正井編『大阪SFアンソロジー OSAKA2045』/井上彼方編『京都SFアンソロジー ここに浮かぶ景色』社会評論社

装画・装幀:谷脇栗太

 VGプラス合同会社が編集し、Kaguya Planetレーベル(発売元:社会評論社)で出すアンソロジイの第2弾(OSAKA2045)と第3弾(ここに浮かぶ景色)である。大阪と京都にちなむSFという、地域をテーマとしたご当地作品集。実在の都市名を冠するアンソロジイは、文学ならともかくSFではあまり見かけない。著者はかぐやSFコンテストの入選者を中心に、地域在住だったり生地だったりの所縁ある作家たち、それぞれ大阪10人+1人/京都8人から成る。

OSAKA2045
 北野勇作「バンパクの思い出」20年前なのか75年前なのか、混在する2つのバンパクの思い出が余談を交えながら語られる。玖馬巌「みをつくしの人形遣いたち」夢洲にある万博跡地の科学館で、コミュニケーターを務める主人公と先輩や館長、AIの目指すものとは。青島もうじき「アリビーナに曰く」70年万博が持続され75年を経た世界で、瓦礫から生まれたアリビーナは月を目指す。玄月「チルドボックス」先の万博の年生まれの老人と、後の万博生まれの若者が同居する靭公園近くのマンション。中山奈々「Think of All the Great Things」10編のSF俳句が映し出す十三(じゅうそう)の人々の生きざま。宗方涼「秋の夜長に赤福を供える」絶えようとする伝統の菊人形を守る、枚方市に住む祖父親子3代の奮闘記。牧野修「復讐は何も生まない」IRの失敗、南海トラフ地震による水没を経て荒野と化した夢洲で、荒んだ会話を交わす2人の女は待ち受ける男たちと対決する。正井「みほちゃんを見に行く」主人公の伯母にあたるみほちゃんは寂れた地域に住む。スキルがあるのに定職につかず独り身のみほちゃんは、なぜそんな生き方を選んだのか。藤崎ほつま「かつて公園と呼ばれたサウダーヂ」バーチャル空間の中では、好きな時代の長居公園を選ぶことができる。それは亡くなった叔父の足跡を再現する旅でもある。紅坂紫「アンダンテ」活動への資金援助を絶たれ、インディー音楽が廃れた大阪で、かつて街を棄てたバンド3人組がコンサートを開こうとする。蜂本みさ「せんねんまんねん」(先行発売特典)2045年、堺の小学生が発信した音声メッセージは、同じ大阪の見知らぬ誰かからの返信をもらう。

ここに浮かぶ景色
 千葉集「京都は存在しない」1945年、京都は黒い柱に覆われ失われる。それ以来、存在したはずの京都を見てきたようなエッセイが流行する。暴力と破滅の運び手「ピアニスト」美術館に展示された〈仮相〉は人の考えを読んで形を変える。ポーランドから招聘したピアニストは展示を気に入り、思わぬ希望を出してくる。鈴木無音「聖地と呼ばれる町で」丹後半島の北辺、映画の聖地とされる町で民宿を営む主人公と、親父の仕事を検証する映画監督の息子との交流。野咲タラ「おしゃべりな池」京都市南部の巨椋池跡は、今は広大な農地になっている。そこで一人暮らしをする祖父は昔あった蓮池の話をする。溝渕久美子「第二回京都西陣エクストリーム軒先駐車大会」西陣を盛り上げようとイベントが計画される。ミリ未満の隙間で決まる軒先駐車の極限技を競うのだ。自動運転なら容易いが、もちろんマニュアルのみである。麦原遼「立看の儀」年に一度、京都大学跡地で立看の儀が開かれる。保存会があり、手造り感を残しつつ伝統に則った意匠を駆使した制作が行われる。主人公は新人で、初めて図案を任される。藤田雅矢「シダーローズの時間」京都府立植物園、夏休みに写生のため訪れた主人公は、そこで季節外れのチューリップと、今はもうないはずのドーム型温室の赤屋根を見る。織戸久貴「春と灰」京都府南部の相楽郡にある国会図書館関西館、その辺り一帯はもはや〈禁足地〉と呼ばれ封鎖されている。本があるからだ。

