穂波了『月の落とし子』早川書房

扉デザイン:世古口敦志(coil)
扉イラスト:K,Kanehira

 昨年11月に出た本。第7回ハヤカワSFコンテストと同じ時期に発表された、第9回アガサ・クリスティー賞受賞作(折輝真透『それ以上でも、それ以下でもない』と同時受賞)である。未知のウィルスによる汚染を描いていることもあり読んでみた。ちなみに、著者の穂波了は、13年前に方波見大志名義で第1回ポプラ社小説大賞を受賞している。

 NASAのオリオン計画は3回目を迎え、月の裏側にあるクレータへの有人着陸も成功裏に終ろうとしていた。ところが、着陸船の飛行士2名が生体反応を失う深刻な事故が発生する。月軌道に残った3名は、再利用可能な着陸船を用いて遺体を回収する。しかし、2名を殺したのは月に潜む未知の病原体だった。それは帰還する船内をも汚染、装置の故障も相まって正常な軌道をたどれないまま、宇宙船は日本の高層マンションに墜落する。ビル倒壊の大惨事が広がるなか、病原体は住人たちにも蔓延し一帯は封鎖される。

 前半は宇宙船内を病原体が襲う密室スリラー、後半は未知のウィルスが千葉の船橋市一帯を汚染するエピデミック/パンデミックものになっている。宇宙という極大スケールと、日本の近郊都市という極小ローカルな組み合わせがユニークだろう。審査員(北上次郎、鴻巣友季子、藤田宣永)には特に前半が評価されたようだ。藤田(1月末に急逝)が、SF的なパニック小説だが最近のSFコンテスト向きではない、と評したのが印象に残る。

 宇宙小説としてみると、月から帰還する宇宙船が日本にほとんど垂直に落ちてくる(と思えるような)描写や、9.11風にビルに突き刺さるメカニズムが気になるが、そこは設定の都合なのだろう。一方後半は、感染者受け入れの是非、患者の殺到による医療崩壊、都市の封鎖、病原の解明と治療法の開発など、いま現在の問題がそのまま出てくる。感染症は、今回の新型コロナウィルスが初めてではない。現実はもう少しシビアだが、本書で描かれたようなケースが過去にも繰り返されてきたわけだ。たまたまかも知れないが、本書ではフィクションとノンフィクションがシームレスに同居している。

 人類滅亡を招くウィルス禍というと『復活の日』が真っ先に挙がる。ただ、先行作品には、ウィルス汚染と都市封鎖を描いた鳥羽森『密閉都市のトリニティ』、また千葉に蔓延する感染症を疫学調査する川端裕人『エピデミック』などもある。後者は最近電子書籍になり、疫学のリアルを知ることができる。とはいえ、エンタメ度で比べるなら本書が優っているだろう。

瀬名秀明『ポロック生命体』新潮社

装画:ヤマダユウ
装幀:新潮社装幀室

 表題作は、週刊新潮に2019年12月から2020年1月末まで連載された中編小説だ。これを含む4作品を収めた中短篇集である。将棋から始まり、小説や絵画などの芸術作品を創造するAIが背景にあり、対峙する当事者(研究者や編集者)を描いている点が共通している。

 負ける(2018)人工知能学会が開発したロボットアーム《片腕》を持つ将棋AI《舵星》は、勝つためだけでなく負けることが目標に掲げられていた。144C(2017)新人編集者は、職場のメンターからAIの書いた小説を読むよう求められる。きみに読む物語(2013)エンパシーの指数EQから派生したシンパシー指数SQは、小説のレベルを評価する指標として爆発的に広まる。ポロック生命体(2020)亡くなった画家の新作がAIにより蘇る。しかしその作品は、かつての画家の全盛期すら凌駕するように思われた。

 登場人物の関係は複雑である。「負ける」の主人公は、将棋を知らないアーム開発者。人工知能研究のリーダーが急逝し、引き継いだ天才肌の変わり者の弟や、その姉である将棋棋士と協力して開発を行う。「ポロック生命体」では亡くなった作家の息子が高度なAIを開発する。画家の娘はその研究者に反感を抱いており、主人公の女性研究者は娘の友人という設定だ。主人公は、同僚とともにAIが生成した作品の秘密を解明していく。それに対して「144C」 (この表題はone for foreseeの意味だろうか) 「きみに読む物語」では、主人公はAIが小説を書くのが当たり前になった時代の編集者である。

