ベストSFをふりかえる(2007~2009)

 シミルボン転載コラム、今週から3回分はレビュー記事です。評者が9年間(2007年から2015年)に選んだ作品を、順次紹介していくという趣旨でした。年1作づつ、長編や中短篇集など単行本を対象としていましたが、ここでは3年分を1回にまとめています。国内外作品を問わず、ノンフィクションが入ることもありました。以下本文。

2007年:最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』新潮社
 本書は、第28回日本SF大賞、第39回星雲賞を受賞、他にもノンフィクション関連の賞を複数得るなど高い評価を受けたものだ。最相葉月は、主に科学技術やスポーツ関係の著作を得意としてきたノンフィクション・ライターである。

 星新一の父は、星製薬の創設者でもあった星一である。戦前の星製薬は、現存する製薬会社のどれよりも巨大で先進的な企業だった。アメリカ仕込みの経営、例えば全国をチェーン店で結ぶなど斬新な戦略で発展してきた。しかし、星一は典型的なワンマンであり、自分以外を信じなかった。阿片製造(戦前は合法だった)に絡む政界の一部との交流が、逆に恨みを買う要因となって訴訟・倒産につながる。この騒動は破産から立ち直った後も尾を引き、戦後のごたごたの中で星一の急死(1951)、長男親一(本名)への相続へと続いていく。

 SFとの出会いは、周り全てが悪意を持つ債権者たちの時代にあった。矢野徹や柴野拓美ら、宇宙塵とその同人たちとの出会いである。星はすべてを振り棄てて作家に転身する。SF黎明期に先頭を切ってデビューを果たしたのである(1957)。星が選んだショートショートという形式は、昭和30年代から40年代の高度成長期に伸びた企業のPR誌に最適だったこともあり、大きな需要があった。ショートショート集も売れ、流行作家の仲間に入ることになる。ただ、業界の評価は低く、読者の低年齢化が進む中、子供向けの小説とみられて文芸賞とは全く無縁だった。

 星新一は新潮文庫(1971年から)だけで累計3千万部を売ったロングセラーの作家である。小学生から読める内容なので、一度は読んでみた人も多いだろう。しかし、誰もが知っている名前でありながら、多作かつ客観的な作風であることも災いして、明瞭な印象を残さない作家だった。それが結果的に晩年の著者を不幸にする要因でもあった。ピークを過ぎ、先が見えた時に誰でも自分の存在意義を気にする。誰もが知っているが誰も憶えていない作家、まさにその点にこそ本書の焦点がある。

 星新一については、自身が書いた父親や祖父の伝記や、星製薬が解散する前後の事情もエッセイなどで断片的には知られていた。しかし、本書ではこれらの記述が、SF作家星新一デビューと有機的につなげられている。当時のSF界の記述、矢野・柴野・星の関係も正確で新しい視点がある。また、封印されてきた晩年(1983年の1001編達成以降、特にがん発症の前後)の星が何を考え何を行ってきたかが(一部推測を交えているとはいえ)明らかにされたのは初めてだろう。

2008年:クリストファー・プリースト『限りなき夏』国書刊行会
 日本オリジナルに編まれた作品集。『奇術師』クリストファー・ノーラン監督「プレステージ」(2006)として映画化されて以来、プリーストは再び注目を集めるようになった。年間ベストに顔を出すようになり、過去の埋もれた作品も再刊が進んだ。本書はその中で出たベスト版である。

 限りなき夏(1976)テムズ川に架かる橋からは、時間凍結された19世紀初頭以来の“活人画”が見渡せる。青ざめた逍遙(1979)時間を超えられる公園を巡って、大人に成長する少年が見かけた少女の正体。逃走(1966)戦争の影が忍び寄る世界、上院議員の前に少年たちの集団が立ち塞がる。リアルタイム・ワールド(1972)隔絶された宇宙基地で、情報操作により隊員たちをモニターする主人公。赤道の時(1999)赤道上空にある時間の渦の中は、目的の時間をめざして無数の航空機が旋回している。火葬(1978)異文化を持つ島の弔問に訪れた男は、人妻からあからさまな誘いを受ける。奇跡の石塚(1980)10台の頃、島の叔母の家で受けた忌避すべき思い出を追体験する主人公の葛藤。ディスチャージ(2002)3000年に渡る戦争から逃れようとする兵士の体験した群島の出来事。

 66年のデビュー作「逃走」から、主に70年代の作品を収めている。翻訳が2013年に出た《夢幻諸島(ドリーム・アーキペラゴ)シリーズ》に属する「ディスチャージ」や「赤道の時」が比較的新しいが、これはシリーズとしてまとめる際に書き下ろされたものなので、全体のバランスを崩すものではない。80年代以降の作者の活動が長編に移っていった関係で、もっとも作品数が多かった30年前に書かれたものが中心になる。

 プリーストの日本での紹介は『スペース・マシン』(1976)→78年翻訳、『ドリーム・マシン』(1977)→79年、『伝授者』(1970)→80年、『逆転世界』(1974)→83年という順番だった。当時は、『逆転世界』の設定(巨大都市が“最適線”に沿って移動する)が強烈で、ハードSF/数学SFの一種と思われていた。しかし、実際のプリーストの関心は、むしろ「リアルタイム・ワールド」に見られる“現実と幻想の相関関係”を描くことにある。改めて本書を読むことで、作者の意図が分かるようになる。

 それにしても、本書からは少し変わった印象を受ける。一つは、まるで自分の既刊本のように冷静に編集意図を述べる、プリースト自身が寄せた日本語版の序文。もう一つは、本書が安田チルドレン(安田均による海外SF紹介に影響を受けた世代を指す)の産物と説明する訳者あとがき。現実なのか虚構なのかを問う著者の作風から、本書がまるで架空のオリジナル作品集のように思えてくるから不思議だ。

2009年:長谷敏司『あなたのための物語』早川書房
 2009年は伊藤計劃の『ハーモニー』が出て第30回日本SF大賞を獲った。同じ年に出た本書は、著者の原点ともいえる作品である。テーマを深化させ、5年後に第35回日本SF大賞を『My Humanity』で得ることになる。本作品は、今年映画公開も予定されている、テッド・チャンの作品の影響下に書かれた(註:映画は2016年に「メッセージ」として公開)

 表題が『あなたのための物語 A Story for You』となってることから分かるように、本書はテッド・チャン「あなたの人生の物語 Story of Your Life」(1998)に対するある種の返歌となっている。ここで、A Story であることに注目する必要がある。つまり、“あなたのために書かれた複数の物語”の中の1つなのだ、という意味になる。

 21世紀後半の2083年。主人公は脳内に擬似神経を構築し、脳の損傷を改善できる技術によりベンチャーを成功させる。さらに彼女は、脳内の振る舞いを記述する言語ITPにより、物語を語る仮想人格《wanna be(なりたい)》を作り上げる。これで、人間の創造性さえ記述できることが証明できるのだ。しかし、成功の絶頂にいた彼女に、ある日余命半年であることが告げられる。

