ベストSFをふりかえる(2013~2015)

 シミルボン転載コラムの《ベストSFをふりかえる》は今回までです。ここで取り上げた9つの作品はひと昔以上(15年~9年)前のものながら、ロングセラーとして今でも読み継がれています。時代を越える普遍性を有していたとみなせるでしょう。そこを含めての「ふりかえり」とお考えいただければ幸いです。以下本文。

2013年:酉島伝法『皆勤の徒』東京創元社
 2011年の第2回創元SF短編賞の受賞作「皆勤の徒」と2012年の受賞第1作「洞の街」に、雑誌掲載の中編、書下ろしを加えた初短篇集である。短編集ではあるものの、一貫した世界観で書かれた長編のようにも読める。第34回日本SF大賞を受賞、2015年に文庫化されている。

「皆勤の徒」(2011)海上に聳える塔のような建物で、従業員はひたすら何物か分からないものを製造し続ける。「洞の街」(2012)漏斗状に作られた洞の街では、定期的に天降りと呼ばれる生き物の雨が降る。「泥海の浮き城」(書下ろし)海に浮かぶ城、二つの城が結合する混乱の中で、祖先の遺骸とされるものが消える。「百々似隊商」(2013)何十頭にもなる百々似(ももんじ)の群れを引き連れ、交易をおこなう隊商の見たもの。

 「皆勤の徒」は、一見ブラック企業に勤めるサラリーマンを戯画化した小説のように読める(実在のモデルがあるそうだ)。しかし現実とのつながりを探そうとすると、たちまち深い迷路に彷徨いこむ。“寓意”や“風刺”といった要素とは異なる、全く異質の世界が広がっている。閨胞(けいぼう)、隷重類(れいちょうるい)、皿管(けっかんもどき)など独特の造語、著者自身が書いたイラストとも併せ、描かれる異形の生き物の不気味さがめまいを呼ぶ。

 「洞の街」は著者の敬愛する山尾悠子「夢の棲む街」のオマージュでありデフォルメでもあるもの、「泥海の浮き城」はエリック・ガルシア《鉤爪シリーズ》に似た昆虫人によるミステリ。「百々似隊商」に至ると、ノーマルな人間世界とこの世界とが対比的に描かれ、世界の成り立ちを仄めかす内容となっている。巻末の大森望による解説では、こういった酉島伝法世界をSF的に解釈する見方が詳細に述べられている。これはこれで本書を読み解く手がかりになるものの、ふつうのSFに還元できない部分にこそ本書の特徴があるのは間違いないだろう。

2014年:ダリオ・トナーニ『モンド9』シーライトパブリッシング
 この年は、映画化もされ第46回星雲賞に選ばれたウィアー『火星の人』や、第35回日本SF大賞の藤井太洋『オービタル・クラウド』が出ている。そんな中で目立たなかったが、長編初紹介となる著者ダリオ・トナーニは、1959年生まれのイタリア作家だ。本書は、2013年のイタリア賞(1972年に始まったイタリアSF大会Italconで選ばれるファン投票によるSF賞。著者はこれまで5回受賞)、及びカシオペア賞(こちらは選考委員による年間ベストのようだ)を受賞するなど非常に高い評価を得た。

 そこは世界9(モンドノーヴェ)と称される。有毒な砂に満たされた砂漠を走る巨大陸上船〈ロブレド〉から、一組の継手タイヤ〈カルダニク〉が分離し脱出するが、二人の乗組員はその中に閉じ込められる。砂漠に座礁した〈ロブレド〉に棲みついた鳥たちを狙う親子がいる。鳥たちは半ば金属と化している。〈チャタッラ〉島は遺棄された無数の船が流れ着く墓場、毒使いたちはまだ生き残っている船の命を絶ち、有用な資材を運び出そうとする。〈アフリタニア〉は交換部品となる卵を生み出す船だ。だが、金属を喰らう巨大な花が口を開き、行く手を阻んでいる。

 雑誌掲載などで、10年に渡って書かれた連作短編4作から成る長編である。“スチームパンク”とされるが、重量感のある鉄をイメージするメカが登場するものの、19世紀的なものではない。金属が非常に有機的に描かれている。金属であるのに人を消化し、逆に疫病によって人や鳥さえ金属と化していくのだ。

 現実を思わせるアナロジーや社会風刺などはなく、ひたすら想像力で世界を構築する。解説の中でバラードを思わせる(恐らく『結晶世界』のことだろう)とあるが、本書の黒々とした不吉さは著者オリジナルのものだ。

2015年:ケン・リュウ『紙の動物園』早川書房
 近年のSF翻訳書としては破格に売れ話題となった本。訳者古沢嘉通による日本オリジナル版である(註:2017年から出ている文庫版は、本書から内容が組み変えられている)。著者の短篇集はこれまで中国、フランスで先行し肝心のアメリカではまとめられていなかったが、本書と同じ表題を付けたものが2015年11月にようやく出た(収録作品は異なる)。

 ケン・リュウは1976年生まれの中国作家。11歳で家族と共に渡米、以降プログラマー、弁護士を経て2002年作家デビュー。この多彩な経歴が作品に生かされている。短編「紙の動物園」は、ヒューゴー/ネビュラ/世界幻想文学大賞の三賞を同時受賞した唯一の作品だ。また中国SF作家の紹介も多く手がけ、劉慈欣の作品《三体》がヒューゴー賞を受賞するなど、翻訳の技量にも定評がある。

 紙の動物園(2011)中国から嫁いできた母は英語を話せなかったが、折り紙の動物に命を吹き込めた。もののあはれ(2012)破局した地球から脱出した恒星船で、航行を揺るがす重大事故が発生する。月へ(2012)亡命を求める中国難民が、弁護士に語る迫害の真相とは。結縄(2011)雲南の山中、文字を持たない少数民族では、縄を結ぶことで記録が作られていた。太平洋横断海底トンネル小史(2013)日米を結ぶ海底トンネルで働く一人の抗夫の語る話。潮汐(2012)月が次第に近づく中、塔を嵩上げしながら潮汐を凌ぐ人々。選抜宇宙種族の本づくり習性(2012)宇宙に住むさまざまな種族が考える、書くことと本の在り方。心智五行(2012)遭難した脱出艇は、記録にない植民星で原始的な文明と遭遇する。どこかまったく別な場所でトナカイの大群が(2011)未来、多次元に広がった世界での両親との関係。円弧(2012)荒んだ人生を歩んだ少女は、やがて一つの出会いから不老不死の手段を手にする。波(2012)何世代も経て飛ぶ恒星間宇宙船に、断絶していた地球からのメッセージが届く。1ビットのエラー(2009)偶然が運命を決める、チャン「地獄とは神の不在なり」にインスパイアされた作品。愛のアルゴリズム(2004)自然な会話をする人形を開発した女性は、次第に精神を病んでいく。文字占い師(2010)1960年代国民党治下の台湾、文字からその意味を教えてくれた老人の運命。良い狩りを(2012)西洋文明が侵透する中国で、住処を追われた妖狐が見出した居場所とは。

