郝景芳『人之彼岸』早川書房

人之彼岸,2017(立原透耶・浅田雅美訳)

カバーデザイン:川名潤

 郝景芳(ハオ・ジンファン)の最新短編集である。AIをテーマとした6つの中短編と2つのエッセイから成る。このエッセイはリファレンスこそないものの、AI研究に対する科学や哲学的な分野を網羅するサーベイ論文で、異例なことに小説の手前に置かれている(しかも百ページ近くある)。著作に対する意図を、あえて明確化したものといえるだろう。

 あなたはどこに:主人公はAIのアバターを使って、自分の分身を作るビジネスを展開している。多忙のあまり恋人の相手にも分身を使うが。
 不死医院:不治の患者を回復させると評判が高い病院があった。重い病を患った母親も元気になって帰ってきた。しかし主人公には、母親の回復が信じられない。
 愛の問題:著名だった科学者が殺される。疑われたのは、複雑な家庭環境で仲が悪かった長男である。しかし、長男は家政を担当するAIロボットの犯行だと主張する。
 戦車の中:破壊された村の中で、ロボット戦車は見慣れない機械車と遭遇する。機械車が伝える情報は疑わしかった。
 人間の島:ブラックホールを抜ける旅から宇宙船が帰還する。地球では既に百年の歳月が流れ、世界は乗組員たちの知るものとは異なっていた。
 乾坤と亜力:交通制御から経済の安定まで、すべてを司る人工知能乾坤は、ある日一人の子ども亜力から学べと指令を受ける。

 これら短編の前にエッセイ、スーパー人工知能まであとどのくらい(人類を凌駕するようなスーパーAIは現われるのか、それにはどんな課題があるのか)と人工知能の時代にいかに学ぶか(人とAIとの学習の違い、これからどういう学習が重要か)がある。短編の前提条件を述べたに止まらず、人工知能と人との関係をガチに、かつ平易に論じたものだ。

 小説では、上記エッセイをベースにさまざまな問いかけがなされる。主要テーマは、感情面を含めAIは人の代替ができるのかである。「あなたはどこに」の恋人や「不死医院」の母親、「愛の問題」ではばらばらになった家族が象徴的な存在として登場する。何れの作品も、AIにはない人間特有の情動をキーにしている。たとえば「人間の島」では、スタニスワフ・レム『星からの帰還』のように(相対論的効果で)未来へと帰還した宇宙飛行士たちが、社会に平穏と安定をもたらすAIのユートピアに疑問を投げかけるのだ。

 最後の「乾坤と亜力」(『2010年代海外SF傑作選』にも収録)には小さな希望がある。この中でAIは、子どもの想像力がもたらす非論理的なものの価値を学ぶ。それは今あるAIでも人間でもない、新しい知性による未来を示唆している。

柴田元幸・小島敬太編訳『中国・アメリカ 謎SF』白水社

装幀:緒方修一
装画:きたしまたくや

 英米文学翻訳家の柴田元幸と、中国を拠点に活動するシンガーソングライター小島敬太による(選定から翻訳まで)日本オリジナルのSFアンソロジイである。日本での紹介がないか、もしくは雑誌紹介のみの作家6人(中・米各3人)7作品を収めている。

 ShakeSpace(遥控):マーおばさん(2002)主人公は、図形により人とコミュニケーションする、馬姨(マーイー)と名付けられた試作機をテストするうちに、装置の中身に疑問を感じるようになる。
 ヴァンダナ・シン:曖昧機械(2018)〈概念的機械空間〉の中には3つの不可能機械が存在する。モンゴル人の技術者、トルコ人の数学者、マリの考古学者が発見・発明したものである。
 梁清散:焼肉プラネット(2010)事故で惑星に不時着した乗客は、有害な環境なので宇宙服のヘルメットが外せず飢えに苦しむ。そこには見るからに美味そうな肉に似た生き物たちが生息していた。
 ブリジェット・チャオ・クラーキン:深海巨大症(2019)3人の科学者とスポンサーになった教会の受付係、コーディネータたちは、民間に払い下げられた原子力潜水艦に乗って、深海の底で海の修道士(シーマンク)を探す。
 王諾諾:改良人類(2017)ALSの治療を期待し冷凍睡眠に入った主人公が600年後に目覚める。人々も社会も理想的と思えたものの、彼を目覚めさせるための何らかの理由があるようだった。
 マデリン・キアリン:降下物(2016)戦争が終わってから20年後、世界や人々には戦争の深い傷跡が残されている。500年過去からやってきた主人公は、その時代の自称考古学者と出会うが。
 王諾諾:猫が夜中に集まる理由(2019)真夜中に開かれる猫の集会には、世界を守るための秘密の仕事が隠されている。

