ジーン・ウルフ『書架の探偵、貸出中』早川書房

Interlibrary Loan,2020(大谷真弓訳)

カバーイラスト:青井秋
カバーデザイン:川名潤

 ジーン・ウルフは2019年4月に亡くなっており、本書は没後に遺作長編として出た『書架の探偵』(2015)の続編である。昏い雰囲気の100年後の未来を舞台に、とうに亡くなったミステリ作家が、図書館収蔵のリクローン(複製体=クローンなのだが「本」扱いなので人権がない)となって、利用者に貸し出されるという設定だ。今年のハヤカワSFコンテスト受賞作『標本作家』を、さらにデフォルメしたものと思えばよい。本書では図書館間相互貸借(原題の意味)によって、地方図書館に送られた主人公のミステリ作家が、事件の解決を図るというもの。

 海辺の小さな町にある図書館に送られた作家は、そこで一人の少女に貸し出される。少女は邸宅に住んでいるが、母親は精神的に不安定であり、何年も行方不明の解剖学者の父親を捜しているらしい。手がかりとして、館には「解剖用遺体の島」の地図が残されていた。

 本書には多くの登場人物が出てくる。少女、母親、マッドサイエンティスト風の父親、リクローンの同僚である料理研究家やロマンス作家、そして冒険家など(ほとんどが女性)がいて複雑に絡み合う。さて、問題なのは本書が未完成であることだろう。全部で22章からなるものの結末には至らない。また途中3分の2を越えた以降は内容の矛盾(これまでにないSF的設定が出てくる)が目立ち、推敲以前の草稿だと推察できる(同じような作品に『山猫サリーの歌』がある)。

 とはいえ、本書がウルフの書いたものとなると、重なり合った謎や読者を騙そうとする仕掛けの一部ではないかと疑うこともできるだろう。あるいは、著者の創作作法として、まずあらゆる可能性・意外性を描き出してから、矛盾が読者に見えないように巧妙に隠蔽するのかもしれない。としても、まだこれは手前の段階なのだ。最後まで読めないのは残念ながら、作家の舞台裏をいろいろ想像できて面白い。

キム・スタンリー・ロビンスン『未来省』パーソナルメディア

The Ministry for the Future,2020(瀬尾具美子訳、山田純 科学・経済監修)

Designed by SD2

 キム・スタンリー・ロビンスンが3年前に発表した、106の章から成る1500枚余(2段組み600頁)に及ぶ長編である。バラク・オバマが2020年のベストに選びビル・ゲイツが推奨したことでも話題になった。ただ、解説で坂村健(翻訳出版を推した)が触れている通り、日本では注目されず棚上げ状態だった。理系+文系の両方を理解するセンスが要求される小説であり、ジャンルSF以外で受け入れる読者が少ない=商業的に難しいと思われたからだという。

 ごく近未来のインドで大熱波が発生、地域の大規模停電と重なって2000万人もの犠牲者を伴う惨事が起こる。インドではそれを契機に既存の政治勢力は力を失い、全く新しい超党派の環境派政権が誕生、その対極に炭素排出を暴力で阻止しようとする過激派も現れる。一方、国連では気候変動に取り組む新たな組織「未来省」が活動を開始する。

 物語は大熱波を生き残ったPTSDに苦しむ男と、未来省のリーダーである女を主人公に、世界の人々や事件を点描しながら進んでいく。未来省の置かれたスイスのチューリヒ(著者は一時期滞在していた)や、アルプスの光景が印象的だ。南極を含む世界各地と、さまざまな人々の活動も含まれる。中高年の男と女は、ある事件を契機に知り合うものの恋人同士とはならない。しかし、距離を置きながら終生惹かれあう。

 本書の中では、炭素増加に伴う環境破壊、貧富の格差(南北間、国家間、国内、組織内)克服、民主主義のあり方、新自由主義の弊害、MMTやモンドラゴン、炭素税(ペナルティ)とカーボンコイン(インセンティブ)などが論じられる。既存の政治経済システムだけでは破局的な環境問題に対処できないと主張する。もちろん、書かれている内容すべてが正しいとは言えない。さまざまな意見が出てくるだろう。けれど、それこそが著者の意図することでもある。スルーではなく、反論でもよいから考えるべきなのだ。またコロナ、ウクライナ前に書かれた本書の現在の立ち位置については、ロビンスン自身がこの講演(2023年4月)で語っている。

