シーラン・ジェイ・ジャオ『鋼鉄紅女』早川書房

Iron Widow,2021(中原尚哉訳)

カバーイラスト:鈴木康士
カバーデザイン:岩郷重力+A.T

 著者は中国生まれのカナダ人作家、コロナ絡みで職を失い本書を書いた。そのデビュー作がいきなりベストセラー、同時に始めたユーチューバーも登録者数53万人を集める。たまたまではなく、何らかのカリスマがあるのだろう。著者近影が牛のコスプレ(岩井志麻子を思わせる)なのは友人との約束の結果、また霊蛹機はアニメ「ダーリン・イン・ザ・フランキス」から着想を得たものという。

 華夏(ホワシア)国は、渾沌(フンドゥン)と呼ばれる機械生物による侵攻にさらされている。対する人類側も、霊蛹機(れいようき)と呼ばれる巨大戦闘機械(九尾狐+朱雀+白虎+玄武)を主力に擁して対抗する。機械のパイロットは男女一組だった。英雄となる男と、妾女(しょうじょ)と呼ばれる使い捨ての女、機械はその「気」(生気)をエネルギーにして動くのだ。

 まず主人公は英雄をしのぐパワーを有し、武則天と呼ばれるようになる。他にも独狐伽羅、馬秀英ら中国の歴史上の皇女たちの名前が出てくる。李世民、諸葛孔明、安禄山、朱元璋などなど、秦から明、清時代まで、背景も立場も異なる歴史上の人物名が順不同で登場する。もちろん著者も、史実とは関係がないと断っている。

 日本でもそうだが、中国はハイテクから安保まで何かにつけ注目される。それに伴って、中国もののフィクションも、英語では耳慣れない中国語の固有名詞、日本なら見慣れない漢語の多用(翻訳者の工夫もある)による異化効果で読者を引き付ける。

 巨大機械=ロボットは3段階の形態に変身する。そこにダリフラ風男女一組のパイロットが搭乗するのだが、男が女の気力を吸い取るという死の格差がある。ジェンダーに絡む、今風のテーマが重ねられているのだ。華夏世界自体にも、抜きがたい男女差別がある。その障害は、誰をも凌駕する主人公のスーパーパワーと、やはり今風の悩みを持つ友人たちの協力によって打破される。とはいえ、渾沌の正体、この世界の秘密などは明らかにならない。2024年刊行予定の続編に続くようだ(おそらく出版社との3部作契約があるのだろう)。

エディ・ロブソン『人類の知らない言葉』東京創元社

Drunk on All Your Strange New Words,2022(茂木健訳)

カバーイラスト:緒賀岳志
カバーデザイン:岩郷重力+W.I

 著者は1978年生まれの英国作家。主に《ドクター・フー》などのTVドラマシリーズで、シナリオやノヴェライゼーションを手掛けてきた。これまで受賞歴はなかったが、本書は2023年の全米図書館協会RUSA賞のSF部門(ジャンル小説に与えられる賞で8つの部門から成る)に選ばれている。

 主人公はイングランド北部出身の通訳。通訳といっても、異星人と思念言語(テレパシー)で会話するという特殊能力が要求される。近未来、人類は異星文明ロジア(ロジ人)と外交関係を築いていた。彼らは言葉を介さず、テレパシーでコミュニケーションを取るのだ。しかし、文化担当官専属の通訳に就いていた主人公は、担当官が殺されるという重大事件に巻き込まれる。

 長時間通訳をすると飲酒の酩酊と脳が錯覚し、文字通り酔っぱらってしまう(原題Drunkの意味)。赴任地のニューヨークは防潮堤に囲まれ、過去の面影だけが残るテーマパークになっている。ロジ人はテレパシーで会話するが、アナログな文字を重要視しアナログな紙書籍を好む。ロジ語に翻訳された本は、地球側の主要輸出品になっている……という、設定は何とも皮肉っぽい。

 何しろ主人公は酔ってしまって、殺人時に何が起こったのか覚えていない(酔っぱらい科学者のギャロウェイ・ギャラガーみたい)。ロジ人に反感を持つ勢力は存在するので、主人公も一味ではないかと疑われる。物語は、近未来のニューヨークやイングランド北部(ハリファックス)の風俗を点描しながら手探りで進む。