 巻末の編訳者対談「〈謎SF〉が照らし出すもの」では、本書収録の作家たちの背景が語られる。都会世代の感性を表現した中国作家は(70、80、90年代生まれ)と各年代にまたがり、一方のアメリカ作家は全員が女性で、インド系物理学者や中国系、考古学者など出自が広い。

 中国の作品はチューリングテストや遺伝子改変、シュレーディンガーの猫などストレートなSFネタで書かれている。アメリカの場合は、マイナーな文芸誌や短編集に載ったオープンエンドで実験的な作品である。未来への希望と絶望、アイデアの明快さの差異など、中・米では結構違いがある。それでも、本書の切り口「現代文学」として交互に読むと、意外な親和性や共鳴し合うものがあって面白い。同じではないけれど、それぞれの現在とシンクロしているのだ。

酉島伝法『るん(笑)』集英社

装幀:松田行正
表紙図版:Spiderplay/Getty Images

 昨年11月に出た本。「群像」と「小説すばる」に掲載された3つの中編からなる連作集である。SF以外の(人間を主人公とした)単行本は初めてなのだが、著者の場合ほとんど印象が変わらないのが特徴かも知れない。「普通の人間の書き方がわからなくなっていて、二本足でどう歩くのかを確かめるようにして書いた」とある(エッセイ「千の羽根をもつ生き物」)。

 三十八度通り(2015):結婚式場に勤める主人公は、38度の熱を帯びるようになった。夢の中で北極点から南極点へと、緯度を下りながら歩き続けている。
 千羽びらき(2017):女は全身が蟠(わだかま)る病に苦しんでいる。しかし民間療法「るん(笑)」により治療ができるという。
 猫の舌と宇宙耳(2020):この世界では猫が排斥されている。子どもたちは立ち入りを禁止されている地図にない山で、猫を探そうとする。

 「三十八度通り」の主人公の妻には病にかかった母親がいて、その物語が「千羽びらき」になる。そして、妻の幼い甥の物語が「猫の舌と宇宙耳」である。親類縁者たちの物語なのである。舞台となる世界は、迷信や疑似科学的な法則により支配されている。町には全長15キロにも及ぶ巨大な龍が横たわり、人々は贄(にえ)とよばれる捧げ物を毎日投げ落として運気を高めようとする。薬はいかがわしいものであり、場末のヤクザイシから買わなければならない。民間療法は公的な医療行為を超越し、猫はなぜか忌み嫌われている。

 エッセイ中でも書かれているのだが、著者の作品のベースには実体験=現実がある。デビュー作「皆勤の徒」では特殊な造語を駆使することで、現実世界がほぼ隠蔽されていた。本書で描かれる別の常識に支配された日常も、実社会とはだいぶ異なるように見える。しかしフェイクや疑似科学に溢れる今現在と、たいした違いはないともいえる。著者自身が違和感を抱いてきた「すこし角度を変えて見た現実社会そのもの」なのである。

久永実木彦『七十四秒の旋律と孤独』東京創元社

ブックデザイン:岩郷重力+WONDER WORKZ。
装画:最上さちこ
装幀:長﨑稜(next door design)

 第8回創元SF新人賞を受賞した標題作を含む連作集。著者初の単行本でもある。なお、久永実木彦はWebラジオのパーソナリティ(視聴するには会員登録が必要だが、東京創元社のyoutubeチャンネルでも聞ける)を務めていて、なかなか流暢な語りでしゃべっている。