 神秘的な人間の創造性も、実は脳内物質の多寡に過ぎない。グレッグ・イーガンやテッド・チャンが冷厳に述べてきたその事実を、長谷敏司は一冊の長編にまで敷衍している。死が迫った主人公は、禁じられた手法を用いて自身の脳内を書き直そうとする。「あなたのため」小説を書き続ける仮想人格(wanna be=want to be)は、主人公の死に向き合った怯えや諦観を見るうちに、全く新しい反応を返すようになる。

 著者はライトノベルからスタートし、本書を書き上げるまでに、ほぼ5年を費やしている。アイデアの源泉は既存の作家に由来するが、詳細な伏線(なぜ主人公が孤独なのか)や掘り下げた知能に対する言及(なぜITPで記述された知能に感性の平板化が生じるか)など、既作品に対するアドバンテージは十分あるだろう。「あなたのための物語」とは結局なんだったのかを、最後に反芻してみるとさらに深みが増す。

(シミルボンに2016年8月10日~12日に掲載)

豊かな経験から大河ドラマの覇者へ ジョージ・R・R・マーティン

 シミルボン転載コラムです。ベストセラーから大ヒットドラマを産み出したマーチンですが、デビュー当時からホラー寄り・スーパーヒーロー寄りなどの顔を持っていました。そういう初期の作品を含めて紹介しています。ただ、絶版本が多く古いものは電子版もないので、コラムだけでは十分ではありません。本文中にある過去のレビューへのリンクを参考にしてください。以下本文。

 1948年生。現時点でマーティンといえば、ベストセラー《氷と炎の歌》=エミー賞の最多受賞作品でもあるHBOのTVドラマ《ゲーム・オブ・スローンズ》の原作者・脚本家・製作者なので、それ以外の作品はよく知らない人も多いだろう。1971年にプロデビュー、当初は主にSFを書いていた。ヴォンダ・マッキンタイア、ジョン・ヴァーリイ、先ごろ亡くなったエド・ブライアントらとLDG(レイバー・デイ・グループ)の同世代になる。

 初期作を集めた短編集『サンドキングズ』(1981)では、表題作がヒューゴー賞、ネビュラ賞を受賞するなど高評価を得る。また、コミックが大好きで、日本でも第3部まで翻訳されたスーパーヒーローものの共作《ワイルド・カード》(1986-)の編纂や、ジャック・ヴァンス『宇宙探偵マグナス・リドルフ』へのオマージュでもある《タフの方舟》(1986)、ミシシッピ川を航行する蒸気船を舞台にした、吸血鬼ホラー『フィーヴァードリーム』(1982)も書いた。ホラーについては、日本で編まれた短編集『洋梨形の男』(2009)にエッセンスが収録されている。

 電子書籍でも入手可能なSFとなると、初長編『星の光、いまは遠く』(1977)だろう。

 辺境の放浪惑星ワーローン。銀河を巡る長大な軌道から、太陽に接近し居住に適する期間はわずか10年余り。しかし、その10年のために惑星規模の改造が行われ、外縁星域に散在するさまざまな文明が競い合うフェスティバルが開催された。宴も終わり、再び暗黒の外宇宙へと離れていく惑星に、1人の男が降り立つ。やがて、遺されたさまざまなパビリオンの廃墟を舞台に、かつての恋人を巡って、野蛮な習俗を復活させようとする一派との争いが生まれるのだ。

 主人公は優柔不断な文明人、対するは、決闘や人間を狩る伝統を有するハンターの一族。描かれる“宴の後”の世界は、冬の訪れ=滅びの色を湛えながら、華麗にしてエキゾチックである。一族の法に苦しむ豪胆な男たち、次第に彼らの考えに惹かれていく主人公、行動派で妥協しない女性と、登場人物は4半世紀後に書かれる《氷と炎の歌》を思わせる。ベストセラー作家となった作者の、その後を知っているから楽しめるとも言えるが、そういった余分な情報抜きでも面白い。特に中盤を過ぎ、後半に向かってのドライブ感、終盤に至っての意外な収束が読みどころ。

 さて、本命の《氷と炎の歌》シリーズは20年間にわたって書き継がれ、全7巻(各巻が2000枚から3000枚に相当する長さ)を予定するが、いまだ完結していない長大な作品だ。堅牢な世界構築が、このシリーズの魅力だろう。ファンタジイに科学的な説明は要求されないが、世界の成り立ちに矛盾があってよいわけではない。舞台となる大陸のありさま、8千年前(さらに4千年前のできごと)にさかのぼる伝説、七王国の由来と神話、宗教、各王家の人々とその性格など、世界を形作る体系=システムの緻密さ、矛盾のなさが重要なのだ。

 第1部『七王国の玉座』(1996)不規則な夏と冬との季節を持ち、中世ヨーロッパを思わせる異世界が舞台。ドラゴンを旗印に300年続いたターガリエン王朝が倒されて15年、不安定な均衡状態にあった王国に暗雲が立ち込める。新王ロバートは酒におぼれ、放蕩を尽くして王国を傾ける。新規に王の片腕に任命されたスターク家は、王の后を戴くラニスター家と軋轢を深め、他の貴族(7つの名家)を巻き込み、ついに内戦の危機を迎える。冬の到来と共に甦る、はるか北辺の不気味な伝説。そして、海の彼方の騎馬民族から、ドラゴン王の血を引くものが生まれようとしていた。

 第2部『王狼たちの戦旗』(1999)ロバート王亡き後、王都を押さえるラニスター家(摂政を務める后と長男、后の弟)に対して、ロバート王のバラシオン家次男と三男、王とともに殺された北の王スタークの長男は、互いに覇権をめぐって戦いを繰り広げる。戦いの混乱の中で、狼とともに育った幼いスターク家の兄弟姉妹たちにも、さまざまな困難、破壊と暴力/死が立ちふさがる。やがて、首都攻防の大会戦が陸海で勃発する。

 第3部『剣嵐の大地』(2000)七王国の玉座を賭けた決戦は、湾を埋めつくした大船団の壊滅で終わる。タイレル家との婚姻による同盟により、ラニスター家の権力は頂点を極める。七王国の統治は事実上ラニスター家のものとなった。しかし、北辺では、伝説の〈異形〉におびえる野人たちが、壁を破壊する勢いで押し寄せ、フレイ家への謝罪のため赴いた北の王は、恐ろしい血の歓待を受ける。

 第4部『乱鴉の饗宴』(2005)前巻が出てから5年後の刊行。北の王の死、結婚披露宴での毒殺、暗殺と、七王国全土に血塗られた闇が被さりつつある。ラニスター家の当主亡き後、玉座の実権は王母サーセイ摂政太后が握る。評議会を自らの取り巻きで固めたサーセイは、しだいに臣民の信頼を失っていく。太后は最愛の弟すら身辺から退け戦場へと追い払う。

 第5部『竜との舞踏』(2011)は、さらに6年後の刊行。物語は第4部と並行して進むため、第3部の直後の時代から始まる。デナーリス女王は、3頭の巨竜を従えたターガリエン王家の正統な後継者だったが、内乱や外部の敵対勢力に苦しめられる。竜たちは巨大化し、王女でさえ抑えきれなくなってきた。そのころ、女王デナーリスが七王国へ帰還する手助けをして、自陣営に引き入れようとする勢力が現れる。一方、北を封じる〈壁〉にある黒の城では、総帥ジョンが新しい施策を打ち出し、〈壁〉を死守しようとしていた。

