書の3作品には、設定などに明確な共通点はない。ただ一点「月」が異世界とつながるキーワードになる。「そして月がふりかえる」は『夢の木坂分岐点』や『夕焼けの回転木馬』を思わせる作品だが、月の記憶を契機に入れ替わりが発生する。「月景石」では、月世界を夢見るたびに現実が際限なく変容していく。「残月記」の月昂症は、狼憑き(満月の夜に狼男に変容する)そのものだろう。

 各作のアイデア部分に新規性はそれほどない。月世界もリアルというより象徴的な存在だ。本書で注目すべきなのは長編相当の「残月記」のように、狼男+パンデミック(コロナ前の2019年に書かれた)+全体主義的ディストピア+古代ローマ+一途なラブロマンスなどなどの相容れない要素を、破綻なくまとめあげる小田雅久仁の筆力にある。

 とても緻密な文体である。省略のない明晰な文章で、登場人物たちの半生/一生がきわめて丹念に描き出されている。どこに生まれ/どんな親に育てられ/だれと出会い/どんな生活をしているのか、それらが有機的に結びつき、それぞれが生き生きとした物語になっている。容赦のない筆致は、9年前の『本にだって雄と雌があります』の軽快さとは対照的に重量感を有するものだ。ディストピアと化した日本で、古典的な恋愛譚を描くのによく似合っている。

『Voyage 想像見聞録』講談社/集英社文庫編集部編『短編宇宙』集英社

装画:嶽まいこ
装幀:長﨑稜(next door design)
カバーデザイン:高橋健二(テラエンジン)
イラストレーション:岩岡ヒサエ

 6月に出た『Voyage 想像見聞録』は、小説現代2021年1月号~4月号に掲載された「旅」をテーマとする連作6編を収めたもの。もう一冊の『短編宇宙』は1月に出た《集英社文庫短編アンソロジイ》の一冊で、7編中5作は書下ろしである。新作のSF短編が読める媒体というと、いまや隔月刊のSFマガジンと不定期刊のアンソロジイGenesisやNOVAしかない。しかし、ジャンルにこだわらずに探せば、アンソロジイなら他社からも複数出ている。特にこの2冊ではSFが過半を占めている。遅ればせながら読んでみた。

Voyage 想像見聞録
 宮内悠介「国境の子」
少し未来のいつか。対馬出身の主人公は、故郷を離れ東京でデザイナーとして働くようになった。ただ、自分が韓国人とのハーフであることを、どこかネガティブに感じている。
 藤井太洋「月の高さ」小劇団の舞台装置を運搬するベテランは、若いスタッフに対する急な変更要請に翻弄されながら、台湾で見た月の高さを思い出す。
 小川哲「ちょっとした奇跡」もう一つの月が軌道に進入し、自転と公転とが一致するなど大変貌した地球。トワイライトゾーンに留まるように地表を動く2隻の船だけが、人類に残された最後の居住スペースだった。
 深緑野分「水星号は移動する」高級ホテルが立ち並ぶ宇宙空港の町では、無許可の宿は禁止されている。しかし、トレーラー式の水星号は移動する宿なのだ。
 森晶麿「グレーテルの帰還」めったに旅行などしない家族だったが、ある夏休みに急に祖母の家に旅行することになる。祖母は父の子である兄を可愛がるのに、再婚した母の連れ子である自分には冷たい。
 石川宗生「シャカシャカ」世界中が、小さな区画単位に「シャカシャカ」という現象でばらばらにシャッフルされてしまう。姉弟の兄弟は、不定期に起こる超常現象により世界を漂流する。

短編宇宙
 加納朋子「南の十字に会いに行く」
* 突然、父が石垣島への旅行を決める。あまり気乗りしない娘は、訝りながらも観光を愉しもうとするが、父には別の目的があるようだった
 寺地はるな「惑星マスコ」わたしは異星人と呼ばれていた。他人に理解してもらえないことが多かったからだ。そんなわたしは田舎に転居した姉夫婦のところで、一人の小学生と知り合う。
 深緑野分「空へ昇る」土塊昇天現象とは、地面に突然穴があき土壌が宇宙に舞い上がっていくこと。土は軌道上に広がり輪を構成していく。地表には無数の穴が穿たれる。
 酉島伝法「惑い星」宇宙に生まれた新星児は、やがて親星の軌道を離れ、後に旺星と呼ばれるようになる。生まれてから消滅するまでの星の一生。
 雪舟えま「アンテュルディエン?」予備校生である主人公は、高校時代から人気者だった友人にひそかに心を寄せる。それから、街中で有名人との意外な出会いがある。
 宮澤伊織「キリング・ベクトル」* 目覚めたばかりの主人公は、いきなり異星人との戦闘に巻き込まれる。その結果、自分が殺し屋のスキルを有していると分かるのだが、過去の記憶は一切なかった。
 川端裕人「小さな家と生きものの木」主人公は電波望遠鏡を使う国際研究チームのリーダーだ。出張がままならないため、チームのメンバーはリモートで勤務している。主人公も自宅だが、娘の幼稚園児と話す中で生命と宇宙進化に思いを馳せる。
 *:小説すばる2017年6月号 特集「宇宙と星空と小説と」に掲載