 七十四秒の旋律と孤独(2017)宇宙空間に適合した朱鷺型人工知性マ・フは、その能力を使って宇宙船の警護に就いている。
 一万年の午後(2018)惑星Hで調査の任務に就く8体のマ・フたちは、環境への変更を一切加えず観測だけに徹していたが、あるきっかけにより干渉を余儀なくされる。
 口風琴(2019)失われていたはずのヒトが蘇った。ヒトは口風琴を使いふしぎな音楽を奏でる。マ・フたちはその指導に従い生き方を変えていこうとする。
 恵まれ号I・恵まれ号II(書下ろし)ヒトは次々と復活し村を築くまでになる。やがて、古い宇宙船の所有権を巡って、不穏な動きが見られるようになる。
 巡礼の終わりに(書下ろし)さらに長い歳月が経過し、ヒトたちは逆にマ・フを崇めるようになっている。そんな村にマ・フの助けが必要な事件が発生する。

 表題作のみが独立した短編で、主人公であるマ・フの登場編になっている。それ以外の5作品は、惑星Hを舞台とした《マ・フ クロニクル》という連作である。マ・フとは人型のロボットを指す。しかし、この物語はいまどきのAI:人工知能をテーマとしたものではない。それぞれが個性を持ち、ストイックながら人間的な感情を有しているからだ。AIのような万能感はなく、無垢な子どものような存在ともいえる。それでいて、1万年の繰り返し作業に耐える精神的な堅牢さがある。

 人間をご主人様と慕うけなげなロボットたちというと、トマス・M・ディッシュの『いさましいちびのトースター』(1980)を思い出す。本書はそこまで童話的なお話ではないが、マ・フが抱く失われた人類への郷愁には、リアルというより寓話的なアイロニーが感じられる。しかしヒトはご主人様にはならない。やがて、立場の変化がクロニクルの中で明らかになっていく。

ピーター・ワッツ『6600万年の革命』東京創元社

The Freeze-Frame Revolution / Hitchhiker,2018(嶋田洋一訳)
カバーイラスト:緒賀岳志
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 ピーター・ワッツの最新刊。先に出た日本オリジナルの短編集『巨星』に3作品が収められている《サンフラワー・サイクル》で、未訳だった中編と続編に相当する短編1作が収録された作品集だ。短編は暗号を解読した読者だけのボーナストラックなので、書籍でそのまま読める日本の読者はお買い得である。著者が中編と主張する本編は、350余枚あるので短い長編ともいえる。

 国連ディアスポラ公社が建造した恒星船〈エリオフォラ〉は、銀河を周回しながらワームホールゲートの敷設をする任務を続けている。ブラックホールを内蔵し、航路周辺の天体を燃料に変え、敷設したゲートは既に10万を越える。しかし、その間6600万年が経過した。3万人の乗員は少人数に分割され、数千年に一度必要に応じて目覚めるのみ。船のコントロールはすべてAIに委ねられている。

 6500万年が経った時点で、乗員たちの一部にAIによる恣意的な操作が行われているのでは、という疑念が生まれる。対抗するため、密かにAIからの解放革命が進められるが、それには100万年もの時間がかかる。人間の寿命は任務の長さに比して極端に短いので、何度も休眠と覚醒をタイムラプスのように繰り返すことになる。

 登場人物への共感を拒否するワッツの作品の中では、この《サンフラワー・サイクル》は比較的人間寄りのシリーズである。ここに出てくる人類は(詳細な説明はされないものの)おそらく我々とは異なる存在だろう。途方もない時間スケールの中で、精神に異常を来さず任務をやりとげねばならないのだ。そこに超AIならぬ頭の悪いAIチンプ(チンパンジー並という蔑称)が絡み、乗組員たちと駆け引きをする。宇宙的時間が流れ、登場する全員が非人間なのに、妙に人間的な弱みが見えるのが面白いところだ。

エドゥアルド・ヴェルキン『サハリン島』河出書房新社

Остров Сахалин,2018(北川和美・毛利公美訳)
装画:杉野ギーノス
装丁:森敬太(合同会社 飛ぶ教室)