 同様の趣旨で編まれたアンソロジイだが、集まった作品のトーンはずいぶん異なっている。大阪編のキーワードは「荒野」だろう。文字通り物理的な不毛の地であったり、精神的文化的な荒野が描かれる。中には若干の光があるものの、万博の暗黒面(これが多い)や文化が失われた未来など、おおむね閉塞感漂うディストピアなのだ。中では「アリビーナに曰く」「チルドボックス」「かつて公園と呼ばれたサウダーヂ」などが印象に残る。テーマをナナメから切る北野勇作、牧野修はさすがの快作というか怪作。

 対して京都編は、これは編者の意図もあり、ありふれた「歴史と伝統」ではなく、北の丹後半島から南の相楽郡まで幅広いモチーフが多い。巨椋池SFは初めて見るし、かつて森見登美彦も在籍した国会図書館関西館(自動倉庫を備えた最新設備がある)など、あまり知られていない案件もあって多彩だ。大阪編とは対照的に「文化」に焦点が当たっているのが特徴である。植物の専門家である藤田雅矢による「シダーローズの時間」(著者には植物園ものの作品が複数ある)、また「第二回京都西陣エクストリーム軒先駐車大会」「立看の儀」がユーモアあふれる奇妙な文化を創造する試みで面白い。

ジョン・スラデック『チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク』竹書房

Tik-Tok,1983(鯨井久志訳)

イラストレーション:GAS
デザイン:坂野公一(welle design)

 人を喰った(長すぎる)邦題ではあるが、内容相応、著者らしいともいえる。本書はカルト作家スラデックの書いたロボットものの長編である。スラデックの作風はSFでも文学でもない独特のもので、一部読者に人気はあっても賞には恵まれなかった。本書は唯一、英国SF協会賞(1983年)を受賞した作品である(スラデックは当時英国在住だった)。

 とある金持ちの家で使われていた家庭用ロボットのチク・タクは、ペンキ塗りをしていた際にインスピレーションを得て壁画を描く。主人は気に入らなかったが、ロボットの絵は評判を生み高値で売れるようになる。チク・タクは有名になった。しかし、このロボットは倫理を規定する「アシモフ回路」が正常に働いていないのだ。

 7年前に翻訳が出た『ロデリック』(1980)もロボットが主人公だった。成長していく無垢なロボットのお話である。本書のチク・タクは既に大人で、自身の利益のためにはどんな手段も厭わない。葛藤がないので、ノワール(悪人)というよりサイコパスに近いといえる。ロボットサイコパスなのである。

 一方、この物語の社会では、ロボットは道具というより「奴隷」扱いである。道具だと人の手を煩わせる。奴隷ならぞんざいに命令しさえすればよい。知能があっても差別は当たり前と思っている傲慢な人間を、倫理感を欠いたロボットが出し抜くのだ。書かれた当時は寓意に過ぎなかったろうが、AIが急成長する今の時代では妙にリアルである。

 スラデックは、『黒い霊気』(1974)、『黒いアリス』(1968)、『見えないグリーン』(1977)、『スラデック言語遊戯短編集』(1977)と1970~80年代にかけて翻訳されてきた。このあたりは変格ホラー/変革ミステリに分類される作品である(今なら奇想小説だろう)。前評判に反して、SF作家という印象は薄かった。90年代になってから『遊星よりの昆虫軍X』(1989)が紹介され、日本で編まれた短編集『蒸気駆動の少年』(2008)でようやくその全貌が窺えるようになる。スラデックのSFは代表作が『ロデリック』とされる。本書はそれをひっくり返したような面白さがある。長さも半分ほどで軽快に読める。

 ところで、訳者の鯨井久志は京大SF研出身者(京大生ではなかったようだが)としては、大森望世代以降30年ぶりにプロ出版を果たした翻訳家。

新馬場新『沈没船で眠りたい』双葉社

装画:かもみら
装幀:AFTERGLOW Inc.