 本書以前の最新翻訳は、6年前の《火星三部作》完結編『ブルー・マーズ』(1996)になるが、もっと新しい『2312太陽系動乱』(2012)が2014年に先行翻訳されている。こちらも、政治経済システムについての刺激的な提案を含む意欲作だった。

ジェフリー・フォード『最後の三角形』東京創元社

The Last Triangle and Oyher Stories,2023(谷垣暁美訳)

装画:浅野信二
装丁:柳川貴代

 2018年末に出た『言葉人形』に続く、谷垣暁美による日本オリジナルの傑作選である。今回は主にSFやミステリなど、ジャンル小説分野の作品から14編を選んだという。著者はもともとSF系媒体に作品発表をしてきており、例えば「アイスクリーム帝国」は原著がオンラインのSci Fiction(2005年終刊)に、翻訳がSFマガジンに(ネビュラ賞ノヴェレット部門受賞作として)掲載されているので、違和感のない選定といえるだろう。

 アイスクリーム帝国(2003)匂いが音に変わり感触は声になった。生まれつき「共感覚」を持っていた主人公は、ある日同じ能力の女性と知り合う。
 マルシュージアンのゾンビ(2003)研究休暇中の大学教授は、自宅の前で元心理学者だと称する老人と出会う。その男は娘に自筆のゾンビの絵を贈ってくれる。
 トレンティーノさんの息子(2000)ロングアイランド湾で貝を獲る漁民たちの間で、不吉なうわさが広がる。海で行方不明になった若い漁師を見かけたというのだ。
 タイムマニア(2015)主人公は5歳から恐ろしい悪夢に悩まされるようになった。ただ、タイムを淹れたハーブ茶を飲めばなんとかしのげる。
 恐怖譚(2013)エミリーが目覚めると、屋敷には誰もおらず時計は止まっている。家の外では、見知らぬ男が馬車へと迎え入れようとする。自分はいったいどうなったのか。
 本棚遠征隊(2018)薬のせいで頭がおかしくなった冬の夜、本棚の登頂を試みる微小な妖精たちの姿を見た。彼らは犠牲をいとわず、さまざまな本を足場に登っていく。
 最後の三角形(2011)ヤク中のホームレス男は、とある老婦人から調査の仕事を請け負う。地図上の三角形の頂点にあたる場所で、秘密の赤いしるしを探せというのだ。
 ナイト・ウィスキー(2006)山奥の片田舎にある辺鄙な村で〈酔っ払いの収穫〉の助手を務めることになった若者の体験。
 星椋鳥(ほしむくどり)の群翔(2017)のどかで美しい都市〈結び目〉には、凄惨な連続殺人事件という未解決の汚点があった。専任警部は被害者の娘と周辺を疑う。
 ダルサリー(2008)スーパーミニチュア版ヒト細胞から生まれた微小な人々は、ガラスの牛乳瓶の中にドーム都市ダルサリーを建設した。
 エクソスケルトン・タウン(2001)古い地球映画を偏愛する異星人と交易するため、地球人は映画スターとそっくりのエクソスキンをまとう。
 ロボット将軍の第七の表情(2008)対ハーヴィング戦争の英雄であるロボット将軍には、7つあるいは8つの表情があったとされる。
 ばらばらになった運命機械(2008)老宇宙飛行士がかつて異星で手に入れた部品は、機械の一部分であるらしかった。
 イーリン=オク年代記(2004)海辺の砂浜に作られた砂の城には、指の先ほどの大きさの妖精が住むことがある。波で城が崩れ去るまでがその生涯だった。

 「アイスクリーム帝国」の共感覚、ジャック・ヴァンスを思わせるエキゾチックな宇宙譚「エクソスケルトン・タウン」や「ばらばらになった運命機械」、ハミルトン「フェッセンデンの宇宙」のような「ダルサリー」や、皮肉なロボット兵器「ロボット将軍の第七の表情」などを読むと、確かにクラシックなSFの感触がある。

 とはいえ、「星椋鳥の群翔」や表題作「最後の三角形」は猟奇ミステリ、残りの多くはホラーと分類しても、あくまで奇想の切り口がそう見えるだけで、一般的なジャンル小説とは一味違うものだ。これは物語の方向性が、エンタメ的な事件の真相や動機の解明にないからだろう。オープンエンドとかではなく結末はあるものの、「なぜ」は謎のままなのだ。そこはジェフリー・フォードらしいといえる。