 エドゥアルド・ヴェルキンは1975年生まれのロシア作家。YA向けのSFを書いてきたが、本書で初めて一般読者向けSFを書いた。2019年のストルガツキー賞を受賞。サハリンとは樺太のこと。本書の設定では、復活した大日本帝国の領土となっている。ロシアの文豪チェーホフは、ロシア帝国末期の1893年に同じ題名の『サハリン島』(旅行記ではなく多分に政治的なルポルタージュ)を書いた。本書ではそういった過酷な流刑地だった過去と、作者自身が訪れた現在のサハリン、核戦争後の異様なサハリンが混淆しているのだ。

 北朝鮮の核攻撃を契機に全面核戦争が勃発、アメリカや中国、ロシアは崩壊し、さらに生き残った人々をゾンビ化させる、謎の疫病MOBが蔓延する。日本では自衛隊のクーデターで大日本帝国が復活、鎖国政策により押し寄せる難民を強制的に排除する。物語は東京帝国大学で応用未来学を専攻する主人公が、イトゥルプ島(択捉島)やサハリン島でフィールドワークを行うため、島に上陸する場面から始まる。島には難民の収容所、居住地があり、また日本人流刑囚を収監する刑務所が点在しているのだ。

 主人公はロシアの血を引く美少女、二丁拳銃で撃ちまくる。案内役のタフな銛族(銛を自在に操る)の青年と共に、列車やバギー、ボート、徒歩など移動手段を換えながらサハリン各地を転々とする。サハリンは北海道と同じくらいの広大な島で、交通手段や治安が乱れた状況での移動は極めて困難なのだ。

 と書くとラノベなのだが、ロシアSFはそうそう生易しいものではない。ロシア時代の地名がそのまま残る帝国領は異形の世界だ。本土に入れない中国人難民や、ロシア人、コリアンが溢れている。人の命には価値はなく、無造作に殺され死体は発電所の焚きつけになる。アメリカ人はというと人種を問わず「ニグロ」と呼ばれ、檻に吊されて石打ちの刑に処せられる。海は放射能で汚染されている。支配階級であるはずの日本人も、サハリンではどこか精神に異常をきたすのだ。

 著者は本書と関連ある作品として『宇宙戦争』『トリフィド時代』「少年と犬」『渚にて』「風の谷のナウシカ」などを挙げている。他にもヘンリー・カットナーの〈ホグベン一家〉もの(日本では単行本にまとまっていない)や芥川龍之介の影響を受けたという。そこにソローキンやエリザーロフ(下記リンク参照)の、エスカレーションする凄惨さを加えたカオスが本書になる。日本の読者からすれば、(アンモラルな)差別的描写はフィクションの一要素と割り切り、政治性を排した異世界ものとして解釈すべきだろう。エピローグはちょっと蛇足ぎみでは。

 

橋本輝幸編『2010年代海外SF傑作選』早川書房

カバーデザイン:川名潤

 11月に出た『2000年代海外SF傑作選』に続く、橋本輝幸編の翻訳SFアンソロジイである。このくらいの時期になると、ケン・リュウやピーター・トライアスなど新刊でも入手容易な作家が多くなる。11作品を収める。

 ピーター・トライアス:火炎病(2019)*兄は周りが青い炎に包まれるという病に犯される。主人公は、治療の手がかりを探すうちに、感覚操作並列SOPというARエンジンの存在を知る。
 郝景芳:乾坤と亜力(2017)*社会全般を統括するAI乾坤(チェンクン)は、ある日、三歳半の子ども亜力(ヤーリー)から学ぶように命令される。亜力の言動は理解不能のものばかりだった。
 アナリー・ニューイッツ:ロボットとカラスがイーストセントルイスを救った話(2018)*全米の医療が崩壊したアメリカで、ドローン型ロボットと一羽のカラスが協力することを学ぶ。
 ピーター・ワッツ:内臓感覚(2018)*グーグルのデリバリーに暴行を働くというもめ事を起こした男は、パラメータ化の専門家と名乗る女の非公式訪問を受ける。
 サム・J.ミラー:プログラム可能物質の時代における飢餓の未来(2017)*ソフトウェアで自在に変化する、形状記憶ポリマーが爆発的に普及する。しかし、ハッキングのために恐ろしい事態が生じるようになる。
 チャールズ・ユウ:OPEN(2012)ある日突然、部屋の中央に”door”という文字が出現する。僕は彼女と話し合わねば、と思う。
 ケン・リュウ:良い狩りを(2012)清朝末期、香港の近辺に住む妖狐と妖怪退治師だった親子は、魔法が消えていく時代の中で、姿を変えながら生き抜いていこうとする。
 陳楸帆:果てしない別れ(2011)**主人公は脳内出血で倒れ、かろうじて意思の伝達こそ可能なものの全身麻痺のままとなる。ところがそんな主人公に、思わぬ仕事が依頼される。
 チャイナ・ミエヴィル:“ ”(2016)* “ ”とは〈無〉を構成要素とする獣である。現実の事物の反対側にある負の存在は、新たな学問を生み出すことになる。
 カリン・ティドベック:ジャガンナート(2012)いつなのか分からない未来、異形の生き物マザーの中に生まれた主人公は、やがて成長し生涯の役割を与えられる。
 テッド・チャン:ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル(2010)仮想空間に生きる人工生物ディジエントは、独自のゲノム・エンジンを使って知能を持つ生き物としてふるまう。
 *:初訳、**:新訳