 本書には、テッド・チャンの短篇との関係が言及された作品が2つある。「1ビットのエラー」と「愛のアルゴリズム」だ。後者は「ゼロで割る」の影響を受けたとある。ただ、冷徹な「理」に勝つテッド・チャンに対し、ケン・リュウは「情」に優る書き方をする。結果的に作品の印象は大きく異なる。

 例えば、表題作は中国花嫁の悲哀(日本でもあったが、事実上の人身売買だ)、「もののあはれ」は悲壮感漂う最後の日本人を描いている。類型的と見なされても仕方がない設定を、あえて情感によって昇華しているのだ。「太平洋…」の大日本帝国下の台湾人、「文字占い師」の二・二八事件(台湾在住者に対する国民党政府の弾圧事件)、「良い狩りを」の英国が統治する香港などなど、これらは史実の重みを背景に負いながら、物語を「情」に落とす装置ともなっている。

 自身が20世紀の中国を知る東洋人で、作品を総べるオリエンタリズムに違和感がないことが強みといえる。これらは、最新長編、新解釈の項羽と劉邦でもある《蒲公英王朝期》を幅広く受容してもらう際に、大きなアドバンテージとなるだろう。

(シミルボンに2016年8月16日~18日掲載)

ベストSFをふりかえる(2010~2012)

 シミルボン転載コラム、今回はベストSFの2回目です。前回と同様3年分を選んでいます。このうち1つは3部作なのですが、残念ながら現行本/電子版はありません。ただ、古書の入手性は比較的良いようです。以下本文。

 2010年:ジョー・ウォルトン《ファージング三部作》東京創元社
 ファシズム政権下に置かれた英国を描く、の歴史改変小説3部作(Small Changeシリーズと称する)である。ネビュラ賞やサイドワイズ賞(改変歴史小説が対象)などの最終候補になり、第2作『暗殺のハムレット』は2008年の英国プロメテウス賞を受賞している。著者は英国生まれ、現在はカナダのケベック州に在住。9.11(2001年)に衝撃を受け、イラク進攻(2003年)をきっかけに『英雄たちの朝』を書き上げたという。大衆を煽るデマゴーグに怒りを感じたからだ。

『英雄たちの朝』:1949年、ドイツとの戦争が講和で終わってから8年が経過していた。ロンドン近郊のハンプシャーにファージングという地所があり、英国保守党の派閥の領袖たちが集うパーティが催されていた。そこで、次期首相とも目される有力議員が殺される。スコットランドヤードの警部補は容疑者を絞り込むが、貴族院議員、爵位を持つ上流階級のはざまで真相は歪められていく。

『暗殺のハムレット』:殺人事件から1か月後、ロンドン郊外で爆発事件が起こる。しかし、死亡したベテラン女優と爆発物がなぜ結びつくのか。折しもロンドンではヒトラーを迎え、独英首脳会談が開催されようとしている。厳戒体制の下、貴族出身の主人公は男女逆転の新趣向であるハムレットのヒロインに抜擢される。

『バッキンガムの光芒』:1960年、英国がファシズム国家になって10年が過ぎた。警部補は英国版ゲシュタポの隊長となり、逮捕状なしで市民を拘束する密告・恐怖政治の先頭に立つ一方、裏でユダヤ人の国外脱出に手を貸していた。そんな混乱の中、彼が後見人となっている亡くなった部下の娘が、社交界デビューを果たそうとしていた。

 英米文化といっても、日本人の多くは単純なハリウッド映画に映る文化を知っているだけだろう。英国のような、多くの矛盾を抱えた階級社会の深層は分かっていない。本書は、改変歴史ものであると同時に、差別の色濃い旧い英国社会を描き出している。

 1巻目はユダヤ人と結婚した貴族の娘、2巻目は名家(実在した、ミットフォード姉妹がモデル)からスピンアウトした女優、3巻目は、エリザベス女王謁見まで果たした庶民階級の娘が、それぞれの視点で社会について語っている。

 ここでのポイントは、階級やユダヤ蔑視を公然と口にする登場人物が、日常生活では普通の人間という違和感だろう。ヒトラーでさえ怪物ではない。その当たり前の人間がファシズムを肯定し、強制収容所を作るのである。物語はI巻、II巻と緊密度を上げて、ただIII巻目は予定調和的に終わる。少しバランスの悪さを感じさせる結末かもしれない。

 ところで、本書の原題は英国コインの名称になっている。英国独特の12進数(ダース)単位の通貨だったファージング硬貨(4分の1ペニー、1960年廃止)、ハーフペニー硬貨(1970年にいったん廃止、同じ名称で再流通後84年で鍛造終了)、ハーフクラウン硬貨(1970年廃止)に対応する。それぞれ、地名(本書では派閥の名称でもある)、ハムレットが上演される劇場の一番安い座席、王室などバッキンガムの象徴と、2重の意味を持たせている点が面白い。

 2011年:アヴラム・デイヴィッドスン『エステルハージ博士の事件簿』河出書房新社
 翻訳されたデイヴィッドスンの短編集としては3作目となる。本書は主に1975年に発表された《架空の19世紀を描くエステルハージもの》8作品を集めたもので、1976年に世界幻想文学大賞(短編集部門)を受賞した著者の代表作でもある。2013年に亡くなった、ミステリ作家殊能将之が偏愛する作品でもあった。

「眠れる童女、ポリー・チャームズ」30年間眠り続け、見世物となっていた女の運命。「エルサレムの宝冠または、告げ口頭」帝国の権威の象徴、エルサレムの宝冠の行方を捜す博士の見たもの。「熊と暮らす老女」老女が匿う“熊”の正体と、その秘められた顛末とは。「神聖伏魔殿」複数の宗教が混在する三重帝国で、集会の許可を求めてきた“神聖伏魔殿”とは何者たちか。「イギリス人魔術師ジョージ・ペンバートン・スミス卿」霊との交信を可能とする力を持つというイギリスの魔術師。「真珠の擬母」安物故に取引が途絶えたある種の貝が、なぜ注目されるようになったのか。「人類の夢不老不死」不良品の指輪を売りつける男、しかしその材料は本物より高純度の金だった。「夢幻泡影その面差しは王に似て」ある日博士は、老王に似た男を貧民街でたびたび目撃する。

 主人公エステルハージ博士(名前自体は中欧に実在する。たとえばハンガリーの貴族エステルハージ家)は、7つの学位を有し、スキタイ=パンノニア=トランスバルカニア三重帝国の由緒ある伯爵家に産まれながら、在野の学者として名を知られている。

