ハードにしてソフト、人の本質を突く作家 グレッグ・イーガン

 今回のシミルボン転載コラムはイーガンです。海外のSF作家、それも英米圏ならテッド・チャンとグレッグ・イーガンは日本での人気の双璧といえます。多くの翻訳作品がありますが、ほとんどは現行本か電子書籍で読めるというロングセラー作家でもあります。以下本文。

 1961年生。オーストラリアの作家。ポートレートを一切公開せず、イベントやサイン会にも参加しない覆面作家として知られる。理論的なバックグラウンドを備えた本格的なハードSFを書く作家で、英米よりも日本での評価が高いのが特徴だ。母国オーストラリアのディトマー賞で辞退騒ぎがあった2000年以降(ノミネート自体を拒否している)は、日本の星雲賞(長編部門で2回、短編部門で4回)での受賞回数が際立っている。

カバー:小阪淳

 『祈りの海』(2000)は編訳者山岸真による、日本オリジナルの短編集である。この本が出る前は、長編『宇宙消失』(1992)や、仮想環境下でシミュレートされる生命を描いた『順列都市』(1994)で注目されてはいたが、まだコアなSFファン内部にとどまっていた。イーガンの魅力を存分に伝えた本書が、一般読者を含む幅広い人気を生み出すきっかけになったのだ。

 1日ごとに違う自分だったら。可愛いが人とは認められない赤ん坊がいたら。不死を約束する意識のコピーを持てたら。あるいは、未来から送られてくる日記があったら。誘拐されたのが自分の感性だとしたら。人類の祖先はアダムなのかイヴなのかが分かったら。そして、神々と逢える海(ヒューゴー賞、ローカス賞、星雲賞を受賞した「祈りの海」)の正体を知った主人公はどう行動したのか。人間の根源である意識や思考は、単なる物理・化学変化が生み出す錯覚にすぎないのかもしれない。こういったアイデアの数々は、読者に衝撃を与えた。

カバー:Rey.Hori

 短編集『しあわせの理由』(2003)では、星雲賞をとった表題作で、不治の病に冒され死につつある少年が描かれる。不幸なはずの少年は幸せだった。何もかもが肯定的、あらゆるものが楽天的に感じられるからだ。彼の脳内で育ちつつある癌が、ある種のエンドルフィンを分泌する。それが人に究極の幸福感を与えてくれる。本書のどの作品もシニカルだ。派手な盛り上げはない。たんたんと物語が流れていく。デジタル化され、化学物質で感情が左右されると、逆に人間の本質があらわになる。最愛の夫を宿せと言われた妻を描く「適切な愛」や、この「しあわせの理由」で顕著に現れるのが、肉体や感情のコントロールこそ、純化された人間そのものというメッセージだ。電脳やナノテクは非人間的という、一般的なパターンをはるかに超越した考え方だろう。

カバー:L.O.S.164

 『万物理論』(1995)は、2005年の星雲賞受賞長編である。21世紀半ば、遺伝子情報は大企業が寡占している。さまざまな遺伝子操作の可能性は奇怪な事件や人物を生み出していた。そんな生命を弄ぶ取材に疲れた主人公は、物理学会で画期的な理論の発表がされることを知る。「万物理論」は宇宙創造を説明し、物理の根本を説明できるという。

 本書のキモは、やはり「驚くべき結末」を構成する奇想アイデアであり、いかにも本当らしい理論的説明にある。誤解を避けるため、反科学の立場は本書で否定的に描かれているが、アイデア自体は疑似科学を思わせる。それをトンデモ説ではなく、客観的な立脚点で描ききったところがSF作家イーガンの際立つ才能といえる。

カバー:小阪淳

 2006年の星雲賞受賞作『ディアスポラ』(1997)は本格宇宙SFである。30世紀、人類は少数の肉体で生きる人々を除いて、大多数がソフトウェアによる電脳者だけになり、彼らは情報を集積する唯一のハードウェアであるポリスで生活している。ある日、文明を支えていた予測理論では予見できない宇宙的異変が起こり、地球環境が破壊されてしまう。このままでは、彼ら自身のポリスの未来も不確かなままだ。真理(新しい法則/理論)を求めるべく、1千もの宇宙船が宇宙に散開(Diasporaの意味)する。しかし、そこで彼らの目にしたものは、ありうるべき理論をはるかに超える未知の存在だった。

 本書のように、文字通り次元を超えた大変移は、既存のどんな作品でも書かれたことがない。宇宙SFというより宇宙論SFなので、イーガン流の重厚な世界を正面から楽しむつもりで読むべき作品だ。もちろん「宇宙物理SF」を読むのに宇宙物理の素養は必要ない。

 ハードSFはやっぱり苦手という人には、同じ山岸真編のTAP』(2008)という作品集もある。ちょっと不思議系作品が選ばれている。本書の中では、実験室で人知れず実験動物を使って培養されるもの「悪魔の移住」や、偶然大金を手にした夫婦が、生まれてくる子供に最高の遺伝子を持たせようとする「ユージーン」の結末が、いかにもイーガン風の皮肉で面白い。

