えたいのしれない怖さ、3冊の絵本から

 1月から続けてきたシミルボン転載コラムですが、今回が最終回になります。まだ数編は残ってはいるものの、その時々の出来事に合わせて書いた記事もあり、おさまりが悪いのでまたの機会に。最後は、ちょうどいまのシーズンに合う、3冊のホラー絵本紹介で締めくくります。以下本文。

 世の中には「えたいのしれない怖さ」というものがあります。しっかりと見えたわけではないのに、けれど何かがいるような気がする。いつまでたっても正体がわからず、もやもやとしたままなので怖い。ひとめで化けものとわかる、怪物や妖怪がでてくるわけではありません。ただ、よく知っているものが不気味な形に見えたり、形のないものが無性に怖くなることがあります。そんな世界をのぞいてみたいのなら、この3冊の絵本がぴったりかもしれません。1つには見えないともだちが、1つには見えないものの正体が、さいごの1つには見えなかった本心があらわれてくるからです。

おともだち できた?
 おんだりく恩田陸)がかきおろしたえ本です。子どもむけの本で「こわいものはよくない」といううごきに、はんぱつしてかいたということです。それだけに、とてもこわい本になっています。

 小さな女の子が、あたらしいいえにひっこしてきます。そこはたくさんのうちがたちならぶ町ですが、女の子はひとりであそんでいます。しんぱいになったおとうさんやおかあさんは、女の子にきいてみます。

「おともだち できた?」

 人によってさまざまですが、小さなときにくうそうのともだちをつくる子どもはいます。それが「見えないともだち」です。子どもにとっては、ようせいやせいれい、ゆうれいやおばけ、うちゅうじんやかいじゅうだったりします。おともだちがやさしければよいのですが、生きものですらない「なにか」だと、ちゅういしないといけません。うっかりしりあったことで、そのせかいにさらわれてしまうかも。この本のいしいきよたか石井聖岳)のえは、あかるい町のけしきが、くらいどこか、うらがわのどこかにかわっていくようすをえがいています。

はこ
 『はこ』は、東雅夫の編集で10巻まで出た《怪談えほん》の1冊です(註:最終的に14巻まで出ています)。《十二国記》シリーズや『残穢』を書いた小野不由美の本です。

 ある日、女の子が小さな「はこ」を見つけます。何のはこか分かりません。あけることができず、中からコソコソ音がします。あめのふる日に、はこは開きますが、なかみはからっぽ。するとこんどは、メダカのえさが入っていたはこが開かなくなります。しかも、メダカがいなくなってしまいました。そのあとも、はこが開くと何かがなくなり、また次の少し大きなはこが閉じていくのです。

 「はこ」の中にはいったい何がいるのか。しだいに大きくなる(成長している)中身は、「えたいのしれない怖さ」そのもの。知りたいけれども、知ってしまうときっと不幸になるもの。正体がわからないものは、無用な想像をかきたてます。考えれば考えるほど、怖さは大きくなっていきます。たのしい想像ではなく、不安な思いをふくらませていくようです。どんな家にも、さがしてみれば開かない「はこ」が見つかるかもしれません。nakabanの描く絵は、クレヨン主体で、お話全体を夕暮れのようなくらさでおおっています。

駝鳥
 この絵本は、作者の筒井康隆がデビュー間もないころに書いた、『欠陥大百科』(1970)に収められたショート・ショートをもとにしています(のちに短編集『笑うな』にも収録されました)。動物園でよく見かける、飛べない大きな鳥、駝鳥(だちょう)が登場します。

 ひとりの旅行者が砂漠をさまよっています。旅行者の後ろには、なぜか大きな駝鳥がいて、あとをついてきます。最初のうちは食べものをわけ与えていた旅行者でしたが、いつまでたっても砂漠を出られないと分かると、ひとり占めしようとします。ある日、旅行者は自分が大事にしていた金時計が、なくなっていることに気がつきます。きっと駝鳥が飲み込んでしまったに違いない。そう思い込んだ旅行者は……。

 砂漠にまよい込んだ旅行者と駝鳥、ふだんの生活ではおそらくめぐり会うことのない、とてもおかしなコンビが描かれます。旅行者は、駝鳥と仲よくなります。ただ駝鳥の感情をあらわさないひとみを見ても、相手が何を考えているのかよく分かりません。何のためについてくるのか、駝鳥はもちろん説明してくれません。このお話で「えたいがしれないもの」は駝鳥です。

 ところが、旅行者はわがままに、駝鳥を利用するようになります。最初は旅のなかま、次に食べものをへらすやっかい者、その次は自分が生き残るための道具と、だんだんエスカレートしていきます。さいごになって「えたいがしれないもの」をもてあそんだ旅行者に罰がくだされるわけですが、それは自分のしでかしたことの裏がえしにすぎません。福井江太郎の絵は、駝鳥のコミカルなようす、反対側にあるぶきみさ、影と光を、とてもていねいに描きだしています。

(シミルボンに2017年7月4日掲載)

映画の原作を読んでみる、その3

 シミルボン転載コラムの映画原作シリーズも今回で3回目、これで最後になりますのでよろしく。大作というより、ちょっと渋めの3作品を紹介しています。作家も渋いですが、じっくり書き込まれた読み応えのある作品ばかりです。以下本文。

映画も公開、SNSの闇に迫る『ザ・サークル』
 トム・ハンクス、エマ・ワトソン主演で映画化され話題になりました。海外では公開済み、遅れていた日本でもようやく2017年11月に公開されます。IT社会を風刺した作品で、twitterやLINEなどのSNSを使っている人ならなるほどと思うエピソードの先に、全体主義社会の影が見えてくるという内容。とても怖いですね。特に今のSNS社会で困るのは、ほっといてくれないことです。黙っていれば発信しないやつだと怒られ、発言すると執拗につきまとわれ、善意であっても挙動を逐一見張られる。どうせ秘密が持てないのだから、世界中みんなが秘密を持たなければ良い、という発想の果てに本書があるわけです。

 著者は、1970年米国生まれの作家、編集者、出版業、脚本家、社会活動家(移民家族のために読み書き支援を行うなど)です。本書は、架空のインターネット企業「サークル」を扱った作品。リアルの世界で苦労の多かった著者の経歴もあってか、スマートなIT会社が暗く変貌していく様子を描かれています。本書の内容について、日本のITギーク系の雑誌WIREDは高評価でしたが、米国版WIREDは内容をやや批判的に紹介していました。

 「サークル」は巨大なIT企業です。主人公は旧態依然の地元に飽き飽きし、友人の紹介を伝手にサークルに入社します。そこには開放的なオフィス、先端的な仕事、自由な社風、厚い福利厚生制度があり、若い就職希望者が羨望する環境が用意されていました。彼女へは社内外SNSへの参加や、さまざまな情報発信が半ば義務付けられます。けれど、世界と繋がり合うほどに、自身のプライバシーは失われていきます……。

 本書中に「秘密は嘘、分かち合いは思いやり、プライバシーは盗み」というスローガンが出てきます。これは、オーウェルが書いた『一九八四年』の「戦争は平和、自由は隷属、無知は力」に対応するように置かれています。サークルのガラス張りのオープンなオフィスも、ザミャーチン『われら』に現われるプライバシーのないガラスの建物を思わせます。とすると、本書はITがもたらす全体主義を風刺する小説のようです。

 ただし、米国WIREDは、その批判は少し的外れではないかと指摘しています。SNSが持つ特性、秘密やプライバシーの排除は、裏で行われる不正や談合をなくし、過去の時代では知りえなかった真実を暴露する面もあるからです。とはいえ、見知らぬ他人からの干渉や、恣意的な誘導という暗黒面も存在します。

 本書は前半でポジティブな面を強調し、後半でネガティブさを曝け出すように書いています。確かにtwitterやLINE、facebookなどでは、成り立ちが善意であっても、悪意で運用することで、窮屈な社会ができてしまう可能性があります。現実に起こった政府機関による干渉疑惑などを見ると、SNSによる大衆扇動がありえないとは言えません。一方向だけの発言が称賛されて、異論が許されず、ただ同一化が求められるなら、それは全体主義そのものとなってしまうでしょう。

(シミルボンに2017年10月5日掲載)

映画「アナイアレイション―全滅領域―」に見る、彼岸世界は徒歩圏内?
 そのむかし、あの世とこの世は地続きであると考えられていました。つまり歩いてあの世に行けるわけですね。生と死が身近で、隣り合わせだった時代を反映しています。神話や伝承にある黄泉の国の入り口は、いまでは地名だけになって残されています。人が増え、宗教心が薄れ、世界が狭くなると、そういった地続きの異世界は顧みられなくなりましたが、物語の中では別のかたちで蘇っています。

 その一つが、今回紹介する三部作です。パラマウント版「アナイアレイション―全滅領域―」は、誰もが生還できず「全滅する」という、何だか怖い題名になっています。「エクス・マキナ」「わたしを離さないで」のアレックス・ガーランド監督、「ブラック・スワン」のナタリー・ポートマンの主演で、2018年2月下旬から3月にかけて世界21か国で公開される作品ですが、三部作はその原作にあたります。

 著者ジェフ・ヴァンダミアは1968年生まれの米国作家、アンソロジストで、チャイナ・ミエヴィルらが提唱する「ウィアード・フィクション」(気味の悪い小説)と同様の、「ニュー・ウィアード」と呼ばれる幻想ホラー小説の書き手であり編集者です。世界幻想文学大賞を3度受賞していますが、そのうち2度はアンソロジイの編者としての受賞でした。そういうジャンル小説をよく知る書き手が、今回は少し変わったアプローチで三部作を書いたのです。

『全滅領域』:自然豊かな海岸部のどこか、エリアXと呼ばれる領域に調査チームが入る。11回に及ぶ調査はことごとく失敗し、隊員は不可解な死を遂げたり正気を失っている。何が原因なのか、条件を変えるため12回目の探査では女性だけが選ばれる。メンバーはお互いを名前で呼ばず、職種名で呼ぶ。隊員は地下へと降りる〈塔〉の中で、壁面を覆いつくす文字を見つける。

『監視機構』:エリアに隣接して、〈サザーン・リーチ〉という監視研究機関が設けられている。前所長が行方不明となり、新任の所長が着任する。しかし、非協力的な副所長や言動が奇妙な科学部のメンバーなど、所内の様相は混沌としている。前所長は何をしようとしていたのか。新任所長に与えられた、本当の目的とは何か。