 中では「本棚遠征隊」「イーリン=オク年代記」に出てくる微小な妖精たち(という意味では「ダルサリー」も含む)が作者のお気に入りのようで面白い。なお「恐怖譚」に出てくるエミリーとはエミリー・ディキンスンのこと。

ジョン・スラデック『チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク』竹書房

Tik-Tok,1983(鯨井久志訳)

イラストレーション:GAS
デザイン:坂野公一(welle design)

 人を喰った(長すぎる)邦題ではあるが、内容相応、著者らしいともいえる。本書はカルト作家スラデックの書いたロボットものの長編である。スラデックの作風はSFでも文学でもない独特のもので、一部読者に人気はあっても賞には恵まれなかった。本書は唯一、英国SF協会賞(1983年)を受賞した作品である(スラデックは当時英国在住だった)。

 とある金持ちの家で使われていた家庭用ロボットのチク・タクは、ペンキ塗りをしていた際にインスピレーションを得て壁画を描く。主人は気に入らなかったが、ロボットの絵は評判を生み高値で売れるようになる。チク・タクは有名になった。しかし、このロボットは倫理を規定する「アシモフ回路」が正常に働いていないのだ。

 7年前に翻訳が出た『ロデリック』(1980)もロボットが主人公だった。成長していく無垢なロボットのお話である。本書のチク・タクは既に大人で、自身の利益のためにはどんな手段も厭わない。葛藤がないので、ノワール(悪人)というよりサイコパスに近いといえる。ロボットサイコパスなのである。

 一方、この物語の社会では、ロボットは道具というより「奴隷」扱いである。道具だと人の手を煩わせる。奴隷ならぞんざいに命令しさえすればよい。知能があっても差別は当たり前と思っている傲慢な人間を、倫理感を欠いたロボットが出し抜くのだ。書かれた当時は寓意に過ぎなかったろうが、AIが急成長する今の時代では妙にリアルである。

 スラデックは、『黒い霊気』(1974)、『黒いアリス』(1968)、『見えないグリーン』(1977)、『スラデック言語遊戯短編集』(1977)と1970~80年代にかけて翻訳されてきた。このあたりは変格ホラー/変革ミステリに分類される作品である(今なら奇想小説だろう)。前評判に反して、SF作家という印象は薄かった。90年代になってから『遊星よりの昆虫軍X』(1989)が紹介され、日本で編まれた短編集『蒸気駆動の少年』(2008)でようやくその全貌が窺えるようになる。スラデックのSFは代表作が『ロデリック』とされる。本書はそれをひっくり返したような面白さがある。長さも半分ほどで軽快に読める。

 ところで、訳者の鯨井久志は京大SF研出身者(京大生ではなかったようだが)としては、大森望世代以降30年ぶりにプロ出版を果たした翻訳家。

ジョン・スコルジー『怪獣保護協会』早川書房

The KAIJU Preservation Society,2022(内田昌之訳)

装画:開田裕治
装幀:日高祐也

 スコルジーの「怪獣小説」。本文でも「KAIJU」と書かれているのだから間違いはない。今年のローカス賞の長編部門を受賞したほか、ヒューゴー賞(今年の世界SF大会は成都)の最終候補作にも選ばれている。

 博士課程を中途で辞めてまでフードデリバリー業界に就職した主人公は、パンデミックのロックダウンが始まる直前にクビになり、やむを得ず「デリバレーター」(配達員)に就くが、今やそれさえ危うくなっている。しかし、NGOでの仕事のオファーを思いがけず受ける。経歴は問うが経験不問、NGO=KPSは動物を保護する団体だというのだ。基地は極寒グリーンランドから抜けた先、高温多湿のジャングルの中にあった。

 冒頭いきなり『スノウ・クラッシュ』が登場、主人公はSFで修士論文を書いていて、向かうKPSの基地はタナカとかホンダと呼ばれている。タナカは田中友幸(東宝「ゴジラ」などのプロデューサー)だし、ホンダは本多猪四郎(同監督)のことらしい。『レッド・スーツ』でもおなじみの、ネタを存分にちりばめたオタク小説でもある。