 19世紀末、蒸気自動車(当初、ヨーロッパではガソリン車より蒸気自動車が優勢だった)が普及しようとしてはいたが、帝国の随所には中世やイスラム時代の文化が色濃く残っている。そこで巻き起こる事件は、神秘的/怪奇的というより、(現在の我々から見れば)異質の事件といって良い。まさに「異文化」との遭遇に近い体験だ。

 本書はそういう意味で、いわゆるミステリでもなく、多くのファンタジイとも違う。トールキンでも、その物語の中に現実とのアナロジイは残していたのだが、本書に中欧オーストリア・ハンガリー二重帝国との類似点があるかといえば、おそらくほとんどないだろう。ストレンジ・フィクションとか、奇想コレクションとかの名称は、まさにデイヴィッドスンにこそ相応しい。

 2012年:小田雅久仁『本にだって雄と雌があります』新潮社
 この年は円城塔が芥川賞を獲り、伊藤計劃との合作『屍者の帝国』を出した。野尻泡介の短篇集が売れ、高野史緒の江戸川乱歩賞も話題になった。第33回日本SF大賞の宮内悠介『盤上の夜』も出ている。そんな中で、本書は2009年に第21回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した小田雅久仁による長編第2作となる。前作のやや重いトーンから一転して、本書は非常に軽快な小説だ。祖父から語り手である孫、さらにその子までの4代にわたる奇妙な伝記を、わずか700枚余りで描き上げている。

 語り手の祖父は、博識ではあるが軽薄で饒舌、大衆からも人気がありマスコミ受けする学者だった。しかし祖父には旧家に溢れる22万冊の蔵書があり、しかも詰め込まれた本たちは自ら増殖し、それらは羽を生やして、どこかに逃げ去ろうとするのだ。空飛ぶ本の正体は一体何なのか。彼らの目指す目的地はどこなのか。

 本書で書かれた真相とは少し違うが、ジョン・スラデックの短編、読まれなくなった本が飛び去ってしまう「教育用書籍の渡りに関する報告書」を思い起こさせる。大量に蓄積された本は、単なる紙束ではなくなり、独特の生命/目的を得るようになるのだ。

 そんな奇想をベースに、本書では祖父を取り巻くユニークな人物たち、売れない探偵小説家だった曾祖父、祖母は識字に難のある天才画家、祖父のライバルコレクター資産家の御曹司、冴えない政治家の伯父、放浪のシンガーである叔父等々が続々と登場する。これだけ多彩な登場人物が詰め込まれた割に、この分量でも物足りなさは感じさせないのは、優れた文章力の賜物だろう。

 さて、本書には重大な結論が書かれている。
 ――人は死んだら本になる、いや、そもそも、人の一生は「本」なのである。

(シミルボンに2016年8月13日~15日掲載)

 小田雅久仁はこの次に長編『残月記』を書き、第43回吉川英治文学新人賞、第43回日本SF大賞を受賞。『本にだって雄と雌があります』に連なる作品としては、高野史緒「本の泉 泉の本」があり、評者も「匣」を書きました。ご参考に。

高野史緒『ビブリオフォリア・ラプソディ あるいは本と本の間の旅』講談社

装画:YOUCHAN
装丁:bookwall

 『グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船』星雲賞を受賞した著者の、本にまつわる人々を描いた連作集である。既存の短編2作に書下ろし3作を加え、プロローグとエピローグで挟んでいる。各作品は「ダブルクリップ」というキーワードで結ばれている。ここでは本の校正時にゲラ刷りの束を止めるクリップを指す。ゲラはホチキス閉じができないため、超特大のクリップを使うのだ。

 ハンノキのある島で(2017)「読書法」が成立してから、出版界は活況を取り戻したかのように見えた。作家である主人公は、あるものを捜すため実家に帰る。
 バベルより遠く離れて* 主人公は翻訳者だったが、専門とする言語があまりにもマイナーで、しかも傑作とされる文学作品はおよそ翻訳不可能なものだった。
 木曜日のルリユール* 遠慮のない辛辣な書評で人気を得る評論家は、何気なく見た書店の棚刺しにありえない本があることに気がつく。
 詩人になれますように* 高校生のころ詩人になることを願った少女は、思いがけず有名人となって例外的に売れたが長くは続かなかった。もう一度、戻れないのか。
 本の泉 泉の本(2020)どことも知れない古書店の中で、SWのロボットコンビのような二人組が、希少な本を渉猟しつつ奥へ奥へと彷徨い歩く。
 *:書下ろし

 作家、翻訳家、評論家、詩人、収集家(コレクター)が、それぞれの物語の主人公である。ただ、誰もが葛藤を抱えている。「ハンノキのある島」は、読書法の下に出版物が恣意的に淘汰され、最新刊しか残らないディストピアだ(本がどんどん絶版になる現在の状況をデフォルメしたものだろう)。表題は主人公が初めて買った文庫本の著者エラリー・クィーンを意味しているが、クィーンも残されない。何が残るのが正しいのか、自分の作品はどうなのかと主人公は悩む。

 「バベルより遠く離れて」では、文化的に全く異なる言語を巡って壁に突き当たった翻訳家が、不思議なフィンランド人と知り合う中で新たな発見をする。言語の本質に迫るテーマながら、円城塔とは対照的な切り口だ。「木曜日のルリユール」では、真っ当に評価されない炎上商法で稼ぐ毒舌評論家が、批判できない意外な本と遭遇するという、異界と現実とがシームレスにつながりあう異世界もの。「詩人になれますように」では、詩人という職業でたまたま成功した主人公の、書けなくなった10年後の色褪せた現実を描く。「本の泉 泉の本」は、コレクターの日常/心情が架空の迷宮古書店を舞台に描き出される。この5作の中ではもっともファンタジイに近い設定なのに、なぜかもっともリアルに感じられる。

 すべてが本にまつわるホラーなのだと解釈することもできるだろう。悲惨さの順番でいうと、詩人<評論家<作家<翻訳家<コレクターとなる(コレクターまで行くとユートピア)。とはいえ、詩人は悲惨なようだが、(私が聞く限り)率直な意見を得るコミュニティがあり(数百人未満の)固定読者がいる。マスから個に読者層が変わる現代では、むしろ望ましい形態なのかもしれない。

 ところで、表題はビブリオフィリア(読書好き)ではなく、おそらく意図的にビブリオフォリア(スペイン語/造語? 読書狂い?)としている。

ベストSFをふりかえる(2007~2009)

 シミルボン転載コラム、今週から3回分はレビュー記事です。評者が9年間(2007年から2015年)に選んだ作品を、順次紹介していくという趣旨でした。年1作づつ、長編や中短篇集など単行本を対象としていましたが、ここでは3年分を1回にまとめています。国内外作品を問わず、ノンフィクションが入ることもありました。以下本文。