カバー:小阪淳

 長編『ゼンデギ』(2010)は宇宙ではなく、近過去(2012)と近未来(2027)のイランを舞台にした作品。そこで流行しているVRゲーム(ゼンデギ)をからめて、イーガン得意の人間意識の電子化を描く異色作だ。

 『ゼンデギ』(2010)の次に書いたのが、《直交3部作》(2011-2013)である。しかし、これに手をつける前に、『白熱光』(2008)をまず読んでみることをお勧めする。

 ハブと呼ばれる中心を巡る軌道の上に、その世界〈スプリンター〉はある。異星人である主人公は、理論家の老人と知り合い、さまざまな実験と観測の結果、ついに世界の秘密を説く鍵を見つけ出す。一方、150万年後の未来、銀河ネットワークに広がった人類の子孫は、銀河中心(バルジ)から届いた1つのメッセージを頼りに、別種の文明が支配するその領域に踏み込もうとしていた。

 物語は、時間軸の異なる2つの系統から作られている。六本脚の異星人が孤立した星の中で、独自に物理法則を発見していく物語と、生物由来/電子由来の区別がなくなった超未来の人類が、銀河中心に旅する物語である。後者は、最終的に前者との結びつきを発見することになる。種明かしにも関係するが、本書の舞台はブラックホール/中性子星という、超重力の近傍世界だ(それ自体ではない)。

 何しろ、理論物理学の教科書を読まないとわからないことが、数式なしで書かれている。シミュレーションすることで初めて見えるような物理現象が、ビジュアルに書かれている(つまり、明確な根拠を持っている)。著者自身その詳細を、数式で解説している。そもそも書かれた世界ではニュートン力学ではなく、相対論的効果の下での力学が働いているのだ(われわれも厳密にいえば相対論的効果の下にあるが、その効果を日常で感じることはない)。翻訳版では解説に謎の答えのヒントがあるし、物理的な背景も(なんとなく)分かるので、比較的読みやすいだろう。

カバー:Rey.Hori

 次に『クロックワーク・ロケット』を始めとする《直交三部作》(2011-2013)がある。ここでいう直交 Orthogonal とは、本書の場合、主人公たちの宇宙と直角に交叉する直交星群を指す。原著が3年かかって出たのに対し、翻訳は1年以内に3部作を刊行しようとしている。これまでイーガンを一手に引き受けていた山岸真に加え、中村融を共訳者に据えた強力な布陣(前半後半を分担し、全体調整は山岸真)が注目される。

 別の物理法則が支配する宇宙、主人公は旧態依然の田舎から逃げ出し都会で学者の道を選ぶ。やがて、夜空に走る星の光跡から回転物理学を発表、世界的な権威となる。一方、大気と衝突する疾走星がしだいに数を増し、破滅の危機が叫ばれるようになる。主人公らは、巨大な山自体をロケットとして打ち上げ、そのロケットの産み出す時間により世界を救うことができるのではないかと考える。ロケットを時間軸に対して垂直になるまで加速すると、母星の時間は止まり、無限の時間的余裕が生まれるのだ。

 主人公は人間ではない。前後2つづつの目を持ち、手足は自在に変形できる。腹部に記号や図形を描き出し、それが重要なコミュニケーション手段となる。性は男女あるが、女は男女2組の子供を産む(この男女が双と呼ばれ、通常なら生殖のペアとなる)。主人公は単独に生まれた女で、出産を抑制する薬を飲む。人類とかけ離れた生態ながら、主人公らは人間的に感情移入しやすく描かれる。人という接点がなければ、小説として成立しなくなるからだ。

 『白熱光』は特殊な環境の星を舞台にしていたが、そうはいっても同じ相対論宇宙での出来事だった。本書は違う。根本的な物理法則が異なっており、相対性理論は回転物理学と呼ばれている。なぜなら、時間経過を示す方程式で、時間の二乗が距離割る光速の二乗で「引かれる」のではなく「足される」からである。そのあたりの理論的解説は、例によって著者のHPで詳細に書かれている(が、それを読んで直ちに理解できる人は少ないと思う)。巻末にある板倉充洋による解説の方が分かりやすい。

 本書は、ありえない世界の一端を物理現象として見せてくれる。物理法則は世界の在り方を記述する。しかし、そこを書き換えた結果、何が起こるのかをすべて予測するのは難しい。著者自身述べているように、全く異なる世界をシミュレーションするには、無限大の知見が必要になるからだ。その隙間こそ、小説が埋めるべきものだろう。前例がないわけではない。レムは架空書評集の形で書いたし、小松左京は「こういう宇宙」でその雰囲気を描いて見せた。

 ところで、なぜクロックワーク・ロケットなのか。この宇宙では原理的に電子制御ができず、ロケットは機械仕掛けのみで動くこと。もう一つ、時間と空間が完全に等価であり、光速による制限がない=光速を越えられる=タイムトラベルが自在=時を動かす装置、等の連想もできるだろう。