 権謀術数の戦国時代絵巻は、全編を通じて繰り広げられる。しかし、その一方で、“冬”の到来とともに、魔法の力がしだいに増してくる。ばら戦争時代のヨーロッパ、北欧のヴァイキング、あるいは古代ギリシャなど史実を織り交ぜた七王国はリアルに、中央アジアを思わせる騎馬民族の国や、蘇るドラゴンの存在、南方の中国風の大都市は幻想/魔術的と、多彩に描き分けられる。極北からは伝説であるはずの魔法や魔物〈異形〉が七王国を侵食してくる。この物語には、マーティンが親しんできた物語や歴史、SFやホラー、コミック的要素が万遍なく込められている。加えて、脚本家時代の経験や、《ワイルド・カード》などで多数の作家と共作してきた経験も生きているようだ。

 2011年についにTVシリーズがスタートし、原作が5部までなのに、2016年時点で第6シーズン(各シーズン10話)まで進んでしまっている。原作を追い越したわけだが、一応マーティンの監修のもとにオリジナルのストーリーはなぞられているようだ。ドラマと、今後出る小説とで大きな矛盾が生じることは(おそらく)ないだろう。

(シミルボンに2017年2月22日掲載)

 この後、LDGの盟友マッキンタイアも亡くなり、ドラマ《ゲーム・オヴ・スローンズ》は第8シーズンで完結しました。一方、本編の原作は追い付かないまま今に至ります。その代わり(なのかどうなのか)、ドラマ《ハウス・オブ・ザ・ドラゴン》となった前日譚《炎と血》『七王国の騎士』が出ていますね。2019年になって翻訳された初期のSF傑作選『ナイトフライヤー』も入手可能です。

おもちゃがあふれる書斎、永遠の子ども レイ・ブラッドベリ

 今回のシミルボン転載コラムはブラッドベリです。アメリカではもはや国民作家、日本でもSFが一般化する前から紹介され(SFマガジン創刊以前、江戸川乱歩編集の旧宝石誌に翻訳されました)、新刊(新訳や新版)が途切れないロングセラーの作家ですね。最近では『猫のパジャマ』が新装版となって再刊されました。

 ブラッドベリは2012年、誕生日の2か月前に91歳で亡くなった。同世代である英米SF第1世代の作家たち、アイザック・アシモフ(1920~92)、アーサー・C・クラーク(1917~2008)、ロバート・A・ハインライン(1907~88)、親友だったフォレスト・J・アッカーマン(1916~2008)らが次々と世を去る中で、脳梗塞を患うなど苦しみながらも最後まで文筆活動を続けた。ブラッドベリは、2004年にナショナル・メダル・オブ・アーツ(米国政府が選定する文化功労賞、大統領から直接授与される)を得たアメリカの国民作家でもある。

 サム・ウェラーによる伝記『ブラッドベリ年代記』(2005)に詳しいが、レイ・ブラッドベリはアメリカの典型的な田舎町である、シカゴにほど近いイリノイ州ウォーキガンに生まれる。この街こそ、無数の作品の原風景/メタファーを育んだところだ(墓地、おおきな湖、怪しい魔術師、ただ広い平原、巡回するカーニバル、屋台のアイスクリーム)。大恐慌下、定職が得られなかったブラッドベリ家は貧く、一家は仕事を求めてアリゾナ、そしてロサンゼルスへ転々とする。ハイスクールに入ると本格的な創作意欲に駆られ、週に1作の短編を書くようになる。これは生涯の日課になった。大学には行かず、図書館を情報インプットの場に使う一方、街頭で新聞を売って生計を立てた。アッカーマンらSFファンたちの仲間にも恵まれ、最初の短編がパルプ雑誌に売れたのが1941年、一般誌にも載るようになる。ラジオドラマ向けの台本も書いた。

 1950年『火星年代記』、翌年『刺青の男』が出ると、多くの読者からの注目を浴びる。1953年、当時の赤狩りと検閲を批判した『華氏451度』を出版、これは30年間に450万部が売れるロングセラーに成長する。そのころ、敬愛する監督ジョン・ヒューストンから映画『白鯨』の脚本執筆依頼を受ける(92年に書かれた自伝的長編『緑の影、白い鯨』に詳しい)。ブラッドベリのイメージを決定づけたホラーテイストのファンタジイ『10月はたそがれの国』が55年、『たんぽぽのお酒』が57年、ロッド・サーリングに反感を抱きながらも有名なTVシリーズ《トワイライト・ゾーン》の脚本に協力、62年にはニューヨーク万博(1964-65)アメリカ館のプログラム脚本作成と、その地位を確立していく。

 この『火星年代記』『華氏451度』が代表作とされる。ブラッドベリが本書を書いた当時、もう火星に運河があり火星人がいると信じる人は少なかった。ここに描き出された火星は、ブラッドベリが育ったアメリカ中西部のメタファー、幻想的な再現でもある。本書は1997年に著者自ら改訂した新版。

 『刺青の男』は全身を刺青で埋めた男が語る、刺青一つ一つにまつわる物語。「草原」「万華鏡」などを含む、SFテイストが強い初期の傑作短編集である。なお、現行本で新装版とあるものは(一部の修正を除けば)翻訳は昔からのバージョンと同じもの、新訳版は翻訳者も変わった文字通りの新版になる。

 『華氏451度』は文字で書かれた書物が一切禁止され、ファイアマン(本来なら消防士)の職務が本を燃やすことになったディストピア世界を描く。1966年フランソワ・トリュフォー監督によって映画化もされた作品。ブラッドベリの作品は何度も映画化されているが、この作品は時代を越えて残っている。

 初期作では『メランコリイの妙薬』もある。本書は1950年代末期に出た代表的な短編集。有名な作品「イカルス・モンゴルフィエ・ライト」や「すべての夏をこの一日に」などが含まれている。

 もっと新しいものとしてなら『瞬きよりも速く』が、1990年代の作品を収めた作品集だ。後期のブラッドベリは作風こそ円熟するが、書いた内容自体は初期から育んできたテーマを踏襲している。上記作品と読み比べれば、その変化を楽しむことができる。

 他でも、ブラッドベリを敬愛する萩尾望都によるコミック集『ウは宇宙船のウ』は、同題の原作短編集(創元SF文庫)にとらわれず「みずうみ」「ぼくの地下室においで」など8作品をえらび、忠実にコミック化したものだ。

 こうして改めてブラッドベリの生涯を振りかえってみると、30歳代半ばで映画『白鯨』(1956)の脚本を書くなど、早い時期からジャンルSF以外で大きな実績を上げていたことが分かる。それで直ちに裕福になれたわけではないが、安い原稿料に苦しんでいたSF専業作家たちとは一線を画していた。ラジオ、映画、万博、演劇と手がけるありさまは、マスメディアが急拡大した戦後の日本で、小松左京や筒井康隆らが体験したことを先取りしているかのようだ。著作はアメリカの青少年に広く読まれ、後の宇宙開発、コミックや映画など文化創造を促すきっかけになった。