 怪獣が存在する世界については、物理的に生存不可能な生態(大きすぎて自重を維持できないなど)を克服する説明が用意されている。とはいえ、日本の特撮怪獣ものに対するリスペクトはあるにしても、山本弘小林泰三らの作品が持っていた濃いオマージュ感とはちょっと違う。主人公を中心とした、アメリカンなチームワークのドラマになっているからだ。「ジェラシック・パーク」の恐竜たちと同じく、怪獣は時に暴走しても、あくまで人間のコントロール下、保護下にある(だから保護協会なのだ)。

 ということもあり、敵役は宇宙人でも怪人でもない今風の人間である。密かに仕掛けられた罠を巡って、主人公と博士号取得者ばかりのチームが挑む。エンタメドラマのお約束を踏襲し二転三転、読者を飽きさせないのはこれも著者ならではの技があるからだろう。

シーラン・ジェイ・ジャオ『鋼鉄紅女』早川書房

Iron Widow,2021(中原尚哉訳)

カバーイラスト:鈴木康士
カバーデザイン:岩郷重力+A.T

 著者は中国生まれのカナダ人作家、コロナ絡みで職を失い本書を書いた。そのデビュー作がいきなりベストセラー、同時に始めたユーチューバーも登録者数53万人を集める。たまたまではなく、何らかのカリスマがあるのだろう。著者近影が牛のコスプレ(岩井志麻子を思わせる)なのは友人との約束の結果、また霊蛹機はアニメ「ダーリン・イン・ザ・フランキス」から着想を得たものという。

 華夏(ホワシア)国は、渾沌(フンドゥン)と呼ばれる機械生物による侵攻にさらされている。対する人類側も、霊蛹機(れいようき)と呼ばれる巨大戦闘機械(九尾狐+朱雀+白虎+玄武)を主力に擁して対抗する。機械のパイロットは男女一組だった。英雄となる男と、妾女(しょうじょ)と呼ばれる使い捨ての女、機械はその「気」(生気)をエネルギーにして動くのだ。

 まず主人公は英雄をしのぐパワーを有し、武則天と呼ばれるようになる。他にも独狐伽羅、馬秀英ら中国の歴史上の皇女たちの名前が出てくる。李世民、諸葛孔明、安禄山、朱元璋などなど、秦から明、清時代まで、背景も立場も異なる歴史上の人物名が順不同で登場する。もちろん著者も、史実とは関係がないと断っている。

 日本でもそうだが、中国はハイテクから安保まで何かにつけ注目される。それに伴って、中国もののフィクションも、英語では耳慣れない中国語の固有名詞、日本なら見慣れない漢語の多用(翻訳者の工夫もある)による異化効果で読者を引き付ける。

 巨大機械=ロボットは3段階の形態に変身する。そこにダリフラ風男女一組のパイロットが搭乗するのだが、男が女の気力を吸い取るという死の格差がある。ジェンダーに絡む、今風のテーマが重ねられているのだ。華夏世界自体にも、抜きがたい男女差別がある。その障害は、誰をも凌駕する主人公のスーパーパワーと、やはり今風の悩みを持つ友人たちの協力によって打破される。とはいえ、渾沌の正体、この世界の秘密などは明らかにならない。2024年刊行予定の続編に続くようだ(おそらく出版社との3部作契約があるのだろう)。

エディ・ロブソン『人類の知らない言葉』東京創元社

Drunk on All Your Strange New Words,2022(茂木健訳)

カバーイラスト:緒賀岳志
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 著者は1978年生まれの英国作家。主に《ドクター・フー》などのTVドラマシリーズで、シナリオやノヴェライゼーションを手掛けてきた。これまで受賞歴はなかったが、本書は2023年の全米図書館協会RUSA賞のSF部門(ジャンル小説に与えられる賞で8つの部門から成る)に選ばれている。

 主人公はイングランド北部出身の通訳。通訳といっても、異星人と思念言語(テレパシー)で会話するという特殊能力が要求される。近未来、人類は異星文明ロジア(ロジ人)と外交関係を築いていた。彼らは言葉を介さず、テレパシーでコミュニケーションを取るのだ。しかし、文化担当官専属の通訳に就いていた主人公は、担当官が殺されるという重大事件に巻き込まれる。

 長時間通訳をすると飲酒の酩酊と脳が錯覚し、文字通り酔っぱらってしまう(原題Drunkの意味)。赴任地のニューヨークは防潮堤に囲まれ、過去の面影だけが残るテーマパークになっている。ロジ人はテレパシーで会話するが、アナログな文字を重要視しアナログな紙書籍を好む。ロジ語に翻訳された本は、地球側の主要輸出品になっている……という、設定は何とも皮肉っぽい。

