井上彼方編『SFアンソロジー 新月/朧木果樹園の軌跡』社会評論社

装画・装幀:谷脇栗太

 SF専門のウェブメディアVG+(バゴプラ)が主催する第一回かぐやSFコンテスト(2020)、第二回かぐやSFコンテスト(2021)の受賞者、最終候補者、選外佳作となったメンバーからなる書下ろしアンソロジイである。全部で26作家/作品(掌編から短編まで)を収録する。社会評論社から発売されているが、レーベルはKaguya Booksで、今後もオリジナルの長編や短編集、アンソロジイを刊行していくという。

第一章 時を超えていく
 三方行成*「詐欺と免疫」詐欺で儲けた男の前に、未来からきたと称する時間泡が現われる。一階堂洋「偉業」説明癖のある彼女は、あるとき珊瑚の遺骸で画期的な発見をする。千葉集「擬狐偽故」トランスカルヴァニアのホテルで、わたしは希少なエリマキキツネと遭遇する。佐伯真洋*「かいじゅうたちのゆくところ」二ヶ月前に亡くなった祖母の遺品が、ひょろりとした怪獣によって届けられる。葦沢かもめ*「心、ガラス壜の中の君へ」オレンジ畑で働くロボットは、ある日ニンゲンの幼体と遭遇する。勝山海百合*「その笛みだりに吹くべからず」ロボットが見つけた箱の中から、滅んだ文明の笛が見つかる。

第二章 日常の向こう側
 原里実*「バベル」突然言語が散り散りになる。〈バベル〉が異常になったのだ。吉美駿一郎「盗まれた七五」川柳の趣味を持つ清掃員の主人公は、上の句より先が出ず苦しむ。佐々木倫「きつねのこんびに」コンビニのレジスタに、なぜか枯れ葉が混じるようになる。白川小六*「湿地」沼の周辺には半鳥人の巣があるが密猟が絶えなかった。宗方涼「声に乗せて」声を良くするという装置には謳い文句通りの性能があったが。大竹竜平*「キョムくんと一緒」買ったばかりのマンションの一室には、透明な虚無が存在する。赤坂パトリシア「くいのないくに」白金に輝く杭は子育てをするため動かないという。

第三章 どこまでも加速する
 淡中圏「冬の朝、出かける前に急いでセーターを着る話」セーターを着ようと頭を突っ込むと、中には得体の知れない生き物が住んでいて。もといもと「静かな隣人」ネルグイ星人が地球に来訪してから30年が経った。苦草堅一「握り八光年」ミシュラン2つ星の鮨屋の技は目にも停まらない。水町綜「星を打つ」はるかガニメデから投げられた星を反射塔が打つ。枯木枕*「私はあなたの光の馬」太陽の光を避けるために、息子の服も部屋も遮光されている。十三不塔*「火と火と火」特定計算機マルワーンによりすべての言葉が自動検閲される。

第四章 物語ることをやめない
 正井「朧木果樹園の軌跡」さかなは大きく育つとこの世界から旅立つのだという。武藤八葉「星はまだ旅の途中」主人公はイベントで演者オブジェクトに介入する役割だった。巨大健造「新しいタロット」洞窟の奥でタロットカードで占われる運命とは。坂崎かおる*「リトル・アーカイブス」二足歩行ロボットバイペッドによる戦闘で亡くなった兵士の母はその真相を探ろうとする。稲田一声*「人間が小説を書かなくなって」冒頭一文を書いただけで、AIは小説にしてしまう。泡國桂*「月の塔から飛び降りる」ぼくは月と地球とを結ぶ連絡トンネルを保守している。
*:ハヤカワSFコンテスト、創元SF短編賞、日経星新一賞など、かぐやSFコンテスト以外の小説に関する賞の受賞者・入賞者

 作品、作家数的には日本SF作家クラブ編のアンソロジイに匹敵する(共通する作家もいる)。三方行成や勝山海百合、十三不塔、赤坂パトリシアらはプロ出版の著作があるが、他でも賞の最終候補クラスが並んでいるので、そういった新人作家の受け皿になっているようだ。