 AIによるゲーム/創作という面に絞られているためか、メッセージ性が鮮明に表れている。将棋のようなゲームでは、勝ちとは対極の要素「負け」が必要だと述べられるし、AIに対して人間が書くとはどういうことか、小説をエンパシー、シンパシーなどの数値で評価する意味とは何か、作品を持続的に向上させる「命」とは何かなど、繰り返し人の感性とAIとの関係が論じられるのだ。

 本書の主人公は、AI開発者そのものではない。一歩離れた位置に立つ研究者や、編集者だったりする。もっとも影響を受けるはずの作家は、間接的にしか現れない。その代わり、著者の分身のような作家の存在が見え隠れる。人工知能で文学賞がとれるかというアイデアの提唱者、既存ファンと相容れなかったSFファンタジー協会会長、サイエンスコミュニケーションのあり方に疑問を持つ作家などだ。本来であればリーダーシップをとるべき存在なのだが、彼らは何れも一線から身を引いて、背後から物語を見守っているのだ。

藤井太洋『ワン・モア・ヌーク』新潮社

カバー装画:星野勝之
デザイン:新潮社装幀室

 途中から電子版のみとなった雑誌yom yomに、全9回連載された(隔月刊で2015年10月から2017年9月)著者の最新長編である。連載開始時点では5年後だった物語の設定が、今ではもう「現在」となってはいるものの、著者得意の近未来スリラーの範疇とみなせる内容だろう。

 シリアにあるISの地下基地では、密かにウランの濃縮が行われていた。調査に入ったIAEAの査察官は、証拠隠滅の爆破に巻き込まれるが辛うじて生き延びる。1年半後、オリンピック開催を控える東京で、外国人犯罪を追う2人の刑事がテロ犯の疑いがある女性を追っていた。だが、そこから3Dプリンタを使いこなす著名なアーティストの存在が浮かび上がる。一方、新たなテロを目指すISのメンバーは、東京に低濃縮のままでは爆弾にならないウランを持ち込んでいた。いったい、何をしようというのか。

 従来の作品と違って、警官が主要な登場人物になっている(といっても警察小説ではない)。IAEA、CIA、ISと国際的な登場人物を配し、3Dプリンタや原爆、放射線についての詳細な説明を加え、かつ、著者が小説を書きだしたそもそもの動機をベースに据えた作品である。二手に分かれた犯人側、追う方も警察とCIAグループの二手に別れ、お互いの出方を探りながら駆け引きをする。「核爆発」の成功/阻止を巡る物語は、著者の作品中もっとも手に汗握るものといえるだろう。

 SFはよく予言小説とみなされるが、この「予言」は物語中に書かれた年号には依存しない。例え100年前を舞台にしても、100年後の設定でも、今現在の問題が投影されている点では同じなのだ。だから、2020年が舞台であっても、本書には「予言」が書かれている。核テロ、核事故は将来のどこかでカジュアルに起こる。正確な情報を持って動かなければ+全面廃棄に向かっていかなければ、危険を避けることはできない、と。

 政府や米軍がかかわるという点で本書は「シン・ゴジラ」風だが、政治家はほとんど登場せず、政府機能や都民の脱出などのシーンはあまり描かれていない。個性を持った登場人物たちのせめぎ合いにフォーカスされる。パニック/デザスター小説ではないからだ。その点はすっきりしている。

『GENESIS 創元日本SFアンソロジー 白昼夢通信』東京創元社

装画:カシワイ
装幀:小柳萌加・長崎稜(next door design)

 全編書下ろしの《GENESIS 創元日本SFアンソロジー》第2巻。《年刊日本SF傑作選》が終了したことにより、次号(夏季号とあるので、季刊ないし半年刊化?)は、創元SF短編賞受賞作の掲載受け皿ともなるようだ。