 何しろ主人公は酔ってしまって、殺人時に何が起こったのか覚えていない(酔っぱらい科学者のギャロウェイ・ギャラガーみたい)。ロジ人に反感を持つ勢力は存在するので、主人公も一味ではないかと疑われる。物語は、近未来のニューヨークやイングランド北部(ハリファックス)の風俗を点描しながら手探りで進む。

 タイトルから連想される「非人類とのコミュニケーション」は主題ではない。本書は犯人捜しの(特殊設定)ミステリなのである。探偵は太り気味(そういう副作用もある)の通訳だが、八方塞がりな状況ながらしだいに真相に近づいていく。SFとしてのスケール感はやや足りないものの、主人公のユーモラスな語り口でまずまず楽しめる。

グレッグ・ベア『鏖戦/凍月』早川書房

Hardfought/Heads(1983/1990,酒井昭伸/小野田和子訳)

Cover Illusration:小阪淳
Cover Design:岩郷重力+M.U

 まず最初に書誌を記しておく(解説にも書かれているし、ネット検索の時代には不要かも知れないが、評者にはこういう流儀が染みついているのです)。

「鏖戦(おうせん)」(1983)はネビュラ賞ノヴェラ部門の受賞作、1990年10月号のSFマガジン(400号記念号)に一挙掲載され、さらに『80年代SF傑作選』(1992)にも収録された中編。一方の「凍月(いてづき)」(1990)は、1996年2月号(太陽系をテーマにした宇宙SFの一環として)SFマガジンに一挙掲載、1997年星雲賞海外短編部門受賞、1998年に(長い中編なので)同題の文庫として単独出版されている。よく似た経緯をたどった2作品といえる。両者とも文庫で入手が可能だったものの、すでに25年以上が過ぎている。今回は著者が昨年11月に亡くなったことを受け、2023年6月号のSFマガジン追悼特集に合わせる形で、ハードカバーによる復活を果たしたのだ。

鏖戦:いつともしれない超未来の宇宙、人類はメドゥーサ(美杜莎)と呼ばれる原始星系で、銀河の歴史ほども古い異形の宇宙種族セネクシ(施禰俱支)と戦っている。主人公は巡航艦メランジーに乗り組む戦闘だけを教え込まれた兵士で、敵の種子船をザップ(破摧)し蔵識嚢を奪取する使命がある。人類もまた姿を変容させている。主人公は妖精態のグラヴァーだった。

凍月:200万の人々が住む月世界は、独立したコロニーの緩い連合体で運営されている。有力コロニーの一つが運営する〈氷穴〉では絶対零度を作り出す実験が行われていたが、そこに地球で冷凍保存されていた100年前の人体頭部多数が運び込まれる。だが、創業家一族のきまぐれに過ぎないと思われていたそのプロジェクトは、やがて大変な騒動を巻き起こす。

 どちらも宇宙SF、ただし傾向的には全く異なる。前者は、設定どころか個々の単語自体に高圧縮な創造力が詰め込まれた実験的なスペースオペラ。イメージを浮かべるのに難渋するが、酉島伝法的な異形キャラと美少女戦士風ヴィジュアル(容姿は意図的に具象化されていない)を混淆させた類を見ない作品で、ベア自身も自己ベストだとする。

 後者は、月コロニーどうしの政治的な謀略を巡るサスペンスである。背景には著者が会長職を務めていた当時のSFWA内の、サイエントロジー派や子供じみたリバタリアン的風潮(ひたすら管理を嫌う)への反発が込められているという。ただ、そういう内幕を知らなくても面白く読めるだろう。

 ベアの翻訳書は、著者の執筆ペースが落ちたこともあり、21世紀以降(文庫化を除けば)『ダーウィンの子供たち』のみにとどまる。これらを含め『ブラッド・ミュージック』以外は絶版だ。忘れられるには早すぎる作家である。20世紀に出た多くの主要作品が、今後電子書籍の形で復刊されるのは喜ばしい。

 ところで、「鏖戦」は初紹介当時から、原文の造語に仏教用語の難読漢字を充てるなどの翻訳スタイルが話題になった。大森望は「原文をはるかにしのぐ神話性と「なんかすごそう」感を獲得した」(「SF翻訳講座」1993年5月)と評価し、また上記追悼特集でも、翻訳者の酒井昭伸がその際の苦闘を生々しく振り返っている。