2007年:最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』新潮社
 本書は、第28回日本SF大賞、第39回星雲賞を受賞、他にもノンフィクション関連の賞を複数得るなど高い評価を受けたものだ。最相葉月は、主に科学技術やスポーツ関係の著作を得意としてきたノンフィクション・ライターである。

 星新一の父は、星製薬の創設者でもあった星一である。戦前の星製薬は、現存する製薬会社のどれよりも巨大で先進的な企業だった。アメリカ仕込みの経営、例えば全国をチェーン店で結ぶなど斬新な戦略で発展してきた。しかし、星一は典型的なワンマンであり、自分以外を信じなかった。阿片製造(戦前は合法だった)に絡む政界の一部との交流が、逆に恨みを買う要因となって訴訟・倒産につながる。この騒動は破産から立ち直った後も尾を引き、戦後のごたごたの中で星一の急死(1951)、長男親一(本名)への相続へと続いていく。

 SFとの出会いは、周り全てが悪意を持つ債権者たちの時代にあった。矢野徹や柴野拓美ら、宇宙塵とその同人たちとの出会いである。星はすべてを振り棄てて作家に転身する。SF黎明期に先頭を切ってデビューを果たしたのである(1957)。星が選んだショートショートという形式は、昭和30年代から40年代の高度成長期に伸びた企業のPR誌に最適だったこともあり、大きな需要があった。ショートショート集も売れ、流行作家の仲間に入ることになる。ただ、業界の評価は低く、読者の低年齢化が進む中、子供向けの小説とみられて文芸賞とは全く無縁だった。

 星新一は新潮文庫(1971年から)だけで累計3千万部を売ったロングセラーの作家である。小学生から読める内容なので、一度は読んでみた人も多いだろう。しかし、誰もが知っている名前でありながら、多作かつ客観的な作風であることも災いして、明瞭な印象を残さない作家だった。それが結果的に晩年の著者を不幸にする要因でもあった。ピークを過ぎ、先が見えた時に誰でも自分の存在意義を気にする。誰もが知っているが誰も憶えていない作家、まさにその点にこそ本書の焦点がある。

 星新一については、自身が書いた父親や祖父の伝記や、星製薬が解散する前後の事情もエッセイなどで断片的には知られていた。しかし、本書ではこれらの記述が、SF作家星新一デビューと有機的につなげられている。当時のSF界の記述、矢野・柴野・星の関係も正確で新しい視点がある。また、封印されてきた晩年(1983年の1001編達成以降、特にがん発症の前後)の星が何を考え何を行ってきたかが(一部推測を交えているとはいえ)明らかにされたのは初めてだろう。

2008年:クリストファー・プリースト『限りなき夏』国書刊行会
 日本オリジナルに編まれた作品集。『奇術師』クリストファー・ノーラン監督「プレステージ」(2006)として映画化されて以来、プリーストは再び注目を集めるようになった。年間ベストに顔を出すようになり、過去の埋もれた作品も再刊が進んだ。本書はその中で出たベスト版である。

 限りなき夏(1976)テムズ川に架かる橋からは、時間凍結された19世紀初頭以来の“活人画”が見渡せる。青ざめた逍遙(1979)時間を超えられる公園を巡って、大人に成長する少年が見かけた少女の正体。逃走(1966)戦争の影が忍び寄る世界、上院議員の前に少年たちの集団が立ち塞がる。リアルタイム・ワールド(1972)隔絶された宇宙基地で、情報操作により隊員たちをモニターする主人公。赤道の時(1999)赤道上空にある時間の渦の中は、目的の時間をめざして無数の航空機が旋回している。火葬(1978)異文化を持つ島の弔問に訪れた男は、人妻からあからさまな誘いを受ける。奇跡の石塚(1980)10台の頃、島の叔母の家で受けた忌避すべき思い出を追体験する主人公の葛藤。ディスチャージ(2002)3000年に渡る戦争から逃れようとする兵士の体験した群島の出来事。

 66年のデビュー作「逃走」から、主に70年代の作品を収めている。翻訳が2013年に出た《夢幻諸島(ドリーム・アーキペラゴ)シリーズ》に属する「ディスチャージ」や「赤道の時」が比較的新しいが、これはシリーズとしてまとめる際に書き下ろされたものなので、全体のバランスを崩すものではない。80年代以降の作者の活動が長編に移っていった関係で、もっとも作品数が多かった30年前に書かれたものが中心になる。

 プリーストの日本での紹介は『スペース・マシン』(1976)→78年翻訳、『ドリーム・マシン』(1977)→79年、『伝授者』(1970)→80年、『逆転世界』(1974)→83年という順番だった。当時は、『逆転世界』の設定(巨大都市が“最適線”に沿って移動する)が強烈で、ハードSF/数学SFの一種と思われていた。しかし、実際のプリーストの関心は、むしろ「リアルタイム・ワールド」に見られる“現実と幻想の相関関係”を描くことにある。改めて本書を読むことで、作者の意図が分かるようになる。

 それにしても、本書からは少し変わった印象を受ける。一つは、まるで自分の既刊本のように冷静に編集意図を述べる、プリースト自身が寄せた日本語版の序文。もう一つは、本書が安田チルドレン(安田均による海外SF紹介に影響を受けた世代を指す)の産物と説明する訳者あとがき。現実なのか虚構なのかを問う著者の作風から、本書がまるで架空のオリジナル作品集のように思えてくるから不思議だ。

2009年:長谷敏司『あなたのための物語』早川書房
 2009年は伊藤計劃の『ハーモニー』が出て第30回日本SF大賞を獲った。同じ年に出た本書は、著者の原点ともいえる作品である。テーマを深化させ、5年後に第35回日本SF大賞を『My Humanity』で得ることになる。本作品は、今年映画公開も予定されている、テッド・チャンの作品の影響下に書かれた(註:映画は2016年に「メッセージ」として公開)

 表題が『あなたのための物語 A Story for You』となってることから分かるように、本書はテッド・チャン「あなたの人生の物語 Story of Your Life」(1998)に対するある種の返歌となっている。ここで、A Story であることに注目する必要がある。つまり、“あなたのために書かれた複数の物語”の中の1つなのだ、という意味になる。

 21世紀後半の2083年。主人公は脳内に擬似神経を構築し、脳の損傷を改善できる技術によりベンチャーを成功させる。さらに彼女は、脳内の振る舞いを記述する言語ITPにより、物語を語る仮想人格《wanna be(なりたい)》を作り上げる。これで、人間の創造性さえ記述できることが証明できるのだ。しかし、成功の絶頂にいた彼女に、ある日余命半年であることが告げられる。