 インタビュー集『ブラッドベリ、自作を語る』(2010)のなかで、ブラッドベリは、生まれた瞬間を覚えている! 3、5歳で見た映画の鮮明な記憶がある、サーカスの魔術師との出会いは忘れない、などとなかば真剣に語っている。

 映画全盛期のハリウッドで、スターたちを追いかけた少年時代。特定の信仰は持たず、あらゆる宗教に興味をいだいた。マッカーシズムやベトナム戦争に反対し、政治家に肩入れしたこともある。ただ、保守派のレーガンを支持するなど、固定的な政治信条は持たない。結婚は1度きり、2度の浮気体験もある、しかし即物的なセックスを好むわけではない。深く考えるより、まず行動してから考える。未来の予言者と言われるが、自分の書くSFほど非科学的なものはない。62歳まで飛行機に乗らず、車も運転しない。もちろんPCは持っておらず、脳卒中で倒れてからは、遠方の娘との電話での口述筆記に頼る。

 SF作家の部屋は、一般の作家と特に変わらない場合が多い。資料関係の本や、関係する文芸書の種類くらいの違いで、内容に意味はあっても見た目に大差はない。しかしブラッドベリは違う。部屋にさまざまなおもちゃが溢れているのだ。ティラノサウルスや、ノーチラス号、得体のしれない怪物やファンタスティックな絵画などなど。大人になっても、おもちゃ屋に強く惹かれ、おもちゃのプレゼントが最高だという。誰の心の奥底にも生き続ける、子供の心を表現する根源的な作家。まさにその点で、ブラッドベリは世界の人々から愛されたのだ。

(シミルボンに2017年2月20日掲載)

 アメリカの第1世代作家となると、日本の第1世代よりさらに10~20年遡ることになります。生きていれば100歳超ですが、さすがにもはや歴史となっています。そんな中で、今でも親しまれている作家は数少ない。ブラッドベリは稀有な存在と言えますね。

ジョナサン・ストラーン編『シリコンバレーのドローン海賊 人新世SF傑作選』東京創元社

Tomorrow`s Parties: Life in the Anthropocene,2022(中原尚哉・他訳)

装画:加藤直之
装幀:岩郷重力+W.I

 MITプレスから出た、人が自然に著しい影響を及ぼした年代を指す「人新世」(正規の地質年代としては未承認)を冠したアンソロジーである。大学の出版部門から出た本らしく、すべての作品は近未来の社会環境問題を扱っており、エンタメ系商業出版物とはやや趣が異なる。原題はギブスンのこの作品や、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのこの名曲に由来するという。

 メグ・エリソン「シリコンバレーのドローン海賊」富裕層に属する少年は、配送ドローンのルートを分析し荷物を奪い取ろうとする。彼にとってはゲームのようなものだった。
 テイド・トンプソン「エグザイル・パークのどん底暮らし」ラゴス沖に浮かぶプラスチックゴミの島、そこに呼び出された主人公は異形の存在と出合う。
 ダリル・グレゴリイ「未来のある日、西部で」山火事が迫るカリフォルニアで、行方不明の患者を捜す医師、食肉を運ぶカウボーイ、スキャンダル映像に色めく投機師たち。
 グレッグ・イーガン「クライシス・アクターズ」気候変動陰謀論を唱える過激派組織から、主人公はサイクロン緊急対策のポランティアへの潜入を指示される。
 サラ・ゲイリー「潮のさすとき」海底牧場で働く主人公は、海中で自由に動ける身体改造に憧れるが、それには多額の費用が必要だった。
 ジャスティナ・ロブソン「お月さまをきみに」パンデミック後の海の浄化を仕事とする主人公は、息子のヴァイキング船に乗る夢を叶えてやろうとする。
 陳楸帆「菌の歌」中国の奥地にある隔絶した村、そこを国中をつなぐネットワークに参加させようとするチームは、常識とは異なる自然法則を知る。
 マルカ・オールダー「〈軍団(レギオン)〉」ノーベル平和賞を受賞した団体=レギオンにネット番組がインタビューするが、司会者の思惑通りに話は進まない。
 サード・Z・フセイン「渡し守」死が貧しさの象徴となった近未来、主人公は誰からも蔑まれる死体回収の仕事に就いている。
 ジェイムズ・ブラッドレー「嵐のあと」海進が進むオーストラリアで祖母と暮らす少女は、長い間会っていない父からメッセージを受ける。
 「資本主義よりも科学──キム・スタンリー・ロビンスンは希望が必須と考えている」ブラッドレーによるインタビュー記事。

 顔ぶれは(英語で書かれた範囲ではあるが)グローバルだ。編者ストラーン、イーガン、ブラッドレーはオーストラリア、テイド・トンプソンは英国在住のナイジェリア作家、陳楸帆は中国、サード・Z・フセインはバングラデシュの作家、それ以外の5人がアメリカ人である。

 流通独占企業や富裕層と貧困層の格差、プラスチック海洋汚染、大規模な森林火災、気候変動に対する陰謀論、テック企業と奴隷的に支配される社員、パンデミック後の社会、電子的なネットと自然環境、逆説的に個人が管理する監視カメラ、アンチエイジングや不死と貧困、海面上昇と気候変動、これらは単なるキーワードではない。極めつけは『未来省』を書いたキム・スタンリー・ロビンスンとの対話である。本書のテーマの意味が明らかになる。

 こういうテーマアンソロジーも、SFプロトタイピングの一種だろう。ここでSFは、編者が述べているように「わたしたちが生きている世界をよりよく理解するために、明日というレンズを通して今日の問題を見ている」のだ。

ハードにしてソフト、人の本質を突く作家 グレッグ・イーガン

 今回のシミルボン転載コラムはイーガンです。海外のSF作家、それも英米圏ならテッド・チャンとグレッグ・イーガンは日本での人気の双璧といえます。多くの翻訳作品がありますが、ほとんどは現行本か電子書籍で読めるというロングセラー作家でもあります。以下本文。

 1961年生。オーストラリアの作家。ポートレートを一切公開せず、イベントやサイン会にも参加しない覆面作家として知られる。理論的なバックグラウンドを備えた本格的なハードSFを書く作家で、英米よりも日本での評価が高いのが特徴だ。母国オーストラリアのディトマー賞で辞退騒ぎがあった2000年以降(ノミネート自体を拒否している)は、日本の星雲賞(長編部門で2回、短編部門で4回)での受賞回数が際立っている。

カバー:小阪淳

 『祈りの海』(2000)は編訳者山岸真による、日本オリジナルの短編集である。この本が出る前は、長編『宇宙消失』(1992)や、仮想環境下でシミュレートされる生命を描いた『順列都市』(1994)で注目されてはいたが、まだコアなSFファン内部にとどまっていた。イーガンの魅力を存分に伝えた本書が、一般読者を含む幅広い人気を生み出すきっかけになったのだ。