フランチェスカ・T・バルビニ&フランチェスコ・ヴァルソ編『ノヴァ・ヘラス ギリシャSF傑作選』竹書房

Nova Hellas,2021(中村融他訳)

デザイン:坂野公一(welle desigh)

 日本版に寄せられた編者による「はじめに」によると、ルキアノスに始まった世界最古のギリシャSFも20世紀末まで長い空白があり、ようやく(アメリカ映画やTVドラマの影響もあって)70年代後半から海外SFの翻訳が、次いで90年代にはギリシャ人作家による短編の創作が行われるようになったという。このあたりの経緯はイスラエルとよく似ている。ただ、(非英語圏共通の課題として)英語での書き手が少ない分、知名度には難があった。本書は、グローバル向けの英訳傑作選からの重訳になる。スタートラインがいきなりサイバーパンク以降なので、過去の伝統などによる縛りがなく新鮮だ。

 ヴァッソ・フリストウ(1962-)「ローズウィード」海面上昇で都市の建物の多くが水没した近未来、移民ルーツの主人公は居住可能な建物を調査する仕事に就いていた。
 コスタス・ハリトス(1970-)「社会工学」VR下のアテネ、社会工学を学んだ男に集票工作の依頼が舞い込む。相手組織の正体は分からなかった。
 イオナ・ブラゾプル(1968-)「人間都市アテネ」アジア・アフリカで経験を積み、コンゴでも駅長を務めた主人公は、アテネ駅長となってギリシャ語を話すことになった。
 ミカリス・マノリオス(1970-)「バグダッド・スクエア」主人公が住むアテネはヴァーチャルな世界と重なり合っている。だが、意外な都市とも隣り合っていた。
 イアニス・パパドプルス&スタマティス・スタマトプルス「蜜蜂の問題」ドローン蜂の修理を生業にしていた男は、本物の蜜蜂が戻ってくるといううわさを聞く。
 ケリー・セオドラコプル(1978-)「T2」胎児の成長診断のため、清潔なT2より廉価なT1車両で移動したカップルは、産婦人科医師から意外な結果を聞く。
 エヴゲニア・トリアンダフィル「われらが仕える者」観光客を迎えるその島には人造人間しかいない。本物の人間は海底にある居住都市に住んでいるからだ。
 リナ・テオドル「アバコス」ジャーナリストと広報担当者との対話で、人の食事環境を決定的に変えるアバコス社の製品について問題点が指摘されるが。
 ディミトラ・ニコライドウ「いにしえの疾病」体のあらゆる機能が衰えていく病、漏失症の患者を収容する施設で、新任の女性医師が真因究明に苦しむ。
 ナタリア・テオドリドゥ「アンドロイド娼婦は涙を流せない」アンドロイドの皮膚に現れる真珠層は、機能への影響がないことから原因不明のまま放置されている。
 スタマティス・スタマトプロス(1974-)「わたしを規定する色」その女は、ある図案のタトゥーの持ち主を探していると告げた。

 本書は2017年に出たギリシャ語の傑作選(13編収録)をベースに、そこから作品の追加/割愛が行われている。全部で11作を収めるが、原稿用紙換算30~40枚程度の短いものが多い。著者は1960~80年代生まれが中心のようだ。中では英語での執筆が多いナタリア・テオドリドゥが、クラリオン・ウェスト出身者で2018年の世界幻想文学大賞Strange Horizens掲載の短編)の受賞者である。

 地球温暖化による海進(多数の島を有するギリシャでは死活問題)、難民/移民(アフリカ、中東からのバルカンルート=渡航の通り道)という現代的な社会問題とVR、アンドロイド(AI)、サイバーパンク的なテーマが混淆する。数値海岸(ヴァーチャルではなくロボットだが)みたいな「われらが仕える者」、虐殺市場なるものが出てくる「アンドロイド娼婦は涙を流せない」、変幻するタトゥー絡みの事件「わたしを規定する色」あたりが、独特の組み合わせでもあり印象に残る。アイデアものはシンプル過ぎるので、もう少し書き込みが欲しいところ。

マシュー・ベイカー『アメリカへようこそ』KADOKAWA

Why Visit America,2020(田内志文訳)