 『Voyage 想像見聞録』の宮内悠介、藤井太洋は自身の体験から生まれた(と思われる)リアルなお話。森晶麿はミステリ色が濃く、深緑野分は近未来を舞台にした新しい生き方を描く。完全にSFといえるのは、小川哲のめずらしくハードな設定(『逆転世界』や『移動都市』風)の作品と、世界が空間的にばらけてしまう(『10月1日では遅すぎる』や『時の眼』風)石川宗生によるユーモラスな作品だ。

 一方の『短編宇宙』の加納朋子、寺地はるなの作品は、日常描写からちょっとだけ宇宙に近いものが顔を覗かせる。雪舟えまも、結末付近で日常を越えたものが姿を見せる。深緑野分(超常的な物理現象)、酉島伝法(惑星の擬人化)はかなり抽象度の高いSF、逆に宮澤伊織はストレートなアクションSFだろう。川端裕人は科学と日常とをシームレスにつなぐ、自身のノンフィクションをイメージしたソフトな作品。

 一般小説誌が、SFやファンタジイを意図した特集をよく組んでいたのが数年前、今ではノンジャンルの作品と入り交じって載っている。結果としてSFは拡散していくのだが、昔あった読みやすい中間小説誌向けSFではなく、コアが溶けずにそのまま残る濃厚なSFが多くなった(上記でいえば、小川哲、石川宗生、深緑野分、酉島伝法、宮澤伊織らの諸作)。半世紀を経た「浸透と拡散」が熟成化(熟成肉化?)する時代なのだろう。

『Genesis 時間飼ってみた』東京創元社

装画:カシワイ
装幀:小柳萌加(next door design)

 《Genesis 創元日本SFアンソロジー》は1年2ヶ月ぶりの出版、これで第4集目となる。前号と同様、創元SF短編賞(第12回)の受賞作が掲載されている。

 小川一水「未明のシンビオシス」中央構造線一帯で発生した「大分割」により、日本の東海地方より西は壊滅する。主人公は、たまたま出会った技師と共に北をめざす旅に出るが、その目的は判然としない。
 川野芽生「いつか明ける夜を」太陽のない世界、野に放たれた馬が連れ帰ったのは、言い伝え通りの救世主とは思えない一人の少女だった。
 宮内悠介「1ヘクタールのフェイク・ファー」高円寺にいたはずの主人公は、気がつくと地球の裏側のブエノスアイレスにいる。テレポーテーションしたのか。しかし言葉も通じず、金もない。
 宮澤伊織「時間飼ってみた」同居人の天才科学者が、何やら得体の知れない生き物らしきものを飼っている。それは「時間」なのだというが。
 小田雅久仁「ラムディアンズ・キューブ」世界中で不特定の都市が、内部から不可視の巨大キューブに飲み込まれる。閉じ込められた人々は、方舟から放たれた巨人や出現する異形の兵士によって次々と殺される。
 高山羽根子「ほんとうの旅」ガラガラの列車の旅と思っていた路線は意外な混みようだった。主人公は閉口するが、見知らぬ同乗者から意外な話を聞く。
 鈴木力「SFの新時代へ」創元SF短編賞のこれまでの沿革と、歴代受賞作、賞の意義についての解説記事。
 溝渕久美子「神の豚」創元SF短編賞優秀賞。疫病の蔓延を阻止するために、家畜が消えてしまった近未来の台湾。主人公は田舎の兄から、長兄が豚になったと連絡を受ける。
 松樹凛「射手座の香る夏」同受賞作。意識転送技術によりオルタナと呼ばれるロボットに憑依することで、自在な遠隔作業が出来るようになった未来。マグマ発電施設で働く憑依中の作業員が、休眠する肉体を奪われる事件が発生する。