 編者が述べているように、掌編小説はオンライン時代に求められている長さである。オンラインマガジンで、ちょうど一画面に収まる長さだからだ。スクロールしなくても読める。そこで起承転結が収まるのかだが、必ずしもそういったレギュレーションも必要条件ではない。

 本書では、全体的にフラットで静的な作品が多い。何か事件が起こり新規アイデアが提示され、しかし派手なアクションなどは伴わず、諦観を絡めたオープンエンドで終わる。破滅(人類の滅亡後とかはある)も虐殺もないというのは、ある意味一つの見識なのだろう。もしかすると、今の読者が求める基本要素なのかも知れない。

クリス・バドフィールド『アポロ18号の殺人(上下)』早川書房

The Apollo Murders,2021(中原尚哉訳)

カバーイラスト:Yuta Shimpo
カバーデザイン:岩郷重力+A.T

 1959年生まれのカナダ人元宇宙飛行士(ISSの船長も務めた)による、初のSFスリラー長編小説。20号まで予定されていたアポロ計画は、資金的な問題もあり18号以降は打ち上げられなかった。つまり本書は歴史改変小説なのである。70年代前半に起こった、アメリカによる架空の月面探査計画を巡るソビエト連邦との暗闘を描いている。

 1973年、危ぶまれていたアポロ18号の打ち上げは、軍事色を強めることを前提に実施されることになる。ソ連が打ち上げていた巨大な軍事偵察衛星アルマース(サリュート2号に相当)と、さらには月面で活動する無人探査車ルノホート2号が新たな目的だった。ミッション遂行には、事故で宇宙飛行士の道を絶たれた主人公がかかわることになる。

 スペースシャトルやソユーズを経験してきた著者だけあって、テクノロジー描写は恐ろしくリアルだ。そこに黒人や女性宇宙飛行士を登場させ、謀殺/脅迫/内通など冷戦期のスパイ活動に現代的なテイストを加えている。実際には黒人、女性の宇宙飛行士がそれぞれ搭乗したのは、スペースシャトル時代の1983年のこと。黒人で女性となると1992年まで下る。

 JAXAの活動だけを見ていても分らないのだが、本書を読むと宇宙開発というものの軍事的側面の大きさを再認識できる。NASAはアメリカ空軍から派生した組織で、本書の主人公も(著者も)空軍出身者である。アカデミックな科学技術調査はもともと付随的なものだった。(表立って兵器を搭載できないため)素手で殴り合うに等しくなる宇宙での攻防は、原始的であるが故に妙に生々しく思える。

 米ソが対等に競い合った宇宙開発時代は、改変歴史ものの1ジャンルになっている(本書の解説に詳しい)。国家による重厚長大テクノロジー、マッチョでホワイトな男たちの世界、何より明確に分離された2大陣営が平衡対立する時代だった(市場主義国家同士である米中対立とは大きく異なる)。そこに今風の要素を加味し、しかし当時の時代性を損なわない範囲でまとめたところが新しい。

パット・カディガン『ウィリアム・ギブスン エイリアン3』竹書房

Alien 3 The Unproduced Screenplay,2021(入間眞訳)

カバーデザイン:石橋成哲
Front cover artwork by Mike Worrall

 円城塔・ゴジラのノヴェライズの次となると、やっぱりギブスン・エイリアンだろう。本書は熱狂的なエイリアンファンだったウィリアム・ギブスンが書いた『エイリアン3』の脚本を、盟友パット・カディガン(キャディガン)がノヴェライズしたもの。ご存じのとおり、この脚本が映画に採用されることはなかったが、脚本がネットに流れてから逆に評価が高まった。ギブスンを外した映画『エイリアン3』は不評だったからだ。遅まきながら、2018年には脚本の第2稿がコミック化、2021年に第1稿(本書)がノヴェライズされている。第1稿と2稿では、エイリアンの設定や登場人物が異なっている。

 テラフォーム途上の植民惑星〈LV426〉は、棲息するゼノモーフ(エイリアン)により壊滅する。救援に赴いた海兵隊も歯が立たず、輸送船〈スラコ〉で脱出するが、船内にはクイーン・ゼノモーフが潜んでいたのだ。激闘の末、わずかな生き残りはコールドスリープに就く(『エイリアン2』)。物語は、その輸送船が独立ステーションの領空に侵入したところからはじまる。