 神秘的な人間の創造性も、実は脳内物質の多寡に過ぎない。グレッグ・イーガンやテッド・チャンが冷厳に述べてきたその事実を、長谷敏司は一冊の長編にまで敷衍している。死が迫った主人公は、禁じられた手法を用いて自身の脳内を書き直そうとする。「あなたのため」小説を書き続ける仮想人格(wanna be=want to be)は、主人公の死に向き合った怯えや諦観を見るうちに、全く新しい反応を返すようになる。

 著者はライトノベルからスタートし、本書を書き上げるまでに、ほぼ5年を費やしている。アイデアの源泉は既存の作家に由来するが、詳細な伏線(なぜ主人公が孤独なのか)や掘り下げた知能に対する言及(なぜITPで記述された知能に感性の平板化が生じるか)など、既作品に対するアドバンテージは十分あるだろう。「あなたのための物語」とは結局なんだったのかを、最後に反芻してみるとさらに深みが増す。

(シミルボンに2016年8月10日~12日に掲載)

八潮久道『生命活動として極めて正常』KADOKAWA

装画:neni
装丁:bookwall

 著者は1985年生まれ。本書はカクヨムなどに発表した作品5編(はてなダイアリー、ブログに書かれた10年前の作品も含む)に、書下ろし2編を加えた初の作品集である。ある日KADOKAWAの編集者から打診があり…という詳細な出版経緯はこちらに書かれている。インフルエンサーでも有名人でもないと謙遜するが、ブログ記事(やしお名義)が年間総合はてなブログランキングの1位になるなど、注目を集める書き手であったことは間違いないだろう。

 バズーカ・セルミラ・ジャクショ(2016)バズーカのレーティングが突然ゼロになり、電子決済も使えない。主人公はセルミラを勧められ、ジャクショの存在を知るが。
 生命活動として極めて正常(2014)生産管理部の課長が課員を拳銃で撃ち抜く。その後、各部署に電話をかけ申請書を準備し、プロトコルに従って事務処理を進めていく。
 踊れシンデレラ(2016)継母の体育会系体罰や、義姉たちの理不尽な後輩虐めに、体育会的に応じる筋肉派シンデレラの物語。
 老ホの姫(2023)ほぼ男ばかりでロボット介護の老人ホームに新人が入居する。そこでは独特のルールがあり、中でもアイドルめいた「姫」の存在が特異だった。
 手のかかるロボほど可愛い(2021)リゾートにある戦争博物館に一人の老人が訪れる。案内係は古いAIロボットだったが、だんだんと調子がおかしくなる。
 追放されるつもりでパーティに入ったのに班長が全然追放してくれない(書下し)魔物を班(パーティ)単位の部隊が討伐、だが無能な班員を辞めさせるのは難しい。
 命はダイヤより重い(書下し)人身事故が起こっても列車を止めることは許されない。そういう鉄道会社のルールに従う主人公は、奇妙な現象に気がつく。

 少し不思議系なのかと思うと、かなり意外な方向に動く。『バズーカ・セルミラ・ジャンクショ』は、近未来ディストピアが後半「ツリー!」とかのピッピ語により、不条理な雰囲気を増幅していく。表題作は、会社にありがちな官僚的な社内規則に一点の「異常」を付け加える。『踊れシンデレラ』は、文字通りのデフォルメされた体育会系シンデレラ。「老ホの姫」は、老人ホームの老爺アイドルを巡る力関係をパワーゲーム風に描く。「手のかかるロボほど可愛い」は、戦場での老人の過去が明らかになっていく。書下ろしとなる「追放されるつもりでパーティに入ったのに班長が全然追放してくれない」は状況の説明を最小限にして、主人公の利己的なふるまいと状況に流されてしまう気弱さが描かれる。「命はダイヤより重い」は、これも一点異常ものなのだが、他の作品より社内の人間模様に焦点を当てたところが印象的だ。

 近作になるほど登場人物の行動に重点が移る。視点の混乱とか、切り詰め過ぎ/あるいは引っ張りすぎと思われる作品はあるものの、表題作に代表される異常さをシームレスに挟み込むセンス(きわめて非現実的なのにリアルさがある)は優れていて面白い。

日本SF作家クラブ編『地球へのSF』早川書房

カバーデザイン:岩郷重力+Y.S

 ハヤカワ文庫から出た日本SF作家クラブ編のオリジナル・アンソロジイは、これで4冊目となる。今回も大部だが、22作家による22短編を収めるので必然的な分厚さなのだろう。「(SF作家クラブの)60周年を機会に、もう一度我々の依って立つところを振り返り、SFの可能性を改めて検討するスタート地点として」選ばれたテーマだという(大澤会長によるまえがき)。

悠久と日常
 新城カズマ「Rose Malade, Perle Malade」漢の時代、淮南の王は新皇帝に統治の何たるかを説く書を納めようとする。そのためには宇宙の真実を知る必要があった。粕谷知世「独り歩く」コロナ禍で自宅に籠っていた主人公は、ある日近所の川を遡ってみようと考えた。そこで国木田独歩好きの国語教師を思い出す。
温暖化