カバー:Rey.Hori

『エターナル・フレイム』(2012)は、《直交3部作》の2作目にあたる作品である。母星から直交方向に飛ぶ巨大な宇宙船〈孤絶〉内部では、すでに数世代の時が流れている。故郷を救う方法は未だ得られず、帰還に要するエネルギーも不足する。しかし、接近する直交星群の1つ〈物体〉を探査した結果、意外な事実が判明する。一方、乏しい食料と人口抑制の切り札として、彼らの生理作用を変える実験も続けられていた。

 前作では直交宇宙における相対性理論=回転物理学と、その理論を解明する主人公たちが描かれていた。今回は量子論である。解説で書かれているように、20世紀から21世紀にかけての量子力学の成果が、形を変えて直交宇宙で再演されている。光が波なのか粒子なのか、といったおなじみの議論もなされるが、当然我々の宇宙と同じにはならない。物理学上の大発見と並行して起こるのが、ジェンダーの差による宿命を揺るがす生物実験だ。それは、宇宙船内を巻き込む大事件へと広がっていく。物理学の再発見という静的な物語の中で、これだけは感情に左右される問題だろう。ある意味、とてもイーガン的なアイデアなので、インパクトを与えるものとなっている。

カバー:Rey.Hori

 さらに『アロウズ・オブ・タイム』(2013)は3部作の完結編である。アロウズ・オブ・タイムとは“時の矢”のこと。時間には流れる方向があり、それは矢が飛ぶ様子になぞらえられる。放たれた矢は一方向に飛び、逆転してもどってくることはない。しかし、時間と空間が完全に等価なこの宇宙ではありうる。たとえば、未来からのメッセージを過去の時点で受け取ることが可能なのだ。片道に6世代を費やしてまで母星の危機を解決しようとした〈孤絶〉内部では、帰還への旅の過程で、メッセージの受け取りと意思決定を巡って深刻な対立が巻き起こる。

 この3部作は、相対性理論・量子力学・時間遡行までを扱う究極のハードSFなのだが、意外にも軽快に読めてしまう。設定は重厚でも、お話は変にひねっていないので読みやすいのだ。別の宇宙の物理を組み立て(著者のホームページにはさらに詳しい設定資料があるが、物理が平気な人以外にはお勧めできない)、ノーベル賞級の発見(相当)をこれだけコンパクトにまとめた、イーガンの手腕には改めて驚かされる。

(シミルボンに2016年8月31日、及び2017年2月24日掲載したものを編集)

 この記事の後も、イーガンは長編『シルトの梯子』(2001)や、星雲賞を受賞した「不気味の谷」を含む作品集『ビット・プレイヤー』(2019)などが翻訳され、2020年には文藝夏季号で特集が組まれるなど、ジャンルを超えた幅広い人気を維持しています。

ケヴィン・ブロックマイヤー『いろいろな幽霊』東京創元社

The Ghost Variations: One Hundred Stories,2020(市田泉訳)

装丁:岩郷重力+W.I
イラスト:Kelly Blair

 ケヴィン・ブロックマイヤーの掌編集。著者の作品ついては、2012年に翻訳された『第七階層からの眺め』以来12年ぶり(正確には11年半)となる。アメリカでも10年ほど新著が出ていなかったので、紹介が遅れたせいばかりではない。過去にスリップストリームとかスプロール・フィクションとされた作風は、今日のSF・純文小説ではむしろ主流になってきた。本書は全部で11の章に分かれていて、それぞれに6~13編の掌編(2ページ前後で多少ばらつきあり)計100編が収められている。