 タイトルから連想される「非人類とのコミュニケーション」は主題ではない。本書は犯人捜しの(特殊設定)ミステリなのである。探偵は太り気味(そういう副作用もある)の通訳だが、八方塞がりな状況ながらしだいに真相に近づいていく。SFとしてのスケール感はやや足りないものの、主人公のユーモラスな語り口でまずまず楽しめる。

結城充考『アブソルート・コールド』早川書房

扉イラスト・デザイン:岩郷重力+Y.S

 2004年に第11回電撃小説大賞でデビュー後、2008年に第12回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞、以降主に《女刑事クロハ》などミステリを手掛けてきた著者による、2冊目のSF長編である。もともと新潮社の電子雑誌yom yom(現在はWEBマガジン)で2020年8月号まで連載されたもの。単行本化にあたって削除シーンなどを復活させた完全版である。

 舞台は叶(かなえ)県の一部をなす、見幸(みゆき)市と呼ばれる治外法権を得た都市。そこは、私兵集団を擁する佐久間種苗株式会社(バイオからITまですべてを支配)によって、事実上牛耳られている。だが、200階建ての本社ビルで大規模なテロが発生し多くの研究者が亡くなる。首謀者は何者か。事件の真相を探るため、死者の最後の記憶を読み取る装置=アブソルート・ブラック・インターフェイス・デバイスが用意される。

 SF第1長編の『躯体上の翼』(2013)から10年近くが経過するが、そこに登場する「佐久間種苗」が本作にも出てくるなど、緩やかなつながりはあるようだ。時間的な流れでいえば本書が先にあり、前作の世界はより幻想的ではるかな未来にある。

 市民を狙撃した暗い過去を持つ警官、植物状態で眠る娘の介護に疲弊する元警官、遺品の引き取りをするだけだったのに事件に巻き込まれる準市民の少女、主にこの3人を巡って物語は展開する。死者の記憶に絡むハードボイルドな犯人捜しかと思っていたら、AI「百」やテュポン計画など、謎めいた電脳世界を巡る暴力的なバトルへと話はスケールアップする。

 ルビを多用する短いセンテンス(たとえば、雑音にノイズと振るなど)、廃墟めいた猥雑な未来都市の光景、文体も初期の黒丸尚翻訳を思わせる(このあたりはSFマガジン2023年6月号の著者インタビューでも言及されている)。そこから「令和日本に放つサイバーパンク巨篇」という惹句になる。とはいえ、サイバーパンクはもはや過去を連想させるレガシーなタームである。映画「ブレードランナー」(1982)や、ギブスン《スプロール三部作》(1984-88)に代表される80~90年代の流行だからだ。

 ただ、本書の参考文献に、映画「Eddie and the Cruisers」(1983)、評論『サイボーグ・フェミニズム』(1985)という80年代作品が示されているのを見ると、作者は意図的に「失われたサイバーパンク的未来の再演」を試みたと考えるべきだろう。50~60年代とかではなく、80年代すらレトロフューチャーになり得るのだ。

藍内友紀『芥子はミツバチを抱き』KADOKAWA

装画:syo5
装幀・本文デザイン:越阪部ワタル

 著者はササクラ名義で2012年の講談社BOXによる第5回BOX-AIR新人賞(現在は休止中)を受賞してデビュー、2017年には第5回ハヤカワSFコンテストの最終候補となり、翌年『星を墜とすボクに降る、ましろの雨』と改題して出版している。本書は先の『トゥモロー・ネヴァー・ノウズ』と同じく、カクヨムに掲載されたものの単行本化である(原型版は今でも読める)。

 少年はイスタンブールで開催された国際ドローンレースのVR操縦者だった。だが、当地で起こったテロ事件によりレースは中断される。操縦者の関与が疑われる中、孤立した少年は見知らぬ男に誘われ国外に旅立つことになる。目的地はタイ、中国、ミャンマー三国の国境にある少数民族が暮らす村だった。そこでは赤い芥子の花が咲き乱れ、貴重な阿片を産み出しているのだ。

 主人公は小学生だったが、容姿にまつわるいじめを受け不登校となっている。天才的なドローン操縦技術を見込まれ、実務メンバーが子供だけという、異様な組織に所属することになる。そこにはドローンを自在に操る「ミツバチ」と称する特殊能力者たちがいた。舞台は近未来、ドローンは兵器やスポーツなどあらゆる分野に普及している。それらをコントロールする能力は高く買われる。しかしそのためには「杭」が必要だった。ミツバチの少年少女たちは、その代償と引き換えにドローンが操れるのだ。