 著者は1993年生まれ。2020年第3回文芸社文庫NEO小説大賞を受賞した『月曜日が、死んだ。』でデビュー。2022年『サマータイム・アイスバーグ』で第16回小学館ライトノベル大賞優秀賞を受賞、SFネタが界隈で話題を呼んだ。一般読者向け書下ろし作品である本書でもそれは継承されている。テーマに強く関わる生成AI Chat GPT4なども作中の素材として取り入れたという。

 2044年、前年末にAIの打ちこわしを叫ぶネオ・ラッダイト運動が過激化、自爆テロが発生する。同じ日に、事件の首謀者と交流のあった女子大生が機械を抱いて海に落ちた。女性は救助されたが、テロとの関連を糺す刑事の取り調べに応じようともしない。なぜ運動に肩入れしたのか、ヒューマノイド=機械と心中まがいを企てた理由は何なのか。

 20年後の近未来は、今日を敷衍したディストピア社会である。多くの仕事はAI=ロボットに代替され、失業率は高止まっている。医療技術は飛躍的に伸び、BMIを用いる再生医療も進歩した。ただし、それが使えるのは富裕層だけだ。

 主人公の女子大生は鼻梁に大きな傷がある。整形できない家庭事情もあり、自己否定感に苦しめられていた。ところが意外な友を得る。何事にも消極的・冷笑的な主人公に対し友人は積極的で明るい。2人は育ちや身分(家族の社会的地位)考え方も異なる。著者はこの2人の関係をシスターフッド=女性同士の絆とする。対称的な友情を、フェミニズム的な連携に準えたのだろう。物語は友人の秘密を巡り、次第に暗転していく。

 著者は本書のテーマを「どこまで取り替えられたら、それはそれでなくなるか」とし、影響を受けた作品にイーガン「ぼくになることを」(『祈りの海』所収)を挙げる(インタビュー記事参照)。前者はSFの定番テーマ、新訳が出たバドリスの古典『誰?』(1958)もそうだ。後者は、イーガンならではの精緻さで考察された前者の派生形だろう。そこに生成AI社会に対するラッダイトや、格差社会が生んだシスターフッドなど今様のテーマを絡め、リニューアル/アップデートを企図した内容に仕上げている。

劉慈欣『超新星紀元』早川書房

超新星纪元,2003(大森望、光吉さくら、ワン・チャイ訳)

装画:富安健一郎
装幀:早川書房デザイン室

 20年前、ベストセラー作家となる前の劉慈欣が最初に出版した長編が本書である。『三体0』より《三体》との関連性は薄く(さすがに『三体マイナス1』とも書けず)翻訳では後回しにされてしまったが、それでも作品の発想は著者らしい。初稿は1989年なので、原点はさらに14年もさかのぼる(2003年版は第5稿のようだ)。

 地球から8光年の距離に、質量が太陽の67倍にも及ぶ「死星」があった。本来なら夜空に存在感を見せつけたはずの明るい星だったが、星間物質の雲に遮られ、つかの間のヘリウム・フラッシュによる光以外知られることはなかった。しかし、5億年に及ぶ星の生涯は爆発により突然終わりを告げる。強大な死のエネルギーを伴う光は8光年を超え、夜空にマイナス27等級の輝きを放った。

 超新星爆発から1か月ほど過ぎた9月、卒業したばかりの小学生が各地から集められ、15日間にわたる野外ゲームが開催される。それは国家の合従連衡をシミュレーションするもので、新国家の指導者を見定める試験でもあった。大人たちが退場し、当時12歳以下の子どもたちに権限を委譲するというのだ。降り注いだエネルギー粒子により大人たちの染色体は修復不能、もはや命は1年余りしか残されていなかった。

 世界は子どもだけのものとなる。しかし、大人の秩序から解き放たれた子ども世界は、異様な変容をみせる。なんとか秩序を保とうとする慣性時代、欲望を隠そうとしないキャンディタウン時代を過ぎると、やがて南極を舞台とする超新星戦争と呼ばれる狂乱が。