 今回も創元SF短編賞絡みの執筆者が多い。サバイバル小説かと思わせて一段シフトする「未明のシンビオシス」、『指輪物語』と「夢十夜」を組み合わせたという「いつか明ける夜を」、おかしな不条理を段落なしに描く「1ヘクタールのフェイク・ファー」、シリーズ2作目となる軽快な作品「時間飼ってみた」、「ほんとうの旅」はフィクションと現実の狭間を旅するお話だ。異色なのは「ラムディアンズ・キューブ」で、小田雅久仁は『万象』に中編を発表して以来の作品となる。一見SFに見えるものの中味は「霊界小説」(のようなもの)。18億年に及ぶ真世界・疑似世界が描かれているのである。

 優秀賞 溝渕久美子「神の豚」は、大きな社会的事件をあえて物語の背景に遠ざけ、兄弟(仲の良かった長兄と、そうでもない次男)や台湾の田舎町、伝統行事(神猪祭)など、主人公が距離を置きたかったものとの関係修復がうまく表現されている。選考委員からは次のような講評が出ている。堀晃「現代SFの道具立てを意識的に使わず、まことに型破りな小説を作り出した」、酉島伝法「ガジェット的なSF要素は薄いが(中略)食肉という行い自体を顧みさせるSF的思弁性があり(中略)ジャンルを超えた書き手となる可能性も感じさせる」、小浜徹也(編集部)「新鮮な個性で、ほんのりした「IFの世界」性がうまく生かされた、愛される作品だ」

 受賞作 松樹凛「射手座の香る夏」はサイコダイバー的な憑依もの。ホラーやファンタジーに陥ち入らず、SFで押し通した筆力に感心する。堀晃「寒冷地の描写、動物の疾駆など、いくつもの見せ場を経て、謎は次第に絞られていく。見事な語り口である」、酉島伝法「筆致は的確でリズムがあるし、構成は巧みで緩急があり(中略)SF的な仕掛けも豊富で、物語としては申し分がない」、小浜徹也「昨年の応募作が大人しい話だったのに比べ、今回は読後に若者らしい閉塞感と喪失感を残す印象的な作品である」

 ちなみに溝渕久美子さんからは、評者の作品「豚の絶滅と復活について」についてコメントをいただいている。方向性が全く違う2作品ながら、前提となる設定がよく似ているからだろう。

チョン・ソンラン『千個の青』早川書房

천 개의 파랑,2020(カン・バンファ訳)

装画:坂内拓
装幀:早川書房デザイン室

 第4回韓国科学文学賞(公募形式)で大賞を受賞した作品である。この賞は新人に贈られるもので、オンライン小説サイトから長編『崩れた橋』を2019年に出版したばかりのチョン(천=天)・ソンランにも資格があった。第2回の同賞では、キム・チョヨプが中編「館内紛失」(『わたしたちが光の速さで進めないなら』収録)で受賞している。

 チョン(정=鄭)・セラン『声をあげます』、チョン(정=鄭)・ソヨン『となりのヨンヒさん』とこれまで短編集の紹介が多かった韓国SFだが、本書は長編である。(カタカナだとすべてチョンさんになるので、ハングル、漢字でも表記した)。

 2035年、競馬は人間の騎手ではなくロボットが馬に乗る。人間よりも軽く作られたロボットは、競馬に最適化され、馬はずっと速いスピードで走ることができるのだ。だが、一台のロボットには誤ったチップが搭載されていた。本来認識しない空の青さに気を取られ、レースの途中で落馬事故を起こしてしまう。

 物語には複数の登場人物が出てくる。主人公は進路選択を控えた高校生。車椅子を使う姉がいる。母親はシングルマザー、競馬場近くの飲食店で2人を育てた。姉は生き物としての馬が好きで、競馬場の厩舎に入り浸っている。そこで、主人公と共に廃棄寸前のロボットを見つける。主人公にはロボット技術に関する才能があるが、学校に馴染めず友人もいない。厩舎の管理人と交渉して、スクラップとなるロボットを買い取る。しかし、修理するためには高価な専用部品を入手する必要がある。なけなしのバイト代はロボット本体だけで消えた。どうしたらいいのか。

 本書ではさまざまな人が登場する。かつて俳優だった母、費用さえ払えば人工的な下肢が手に入る姉、進学校で裕福な家との格差に絶望する主人公、なぜか力を合わせたいと申し出る級友。一方、トゥディと呼ばれる馬がいる。走ることだけを目的に作られた競走馬だが、それでも走っているときが一番幸せだ。そして、人のありさまと馬の求めるものを客観的に見つめる、狂言回しの役割をロボットが務める。ロボットにも、ほのかな幸福感を感じる瞬間がある。それは、青い空を見るときだった。