『世界受容』:エリアXが拡大を始める。エリアの中では、失われた隊員から変異した何者かが見え隠れる。新任所長はエリアへの潜入を試みるが、そこでは異形の生き物がうごめき、過去の記憶と偽りの未来が混交する。時間の流れさえ均一ではない。エリアの正体は、果たして明かされるのか。

 最初の『全滅領域』だけを読むと、エリック・マコーマック『ミステリウム』(1993)のような印象を受けます。固有名詞を持たない登場人物と正体不明の世界、解き明かされない謎など、ある意味典型的な幻想小説のスタイルともいえるでしょう。『監視機構』では、そこに〈サザーン・リーチ〉という外形が設けられ、(得体は知れないながら)組織的な背景や、人間関係が明らかにされます。『世界受容』に至っては、今度はエリアXという世界の本質にまで踏み込んでいます。語り手の視点には、いくつかの工夫があります。第1部は一人称、第2部は三人称、第3部は一人称、二人称、三人称をパートごとに交えているのです。個人の狭い視点による歪められた世界が、三人称で客観化されたかのように見えて、最後にまた混沌へと戻っていくわけですね。謎は解明されたともされていないとも取れます。

 ウェブ雑誌The Atlanticの長い記事の中で、著者はこの三部作の顛末について記しています。2012年に、まず『全滅領域』の草稿が書かれ、上記のような3つの視点から成る《サザーン・リーチ》三部作として売り込むと、SFやファンタジイなどのジャンル小説以外の出版社からオファーを得ます。文藝出版の老舗FSG社(大手出版社マクミラン・グループの一員)は、1年内で3作一挙刊行を提案してきました。条件は「読者は謎の解明を求めるだろうから、きっちりそこまで書くこと」。著者も、第1部(ある種の不条理小説)だけで終わるより、3部作を通して人智を超えるものを表現する方が重要と考えました。残りを書き上げるまで18か月、出版は2014年になってから、2月・5月・9月と連続して出ました。最近のメジャーな出版では、三部作を間髪を入れずに出せることが前提のようですね。

 物語の中には、著者の体験がさまざまに取り入れられています。車の中の潰された虫、家に忍び込む体験、フロリダ北部に似せたエリアXの自然、トレッキング中に膝をひどく痛めたことや、ミミズクの生態に触れたことなどなど。それらがない交ぜとなって、まるで超現実的な旅をしているようだったといいます。

 歩いて行ける異界を扱ったSFと言えば、ストルガツキー兄弟が書いた『ストーカー』が元祖でしょう。危険なものが潜む異界にはお宝もあり、密漁者(ストーカー)たちが命を懸けて忍び込みます。

 その『ストーカー』のオマージュともいえるのが宮澤伊織『裏世界ピクニック』です。異世界と実話系怪談を両立させた、新しい表現が注目を集めました。ご存じのように大人気となりシリーズ化、コミック化やアニメ化もされています。

(シミルボンに2018年2月20日掲載)

荒れ果てた未来の海で、なぜ都市は移動するのか
 2019年3月1日に日本公開された、クリスチャン・リヴァース監督、ピーター・ジャクスン製作・脚本の映画『移動都市/モータル・エンジン』は、未来の干上がった海の上を巨大都市がキャタピラで走り回るという迫力ある映像が話題になりました。本書はその原作です。

 原著者のフィリップ・リーヴは英国の作家です。《移動都市クロニクル》は、2001年から2006年にかけて出版され、第4部『廃墟都市の復活』がガーディアン児童文学賞を受賞しました(その後、短編集なども出ました)。そうか児童文学だったのかと納得する人、意外に思う人もいるでしょう。もともとファンタジイ小説は、児童文学やヤングアダルト文学での出版が多いのです。

 ただし、東京創元社などでは、大人でも問題なく読める作品として紹介されてきました。例えば、スーザン・プライス『500年のトンネル』や、パトリック・ネス《混沌の叫び三部作》などもそうです。他では、ハインラインの長編の多くも、もともとジュヴナイル(例えば、『ラモックス』、『銀河市民』、『宇宙の戦士』などなど)だったのですね。あえて区分けする必要はないのかもしれません。なお、シリーズ第1作の『移動都市』は、2007年の星雲賞海外長編部門を受賞しています。

 舞台は30世紀を過ぎたいつかの時代。60分戦争で世界は滅び、生き残った人類は巨大な移動都市の上で暮らしています。無数のキャタピラや車輪で、文字通り移動する都市ロンドンでは、科学ギルドが戦争前の失われた技術の修復に成功します。激しい生存競争を繰り広げ、都市同士が喰い合うことを認める移動派、そういう海賊的な移動都市と対立する反移動都市同盟、空を自由に飛ぶ飛行船乗りたち。陰謀と隠された過去の秘密を交えながら、物語は最後の対決シーンへと進んでいきます。

 発表当時から、どことなく初期の宮崎アニメを思わせる雰囲気がありました。とてもヴィジュアルな移動都市や兵器の描写、デフォルメされた小道具の数々と、戦いのむなしさに対する思想がそういう連想を誘うのでしょう。主人公は見習い士トム、悲惨な過去を背負った娘ヘスター、美貌のギルド長令嬢らを絡めた波乱万丈なお話です。戦闘シーンが豊富にあるのに、陰惨さはほとんどなく、明快な筋立てで分かりやすい。物語では主人公のトムや、対するヘスターはともに(児童文学なので)少年少女なのですが、映画ではもう少し年上の設定となっています。

 本シリーズは、2010年に第3部まで翻訳された後、長い間紹介が滞っていました。映画化を機に9年ぶりに第4部完結編まで出たのは喜ばしいことです。

(シミルボンに2019年3月6日掲載)

映画の原作を読んでみる、その2

 シミルボン転載コラムは、映画原作を読んでみようという企画の2回目です。今回はノーベル文学賞作家のTVドラマ、日本SF大賞作品のアニメ化、無料ウェブ小説からの映画化と、内容も経緯も異なる3つの作品を紹介しています。以下本文。

カセットテープから聞こえる、わたしを離さないで
 2016年に森下佳子脚本、綾瀬はるか主演でTVドラマ化されたので、(視聴率は振るわなかったようだが)ご覧になった方もおられるだろう。舞台を日本に移しながら、原作の雰囲気をよく伝える内容だった。また、2014年には蜷川幸雄演出で舞台化、2010年にはマーク・ロマネク監督による映画化もされている。

 カズオ・イシグロは、英国を代表するベスト20作家にも選ばれた、寡作で天才肌の作家である。英連邦での最高文学賞であるブッカー賞を含め、多数の受賞歴がある(註:この記事のあと、ノーベル文学賞を受賞した)。本書も、タイム誌が選ぶ1923年から2005年までのオールタイムベスト小説100(ちなみに、SFではスティーヴンスン『スノウ・クラッシュ』、ギブスン『ニューロマンサー』、ディック『ユービック』等が入っている)に選ばれるなど、各方面から絶賛を浴びた話題作だ。

 英国のヘールシャムに寄宿制の学校がある。男女の生徒たちは閉ざされた学園の中で、幼い頃から思春期まで一貫して育てられる。不思議なことに彼らには苗字がない。決められたイニシャルが与えられているだけ。そして、「提供者」となる自分たちの運命を知っている。

 この作品では、学園生活を送る寄宿生たちや、卒業生がたどるその後の人生が描かれている。寄宿生がどのような存在かは、SFファンでなくとも気がつくだろう。舞台は(われわれから見れば)倫理的に許されない残酷な未来社会(あるいは、並行世界の現代)である。主人公たちもどこか閉塞感を感じ、追詰められ苦しみあがく。ただし、これは理不尽な社会に対する抵抗や革命の物語ではない。どれだけ残虐であっても、主人公たちにはそれが守るべき規範なのだ。強固に抑圧された社会では、社会それ自体が壊れない限り、組み込まれた人間側から制度を壊そうという意志は生まれてこない。そういう怖さを感じさせる。

 『わたしを離さないで』は、カズオ・イシグロの描くディストピア小説といえる。社会批判が一切書かれていないかわりに、仄かな恋と友情が淡々と描かれる。ストイックな情動で主張を代弁させているのだ。表紙のイラストは、主人公が偏愛する女性歌手のカセットテープを意味している。表題 Never Let Me Goも、実は歌の題名なのだ。

(シミルボンに2017年4月4日掲載)

一千年後の日本、バケネズミを使役する超能力者たち、新世界より
 第4回日本ホラー小説大賞作家、貴志祐介の2000枚を超える書き下ろし長編。過去にハヤカワSFコンテストで佳作入選したこともある著者だが、大賞受賞後は『天使の囀り』(1998)、『クリムゾンの迷宮』(1999)といったSF風のミステリも書いてきた。本書は、1000年後の日本を舞台とする本格的なSFである。2008年の第29回日本SF大賞を受賞した他、2013年には石浜真史監督によりTVアニメ化されている。

 1000年後、日本にはわずか9つの町が存続するのみ。それらもほとんど交流がなく、最小限の人口を維持しているだけだった。科学技術は大半が失われている。しかし、未来の人類には恐るべき力が発現していた。それは呪力と呼ばれる超常能力で、物理的な破壊を伴う強烈なパワーを持つ。そして、少ない人口を補うため、ハダカデバネズミを始祖とする知的な奴隷バケネズミたちを使役していた。そんなある日、主人公たちは、校外実習で世界の外に潜む脅威を知ることになる。

 呪力があまりに強大すぎるため、お互いを殺傷できなくする禁忌、そのタブーを破る悪鬼の存在。人間並みの知性を持ちながら生殺与奪を人に委ねるバケネズミは、虎視眈々と反逆の時を探る。本書では未来社会の成り立ち(封印された過去の歴史)が非常に精緻に考えられており、舞台そのものが物語の結末に至る伏線にもなっている。

 著者は、学生時代にコンラート・ローレンツの古典攻撃 悪の自然誌(1963)を読んで本書の着想を得たという。同書は脊椎動物の攻撃本能について書かれた論文だが、特に人類の同族攻撃に対する抑制のなさに注目したという。長年構想を温め、書き上げるまでに30年以上かかった。生物の進化が描かれるが、科学技術文明の遺跡が登場する関係で、舞台は数万年ではなく千年後の未来に置かれている。

 コリン・ウィルスンスパイダー・ワールド(1987)は、人類が蜘蛛の奴隷となって地下に棲むという設定である。虐げられた者(人間)が、蜘蛛への復讐に立ち上がる。また、超能力者はヴァン・ヴォクト『スラン』(1946)以来、少数で狩られる立場にある。多数派の人類が超能力を持たないのだから、発想としてはそうなるだろう。貴志祐介は既存の設定を逆さまにした。超能力を持つ人類が支配者になり、能力を持たない非人類を支配するのだ。そこが、本書の物語に対する印象の深さにつながっている。