 関元 聡「ワタリガラスの墓標」温暖化が進む南極は資源を巡る国家間の暗闘の中にある。主人公の研究者は、同僚の行動に不信を抱き追跡の旅に出る。琴柱 遥「フラワーガール北極へ行く」温暖化と海進で既存の国家が崩壊した未来、仕立屋の主人公に不思議な組み合わせの結婚式招待状が届く。笹原千波「夏睡」自分の出身地について、閲覧不可能な文献があるようだった。そこは睡りを伴う過酷な夏がやってくるところなのだ。津久井五月「クレオータ 時間軸上に拡張された保存則」循環する時間の上で成り立つエネルギー保存則を唱える物理学者と、その実用化を考える気候学者。
AIと
 八島游舷「テラリフォーミング」ボットに囲まれて育った少女は、プラネタリウムの中にあるメタバースで「地球再生会議」のメンバーと称する人間と出会う。柴田勝家「一万年後のお楽しみ」ゲーム「シムフューチャー」は1万年後の未来をシミュレーションする。ところがそこは氷に覆われた氷河期なのだ。
ヒトと
 櫻木みわ「誕生日(アニヴェルセル)」90歳の主人公は思い立ってアプリのボトルメールを始める。AIが選んだ相手は9歳の男の子だった。長谷川京「アネクメーネ」地磁気の変動により多くの人が方向感覚を喪失した時代、主人公に地図メーカから遺伝子特許買収の打診がある。上田早夕里「地球をめぐる祖母の回想、あるいは遺言」なぜ火星植民に応募したのか、80歳を迎える祖母が孫娘に伝えるその秘密とは。
生態系
 小川一水「持ち出し許可」川洲で見かけなくなったカエルを捜していると、なぜかオオカミが現れて話しかけてくる。しかも彼らにある取引を持ち掛けるのだ。吉上 亮「鮭はどこへ消えた?」多くの生物が絶滅した100年後の未来、鮭もその一つだ。ところが、その鮭を獲りに行こうと誘うやつがいる。春暮康一「竜は災いに棲みつく」主人公は軌道上で暴れるペイロードを宥めるのが仕事だ。地球ではマグマの中でADSが活発な活動を続けている。伊野隆之「ソイルメイカーは歩みを止めない。」乾燥化が進む地上では、森はソイルメイカーと呼ばれる巨大な生き物と共生している。
経済
 矢野アロウ「砂を渡る男」アルジェリア南東部のサハラ砂漠に、ガイドを連れた大学教授が踏み込む。砂に新たな使い道が生まれたからだった。塩崎ツトム「安息日の主」貴族に仕える美容整形外科医が、客人の令嬢を手術することになる。しかし、そこには複雑な政治と身分、儀式の問題が絡み合う。
内と外
 日高トモキチ「壺中天」汎地球数理アカデミアの年次総会で、若手物理学者が地球内部の空洞を報告する。過去の諸説や、自ら撮影した映像を表示しながら。林 譲治「我が谷は紅なりき」火星では人口が順調に増え、このままでは資源が枯渇する。そこで、今では禁星と呼ばれる海のない地球への帰還事業が開始される。空木春宵「バルトアンデルスの音楽」地下15キロから「地球の音」を取り出すという100メートルの高さの〈花〉は、人々から熱狂的に迎えられたが。菅 浩江「キング 《博物館惑星》余話」ストレスに苦しみ博物館惑星を訪れた主人公は、ロボットガイドの案内でようやく落ち着く。やがて分かるロボットの正体は。
視点
 円城 塔「独我地理学」世界の形を確かめることにより、認識のあり方を地理的に知ることができる。スファイルは平らでもあり丸くもあった。

 「地球」というテーマに規定はなく、解釈は各作家(の裁量)に委ねられている。また数作品ごとに上記のサブテーマ(悠久と日常、温暖化、AIと、ヒトと、生態系、経済、内と外、視点)が設けられているが、あまり意識する必要はないだろう(やや無理な分類だ)。壮大なネタを短い枚数にまとめるのは容易ではない。中には、シチュエーションの説明だけで終わる作品もある。もっとも、SFの場合(設定がユニークでさえあれば)スタイルとして許される。

 それぞれ特徴はあるが、八島游舷はデンソーとのSFプロトタイピングの成果物、津久井五月は堀晃の「熱の檻」(1977)を思わせ、春暮康一は宇宙的スケール感が集中随一、空木春宵は飛浩隆酉島伝法に続く異形(異音?)音楽SFである。ベテランの域にある小川一水、林譲治、マダムSFと称される菅浩江、常連の円城塔らは安定した面白さになっている。

池澤春菜『わたしは孤独な星のように』早川書房

装幀:川名潤

 初の短編集である。著者は2022年に大森望のゲンロンSF創作講座を(関係者以外には知られず?)柿村イサナ名義で受講したのだが、本書の多くはそこで提出された課題作が元になっている。

 糸は赤い、糸は白い*:マイコパシー能力を生む、キノコによる脳根菌との共生が当たり前になった。主人公は友人との関係もあって菌種の選択に悩んでいる。
 祖母の揺籠:海が陸を呑み込んだ未来、私は巨大な祖母となって海洋を漂う。育房に三十万人もの第三世代の子どもたちを抱えながら。
 あるいは脂肪でいっぱいの宇宙*:ダイエットに励む主人公は、あらゆる手立てを費やしたのに、少しも痩せないことに気がつく。どうしてなのか。
 いつか土漠に雨の降る*:チリの首都から遠く離れた、アンデス山頂にある天文施設。そこで駐在する二人の技師にはもう一匹の仲間がいた。
 Yours is the Earth and everything that❜s in it:ネットから隔絶された人々の村がある。住人は高齢者と世話をする主人公だけ。ただ、XR観光客たちが来る。
 宇宙の中心でIを叫んだワタシ*:調査にやって来た宇宙人とのファーストコンタクト、しかしコミュニケーションの手段は思いもよらないものだった。
 わたしは孤独な星のように*:シリンダー型宇宙植民星で生きる主人公は、亡くなった叔母の形見を宇宙に流すために旅をすることになる。
 *:課題作を改稿

 「糸は赤い、糸は白い」は、著者の趣味と思春期女子の仄かな恋を融合した好編。ヒューマノイド由来の非人類もの「祖母の揺籠」は、徐々に特異な設定の意味が明らかになる(「おじいちゃん」というのもあった)。文体で読ませる「あるいは脂肪でいっぱいの宇宙」と続編「宇宙の中心でIを叫んだワタシ」は、ハイテンションでポップ(古い表現ですが)な作品。「いつか土漠に雨の降る」は冒頭の小さな謎が膨らんでいくアイデアストーリー。「Yours is the Earth and everything that❜s in it」はキプリングの(日本人にはなじみが薄いが、最後まで諦めなければ夢は叶うという)詩の一節を表題にした逆転の物語。オニール型(ガンダム型)植民星の衰退しつつある内周部を旅する「わたしは孤独な星のように」は、主人公の感性に寄り添った温かさが印象的だ。チョン・ソヨンキム・チョヨプらの韓国作家を思わせる。

 もともとの発表の場はSF創作講座ほぼ一択であるが、切り口は課題によって異なっている。さまざまなスタイルを模索していたことが読み取れる。これはこれで多様性があり面白いけれど、表題作のハードな状況の中での暖かみを目指す方向か、「・・・脂肪でいっぱいの宇宙」の意表を突く文体と展開なのか、その中間の「糸は赤い・・・」なのか、もう少しテーマを絞り込んで書かれたものも読んでみたい。

日本SF作家クラブ編『SF作家はこう考える 創作世界の最前線をたずねて』社会評論社

装画:森優
装幀:VGプラスデザイン部

 『大阪/京都SFアンソロジー』などと同じく、Kaguya Books(VGプラス)発行+社会評論社販売というコンビで作られた評論・座談会・インタビュー集。日本SF作家クラブ編ではあるが、編集はKaguya Booksの井上彼方、堀川夢が担当している。本書は、昨年開かれた第61回日本SF大会で行われた3つの企画をベースに構成されている。こういう企画は(オフレコ情報もあってか)文書化されず、何を話されたかの要約すら不明というのがほとんどだ。当日の参加者でも記憶は薄れていくので、文書による記録は(媒体を問わず)もっと残すべきだろう。