 幽霊と記憶(6つの掌編)法律事務所に捉えられた幽霊、進路指導カウンセラーが見た幽霊、夢の中こそ現実と思う男、請願書に署名を求められた男、周りの誰からも助けてもらえる女、人生のあらゆる昨日を再訪する男。
 幽霊と運命(7つの掌編)ヒッチハイカーはみんな死神、願い事を待つ精霊、幽霊出没ゲームの遊び方、運命のバランスが完全にとれている男、方向音痴の幽霊は道に迷う、幽霊が取り憑く生者が減り死者が増えすぎる、突如ステージに案内された女。
 幽霊と自然(10の掌編)ゾウたちに録音の声を聞かせる、白馬の行方を相談されたペット霊媒師、人は二種類の動物からできている、ミツバチのようでミツバチでないもの、木を風景を損なう邪魔ものと考える男、家が木々の幽霊に満ちていると考えた男、幽霊の雨が降り幽霊の実がなる、人生のリズムと芝刈り機のリズム、大統領令により各家庭に砂場が供給される、岩の上で争い合う二人の部長。
 幽霊と時間(8つの掌編)左右の虹彩の色が違う少年、温和な中年男が来世から請求書を受け取る、特定の1分間が死亡する、2方向に向かって年をとる男、時計でいっぱいの国に住む幽霊、生まれる何世紀も前に幽霊になる、夏のあとに秋が来てまた夏が来る、少女が好むのはややこしくないタイムトラベル。
 幽霊と思弁(9つの掌編)動き続けるファンタズムと動かない仇敵スタチュー、巨人で幽霊で魔術師でもある一人の男、宇宙船が到着したとき地球には幽霊しかいない、転送された人は新たな魂を得るのか、宇宙崩壊後には宇宙の幽霊たちだけがいる、宇宙論プリズムは思わぬ発明につながる、男/女らしさを発現する装置、混雑緩和のため新たな来世が建造される、第115連隊の兵士たちは弾丸がスローモーションで飛ぶところを見る。
 幽霊と視覚(9つの掌編)名をなした監督は「見られない」映画を撮る、すべての人が同じ顔に見える、美術愛好家が色覚異常補正眼鏡を入手する、たいていの2歳児とは違う意味で扱いにくい子供、赤の他人の写真を壁紙にする男がいた、村の掟では人影以外の影に入ってはいけなかった、幽霊になりたい少年、男は死ぬとき青をいっしょに連れていくと言う、死後の世界はほぼ空っぽに近かった。
 幽霊とその他の感覚(10の掌編)手で触れずにはいられない像を制作する彫刻家、二流の才人を目指したウィーンの作曲家、世界から歌が尽きてしまった、幽霊はふだん音を立てない、彼が亡くなりやがて匂いも死ぬ、家はいつもより豊かな気がする、紳士は物質的半身と精神的半身からなる、幽霊が幼児の体に閉じ込められる、歯に食べかすが挟まっている幽霊、5人の無関心が住んでいる。
 幽霊と信仰(7つの掌編)死の国は南西に位置する、理論的聖書研究センターの異常派と尋常派、不動産屋が語る教会の様子、このおれはとりわけ運が悪い、幽霊ではないと露見し来世から追放された男、最後の審判が起こったあと、ため込みすぎた罪人の魂を少額硬貨として浪費する悪魔。
 幽霊と愛と友情(13の掌編)少年の体から幽霊が逃げ出す、男はようやく自分が幽霊になったと認めた、独身男は射精したものが幽霊になっていると気づく、朝夕2時間鏡を見つめる女、中年夫婦の気まぐれの奥底にある回転式改札口、恋する男女の思いは懲罰か慰めか、関係が終わったとき友人たちは間一髪で良かったという、ガールフレンドの死を知った男は約束を思い出す、男を忘れようと別の男を探す女、女の夫は優しく魅力的だが心を持っていない、次々結婚する男は誰とも長続きしなかった、死後の世界は学校とそっくりだった、あるとき「あなたの靴が好き」というメッセージが現れる。
 幽霊と家族(11の掌編)男の住む国は幽霊でいっぱいだった、宇宙秩序の混乱で赤ん坊ではなく幽霊が生まれるようになる、その遊びは「見えない、さわれない」というものだった、臆病な少年は勇敢な少年の幽霊兄弟なのだ、人間は生み出す努力をしないと魂を持てない、自分が死んだのに家族は気がつかない、母親から能力を引き継いだ霊能者がいた、男はできるだけ父親と違う人間になろうとする、信仰心の乏しい若者が祈りを捧げる、他人の死を願った男が先に死ぬ、鰐にかまれて死んだ男の幽霊は二つに分かれる。
 幽霊と言葉と数(10の掌編)おしゃべりをする3羽のインコを飼う男、あらゆることが婉曲表現となる村、幽霊が出没する中華料理店、アルファベット27番目の文字が見つかる、既視感を表現する言語とは、会話ができないと悟った騒霊の得たチャンス、隣通しの少年と少女は糸電話で友達となる、揺りかごから数のカウントを聞いてきた少年、神は空想上の存在と現実の存在とのバランスに悩む、かつて書かれた中でもっとも恐ろしい幽霊譚。

 本書の巻末にはテーマ(「幽霊と動物」「幽霊と植物」などなど)ごとの索引が掲げられており、そこに含まれる掌編が列記されている。キーワードは50あるので、そういう順序で読み直すこともできる。さらに全作品の解題(のようなもの)まであって、内容をいくつかの短い単語で要約している(といっても詳細はわからない)。実用的というより、これも作品の一部なのである。

 本書の掌編では、怪談や怪奇現象だけが語られるわけではない。トラディショナルな幽霊譚もあれば、人間/魂と一体化した分身の物語もあったりする。人間の中に潜む欲望とか感情は、理性に対する本能=霊魂に属するともいえる。人だけでなく動植物が魂の乗り物/空き部屋だとすれば、さまざまな生と死の物語も幽霊譚になるだろう。少年少女たちの夢や成長の物語、ちょっとおしゃれな都市伝説風や哲学的なお話もある。それぞれクセのある物語の中には、スペキュラティブなSFもあって多様に楽しめる。

ジリアン・マカリスター『ロング・プレイス、ロング・タイム』小学館

Wrong Place Wrong Time,2022(梅津かおり訳)

カバーイラスト:最上さちこ
カバーデザイン:大野リサ

 著者は1985年生まれの英国作家。本書はリース・ウィザースプーンによるブッククラブに選ばれたことでベストセラーとなった話題の本である。家族を主役にしたファミリー・サスペンスドラマだが、タイムループ的な設定が重要な役割を果たす。表題の「ロング」はlongではなくwrong、運悪く(悪いことに)巻き込まれるの意だが、それと主人公の気まぐれなタイムスリップ現象を掛けているようだ。