 7作品は初紹介、または入手困難な本の新訳。ピーター・トライアス郝景芳アナリー・ニューイッツピーター・ワッツらは、まさに今のテクノロジーであるAIや、ネットで構成されたGAFA的な世界を切り取った小品だろう。サム・J・ミラーは登場人物が現代的、チャールズ・ユウチャイナ・ミエヴィルは円城塔風(文字のような純粋に抽象的な存在を生き物のように扱う)である。カリン・ティドベックは酉島伝法『皆勤の徒』(英訳版)を高評価したヴァンダミアのアンソロジイから採られたが、本作もそういう流れを汲む作品。陳楸帆も後半はよく似た雰囲気だ。ケン・リュウは『紙の動物園』収録のスチーム・パンク作品、テッド・チャンはデジタル生命の意味を考察する力作で、比較的最近(約1年前)出た『息吹』収録の中編だが、テーマ的にも欠かせないということであえて収録されたようだ。

 2010年代は終わったばかりの近過去なので、客観的な評価を下すのは難しいが、本書の中にそのエッセンスは見える。ネットがその存在感を広げ、AIは偏在化(あらゆるところに分散化)し、無形(ソフト)が有形(ハード)を凌駕する社会だ。また、国家に替わって企業が情報=人間を支配する。男女の定型的な役割は否定され、人に似たものは人間とは限らない。本書の多様な視点から、そういう社会的な変化が顕わに見えてくる。

 2020年はパンデミックで明け暮れ、さまざまなものが終わりまたは加速されたが、これらは2010年代(2010-19)より後に物語の形を成すものだろう。

キム・チョヨプ『私たちが光の速さで進めないなら』早川書房

우리가 빛의 속도로 갈 수 없다면,2019(カン・バンファ、ユン・ジョン訳)

装画:カシワイ
装幀:早川書房デザイン室

 1993年生まれの著者のデビュー作で、韓国内17万部を売り上げたというベストセラーである。人口が日本の半分ほどの韓国では、小説で1万部が売れればヒットらしいので、異例の注目作と言えるだろう。昨年チョン・ソヨン『となりのヨンヒさん』を紹介したが、本書も7編を収録する短編集だ。

 巡礼者たちはなぜ帰らない:遠い星に築かれたに村では、18歳の大人になると巡礼者として「始まりの地」へ旅する儀式があった。しかし、帰還するのは半数だけだ。向こうでは何が起こっているのだろうか。
 スペクトラム:祖母は宇宙探査船の乗組員だった。ワープ航法の事故で亡くなったものと思われていた。ところが、40年後に宇宙を漂流しているのを発見される。そして異星人と接触したと話すのだが。
 共生仮説:その画家は見たことのない風景を描いたが、不思議なことに誰もが懐かしさを感じた。やがて、その光景は既に消滅した異星のものだと分かってくる。だが、なぜ懐かしさにつながるのかは不明だった。
 わたしたちが光の速さで進めないなら:廃棄された宇宙ステーションで、来るはずのない連絡船を待ち続ける老人がいた。係員はその老人と話すうちに、過去に起こった技術開発史での皮肉なできごとを知ることになる。
 感情の物性:小さな石のような物体に「感情」を封じ込めたアイテムが、爆発的に流行する。主人公は自分の恋人までがそれに溺れるのを見て疑念を抱く。
 館内紛失:妊娠中で精神的に参っていた主人公は、死んで図書館にアップロードされた母と話そうとする。母とは不和で家を出て以来、話したことはない。ところが、母のデータは館内紛失状態なのだという。
 わたしのスペースヒーローについて:主人公は過酷な訓練を経て、宇宙飛行士になろうとしている。幼い頃から母親同然と慕う先任飛行士を、自分の目指すヒーローだと思ってきた。そのパイロットは事故で亡くなったはずだった。