(シミルボンに2017年4月6日掲載)

オタク宇宙飛行士のサバイバル、火星の人
 著者はプログラマーでSFファンの宇宙オタクである。いくら小説を書いても採用されず、やむを得ず自身のウェブサイトで無料公開、すると大きな反響を呼び、個人出版の電子書籍がまずベストセラーになる。次に、評判を聞いた大手出版社から待望のオファーを得る。すると、出した本は全米ベストセラーまで登りつめ、ついにはリドリー・スコット監督、マット・デイモン主演でメジャー映画『オデッセイ』(2015、日本公開は2016年)になる。嘘のように出世した作品である。

 有人宇宙船による第3回目の火星探査、地上で作業する彼らに猛烈な砂塵嵐が押し寄せる。このままでは帰還船が倒れてしまう恐れが出てきた。彼らは探査を中止し脱出を試みるが、1人が事故で取り残される。生命反応もない。やむを得ず帰還船は発進する。しかし、その1人は生きていた。残された食料を生かし、酸素と水は再生・生産し、電力や熱を作り出しながら、次の探査に使う無人の脱出船が着陸している山岳地帯まで旅立つのだ。

 着陸地点のアキダリア平原は、北の古代の海とされる平坦な地形、目標のスキャパレリ・クレーターは3200キロ離れた山岳地帯にある。火星探検の場合、人が降りる前にまず機材が先に送り込まれる。次の第4回調査隊のため、基地施設や衛星軌道までの帰還ロケットは既に目標に到着している。ただし、長距離の地上走行は危険で、何より想定外の使われ方をした機器の故障が、主人公の障害となって立ちはだかる。けれども、それは技術的な工夫で乗り越えられるものなのだ。

 本書を読んで、マーティン・ケイディン『宇宙からの脱出』(1964)を思い出した。グレゴリー・ペック主演で映画化(1969)もされ、アポロ13号(1970)の事故を予見したといわれる作品である。同じ宇宙事故としてキャンベルの『月は地獄だ』(1951)を挙げる人が多いが、組織的でシステム化された救出計画はアポロ計画以降のものだ。キャンベルの描くのは、19世紀的な「探検隊」なので助けは準備されていない。一度旅立つと自助努力せざるを得ないのである。一方、20世後半以降の宇宙では、国家レベルでの救援が行われる。宇宙とはリアルタイムにつながり、行動も厳密にシミュレーションされる。『宇宙からの脱出』では、初めてそういうシステムによる救出劇が描かれた。本書では火星が遠いため(+ある事情のため)、システム的救援と個人の創意工夫という両方の観点が楽しめる。

 さて、以上の科学的にも正確な宇宙計画に対し、人間ドラマ部分は火星でただ1人取り残された男が、1年半サバイバルするお話になっている。主人公はマッチョというより著者を思わせるメカオタク、ありあわせの機材を改造しまくりで生き残るのだが、泣き言はほとんど言わず冗談で乗り切ってしまう。地球帰還後、ヒーローになって本当に幸せなのかとちょっと心配になる。

(シミルボンに2017年4月8日掲載)

ベストSFをふりかえる(2013~2015)

 シミルボン転載コラムの《ベストSFをふりかえる》は今回までです。ここで取り上げた9つの作品はひと昔以上(15年~9年)前のものながら、ロングセラーとして今でも読み継がれています。時代を越える普遍性を有していたとみなせるでしょう。そこを含めての「ふりかえり」とお考えいただければ幸いです。以下本文。

2013年:酉島伝法『皆勤の徒』東京創元社
 2011年の第2回創元SF短編賞の受賞作「皆勤の徒」と2012年の受賞第1作「洞の街」に、雑誌掲載の中編、書下ろしを加えた初短篇集である。短編集ではあるものの、一貫した世界観で書かれた長編のようにも読める。第34回日本SF大賞を受賞、2015年に文庫化されている。

「皆勤の徒」(2011)海上に聳える塔のような建物で、従業員はひたすら何物か分からないものを製造し続ける。「洞の街」(2012)漏斗状に作られた洞の街では、定期的に天降りと呼ばれる生き物の雨が降る。「泥海の浮き城」(書下ろし)海に浮かぶ城、二つの城が結合する混乱の中で、祖先の遺骸とされるものが消える。「百々似隊商」(2013)何十頭にもなる百々似(ももんじ)の群れを引き連れ、交易をおこなう隊商の見たもの。

 「皆勤の徒」は、一見ブラック企業に勤めるサラリーマンを戯画化した小説のように読める(実在のモデルがあるそうだ)。しかし現実とのつながりを探そうとすると、たちまち深い迷路に彷徨いこむ。“寓意”や“風刺”といった要素とは異なる、全く異質の世界が広がっている。閨胞(けいぼう)、隷重類(れいちょうるい)、皿管(けっかんもどき)など独特の造語、著者自身が書いたイラストとも併せ、描かれる異形の生き物の不気味さがめまいを呼ぶ。

 「洞の街」は著者の敬愛する山尾悠子「夢の棲む街」のオマージュでありデフォルメでもあるもの、「泥海の浮き城」はエリック・ガルシア《鉤爪シリーズ》に似た昆虫人によるミステリ。「百々似隊商」に至ると、ノーマルな人間世界とこの世界とが対比的に描かれ、世界の成り立ちを仄めかす内容となっている。巻末の大森望による解説では、こういった酉島伝法世界をSF的に解釈する見方が詳細に述べられている。これはこれで本書を読み解く手がかりになるものの、ふつうのSFに還元できない部分にこそ本書の特徴があるのは間違いないだろう。

2014年:ダリオ・トナーニ『モンド9』シーライトパブリッシング
 この年は、映画化もされ第46回星雲賞に選ばれたウィアー『火星の人』や、第35回日本SF大賞の藤井太洋『オービタル・クラウド』が出ている。そんな中で目立たなかったが、長編初紹介となる著者ダリオ・トナーニは、1959年生まれのイタリア作家だ。本書は、2013年のイタリア賞(1972年に始まったイタリアSF大会Italconで選ばれるファン投票によるSF賞。著者はこれまで5回受賞)、及びカシオペア賞(こちらは選考委員による年間ベストのようだ)を受賞するなど非常に高い評価を得た。

 そこは世界9(モンドノーヴェ)と称される。有毒な砂に満たされた砂漠を走る巨大陸上船〈ロブレド〉から、一組の継手タイヤ〈カルダニク〉が分離し脱出するが、二人の乗組員はその中に閉じ込められる。砂漠に座礁した〈ロブレド〉に棲みついた鳥たちを狙う親子がいる。鳥たちは半ば金属と化している。〈チャタッラ〉島は遺棄された無数の船が流れ着く墓場、毒使いたちはまだ生き残っている船の命を絶ち、有用な資材を運び出そうとする。〈アフリタニア〉は交換部品となる卵を生み出す船だ。だが、金属を喰らう巨大な花が口を開き、行く手を阻んでいる。

 雑誌掲載などで、10年に渡って書かれた連作短編4作から成る長編である。“スチームパンク”とされるが、重量感のある鉄をイメージするメカが登場するものの、19世紀的なものではない。金属が非常に有機的に描かれている。金属であるのに人を消化し、逆に疫病によって人や鳥さえ金属と化していくのだ。

 現実を思わせるアナロジーや社会風刺などはなく、ひたすら想像力で世界を構築する。解説の中でバラードを思わせる(恐らく『結晶世界』のことだろう)とあるが、本書の黒々とした不吉さは著者オリジナルのものだ。

2015年:ケン・リュウ『紙の動物園』早川書房
 近年のSF翻訳書としては破格に売れ話題となった本。訳者古沢嘉通による日本オリジナル版である(註:2017年から出ている文庫版は、本書から内容が組み変えられている)。著者の短篇集はこれまで中国、フランスで先行し肝心のアメリカではまとめられていなかったが、本書と同じ表題を付けたものが2015年11月にようやく出た(収録作品は異なる)。

 ケン・リュウは1976年生まれの中国作家。11歳で家族と共に渡米、以降プログラマー、弁護士を経て2002年作家デビュー。この多彩な経歴が作品に生かされている。短編「紙の動物園」は、ヒューゴー/ネビュラ/世界幻想文学大賞の三賞を同時受賞した唯一の作品だ。また中国SF作家の紹介も多く手がけ、劉慈欣の作品《三体》がヒューゴー賞を受賞するなど、翻訳の技量にも定評がある。

 紙の動物園(2011)中国から嫁いできた母は英語を話せなかったが、折り紙の動物に命を吹き込めた。もののあはれ(2012)破局した地球から脱出した恒星船で、航行を揺るがす重大事故が発生する。月へ(2012)亡命を求める中国難民が、弁護士に語る迫害の真相とは。結縄(2011)雲南の山中、文字を持たない少数民族では、縄を結ぶことで記録が作られていた。太平洋横断海底トンネル小史(2013)日米を結ぶ海底トンネルで働く一人の抗夫の語る話。潮汐(2012)月が次第に近づく中、塔を嵩上げしながら潮汐を凌ぐ人々。選抜宇宙種族の本づくり習性(2012)宇宙に住むさまざまな種族が考える、書くことと本の在り方。心智五行(2012)遭難した脱出艇は、記録にない植民星で原始的な文明と遭遇する。どこかまったく別な場所でトナカイの大群が(2011)未来、多次元に広がった世界での両親との関係。円弧(2012)荒んだ人生を歩んだ少女は、やがて一つの出会いから不老不死の手段を手にする。波(2012)何世代も経て飛ぶ恒星間宇宙船に、断絶していた地球からのメッセージが届く。1ビットのエラー(2009)偶然が運命を決める、チャン「地獄とは神の不在なり」にインスパイアされた作品。愛のアルゴリズム(2004)自然な会話をする人形を開発した女性は、次第に精神を病んでいく。文字占い師(2010)1960年代国民党治下の台湾、文字からその意味を教えてくれた老人の運命。良い狩りを(2012)西洋文明が侵透する中国で、住処を追われた妖狐が見出した居場所とは。

 本書には、テッド・チャンの短篇との関係が言及された作品が2つある。「1ビットのエラー」と「愛のアルゴリズム」だ。後者は「ゼロで割る」の影響を受けたとある。ただ、冷徹な「理」に勝つテッド・チャンに対し、ケン・リュウは「情」に優る書き方をする。結果的に作品の印象は大きく異なる。