 ミツバチ組織のリアリティは(どうやって維持できるのかなど)ちょっと気になるものの、いじめや不登校に始まり、子供に対する暴力や強制労働、南北間の格差、麻薬やマフィアなど世界的課題へと展開していくところが読みどころだろう。

 いわゆるグローバルサウス(ミャンマー、ベトナム、インド、スリランカ、ソマリア、南アフリカ、中央アフリカ、トルコ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コロンビア、ボリビア)を巡る旅のお話でもあるため、どこか櫻木みわ『うつくしい繭』と似た雰囲気もある。ただし、本書は実体験を基にしたわけではないようだ。

グレッグ・ベア『鏖戦/凍月』早川書房

Hardfought/Heads(1983/1990,酒井昭伸/小野田和子訳)

Cover Illusration:小阪淳
Cover Design:岩郷重力+M.U

 まず最初に書誌を記しておく(解説にも書かれているし、ネット検索の時代には不要かも知れないが、評者にはこういう流儀が染みついているのです)。

「鏖戦(おうせん)」(1983)はネビュラ賞ノヴェラ部門の受賞作、1990年10月号のSFマガジン(400号記念号)に一挙掲載され、さらに『80年代SF傑作選』(1992)にも収録された中編。一方の「凍月(いてづき)」(1990)は、1996年2月号(太陽系をテーマにした宇宙SFの一環として)SFマガジンに一挙掲載、1997年星雲賞海外短編部門受賞、1998年に(長い中編なので)同題の文庫として単独出版されている。よく似た経緯をたどった2作品といえる。両者とも文庫で入手が可能だったものの、すでに25年以上が過ぎている。今回は著者が昨年11月に亡くなったことを受け、2023年6月号のSFマガジン追悼特集に合わせる形で、ハードカバーによる復活を果たしたのだ。

鏖戦:いつともしれない超未来の宇宙、人類はメドゥーサ(美杜莎)と呼ばれる原始星系で、銀河の歴史ほども古い異形の宇宙種族セネクシ(施禰俱支)と戦っている。主人公は巡航艦メランジーに乗り組む戦闘だけを教え込まれた兵士で、敵の種子船をザップ(破摧)し蔵識嚢を奪取する使命がある。人類もまた姿を変容させている。主人公は妖精態のグラヴァーだった。

凍月:200万の人々が住む月世界は、独立したコロニーの緩い連合体で運営されている。有力コロニーの一つが運営する〈氷穴〉では絶対零度を作り出す実験が行われていたが、そこに地球で冷凍保存されていた100年前の人体頭部多数が運び込まれる。だが、創業家一族のきまぐれに過ぎないと思われていたそのプロジェクトは、やがて大変な騒動を巻き起こす。

 どちらも宇宙SF、ただし傾向的には全く異なる。前者は、設定どころか個々の単語自体に高圧縮な創造力が詰め込まれた実験的なスペースオペラ。イメージを浮かべるのに難渋するが、酉島伝法的な異形キャラと美少女戦士風ヴィジュアル(容姿は意図的に具象化されていない)を混淆させた類を見ない作品で、ベア自身も自己ベストだとする。

 後者は、月コロニーどうしの政治的な謀略を巡るサスペンスである。背景には著者が会長職を務めていた当時のSFWA内の、サイエントロジー派や子供じみたリバタリアン的風潮(ひたすら管理を嫌う)への反発が込められているという。ただ、そういう内幕を知らなくても面白く読めるだろう。

 ベアの翻訳書は、著者の執筆ペースが落ちたこともあり、21世紀以降(文庫化を除けば)『ダーウィンの子供たち』のみにとどまる。これらを含め『ブラッド・ミュージック』以外は絶版だ。忘れられるには早すぎる作家である。20世紀に出た多くの主要作品が、今後電子書籍の形で復刊されるのは喜ばしい。

 ところで、「鏖戦」は初紹介当時から、原文の造語に仏教用語の難読漢字を充てるなどの翻訳スタイルが話題になった。大森望は「原文をはるかにしのぐ神話性と「なんかすごそう」感を獲得した」(「SF翻訳講座」1993年5月)と評価し、また上記追悼特集でも、翻訳者の酒井昭伸がその際の苦闘を生々しく振り返っている。