〈第一部〉作家のリアルとそこで生きる術
 揚羽はな・大澤博隆・粕谷知世・櫻木みわ・十三不塔・門田充宏・藍銅ツバメ「SF作家のリアルな声」* 各作家がどのようにデビューしたのか、コンテストや出版までの状況を交えて各人が紹介する。
 大森望「SF作家になるには」SF作家になるためのさまざまな手段(コンテストからネット投稿まで)や、専業では厳しい出版界の現況などを具体的に解説する。
 門田充宏「戦略的にコンテストに参加しよう さなコンスタディーズ 2021-2023」日本SF作家クラブ主催の「小さな小説コンテスト」を分析、どのような作品が選ばれ何を注意すればよいか、特に読者の感情に訴える重要性を強調する。
〈第二部〉フィクションとの向き合い方
 宮本道人「え? 科学技術とSFって関係あるんですか? 本当に?」VRやアバターなどの最新テック用語とSFとの関係、SFプロトタイピングの意味を説明する。 
 茜灯里・安野貴博・日高トモキチ・宮本道人・麦原遼「SFと科学技術を再考する」*科学/技術関係の仕事を兼業する出席者が、科学との関わり方や小説への導入の難しさを語る。 
 津久井五月・人間六度・柳ヶ瀬舞・近藤銀河「〝社会〟の中でフィクションを書く」*SFとの出会いやSFとの関わり、仕事の仕方について個別に答える(座談会ではなく一問一答形式のインタビュー)
 近藤銀河「過去に描かれた未来 マイノリティの想像力とSFの想像力」有名なSF作品でも触れられてこなかったマイノリティ、トランスジェンダーなどの視点について説明する。
〈コラム〉小説にかかわるお仕事
 編集者(井上彼方)、翻訳者・校正者・デザイナー(堀川夢)、『WIRED』編集者小谷知也さんインタビュー(井上彼方)それぞれの実務についてどのような意義があるのかを解説したコラム。
*:2023年8月に開催された第61回日本SF大会で行われた企画の文字起こし+加筆訂正。

 第1部は、どのようにしてSF作家になったのかの座談会に、現実(大森望)と攻略法(門田充宏)を加えたもの。第2部は、原初からSFの持っていた科学技術との関係をアップデートする座談会と、SFプロトタイピングまでを含む現在の概要(宮本道人)、加えて、4人の作家のSFとの関わりを問うインタビューと、マイノリティ(特にクィア、トランスジェンダー)に対するSFの不十分さを説く論考(近藤銀河)、という構成になっている。

 この第2部は、一般でも議論されているテーマを含む。まずインテル発祥とされるSFプロトタイピングは、採用するのが大手メーカーに多いこともあり、企業に利用されているだけでは、との批判が多いようだ。もっとも、会社側は広報や社内研修の一端で考えているのであって、SFアイデアが直接お金になるとは思っていないだろう(日本の場合、相手はイーロン・マスクやザッカーバーグのような独裁的な創業経営者ではない)。SF作家の仕事として持続可能かは採用先の評価次第となる。

 もう一つはマイノリティの扱いについてである。近藤銀河は、伊藤計劃『ハーモニー』ヴァーリー「ブルー・シャンペン」タニス・リー『バイティング・ザ・サン』などを例に挙げ、男女の性差のみでトランスジェンダーに対する言及のなさが想像力の限界を示すものと批判する。少なくとも、こういう視点は新しい。執筆当時、それが可能だったかどうかは公平に判断すべきだが。

 本書には文章講座(ノウハウ)などは含まれず、初心者向けのSF入門や、名のあるベテラン作家の登場もない。そういう点でとてもリアル/シリアスな内容といえる。楽観的なSF全肯定ではなく、今の目線での問題提議をした点は注目に値するだろう。コラムでは、VGプラスのような特徴的な出版社でのスタッフのあり方が読めて面白い(大手との共通点も、もちろんある)。

近未来を見すえる確かな視点 藤井太洋

 今回のシミルボン転載コラムは藤井太洋です。コンテストでもファンダムや同人誌などの人脈でもなく、そもそも紙媒体とは異なる独自の電子書籍で登場した、まさに時代の申し子といえる作家の5年間を紹介しています。以下本文。

 1971年生。プロデビュー作は2013年の『Gene Mapper』だが、紙書籍までの経緯は少し変わっている。まず原型となる電子書籍版(-core-と記載されている私家版)が2012年7月に先行発売され、Amazon kindleストアでベストセラーとなる。これにはさまざまな媒体も注目した。そこを契機に書籍化の話が生まれ、増補改訂決定版(-full build-)の同書が生まれたのだ。当時としては珍しく、紙書籍と電子書籍がタイムラグなく同時に刊行された。震災後の2011年、情動主体で科学的な説明を蔑ろにした報道に憤りを感じたのが、同書執筆の動機になったという。

カバー:Taiyo Fujii & Rey.Hori

 主人公はフリーの Gene Mapper=遺伝子デザイナーである。著名な種苗メーカの依頼を受け、稲の新種の実験農場で、企業名のロゴを稲自身で描くという仕事を引き受ける。しかし、社運を賭けたその農場で異変が発生する。正体不明の病害で稲が変異しているというのだ。遺伝子に欠陥があるのか、自分の仕事に瑕疵があったのか。原因を探るため、彼は企業の代理人とともに、調査に協力するハッカーが住むベトナム、農場のあるカンボジアへと飛ぶ。

 徐々に拡大しつつあるものの、日本の電子書籍は、まだ紙を凌駕する規模にはない。ベストセラーでも、紙版と比べれば1ケタ販売部数が少ない。その中で本書は万に近い部数を売った。私家版でこの数字は非常に大きい。著者の公式サイトにあるインタビューを聞くと、メディアでの紹介効果が一番大きく、Googleのアドワーズ(広告ツール)を用いた独自のプロモーション効果もあったという。アドワーズでは(たとえ採算は取れないくても)効果を数値的に把握できる。著者は、もともとプログラミングが仕事で、グラフィックデザインなどのDTPもよく分かっている。電子書籍業界の実情を理解したうえで作品を作っているのだ。最初の私家版では、Kindleを含め8種類の電子書籍フォーマットで同時刊行できたのだが、これには自作スクリプトによる自動変換を用いている。

 『Gene Mapper』は、発端>近未来の世界観>登場人物の謎の過去>異変の真の原因、と進む展開がスリリングで、その設定の確からしさが印象的だ。文章に無駄がなく、冗長な表現が少ない。何より技術者らしく、データに基づいたロジカルな説明が良い。執筆スピードも速く、最初の電子書籍版を6か月(iPhoneのフリック入力で執筆)、紙版を+1か月あまりで書き上げたという(前掲インタビュー)。