 高島雄哉「配信世界のイデアたち」アニメ制作会社で働くSF考証の女の子の活躍は、遠い銀河で活動するスライムと共鳴し合う。石川宗生「モンステリウム」町の広場で佇む巨大な怪物を、学校の生徒たちが観測する。空木春宵「地獄を縫い取る」〈体験〉がネットの中で自由に流通する未来、児童買春対策に開発されたAIが事件を誘引する。川野芽生「白昼夢通信」展覧会のカタログを集めた図書館/人形つくりの街、遠い空間と時間を超えて2人の手紙のやり取りが続く。門田充宏「コーラルとロータス」行方不明になった社員の記憶データの中で、珊瑚は重要なヒントを見つけ出す(シリーズ作品の枝編)。松崎有理「瘦せたくないひとは読まないでください。」太っていることが罪悪となった未来、ダイエットを競う大会で脱落者には死が待ち受ける。水見稜「調律師」国家が力を失い文化が衰退した社会、主人公は火星の富豪が主催するパーティーでピアノの調律を引き受ける。

 全7編を収録。これ以外に、アンソロジイのあり方についての中村融、西崎憲によるエッセイを含む。表題作「白昼夢通信」の川野芽生は、創元ファンタジイ新人賞最終候補者。前巻同様、オール創元(関係)メンバーというスタイルは踏襲されている。

 高島雄哉は正業のSF考証をスケールアップしてアレンジ、石川宗生は架空の街ムンダロールに現れた怪物と日常との対比、空木春宵はAIと室町時代の地獄太夫を両立させ、川野芽生は創元SF短編賞では見られない幻想色を漂わせ、門田充宏は既に単行本が2冊ある人気シリーズ、松崎有理は著者らしい科学的ブラックユーモアを展開する。中では、水見稜の新作書下ろしが読めるのが嬉しい。ピアノ調律に関する蘊蓄に溢れるが、著者の作品では『マインド・イーター』でピアニストが登場するし、「アルモニカ」には音楽療法が出てくる。この方向の作品も、これから書かれていくのではないか。

 前巻と重複する作家は松崎有理のみ。ではあるものの、同様のメンバーによるオリジナル・アンソロジイ『時を歩く』を挟んだこともあり、ややライトな印象を受ける。短編発表の場を提供するという考え方は正しいが、アンソロジイとしてもう少し工夫があってもいいかもしれない。

『文藝 2020年春季号 中国・SF・革命』河出書房新社

アートディレクション・デザイン:佐藤亜沙美(サトウサンカイ)
表紙イラスト:クイックオバケ

 クラシックな純文雑誌というデザインを、昨年夏季号からポップに一新した「文藝」(季刊)の春季号である。これまでも韓国・フェミニズム特集号などが売れ、本号も発売前から注目を集めていた。中国・SF・革命特集で全頁の4割を占める。ただし、特集自体は『三体』ヒットを契機にしているが、SFだけをフォーカスしたわけではない。

 宇宙をさまよう放浪者、人類の島船が迎える春とはケン・リュウ「宇宙の春」、中国の古代神話と主人公の100年前の曾祖父が経験する大水害樋口恭介「盤古」、台湾を含む中華圏のSF界についての概要を述べた立原透耶「『三体』以前と以後 中華圏SFとその周辺」、中国のSF大会にゲストとして招かれた経験から、世界SF大会を狙う中国の状況を記した藤井太洋「ルポ『三体』が変えた中国」

 創作では幻想色を感じさせる諸作が集められている。孫文が日本訪問時に出会う奇妙なアステカ人佐藤究「ツォンパントリ」、移民の子である主人公が故郷の味を守るために奮闘する王谷晶「移民の味」、記憶の中の留学生と自身の中国出張が交錯する上田岳弘「最初の恋」、村長の死のあとさまざまな騒動が村をかき乱す閻連科「村長が死んだ」。他にも、天安門事件の余波に揺れる時代に、自身が体験したことを書いたエッセイイーユン・リー「食う男」、アメリカの文学界におけるアジア系作家の扱いについて糾弾するジェニー・ザン「存在は無視するくせに、私たちのふりをする彼ら」、中国留学体験を書いた黒色中国「監視社会を生きる人々」、対談の閻連科×平野啓一郎「海を越え爆発するリアリズム」は、主に中国における日本現代文学の受け入れられ方が語られる。