宮野優『トゥモロー・ネヴァー・ノウズ』KADOKAWA

装画:紺野真弓
装幀・本文デザイン:世古口敦志+清水朝美(coil)

 著者は札幌市在住、本書がデビュー作となる。小説投稿サイトのカクヨムに、昨年8月登録された長編小説の書籍化バージョンである。全5話の連作短編から成るが、全面改稿の上、さらに1話分は書下ろされている。その辺りの経緯については著者自身が語っている

 インフェルノ:未成年者に娘を殺された主人公は、刑を終え釈放された犯人が事故で入院中と知るや、入念に準備した殺人を決意する。だが、殺害のあとループに囚われる。
 ナイト・ウォッチ:ループを悪用する暴漢を未然に防ぐため、自警団を務めるグループや個人がいる。高校生の主人公にも、そんな一人が毎朝迎えに来てくれる。
 ブレスレス:ループする世界では新たなゲームが考案される。総合格闘技の北米チャンピオンは、新たな特別ルールの下での試合に難色を示していた。
 イノセント・ボイス:水場争いをする貧しいアフリカの村で育った少年は、やがてジャーナリストになり現実を世界に伝えようとするが。
 プリズナーズ:自身の醜さに絶望し図書館にこもる主人公は、ループ現象について様々な考察を試みる。そしてキーとなる人物と会話するなかで、噂の真相が明らかになる。

 タイムループものである。映画でも小説でも百出のアイデアだけに、作者の腕の見せどころだろう。一定の周期で同じ時間が繰り返されるのだが、本書では記憶が累積される(すべての周回を憶えている)ルーパー(周回者)が徐々に増えていき、リセットされてしまうステイヤー(非周回者)を上回るようになる。

 本書のループは1日、開始時間は世界一斉のため、日本では夜中だがアメリカだと昼間だったりする。肉体的にすべてリセットされる(眠らなくても問題ない)一方、記憶だけが残る。自然現象のようでいて、選択が起こるメカニズムまでは解明されない(記憶があるということは、ルーパーの時間は流れている。それは錯覚なのか?)。食料やエネルギー、貧富の問題すらなくなる(どれだけ浪費しても元に戻る)という理想社会であるはずが、人々は(殺人、暴行、強姦などの)刹那的な願望充足に明け暮れてしまう。凝集された1日で世界は崩壊し、全く異なるものに変貌するという設定がまず面白い。

 さらに、無秩序から自らを守ろうとするナイト・ウォッチ、もともとの社会規範が復活する「ループ後」を見据えた格闘家やジャーナリストなど、閉塞的なループにその先を見据える登場人物を配した点が目新しいといえるだろう。

八杉将司『八杉将司短編集 ハルシネーション』SFユースティティア


 2003年の第5回日本SF新人賞受賞でデビューし、2021年12月に亡くなった八杉将司の短編集。著者には多数の作品がありながら、生前に短編集が出ることはなかった。本書は、関係する作家有志により編纂された傑作選である。同じ出版社から出ている遺作長編『LOG-WORLD』はオンデマンド出版(もともとはpixiv公開)だったが、こちらはAmazonなど数社からの電子書籍のみとなる。

