最初のコミック版掲載から60周年になるのを記念して企画されたオリジナルアンソロジーである。人気のシリーズだけにこれまでも10年ごとの記念制作はあった。ただ、小説で全編書下ろしは初めてだ。トリビュートを掲げているが、「歴史的なキーワードとしてのサイボーグ009」を、新たに解釈し直したテーマアンソロジーと捉えるべきだろう。
辻真先「平和の戦士は死なず」小国の王女が隣国の大統領と結婚する。しかしその背後には大国の影があった。そして、過去の同僚からの挑戦状がギルモア博士の下に届く。
斜線堂有紀「アプローズ、アプローズ」002と共に、宇宙から流れ星となって落ちたはずの009が目を覚ます。なぜ生き残ることができたのか、その方法とは。
高野史緒「孤独な耳」003がバレエの国際コンクールに出場する。ソビエト連邦のレニングラードで開催されるのだが、そこは001の故国でもあった。
酉島伝法「八つの部屋」隔離された秘密基地の中で、空中を自在に飛べるよう下半身を複雑に改造される002。同様の改造を受ける数人と共に適応能力を競うのだ。
池澤春菜「アルテミス・コーリング」バレエ公演で来日した003は1人の少女と出会い、何でも話せるようになる。ただ、少女は何かに怯えていた。
長谷敏司「wash」今でも兵器のアップグレード試験を続ける004に、旧式サイボーグによる襲撃が行われる。しかし、その正体は予想外のものだった。
斧田小夜「食火炭」006の中華飯店は繁盛していたが、なりすましの偽チラシを契機に、サイボーグに改造され日本へと流れてくる前の過去が浮かび上がってくる。
藤井太洋「海はどこにでも」火星軌道上で立ち往生する先遣隊を救難する船で、陰謀が企てられているらしい。宇宙でも活動可能な008が捜査のために潜入する。
円城塔「クーブラ・カーン」成層圏プラットフォームの情報を盗み出そうとするスパイ、得体のしれないサイボーグ工場の存在、次々と浮かぶ事件の背後にあるものとは。
石ノ森章太郎(98年没)が手掛けたコミック版は、1964年から66年にメインとなる部分が、以降1986年頃まで続編や枝編がさみだれ的に描かれた。本人の作画ではないが、未完成の遺稿をもとにした2012年の新作もある。アニメ版は、劇場用が1980年までに3回、TVも2002年まで3シリーズ、2010年代になってCGのオリジナルアニメが3種類作られた。後者しか知らないファンが多数派かも知れない。
これだけ歴史があっても、大半のコンテンツはいまでも読めて視聴ができる(電子書籍や映像配信の環境が整っている)。反面、現代ならではの倫理的な不都合(特に、人種などの人権意識)が気になる点もあるだろう。今回の執筆者は(当事者だった1932年生まれの辻真先は別格として)、1960年代生まれが1人、70年代が5人、80-90年代が各1人と、リアルタイム世代より(平均)20歳は若い。企画が決まるまで(知ってはいても)読んだことはなかった、と正直に語る著者もいる。肯定的に捉えれば、マニアックで懐古趣味のファンはいない。より独創的/客観的な作品が期待できるのだ。
「平和の戦士は死なず」は、アニメの最終回脚本(1968)を自らノヴェライズしたもの。当時の社会背景(米ソ冷戦のただなか)を伝える貴重な新作でもある。「アプローズ、アプローズ」はいったん終わったはずのお話(『地下帝国ヨミ編』)と断絶のある続編とをシームレスに橋渡しする、「孤独の耳」「アルテミス・コーリング」は引き立て役003を主役に押し立ててジェンダーの偏りを正し、「八つの部屋」は仕組みが謎だったブラック・ゴーストのサイボーグ基地を詳細に解明、「食火炭」はコミカルな脇役006の過去を生々しく再現する(中国が文革前後で荒れていた時代)、中編の長さがある「wash」「海はどこにでも」「クーブラ・カーン」は、いまサイボーグ009を矛盾なく書くならこうなる、という換骨奪胎のサスペンスになっている。元々の主役である009は相対的に出番が少ないが、登場人物のバランスを考えればこの点はやむをえない。
どの物語も原作を丹念に読み込み、ちょっとした事件やエピソードを拾ってお話を豊かに膨らませている。丁寧さと大胆さを併せ持つところが面白い。