 本バージョンでは、主人公はコールドスリープから目覚めたヒックス伍長とアンドロイドのビショップ、アンカーポイント(宇宙ステーション)の科学者スペンスあたり。登場人物はとても多く次々死んでいく。キャラの一覧表がないので、読むのが結構大変である。舞台は巨大なステーション内部、バイオハザード状態で数を増したエイリアン相手に、迷宮的な船内逃避行が繰り広げられる。

 エイリアンの続編として、何が正解なのかについてはさまざまな議論がある。リプリーの物語であるべきなのか、あくまでも殺戮者エイリアンが主役なのか。ただ、リプリー役のシガニー・ウィーヴァーが出演を渋ったため、ギブスンとしては後者を選ばざるを得なかった。結果的に、前作で活躍したリプリーや生き残り少女ニュートは、冒頭のみしか出てこないのだ(実現しなかったさらなる続編が匂わされている)。

 脚本の第1稿は、『エイリアン2』(1986)公開の翌年末には早くも完成。20世紀末、1980-90年代の社会状況(ソビエト崩壊直前、中国台頭のはるか以前)が設定に影響している。脚本からノヴェライズまで34年間のギャップはあるが、キャディガンはそこに余分なアップデートを加えなかった。あくまでも、上映されたかも知れない正統派『エイリアン3』であるわけだ。

  • 『ミラーシェード』評者コメント
    (謝辞が、当時若かった『ミラーシェード』の寄稿者たちに捧げられている。同時代の『エイリアン』には、そういうノスタルジーが含まれるという意味なのだろう)

円城塔『ゴジラ S.P』集英社

装丁:秋山俊(クスグル)

 意外にも、著者の他の文芸書より、なお部数が少ないらしいアニメ『ゴジラ S.P』の小説版である。アニメの脚本も著者だったが、映像と小説はその特性上からも異なるものになる、という。評者は幸いにも(?)アニメ未見であるので、コンデンストノベルっぽく見えるのか、読んでみた。

 房総半島の南東に位置する逃尾(にがしお)市は、かつて村だったころより異変を呼び寄せる源だった。いまも紅塵が海に広がる中、空を舞う獣ラドンが姿を現す。ラドンは何回も大量発生、大量死滅を繰り返しながら急速に進化する。紅塵が彼らのエネルギー源らしいが、それを生み出す特異点があるようだ。しかも、特異点は一つではなかった。

 アニメーションのワンクール13話を、700枚余の小説に書くとしたらコンデンストノベル(濃縮小説)にならざるを得ない。しかし、アニメーションと違って、本書は小説であることを最大限に生かしている。ビジュアルなイメージ喚起に重点を置かず、ゴジラたちを生み出すアーキタイプ(シミュレーション上は安定して存在するが、現実世界での合成方法は不明の物質)の説明に多くを裂いているからだ。しかも、登場人物のセリフではなく、言葉や概念の意味を重視するのはいかにも著者らしい。また本書の語り手はJJ/PP(ジェットジャガー/ペロ2)というAIである。

 アーキタイプは超時間屈折を引き起こす。その性質は図解を交えて示される。これを通せば光が過去に送られるのだが、過去に送られた光は対生成した反光子によって現在の光を対消滅させ、(現在から見て)未来の光と成り代わる。つまり、未来が見えるということになる。これを用いることで、アーキタイプを生産することもできる。設計には、CTC(時間的閉曲線)を用いた超時間計算が使われる。判りますか?