 例えば、表題作は中国花嫁の悲哀(日本でもあったが、事実上の人身売買だ)、「もののあはれ」は悲壮感漂う最後の日本人を描いている。類型的と見なされても仕方がない設定を、あえて情感によって昇華しているのだ。「太平洋…」の大日本帝国下の台湾人、「文字占い師」の二・二八事件(台湾在住者に対する国民党政府の弾圧事件)、「良い狩りを」の英国が統治する香港などなど、これらは史実の重みを背景に負いながら、物語を「情」に落とす装置ともなっている。

 自身が20世紀の中国を知る東洋人で、作品を総べるオリエンタリズムに違和感がないことが強みといえる。これらは、最新長編、新解釈の項羽と劉邦でもある《蒲公英王朝期》を幅広く受容してもらう際に、大きなアドバンテージとなるだろう。

(シミルボンに2016年8月16日~18日掲載)

ベストSFをふりかえる(2007~2009)

 シミルボン転載コラム、今週から3回分はレビュー記事です。評者が9年間(2007年から2015年)に選んだ作品を、順次紹介していくという趣旨でした。年1作づつ、長編や中短篇集など単行本を対象としていましたが、ここでは3年分を1回にまとめています。国内外作品を問わず、ノンフィクションが入ることもありました。以下本文。

2007年:最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』新潮社
 本書は、第28回日本SF大賞、第39回星雲賞を受賞、他にもノンフィクション関連の賞を複数得るなど高い評価を受けたものだ。最相葉月は、主に科学技術やスポーツ関係の著作を得意としてきたノンフィクション・ライターである。

 星新一の父は、星製薬の創設者でもあった星一である。戦前の星製薬は、現存する製薬会社のどれよりも巨大で先進的な企業だった。アメリカ仕込みの経営、例えば全国をチェーン店で結ぶなど斬新な戦略で発展してきた。しかし、星一は典型的なワンマンであり、自分以外を信じなかった。阿片製造(戦前は合法だった)に絡む政界の一部との交流が、逆に恨みを買う要因となって訴訟・倒産につながる。この騒動は破産から立ち直った後も尾を引き、戦後のごたごたの中で星一の急死(1951)、長男親一(本名)への相続へと続いていく。

 SFとの出会いは、周り全てが悪意を持つ債権者たちの時代にあった。矢野徹や柴野拓美ら、宇宙塵とその同人たちとの出会いである。星はすべてを振り棄てて作家に転身する。SF黎明期に先頭を切ってデビューを果たしたのである(1957)。星が選んだショートショートという形式は、昭和30年代から40年代の高度成長期に伸びた企業のPR誌に最適だったこともあり、大きな需要があった。ショートショート集も売れ、流行作家の仲間に入ることになる。ただ、業界の評価は低く、読者の低年齢化が進む中、子供向けの小説とみられて文芸賞とは全く無縁だった。

 星新一は新潮文庫(1971年から)だけで累計3千万部を売ったロングセラーの作家である。小学生から読める内容なので、一度は読んでみた人も多いだろう。しかし、誰もが知っている名前でありながら、多作かつ客観的な作風であることも災いして、明瞭な印象を残さない作家だった。それが結果的に晩年の著者を不幸にする要因でもあった。ピークを過ぎ、先が見えた時に誰でも自分の存在意義を気にする。誰もが知っているが誰も憶えていない作家、まさにその点にこそ本書の焦点がある。

 星新一については、自身が書いた父親や祖父の伝記や、星製薬が解散する前後の事情もエッセイなどで断片的には知られていた。しかし、本書ではこれらの記述が、SF作家星新一デビューと有機的につなげられている。当時のSF界の記述、矢野・柴野・星の関係も正確で新しい視点がある。また、封印されてきた晩年(1983年の1001編達成以降、特にがん発症の前後)の星が何を考え何を行ってきたかが(一部推測を交えているとはいえ)明らかにされたのは初めてだろう。

2008年:クリストファー・プリースト『限りなき夏』国書刊行会
 日本オリジナルに編まれた作品集。『奇術師』クリストファー・ノーラン監督「プレステージ」(2006)として映画化されて以来、プリーストは再び注目を集めるようになった。年間ベストに顔を出すようになり、過去の埋もれた作品も再刊が進んだ。本書はその中で出たベスト版である。

 限りなき夏(1976)テムズ川に架かる橋からは、時間凍結された19世紀初頭以来の“活人画”が見渡せる。青ざめた逍遙(1979)時間を超えられる公園を巡って、大人に成長する少年が見かけた少女の正体。逃走(1966)戦争の影が忍び寄る世界、上院議員の前に少年たちの集団が立ち塞がる。リアルタイム・ワールド(1972)隔絶された宇宙基地で、情報操作により隊員たちをモニターする主人公。赤道の時(1999)赤道上空にある時間の渦の中は、目的の時間をめざして無数の航空機が旋回している。火葬(1978)異文化を持つ島の弔問に訪れた男は、人妻からあからさまな誘いを受ける。奇跡の石塚(1980)10台の頃、島の叔母の家で受けた忌避すべき思い出を追体験する主人公の葛藤。ディスチャージ(2002)3000年に渡る戦争から逃れようとする兵士の体験した群島の出来事。

 66年のデビュー作「逃走」から、主に70年代の作品を収めている。翻訳が2013年に出た《夢幻諸島(ドリーム・アーキペラゴ)シリーズ》に属する「ディスチャージ」や「赤道の時」が比較的新しいが、これはシリーズとしてまとめる際に書き下ろされたものなので、全体のバランスを崩すものではない。80年代以降の作者の活動が長編に移っていった関係で、もっとも作品数が多かった30年前に書かれたものが中心になる。

 プリーストの日本での紹介は『スペース・マシン』(1976)→78年翻訳、『ドリーム・マシン』(1977)→79年、『伝授者』(1970)→80年、『逆転世界』(1974)→83年という順番だった。当時は、『逆転世界』の設定(巨大都市が“最適線”に沿って移動する)が強烈で、ハードSF/数学SFの一種と思われていた。しかし、実際のプリーストの関心は、むしろ「リアルタイム・ワールド」に見られる“現実と幻想の相関関係”を描くことにある。改めて本書を読むことで、作者の意図が分かるようになる。

 それにしても、本書からは少し変わった印象を受ける。一つは、まるで自分の既刊本のように冷静に編集意図を述べる、プリースト自身が寄せた日本語版の序文。もう一つは、本書が安田チルドレン(安田均による海外SF紹介に影響を受けた世代を指す)の産物と説明する訳者あとがき。現実なのか虚構なのかを問う著者の作風から、本書がまるで架空のオリジナル作品集のように思えてくるから不思議だ。

2009年:長谷敏司『あなたのための物語』早川書房
 2009年は伊藤計劃の『ハーモニー』が出て第30回日本SF大賞を獲った。同じ年に出た本書は、著者の原点ともいえる作品である。テーマを深化させ、5年後に第35回日本SF大賞を『My Humanity』で得ることになる。本作品は、今年映画公開も予定されている、テッド・チャンの作品の影響下に書かれた(註:映画は2016年に「メッセージ」として公開)

 表題が『あなたのための物語 A Story for You』となってることから分かるように、本書はテッド・チャン「あなたの人生の物語 Story of Your Life」(1998)に対するある種の返歌となっている。ここで、A Story であることに注目する必要がある。つまり、“あなたのために書かれた複数の物語”の中の1つなのだ、という意味になる。

 21世紀後半の2083年。主人公は脳内に擬似神経を構築し、脳の損傷を改善できる技術によりベンチャーを成功させる。さらに彼女は、脳内の振る舞いを記述する言語ITPにより、物語を語る仮想人格《wanna be(なりたい)》を作り上げる。これで、人間の創造性さえ記述できることが証明できるのだ。しかし、成功の絶頂にいた彼女に、ある日余命半年であることが告げられる。

 神秘的な人間の創造性も、実は脳内物質の多寡に過ぎない。グレッグ・イーガンやテッド・チャンが冷厳に述べてきたその事実を、長谷敏司は一冊の長編にまで敷衍している。死が迫った主人公は、禁じられた手法を用いて自身の脳内を書き直そうとする。「あなたのため」小説を書き続ける仮想人格(wanna be=want to be)は、主人公の死に向き合った怯えや諦観を見るうちに、全く新しい反応を返すようになる。

 著者はライトノベルからスタートし、本書を書き上げるまでに、ほぼ5年を費やしている。アイデアの源泉は既存の作家に由来するが、詳細な伏線(なぜ主人公が孤独なのか)や掘り下げた知能に対する言及(なぜITPで記述された知能に感性の平板化が生じるか)など、既作品に対するアドバンテージは十分あるだろう。「あなたのための物語」とは結局なんだったのかを、最後に反芻してみるとさらに深みが増す。

(シミルボンに2016年8月10日~12日に掲載)

豊かな経験から大河ドラマの覇者へ ジョージ・R・R・マーティン

 シミルボン転載コラムです。ベストセラーから大ヒットドラマを産み出したマーチンですが、デビュー当時からホラー寄り・スーパーヒーロー寄りなどの顔を持っていました。そういう初期の作品を含めて紹介しています。ただ、絶版本が多く古いものは電子版もないので、コラムだけでは十分ではありません。本文中にある過去のレビューへのリンクを参考にしてください。以下本文。

 1948年生。現時点でマーティンといえば、ベストセラー《氷と炎の歌》=エミー賞の最多受賞作品でもあるHBOのTVドラマ《ゲーム・オブ・スローンズ》の原作者・脚本家・製作者なので、それ以外の作品はよく知らない人も多いだろう。1971年にプロデビュー、当初は主にSFを書いていた。ヴォンダ・マッキンタイア、ジョン・ヴァーリイ、先ごろ亡くなったエド・ブライアントらとLDG(レイバー・デイ・グループ)の同世代になる。

 初期作を集めた短編集『サンドキングズ』(1981)では、表題作がヒューゴー賞、ネビュラ賞を受賞するなど高評価を得る。また、コミックが大好きで、日本でも第3部まで翻訳されたスーパーヒーローものの共作《ワイルド・カード》(1986-)の編纂や、ジャック・ヴァンス『宇宙探偵マグナス・リドルフ』へのオマージュでもある《タフの方舟》(1986)、ミシシッピ川を航行する蒸気船を舞台にした、吸血鬼ホラー『フィーヴァードリーム』(1982)も書いた。ホラーについては、日本で編まれた短編集『洋梨形の男』(2009)にエッセンスが収録されている。