 短編[ その一 ]
  命、短し(2004)バイオハザードにより人類の寿命は極端に縮んでしまう。少年も既に人生の半分を生きた。海はあなたと(2004)生体CPUとなった主人公は海辺を車で走るのだが、外の光景はいつまでも変わらない。ハルシネーション(2006)脳の機能障害により「動き」が認識できなくなる。しかも、やがてありえないものが見えるようになった。うつろなテレポーター(2007)量子コンピュータのシミュレーションで造られた複数あるコロニーのうち、自分たちのコロニーが複製されるらしい。これは実利も伴う名誉だった。カミが眠る島(2008)瀬戸内海の小島で行われる祭りを取材するためライターが訪れる。そこでは利権をめぐる騒動が巻き起こっていた。エモーション・パーツ(2009)会社で仕事中、急に笑いが止まらなくなる。どうやら人工大脳の故障らしい。一千億次元の眠り(2011)矯正措置を受けた火星の旧支配層のうち、有力な一人が逃走する。知人だった元警官は、捜査官として行方を追うよう指示される。
 『異形コレクション』掲載作
  娘の望み(2006)娘は言葉が話せなかった。脳に障害があったからだ。しかしそれに代わる芸術の素養があるようだった。俺たちの冥福(2007)中古部品のブローカーで働く主人公は、点や影が顔に見える幻覚に苦しんでいた。産森(2008)宇宙での仕事にうんざりし、祖父母が住んでいた田舎の家に住むことにした。すると夜中に扉が叩かれ、赤ん坊が泣き叫ぶ声がする。夏がきた(2007)長い長い冬が終わり、降り積もった雪は溶けてしまう。やがて何年も続く夏がきた。ぼくの時間、きみの時間(2011)自分を基準に測るしかないが、主観時間は人によって違う。しかし妻とは大きな違いがあった。
 短編[ その二 ]
  宇宙の終わりの嘘つき少年(2012)そこは運河の世界で、人々は船を筏のように連ねて生活している。運河はどこまでも続いているが、一生の間に何回か同じところを通るらしい。それを昔の人は魂と呼んでいた(2013)魂だけが消えてしまう疾病が蔓延する。発症すると、過去の一定期間行っていた行為を延々と繰り返すのだ。
 ショートショート集
  ブライアン(2011)移民宇宙船が遭難、未開惑星へと脱出できたのは自分一人のようだった。そこで笑い顔の石ころを見つける。神が死んだ日(2012)授業中にアラームが鳴る、それは教師である自分宛に緊急事態を伝えるものだった。宇宙ステーションの幽霊(2013)幽霊を信じていなかった科学者の自分が、なんと幽霊になっている。むき出しの宇宙が見える以上、そう考えるほかなかった。ドンの遺産(2014)堅気で生活していた男は、マフィアだった父の跡を継げと申し渡される。座敷童子(2014)跡取りで揉める田舎の家で、中学生の主人公は見知らぬ女の子に声を掛けられる。追想(2015)人類は滅亡寸前、アンドロイドは酒を求めるばかりの困った老人を介護している。夢見るチンピラと星くずバター(2018)月で採れた石には未知のミネラルが含まれているようだ。それを混ぜたバターを食べると何かが。砲兵と子供たち(2020)第1次大戦下の西部戦線、ドイツ軍の砲兵は自軍の周辺に子供たちが群れていることに気が付く。LIVE(2021)人工知能に自我あると認められた。それは問いかけに対し「LIVE」と答えたからである。我が家の味(2021)妻に先立たれ夫は途方に暮れるが、料理の味を決める見知らぬ素材があることを知る。
 短編[ その三 ]
  私から見た世界(2013)見えていたものが見えなくなる。その異常は脳の手術で治るはずだった。だが、術後に別の症状が表われ次第に悪化していく。親しい人が見えず、声が聞けなくなるのだ。妻や子供を自身の認知から失い、周囲の知人も消えていく。
 八杉将司作品論・三編
  八杉将司作品論(町井登志夫)/いつか、白玉楼の中で――八杉将司さんの創作についての覚え書き(片理誠)/八杉将司短編群を読み解く――〈私から見た世界〉と〈世界から見た私〉(上田早夕里)

 上田早夕里の作品論で詳しく述べられているが、著者は認知の問題を繰り返しテーマとしてきた。表題作「ハルシネーション」と、巻末に置かれた「私から見た世界」は、共に主人公の認知が極端に変貌していく様子を描いた対を成す作品といえる。片理誠は「ハルシネーション」をホラーだと思ったと書いている。恐怖も人の認知が生み出す感覚で、スピリチュアルなものと親和性が高いからだろう。ただ、著者は脳神経科学などの知見を取り入れることで、イーガンらが好むSF的/科学的な解釈を試みてきた。「私から見た世界」はその両者を融合したような作品だ。

 他でも「海はあなたと」「エモーション・パーツ」「一千億次元の眠り」「娘の望み」「ぼくの時間、きみの時間」「それを昔の人は魂と呼んでいた」など自我と意識を主要なモチーフとしたものが多くを占める。純粋なソフトウェア知性の「うつろなテレポーター」や、機械と認知の問題に言及した「LIVE」のような作品もある。いまハルシネーションというと、AIの吐く噓(でたらめな答え)のことを指すが、八杉将司ならどう解釈するのか訊いてみたい気がする。

フランチェスカ・T・バルビニ&フランチェスコ・ヴァルソ編『ノヴァ・ヘラス ギリシャSF傑作選』竹書房

Nova Hellas,2021(中村融他訳)