 アニメなので自由な設定が可能である。ただし、東宝に知的所有権のあるゴジラを使う以上、一定のレギュレーションはあるようだ。オリジナルのゴジラ(1954)とシン・ゴジラで描かれた「事実」は守られている。それをいかにSF的に説明しきるかが本書の主眼と思われる。とはいえ、アニメでもゴジラが出てくるのはシリーズの半ばを過ぎたあと、ゴジラでありながらゴジラが主役ではない特異な作品といえるだろう。主役はアーキタイプなのである。

 

藍銅ツバメ『鯉姫婚姻譚』新潮社

装画:Minoru
装幀:新潮社装幀室

 日本ファンタジーノベル大賞2021大賞受賞作品。著者の藍銅ツバメ(らんどうつばめ)は、1995年生まれのゲンロンSF創作講座第4期生(2019)で、同講座の優秀賞を受賞している。本書は異類婚姻譚である。人ならぬもの(動物や非生物)と人とが結ばれる物語で、ファンタジイでは普遍的なテーマだろう(夫婦の関係をこれになぞらえた小説まである)。

 主人公は大店の長男なのだが、商売に向かず店を弟に譲って若隠居している。父親の住んでいた隠居先の庭には池があり、上半身が女の人魚が棲んでいた。主人公は人魚=鯉姫にせがまれるままに、人と人ではないものとの出会いや別れという5つのお話を次々と語っていく。

 5つのお話は、入れ子構造で物語中の物語となっている。『アラビアン・ナイト』のような、いわゆる枠物語(フレーム・ストーリー)である。大猿の嫁となった勝ち気な妹の話「猿婿」、人魚の肉を食べ長寿となった女房の話「八百比丘尼」、つららから変異した女を嫁にもらった男の話「つらら女」、朴訥な農夫のもとに蛇の化身が現われ嫁になる話「蛇女房」、真っ白な農耕馬に惚れ込んだ娘の話「馬婿」。どれも単純なハッピーエンドにはならない。それが、若旦那と人魚のふんわりした人情譚という、表層的な読みの裏をかくのである。

 各委員とも、本書が自然なファンタジイであること、この形式であることが物語を際立たせていることを賞賛する。宮部みゆき「お話の長さも正しいし、着地もこれしかないという結末で、日本ファン タジーノベル大賞の考えるファンタジーノベルにふさわしい、と思った」、森見登美彦「ファンタジーであることの強みを生かしているという点では最終候補作の中で一番であり、 若旦那と人魚をめぐる枠物語の締めくくりは「異類婚姻の成就」として文句のつけようのないものだ」、ヤマザキマリ「イソップのような古代の寓話や日本昔ばなしは人間にとって日々の教訓が含まれたシュールなメタファーだが、だからなのか自分の想像世界に対する作者の思い入れの気配を感じずに読むことができたのが心地良かった」。

 本書は賞の発表から半年以上をかけて、十分に改稿されたものだろう。主人公の弟と人魚の関係など、まだ判然としないところもあるものの、物語的な齟齬はほとんど感じない。ビターだけどハッピーという独特の終わり方にも納得。

 

宝樹『三体X 観想之宙』早川書房

三体X 观想之宙,2011(大森望、光吉さくら、ワン・チャイ訳)

装画:吉安健一郎
装幀:早川書房デザイン室

 執筆当時はファンだった著者による、(劉慈欣公認)公式《三体》スピンオフ外伝。オリジナルの第3部『死神永生』(本書巻末にも要約がある)で明らかにされなかったさまざまな謎と、さらにスケールアップした宇宙の秘密が描き出される。

 第1部では、デスラインが広がりそこに程心らが飲み込まれたあと、プラネット・ブルーで生きる雲天明が、艾AAに三体文明に囚われた間に自分が行った裏切りを語るところからはじまる。三体人が人類にもたらした欺瞞の背後に自分がいたというのだ。さらに光明の〈霊〉との接触が語られる。第2部では雲天明が〈霊〉からの命を受け、捜索者として次元を縮退させる潜伏者の探索に乗り出す。最初に訪れたのは時の外にある小宇宙#647だった。

 もともとファン・フィクションなので、原典に準拠しながらも、そこで明らかにされなかった事件の背景や、その後日譚が書かれている。偶然めいたできごとが実は必然だったと知らされ、登場人物たちの運命が新たに描き直されるわけだ。

 しかし、本書の場合、その先のボスキャラ=統治者(マスター)が登場するのが面白い。〈霊〉と聞くと宗教的スピリチュアル系かと思ってしまうが、『幼年期の終わり』とか『スターメイカー』風のSF的な知性の上位概念なのである。