 本文中でも言及されるように、ゴールディング『蠅の王』(1954)を思わせる。確かに子どもたちだけによる「国家」が描かれる点はよく似ている。ここでゴールディングは、人間=大人の中に潜む蛮性を子どもで象徴しようとした。対して劉慈欣は、子どもの倫理観は大人とは全く異なるものとする。すべては遊びであり、命さえも遊びの代償なのだ。大人のカリカチュアではないのである。そういう意味から考えると、命を課した残虐なゲームすらためらわない本書の子どもたちこそ、三体文明の異星人に近いのかもしれない(つまり『三体マイナス1』?)。

ジョン・スコルジー『怪獣保護協会』早川書房

The KAIJU Preservation Society,2022(内田昌之訳)

装画:開田裕治
装幀:日高祐也

 スコルジーの「怪獣小説」。本文でも「KAIJU」と書かれているのだから間違いはない。今年のローカス賞の長編部門を受賞したほか、ヒューゴー賞(今年の世界SF大会は成都)の最終候補作にも選ばれている。

 博士課程を中途で辞めてまでフードデリバリー業界に就職した主人公は、パンデミックのロックダウンが始まる直前にクビになり、やむを得ず「デリバレーター」(配達員)に就くが、今やそれさえ危うくなっている。しかし、NGOでの仕事のオファーを思いがけず受ける。経歴は問うが経験不問、NGO=KPSは動物を保護する団体だというのだ。基地は極寒グリーンランドから抜けた先、高温多湿のジャングルの中にあった。

 冒頭いきなり『スノウ・クラッシュ』が登場、主人公はSFで修士論文を書いていて、向かうKPSの基地はタナカとかホンダと呼ばれている。タナカは田中友幸(東宝「ゴジラ」などのプロデューサー)だし、ホンダは本多猪四郎(同監督)のことらしい。『レッド・スーツ』でもおなじみの、ネタを存分にちりばめたオタク小説でもある。

 怪獣が存在する世界については、物理的に生存不可能な生態(大きすぎて自重を維持できないなど)を克服する説明が用意されている。とはいえ、日本の特撮怪獣ものに対するリスペクトはあるにしても、山本弘小林泰三らの作品が持っていた濃いオマージュ感とはちょっと違う。主人公を中心とした、アメリカンなチームワークのドラマになっているからだ。「ジェラシック・パーク」の恐竜たちと同じく、怪獣は時に暴走しても、あくまで人間のコントロール下、保護下にある(だから保護協会なのだ)。

 ということもあり、敵役は宇宙人でも怪人でもない今風の人間である。密かに仕掛けられた罠を巡って、主人公と博士号取得者ばかりのチームが挑む。エンタメドラマのお約束を踏襲し二転三転、読者を飽きさせないのはこれも著者ならではの技があるからだろう。

高野史緒『グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船』早川書房

カバーイラスト:中村至宏
カバーデザイン:bookwall

 電子版のみのAmazon Kindle Singleで発表された「グラーフ・ツェッペリン 夏の飛行」(2018)をベースとした長編小説である。著者の故郷茨城県土浦市を舞台とすることで私小説的な要素を大きく取り入れ、1929年の超大型飛行船グラーフ・ツェッペリン号寄港をキーポイントに据えて物語を構築している。

 主人公の女子高生は、パソコン部の帰りに城跡の公園に立ち寄る。そこで、グラーフ・ツェッペリンが飛ぶのを見た幼い頃の記憶を思い出す。しかし、幼いといっても飛行は百年も前のことで年代が全く合わない。もう一人の主人公の男子大学生は、夏休みのバイトで土浦にある量子コンピュータセンターにきている。両親の故郷ではあったが、彼には馴染みのない土地だ。折しも海外の共同研究者から、世界の重力波望遠鏡が一斉に停止しているという報告を聞く。

 土浦市はつくば市の隣にあり霞ヶ浦に面している。戦前は海軍航空隊の基地があったので、大型飛行船の寄港地にも選ばれたのだ。とはいえ、今では大学や研究開発拠点のあるつくば市のほうが有名で、土浦には全国に知られる名所旧跡はない。それでも、本書は現在の土浦をそのままモデルにしている。冒頭の城跡の公園(亀城公園)や量子コンピュータセンターが置かれている元結婚式場(現在は閉鎖中)もリアルに実在する。