 1日ごとに違う自分だったら。可愛いが人とは認められない赤ん坊がいたら。不死を約束する意識のコピーを持てたら。あるいは、未来から送られてくる日記があったら。誘拐されたのが自分の感性だとしたら。人類の祖先はアダムなのかイヴなのかが分かったら。そして、神々と逢える海(ヒューゴー賞、ローカス賞、星雲賞を受賞した「祈りの海」)の正体を知った主人公はどう行動したのか。人間の根源である意識や思考は、単なる物理・化学変化が生み出す錯覚にすぎないのかもしれない。こういったアイデアの数々は、読者に衝撃を与えた。

カバー:Rey.Hori

 短編集『しあわせの理由』(2003)では、星雲賞をとった表題作で、不治の病に冒され死につつある少年が描かれる。不幸なはずの少年は幸せだった。何もかもが肯定的、あらゆるものが楽天的に感じられるからだ。彼の脳内で育ちつつある癌が、ある種のエンドルフィンを分泌する。それが人に究極の幸福感を与えてくれる。本書のどの作品もシニカルだ。派手な盛り上げはない。たんたんと物語が流れていく。デジタル化され、化学物質で感情が左右されると、逆に人間の本質があらわになる。最愛の夫を宿せと言われた妻を描く「適切な愛」や、この「しあわせの理由」で顕著に現れるのが、肉体や感情のコントロールこそ、純化された人間そのものというメッセージだ。電脳やナノテクは非人間的という、一般的なパターンをはるかに超越した考え方だろう。

カバー:L.O.S.164

 『万物理論』(1995)は、2005年の星雲賞受賞長編である。21世紀半ば、遺伝子情報は大企業が寡占している。さまざまな遺伝子操作の可能性は奇怪な事件や人物を生み出していた。そんな生命を弄ぶ取材に疲れた主人公は、物理学会で画期的な理論の発表がされることを知る。「万物理論」は宇宙創造を説明し、物理の根本を説明できるという。

 本書のキモは、やはり「驚くべき結末」を構成する奇想アイデアであり、いかにも本当らしい理論的説明にある。誤解を避けるため、反科学の立場は本書で否定的に描かれているが、アイデア自体は疑似科学を思わせる。それをトンデモ説ではなく、客観的な立脚点で描ききったところがSF作家イーガンの際立つ才能といえる。

カバー:小阪淳

 2006年の星雲賞受賞作『ディアスポラ』(1997)は本格宇宙SFである。30世紀、人類は少数の肉体で生きる人々を除いて、大多数がソフトウェアによる電脳者だけになり、彼らは情報を集積する唯一のハードウェアであるポリスで生活している。ある日、文明を支えていた予測理論では予見できない宇宙的異変が起こり、地球環境が破壊されてしまう。このままでは、彼ら自身のポリスの未来も不確かなままだ。真理(新しい法則/理論)を求めるべく、1千もの宇宙船が宇宙に散開(Diasporaの意味)する。しかし、そこで彼らの目にしたものは、ありうるべき理論をはるかに超える未知の存在だった。

 本書のように、文字通り次元を超えた大変移は、既存のどんな作品でも書かれたことがない。宇宙SFというより宇宙論SFなので、イーガン流の重厚な世界を正面から楽しむつもりで読むべき作品だ。もちろん「宇宙物理SF」を読むのに宇宙物理の素養は必要ない。

 ハードSFはやっぱり苦手という人には、同じ山岸真編のTAP』(2008)という作品集もある。ちょっと不思議系作品が選ばれている。本書の中では、実験室で人知れず実験動物を使って培養されるもの「悪魔の移住」や、偶然大金を手にした夫婦が、生まれてくる子供に最高の遺伝子を持たせようとする「ユージーン」の結末が、いかにもイーガン風の皮肉で面白い。

カバー:小阪淳

 長編『ゼンデギ』(2010)は宇宙ではなく、近過去(2012)と近未来(2027)のイランを舞台にした作品。そこで流行しているVRゲーム(ゼンデギ)をからめて、イーガン得意の人間意識の電子化を描く異色作だ。

 『ゼンデギ』(2010)の次に書いたのが、《直交3部作》(2011-2013)である。しかし、これに手をつける前に、『白熱光』(2008)をまず読んでみることをお勧めする。

 ハブと呼ばれる中心を巡る軌道の上に、その世界〈スプリンター〉はある。異星人である主人公は、理論家の老人と知り合い、さまざまな実験と観測の結果、ついに世界の秘密を説く鍵を見つけ出す。一方、150万年後の未来、銀河ネットワークに広がった人類の子孫は、銀河中心(バルジ)から届いた1つのメッセージを頼りに、別種の文明が支配するその領域に踏み込もうとしていた。

 物語は、時間軸の異なる2つの系統から作られている。六本脚の異星人が孤立した星の中で、独自に物理法則を発見していく物語と、生物由来/電子由来の区別がなくなった超未来の人類が、銀河中心に旅する物語である。後者は、最終的に前者との結びつきを発見することになる。種明かしにも関係するが、本書の舞台はブラックホール/中性子星という、超重力の近傍世界だ(それ自体ではない)。

 何しろ、理論物理学の教科書を読まないとわからないことが、数式なしで書かれている。シミュレーションすることで初めて見えるような物理現象が、ビジュアルに書かれている(つまり、明確な根拠を持っている)。著者自身その詳細を、数式で解説している。そもそも書かれた世界ではニュートン力学ではなく、相対論的効果の下での力学が働いているのだ(われわれも厳密にいえば相対論的効果の下にあるが、その効果を日常で感じることはない)。翻訳版では解説に謎の答えのヒントがあるし、物理的な背景も(なんとなく)分かるので、比較的読みやすいだろう。

カバー:Rey.Hori

 次に『クロックワーク・ロケット』を始めとする《直交三部作》(2011-2013)がある。ここでいう直交 Orthogonal とは、本書の場合、主人公たちの宇宙と直角に交叉する直交星群を指す。原著が3年かかって出たのに対し、翻訳は1年以内に3部作を刊行しようとしている。これまでイーガンを一手に引き受けていた山岸真に加え、中村融を共訳者に据えた強力な布陣(前半後半を分担し、全体調整は山岸真)が注目される。

 別の物理法則が支配する宇宙、主人公は旧態依然の田舎から逃げ出し都会で学者の道を選ぶ。やがて、夜空に走る星の光跡から回転物理学を発表、世界的な権威となる。一方、大気と衝突する疾走星がしだいに数を増し、破滅の危機が叫ばれるようになる。主人公らは、巨大な山自体をロケットとして打ち上げ、そのロケットの産み出す時間により世界を救うことができるのではないかと考える。ロケットを時間軸に対して垂直になるまで加速すると、母星の時間は止まり、無限の時間的余裕が生まれるのだ。

 主人公は人間ではない。前後2つづつの目を持ち、手足は自在に変形できる。腹部に記号や図形を描き出し、それが重要なコミュニケーション手段となる。性は男女あるが、女は男女2組の子供を産む(この男女が双と呼ばれ、通常なら生殖のペアとなる)。主人公は単独に生まれた女で、出産を抑制する薬を飲む。人類とかけ離れた生態ながら、主人公らは人間的に感情移入しやすく描かれる。人という接点がなければ、小説として成立しなくなるからだ。