 主人公は亡くなった父親の事務所を引き継いだ離婚専門の弁護士、夫は寡黙な自営内装業者で、高校卒業間際の一人息子がいる。ところが、深夜に帰宅した息子は、自宅の前で誰かともみ合いになり相手を刺し殺してしまう。何があったのか。凶器のナイフは息子の持ち物か、殺された男は何者か。主人公にはどちらも全く思い至らない。

 そこから、家族の隠された秘密が明らかになっていく。本のプロモーション文の範囲で書くが、事件の翌日から(一日が終わるたびに)主人公は過去に遡っていく。しかも、最近の映画(2分という極端なものまで)や小説(例えばこれ)に描かれた一定時間のループではなく、その起点が過去に数日、数週間とずれていくのだ。つまり、タイムループというよりタイムスリップなのである。詳細は読んでいただくとして、なるほど時間ものは犯行の原因・動機を探る倒叙型ミステリのプロットと相性が良い。サスペンスを高める効果も十分にある。

 過去に戻ることで、主人公は自身の生き方に疑問を抱くようになる。事務所を切り回すため、あまり家庭を顧みなかったからだ。最愛の家族だと思っていたのだが、息子にどんな友人関係があるのか、そもそも夫が何をしてきたのか(本人が話さないとはいえ)どんな出自なのかも知らない。時を隔て(自身が若かったころの)はるかな過去に隠された真相とは。

 ところで、本書には主人公とは別にもう一人の主役がいる。そのエピソードの時間が、どう本編に関わってくるのかが物語の読みどころだろう。

セコイア・ナガマツ『闇の中をどこまで高く』東京創元社

How high we go in the Dark,2022(金子浩訳)

装画:最上さちこ
装丁:岩郷重力+W.I

 著者は1982年生まれの日系アメリカ人作家。この長編は、2022年から始まったアーシュラ・K・ル=グィン賞特別賞受賞作(最終候補)である。「希望の根拠を突き詰め、今の生き方に代わる選択肢を見出す」imaginative fictionを対象とする賞という。ル=グィンの名を冠するに相応しいかも考慮されるようだ。ちなみに、この年の正賞はケニアの女性作家カディジャ・アブダラ・バジャベルに贈られた。

 温暖化が進むシベリアで永久凍土が緩み、三万年前の洞窟が露出する。そこでミイラ化した少女が発見される。だが同時に見つかった未知のウィルスの中に、臓器の機能をでたらめにするという恐ろしいパンデミックの源も混じっていた。その病は、やがて北極病と呼ばれるようになり、まず子どもを中心に蔓延する。

 たくさんの断章から物語は構成される。閉塞的なシベリアの発掘調査基地、子どもを安楽死に至らせるパーク「笑いの街」、死の間際でネット空間を漂う少年の意識、治療法を研究する中で知能が目覚めた(ように見える)実験動物の豚、巨大な葬儀会社の死別コーディネータが住むエレジー(哀歌)ホテル、サポートもない古いロボドッグを弔う修理屋、さらにはマイクロ・ブラックホール技術から生まれた亜光速宇宙船USSヤマト(ヤマトは人名に由来)による恒星間移民の物語までスケールアップする。

 調査中の事故で亡くなった娘とその父親、パークで働く男は兄と折り合いが悪く母の介護からも逃れ、科学者は息子の治療を巡って妻と疎遠になる。病を軸とした父と子、母と子や夫婦、兄弟姉妹のさまざまな葛藤が描かれる。多くの登場人物は日系で人種的な軋轢もある。移民のルーツとなる母国日本は、東京のインターネットカフェや新宿スラム、海進で水没した新潟(一時期住んでいた)などが、アジア的な家族の象徴として登場する。その視点は著者の体験に由来するのだろう。どれもが家族の物語である。パンデミックは本書のテーマではない。極限にまで追い込まれた家族が主題なのだ。

 作者の好みなのか、80年代ミュージック、スタートレックやスターウォーズ、セーラームーン、ソニーのAiboなど、クラシックなガジェットがお話しの中に見え隠れする。USSヤマトはその延長線上にあるものだ。ル=グィン的ではないが、超越者の存在まで匂わす大胆さがある。また「紫水晶のペンダント」が冒頭と結末を結ぶなど、人物だけではなく小道具の伏線にも配慮が行き届いた作品といえる。

ラヴィ・ティドハー『ロボットの夢の都市』東京創元社

NEOM,2022(茂木健訳)

装画:緒賀岳志
装幀:岩郷重力+W.I

 原題のネオム=NEOMとは、サウジアラビア北西部の砂漠で建設途上にある実験都市の名称だ。高さ500メートルのビルが一直線に170キロも続くなど、誇大妄想的なヴィジョンからネットでも話題になった。今後どうなるかはともかく、単なるペーパープランではなく、もう着手されているというのがミソ。本書では、夢の都市ネオムが完成してからさらに数百年後が舞台である。

 老母を養うためエッセンシャルワークに就く女は、パートタイムで花を売っているとき、一本のバラを買う古びたロボットと出会う。遠い宇宙から帰ってきたというロボットは、かつては恐ろしい戦争兵器だった。家族を失った少年は、掘り出したレアものの遺物を売ろうとしている。そのため、交易する隊商団=キャラバンと合流しネオムに向かう。