 『グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船』の2つの時間線は、アニメ「君の名は。」伴名練「百年文通」以上に交錯しめまぐるしく、コニイ『ハロー・サマー・グッドバイ』のように一夏の出会いの物語となっている。しかも、著者こだわりのSFネタ(量子論ネタ)、得意のロシアネタまで含まれる。2つの2021年が舞台だが、JKの時間線(スマホもなく、ネットにつながるPCが珍しい)は、並行世界というよりむしろ著者の青春時代=過去に結びついている。その延長線上に、ソ連が存続し月基地のできる「幻の未来」があるのだ。1つの「現在」へと収斂する結末は、私的な追憶+実在の土浦+ツェッペリンの虚実(史実と虚構)があいまって萌え上がる。文字通りの青春SFながら、とても盛りだくさんな一作である。

ケン・リュウ、藤井太洋ほか『七月七日』東京創元社

일곱 번째 달 일곱 번째 밤,2021(小西直子、古沢嘉通訳)

装画:日下明
装幀:長崎稜(next door design)

 今月には旧暦の七夕(8月22日)がくるので紹介する。本書の原典は、韓国Alma社で企画出版された韓国語のアンソロジイである。済州島の伝承を元にした韓国SF作家の7作品に、中国系作家2作品(どちらも原著は英語)と藤井太洋(日本語)をゲストとして加えたものだ。

 ではなぜ済州島なのか、なぜ中国や日本が関係するのか、そもそもなぜ七夕なのか。まず、済州島は12世紀まで独立国だった関係で、韓国本土と異なる独自の文化や伝承がある。海を介して大陸と近い関係で、中国文化の影響も大きかった。その点は、独立王国だった奄美や沖縄(琉球)などとも共通する。また、日本には織姫彦星の一般的な七夕伝説のほかに七夕の本地物語というものがあるが、これは済州島の伝承との関連が指摘されている。国際アンソロジイとした根拠はその辺りにもあるだろう。

 ケン・リュウ「七月七日」幼い妹に七夕のお話をしたあと、主人公はアメリカに留学する友と夜の街に出る。すると、カササギの群れが現れて2人を空へと導くのだ。
 レジーナ・カンユー・ワン(王侃瑜)「年の物語」眠りについてから久しい時間が流れたあと、怪物「年」は少年に召喚されて目覚めるが、街は見知らぬものとなっていた。
 ホン・ジウン「九十九の野獣が死んだら」銀河港のターミナルに野獣狩りのハンターがやってくる。老人と鋼鉄頭のコンビで、獲物を臭覚センサーを使って追跡するのだ。
 ナム・ユハ「巨人少女」済州島の高校生5人が宇宙船に拉致され、一見何事もなく戻ってくる。しかし、その体には異変が生じていた。急激に巨大化していくのだ。
 ナム・セオ「徐福が去った宇宙で」コレル星系の辺境で採鉱をしているコンビは、見知らぬ巨大な宇宙船と遭遇する。それは、チナイ星系から不老草を求めて飛来したという。
 藤井太洋「海を流れる川の先」サツ国の暴虐な兵が大軍で押し寄せてくる。しかし、備えを知らせようとする伝令舟に、サツ国の僧と称する男が同乗してくる。 
 クァク・ジェシク「……やっちまった!」済州島で開催される学会のあと、学会を主宰する先輩と共に島の最高峰漢拏山に登頂した主人公は不思議な体験をする。
 イ・ヨンイン「不毛の故郷」生命の豊かな惑星で、異星人は孤島の耽羅地区に保養地をもうけていたが、予想より早くそこに人間が到来した。
 ユン・ヨギョン「ソーシャル巫堂指数」ネット時代に対応するために、市民はICチップをインプラントされている。しかし、巫堂指数が高すぎる人間は異常者扱いされる。
 イ・ギョンヒ「紅真国大別相伝」翼を持って生まれたものは殺される。しかし神の造った子供は羽を密かに切り落とされ、生き残ることになる。

 明記はされていないが、ケン・リュウ以外は書下ろしか、本書が初出の作品だろう(日本初紹介作家も多数)。各作品には元となる伝承や歴史がある。七夕(中国)、架空の新年行事(中国)、九十九の谷の野獣伝説、巨人のおばあさんハルマンの伝説、徐福伝説、薩摩による琉球討伐(日本)、白鹿譚と山房山誕生の伝説、シャーマン神話、媽媽神(大別相)に関する伝説などなどだ。注記のないものはすべて済州島の伝承・伝説になる。

