1975年に文化出版局から出た伊藤典夫編訳のショートショート・アンソロジイに、9編を増補したもの(これらも50-60年代作品)。編者が32歳で編んだ初のアンソロジイでもある。収録作となると、先週のディッシュよりさらに時代をさかのぼる。改訂されたとはいえ、中味が半世紀を優に過ぎた本書に懐旧以上の価値があるかどうかを確かめてみた。
ロン・ウェッブ「びんの中の恋人」(1964)埃まみれの酒瓶の中から精霊ジニーが現れ、3つの願いを聞いてくれるという。しかしそれには条件があった。リチャード・マシスン「死線」(1959)クリスマスの夜、老人が死を迎えようとしていたが、医師の聞いたその年齢は信じられないものだった。ジェイムズ・サーバー「レミングとの対話」(1942)山中を歩いていた科学者は、たまたま居合わせた人語を話すレミングと遭遇する。レイ・ブラッドベリ「お墓の引越し」(1952)改葬が必要になり、親戚を集めて墓を掘り起こそうとしたとき、一族の婆さまは昔の恋人を優先するように指示をする。ロバート・L・フィッシュ「橋は別にして」(1963)この国で自動車が占有している面積はどれぐらいあるのか、橋は別にして。リチャード・マシスン「指あと」(1962)バスには奇妙な二人連れの女が乗っていた。アーサー・ポージス「一ドル九十八セント」(1954)道端で助けた小さな神が、お礼に願い事をかなえてくれるという。ただし、願いも小さく1ドル98セント相当だけ。ウォルター・S・テヴィス「受話器のむこう側」(1961)2か月後の自分からだと名乗る電話がかかってくる。いまから話す内容を、残さずすべてメモせよと告げるのだ。ロバート・シェクリー「たとえ赤い人殺しが」(1959)果てしない戦争で死んだ男は、望まなかった再生を強いられる。ロバート・F・ヤング「魔法の窓」(1958)1枚だけのカンバスを売る少女の作品は、陰気だが妙に心を奪われるものだった。リチャード・マシスン「白絹のドレス」(1951)入ってはいけない部屋はママのものだった。そこには真っ白な絹のドレスが掛けられている。ウィル・スタントン「バーニイ」(1951)島にはわたしとバーニイだけしか残されていない。しかしその知能の高さには問題があった。デイヴィッド・H・ケラー「地下室のなか」(1932)建て替わった地上の家とは不釣り合いなほど大きな古い地下室を、その家の長男は幼いころから恐れていた。マン・ルービン「ひとりぼっちの三時間」(1957)突然、人々の気配やラジオ放送すら消え去る。男はたった一人都会に取り残される。ジョン・ブラナー「思考の檻」(1962)地下に閉じ込められた男には、無数の思考がこだまのように聞こえてくる。R・ブレットナー「頂上の男」(1960)未踏峰に一番乗りしたのは、実は世間で知られるあの男ではないのだ。リチャード・マシスン「わが心のジュリー」(1961)強固な性的妄想に突き動かされる男は、一人の女子大生に目を付ける。クロード・F・シェニス「ジュリエット」(1961)医師が病院から帰宅するとき、いつもジュリエットが待ち構えている。アルフレッド・ベスター「くたばりぞこない」(1958)老人は周りにいる人々からすれば、時代遅れのくたばりぞこないなのだった。アラン・E・ナース「旅行かばん」(1955)旅を続けていた男は、ある町で一人の女に惚れこみ結婚を申し出る。W・ヒルトン・ヤング「選択」(1952)未来を視たはずの時間旅行者なのだが、なぜか何も覚えていない。マーガレット・セント・クレア「地球のワイン」(1957)ナパバレーのぶどう園に異星人が訪れる。園主は最高のワインでもてなそうとする。フリッツ・ライバー「子どもたちの庭」(1963)特別な魔力を持った先生のいる学校とは。