 著者は賞への応募作品を、最初はスペースオペラで書いたという(途中までできていた)。しかし、自分自身と物語との距離(本当らしくない)に悩みいったん破棄された。もっと自分の心情に近いものに改めたものが本書だ。各章ごとに登場人物を変え(三人称ではあるが一人称寄りの)視点を多角化する手法により、各人物の生きざまが浮かび上がる構成になっている。

 これまで紹介された韓国SFは短いものが多く、キャラクタの個性に踏み込んだ作品としてはやや物足りなかった。ちょっとアニメ的な主人公と級友の関係、過去を悔いながらも懸命な母と姉妹との関係、状況に流される大人たちと主人公たち。本書の人々は複雑に関係し合っており、多彩で飽きさせない。

樋口恭介編『異常論文』早川書房

写真:三野新+山本浩貴
カバーデザイン:山本浩貴+h(いぬのせなか座)

異常論文とは一つのフィクション・ジャンルであり、正常論文に類似、あるいは擬態して書かれる異常言説を指している。そこで論じられる内容の多くは架空であるが、それは異常論文であって異常論文でしかなく、架空論文とは呼ばれえない。それは論文の模倣であることを求めない。そしてそれは、フィクションでありながら、架空の言説であることをも求めない。それは実在する一つの言説空間そのものであって、現実の言説空間に亀裂を入れる。

編者による巻頭言より

 本書の編者である(本業は会社員だが、副業にアナキストを営むとうそぶく)樋口恭介の説明によると、異常論文とはあくまでフィクションであるようだ。本書の解説で、神林長平も同様の見解を述べていて、しかし、論文と小説では想像力を向ける方向性がまったく逆であるとも書いている。どういうことなのか。

 決定論的自由意志利用改変攻撃について 円城塔:いつか誰かBが、いつか誰かCを思い浮かべることで、全く別の時間における誰かAその人自身でありうることが可能である。数式を含む論考。
 空間把握能力の欠如による次元拡張レウム語の再解釈 およびその完全な言語的対称性 青島もうじき:放散虫チャートに書かれた文字を三次元的に動かして成立する、視覚的言語レウム語について。
 インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ* 陸秋槎:魔術師が空中に投げたロープが直立し、助手がそれをのぼって消えるマジック「インディアン・ロープ・トリック」に隠された真相とは。
 掃除と掃除用具の人類史 松崎有理:有史以前から続く人類と掃除を巡る歴史は、やがてシンギュラリティを迎え、宇宙をも巻き込む存在を生み出す。
 世界の真理を表す五枚のスライドとその解説、および注釈 草野原々:空洞地球や多重凍結世界の存在を説明しながら、われわれが知る世界とは異質の別の世界を注釈を交えて明らかにする。
 INTERNET2* 木澤佐登志:地球表面上を毛細血管のように覆い尽くしたニューロンの網は、INTERNET2と名付けられる。ここはとても素晴らしい、ここはとても美しい。
 裏アカシック・レコード* 柞刈湯葉:世界のすべての真実が収録されたアカシック・レコードの対極に、すべての嘘が収められた裏アカシック・レコードが存在する。しかしこれを巧妙に使うことで、真実を知ることもできる。
 フランス革命最初期における大恐怖と緑の人々問題について 高野史緒:フランス革命のころ現われた、緑色に光る人々の存在を記した文献があるらしい。その存在を探す研究者は不可解な事件を知る。
 『多元宇宙的絶滅主義』と絶滅の遅延──静寂機械・遺伝子地雷・多元宇宙モビリティ* 難波優輝:『多元宇宙的絶滅主義』とは絶滅こそが宇宙を救う手段であるとする。それは人類だけを対象にするのではなく、宇宙のすべてに拡張されていく。
 『アブデエル記』断片 久我宗綱:神の啓示を受けたアブデエルと呼ばれる人物がいる。どのような人物だったのか明らかではない。残された断片的な文章を解釈する。
 火星環境下における宗教性原虫の適応と分布* 柴田勝家:宗教性原虫とは人類と共生関係を築いてきた生き物で、根絶は難しい。火星環境でも独特の適応を見せている。「異常論文」という呼称は、編者が柴田勝家の諸作を評して付けたものである。
 SF作家の倒し方* 小川 哲:作者の周辺にいる複数SF作家について、弱点と優位点をひたすら並列に並べ立てた異常というより異質な文献。
 第一四五九五期〈異常SF創作講座〉最終課題講評 飛 浩隆:不穏な〈事態〉の下で、創作講座の最終課題選考会に挑む選好委員による、各作品の特徴や問題点についての懇切丁寧な指摘。
 樋口一葉の多声的エクリチュール──その方法と起源* 倉数 茂:人称表現が未分化だった明治期、樋口一葉はその中でも独特の話法で作品を書く。多声的と分析する文章の秘密を解き明かす。
 ベケット講解 保坂和志:ベケットが書いたことではないと断りながら、文中ではサミュエル・ベケット『モロイ』や、アビラのテレサからの引用らしき文と著者の個人的感想が繰り返される。
 ザムザの羽* 大滝瓶太:無名の数学者アルフレッド・ザムザは、ある二つの命題を提唱するが無視される。論文風にスタートした文章はやがて自伝の様相を呈する。
 虫→…… 麦原 遼:虫はさまざまな文に付着する。文章は危険になった。論文の査読者にも危害が及ぶようになる。虫が来る前にはたくさんの論文があったがいまはない。
 オルガンのこと* 青山 新:肛門からロッドを挿入し、微生物叢を腸内に移植すると「学習」することができる。荘子の漢詩や曲亭馬琴からバタイユまでを取り混ぜながら、意識変容の過程が詳述される。
 四海文書(注4)注解抄 酉島伝法:古書市で入手した手書きのノートには、でたらめな断片が記録されている。多層的な注釈によりその内容に迫ろうとする。
 場所(Spaces) 笠井康平・樋口恭介:Googleドキュメントを使いながら共著者は異常論文をまとめようとする。あるとき発見された壊れた.md ファイルの存在により事態は流動する。実話に基づく異常「私」論文。
 無断と土* 鈴木一平+山本浩貴(いぬのせなか座):開発者不明のホラーゲームWPSにまつわる、20世紀初頭の日本における怪談、詩篇、近代日本における天皇制などが論じられる。最後に、含意に満ちた質疑応答が置かれている。
 解説──最後のレナディアン語通訳 伴名 練:ある作家が架空言語レナディアン語を発明する。これはその言語で綴られた文章を集める対訳アンソロジイの解説文であるが、言語成立を巡る異様な事件をも明らかにする。
 *:SFマガジン2021年6月号収録作