 電子書籍でも入手可能なSFとなると、初長編『星の光、いまは遠く』(1977)だろう。

 辺境の放浪惑星ワーローン。銀河を巡る長大な軌道から、太陽に接近し居住に適する期間はわずか10年余り。しかし、その10年のために惑星規模の改造が行われ、外縁星域に散在するさまざまな文明が競い合うフェスティバルが開催された。宴も終わり、再び暗黒の外宇宙へと離れていく惑星に、1人の男が降り立つ。やがて、遺されたさまざまなパビリオンの廃墟を舞台に、かつての恋人を巡って、野蛮な習俗を復活させようとする一派との争いが生まれるのだ。

 主人公は優柔不断な文明人、対するは、決闘や人間を狩る伝統を有するハンターの一族。描かれる“宴の後”の世界は、冬の訪れ=滅びの色を湛えながら、華麗にしてエキゾチックである。一族の法に苦しむ豪胆な男たち、次第に彼らの考えに惹かれていく主人公、行動派で妥協しない女性と、登場人物は4半世紀後に書かれる《氷と炎の歌》を思わせる。ベストセラー作家となった作者の、その後を知っているから楽しめるとも言えるが、そういった余分な情報抜きでも面白い。特に中盤を過ぎ、後半に向かってのドライブ感、終盤に至っての意外な収束が読みどころ。

 さて、本命の《氷と炎の歌》シリーズは20年間にわたって書き継がれ、全7巻(各巻が2000枚から3000枚に相当する長さ)を予定するが、いまだ完結していない長大な作品だ。堅牢な世界構築が、このシリーズの魅力だろう。ファンタジイに科学的な説明は要求されないが、世界の成り立ちに矛盾があってよいわけではない。舞台となる大陸のありさま、8千年前(さらに4千年前のできごと)にさかのぼる伝説、七王国の由来と神話、宗教、各王家の人々とその性格など、世界を形作る体系=システムの緻密さ、矛盾のなさが重要なのだ。

 第1部『七王国の玉座』(1996)不規則な夏と冬との季節を持ち、中世ヨーロッパを思わせる異世界が舞台。ドラゴンを旗印に300年続いたターガリエン王朝が倒されて15年、不安定な均衡状態にあった王国に暗雲が立ち込める。新王ロバートは酒におぼれ、放蕩を尽くして王国を傾ける。新規に王の片腕に任命されたスターク家は、王の后を戴くラニスター家と軋轢を深め、他の貴族(7つの名家)を巻き込み、ついに内戦の危機を迎える。冬の到来と共に甦る、はるか北辺の不気味な伝説。そして、海の彼方の騎馬民族から、ドラゴン王の血を引くものが生まれようとしていた。

 第2部『王狼たちの戦旗』(1999)ロバート王亡き後、王都を押さえるラニスター家(摂政を務める后と長男、后の弟)に対して、ロバート王のバラシオン家次男と三男、王とともに殺された北の王スタークの長男は、互いに覇権をめぐって戦いを繰り広げる。戦いの混乱の中で、狼とともに育った幼いスターク家の兄弟姉妹たちにも、さまざまな困難、破壊と暴力/死が立ちふさがる。やがて、首都攻防の大会戦が陸海で勃発する。

 第3部『剣嵐の大地』(2000)七王国の玉座を賭けた決戦は、湾を埋めつくした大船団の壊滅で終わる。タイレル家との婚姻による同盟により、ラニスター家の権力は頂点を極める。七王国の統治は事実上ラニスター家のものとなった。しかし、北辺では、伝説の〈異形〉におびえる野人たちが、壁を破壊する勢いで押し寄せ、フレイ家への謝罪のため赴いた北の王は、恐ろしい血の歓待を受ける。

 第4部『乱鴉の饗宴』(2005)前巻が出てから5年後の刊行。北の王の死、結婚披露宴での毒殺、暗殺と、七王国全土に血塗られた闇が被さりつつある。ラニスター家の当主亡き後、玉座の実権は王母サーセイ摂政太后が握る。評議会を自らの取り巻きで固めたサーセイは、しだいに臣民の信頼を失っていく。太后は最愛の弟すら身辺から退け戦場へと追い払う。

 第5部『竜との舞踏』(2011)は、さらに6年後の刊行。物語は第4部と並行して進むため、第3部の直後の時代から始まる。デナーリス女王は、3頭の巨竜を従えたターガリエン王家の正統な後継者だったが、内乱や外部の敵対勢力に苦しめられる。竜たちは巨大化し、王女でさえ抑えきれなくなってきた。そのころ、女王デナーリスが七王国へ帰還する手助けをして、自陣営に引き入れようとする勢力が現れる。一方、北を封じる〈壁〉にある黒の城では、総帥ジョンが新しい施策を打ち出し、〈壁〉を死守しようとしていた。

 権謀術数の戦国時代絵巻は、全編を通じて繰り広げられる。しかし、その一方で、“冬”の到来とともに、魔法の力がしだいに増してくる。ばら戦争時代のヨーロッパ、北欧のヴァイキング、あるいは古代ギリシャなど史実を織り交ぜた七王国はリアルに、中央アジアを思わせる騎馬民族の国や、蘇るドラゴンの存在、南方の中国風の大都市は幻想/魔術的と、多彩に描き分けられる。極北からは伝説であるはずの魔法や魔物〈異形〉が七王国を侵食してくる。この物語には、マーティンが親しんできた物語や歴史、SFやホラー、コミック的要素が万遍なく込められている。加えて、脚本家時代の経験や、《ワイルド・カード》などで多数の作家と共作してきた経験も生きているようだ。

 2011年についにTVシリーズがスタートし、原作が5部までなのに、2016年時点で第6シーズン(各シーズン10話)まで進んでしまっている。原作を追い越したわけだが、一応マーティンの監修のもとにオリジナルのストーリーはなぞられているようだ。ドラマと、今後出る小説とで大きな矛盾が生じることは(おそらく)ないだろう。

(シミルボンに2017年2月22日掲載)

 この後、LDGの盟友マッキンタイアも亡くなり、ドラマ《ゲーム・オヴ・スローンズ》は第8シーズンで完結しました。一方、本編の原作は追い付かないまま今に至ります。その代わり(なのかどうなのか)、ドラマ《ハウス・オブ・ザ・ドラゴン》となった前日譚《炎と血》『七王国の騎士』が出ていますね。2019年になって翻訳された初期のSF傑作選『ナイトフライヤー』も入手可能です。

誰もたどり着けない弧峰 スタニスワフ・レム

 シミルボン転載コラム、今回はレム。国書刊行会の《レム・コレクション》は第2期まで進み、日本での人気の根強さを感じさせます。この作家紹介コラムは、いきなり選書ではハードルが高いという初読者の方や、数冊読んだが全体像が分からないという方のために、おおまかな全体像を提供する目的で書かれています(マニアの皆さまには今更ながらの内容ですが悪しからず)。以下本文。

 1921年生。2006年に84歳で亡くなる。レムは究極の弧峰である。多くのファンを持ち、ポーランド国内はもちろん国際的な評価は高いけれど、その流れを継ぐ者や、追従者すら見当たらない。何ものも寄せ付けないという意味で、そびえ立つ弧峰なのである。

 『高い城・文学エッセイ』(1966)に収められた自伝によると、レムは旧ポーランド領(現在はウクライナ領)のルヴフに生まれた。父親は医師で、幼いころから高価だった多くの本を読むことができた。際限のない知識欲を満たすために、百科事典をくまなく読んだりもしている。もらったおもちゃは残らず分解され、元に戻ることはなかったという。

 ギムナジウム時代に、レムは奇妙な遊びに熱中する。それは架空の国/機関の書類(パスポート、許可証、証明書類)を捏造するというものだ。さまざまな役職と、複雑な許認可制度が考え出され、書類ひとつひとつに意味が持たされた。これなどは、官僚的迷宮に主人公が迷い込む『浴槽から発見された手記』(1961)を思わせるが、レムのお話作りのベースがどこにあるのかをうかがわせるエピソードだろう。

 レムが30歳の時書いたデビュー長編『金星応答なし』(1951)は、ツングース隕石に書き込まれたメッセージをもとに、金星に向かった探検隊が遭遇する異星文明を描くものだった。社会主義リアリズム全盛期に書かれた作品だが、後に書かれる思索的な宇宙ものの萌芽を含んでいる。この後、労働部分と思考部分が分離した生物が登場する『エデン』(1959)『ソラリス』(1961)、昆虫のような群体ロボットを描く『砂漠の惑星』(1964)を出版する。それぞれ極めてユニークな知的生命を創造した、宇宙3部作といえる作品だ。

 『ソラリス』(1961)惑星ソラリスが人類に知られてから百数十年が経った。その惑星は二重太陽系に伴う不安定な軌道を、重力を制御することによって自立的に安定させているのだ。ソラリスは惑星海面全体を覆う巨大で単一の生命だった。しかし、最初の接触を目指したさまざまなプロジェクトはことごとく失敗する。あまりに異質で、共通点のない知性とコミュニケートする手段はないのか。しかし、ある日ステーションの科学者が行った個人的な実験が思わぬ結果を生む。科学者たち自身の奥底に隠されていた傷跡が、実体を伴って現れるのである。主人公の場合、それは19歳で自殺したかつての恋人だった……。

 『ソラリスの陽のもとに』(ロシア語からの重訳版)が出たのは、半世紀以上前のことである。その時点で、すでに『ソラリス』は伝説的な傑作と評されていた。本書は2回映画化されている。アンドレイ・タルコフスキー監督は『惑星ソラリス』(1972)でロシア的な原風景をふんだんに鏤めた原罪と罰の物語を作り、スティーヴン・ソダバーグ監督『ソラリス』(2003)は悲劇的な失われた愛と甦りのロマンスを映像化した。しかしレムが描き出すのは、異質な知性=不完全な神とのコンタクトの物語である。現在入手できる最新版は、コンタクトテーマに関わる欠落部分が補われた、ポーランド語原典からの完訳である。

 550枚ほどしかない短い長編だが、余計なものは一切含まれない。そこに、コンタクトの物語、人の持つ罪と奥底に隠された罪悪感の物語、失われた甘美で悲劇的な恋の物語という、複数の物語が並存している。そもそも単一の視点しかない作品では、これほど長生きできなかったろう。ようやく世間がレムに追いついてきたのか、原点としてのテーマ“完全に異質なものとのコンタクト”が重要な意味を持ち始めている。たとえば、人の知性=大脳生理作用の物語、不完全=欠陥を持った神の物語と見れば、グレッグ・イーガンやテッド・チャンとも違和感なくつながってくる。