 さて、読んで見ると、この特集は確かに中国が主題ではあるが、あくまでも「外から見た中国」になっている事が分かる。閻連科以外はすべて日本人か中国系アメリカ人の書き手で、当事者の中国人がほぼいない。中国生まれのイーユン・リー「食う男」は英語で書かれた作品だし、ジェニー・ザンが書いているのはアメリカ(人種差別)の問題なのである。中国の場合、独裁政権・言論弾圧・監視社会という(芳しからぬ)先入観があり、政府から国民、作家まで十把一絡げに見られがち/見下されがちだ。しかし、14億人一括りでは雑すぎる。一面だけではない、もう少し内部から見た全体像を知りたいものだ。

 評者は、中国人留学生が中国SFを語る中で「ケン・リュウは、チャイナ(中国系)であって中国人ではない」と言うのを聞いたことがある。ケン・リュウは中国に生まれ中国語を解するが、エスタブリッシュした(ハーバード・ロースクール出の弁護士)アメリカ人である。中国作家紹介で貢献があり、中国を舞台にした物語を書くといっても、外から見た立場なのには変わりがないのだ。留学生の発言は、中国のことは第3者ばかりではなく、もっと自国の作家が語るべきだと言いたかったのだろう。この気持ちはよくわかる。

佐々木譲『抵抗都市』集英社

 直木賞など多くの賞を受賞してきたミステリ界の大物、佐々木譲による歴史改変SFである。小説すばる2018年10月(SF特集号)から19年9月まで1年間連載したもの。ナチス占領下のロンドンで殺人事件が起こるレン・デイトン『SS-GB』を連想する。版元のインタビュー記事を読むと、その点は意識的だったことが分かる。

 1916年、大正5年の東京にコサック騎兵隊の隊列が通る。11年前の戦争に敗れた大日本帝国は、名目こそ二大帝国同盟だが、ロシア本国から派遣された統監に事実上支配されている。折しも欧州で続く世界大戦に向けて、日本から露軍の増援に追加派兵が行われようとしている。戦いは膠着状態で泥沼化、死屍累々の戦場に国内では派兵反対の世論が渦巻き、政府内部にも隠れた賛同者がいるようだった。反対集会が近づく中、運河に他殺死体が浮く。単純な殺しと思われていた事件だったが、犯人を捜索する警視庁の刑事は、ロシア治安当局や警察中枢から思いがけない干渉を受ける。

 日露戦争でロシアに敗れた日本(敗因の詳細は書かれていない)、国内の講和反対派を鎮めるため政府に主権があるようふるまうが、実体はロシアの外交方針に逆らえない属国なのである。そういう抑圧下で起こる殺人事件なので『SS-GB』とよく似ている。同じ東京なのに、大正時代でかつロシア支配下という、本来交じり合わなかった世界が描かれる。設定にはメッセージ性も込められる。近過去の時代の殺人事件を書く舞台として、歴史改変された社会は自由度が高く魅力的だろう。リアリティを持たせる手法も含め、歴史改変とミステリとは相性が良いのだ。

 『SS-GB』はBBCのドラマにもなったので有名だが、ナチス占領下を描く作品は多い。日独占領下のアメリカを描くディック『高い城の男』(アマゾン版ドラマは原作とはかなり違う)、それにインスパイアされたピーター・トライアス《USJ》、ファシスト政権下の殺人事件ジョー・ウォルトン《ファージング》、アメリカにファシスト政権ができるフィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ』などもある。日本でも米ソにより東西に分割された矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん』、日露戦争敗戦で先行する作品では光瀬龍『所は何処、水師営』がある。

 本書は、著者が得意とする警察小説でもある。主人公は旅順攻防戦帰りのPTSDに苦しむ刑事、警官としてあくまでも社会秩序を維持しようとする。暴動を画策する勢力には、(たとえそれが愛国的だとしても)法を侵す以上加担せず、ロシア人保安部隊との協力も惜しまない。さて、派兵騒動で揺れる第1次大戦は1918年に休戦する。しかし、その前年ロシア帝国では数度にわたり革命が発生、最後にソビエト(ボルシェヴィキ政権)が成立する。本書の事件はいったん解決するが、物語の続編は、そういう歴史的な舞台で引き継がれるようだ。他にも、時間SFを(おそらく)含む短編集が予定されている