ブックデザイン:川添英昭

 著者マシュー・ベイカーは1985年生まれのアメリカ作家。美術学修士取得後に、さまざまな文芸誌や批評誌(オンライン含む)に実験的な短編を発表し、Variety誌の10人の注目作家に選ばれたこともある。プロフィール写真ごとに髪型をドラスティックに変えるなど、ちょっとクセのありそうなアメリカ純文学の人だ。ただ、発表した媒体の中にはWebジンのSF専門誌Lightspeed Magazineがあり、D・ガバルドン&J・J・アダムズの『年刊SF&ファンタジー傑作選』に「終身刑」が採録されている。日本の若手純文作家も同様だが、SF的アイデアを取り入れることに何らためらいはないのだ。版元の紹介文中で本書が「SF短編集」とキャプションされるのも、そういう理由によるのだろう。

 売り言葉(2012)辞書編纂者の主人公は、盗用防止の幽霊語創作を仕事にしている、だが、姪の虐めに憤ったことから、当事者の高校生のストーカーを始めるようになる。
 儀式(2015)母親の儀式が済んだあと、すでに期限が過ぎている伯父を説得しようとする。しかし周囲の顰蹙を買いながらも、伯父はかたくなに受け入れない。
 変転(2016)過度に保守的ではなく世間並みに良識を持つ家族だったが、体を失うという主人公の選択には誰も賛成してくれなかった。
 終身刑(2019)刑罰により記憶から過去がすべてが失われていた。日常生活を過ごすには支障はなかったものの、家族すら見知らぬものになった。自分は何をしたのか。
 楽園の凶日(2019)ひどい一日が終わり、愚痴を話す相手もいないとわかると、彼女は郊外のガラスドームに覆われた生物園に車を走らせる。
 女王陛下の告白* 主人公はお城のような大邸宅に住み、家族は買い物に明け暮れ、部屋はモノで溢れている。その結果、レシオは非常識な高さになっているのだ。
 スポンサー(2018)結婚式の寸前になって冠スポンサーが倒産してしまう。このままでは式が立ち行かない。やむを得ず、不仲だった大金持ちの知人に泣きつくが。
 幸せな大家族* 保育所から赤ん坊が誘拐される。警察は犯人の動機を知るため人物像を明らかにしようとするが、誰もがあいまいな答えしか返さない。
 出現(2013)レストランの駐車場で「不要民」を待ち伏せし、三人を車の中に押し込むと州境へと走り出す。奴らが出現してからもう13年が経っていた。
 魂の争奪戦(2020)生まれた赤ん坊がすぐに死んでしまうという現象が頻発する。魂の数が上限に達したからだ、とする説が信じられている。
 ツアー* カルト的人気を誇る「ザ・マスター」がやってくる。そのギグに参加するためには莫大な費用とくじ運がかかるが、主人公は奇跡的に両者を手に入れられた。
 アメリカへようこそ(2019)地方の田舎町が突然独立を宣言し、元の国名のままアメリカと名乗る。オールド・アメリカはその理想をすべて失ったからだ。
 逆回転(2011)生まれたばかりの主人公が感じたのは完全な絶望だった。そして、ポケットから数字の書かれた謎の紙切れがでてくる。
*:未発表作または書下ろし

 全部で13編を収める(著者が2009年から書いた短編の4分の1)。すべての作品に奇想アイデアが含まれる。筒井康隆『銀齢の果て』風(あるいは成田悠輔風)、意識のアップロード、死刑に代わる記憶抹消、『男たちを知らない女』の世界、裏返された大量消費社会、過度な広告化、育児の公営化、非人類の難民、井上ひさし『吉里吉里人』的独立秘話、時間の逆転などなど。

 ただし、これらの(もはやありふれた)アイデア自体は目的ではない。登場人物をクローズアップするための「特殊設定」に使われている点が、現代SFや文学と共通する特徴といえる。たとえば「変転」では、コンピュータにアップロードされる主人公よりも、うろたえ動揺する家族と母親がテーマとなっているし、「終身刑」でも受け入れる家族と主人公との距離感が読みどころとなっている。

 特有の文体、数ページにもわたって段落なしに続く容赦のない描写が効果を上げている。「ツアー」などでは、それが対象を変えながら何段階も執拗に続いて圧巻だ。物語に説明を付けず、唐突に断ち切ってしまう終わり方は、エンタメには少ない純文的なミニマリズムだろう。また「出現」や表題作には、アメリカ的な社会問題が織り込まれている。「逆回転」もよくある時間の逆転を描くが、その先に現れるものはまさにアメリカといえる。