 ただし、それぞれの物語はずっと自由で、宇宙ものの「九十九の野獣が死んだら」「徐福が去った宇宙で」「不毛の故郷」、怪獣ものめいた「巨人少女」や、今風の近未来「ソーシャル巫堂指数」、主人公の孤独を軽妙に描く「……やっちまった!」など、ユーモアと哀感を込めて書かれたものが多い。巻末の「紅真国大別相伝」はファンタジーなのだが現代的な寓意が込められている。

マルセル・ティリー『時間への王手』松籟社

Échec au temps,1945(岩本和子訳)

装丁:安藤紫野(こゆるぎデザイン)

 マルセル・ティリーは、19世紀生まれのベルギー作家。著名なフランス語作家(同国ではオランダ語、ドイツ語の話者もいる)で、詩人、政治家でもあった。本書は大戦前の1938年に脱稿(出版は戦後の1945年)された、ワーテルローの戦いを舞台とする時間SFでもある(帯にタイムトラベルとあるものの、人が搭乗可能なタイムマシンは出てこない)。

 主人公は鉄鉱などを扱う商社のオーナー経営者だった。しかし父親の跡を継いだものの、経営はうまくいかず会社は徐々に傾いている。ある日主人公は海辺のリゾートに逃避、そこで過去の友人と再会し、風変わりな英国人物理学者を紹介される。画期的な「過去を観る装置」を開発しているが、資金不足に陥っているのだという。

 装置で過去を観るには、調整のための膨大な計算が必要になる。しかし、英国人はなぜかワーテルローだけに固執している。曾祖父の行動が原因で大英帝国はナポレオンに敗北、歴史改変ができれば家系の汚名返上になるだろう、と語るのだ。しかし、観るだけの装置では過去に干渉できない。一方、仕事をおざなりにし、資金援助を続ける主人公も追い詰められていく。

 日本ではワーテルローについて、名前はともかく戦いの推移までは知られていない。地図があると分かりやすいが、本書の中にはないので以下を参照に引用する。

wikipedia commonsより引用

 とはいえ、本書は「もし関ヶ原の戦いで西軍が勝ったら」などの改変歴史ものではないのだ。また、登場するのはある種のタイムカメラ(同様の作品にシャーレッド「努力」がある)で、ウェルズの「タイム・マシン」(1895)やアインシュタインの一般相対性理論(1916)を説明に取り込む(科学的な正確さはともかく)など、SF小説のスタイルに準拠しているものの、やはりテーマはアイデアの斬新さにはないのである。

 未来の破綻=破産が目に見えている主人公(フランス語話者のベルギー人)と、過去の汚名に偏執する英国人とを対照的に配し、お互いの複雑な葛藤を描き出した点に著者の書きたかったポイントはある。その点は、彼らの試みが終わったあと、明らかになるアイロニーに満ちた結末を見てもわかるだろう。

小田雅久仁『禍』新潮社

装画+ブックデザイン:鈴木成一デザイン室

 前作の連作中編集『残月記』で、第43回吉川英治文学新人賞第43回日本SF大賞を受賞した著者による短編集である。小説新潮に掲載された7編からなるが、中・長編を得意とする著者らしく発表年には10年以上の幅がある。それぞれ日常ホラー的な導入部ながら、その後の展開は著者独特の超常的な幻想世界につながっていく。