 『白熱光』は特殊な環境の星を舞台にしていたが、そうはいっても同じ相対論宇宙での出来事だった。本書は違う。根本的な物理法則が異なっており、相対性理論は回転物理学と呼ばれている。なぜなら、時間経過を示す方程式で、時間の二乗が距離割る光速の二乗で「引かれる」のではなく「足される」からである。そのあたりの理論的解説は、例によって著者のHPで詳細に書かれている(が、それを読んで直ちに理解できる人は少ないと思う)。巻末にある板倉充洋による解説の方が分かりやすい。

 本書は、ありえない世界の一端を物理現象として見せてくれる。物理法則は世界の在り方を記述する。しかし、そこを書き換えた結果、何が起こるのかをすべて予測するのは難しい。著者自身述べているように、全く異なる世界をシミュレーションするには、無限大の知見が必要になるからだ。その隙間こそ、小説が埋めるべきものだろう。前例がないわけではない。レムは架空書評集の形で書いたし、小松左京は「こういう宇宙」でその雰囲気を描いて見せた。

 ところで、なぜクロックワーク・ロケットなのか。この宇宙では原理的に電子制御ができず、ロケットは機械仕掛けのみで動くこと。もう一つ、時間と空間が完全に等価であり、光速による制限がない=光速を越えられる=タイムトラベルが自在=時を動かす装置、等の連想もできるだろう。

カバー:Rey.Hori

『エターナル・フレイム』(2012)は、《直交3部作》の2作目にあたる作品である。母星から直交方向に飛ぶ巨大な宇宙船〈孤絶〉内部では、すでに数世代の時が流れている。故郷を救う方法は未だ得られず、帰還に要するエネルギーも不足する。しかし、接近する直交星群の1つ〈物体〉を探査した結果、意外な事実が判明する。一方、乏しい食料と人口抑制の切り札として、彼らの生理作用を変える実験も続けられていた。

 前作では直交宇宙における相対性理論=回転物理学と、その理論を解明する主人公たちが描かれていた。今回は量子論である。解説で書かれているように、20世紀から21世紀にかけての量子力学の成果が、形を変えて直交宇宙で再演されている。光が波なのか粒子なのか、といったおなじみの議論もなされるが、当然我々の宇宙と同じにはならない。物理学上の大発見と並行して起こるのが、ジェンダーの差による宿命を揺るがす生物実験だ。それは、宇宙船内を巻き込む大事件へと広がっていく。物理学の再発見という静的な物語の中で、これだけは感情に左右される問題だろう。ある意味、とてもイーガン的なアイデアなので、インパクトを与えるものとなっている。

カバー:Rey.Hori

 さらに『アロウズ・オブ・タイム』(2013)は3部作の完結編である。アロウズ・オブ・タイムとは“時の矢”のこと。時間には流れる方向があり、それは矢が飛ぶ様子になぞらえられる。放たれた矢は一方向に飛び、逆転してもどってくることはない。しかし、時間と空間が完全に等価なこの宇宙ではありうる。たとえば、未来からのメッセージを過去の時点で受け取ることが可能なのだ。片道に6世代を費やしてまで母星の危機を解決しようとした〈孤絶〉内部では、帰還への旅の過程で、メッセージの受け取りと意思決定を巡って深刻な対立が巻き起こる。

 この3部作は、相対性理論・量子力学・時間遡行までを扱う究極のハードSFなのだが、意外にも軽快に読めてしまう。設定は重厚でも、お話は変にひねっていないので読みやすいのだ。別の宇宙の物理を組み立て(著者のホームページにはさらに詳しい設定資料があるが、物理が平気な人以外にはお勧めできない)、ノーベル賞級の発見(相当)をこれだけコンパクトにまとめた、イーガンの手腕には改めて驚かされる。

(シミルボンに2016年8月31日、及び2017年2月24日掲載したものを編集)

 この記事の後も、イーガンは長編『シルトの梯子』(2001)や、星雲賞を受賞した「不気味の谷」を含む作品集『ビット・プレイヤー』(2019)などが翻訳され、2020年には文藝夏季号で特集が組まれるなど、ジャンルを超えた幅広い人気を維持しています。

ケヴィン・ブロックマイヤー『いろいろな幽霊』東京創元社

The Ghost Variations: One Hundred Stories,2020(市田泉訳)

装丁:岩郷重力+W.I
イラスト:Kelly Blair

 ケヴィン・ブロックマイヤーの掌編集。著者の作品ついては、2012年に翻訳された『第七階層からの眺め』以来12年ぶり(正確には11年半)となる。アメリカでも10年ほど新著が出ていなかったので、紹介が遅れたせいばかりではない。過去にスリップストリームとかスプロール・フィクションとされた作風は、今日のSF・純文小説ではむしろ主流になってきた。本書は全部で11の章に分かれていて、それぞれに6~13編の掌編(2ページ前後で多少ばらつきあり)計100編が収められている。