ジョン・コリア「恋人たちの夜」(1934)天使と悪魔が人間の女性に変身し、お互いの正体を知らずに人間の恋人を奪い合う。リチャード・マシスン「コールガールは花ざかり」(1956)訪ねて来た見知らぬ女は、うろたえる男に性的サービスのデリバリーを匂わせる。ウィリアム・テン「吸血鬼は夜恋をする」(1956)医師の息子がほれ込んだ女性は、なぜか夜にしか会うことができない。マイクル・シャーラ「不滅の家系」(1956)過去を遡り、名を遺す祖先を探し出す会社の社長は、最後に自分の祖先を知ろうとするが。エドガー・パングボーン「良き隣人」(1960)軌道上の宇宙船から巨大生物がアメリカの上空に飛来する。人間たちは慌てて対処しようとするが。A・E・ヴァン・ヴォークト「プロセス」(1950)異星の森林に宇宙船が着陸する。その森には集合的な意識があり、遠い昔に起こった事件を記憶していた。ピージー・ワイアル「岩山の城」(1969)岩山の城が作られ、崩壊し、また別のものへと再建されていく叙事詩的な物語。フレデリック・ポール「デイ・ミリオン」(1966)肉体も心のありようも変化した千年後の世界で、奔放に生きる恋人たちの生活。ウォルター・S・テヴィス「ふるさと遠く」(1958)学校プールの用務員は、ある朝そこにクジラがいるのに気が付く。
以上、忘備録もかねて全作品を挙げた。マシスンは最多で5編もある。今日的な倫理観とは相いれないが、サイコパスと女性に対する恐怖症とが入り混じった作品が異彩を放つ。テヴィスの2編は、後の短編集『ふるさと遠く』にも入っていたアイロニーあふれるもの。それ以外は1作家1作品である。
予想通りのオチでも語りが面白い「頂上の男」、筒井康隆「お紺昇天」に先行する「ジュリエット」は自動運転時代に相応しいかも、現代でも通用する憂鬱な未来を描く「たとえ赤い人殺しが」と「くたばりぞこない」、ネットドラマにでも使えそうな設定の「旅行かばん」「恋人たちの夜」と「吸血鬼は夜恋をする」がそれぞれ印象に残る。「デイ・ミリオン」のレトロフューチャーな雰囲気も良い。(これらが厳密に元ネタとはいえないが)定番アイデアの原点を捜すという読み方もできるだろう。総じて(いくらか注釈は必要ながら)いまの読者でも十分楽しめるレベルと思われる。
34編中22編はF&SFやギャラクシー、ウィアード・テールズなど専門雑誌からの翻訳、あとは短編集や一般誌から選ばれたトラディショナルな小品である。掌編もあるが、概ね20枚弱前後の長さに収まっている。傑作選や別のアンソロジイなどに転載された有名な作品も含まれる。
編者はMen`s Clubに1965~91年まで翻訳の連載を持っていた。本書の半分(75年分まで)はそこから選ばれたものだ。他は同時期のSFマガジンや、ミステリマガジンの掲載作になる。1970年以前の作品であれば、比較的新しいもの(60年代)でも版権なしで翻訳が可能だった。本書のショートショートに限らず、雑誌に載った伊藤典夫訳の中短編は多かったが、著者もテーマもばらばらな短編はまとめること自体が困難なため、ほとんど本の形で残っていない。
文化出版局は1975~77年に《FICTION NOW》というレーベルを冠して、本書のほか、豊田有恒『イルカの惑星』、高斎正『クラシックカーを捜せ』、眉村卓『変な男』、矢野徹『王女の宝物蔵』、荒巻義男『時の葦舟』、浅倉久志編訳『救命艇の反乱』、田中光二『エデンの戦士』、豊田有恒編『日本SFショートショート選』を出した。日本作家の作品は再編されたり文庫化された(といっても20世紀以前だ)が、アンソロジイは埋もれてしまっていた。
- 『最初の接触 伊藤典夫翻訳SF傑作選』評者のレビュー