 第2作の『オービタル・クラウド』(2014)では、世界を舞台にした近未来サスペンスという著者の持ち味が明確になる。

 第35回日本SF大賞、第46回星雲賞日本長編部門受賞作。デビュー作『Gene Mapper』が比較的地味な設定で書かれたお話だったのに対し、本書は舞台が一気に世界全域(東京、テヘラン、セーシェル、シアトル、デンバー、宇宙)にスケールアップされたことが特徴だ。テクノスリラーという惹句にある通り、物語のスコープは直近のロケット工学と、現在考えられうるIT技術の範囲に収まる。また、表題「軌道をめぐる雲」には、複数の意味が込められているようだ。

 2020年末、民間宇宙船による初の有人宇宙旅行が行われている裏で、奇妙な現象が報告される。それはイランが打ち上げ、軌道を周回するロケットの“2段目”が、自律的に軌道を変えるというありえない現象だ。流星の情報を流すウェブ・ニュース主催者、天才的プログラマ、サンタ追跡作戦中のNORADの軍曹、CIAの捜査官、情報が隔絶された中で苦闘するイランのロケット工学者……世界に散在する彼らは、やがて1つの事件に巻き込まれていく。そして、ネットを自在に操る事件の首謀者が浮かび上がってくる。

 直近の未来なので、国際政治の情勢は今現在と大きく変わらない。イラン、北朝鮮と悪役の顔ぶれも同じだ。ただし、本書は国家と国家の争いを描いているわけではない。民間宇宙船のベンチャー起業家と娘、直観力に優れた小さなネットニュースのオーナー、廉価なラズベリー(組み込みプロセッサを載せた小型ボード)で並列システムを組む女性ハッカー、宇宙に憧れるインドネシア人ら米軍関係者、現象を発見するアマチュアの資産家、中韓国語を自在に操る凄腕のJAXA職員、巧妙にITを駆使する工作員などなど、ほぼ全員が極めて個人的動機で行動を決めている。そういった個性/個人が、衝突/合従し合うドラマなのだ。宇宙人とのコンタクトの夢は、まだまだ叶いそうにないが、ここでは巨大システム=国家抜きで、目の前の“近い宇宙”に挑もうとする実現可能な夢が描かれている。

 『アンダーグラウンド・マーケット』(2015)は、アングラ=裏社会に流通する仮想通貨を巡る物語である。小説トリッパー2012年12月掲載作を大幅に書き直し、前日譚を書き加え単行本化したものだ。

 東京オリンピックを2年後に控えた2018年の東京、不足する労働力を補うために大規模な移民政策が実施され、アジア各地からの移民が多数暮らすようになった。一方、高額な税が課せられる表社会を避けて、政府が制御できない仮想通貨とその流通を保証する決済システムが構築される。主人公たちは、収入も仕事も仮想通貨に関わる、アンダーグラウンドのITエンジニアなのだ。そこには、システムを利用しようとするさまざまな人々が登場する。

 アジア移民が溢れる日本の近未来社会で、仮想通貨による裏の経済システムが息づく様が描かれる。わずか数年後にそこまで変わるかという疑問はあるものの、ITだけで成り立つ仕組みなら考えられるだろう。そもそも現代は、1年後すら見通せない不透明な時代なのだ。雑誌掲載版と比べると、いくつかの前提を設けながら登場人物や移民社会の背景が丁寧に加筆されており、物語の説得力が増している。藤井太洋は(近未来をテーマとする関係もあり)社会情勢の変化に応じて作品をダイナミックに書き換えることもいとわない。アングラ=犯罪/悪とネガティブに捉えるのではなく、新しい可能性として描いた点が面白い。

カバー:粟津潔

 しかし、その才能はITやテクノスリラーだけではない。例えばテーマアンソロジイ『NOVA+屍者たちの帝国』(2015)で、「従卒トム」という作品を寄せているが、南北戦争で活躍した奴隷上がりの黒人兵トムが、ゾンビを操る屍兵遣いとして幕末日本の江戸攻め傭兵となる……という、思わず読みたくなる巧みな設定で書いている。さまざまなテーマに対応できる柔軟な書き手なのだ。

 2015年から日本SF作家クラブ会長に就任、英会話が堪能で、積極的に海外のSF大会(アメリカや中国)に参加し、作家同士の交流や、自作を含む日本のSF作品をアピールするなど世界視点で活動している。

(シミルボンに2017年2月13日掲載)

 その後も藤井太洋は『公正的戦闘規範』(2017)『ハロー・ワールド』(2018)『東京の子』(2019)『ワン・モア・ヌーク』(2020)など、矢継ぎ早に話題作を発表しています。最近でも、奄美大島のIRを舞台にした『第二開国』(2022)や、高校生たちがVRを駆って世界に挑む『オーグメンテッド・スカイ』(2023)など、時代を反映する作品が目を惹きます。

門田充宏『ウィンズテイル・テイルズ 時不知の魔女と刻印の子』集英社

カバーデザイン:須田杏菜
イラストレーション:syo5

 門田充宏による新シリーズの一作目、続刊(『封印の繭と運命の標』)もまもなく出る。版元の紹介文に《ウィンズテイル》シリーズとあるので、さらに続いていくのだろう。同じ集英社のラノベレーベル(ダッシュエックス文庫/オレンジ文庫)ではなく、一般向けの文庫で出版されているのがポイントだ。

 世界の大都市の中心部に黒錐門(こくすいもん)と呼ばれるゲートが出現する。そこから現れた〈徘徊者〉は、建物や人間の情報すべてを奪い取り〈石英〉に変化させてしまう。人類は抵抗するものの、120年にも渡る戦争により文明は大きく衰退し人口も激減する。ウィンズテイルは、そんな黒錐門の一つがある〈石英の森〉に面した辺境の町だった。

 主人公は町守(徘徊者の侵入を防ぐ役割)見習いに就いたばかりの少年だ。町には、外観は子どもなのに120歳を超える時不知(ときしらず)の魔女がいた。魔女には異界紋=刻印があり、実は少年のうなじにもある。何らかの能力の徴なのだが、発現するまでそれが何かは分からない。そして、離れた都市から車椅子の少女が訪れたことで、町の状況は大きく変わっていく。

 初期宮崎アニメの「未来少年コナン」とか「天空の城ラピュタ」のような、少年と少女の冒険譚を思わせる(これは解説で大森望が指摘しているとおりだろう)。登場人物の性格(内省的で過度の激情に駆られない)や行動(過剰なバトル/暴力に振り回されない)にしても、物語の展開(ファンタジーながらロジカルな設定に基づく)にしても、昨今のラノベとは異なりトラディショナルなスタイルである。とても由緒正しい少年少女もの=ジュヴナイルなので、こういう小説を求めていた読者には待望の一冊だろう。

 さてしかし、本書はシリーズのプロローグにあたる。黒錐門の正体や刻印の謎の解明はこれから、少年と少女の関係は果たしてどうなる、という期待をはらみながら次巻に続く。