 全部で19編を収める。もともとtwitter上で企画が立てられ、最初SFマガジンの特集記事として10編が書き下ろされた(それでも120ページに及ぶ)。この特集の好評を得て、ボリュームをほぼ倍増させたものが本書である。おおまかに分類すると、著者の3分の2強がジャンルを問わない作家、あとはSFプロトタイピングなどで編者が関係する評論家やアカデミズム関係の執筆者だ(フィクションを発表するのは初めてという作者もいる)。論文と言っても理系(仮説と証明、実験やシミュレーション)と文系(文献解釈中心)では形式が異なるが、本書ではフィクションとの親和性もあってか後者のスタイルが多い。

 レムは執筆期の後半になって、『完全な真空』などの架空書評を書くようになった。フィクションの枠に収めきれない内容を、書評の余白(読者の想像力)で表現しようとしたのだ。その趣旨にもっとも近いのが「裏アカシック・レコード」や、架空選評「第一四五九五期〈異常SF創作講座〉最終課題講評」、架空解説「解説──最後のレナディアン語通訳」になる。しかしこれらは少数派である。何しろ本書は「架空論文とは呼ばれえない」ものを目指すものだからだ。

 文学には実験小説という(文章構成どころかフォントや本の形までを自由に変形させ)難解さを愉しむ一連の作品があり、そういう意味では異常論文も実験小説の範疇に含まれるのだろう。だが、編者はおそらくそうは考えていない。神林長平による解説に戻ると、論文と小説との違いを「誤読」に求めている。小説は誤読を最大限誘うものであり想像力に繋がる。一方論文は誤読を最小限にする。書かれたこと以上があるのなら、それは不正確さになるからだ。では異常論文はどうなのか。樋口恭介は「過剰な読解」が必要と説く。

 今回の19編はバリエーションに富んだ面白い作品集である。しかし、「(書かれている内容による)誤読が最小限」で「(読み手側の混乱を契機とした)過剰な読解」が可能な「論文に値する」作品となると多くはないだろう。中では「無断と土」がその基準に達していると思われる。