 ボスキャラの存在はオリジナルでも匂わされてはいた。本書を読めば(一つの解釈ながら)より明瞭になるだろう。全編を通じて物語というより説明に終始する感はあるものの、読み手を退屈させない手腕は、著者がデビュー前から備える確かな才能をうかがわせる。

 とはいえ「コーダ以後」の章はこの物語のスケールに反して、一転、ふつうの2次創作になってしまう。ファン・フィクションの必要条件なのかも知れないが、このあたりは善し悪しだろう。

佐藤究『爆発物処理班が遭遇したスピン』講談社

装幀:川名潤

 『テスカトリポカ』で第145回直木賞を受賞した著者の最新短編集。評者は佐藤究のよい読者とはいえないが、惹句に「ミステリ×SF×怪物」とあるので読んでみた。

 爆発物処理班の遭遇したスピン(2018)東京オリンピックを1年後に控えた鹿児島で、爆発物を仕掛けたという予告電話が警察にある。それは巧妙に仕掛けられた爆弾だったが、思いも寄らない原理に基づいて作られていた。
 ジェリーウォーカー(2019)2040年代、VRや映画で一世を風靡する著名CGクリエイターには、誰にも知られていない創作上の秘密があった。
 シヴィル・ライツ(2016)新宿にシマを持つ弱小ヤクザは、ささいな失敗で大きなケジメを背負わされる。
 猿人マグラ(2016)福岡の作家といえば夢野久作だ。けれど、地元民ですら誰も知らない。墓場愛好家の主人公は、子どもたちの間に広がる都市伝説猿人マグラと久作との拘わりを聞く。
 スマイルヘッズ(2018)画廊を営む主人公には裏の趣味がある。それはシリアルキラーの描く絵画などの芸術品を、金に飽かせず蒐集するというものだ。
 ボイルド・オクトパス(2018)引退した元殺人課刑事に連続インタビューする企画で、初めてアメリカの刑事に会う機会を得たライターは喜ぶが。
 九三式(2019)戦後すぐのころ、家族もろとも実家を空襲で失った復員兵が、高価な乱歩の古書を手に入れるため、進駐軍からの得体の知れない仕事を引き受ける。
 くぎ(2018)息苦しい家庭から抜け出そうとした男は、塗装業の住み込み社員になる。しかし、仕事先の民家で気になるものを目撃する。

 標題作はリアルな爆発物処理班の仕事の描写の中に、突然SF的なアイテムを紛れ込ませている。テロリストが使うにしては2019年は早すぎると思うが、ともかく意表を突くアイデアとはいえる。その点でいうと「ジェリーウォーカー」はオーソドックスなクリーチャー(怪物)ものである。

「シヴィル・ライツ」「猿人マグラ」は(怪物的)動物が絡むサスペンス、「スマイルヘッヅ」「ボイルド・オクトパス」は超自然的要素のないサイコホラーだ。「九三式」「くぎ」では、不幸な境遇の主人公がしだいにサイコパス的な事件に巻き込まれていく。

 ムック誌 幽 の夢野久作特集に寄せた「猿人マグラ」、小説現代の江戸川乱歩特集「九三式」は、それぞれのお題である夢野久作や江戸川乱歩作品に内在する、狂気やグロな世界を浮き彫りにする。著者の才能、特にホラー展開の巧みさを楽しめる内容だろう。 

オクテイヴィア・E・バトラー『血を分けた子ども』河出書房新社

Bloodchild and Other Stories,1996/2005(藤井光訳)

装幀:川名潤

 1947年生まれ(2006年に没)の著者は、SF分野では初の黒人女性作家だった。80年代後半に話題になったものの、(シリーズものが多かったこともあり)今世紀以降は作品紹介が途絶えていた。しかし、ジェンダーや人種の問題に対する先進的な取り組みが評価され、『キンドレッド』(1979)の翻訳がほぼ30年ぶりに復刊するなど再び注目を集めるようになった。