 幽霊と記憶(6つの掌編)法律事務所に捉えられた幽霊、進路指導カウンセラーが見た幽霊、夢の中こそ現実と思う男、請願書に署名を求められた男、周りの誰からも助けてもらえる女、人生のあらゆる昨日を再訪する男。
 幽霊と運命(7つの掌編)ヒッチハイカーはみんな死神、願い事を待つ精霊、幽霊出没ゲームの遊び方、運命のバランスが完全にとれている男、方向音痴の幽霊は道に迷う、幽霊が取り憑く生者が減り死者が増えすぎる、突如ステージに案内された女。
 幽霊と自然(10の掌編)ゾウたちに録音の声を聞かせる、白馬の行方を相談されたペット霊媒師、人は二種類の動物からできている、ミツバチのようでミツバチでないもの、木を風景を損なう邪魔ものと考える男、家が木々の幽霊に満ちていると考えた男、幽霊の雨が降り幽霊の実がなる、人生のリズムと芝刈り機のリズム、大統領令により各家庭に砂場が供給される、岩の上で争い合う二人の部長。
 幽霊と時間(8つの掌編)左右の虹彩の色が違う少年、温和な中年男が来世から請求書を受け取る、特定の1分間が死亡する、2方向に向かって年をとる男、時計でいっぱいの国に住む幽霊、生まれる何世紀も前に幽霊になる、夏のあとに秋が来てまた夏が来る、少女が好むのはややこしくないタイムトラベル。
 幽霊と思弁(9つの掌編)動き続けるファンタズムと動かない仇敵スタチュー、巨人で幽霊で魔術師でもある一人の男、宇宙船が到着したとき地球には幽霊しかいない、転送された人は新たな魂を得るのか、宇宙崩壊後には宇宙の幽霊たちだけがいる、宇宙論プリズムは思わぬ発明につながる、男/女らしさを発現する装置、混雑緩和のため新たな来世が建造される、第115連隊の兵士たちは弾丸がスローモーションで飛ぶところを見る。
 幽霊と視覚(9つの掌編)名をなした監督は「見られない」映画を撮る、すべての人が同じ顔に見える、美術愛好家が色覚異常補正眼鏡を入手する、たいていの2歳児とは違う意味で扱いにくい子供、赤の他人の写真を壁紙にする男がいた、村の掟では人影以外の影に入ってはいけなかった、幽霊になりたい少年、男は死ぬとき青をいっしょに連れていくと言う、死後の世界はほぼ空っぽに近かった。
 幽霊とその他の感覚(10の掌編)手で触れずにはいられない像を制作する彫刻家、二流の才人を目指したウィーンの作曲家、世界から歌が尽きてしまった、幽霊はふだん音を立てない、彼が亡くなりやがて匂いも死ぬ、家はいつもより豊かな気がする、紳士は物質的半身と精神的半身からなる、幽霊が幼児の体に閉じ込められる、歯に食べかすが挟まっている幽霊、5人の無関心が住んでいる。
 幽霊と信仰(7つの掌編)死の国は南西に位置する、理論的聖書研究センターの異常派と尋常派、不動産屋が語る教会の様子、このおれはとりわけ運が悪い、幽霊ではないと露見し来世から追放された男、最後の審判が起こったあと、ため込みすぎた罪人の魂を少額硬貨として浪費する悪魔。
 幽霊と愛と友情(13の掌編)少年の体から幽霊が逃げ出す、男はようやく自分が幽霊になったと認めた、独身男は射精したものが幽霊になっていると気づく、朝夕2時間鏡を見つめる女、中年夫婦の気まぐれの奥底にある回転式改札口、恋する男女の思いは懲罰か慰めか、関係が終わったとき友人たちは間一髪で良かったという、ガールフレンドの死を知った男は約束を思い出す、男を忘れようと別の男を探す女、女の夫は優しく魅力的だが心を持っていない、次々結婚する男は誰とも長続きしなかった、死後の世界は学校とそっくりだった、あるとき「あなたの靴が好き」というメッセージが現れる。
 幽霊と家族(11の掌編)男の住む国は幽霊でいっぱいだった、宇宙秩序の混乱で赤ん坊ではなく幽霊が生まれるようになる、その遊びは「見えない、さわれない」というものだった、臆病な少年は勇敢な少年の幽霊兄弟なのだ、人間は生み出す努力をしないと魂を持てない、自分が死んだのに家族は気がつかない、母親から能力を引き継いだ霊能者がいた、男はできるだけ父親と違う人間になろうとする、信仰心の乏しい若者が祈りを捧げる、他人の死を願った男が先に死ぬ、鰐にかまれて死んだ男の幽霊は二つに分かれる。
 幽霊と言葉と数(10の掌編)おしゃべりをする3羽のインコを飼う男、あらゆることが婉曲表現となる村、幽霊が出没する中華料理店、アルファベット27番目の文字が見つかる、既視感を表現する言語とは、会話ができないと悟った騒霊の得たチャンス、隣通しの少年と少女は糸電話で友達となる、揺りかごから数のカウントを聞いてきた少年、神は空想上の存在と現実の存在とのバランスに悩む、かつて書かれた中でもっとも恐ろしい幽霊譚。

 本書の巻末にはテーマ(「幽霊と動物」「幽霊と植物」などなど)ごとの索引が掲げられており、そこに含まれる掌編が列記されている。キーワードは50あるので、そういう順序で読み直すこともできる。さらに全作品の解題(のようなもの)まであって、内容をいくつかの短い単語で要約している(といっても詳細はわからない)。実用的というより、これも作品の一部なのである。

 本書の掌編では、怪談や怪奇現象だけが語られるわけではない。トラディショナルな幽霊譚もあれば、人間/魂と一体化した分身の物語もあったりする。人間の中に潜む欲望とか感情は、理性に対する本能=霊魂に属するともいえる。人だけでなく動植物が魂の乗り物/空き部屋だとすれば、さまざまな生と死の物語も幽霊譚になるだろう。少年少女たちの夢や成長の物語、ちょっとおしゃれな都市伝説風や哲学的なお話もある。それぞれクセのある物語の中には、スペキュラティブなSFもあって多様に楽しめる。

ジリアン・マカリスター『ロング・プレイス、ロング・タイム』小学館

Wrong Place Wrong Time,2022(梅津かおり訳)

カバーイラスト:最上さちこ
カバーデザイン:大野リサ

 著者は1985年生まれの英国作家。本書はリース・ウィザースプーンによるブッククラブに選ばれたことでベストセラーとなった話題の本である。家族を主役にしたファミリー・サスペンスドラマだが、タイムループ的な設定が重要な役割を果たす。表題の「ロング」はlongではなくwrong、運悪く(悪いことに)巻き込まれるの意だが、それと主人公の気まぐれなタイムスリップ現象を掛けているようだ。

 主人公は亡くなった父親の事務所を引き継いだ離婚専門の弁護士、夫は寡黙な自営内装業者で、高校卒業間際の一人息子がいる。ところが、深夜に帰宅した息子は、自宅の前で誰かともみ合いになり相手を刺し殺してしまう。何があったのか。凶器のナイフは息子の持ち物か、殺された男は何者か。主人公にはどちらも全く思い至らない。

 そこから、家族の隠された秘密が明らかになっていく。本のプロモーション文の範囲で書くが、事件の翌日から(一日が終わるたびに)主人公は過去に遡っていく。しかも、最近の映画(2分という極端なものまで)や小説(例えばこれ)に描かれた一定時間のループではなく、その起点が過去に数日、数週間とずれていくのだ。つまり、タイムループというよりタイムスリップなのである。詳細は読んでいただくとして、なるほど時間ものは犯行の原因・動機を探る倒叙型ミステリのプロットと相性が良い。サスペンスを高める効果も十分にある。

 過去に戻ることで、主人公は自身の生き方に疑問を抱くようになる。事務所を切り回すため、あまり家庭を顧みなかったからだ。最愛の家族だと思っていたのだが、息子にどんな友人関係があるのか、そもそも夫が何をしてきたのか(本人が話さないとはいえ)どんな出自なのかも知らない。時を隔て(自身が若かったころの)はるかな過去に隠された真相とは。

 ところで、本書には主人公とは別にもう一人の主役がいる。そのエピソードの時間が、どう本編に関わってくるのかが物語の読みどころだろう。

セコイア・ナガマツ『闇の中をどこまで高く』東京創元社

How high we go in the Dark,2022(金子浩訳)

装画:最上さちこ
装丁:岩郷重力+W.I

 著者は1982年生まれの日系アメリカ人作家。この長編は、2022年から始まったアーシュラ・K・ル=グィン賞特別賞受賞作(最終候補)である。「希望の根拠を突き詰め、今の生き方に代わる選択肢を見出す」imaginative fictionを対象とする賞という。ル=グィンの名を冠するに相応しいかも考慮されるようだ。ちなみに、この年の正賞はケニアの女性作家カディジャ・アブダラ・バジャベルに贈られた。