 人語を話すジャッカル、墜落した宇宙船、さまざまな由来を持つロボットたち。物語は架空の固有名詞を無数にちりばめて読者を幻惑する。説明抜きで、エキゾチック感のあるターム(実在するアラブの風俗、ロボトニック、ナル・スーツ、バッパーズ、テラー・アーティスト、ノード、シドロフ・エンブリオメック、アザーズ、UXOなどなど)が連なる。

 帯に「どこか懐かしい」とあるが、AIではなく人間的なロボットもの、かつコードウェイナー・スミスの《人類補完機構》を思わせるスタイルだからだろう。作者もあとがきで、大きな影響を受けたと記している。スミスの未来史は予見的でもないし、そもそも全く科学的ではない。予想外の驚きがあって、既存のリアルとどこも似ていない。本書もまたおとぎ話のような未来世界を、短いエピソードと印象に残るキャラにより紡ぎ出している。

 この設定は、もともとは短編による連作だった独自の未来史《コンティニュイティー・ユニバース》に基づいている。今のところ、Central Station (2016)と本書だけが長編のようだ。短編群はほぼ未訳ながら、巻末に20ページにも及ぶ用語集が載っているのでとりあえず雰囲気はうかがえる。しかし、注釈に構わず謎のまま読んだ方がむしろ楽しめるかもしれない。

 著者はイスラエル生まれで現在英国に在住している。本国から離れ英語で執筆しているが、作品の中でユダヤは常に意識されている。本書に登場する、ユダヤ・パレスチナ連邦(イスラエル、パレスチナ自治区とヨルダンを含む)にも、平和共存の意図があるのだろう。昨今の状況ではそれが「力による現状変更」以外で実現する可能性は遠のいた。けれど、ユダヤとパレスチナが共存可能な未来だけは、夢物語で終わらせてはいけない。

デイヴィッド・ウェリントン『妄想感染体(上下)』早川書房

PARADISE-1,2023(中原尚哉訳)

カバーデザイン:岩郷重力+A.T

 昨年『最後の宇宙飛行士』が好評だった著者の最新長編である。前作と同様ホラー味の濃い作品となっている。一見パンデミックもののようで、実はもっと観念的な病(バジリスクと呼ばれる)が描かれた作品だ。

 防衛警察の警部補は、通信が途絶した植民惑星パラダイス-1の調査を命じられる。宇宙船には民間パイロットと医師、AI(姿を自在に変えられる)がチームとして同乗する。だが、目的地の軌道上には無数の宇宙船がすでに周回しており、警部補らの活動を妨害しようとする。いったい何が起こっているのか。

 防衛警察の前局長は強権を振るう独裁者だった。警部補はその娘で、現在の局長とは折り合いが悪い。母親は引退し、パラダイス-1で快適な生活を送っているはずだった。医師はタイタンで起こったパンデミック唯一の生き残りである。生存理由は不明ながら、何らかの免疫を持っているらしい。パラダイスでは同じ病が蔓延しているようなのだ。

 見るだけで感染する伝染性の言葉、人を狂気に駆り立てる観念といえば、伊藤計劃『虐殺器官』が有名だ。それほどの大テーマではないが、本書は登場人物の個人的な記憶(タイタン壊滅に起因するPTSDとか、警部補の家庭内での精神的抑圧とか)という部分で、今日の問題に(いくらかは)つながっている。

 謝辞によると、本書のプロットやキャラクタは出版社(オービットUK)内のグループで創案されたようだ。果てしなく続くどんでん返し=危機また危機の連続は、一貫性よりも意外性に重点が置かれている。チームワークでアイデアを出し合った結果だろう(ネット系シリアルドラマ風でもある)。

 念のために書いておくと、本書は三部作の第1部(1巻目)にあたる。第2部(今夏刊行予定)の翻訳が出るのは早くても年明けになると思われる。軌道上の何百隻もの宇宙船、閉鎖された惑星上の住民の行方など、謎は残されたままだ。

 しかし、本書を読んで思い出すのは、宇宙を光よりも早く伝播する呪詛通信を描く田中啓文の「銀河を駆ける呪詛」。どちらもグロさが際立つホラーという共通点がありますね。

中村融編『星、はるか遠く 宇宙探査SF傑作選』東京創元社

カバーイラスト:鈴木康士
カバーデザイン:東京創元社装幀室

 翻訳アンソロジイの名手として知られる中村融だが、宇宙ものとなると『黒い破壊者 宇宙生命SF傑作選』(2014)以来の9年ぶりとなる。「埋もれた秀作をふたたび世に出したい」という編纂趣旨に変わりはなく、前作と同様1950~60年代の中短編9作がまとめられている。