デザイン:坂野公一(welle desigh)

 日本版に寄せられた編者による「はじめに」によると、ルキアノスに始まった世界最古のギリシャSFも20世紀末まで長い空白があり、ようやく(アメリカ映画やTVドラマの影響もあって)70年代後半から海外SFの翻訳が、次いで90年代にはギリシャ人作家による短編の創作が行われるようになったという。このあたりの経緯はイスラエルとよく似ている。ただ、(非英語圏共通の課題として)英語での書き手が少ない分、知名度には難があった。本書は、グローバル向けの英訳傑作選からの重訳になる。スタートラインがいきなりサイバーパンク以降なので、過去の伝統などによる縛りがなく新鮮だ。

 ヴァッソ・フリストウ(1962-)「ローズウィード」海面上昇で都市の建物の多くが水没した近未来、移民ルーツの主人公は居住可能な建物を調査する仕事に就いていた。
 コスタス・ハリトス(1970-)「社会工学」VR下のアテネ、社会工学を学んだ男に集票工作の依頼が舞い込む。相手組織の正体は分からなかった。
 イオナ・ブラゾプル(1968-)「人間都市アテネ」アジア・アフリカで経験を積み、コンゴでも駅長を務めた主人公は、アテネ駅長となってギリシャ語を話すことになった。
 ミカリス・マノリオス(1970-)「バグダッド・スクエア」主人公が住むアテネはヴァーチャルな世界と重なり合っている。だが、意外な都市とも隣り合っていた。
 イアニス・パパドプルス&スタマティス・スタマトプルス「蜜蜂の問題」ドローン蜂の修理を生業にしていた男は、本物の蜜蜂が戻ってくるといううわさを聞く。
 ケリー・セオドラコプル(1978-)「T2」胎児の成長診断のため、清潔なT2より廉価なT1車両で移動したカップルは、産婦人科医師から意外な結果を聞く。
 エヴゲニア・トリアンダフィル「われらが仕える者」観光客を迎えるその島には人造人間しかいない。本物の人間は海底にある居住都市に住んでいるからだ。
 リナ・テオドル「アバコス」ジャーナリストと広報担当者との対話で、人の食事環境を決定的に変えるアバコス社の製品について問題点が指摘されるが。
 ディミトラ・ニコライドウ「いにしえの疾病」体のあらゆる機能が衰えていく病、漏失症の患者を収容する施設で、新任の女性医師が真因究明に苦しむ。
 ナタリア・テオドリドゥ「アンドロイド娼婦は涙を流せない」アンドロイドの皮膚に現れる真珠層は、機能への影響がないことから原因不明のまま放置されている。
 スタマティス・スタマトプロス(1974-)「わたしを規定する色」その女は、ある図案のタトゥーの持ち主を探していると告げた。

 本書は2017年に出たギリシャ語の傑作選(13編収録)をベースに、そこから作品の追加/割愛が行われている。全部で11作を収めるが、原稿用紙換算30~40枚程度の短いものが多い。著者は1960~80年代生まれが中心のようだ。中では英語での執筆が多いナタリア・テオドリドゥが、クラリオン・ウェスト出身者で2018年の世界幻想文学大賞Strange Horizens掲載の短編)の受賞者である。

 地球温暖化による海進(多数の島を有するギリシャでは死活問題)、難民/移民(アフリカ、中東からのバルカンルート=渡航の通り道)という現代的な社会問題とVR、アンドロイド(AI)、サイバーパンク的なテーマが混淆する。数値海岸(ヴァーチャルではなくロボットだが)みたいな「われらが仕える者」、虐殺市場なるものが出てくる「アンドロイド娼婦は涙を流せない」、変幻するタトゥー絡みの事件「わたしを規定する色」あたりが、独特の組み合わせでもあり印象に残る。アイデアものはシンプル過ぎるので、もう少し書き込みが欲しいところ。

大森望編『NOVA 2023年夏号』河出書房新社

ロゴ・表紙デザイン:粟津潔

 前号から2年ぶりとなる、オリジナル・アンソロジイ《NOVA》の最新号。今回は女性作家13人によるボリューミー(540頁)な1冊となった。雑誌の特集などを除けば、女性のみのSFアンソロジイとして日本史上初!を謳う。時流を抜きにすると、単にSF風/ファンタジイ風アンソロジイならもっと前から可能だったと思うが、著者の出自を含めSF周辺だけで固められるのは、今日だからこそなのだろう。