 見かけから体質までを遺伝子操作すること、人とは全く異なる知覚手段で認知が行われること、他者の精神が体の中にあるとしたら、時代に取り残された科学者の悲哀、感情が外部に取り出せたら、失われた母親と母親になろうとする自分、逆境を跳ね返したヒーローの秘密と、不安を抱えつつもソフトな語り口で未来を指向する主人公たちが印象的だ。

 私見ながら、世界中で日本と最も近い国というと、おそらく韓国だろう。物理的距離だけでなく、町並みや人々の雰囲気がよく似ている。しかし、日本よりもさまざまな面で未来にある。大学進学率が7割を超える(日本は5割)厳しい競争社会で、そのため少子化が進み(出生率1.05、日本が1.43)自殺者も多い。女性の社会的地位や差別はより厳しい。主人公たち(多くは女性)の葛藤には、そういう背景があるように思える。

 昨年から韓国ではSFがブームになっており、「今日のSF(오늘의sf)」(現在2号まで出ている)などのSF専門誌の創刊や旧作の復刊などが相次いでいるという。また『82年生まれ、キム・ジヨン』に代表されるフェミニズムとの融和性も指摘されている(「現実を転覆させる文学」文藝2020年冬季号)。

 今年出た英訳版が絶賛されている村田沙耶香『地球星人』(Earthlings)とか、藤野可織『来世の記憶』など、外観はSFながら、これらは必ずしも奇想アイデアをメインに据えた作品ではない。ジェンダーや人種・社会階層・民族差別、貧富の差、LGBTなどのマイノリティーへの共感など、社会問題が関わっている。アレゴリーというより、もっと直截的にメッセージを届ける道具としてSFが使われているわけだ。本書も同様だが、ジャンル小説内にとどまらない、ほぼ世界同時に進む現代文学の潮流と言って良いだろう。

牧野修『万博聖戦』早川書房

カバーイラスト:佳嶋
カバーデザイン:早川書房デザイン室

 牧野修の書下ろし長編。本書は、初の連載小説だった『傀儡后』(2002)、SF大賞特別賞『月世界小説』(2015)でも描かれた1970年代が重要なキーとなる作品であり、全体を通して異形の20世紀三部作とでもいえる内容だろう。

 著者はインタビューの中で「どの作品もどこか重なりあって同じ旋律を繰り返しているような気がします。その結果が『万博聖戦』で、集大成というよりは、中央にある私の伝えたい核にだいぶ近づいているような気はします」(SFマガジン2020年12月号)と述べている。

 中学生になったばかりのシトには友人がいなかった。しかし、級友のサドルが唐突に話しかけてきたことをきっかけに、隠された秘密を知ることになる。彼は、オトナ人間とコドモ反乱軍が戦うテレビ漫画の話をするのだが、その戦いは現実にも行われているというのだ。

 物語は1970年に開かれた大阪万博の1年前から始まる。そこはわれわれが知っている(と思っていた)過去とは少し違う世界だ。オトナ人間はインベーダーに憑依された操り人形で、秩序と論理で日本人すべてを支配下に置こうとしている。対するコドモたちは、無責任な自由とでたらめによって対抗する。非力なようでも、彼らには異次元世界に棲む(子供じみた)援軍、少女将校ガウリーらの乗り組む超弩級巡洋艦がいる。その戦いの焦点こそが万博会場にあるのだ。後半舞台は一転し、われわれの見知らぬ2037年に移る。子どもたちはもはや大人で、かつて使えた特殊能力は失われている。しかも、オトナ人間たちは再び侵攻しようと力を蓄えている。