 温暖化が進むシベリアで永久凍土が緩み、三万年前の洞窟が露出する。そこでミイラ化した少女が発見される。だが同時に見つかった未知のウィルスの中に、臓器の機能をでたらめにするという恐ろしいパンデミックの源も混じっていた。その病は、やがて北極病と呼ばれるようになり、まず子どもを中心に蔓延する。

 たくさんの断章から物語は構成される。閉塞的なシベリアの発掘調査基地、子どもを安楽死に至らせるパーク「笑いの街」、死の間際でネット空間を漂う少年の意識、治療法を研究する中で知能が目覚めた(ように見える)実験動物の豚、巨大な葬儀会社の死別コーディネータが住むエレジー(哀歌)ホテル、サポートもない古いロボドッグを弔う修理屋、さらにはマイクロ・ブラックホール技術から生まれた亜光速宇宙船USSヤマト(ヤマトは人名に由来)による恒星間移民の物語までスケールアップする。

 調査中の事故で亡くなった娘とその父親、パークで働く男は兄と折り合いが悪く母の介護からも逃れ、科学者は息子の治療を巡って妻と疎遠になる。病を軸とした父と子、母と子や夫婦、兄弟姉妹のさまざまな葛藤が描かれる。多くの登場人物は日系で人種的な軋轢もある。移民のルーツとなる母国日本は、東京のインターネットカフェや新宿スラム、海進で水没した新潟(一時期住んでいた)などが、アジア的な家族の象徴として登場する。その視点は著者の体験に由来するのだろう。どれもが家族の物語である。パンデミックは本書のテーマではない。極限にまで追い込まれた家族が主題なのだ。

 作者の好みなのか、80年代ミュージック、スタートレックやスターウォーズ、セーラームーン、ソニーのAiboなど、クラシックなガジェットがお話しの中に見え隠れする。USSヤマトはその延長線上にあるものだ。ル=グィン的ではないが、超越者の存在まで匂わす大胆さがある。また「紫水晶のペンダント」が冒頭と結末を結ぶなど、人物だけではなく小道具の伏線にも配慮が行き届いた作品といえる。

ラヴィ・ティドハー『ロボットの夢の都市』東京創元社

NEOM,2022(茂木健訳)

装画:緒賀岳志
装幀:岩郷重力+W.I

 原題のネオム=NEOMとは、サウジアラビア北西部の砂漠で建設途上にある実験都市の名称だ。高さ500メートルのビルが一直線に170キロも続くなど、誇大妄想的なヴィジョンからネットでも話題になった。今後どうなるかはともかく、単なるペーパープランではなく、もう着手されているというのがミソ。本書では、夢の都市ネオムが完成してからさらに数百年後が舞台である。

 老母を養うためエッセンシャルワークに就く女は、パートタイムで花を売っているとき、一本のバラを買う古びたロボットと出会う。遠い宇宙から帰ってきたというロボットは、かつては恐ろしい戦争兵器だった。家族を失った少年は、掘り出したレアものの遺物を売ろうとしている。そのため、交易する隊商団=キャラバンと合流しネオムに向かう。

 人語を話すジャッカル、墜落した宇宙船、さまざまな由来を持つロボットたち。物語は架空の固有名詞を無数にちりばめて読者を幻惑する。説明抜きで、エキゾチック感のあるターム(実在するアラブの風俗、ロボトニック、ナル・スーツ、バッパーズ、テラー・アーティスト、ノード、シドロフ・エンブリオメック、アザーズ、UXOなどなど)が連なる。

 帯に「どこか懐かしい」とあるが、AIではなく人間的なロボットもの、かつコードウェイナー・スミスの《人類補完機構》を思わせるスタイルだからだろう。作者もあとがきで、大きな影響を受けたと記している。スミスの未来史は予見的でもないし、そもそも全く科学的ではない。予想外の驚きがあって、既存のリアルとどこも似ていない。本書もまたおとぎ話のような未来世界を、短いエピソードと印象に残るキャラにより紡ぎ出している。

 この設定は、もともとは短編による連作だった独自の未来史《コンティニュイティー・ユニバース》に基づいている。今のところ、Central Station (2016)と本書だけが長編のようだ。短編群はほぼ未訳ながら、巻末に20ページにも及ぶ用語集が載っているのでとりあえず雰囲気はうかがえる。しかし、注釈に構わず謎のまま読んだ方がむしろ楽しめるかもしれない。

 著者はイスラエル生まれで現在英国に在住している。本国から離れ英語で執筆しているが、作品の中でユダヤは常に意識されている。本書に登場する、ユダヤ・パレスチナ連邦(イスラエル、パレスチナ自治区とヨルダンを含む)にも、平和共存の意図があるのだろう。昨今の状況ではそれが「力による現状変更」以外で実現する可能性は遠のいた。けれど、ユダヤとパレスチナが共存可能な未来だけは、夢物語で終わらせてはいけない。

デイヴィッド・ウェリントン『妄想感染体(上下)』早川書房

PARADISE-1,2023(中原尚哉訳)

カバーデザイン:岩郷重力+A.T

 昨年『最後の宇宙飛行士』が好評だった著者の最新長編である。前作と同様ホラー味の濃い作品となっている。一見パンデミックもののようで、実はもっと観念的な病(バジリスクと呼ばれる)が描かれた作品だ。

 防衛警察の警部補は、通信が途絶した植民惑星パラダイス-1の調査を命じられる。宇宙船には民間パイロットと医師、AI(姿を自在に変えられる)がチームとして同乗する。だが、目的地の軌道上には無数の宇宙船がすでに周回しており、警部補らの活動を妨害しようとする。いったい何が起こっているのか。

 防衛警察の前局長は強権を振るう独裁者だった。警部補はその娘で、現在の局長とは折り合いが悪い。母親は引退し、パラダイス-1で快適な生活を送っているはずだった。医師はタイタンで起こったパンデミック唯一の生き残りである。生存理由は不明ながら、何らかの免疫を持っているらしい。パラダイスでは同じ病が蔓延しているようなのだ。

 見るだけで感染する伝染性の言葉、人を狂気に駆り立てる観念といえば、伊藤計劃『虐殺器官』が有名だ。それほどの大テーマではないが、本書は登場人物の個人的な記憶(タイタン壊滅に起因するPTSDとか、警部補の家庭内での精神的抑圧とか)という部分で、今日の問題に(いくらかは)つながっている。

 謝辞によると、本書のプロットやキャラクタは出版社(オービットUK)内のグループで創案されたようだ。果てしなく続くどんでん返し=危機また危機の連続は、一貫性よりも意外性に重点が置かれている。チームワークでアイデアを出し合った結果だろう(ネット系シリアルドラマ風でもある)。

 念のために書いておくと、本書は三部作の第1部(1巻目)にあたる。第2部(今夏刊行予定)の翻訳が出るのは早くても年明けになると思われる。軌道上の何百隻もの宇宙船、閉鎖された惑星上の住民の行方など、謎は残されたままだ。

 しかし、本書を読んで思い出すのは、宇宙を光よりも早く伝播する呪詛通信を描く田中啓文の「銀河を駆ける呪詛」。どちらもグロさが際立つホラーという共通点がありますね。