 レムはこの他にも、相対論的(ウラシマ)効果で未来社会にもどってきた宇宙飛行士たちの戸惑いを描く『星からの帰還』(1961)や、宇宙から届くメッセージを解読しようと苦闘する科学者たちの考察『天の声』(1968)を書いた。どちらも、未知のものとの意思疎通の困難さという問題に踏み込んだ作品だ。

 『完全な真空』(1971)は書評集である。といっても、ここに収められた書評の対象はどこにも存在しない。レムが書こうとして果せなかった“架空の本”についての書評なのである。理想の作品を想像しながら、なおかつそれについての書評を書くという、極めて倒錯した作品集なのだ。中には思わず読みたくなる傑作もある。アルゼンチンの奥地に忽然とあらわれたフランス『親衛隊少将ルイ十六世』や、失われた天才を探索する旅『イサカのオデュッセウス』などである。物理法則自体がゲームであると説く『新しい宇宙創造説』はイーガンの《直交3部作》のようだ。小説レベルを越えた巨大なアイデアである。

 『虚数』(1973)は架空序文集である。「GOLEM XIV」は思考するスーパー・コンピュータの本で、序文だけでなく一部の抜粋が収録されている。GOLEMはプログラムされるコンピュータではない。今日の人工知能を思わせるが、どちらかというと人工生命に近いのかもしれない。レムの描くGOLEMは、既存の頭の悪い人工知能を遥かに超越した上位概念を垣間見せる。それが人間に語りかける様子を一部とはいえ書いているのだから、まさに離れ業に近い。本書が序文集でしか収録できなかったわけもわかる。人間以上の知性が書いた、文章や概念と出会ったらどうなるのかを問いかけているのだ。『完全な真空』『虚数』も、書かれている本はすべて存在しない。しかし、実在の本を読むのと同等、あるいはそれ以上の衝撃を与えてくれる。

 レムはこの他にもユーモアあふれる一連のシリーズものを書いている。1つはレム流の《ロボット》が登場するお伽噺風のシリーズ『ロボット物語』(1964)『宇宙創世記ロボットの旅』(1965)などだ。ロボットといっても、これらは人工知能の原点サイバネティクスを発展させたもので、アシモフ流のロボットとはずいぶん違う。

 もう1つは宇宙探検家泰平ヨン(イヨン・ティーヘ)が、さまざまな惑星や地域を訪れる《泰平ヨン》である。『泰平ヨンの航星日記』(1957/1971)『泰平ヨンの回想記』(1971)『泰平ヨンの未来学会議』(1971)『泰平ヨンの現場検証』(1981)で、もともと文明風刺の色合いが濃かったシリーズだが、後半に行くほど、生物学から宗教論を含む幅広い考察が含まれるようになる。

 『泰平ヨンの未来学会議』は、人口問題を解決するために赴いた世界未来会議で、ヨンが幻覚剤を使ったテロ事件に巻き込まれ、奇妙な未来社会に迷い込むお話だ。2013年にアリ・フォルマン監督による『コングレス未来学会議』として映画化され、アニメと実写の混淆したユニークな仕上がりになっていた。

 残念ながら、レムの短編は紙版が途切れ電子書籍化も進んでいない。これ一冊だけというのであれば、紙書籍だが、国書刊行会レム・コレクションに含まれる『短篇ベスト10』(2001)がある。クラクフで出版された15編を収録する短篇ベスト選から、さらに10編を選びだしたものだ。上記で紹介した《ロボット》《泰平ヨン》などレムの主要な短編が万遍なく盛り込まれている。

(シミルボンに2017年2月27日掲載)

 《レム・コレクション》の第2期が開始となったのは2021年のこと。現在も継続中ですが、『マゼラン雲』など幻の初期作や、新訳の『インヴィンシブル』『浴槽で発見された手記』という既訳作品に対する新解釈/新発見まであって目が離せません。泰平ヨンものの最後の作品『地球の平和』も出ています。

おもちゃがあふれる書斎、永遠の子ども レイ・ブラッドベリ

 今回のシミルボン転載コラムはブラッドベリです。アメリカではもはや国民作家、日本でもSFが一般化する前から紹介され(SFマガジン創刊以前、江戸川乱歩編集の旧宝石誌に翻訳されました)、新刊(新訳や新版)が途切れないロングセラーの作家ですね。最近では『猫のパジャマ』が新装版となって再刊されました。

 ブラッドベリは2012年、誕生日の2か月前に91歳で亡くなった。同世代である英米SF第1世代の作家たち、アイザック・アシモフ(1920~92)、アーサー・C・クラーク(1917~2008)、ロバート・A・ハインライン(1907~88)、親友だったフォレスト・J・アッカーマン(1916~2008)らが次々と世を去る中で、脳梗塞を患うなど苦しみながらも最後まで文筆活動を続けた。ブラッドベリは、2004年にナショナル・メダル・オブ・アーツ(米国政府が選定する文化功労賞、大統領から直接授与される)を得たアメリカの国民作家でもある。

 サム・ウェラーによる伝記『ブラッドベリ年代記』(2005)に詳しいが、レイ・ブラッドベリはアメリカの典型的な田舎町である、シカゴにほど近いイリノイ州ウォーキガンに生まれる。この街こそ、無数の作品の原風景/メタファーを育んだところだ(墓地、おおきな湖、怪しい魔術師、ただ広い平原、巡回するカーニバル、屋台のアイスクリーム)。大恐慌下、定職が得られなかったブラッドベリ家は貧く、一家は仕事を求めてアリゾナ、そしてロサンゼルスへ転々とする。ハイスクールに入ると本格的な創作意欲に駆られ、週に1作の短編を書くようになる。これは生涯の日課になった。大学には行かず、図書館を情報インプットの場に使う一方、街頭で新聞を売って生計を立てた。アッカーマンらSFファンたちの仲間にも恵まれ、最初の短編がパルプ雑誌に売れたのが1941年、一般誌にも載るようになる。ラジオドラマ向けの台本も書いた。

 1950年『火星年代記』、翌年『刺青の男』が出ると、多くの読者からの注目を浴びる。1953年、当時の赤狩りと検閲を批判した『華氏451度』を出版、これは30年間に450万部が売れるロングセラーに成長する。そのころ、敬愛する監督ジョン・ヒューストンから映画『白鯨』の脚本執筆依頼を受ける(92年に書かれた自伝的長編『緑の影、白い鯨』に詳しい)。ブラッドベリのイメージを決定づけたホラーテイストのファンタジイ『10月はたそがれの国』が55年、『たんぽぽのお酒』が57年、ロッド・サーリングに反感を抱きながらも有名なTVシリーズ《トワイライト・ゾーン》の脚本に協力、62年にはニューヨーク万博(1964-65)アメリカ館のプログラム脚本作成と、その地位を確立していく。

 この『火星年代記』『華氏451度』が代表作とされる。ブラッドベリが本書を書いた当時、もう火星に運河があり火星人がいると信じる人は少なかった。ここに描き出された火星は、ブラッドベリが育ったアメリカ中西部のメタファー、幻想的な再現でもある。本書は1997年に著者自ら改訂した新版。

 『刺青の男』は全身を刺青で埋めた男が語る、刺青一つ一つにまつわる物語。「草原」「万華鏡」などを含む、SFテイストが強い初期の傑作短編集である。なお、現行本で新装版とあるものは(一部の修正を除けば)翻訳は昔からのバージョンと同じもの、新訳版は翻訳者も変わった文字通りの新版になる。

 『華氏451度』は文字で書かれた書物が一切禁止され、ファイアマン(本来なら消防士)の職務が本を燃やすことになったディストピア世界を描く。1966年フランソワ・トリュフォー監督によって映画化もされた作品。ブラッドベリの作品は何度も映画化されているが、この作品は時代を越えて残っている。

 初期作では『メランコリイの妙薬』もある。本書は1950年代末期に出た代表的な短編集。有名な作品「イカルス・モンゴルフィエ・ライト」や「すべての夏をこの一日に」などが含まれている。

 もっと新しいものとしてなら『瞬きよりも速く』が、1990年代の作品を収めた作品集だ。後期のブラッドベリは作風こそ円熟するが、書いた内容自体は初期から育んできたテーマを踏襲している。上記作品と読み比べれば、その変化を楽しむことができる。

 他でも、ブラッドベリを敬愛する萩尾望都によるコミック集『ウは宇宙船のウ』は、同題の原作短編集(創元SF文庫)にとらわれず「みずうみ」「ぼくの地下室においで」など8作品をえらび、忠実にコミック化したものだ。

 こうして改めてブラッドベリの生涯を振りかえってみると、30歳代半ばで映画『白鯨』(1956)の脚本を書くなど、早い時期からジャンルSF以外で大きな実績を上げていたことが分かる。それで直ちに裕福になれたわけではないが、安い原稿料に苦しんでいたSF専業作家たちとは一線を画していた。ラジオ、映画、万博、演劇と手がけるありさまは、マスメディアが急拡大した戦後の日本で、小松左京や筒井康隆らが体験したことを先取りしているかのようだ。著作はアメリカの青少年に広く読まれ、後の宇宙開発、コミックや映画など文化創造を促すきっかけになった。

 インタビュー集『ブラッドベリ、自作を語る』(2010)のなかで、ブラッドベリは、生まれた瞬間を覚えている! 3、5歳で見た映画の鮮明な記憶がある、サーカスの魔術師との出会いは忘れない、などとなかば真剣に語っている。

 映画全盛期のハリウッドで、スターたちを追いかけた少年時代。特定の信仰は持たず、あらゆる宗教に興味をいだいた。マッカーシズムやベトナム戦争に反対し、政治家に肩入れしたこともある。ただ、保守派のレーガンを支持するなど、固定的な政治信条は持たない。結婚は1度きり、2度の浮気体験もある、しかし即物的なセックスを好むわけではない。深く考えるより、まず行動してから考える。未来の予言者と言われるが、自分の書くSFほど非科学的なものはない。62歳まで飛行機に乗らず、車も運転しない。もちろんPCは持っておらず、脳卒中で倒れてからは、遠方の娘との電話での口述筆記に頼る。