 池澤春菜「あるいは脂肪でいっぱいの宇宙」激太りを改めるべく励むのだが、あらゆる方法を試しても痩せない。騒動はSNS上でブレイクし、某研究所から調査依頼までくる。
 高山羽根子「セミの鳴く五月の部屋」五月にセミは鳴くか。謎の合言葉を告げる見知らぬ人々に辟易した主人公は、その意味を訪問者に問い詰める。
 芦沢央「ゲーマーのGlitch」 RTAゲームの世界大会が実況される。人類の限界を超えた男と元絶対王者の戦いなのだ。バグ技を使うなど究極の戦いは果てしなく続く。
 最果タヒ「さっき、誰かがぼくにさようならと言った」琥珀に愛していると告げると結晶が美しくなる。評判の琥珀師のもとにインタビュー取材用のAIが送られてくる。
 揚羽はな「シルエ」小さな娘が事故で脳死状態になったあと、諦めきれない夫とアンドロイドのシルエに耽溺する妻との間に深い溝ができる。
 吉羽善「犬魂の箱」使機神と呼ばれる犬張子型のロボットは子供を守る機能を有している。江戸時代のような設定の中で、ロボットは子供のために活動する。
 斧田小夜「デュ先生なら右心房にいる」宇宙開発の現場では、使役や食用にもなることから宇宙ロバが重宝されている。デュ先生はそんなロバの専門医だった。
 勝山海百合「ビスケット・エフェクト」スーパーカブで海を目指した高校生は、海岸で鹿のような生き物と出会う。そこで持っていたビスケットを差し出してみる。
 溝渕久美子「プレーリードッグタウンの奇跡」北アリゾナの平原にすむプレーリードッグたちの近くに、飛んでいる何かが下りてきてタウンの群れとコミュニケーションする。
 新川帆立「刑事第一審訴訟事件記録玲和五年(わ)第四二七号」死刑執行の傍聴ができるようになる。そこで死刑囚の母親と被害者の妹が同席し別の事件を引き起こす。
 菅浩江「異世界転生してみたら」オタクの主人公が異世界転生し、オタク知識を生かして好き勝手に生きようとするものの社会的制約が邪魔になる。そこで思いついたのが。
 斜線堂有紀「ヒュブリスの船」瀬戸内をクルーズする観光船で殺人事件が起こる。犯人は明らかになるが、乗客全員が記憶を残したままのタイムループに捕えられる。
 藍銅ツバメ「ぬっぺっぽうに愛をこめて」少女はレトロな駄菓子屋で、薬売りの男から父親の病気に効くという触れ込みで奇妙な生き物を渡される。

 揚羽はなの子供(そっくりのロボット)、吉羽善の犬(のようなロボット)、斧田小夜のロバ(が改良された宇宙ロバ)、勝山海百合の鹿(のような異星人)、溝渕久美子のプレーリードッグ、藍銅ツバメのぬっぺっぽう(のような外観の生き物)と、生物(ロボット、妖怪?)を描いたSFが読み比べられる。処理方法や視点に各著者の特徴が出ていて面白い。

 芦沢央のガチなゲーム実況、新川帆立のガチな供述調書、斜線堂有紀は登場人物の残酷な末路が印象に残る(記憶が累積されるタイムループ作品はよくあるが、ここまで感情的な閉塞感に溢れるものはなかった)。一方、最果タヒによるAIとの独り言のような会話、謎のゲームに関わるようで突き放す高山羽根子、真砂の数ほどある異世界転生ものにトドメを刺す菅浩江、この3人は年齢差がそれぞれ10年ずつありながら手練れの巧みさを感じる。

 池澤春菜の作品は、もしかすると40年ぶりによみがえる『処女少女マンガ家の念力』(大原まり子)なのではないかと思わせる。この非日常的なリアリティはいかにも編者の好みっぽく、冒頭に置かれただけのことはある。

マシュー・ベイカー『アメリカへようこそ』KADOKAWA

Why Visit America,2020(田内志文訳)