 血を分けた子ども(1984)ぼくは幼いころから保護区に住んでいる。生まれて一緒に育ったトリクとともに。
 夕方と、朝と、夜と(1987)遺伝的な要素のあるその疾患は、いったん発症すると周りの人間を巻き込む激烈な反応が顕われる。
 近親者(1979)シングルマザーの母はわたしを遠ざけたが、亡くなって遺品を引き継ぐときに伯父から意外な事実を知る。
 話す音(1983)何らかの異変が起こり、人々同士のコミュニケーション機能に重大な障害が生じる。
 交差点(1971)刑務所に入っていた元恋人の男が帰ってきて不満を垂れ流す。しかし、女との気持ちは相容れない。
 前向きな強迫観念(1989)6歳から、作家になるという強い意志を曲げなかった著者の半生(エッセイ)
 書くという激情(1993)書くためには文才ではなく書くという激しい思いが必要だ(エッセイ)
 恩赦(2003)形態も知性も異質な異星人は、少数の人間から彼らの通訳を養成する。
 マーサ記(2003)ある日主人公は神に遭遇し、その力を授けようと提案されるのだが。

 バトラーは《Patternist》など、シリーズものを書く長編作家だった。短編の数は少なく本書に収められたもので大半を占める。「血を分けた子ども」は、プロから一般読者までにインパクトを与えた異色作品である。ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、SFクロニクル賞(SF専門誌の読者賞)の各中編部門を受賞している。

 表題作に限らず、全編を通して一種異様な社会が描かれている。その異様さは、いまわれわれが暮らす日常との違いにあるだろう。「血を分けた子ども」では異星人との共棲が描かれる。人間と異星人とはまったく生態が異なり、物理的にも政治的にも対等ではないのに共存を強いられる(これはさまざまな社会問題のアナロジーとも解釈できる)。

 異種のものとの不均衡な関係は、後年に書かれた「恩赦」でも出てくる。人間は関係の本質に気がついておらず、何とか自分の論理/倫理で理解しようとして(おそらく)失敗する。異星人は怪物ではないが、文字どおり人とは異なるものだ。だが、それでも正常な関係を築いていかなければならない。全面降伏か殺し合いの(ハリウッド的)2択しかないと考えるのは短絡なのである。

 2編のエッセイと「マーサ記」(の一部)では著者の創作法が語られる。ふつうの環境でも、兼業で小説を書き続けるには根気が欠かせない。著者の場合はそこに社会的な圧力(黒人は、女は作家になれない、SFは小説ではない)が加わるのだから、並大抵ではなかったろう。それらを乗り切るために激情が必要だったのだ。

チャン・ガンミョン『極めて私的な超能力』早川書房

지극히 사적인 초능력,2019(吉良佳奈江訳)

カバーイラスト:植田りょうたろう
カバーデザイン:川名潤

 『韓国が嫌いで』(2015)などの邦訳があるチャン・ガンミョンの、これは初SF短編集である(この書名は初版時のもの、改訂版では『アラスカのアイヒマン』になっている)。著者は1975年生まれ、2011年に単行本デビューし、これまでに多くの文学賞を受賞した注目の作家だ。SFはデビュー前から幅広く読んでいたようで、ベーシックなSFに対するオマージュと、先端サイエンスのトレンドに対する感性とを兼ね備えた親しみやすい内容である。

 定時に服用してください:薬を飲むことで生じる特別な感情、それは個人的な倫理を損ねてしまう問題だった。
 アラスカのアイヒマン:アラスカに設けられたユダヤ人自治区では、アウシュビッツの責任者アイヒマンが裁かれ〈体験機械〉にかけることが決められる。
 極めて私的な超能力:彼女には予知能力があった。未来が見えるというより、何となく分かるのだという。
 あなたは灼熱の星に:宇宙開発がスポンサー付きの民営に代わった時代、金星の探査を舞台にしたリアリティショーで新企画がはじまる。
 センサス・コムニス:政治家が群がるほどの人気がある世論調査会社には、その根拠となるデータの収集方法に秘密があった。
 アスタチン:木星・土星圏を統治する独裁者アスタチンは、死後に自分と同じ遺伝子を持つ人間を複数復活させ、殺し合いに生き残ったものを次期総統とするようルールを定めた。
 女神を愛するということ:恋人がほんものの神だとしたら、別れを切り出して無事に済むのだろうか。
 アルゴル:宇宙開発史上最悪の事故は3か所同時に起こった。原因となったのは3人のアルゴルたちである。
 あなた、その川を渡らないで:森の中に男と女が住んでいた。男は毎夜悲しい夢を見るのだが。
 データの時代の愛(サラン):映画館で出会った女と5歳年下の男はお互い惹かれ合うが、データ上決して関係が長続きしないと告げられる。