 SF作家の部屋は、一般の作家と特に変わらない場合が多い。資料関係の本や、関係する文芸書の種類くらいの違いで、内容に意味はあっても見た目に大差はない。しかしブラッドベリは違う。部屋にさまざまなおもちゃが溢れているのだ。ティラノサウルスや、ノーチラス号、得体のしれない怪物やファンタスティックな絵画などなど。大人になっても、おもちゃ屋に強く惹かれ、おもちゃのプレゼントが最高だという。誰の心の奥底にも生き続ける、子供の心を表現する根源的な作家。まさにその点で、ブラッドベリは世界の人々から愛されたのだ。

(シミルボンに2017年2月20日掲載)

 アメリカの第1世代作家となると、日本の第1世代よりさらに10~20年遡ることになります。生きていれば100歳超ですが、さすがにもはや歴史となっています。そんな中で、今でも親しまれている作家は数少ない。ブラッドベリは稀有な存在と言えますね。

ハードにしてソフト、人の本質を突く作家 グレッグ・イーガン

 今回のシミルボン転載コラムはイーガンです。海外のSF作家、それも英米圏ならテッド・チャンとグレッグ・イーガンは日本での人気の双璧といえます。多くの翻訳作品がありますが、ほとんどは現行本か電子書籍で読めるというロングセラー作家でもあります。以下本文。

 1961年生。オーストラリアの作家。ポートレートを一切公開せず、イベントやサイン会にも参加しない覆面作家として知られる。理論的なバックグラウンドを備えた本格的なハードSFを書く作家で、英米よりも日本での評価が高いのが特徴だ。母国オーストラリアのディトマー賞で辞退騒ぎがあった2000年以降(ノミネート自体を拒否している)は、日本の星雲賞(長編部門で2回、短編部門で4回)での受賞回数が際立っている。

カバー:小阪淳

 『祈りの海』(2000)は編訳者山岸真による、日本オリジナルの短編集である。この本が出る前は、長編『宇宙消失』(1992)や、仮想環境下でシミュレートされる生命を描いた『順列都市』(1994)で注目されてはいたが、まだコアなSFファン内部にとどまっていた。イーガンの魅力を存分に伝えた本書が、一般読者を含む幅広い人気を生み出すきっかけになったのだ。

 1日ごとに違う自分だったら。可愛いが人とは認められない赤ん坊がいたら。不死を約束する意識のコピーを持てたら。あるいは、未来から送られてくる日記があったら。誘拐されたのが自分の感性だとしたら。人類の祖先はアダムなのかイヴなのかが分かったら。そして、神々と逢える海(ヒューゴー賞、ローカス賞、星雲賞を受賞した「祈りの海」)の正体を知った主人公はどう行動したのか。人間の根源である意識や思考は、単なる物理・化学変化が生み出す錯覚にすぎないのかもしれない。こういったアイデアの数々は、読者に衝撃を与えた。

カバー:Rey.Hori

 短編集『しあわせの理由』(2003)では、星雲賞をとった表題作で、不治の病に冒され死につつある少年が描かれる。不幸なはずの少年は幸せだった。何もかもが肯定的、あらゆるものが楽天的に感じられるからだ。彼の脳内で育ちつつある癌が、ある種のエンドルフィンを分泌する。それが人に究極の幸福感を与えてくれる。本書のどの作品もシニカルだ。派手な盛り上げはない。たんたんと物語が流れていく。デジタル化され、化学物質で感情が左右されると、逆に人間の本質があらわになる。最愛の夫を宿せと言われた妻を描く「適切な愛」や、この「しあわせの理由」で顕著に現れるのが、肉体や感情のコントロールこそ、純化された人間そのものというメッセージだ。電脳やナノテクは非人間的という、一般的なパターンをはるかに超越した考え方だろう。

カバー:L.O.S.164

 『万物理論』(1995)は、2005年の星雲賞受賞長編である。21世紀半ば、遺伝子情報は大企業が寡占している。さまざまな遺伝子操作の可能性は奇怪な事件や人物を生み出していた。そんな生命を弄ぶ取材に疲れた主人公は、物理学会で画期的な理論の発表がされることを知る。「万物理論」は宇宙創造を説明し、物理の根本を説明できるという。

 本書のキモは、やはり「驚くべき結末」を構成する奇想アイデアであり、いかにも本当らしい理論的説明にある。誤解を避けるため、反科学の立場は本書で否定的に描かれているが、アイデア自体は疑似科学を思わせる。それをトンデモ説ではなく、客観的な立脚点で描ききったところがSF作家イーガンの際立つ才能といえる。

カバー:小阪淳

 2006年の星雲賞受賞作『ディアスポラ』(1997)は本格宇宙SFである。30世紀、人類は少数の肉体で生きる人々を除いて、大多数がソフトウェアによる電脳者だけになり、彼らは情報を集積する唯一のハードウェアであるポリスで生活している。ある日、文明を支えていた予測理論では予見できない宇宙的異変が起こり、地球環境が破壊されてしまう。このままでは、彼ら自身のポリスの未来も不確かなままだ。真理(新しい法則/理論)を求めるべく、1千もの宇宙船が宇宙に散開(Diasporaの意味)する。しかし、そこで彼らの目にしたものは、ありうるべき理論をはるかに超える未知の存在だった。

 本書のように、文字通り次元を超えた大変移は、既存のどんな作品でも書かれたことがない。宇宙SFというより宇宙論SFなので、イーガン流の重厚な世界を正面から楽しむつもりで読むべき作品だ。もちろん「宇宙物理SF」を読むのに宇宙物理の素養は必要ない。

 ハードSFはやっぱり苦手という人には、同じ山岸真編のTAP』(2008)という作品集もある。ちょっと不思議系作品が選ばれている。本書の中では、実験室で人知れず実験動物を使って培養されるもの「悪魔の移住」や、偶然大金を手にした夫婦が、生まれてくる子供に最高の遺伝子を持たせようとする「ユージーン」の結末が、いかにもイーガン風の皮肉で面白い。

カバー:小阪淳

 長編『ゼンデギ』(2010)は宇宙ではなく、近過去(2012)と近未来(2027)のイランを舞台にした作品。そこで流行しているVRゲーム(ゼンデギ)をからめて、イーガン得意の人間意識の電子化を描く異色作だ。

 『ゼンデギ』(2010)の次に書いたのが、《直交3部作》(2011-2013)である。しかし、これに手をつける前に、『白熱光』(2008)をまず読んでみることをお勧めする。

 ハブと呼ばれる中心を巡る軌道の上に、その世界〈スプリンター〉はある。異星人である主人公は、理論家の老人と知り合い、さまざまな実験と観測の結果、ついに世界の秘密を説く鍵を見つけ出す。一方、150万年後の未来、銀河ネットワークに広がった人類の子孫は、銀河中心(バルジ)から届いた1つのメッセージを頼りに、別種の文明が支配するその領域に踏み込もうとしていた。

 物語は、時間軸の異なる2つの系統から作られている。六本脚の異星人が孤立した星の中で、独自に物理法則を発見していく物語と、生物由来/電子由来の区別がなくなった超未来の人類が、銀河中心に旅する物語である。後者は、最終的に前者との結びつきを発見することになる。種明かしにも関係するが、本書の舞台はブラックホール/中性子星という、超重力の近傍世界だ(それ自体ではない)。

 何しろ、理論物理学の教科書を読まないとわからないことが、数式なしで書かれている。シミュレーションすることで初めて見えるような物理現象が、ビジュアルに書かれている(つまり、明確な根拠を持っている)。著者自身その詳細を、数式で解説している。そもそも書かれた世界ではニュートン力学ではなく、相対論的効果の下での力学が働いているのだ(われわれも厳密にいえば相対論的効果の下にあるが、その効果を日常で感じることはない)。翻訳版では解説に謎の答えのヒントがあるし、物理的な背景も(なんとなく)分かるので、比較的読みやすいだろう。

カバー:Rey.Hori

 次に『クロックワーク・ロケット』を始めとする《直交三部作》(2011-2013)がある。ここでいう直交 Orthogonal とは、本書の場合、主人公たちの宇宙と直角に交叉する直交星群を指す。原著が3年かかって出たのに対し、翻訳は1年以内に3部作を刊行しようとしている。これまでイーガンを一手に引き受けていた山岸真に加え、中村融を共訳者に据えた強力な布陣(前半後半を分担し、全体調整は山岸真)が注目される。

 別の物理法則が支配する宇宙、主人公は旧態依然の田舎から逃げ出し都会で学者の道を選ぶ。やがて、夜空に走る星の光跡から回転物理学を発表、世界的な権威となる。一方、大気と衝突する疾走星がしだいに数を増し、破滅の危機が叫ばれるようになる。主人公らは、巨大な山自体をロケットとして打ち上げ、そのロケットの産み出す時間により世界を救うことができるのではないかと考える。ロケットを時間軸に対して垂直になるまで加速すると、母星の時間は止まり、無限の時間的余裕が生まれるのだ。

 主人公は人間ではない。前後2つづつの目を持ち、手足は自在に変形できる。腹部に記号や図形を描き出し、それが重要なコミュニケーション手段となる。性は男女あるが、女は男女2組の子供を産む(この男女が双と呼ばれ、通常なら生殖のペアとなる)。主人公は単独に生まれた女で、出産を抑制する薬を飲む。人類とかけ離れた生態ながら、主人公らは人間的に感情移入しやすく描かれる。人という接点がなければ、小説として成立しなくなるからだ。

 『白熱光』は特殊な環境の星を舞台にしていたが、そうはいっても同じ相対論宇宙での出来事だった。本書は違う。根本的な物理法則が異なっており、相対性理論は回転物理学と呼ばれている。なぜなら、時間経過を示す方程式で、時間の二乗が距離割る光速の二乗で「引かれる」のではなく「足される」からである。そのあたりの理論的解説は、例によって著者のHPで詳細に書かれている(が、それを読んで直ちに理解できる人は少ないと思う)。巻末にある板倉充洋による解説の方が分かりやすい。

 本書は、ありえない世界の一端を物理現象として見せてくれる。物理法則は世界の在り方を記述する。しかし、そこを書き換えた結果、何が起こるのかをすべて予測するのは難しい。著者自身述べているように、全く異なる世界をシミュレーションするには、無限大の知見が必要になるからだ。その隙間こそ、小説が埋めるべきものだろう。前例がないわけではない。レムは架空書評集の形で書いたし、小松左京は「こういう宇宙」でその雰囲気を描いて見せた。

 ところで、なぜクロックワーク・ロケットなのか。この宇宙では原理的に電子制御ができず、ロケットは機械仕掛けのみで動くこと。もう一つ、時間と空間が完全に等価であり、光速による制限がない=光速を越えられる=タイムトラベルが自在=時を動かす装置、等の連想もできるだろう。