 フレッド・セイバーヘーゲン「故郷への長い道」(1961/初訳)三千年以上の未来、新婚夫婦を乗せた宇宙船が太陽系の外縁で旧帝国時代の遺棄船と遭遇する。
 マリオン・ジマー・ブラッドリー「風の民」(1959/1975)無人の惑星で船医が男の子を生む。しかし幼児は旅に耐えられないため、親子だけが残留することになる。
 コリン・キャップ「タズー惑星の地下鉄」(1965/1976)異端技術部隊に、あらゆるものを劣化させる過酷な惑星での移動手段を開発するよう指令が下る。
 デイヴィッド・I・マッスン「地獄の口」(1966/初訳)その底までに何十キロにも及ぶ深淵を秘めた盆地は、探検隊の精神までを蝕む異形の存在だった。
 マーガレット・セント・クレア「鉄壁の砦」(1955/1980)砦に赴任した新任士官は、破損個所の補修さえも許さない老司令官に疑問を抱く。
 ハリー・ハリスン「 異星の十字架」(1962/1974)純朴な異星人の住む辺境惑星に宣教師がやってくる。異星人をよく知る交易商人は布教を止めようとするが。
 ゴードン・R・ディクスン「 ジャン・デュプレ」(1970/1977)密林の辺縁に入植した家族にその少年はいた。幼いながら父親も認めるほどの銃の名手だった。
 キース・ローマー「 総花的解決」(1970/1999)対立する2陣営を和解させ、あわよくば地球の利権を拡大しようと画策する無能な上司と機転の利く部下のコンビ。
 ジェイムズ・ブリッシュ「 表面張力」(1957/1963)水圏が大半を占める惑星に不時着した人類は、その環境に合わせた微生物サイズの子孫を残す。
 註:(原著の出た年/翻訳された年)、浅倉久志訳「異星の十字架」以外は新訳または改訳である。

 今回はニュー・ウェーヴ(60年代後半)の作家デイヴィッド・I・マッスン(空間が歪んだ盆地は、時間が歪む「旅人の憩い」を思わせる)や、不条理小説ともいえるマーガレット・セント・クレアの作品が収められており、保守派(50年代風技術SF)コリン・キャップとの比較が面白い。とはいえ今ならば、どちらも酉島伝法的な幻想小説と読めなくもないだろう(タズー惑星は『奏で手のヌフレツン』のような凶悪な世界である)。

 セイバーヘーゲンは「世代宇宙船」ものをひと捻り、ブラッドリーは母親と子という親子関係に踏み込み(父子を描くディクスンと読み比べるのも良いだろう)、ハリー・ハリスンはキリスト教的価値観の傲慢さを皮肉る。ゴードン・ディクスンは少年勇者のお話ながら、カスター将軍とかアラモの砦(どちらも全滅した)的なアメリカ英雄を描いた訳ではない。キース・ローマーは《レティーフ》ものだ。訳語の面白さで、そこに注目して読んでも楽しい。ブリッシュは(知能がこの形態で生まれるとは思えないものの)物語の精妙さには感心する。総じて熟成した豊潤さを味わえる。

アーシュラ・K・ル・グィン『赦しへの四つの道』早川書房

Four Ways to Forgiveness,1995(小尾芙佐・他訳)

カバーイラスト:丹地陽子
カバーデザイン:川名潤

 奥付は10月20日だが、版元の事情で11月15日発売となった本。1995年に出た《ハイニッシュ・ユニバース》ものの4中編を収める作品集である。もともとは同シリーズ短編を含む『内海の漁師』(1994)の1年後に出たもので、およそ30年を経てようやく翻訳が叶ったものだ。ちなみに、ハヤカワ文庫版のル・グィンは(絶版状態だった本を含め)多くがKindle等の電子書籍で読めるようになっている。

 裏切り(1994)引退した女性物理教師は、田舎でペットと暮らす日々だった。近在には、革命の統率者でありながら、汚職にまみれて名誉を汚した元長官が住んでいた。
 赦しの日(1994)女性差別がはびこる王国に赴任したハイン人女性使節は、首都の儀式で寡黙な護衛と共にテロリストに拉致される。
 ア・マン・オブ・ザ・ピープル(1995)保守的な村落で生まれ育ったハイン人男性の主人公は、やがてエクーメンの大使となるべく奴隷解放された植民惑星に赴く。だが、そこには根深い差別が残っていた。
 ある女の解放(1995)囲い地で奴隷として生まれた女性主人公は、解放闘争を巡る混乱で揺れる社会から革命の地である植民惑星を目指す。(「ア・マン・オブ・ザ・ピープル」とペアになって、2つの人生が交錯する)。

 舞台は数千年前(エクーメン歴)に人類が到達した惑星ウェレルと、後に植民された惑星イェイオーウェイの2つである。ウェレルは、少数の所有者と多数の奴隷から成る社会を形成していた。ウェレルの植民星イェイオーウェイは奴隷の供給地だったが、ウェレルの軍事干渉をも退けた自由民による統治が行われるようになる。ただ、奴隷的な労働や社会的差別の問題はまだ解消されてはいない。

 エクーメンは汎宇宙的な連合体である。ハインはその発祥の地だ。そこに加入するためには、奴隷制の廃止は必須条件となる。しかし、文化の違いを力で押し切っても反発を生むだけだろう。あくまでも現地民の意思を尊重すべきなのだ。