ブックデザイン:川添英昭

 著者マシュー・ベイカーは1985年生まれのアメリカ作家。美術学修士取得後に、さまざまな文芸誌や批評誌(オンライン含む)に実験的な短編を発表し、Variety誌の10人の注目作家に選ばれたこともある。プロフィール写真ごとに髪型をドラスティックに変えるなど、ちょっとクセのありそうなアメリカ純文学の人だ。ただ、発表した媒体の中にはWebジンのSF専門誌Lightspeed Magazineがあり、D・ガバルドン&J・J・アダムズの『年刊SF&ファンタジー傑作選』に「終身刑」が採録されている。日本の若手純文作家も同様だが、SF的アイデアを取り入れることに何らためらいはないのだ。版元の紹介文中で本書が「SF短編集」とキャプションされるのも、そういう理由によるのだろう。

 売り言葉(2012)辞書編纂者の主人公は、盗用防止の幽霊語創作を仕事にしている、だが、姪の虐めに憤ったことから、当事者の高校生のストーカーを始めるようになる。
 儀式(2015)母親の儀式が済んだあと、すでに期限が過ぎている伯父を説得しようとする。しかし周囲の顰蹙を買いながらも、伯父はかたくなに受け入れない。
 変転(2016)過度に保守的ではなく世間並みに良識を持つ家族だったが、体を失うという主人公の選択には誰も賛成してくれなかった。
 終身刑(2019)刑罰により記憶から過去がすべてが失われていた。日常生活を過ごすには支障はなかったものの、家族すら見知らぬものになった。自分は何をしたのか。
 楽園の凶日(2019)ひどい一日が終わり、愚痴を話す相手もいないとわかると、彼女は郊外のガラスドームに覆われた生物園に車を走らせる。
 女王陛下の告白* 主人公はお城のような大邸宅に住み、家族は買い物に明け暮れ、部屋はモノで溢れている。その結果、レシオは非常識な高さになっているのだ。
 スポンサー(2018)結婚式の寸前になって冠スポンサーが倒産してしまう。このままでは式が立ち行かない。やむを得ず、不仲だった大金持ちの知人に泣きつくが。
 幸せな大家族* 保育所から赤ん坊が誘拐される。警察は犯人の動機を知るため人物像を明らかにしようとするが、誰もがあいまいな答えしか返さない。
 出現(2013)レストランの駐車場で「不要民」を待ち伏せし、三人を車の中に押し込むと州境へと走り出す。奴らが出現してからもう13年が経っていた。
 魂の争奪戦(2020)生まれた赤ん坊がすぐに死んでしまうという現象が頻発する。魂の数が上限に達したからだ、とする説が信じられている。
 ツアー* カルト的人気を誇る「ザ・マスター」がやってくる。そのギグに参加するためには莫大な費用とくじ運がかかるが、主人公は奇跡的に両者を手に入れられた。
 アメリカへようこそ(2019)地方の田舎町が突然独立を宣言し、元の国名のままアメリカと名乗る。オールド・アメリカはその理想をすべて失ったからだ。
 逆回転(2011)生まれたばかりの主人公が感じたのは完全な絶望だった。そして、ポケットから数字の書かれた謎の紙切れがでてくる。
*:未発表作または書下ろし

 全部で13編を収める(著者が2009年から書いた短編の4分の1)。すべての作品に奇想アイデアが含まれる。筒井康隆『銀齢の果て』風(あるいは成田悠輔風)、意識のアップロード、死刑に代わる記憶抹消、『男たちを知らない女』の世界、裏返された大量消費社会、過度な広告化、育児の公営化、非人類の難民、井上ひさし『吉里吉里人』的独立秘話、時間の逆転などなど。

 ただし、これらの(もはやありふれた)アイデア自体は目的ではない。登場人物をクローズアップするための「特殊設定」に使われている点が、現代SFや文学と共通する特徴といえる。たとえば「変転」では、コンピュータにアップロードされる主人公よりも、うろたえ動揺する家族と母親がテーマとなっているし、「終身刑」でも受け入れる家族と主人公との距離感が読みどころとなっている。

 特有の文体、数ページにもわたって段落なしに続く容赦のない描写が効果を上げている。「ツアー」などでは、それが対象を変えながら何段階も執拗に続いて圧巻だ。物語に説明を付けず、唐突に断ち切ってしまう終わり方は、エンタメには少ない純文的なミニマリズムだろう。また「出現」や表題作には、アメリカ的な社会問題が織り込まれている。「逆回転」もよくある時間の逆転を描くが、その先に現れるものはまさにアメリカといえる。