 食書(2013)離婚し次作を書きあぐねる作家が、ショッピングモールの多目的トイレで本のページを食べている女を目撃する。
 耳もぐり(2011)非常勤講師を掛け持ちする男の恋人が失踪する。恋人の隣室に住む男は、その行方を知っていると仄めかす。
 喪色記(2022)主人公は人の視線が苦手でうつ状態に陥ることもあった。やがて、意識の彼方から「ざわめき」を頻繁に感じ「滅びの夢」を見るようになる。
 柔らかなところへ帰る(2014)小柄で生真面目な男は、バスで乗り合わせた豊満な女性に異様に惹かれるようになる。同席は偶然のはずだったが。
 農場(2014)転落する人生に暗澹としていた青年は、誘いを受けて田舎の農場での住込み仕事にありつく。そこには巨大な培養タンクがあった。
 髪禍(2017)過酷な仕事に耐え兼ね休職していた主人公に、昔知り合った男から電話がある。頭髪にまつわる新興宗教の儀式でサクラになれというのだ。
 裸婦と裸夫(2021)美術館で開かれる裸婦展を見に行こうとした男は、電車の中で突然裸になる中年の男性を目撃する。その現象は伝染するように広がっていく。

 主人公は孤独だ。少なくとも人生の成功者ではない。ダーク・ホラーならば、そうした脱落者たちが落ち込む先は底の底、より深い煉獄であったり出口なしの迷宮になるだろう。つまり、絶望しかない。だが、本書で描かれる世界はちょっと違う。物語や脳内に潜り込み、灰色の異形から逃れ、ふくよかな肉欲にはまり、奇怪な閉鎖農場で暮らし、髪が神となり、着物を脱ぎ捨てた人々は、最終的にある種のユートピアに至るのだ。発端(現実)と結末(超常世界)には大きな落差がある。一見救いがないように見えても、何らかの光がさしているところが、小田雅久仁流の異世界なのである。

 全7作品、ほとんどは100枚以内の短編で「農場」だけが中編になる。ただ、著者の持ち味を十分引き出すには、やはり中編以上が必要と思われる。読者として、あの執拗な文体で描かれる見知らぬ世界に浸りきりたいからだ。

日本SF作家クラブ編『AIとSF』早川書房

カバーデザイン:岩郷重力+Y.S

 日本SF作家クラブは作家以外にも門戸を開いているが、会長に博士号を持つ科学者が就任するケースは稀だった。第16代会長だった瀬名秀明も、作家としての実績を見込まれてのことだろう。その点では、第21代大澤博隆会長は人工知能を専門とする現役の科学者なので、テーマ「AIとSF」との親和性も良い。本書は5月に出たアンソロジイ第3弾目、全22編の書下ろし短編を収める。

 さて作品を紹介する前に、下記のリストをご覧いただきたい。既にAIは現場の実用ツールなので、使う人はこう考えておくべき、というAIリアリストの7か条である。
1.わからないのは当然、まずは基本を押さえよう
 (AI業界にはさまざまな派閥があり、専門用語を使って分かりにくい説明をする)
2.どのAIについて話しているかを見極めよう
 (いろんなレベルのAIがある)
3.将来どうなるか憂うのではなく、今どう使えるのかを考えよう
 (人類が滅びる!とか恐れるのはそのあと)
4.AIで何がしたいのか(期待値)を分かって使うこと
 (訳も分からず、やみくもに使うと嘘をつかれても気が付かない)
5.擬人化しない
 (どんなに人に似ているように思えても、相手は人間ではない)
6.政治的なものだと思っておく
 (今のAIの動向には政治的な動きが大きくかかわっている)
7.怖がるな
 (どんなに万能に思えても、所詮コード/プログラムなのだ)
 とはいえ、SF作家はリアリストばかりではないだろう。リアルをどう凌駕できたのか、という観点で読んでみた。