 著者の小説には、だれも見たことのない異形のものが登場する。ホラーではそれがゾンビや電波系怪人の姿をしており、SFではアニメや特撮ドラマのヒーロー、あるいは抽象化された概念的怪物であったりするが、本質的には同じものなのだろう。本書ではオトナ対コドモという対立軸が描かれる。しかし、前半と後半でその正義の意味が反転する。1970年代や大阪万博という繁栄の時代を、50年後に復活させようとする呪術(フィクション)を、虚構(フィクション)の中で問い直す意味もある(前掲インタビュー参照)。また、表現規制派(オトナ)対自由派(コドモ)、規律(オトナ)対放任(コドモ)という現代的な社会問題すら内包する奥深さが面白みを増している。

竹田人造『人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル』/十三不塔『ヴィンダウス・エンジン』早川書房

カバーイラスト:ttl
カバーデザイン:アフターグロウ
カバーイラスト:鈴木康士
カバーデザイン:早川書房デザイン室

 第8回ハヤカワSFコンテストは大賞受賞作がなく、2作品が優秀賞同時受賞となった。竹田人造は1990年生まれ、第9回創元SF短編賞で新井素子賞を獲った短編を全面改稿し長編化したものという。一方の十三不塔(麻雀の役名から採られたペンネーム?)は1977年生まれ、過去に中国に住んでいたことがあり(当時のルームメイトの名が主人公に使われている)、四川省成都が舞台で日本人の登場しない物語にその体験が生きたようだ。

 人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル:親の借金絡みでヤクザとのもめ事に巻き込まれた主人公は、たまたま口にした専門知識が幸いして、ある犯罪に協力することを条件に助命される。だが、それは監視カメラ網でがんじがらめに管理された首都圏で、装甲現金輸送車を襲うという破天荒な計画だった。

 主人公はAI技術者。先端企業に勤めていたが傲慢な上司と折り合えず退職、そのあと人生を転がり落ちる。しかしハイテクおたくだったヤクザの一人に見いだされ、しぶしぶ犯罪に加担する。巻末の参考文献でも匂わせているが、本書でのAIは「人間を超越した知能」を持つ存在ではなく、パターン認識を使って「直感的な推論」をする現実的なシステムだ。だから、特有のテクニックで騙すことができる。そのだまし合いがリアルに描かれている。

 審査講評(東浩紀、小川一水、神林長平、編集長)を読むと、エンタメ作品を書ける即戦力として評価が高い反面、物語としての意外性がない、結末が不十分、(リアルな現実を越える)視点が必要との意見が出て大賞には至らなかった。昨年のアガサ賞で藤田宣永(故人)が、SFコンテストではエンタメだけの作品は通らないと述べていたが、本書もSFコアな要素が不十分なのだろう。

 ヴィンダウス・エンジン:主人公は韓国人、動きのないものが認識できなくなる難病ヴィンダウス症に苦しむ主人公は、主治医だった香港の医師から誘われ、中国成都の研究施設を訪れる。成都は都市機能AIに制御されている。そこで、都市の管理を担うヴィンダウス・エンジンとなるよう要請されるのだ。

 主人公、主治医、都市の有力者、インド人の科学者、成都で密かに生きるヴィンダウス症の人々と人物は多彩、擬人化された都市AI(複数)も中国語でネーミングされて登場する。こちらのAIは(アニメや映画でおなじみの)スーパーヒーロー的な存在で、超常バトルもまたそれらしい。ヴィンダウス症が生み出すものの謎を追う物語でもあるだろう。

 本作のテーマは壮大で、その点は最終候補作の中でも高評価だった。しかし、人物の描きわけや(読み進める上での)論理的な記述に対して、客観状況説明がほとんどない、論理の連鎖もやや危うい、主人公の造形に特徴がない、テーマが無理やりキャラクターを動かしていると、竹田人造とは逆にエンタメ要素の不足が課題となったようだ。両者のバランスを取るのは、なかなか難しいと感じられる。とはいえ、大賞2作品にはそれぞれ読みどころがあり(一般読者的には)十分楽しめる。