 「アラスカのアイヒマン」は実在したアラスカのユダヤ自治区計画と、記憶の移植が刑罰たり得るかを組み合わせた、ある意味とてもイーガン的な物語である。中編級の長さがあるが、観念的なテーマの追求に大半を費やしている。「あなたは灼熱の星に」では脳と体の認知問題、「アスタチン」は対照的にスーパーパワーを備えた超能力者同士のバトルもの。「センサス・コムニス」は著者の新聞記者時代の体験に、東浩紀『一般意志2.0』を批判的に採り入れている。

 このあたりは著者自身による作品解題に詳しい。伴名練じゃなくてハンナ・アーレント『エルサレムのアイヒマン』、『テンペスト』、前述のユダヤ人自治区を舞台にした『ユダヤ警官同盟』や、『バトル・ロワイヤル』『不死販売株式会社』から『虎よ、虎よ!』など幅広い海外作品からの影響も理解できるだろう。

 既訳の韓国SFの諸作は、どちらかといえば現代文学に寄っているように思われる。その傾向は日本の若手作家でも同様だ。本書でも(特に短い作品に)その要素はあるのだが、よりSF的なアイデアに物語を寄せている点をかえって新鮮に感じる。「データ時代の愛(サラン)」は冷酷なデータに警告されながらも、愛という激しい感情に翻弄される主人公が人間的で印象深い。

斧田小夜『ギークに銃はいらない』破滅派

装画・装丁:斧田小夜

 第10回創元SF短編賞(2019)にて「飲鴆止渇」で優秀賞を受賞、第3回ゲンロンSF新人賞(2019)でも、「バックファイア」(改題し本書収録)を優秀賞で受賞した著者の初作品集である。紙版としては初だが、他にも本書の版元である破滅派から電子書籍で多くの中短編を出している。

 ギークに銃はいらない(2018):主人公はカリフォルニアに住む冴えない高校生。ハッキングを武器にネットを暴れ回るギークに憧れている。ITについては無知だったが、何とか学校のシステムに侵入することに成功する。しかし、そこで意外なものを見る。
 眠れぬ夜のバックファイア(2019):In:Dreamとは睡眠を快適にするためのデバイスだ。医学的に認められ、実績もある反面、個人ごとの手厚いサポートが必要になる。ある日、サポートに掛かってきた通話は、はじめは穏やかなものだったが、そのユーザーの眠りはノーマルとはいえなかった。
 春を負う/冬を牽く(2016):(2部に分かれた長中編)つかの間の春と、厳しい冬が交代する世界。山深い村と麓の村との間を旅する交易びとの話を聞きながら、一人の少年が成長する。やがて、代替わりの儀式が行われ、若いチェギ・ルト=村長の地位に就くのだ。

 表題作は、ITの専門家である著者が(平易な注釈付きの)用語を交えて語る青春ドラマ。友人やガールフレンドと共に、ナードからギークへと変わっていく(かもしれない)物語だ。最後の2作品は、異星を舞台とした長い中編である(合わせて250枚ほどある)。異世界の過酷な自然、そこに住む住民たちの生活や特別な風習が描かれる。ル=グウィンを思わせるとあるのは、そういう文化人類学的な切り口を指すのだろう。奥地にある禁断の山の秘密は、そのまま世界を成り立たせる秘密へと結びついていく。

 この中では「眠れぬ夜のバックファイア」が印象に残る。ゲンロン新人賞を改題したこの作品は、In:Dreamというテクノロジーガジェットをキーにしながら、眠れない登場人物の過去に絡む心理的な深淵をかいま見せる力作。眠りを妨げる要因が明らかになる過程が面白い。もう少しガジェットとの関わりが描かれていれば(SF的には)ベストだったろう。