 長谷敏司「準備がいつまで経っても終わらない件」万博開催前に時代遅れとなったAI展示に、起死回生の逆転が図れるか。高山羽根子「没友」やりとりがAIアシスタントで代行され、旅がVRになったとき、連れ立つ友の意味とは。柞刈湯葉「Forget me, bot」V-Tuberに関するニセ情報を消し去る「AI忘れさせ屋」の正体。揚羽はな「形態学としての病理診断の終わり」診断AIの能力向上で、仕事を追われる病理診断医の葛藤。荻野目悠樹「シンジツ」AIによる犯罪データベースの調査により、死刑犯が冤罪であると指摘されたとき。人間六度「AIになったさやか」亡き恋人はAIによる声となってよみがえり、主人公の行動を左右する。品田 遊「ゴッド・ブレス・ユー」妻の死後に引きこもっていた男は、AIパートナーの妻を作り出す。粕谷知世「愛の人」少年の保護司をしている主人公は、メタバースの中でお婆さんの姿をしたAIと出会う。高野史緒「秘密」富豪の老婦人は、わけもなく次々とVRコンパニオンを変えていく。その理由を探るハッカーが知ったのは。福田和代「預言者の微笑」画期的なAIモデルが人類の終末を予言したため、抗議する群衆に追われることになる。安野貴博「シークレット・プロンプト」ニューラルネットワーク《ザ・モデル》により平穏が保たれた国で、なぜか中学生だけの誘拐事件が続発する。津久井五月「友愛決定境界」インプラントで能力を高めた警備会社の隊員は、移民地区の犯罪摘発時に敵味方決定境界の乱れを知覚する。斧田小夜「オルフェウスの子どもたち」自己再建システムの暴走による下町癌化災害から30年が経った。その人工知能を巡り投企派と破滅派が対立する。野﨑まど「智慧練糸」平安末期、最高権力者の後白河院から仏像千体製作の命を受けた仏師は、宋より入手した立方体に生成の呪文を唱える。麦原 遼「表情は人の為ならず」表情を読むことも表すことも困難な主人公は、それを補助してくれる「伴」のアドバイスに従っている。松崎有理「人類はシンギュラリティをいかに迎えるべきか」ついにシンギュラリティを迎えようとする近未来、世界一周をする謎の男の目的とは。菅 浩江「覚悟の一句」人間の心を知ろうとするAIと、それに対する人間の反応についての対話が続く。竹田人造「月下組討仏師」月が消えた世界で、仏像型兵器を互いに備えた二人の仏師の戦いが続く。十三不塔「チェインギャング」遠い未来、意識を持たない人間を使役するのは意識を持った道具、咒物なのだった。野尻抱介「セルたんクライシス」AIセルたんは人類を指導するようになった。その方がより良い結果になるからだ。飛 浩隆「作麼生の鑿」〈有害言説〉の嵐が吹き荒れ、世界が危機に陥った。仏師AIχ慶は、樹齢千年弱を経た榧の木から仏を掘り出そうとして10年沈黙する。円城 塔「土人形と動死体 If You were a Golem, I must be a Zombie」さまざまなマシンとゴーレムを使役する魔術師は、次に魂を利用するゴースト・マシンを提案して顰蹙を買う。

 22編の中で、AIモノ造りの立場で描かれた作品といえるのは「準備がいつまで経っても終わらない件」ぐらいしかない。シンギュラリティも議論の埒外なのか「人類はシンギュラリティをいかに迎えるべきか」くらい(それもストレートではない)。擬人化では「AIになったさやか」「ゴッド・ブレス・ユー」が典型的なアイデアであり、また「没友」や「覚悟の一句」はAIを借りて人間性を考察する作品になっている。

 もっとも多いのは、いまリアルな社会問題(あるいはそのデフォルメ)を描く作品である。「Forget me, bot」「形態学としての病理診断の終わり」「シンジツ」「愛の人」「秘密」「預言者の微笑」「シークレット・プロンプト」が含まれる。AIによる支配、失業、大衆の恐怖やパニックなど、これらは既に起こっているか、明日起こってもおかしくない事例である。別のテーマを強調するため、道具としてのAIに振った「友愛決定境界」「オルフェウスの子どもたち」「表情は人の為ならず」などもある。

 AIと相性がいいのか「智慧練糸」「月下組討仏師」「作麼生の鑿」では過去(仮想)/未来の仏師が登場する。『竜を駆る種族』(竜が人間を使役する)のような「チェインギャング」、珍しいAIユートピアSF(SF作家の書くAIものはたいていディストピア)の「セルたんクライシス」、『屍者の帝国』のAI版「土人形と動死体 If You were a Golem, I must be a Zombie」は、別解釈を加えたAI変格ものの代表になる。

 SF作家の想像力が、生成AIブームのインパクトを超えたかどうかは微妙だが(読み手による)、まえがきと解説に専門家の視点を挟むなど「あの2023年に書かれたAIについてのSF」として、歴史的な意義は十分あるだろう。