 最後の作品を除くと、物語は社会の中心からやや距離を置いた人物によって語られる。引退した教師や異星人(外国人)である大使(倫理観はもちろん時間感覚も異なる)、田舎生まれで因習を振り棄てた男性主人公も異星人である。最も長い「ある女の解放」が、奴隷に生まれ自ら解放運動を率いるまでに至る現地女性の一生を描く。奴隷解放したはずの社会でも、肉体的な差異、特に性に伴う差別を払拭するのは容易ではない。遠い未来、遠い宇宙であったとしても、人間である以上変わり得ないのか。そういう普遍的な課題を投げかける物語なのだ。

ジーン・ウルフ『書架の探偵、貸出中』早川書房

Interlibrary Loan,2020(大谷真弓訳)

カバーイラスト:青井秋
カバーデザイン:川名潤

 ジーン・ウルフは2019年4月に亡くなっており、本書は没後に遺作長編として出た『書架の探偵』(2015)の続編である。昏い雰囲気の100年後の未来を舞台に、とうに亡くなったミステリ作家が、図書館収蔵のリクローン(複製体=クローンなのだが「本」扱いなので人権がない)となって、利用者に貸し出されるという設定だ。今年のハヤカワSFコンテスト受賞作『標本作家』を、さらにデフォルメしたものと思えばよい。本書では図書館間相互貸借(原題の意味)によって、地方図書館に送られた主人公のミステリ作家が、事件の解決を図るというもの。

 海辺の小さな町にある図書館に送られた作家は、そこで一人の少女に貸し出される。少女は邸宅に住んでいるが、母親は精神的に不安定であり、何年も行方不明の解剖学者の父親を捜しているらしい。手がかりとして、館には「解剖用遺体の島」の地図が残されていた。

 本書には多くの登場人物が出てくる。少女、母親、マッドサイエンティスト風の父親、リクローンの同僚である料理研究家やロマンス作家、そして冒険家など(ほとんどが女性)がいて複雑に絡み合う。さて、問題なのは本書が未完成であることだろう。全部で22章からなるものの結末には至らない。また途中3分の2を越えた以降は内容の矛盾(これまでにないSF的設定が出てくる)が目立ち、推敲以前の草稿だと推察できる(同じような作品に『山猫サリーの歌』がある)。

 とはいえ、本書がウルフの書いたものとなると、重なり合った謎や読者を騙そうとする仕掛けの一部ではないかと疑うこともできるだろう。あるいは、著者の創作作法として、まずあらゆる可能性・意外性を描き出してから、矛盾が読者に見えないように巧妙に隠蔽するのかもしれない。としても、まだこれは手前の段階なのだ。最後まで読めないのは残念ながら、作家の舞台裏をいろいろ想像できて面白い。

キム・スタンリー・ロビンスン『未来省』パーソナルメディア

The Ministry for the Future,2020(瀬尾具美子訳、山田純 科学・経済監修)

Designed by SD2

 キム・スタンリー・ロビンスンが3年前に発表した、106の章から成る1500枚余(2段組み600頁)に及ぶ長編である。バラク・オバマが2020年のベストに選びビル・ゲイツが推奨したことでも話題になった。ただ、解説で坂村健(翻訳出版を推した)が触れている通り、日本では注目されず棚上げ状態だった。理系+文系の両方を理解するセンスが要求される小説であり、ジャンルSF以外で受け入れる読者が少ない=商業的に難しいと思われたからだという。

 ごく近未来のインドで大熱波が発生、地域の大規模停電と重なって2000万人もの犠牲者を伴う惨事が起こる。インドではそれを契機に既存の政治勢力は力を失い、全く新しい超党派の環境派政権が誕生、その対極に炭素排出を暴力で阻止しようとする過激派も現れる。一方、国連では気候変動に取り組む新たな組織「未来省」が活動を開始する。

 物語は大熱波を生き残ったPTSDに苦しむ男と、未来省のリーダーである女を主人公に、世界の人々や事件を点描しながら進んでいく。未来省の置かれたスイスのチューリヒ(著者は一時期滞在していた)や、アルプスの光景が印象的だ。南極を含む世界各地と、さまざまな人々の活動も含まれる。中高年の男と女は、ある事件を契機に知り合うものの恋人同士とはならない。しかし、距離を置きながら終生惹かれあう。

 本書の中では、炭素増加に伴う環境破壊、貧富の格差(南北間、国家間、国内、組織内)克服、民主主義のあり方、新自由主義の弊害、MMTやモンドラゴン、炭素税(ペナルティ)とカーボンコイン(インセンティブ)などが論じられる。既存の政治経済システムだけでは破局的な環境問題に対処できないと主張する。もちろん、書かれている内容すべてが正しいとは言えない。さまざまな意見が出てくるだろう。けれど、それこそが著者の意図することでもある。スルーではなく、反論でもよいから考えるべきなのだ。またコロナ、ウクライナ前に書かれた本書の現在の立ち位置については、ロビンスン自身がこの講演(2023年4月)で語っている。

 本書以前の最新翻訳は、6年前の《火星三部作》完結編『ブルー・マーズ』(1996)になるが、もっと新しい『2312太陽系動乱』(2012)が2014年に先行翻訳されている。こちらも、政治経済システムについての刺激的な提案を含む意欲作だった。