カバー:Rey.Hori

『エターナル・フレイム』(2012)は、《直交3部作》の2作目にあたる作品である。母星から直交方向に飛ぶ巨大な宇宙船〈孤絶〉内部では、すでに数世代の時が流れている。故郷を救う方法は未だ得られず、帰還に要するエネルギーも不足する。しかし、接近する直交星群の1つ〈物体〉を探査した結果、意外な事実が判明する。一方、乏しい食料と人口抑制の切り札として、彼らの生理作用を変える実験も続けられていた。

 前作では直交宇宙における相対性理論=回転物理学と、その理論を解明する主人公たちが描かれていた。今回は量子論である。解説で書かれているように、20世紀から21世紀にかけての量子力学の成果が、形を変えて直交宇宙で再演されている。光が波なのか粒子なのか、といったおなじみの議論もなされるが、当然我々の宇宙と同じにはならない。物理学上の大発見と並行して起こるのが、ジェンダーの差による宿命を揺るがす生物実験だ。それは、宇宙船内を巻き込む大事件へと広がっていく。物理学の再発見という静的な物語の中で、これだけは感情に左右される問題だろう。ある意味、とてもイーガン的なアイデアなので、インパクトを与えるものとなっている。

カバー:Rey.Hori

 さらに『アロウズ・オブ・タイム』(2013)は3部作の完結編である。アロウズ・オブ・タイムとは“時の矢”のこと。時間には流れる方向があり、それは矢が飛ぶ様子になぞらえられる。放たれた矢は一方向に飛び、逆転してもどってくることはない。しかし、時間と空間が完全に等価なこの宇宙ではありうる。たとえば、未来からのメッセージを過去の時点で受け取ることが可能なのだ。片道に6世代を費やしてまで母星の危機を解決しようとした〈孤絶〉内部では、帰還への旅の過程で、メッセージの受け取りと意思決定を巡って深刻な対立が巻き起こる。

 この3部作は、相対性理論・量子力学・時間遡行までを扱う究極のハードSFなのだが、意外にも軽快に読めてしまう。設定は重厚でも、お話は変にひねっていないので読みやすいのだ。別の宇宙の物理を組み立て(著者のホームページにはさらに詳しい設定資料があるが、物理が平気な人以外にはお勧めできない)、ノーベル賞級の発見(相当)をこれだけコンパクトにまとめた、イーガンの手腕には改めて驚かされる。

(シミルボンに2016年8月31日、及び2017年2月24日掲載したものを編集)

 この記事の後も、イーガンは長編『シルトの梯子』(2001)や、星雲賞を受賞した「不気味の谷」を含む作品集『ビット・プレイヤー』(2019)などが翻訳され、2020年には文藝夏季号で特集が組まれるなど、ジャンルを超えた幅広い人気を維持しています。

近未来を見すえる確かな視点 藤井太洋

 今回のシミルボン転載コラムは藤井太洋です。コンテストでもファンダムや同人誌などの人脈でもなく、そもそも紙媒体とは異なる独自の電子書籍で登場した、まさに時代の申し子といえる作家の5年間を紹介しています。以下本文。

 1971年生。プロデビュー作は2013年の『Gene Mapper』だが、紙書籍までの経緯は少し変わっている。まず原型となる電子書籍版(-core-と記載されている私家版)が2012年7月に先行発売され、Amazon kindleストアでベストセラーとなる。これにはさまざまな媒体も注目した。そこを契機に書籍化の話が生まれ、増補改訂決定版(-full build-)の同書が生まれたのだ。当時としては珍しく、紙書籍と電子書籍がタイムラグなく同時に刊行された。震災後の2011年、情動主体で科学的な説明を蔑ろにした報道に憤りを感じたのが、同書執筆の動機になったという。

カバー:Taiyo Fujii & Rey.Hori

 主人公はフリーの Gene Mapper=遺伝子デザイナーである。著名な種苗メーカの依頼を受け、稲の新種の実験農場で、企業名のロゴを稲自身で描くという仕事を引き受ける。しかし、社運を賭けたその農場で異変が発生する。正体不明の病害で稲が変異しているというのだ。遺伝子に欠陥があるのか、自分の仕事に瑕疵があったのか。原因を探るため、彼は企業の代理人とともに、調査に協力するハッカーが住むベトナム、農場のあるカンボジアへと飛ぶ。

 徐々に拡大しつつあるものの、日本の電子書籍は、まだ紙を凌駕する規模にはない。ベストセラーでも、紙版と比べれば1ケタ販売部数が少ない。その中で本書は万に近い部数を売った。私家版でこの数字は非常に大きい。著者の公式サイトにあるインタビューを聞くと、メディアでの紹介効果が一番大きく、Googleのアドワーズ(広告ツール)を用いた独自のプロモーション効果もあったという。アドワーズでは(たとえ採算は取れないくても)効果を数値的に把握できる。著者は、もともとプログラミングが仕事で、グラフィックデザインなどのDTPもよく分かっている。電子書籍業界の実情を理解したうえで作品を作っているのだ。最初の私家版では、Kindleを含め8種類の電子書籍フォーマットで同時刊行できたのだが、これには自作スクリプトによる自動変換を用いている。

 『Gene Mapper』は、発端>近未来の世界観>登場人物の謎の過去>異変の真の原因、と進む展開がスリリングで、その設定の確からしさが印象的だ。文章に無駄がなく、冗長な表現が少ない。何より技術者らしく、データに基づいたロジカルな説明が良い。執筆スピードも速く、最初の電子書籍版を6か月(iPhoneのフリック入力で執筆)、紙版を+1か月あまりで書き上げたという(前掲インタビュー)。

 第2作の『オービタル・クラウド』(2014)では、世界を舞台にした近未来サスペンスという著者の持ち味が明確になる。

 第35回日本SF大賞、第46回星雲賞日本長編部門受賞作。デビュー作『Gene Mapper』が比較的地味な設定で書かれたお話だったのに対し、本書は舞台が一気に世界全域(東京、テヘラン、セーシェル、シアトル、デンバー、宇宙)にスケールアップされたことが特徴だ。テクノスリラーという惹句にある通り、物語のスコープは直近のロケット工学と、現在考えられうるIT技術の範囲に収まる。また、表題「軌道をめぐる雲」には、複数の意味が込められているようだ。

 2020年末、民間宇宙船による初の有人宇宙旅行が行われている裏で、奇妙な現象が報告される。それはイランが打ち上げ、軌道を周回するロケットの“2段目”が、自律的に軌道を変えるというありえない現象だ。流星の情報を流すウェブ・ニュース主催者、天才的プログラマ、サンタ追跡作戦中のNORADの軍曹、CIAの捜査官、情報が隔絶された中で苦闘するイランのロケット工学者……世界に散在する彼らは、やがて1つの事件に巻き込まれていく。そして、ネットを自在に操る事件の首謀者が浮かび上がってくる。

 直近の未来なので、国際政治の情勢は今現在と大きく変わらない。イラン、北朝鮮と悪役の顔ぶれも同じだ。ただし、本書は国家と国家の争いを描いているわけではない。民間宇宙船のベンチャー起業家と娘、直観力に優れた小さなネットニュースのオーナー、廉価なラズベリー(組み込みプロセッサを載せた小型ボード)で並列システムを組む女性ハッカー、宇宙に憧れるインドネシア人ら米軍関係者、現象を発見するアマチュアの資産家、中韓国語を自在に操る凄腕のJAXA職員、巧妙にITを駆使する工作員などなど、ほぼ全員が極めて個人的動機で行動を決めている。そういった個性/個人が、衝突/合従し合うドラマなのだ。宇宙人とのコンタクトの夢は、まだまだ叶いそうにないが、ここでは巨大システム=国家抜きで、目の前の“近い宇宙”に挑もうとする実現可能な夢が描かれている。

 『アンダーグラウンド・マーケット』(2015)は、アングラ=裏社会に流通する仮想通貨を巡る物語である。小説トリッパー2012年12月掲載作を大幅に書き直し、前日譚を書き加え単行本化したものだ。

 東京オリンピックを2年後に控えた2018年の東京、不足する労働力を補うために大規模な移民政策が実施され、アジア各地からの移民が多数暮らすようになった。一方、高額な税が課せられる表社会を避けて、政府が制御できない仮想通貨とその流通を保証する決済システムが構築される。主人公たちは、収入も仕事も仮想通貨に関わる、アンダーグラウンドのITエンジニアなのだ。そこには、システムを利用しようとするさまざまな人々が登場する。

 アジア移民が溢れる日本の近未来社会で、仮想通貨による裏の経済システムが息づく様が描かれる。わずか数年後にそこまで変わるかという疑問はあるものの、ITだけで成り立つ仕組みなら考えられるだろう。そもそも現代は、1年後すら見通せない不透明な時代なのだ。雑誌掲載版と比べると、いくつかの前提を設けながら登場人物や移民社会の背景が丁寧に加筆されており、物語の説得力が増している。藤井太洋は(近未来をテーマとする関係もあり)社会情勢の変化に応じて作品をダイナミックに書き換えることもいとわない。アングラ=犯罪/悪とネガティブに捉えるのではなく、新しい可能性として描いた点が面白い。

カバー:粟津潔

 しかし、その才能はITやテクノスリラーだけではない。例えばテーマアンソロジイ『NOVA+屍者たちの帝国』(2015)で、「従卒トム」という作品を寄せているが、南北戦争で活躍した奴隷上がりの黒人兵トムが、ゾンビを操る屍兵遣いとして幕末日本の江戸攻め傭兵となる……という、思わず読みたくなる巧みな設定で書いている。さまざまなテーマに対応できる柔軟な書き手なのだ。

 2015年から日本SF作家クラブ会長に就任、英会話が堪能で、積極的に海外のSF大会(アメリカや中国)に参加し、作家同士の交流や、自作を含む日本のSF作品をアピールするなど世界視点で活動している。

(シミルボンに2017年2月13日掲載)

 その後も藤井太洋は『公正的戦闘規範』(2017)『ハロー・ワールド』(2018)『東京の子』(2019)『ワン・モア・ヌーク』(2020)など、矢継ぎ早に話題作を発表しています。最近でも、奄美大島のIRを舞台にした『第二開国』(2022)や、高校生たちがVRを駆って世界に挑む『オーグメンテッド・スカイ』(2023)など、時代を反映する作品が目を惹きます。